巨人ムー

巨人ムー

SF、幻想系掌編小説です。縦書きでお読みください。

人びとは沖にいる巨人が苦しむのを、目を伏せがちに見つめていた。
 あの大男が死んでしまう。だが、彼らには何もなすすべがない。
 人々の目の中には、過去に巨人が人々のためにしてくれた数々の仕事、仕事が終わった時の晴れ晴れとした顔が浮かんでいた。
 女たちは巨人の痛みのために眉間に刻まれる太い皺を見て涙を流し、子どもたちは英雄の死に面し、それがどのようなものなのか恐れをなし、男たちは自分の弱さと巨人の雄大さに口をつぐみ、犬までが悲しみの遠吠えをあげた。
 数人の勇気ある男たちが巨人を助けるべく、といっても手立てを知っていたわけではないが、舟を海に滑り込ませた。巨人から見ると木の葉のような舟は男たちを乗せて、砂浜から少しばかり離れた。そこへ、赤いしぶきをあげて大波が舟の横腹をうった。巨人が痛みのために身をよじったからだ。舟はあっという間に横倒しになり、乗っていた男たちは命からがら浜に泳ぎついた。

 巨人はそれを見ると出来るだけ動かぬように痛みをこらえた。それでも何度も襲ってくる痛みに身を震わせた。それは大きな波をおこし、血の混じった波は白砂を洗い、波の引いた浜には白い泡と赤く染まった白砂があった。人々はそれを見て、なおさらの悲しみを覚えた。
 沖にいる巨人が切断された片足を水面から持ち上げると、血がほとばしりでた。人々には青空に赤い噴水があがったように見えた。血は何十メートルも上がり、雨のようにザーザーと海面を泡立てた。巨人はまた足を海面下にいれた。足の根元をしばることのできる、太く長い紐が村にはなかった。懸命に手で押さえているのだが、効果があるようには見えない。
 
 『あの山脈があのように硬い岩で成り立っているとは思わなかった』
 巨人は少しばかりの油断を悔やんだ。人々から水路を作ってくれと頼まれ、喜んで巨人は引き受けた。人々は巨人の人差し指ほどの水路でよいといった。それでも大きな舟が何艘も並んで通ることができる。指一本程度なんだ、それがいけなかった。巨人は指で土に溝を刻もうと背をかがめた。片足を海の中にいれたまま、もう一つの足を山脈の一つにかけた。その時、足が踏みつけた場所からマグマが噴出した。何十年ぶりの噴火だった。巨人には針をさした程度の痛みだったが、巨人の片足が反応してぴくんと飛びあがった。悪いことが重なった。海の中の足がつるっと滑った。巨人は人々の村をつぶさないように、気をくばった。山のほうにからだをかしげ、膝が山脈の一つにぶつかった。体重はそこにかかった。岩は巨人が考えていたほど柔らかくなく、膝の半分ほどが切れてしまった。巨人はあわてて、滑ったほうの足を立て直し、傷口がぱっくりと口を開けてしまった足を海の中に戻した。血の吹き出した足を動かしたことで、村にはねばねばした赤い血液が降り注ぎ、屋根の上や道の血を洗い流すのに人々は二日もついやした。
 巨人は人々のあわてた様子をみて、村から離れようと、沖へ沖へと歩いていった。

 それから間もなく、膝から下は離れ落ち、海底深くに沈んでいくと、魚どもの餌となった。
 傷口はかなり塞がってきたにしても、血は流れ出ており、時折激しく噴出すことがある。
 今、こうして流れ出る血を見ていると、巨人は寂しさがこみ上げてきた。巨人の周りには、もったいないほどの愛情に満ちた村人たちの目があった。何百も何千も。だが、彼と同じ大きさの目が二つほしかった。昔から彼は寂しかった。彼は男であった。しかし、それがあったなら、村人たちの目は今のように彼に向けられていたかどうかはわからない。
 『これでいいのだ』
 巨人は小さく微笑んだ。
 血がかなりひどく流れている。巨人は力がだいぶ抜けてしまっていることに気がついていた。
 血が黒くこびりついた砂浜で、人々は夕日で赤く染まった水平線に、黒いシルエットで浮かび上がる巨人をいつまでも静かに見つめていた。日が沈もうとしているのに、人々は動こうともしない。とうとう、空にはいくつもの星が輝き、少し涼しい風が村人たちの隙間を通り過ぎたとき、やっと誰からとも無く自分の家に戻り始めた。
 誰もいなくなった浜辺には一人の老人がじっと立ち止まり、月明かりに浮かぶ黒いシルエットをみつめている。その目には自分の息子を見るような優しさがあった。
 「明日までもつかのお」
 老人は目を伏せた。老人は巨人の唯一の話し相手であった。巨人はどのようなことでもこの老人に相談をした。老人は巨人が陸の上で眠りたいことを知っていた。だが、それは出来ないことを彼に諭した。彼が寝ることが出来るような大きな平野はこのあたりにはなかった。あっても、人々の家があった。巨人は仕方なく、海の中に住むようになったのである。老人は人間と同じからだをもつ巨人が、海の中に住むことのつらさは十分に承知をしていた。
 男でもある巨人にはもう一つ悩みがあった。それは、なんでも相談できた老人にもあからさまな言葉で伝えることは出来なかった。老人は巨人の顔に時折現れるうつろな、夢を見るような表情に気がついていた。遠い星を見ている。自分の生まれた星にいる女性を見ている目であった。
 巨人は純真な子どもの心を持つ異星人であった。老人は月のない夜に自分で処理をするように諭した。闇の晩は心に染み入るような唸り声が聞こえるようになった。人々はそのような夜は気味悪がって外に出ることをしなかった。それは巨人にとって幸いなことであった。いくら暗闇であれ、見るものがいたら、海の中にいるとはいえ、巨人の行いは知られてしまっていただろう。
 そのような夜の次の朝には、沖のほうから浜辺に向かって、異様な匂いと、白い帯が海面を流れてくることがあった。その帯には魚たちが群がり、海面に沢山の魚が飛び跳ねた。村の若者たちはすぐに網を用意し、舟をしたて手漁にでた。白い帯に群がる魚たちは手づかみでも獲れた。舟が沈みそうになるほど魚を積んで若い猟師たちは意気揚々と浜に引揚げてきた。うなり声の聞こえる夜は大漁の吉兆とされるようになった。
 巨人は遥かかなたの沖から、白い帯を食べようと集まる魚を、そして、それを捕まえようと集まる人間を悲しそうにみているのだった。そんなところまで、巨人は人のために役に立っていたのである。
 そのような歴史を老人が考えていると、巨人がかすかなうめき声をあげた。月明かりの中で、巨人が海の中に横たわるところであった。
 巨人の足から出る血は止まることはなかった。血液は海水に溶け込み、海草に絡みつき海の生き物の栄養となるのであろう。
 巨人は目を閉じ意識が薄れていくのを感じていた。海水のチャプチャプという音も、風の音も遠くに聞こえるようになってきた。
 と、どこからか巨人の耳に、いや、心に、美しい女性の声がささやきかけた。巨人が求めていた女性の声だった。ムーの星にいる女性の声であった。
 「ムー、ムー、ムー、元気になって、ムー」
 巨人はもうからだの中の血が残り少ないことを知った。
 その女性の声に答えようと懸命に声を絞り出そうとした。だが、喉がヒューと鳴っただけであった。
 「ムー、ムー、おやすみ、ムー」
 その女性の声は浜辺に集まった何百という村の女たちが巨人に向かって呼びかける声だった。夜明けの薄明かりの中で、女たちを指揮しているのはあの老人であった。
 老人にはそれが巨人にしてやれる唯一のことだと思っていた。
 巨人は静かに眼を閉じた。
 やがて、息を引き取り、大きなからだの回りを小さな白い波がちゃぷちゃぷと遊んだ。
 老人は祈った、男も女も祈った。天国に召される巨人のために祈った。
 「大きな、大きな、大陸のように静かにムーは横たわり、天国に行った、そして、深い深い海の底に沈んでいった、海の水はムーの血で塩辛くなった、大陸のようにムーは死んだ・・・・」             
                J G バラードに

巨人ムー

巨人ムー

巨人ムーは異星の海の中で、孤独な生涯を終えようとしている。

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-01-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted