『坂本龍馬の生地を訪ねて』

『坂本龍馬の生地を訪ねて』

★今から22年前に初めて車椅子で単独旅行した時の話しです。★
       『車椅子独り旅・坂本龍馬の生地を訪ねて』

平成元年5月8日から13日まで四国に独りで旅して来ました。 何故、そんなバカな事を………と皆が言います。 おふくろも「この園でおとなしくしていれば、何不自由なしに生活できるのに、なぜそんな事するのか」と反対しました。

★今から22年前に初めて車椅子で単独旅行した時の話しです。★

       『車椅子独り旅』

“坂本龍馬の生地を訪ねて” 作; 森下 善和
      ≪プロローグ≫
  平成元年5月8日から13日まで四国に独りで旅をして来ました。 何故、そんなバカな事を。と皆が言います。 おふくろも「この園でおとなしくしていれば、何不自由なしに生活できるのに、なぜそんな事するのか」と反対しました。
でも、俺は生きてる【証】に何かをやって見たかった。その「何か」と言うのが俺の場合は旅だったのです。 ここに居るからこそ、自分に出来ない事はやってもらえるし、困った事があっても頼めば助けてくれる。事実、この園に来て、自分が障害者だと思ったことなんかそれ程なかった。 しかし、今のままで一生を終わりたくない、生きている以上。俺にも何かやる事がある筈だ。その為にこの世に生まれたのと違うのだろうか……、
ある障害者の人が言っていた言葉が俺の頭に今も残っています。『施設をゴールにしたくない。施設は自分のスタートにしたい。』 俺に今足りない物は、自身とやる気です。 でも人間とは不思議な物です。★自分の事も満足に出来ないのに、“愛する人が出来る・自分を見てくれる人がいる。”と言うだけで、なんでも出来る。怖い物などない、と言う気持ちになるんです。〈男は単純ですから。特に私は、、、〉自身はありませんが、昨年の暮れあたりから急にやる気が出てきました。〈片思いの自己満足ですが、〉こうなると後先を考えないのが俺の主義、『金沢・長崎・高知』と選び。その中から四国の高知県を選びました。昔からあこがれ尊敬している。幕末の雄【坂本龍馬】の生まれた地だって事と、もう一つ 「海外旅行」がしたかったのです。〈四国は海外でしょ???〉

≪ 実  行 ≫

  旅行を決めたその日から、目標が出来て毎日体を鍛えました。 一日400メートルの歩行訓練、腹筋100回、屈伸200回、お陰で2月初め頃から何とか歩けるようになりました。  まず旅館を探し、高知で行きたい場所、見たい所を選んで計画を練りました。しかし、親が許してくれません。園も許してくれません。〈最大の壁です。〉
  そこで、自分から新聞社に売り込んで新聞に載せてもらう事に成功しました。
施設に入所している障害者が車椅子で旅行する。 それも単独で記事になりますよ。
  その後いろいろありましたが、親を説得出来ました。それから園に保護者の印と俺の誓約書を提出して何とか許可してもらえました。〈当時の副園長が力添えしたと後で聞かされました。〉    ご主人がJRに務めている寮母さんに頼み切符を取ってもらいました。又、道中の各駅には、「何日の何時何分に車椅子で行くと連絡を入れてもらい、」準備完了です。
行く日になりました。時間が来て、ここの園から竹田の駅まで車椅子で長い坂道を下りて行くのすが、 玄関で職員・利用者の大勢に見送られて、みんなが手を振るのですが、俺は不安と心配で顔を上げる事が出来ませんでした。〈本当は泣いていたのです。もう帰ることが出来ないのではと不安で、〉JRの各駅の車掌さん職員さんに親切にして頂き感謝しています。  (^_^)/~この紙面を借りてありがとうごさいました。_(_^_)_<(_ _)>

≪ 乗 車 拒 否 ≫

JRの方はうまく行ったのですが、大阪に着いてタクシーに乗ろうとすると、どの車も止まってくれません。〈俺が初めて知った。〉“乗車拒否”です。 大阪南港の高知行きのフュリーに乗り遅れたら次の日まで船は無く、予定が総てダメになる。 
  手を上げても・叫んでもタクシーは止まってくれません。〈16台の乗車拒否。〉今、車に乗らないと総てがダメになる。 そう思ったら、車椅子ごと道路に飛び出して体で車を止めていました。 「危ないナー、なにヤッテンダーバカヤロー、死ぬ気か、」17台目。「すんません南港までお願いします。」その早い事。ドアーを開き車に飛び乗ると車椅子はトランクに積んでもらい出発です。 「お客さん危ないよ。死ぬ気ですか、」船の時間に遅れたら大変だと思い、無我夢中で道路に飛びだしたのですが、危ない事も。どうして車を止めたのかも憶えていません。 今、思い出して怖くてふるえています。 夕方前で車も多くて凄いラッシュ時でした。みんな忙しそうでした。 無事南港に着いて手続きに行くと、「1人ですか、」と不思議そうに聞かれました。「ハイ、1人です。」そこで、いろいろと聞かれまして事件がありましたが、、、。  そこで夕食です。店の人にお手伝いしてもらいカレーを食べる。みんなが不思議そうな顔をしてこっちを見ています。中の1人の人が「なにかお手伝いしましょうか、」と聞いてきたので、待ってましたとばかりに「すみませんお茶を汲んで頂けませんか、」とお茶を汲んでもらいました。 人を頼むなら。自分の方からアピールをしなければ人は何もしてくれません。  俺が健常者ならそう思いますから。  親切な人でお手伝いしたくても、何をどうお手伝いすれば良いのか分かりません。 助けてほしければ助けてほしい人が態度で示さなければ、第3者には分かりませんから。 でも幾ら態度で示しても10人が全員良い人ばかりではないですよ。3割か2割5分なら最高です。 そんなでタバコ吸うのも、電話をかけるのも、人に頼みました。名前も顔も知らない、会ったこともない人達に頼むのですから、今までの俺だったら多分出来ないと思います。でも、お手伝いしてもらないと、人に頼まないと自分で出来ないのですから仕方ありません  しかし、自分で出来ないからお手伝いしてもらうにしても自分で出来ることも頼むのではなく、出来ることは自分でやり、出来ない事や出来ても時間のかかる事をお手伝いしてもらい、何かをお願いした後は必ず。「ありがとう。」と感謝を忘れない、

≪ 渡る世間に鬼はない、≫

  事実、こんな事がありました。会ったこともない、おじさんに、「今日は、元気ですか、」と声をかけました。すると、その時はキョトンとしていましたが、後で又出会うと「君、僕と何処かであったかな、さっきから思い出そうとしているんだが思い出せないんだよ。」「おじさんと会うのは、今日が初めてですが、人と会ったら挨拶するのは当たり前と違うんですか、」と言うと、「みんなが人情など忘れている時代なのに君は、知らない私にも挨拶してくれるのか、」と言って喜び。暫く一緒にすごしましたが、その後も親切にしてくれてその後もお世話になりました。 だから、自分から声かける事を心がけています。1回や2回声かけてダメでも諦めない事、10人に声かけると3人は立ち止まってくれる。怖そうな人、年配の人、アベック〈男の方は女の子にいい所を見せたいから。少しの無理なら聞いてくれます。〉中年のおばちゃんは百人力です。、、、自分の気持ちを素直に出してあつかましいぐらいにする事、  そこから何かが始まるんだと思いました。  そして時間が来ました。船のタラップの下でキップを渡して乗ろうとすると、船長が、「君、付き添いは居ないのか?」「いません一人です。」「なに一人、親はいないのか、」「います。」「君、歩けないんだろう、」「乗せてもらえば何とかします。」「乗せる事は乗せても、普通の乗り物とは船は違うんだ。 海の上だから何があるか分からん。普通の人でも船酔いで大変なんだぞ、「大丈夫です。保険かけました。体は丈夫ですから。」「無茶な!だいたいだなー障害者は家とか施設にいればいい、その為に年金もらっているのだから。」いつもの俺だったらカーッと頭に来ているところですが、ここで怒ってはダメとグーッと我慢しました。すると、横で聞いていた人達が、「そんな事言わずに、車椅子でせっかくここまで来たのだから。私達で面倒を見てあげるから、早く乗った乗ったとみんなで車椅子ごと船に乗せてくれました。」

≪ 連れション ≫

  船長さんはまだ。ブツブツと言っていましたが、「私達が付いているから大丈夫でだ。」と、乗客の人達が言ってくれました。 船の中でも、大部屋の4等寝室で18人程の男女混合で一緒に乗せてくれた。お客さん達にお手伝いや親切にしてもらい楽しい旅となりました。 一番嬉しかったのは、おばあちゃんが高知に帰る所だと聞きましたが、 船に乗ってから降りるまでスゴク親切に仲良くしてくれて、寝る時には毛布を着せたり、ジュースを飲ませてくれたりで、高知で宿泊する場所を決まっていないなら。「私の家に来いや。泊めてあげるから。」と言ってくれました。そして夜中の2時頃、トイレに行こうと声をかけると、横で寝ていた。男の人達が起きてきて連れて行ってくれました。でも、船のトイレは敷居が30センチもあり、車椅子では跨げません。 2人で持ち上げて「私達も付き合う、」と連れションです。〈気持ち良いこと女の人には分からないでしょうね。男で良かった!!!〉
朝の5時に眼が覚めて、フェリーのデッキに出て汐の香りを腹一杯に吸い込みました。さあ、高知港です。 船長さんがやって来て、又何か言われるのかと思ったら、「お客さんがみんな降りてから、私が降ろしてあげるから持っていなさい、」と言われました。〈夕べあんな事を言ってたのにドゥナッテンダー???!。〉タクシー会社まで送ってくれて、「こいつ俺の知り合いだから頼むよ。」と言ってくれました。するとドラがなります。「船が出るんと違うのですか、」と言うと、「大丈夫だ。俺が居ないと船は出ない、」
と笑っていました。「しかし、お前よくやるよ。感心するよマッタク。まあ頑張って行けよ。」「ありがとうございました。」〈昨日とは全然違う。あんなに変われるのかナー、〉

≪ 土佐で……… ≫

5月9日。朝7時30分です。タクシーに乗り桂浜へ。 そこで朝ごはんを食べる。9時30分から見学に出発、タクシーの運転手さんに車椅子を押してもらい砂浜を散歩。掃除のおじさん、おばさんに声をかけるて進むのお手伝いしてもらう。 砂浜で綺麗な石を見つけて拾っていると、数人の人達も拾ってくれました。 〈桂浜で五色の石を拾う。〉「五色の石を身につけているとお守りになり、願い事が叶う、」そうです。 お昼ご飯を食べて、午後からタクシーで高知県の各名所巡りをしました。まっ坂本龍馬の誕生地。はりやま橋。浦戸大橋。武知半平太の家。吉田茂・岩崎弥太郎・板垣退助の像。漫画家 はらたいらの家など、 ★坂本龍馬を初め中岡慎太郎・武知半平太・板垣退助・弘法大師など、高知は偉い人が沢山生まれたんだナーと独り言、 初めの予定ではJRで訪ねる予定でしたが、雨がスゴイので、タクシー券に16,000円を上乗せして、貸し切りで県内の名所巡りをしました。4時30分までタクシーで走り回り、何処に行っても土地の人に親切にしてもらいました。こうして外に出たら、障害者も健常者もかんけいない。みんなが力一杯生き生きと生活していました。

≪呼んでくれっチーなんでもするぜよ≫

4時45分宿泊先の、吾川郡伊野町のかんぽ保養センターに到着。支配人さん以下大勢の出迎えを受け、なにか急に偉くなったよう。「余は満足じゃ。」車椅子で一人旅します。と前以て連絡していたので、「ほうー、独りで旅をしとるのか、がんばるっチのー!なにか用事があったら来るヶ―呼んでくれっチなんでもするぜよ。」あの憧れの土佐弁です。「俺は高知に来たのだナー、それも独りで。」そう思うとスゴク嬉しい気持ちになりました。5時30分頃外に出て、俺の夢だった屋台のラーメンを食べに出かけました。
 狭い路地を15分ほど行くと☆【赤い提灯のラーメン】の屋台が見えました。車椅子で近づくと、不思議そうな顔して、私を見ています。お構いなしに、「すいませんラーメン大盛りお願いします。」「あいよ。お客さん1人。」「ハイ。」「何処から来たの、」「兵庫県です。」「えっ。独りで、なんちゅー、車椅子で独りほんとに、、、。」「誰も、着いて来てくれませんから。」ハイお待ちッ!出来上がりましたが、屋台のテーブルが高くて、かぶりつこうとするのですが、口が届きません。「兄ちゃん手も仕えんのか、なのにここまで、、、。」と言って、自分が座っていた。ビールのケースを2っつ積み上げて。その上に板を乗せて即席のテーブルを拵えてくれました。「少し食べづらいけど、ここまで来て儂のラーメンを食べに来てくれた。お礼だ。」と言って親切にしてくれ食べる事が出来ました。「ありがとう美味しかった。」 少しの間でしたがいろ・いろ話しをして9時過ぎまでいました。
  旅館に帰ると、「さっき園長さんから電話があり、【元気にしていますか?】と言う連絡がありました。」 「俺みたいな者でも心配してくれるんだ。」と思うと嬉しくなりました。 10日。今日は朝から雨です。 10時30分朝風呂に入りました。夜はお客さんが一杯で、ゆっくり出来ないから。午前中にお入り下さい、と言う支配人さんのご配慮に感謝です。 風呂は地下にあり、階段を降ろして風呂場まで連れて行ってくれました。服を脱いで中に入ると、地元のお爺さん達が3人いて、私が不自由なのを見ると、背中を流してくれたり、何処から来たのかと聞かれ、「兵庫県から1人で旅をしている。」と言うと世間話に花が咲きました。
  そして、シャワーを浴びていると「1人のお爺さんが体を抱いてお風呂に入れてくれました。」「兄ちゃんは立派な体をしてるのに不自由だし、儂らは元気でもう老いぼれだ。代われる物なら代わってあげたいチャー、」と言いながら湯船に入れてくれました。
気持ち良くなり、部屋で寝ていると「兄ちゃん一杯やらないか、」とお爺さんが訪ねてくれました。「今は1人で旅行しているので、酔っぱらい事故でもあったら。これから園のみんなが外に出られなくなりますので酒は飲めません。」と言うと「そうか、そこまで考えていたのか、儂が悪かったと手をついて涙を流しながら謝るので、」「なんとオーバーな爺さんだなー、」と思いましたが、とても嬉しかったです。

≪ 共に住むマンションを ≫

一休みした後に、今日は身体障害者通所授産施設「すずめ共同作業所」を訪ねて見ました。  所長の佐藤さんに会い、いろんな説明や話を聞いて、利用者が働いている場所へ案内されました。 足の不自由な人が過半数でしたが、〈俺見たいに重度な人はいませんでした。〉私の園と同じく、西洋陶器のダンカンを作っていました。 カゴ編みをしている人、マジックテープ付きのナイロン袋の整理をしている人、アルミ缶を利用して美装品をこしらえている人、ドライフラワー、植木、盆栽、花の苗、「わたぼうしコンサートの開催やチケットの販売等、」いろんな仕事をやられていました。 所長さんは、障害のある人と無い人が共に暮らすマンションを、桂浜が見える場所に造るんだ。と熱く語ってくれました。「1人。1人。障害が違うように、その人、その人の障害に合わせた場所、家を造るんだ。」とそこには先に書きました通り、 障害者も健常者も無い、仲間なんだと言うハッキリとした主張が一本通っている。
  「障害があっても全てを健康な人に頼む訳ではない、 健康な私達も全て自分が出来る訳でもありませんから。みんなで協力しながら。同じ場所で生活が出来たら、」と思います。 話を聞いて勉強になりました。 利用者を紹介されました。 俺の会った人は2人で、   1人は、電動車椅子乗り、下半身に障害がありますが腕は元気でワープロを使いこなしていました。 文字を書く事から。印刷するもコピーもその早い事。
  隣の部屋の人は片足が不自由で(俺と同じく言語障害がありますが、)原稿を書き。作業所で行うイベント総てのコーデネィーターをしているそうです。」他に4人程の人がそこで仕事をしておられました。(みんな凄く明るく本当に良い雰囲気に羨ましく思いました。)後援会だより、会報、チラシ、パンフレット、プログラム、報告書など・・・・  いつの間にか時間が過ぎて、又いつの日にかの再会を約束して「すずめ作業所」を後にして、タクシーで近くの映画館に行きました。 ★三田佳子主演の【極道の妻たちPART2と長渕剛のオルゴール】を観ました。(水野晴夫ではないけど、映画って?とっても素晴らしいですね。)俺が映画を観るのは5年ぶりです。テレビとは迫力が違います。
  6時前に宿に帰り、夕食です。あっ、鰹のタタキだ。さすが本場とろけるように円やかで、苦味もなく、ニンニクをスライスして付けてある。アワビのお汁、昆布の味噌和え、天ぷら……。今、思い出しても生ツバが出て来そうな献立でした。「園のみなさんゴメンね。」

≪ 鼻でプッシュホン ≫

園に電話して見ようか、と電話機の前に行くと、ダイヤル式です。〈こまったナー。プッシュホンなら鼻で押せるんだけど、ダイヤル式は暫く使ってないから。電話が仕えるかどうか、「すいません、鉛筆か割り箸かありませんか、」「今、持ってくるケーェ。ちょっとまちーや、」鉛筆でダイヤルを回していると、「あれー。タマゲタ!おっし、そんな鉛筆で電話をかけられるとね。」そう言って女中さんは不思議そうな顔をして見ていましたが、お構いなしにダイヤルを回し、「元気でやってます。」と園に報告して、電話代もバカにならないので、即。切りました。そして、部屋にトイレがないので、ローカのトイレに入ります。障害者用のトイレに案内されたのですが、俺は障害者用のトイレはうまく出来ません。〈男なら分かると思いますが、座ったら男の場合は上に飛ぶのです。〉ズボンまでビチャビチャに濡れてしまい、半べそをかいていると、さっきの女中さんが見に来てくれて全部換えてくれました。お礼を言い話しをしてみると、お互いアマチュア無線で交信している事が分かり、俺の部屋の係りだと言ってお世話になり洗濯までしてもらいました。〈無線をやっていて本当に良かった。〉    5月11日。今日は朝から雨なので、何処へも行けません。旅館の中を車椅子でウロウロして暇つぶしです。 宿の人達みんなと顔見知りにました。〈車椅子がウロウロしてたら。不思議なのか、〉みんなの親切、優しさが、本当に心に染みました。 旅館の人やこの宿に宿泊しているお客さんと、顔見知りになり本当に楽しい旅となりました。 大袈裟だけど共に生きると言うのは、障害を持った自分から外に出て自分の生きてる姿を見せる事だと実感しました。 (これが共に生きるって言う事なんだ。)と自分に納得。誰かの歌じゃないけど、♪人は皆ー、1人ではー。生きて行けないものだから、♪と思わず鼻歌が出ました。

≪ 伊野駅の駅長さんと ≫

午後になって雨が上がったので、ブラブラと波川駅まで散歩に出かけてみました。波川駅は、ここ竹田駅と同じく無人駅ですから、通行している人を頼み。伊野駅まで行こうと、人を探すのですが、若い人はいません・見かけません。 そこへ。あじいちゃんとおばあちゃんが通りかかったので声かけて列車に乗せてもらい、伊野駅まで行きました。  駅に着くと凄い人で散歩をする状態ではありません、駅員さんが「この時間を過ぎると人混みも少なくなりますから。」と駅長室で暫く休憩です。 駅長さんが来て、世間話をしました。 ▼車椅子で独り旅をしているのか、「障害者の人も君のようにもっともっと外に出てJRを利用してくれたら。職員も利用している人達も、 障害がある人の事が少しは分かる。▼どうしてお手伝いして上げたら良いのか、◆それに駅の不便な所。もダメな所、危険な場所も気が付く、」▲私達駅員には何も言わず、後で新聞や雑誌に苦情を投稿して、▼駅が不便だから、ああしろ、こうしろ、と言われても困るんです。どうする事も出来ないのです。 私達だってお助けしたいし、手伝って上げたいですけど、なにをどうすれば良いのか分かりません。▲手出しをしない方が良いのか、余計なお世話をしているのかも知れない………。▼頼まれてお手伝い、介助してみて、車椅子使用のお客さんはここの通路はきつい、この段差は車椅子ではダメなんだナーと分かるんですよ。◆  と言われました。
  「俺が感じたのは改札口が狭い、俺の車椅子は標準より少し小型ですがブレーキが仕えて通りづらいです。それに改札口に段差があり、エレベーターが無い。」スロープやエレベーターが整備されている駅もありますが、 ◆不自由な人や不便な人が利用される数が多いと言う事ですよね。  ☆「車椅子の方や☆エレベーター☆スロープが必要な方が利用して  ★JRの私達もお手伝いをして見て、ここは不便だから利用しにくいから。治さないと、」と言う意見が出てくるのです。◆駅を利用する人がお手伝いして感じた職員が、その他の意見・大勢の人からの陳情や要望が出て拵える事が出来るのです。 たまたま来られて利用されて、スロープ・エレベーター・障害者トイレが無いから。段差があるから。改札口が狭くて車椅子が通行できないからと、 苦情や投書するんじゃー無く、私達職員に直接言って下さい、お手伝いしますので、  ◇お手伝いして無理だと判断したら。スロープも障害者トイレも設置します。  多くの駅で、スロープ・障害者トイレを設置したのですが、ご不自由な方やご高齢の方は利用されず。スロープは自転車置き場に障害者トイレは物置になっています。〈これが現実なのです。〉 と教えられました。話しを聞いて、俺もなるほどと感じました。 〈私の住む和田山駅でも障害者トイレは物置になっています。〉ジャー明日ここで乗車しますので、よろしく、 

≪ 子牛のソティー ≫

翌日、昼前に高知駅に着き、食事、買い物、喫茶店、本屋さんなどをブラブラして時間をつぶして、夕方の5時30分の列車で伊野「かんぽ保養センター」に帰ります。
女中さんにお手伝いしてもらい、夕食を頂き。「明日、帰ります。お世話になりました。と支配人さん初めみなさんに挨拶して今日はもう寝ます。」 5月12日、10時30分宿の人達に別れを告げて返ります。★瀬戸内経由“南風14号”で岡山へ、生憎の雨で瀬戸大橋は見えなかったのが残念。 岡山の駅前で方向音痴の俺はウロウロしてから、タクシーで岡山郵便貯金会館へ到着。フロントへ行き、「今日と明日の2泊でお世話になります。兵庫県から来ました。森下と申します。」と言ってチェックイン。
部屋の中は、バス・トイレ付きで、シングルベッドに応接セット、冷蔵庫・テレビ・机と椅子があり、タタミ2畳ぐらいのスペースがありました。  夕ご飯を楽しみに食堂に行き、夕食のメニューに、(四国の旅を祝う意味で張り込んで、子牛のソティーを注文しました。)その他。アワビのムニエル野菜サラダにオレンジジュース。  合計9,760円也。1食でこんなに贅沢したのは初めてです。(まァ良いか、最初で最後の1度きりの贅沢だから。)ボーイさんが「果実酒の美味しいのがありますからお持ちしましょうか、」と言われましたが、今回は初めての旅。独り旅ですのでと断りました。 (酔っぱらってなにか事故でもあったら、せっかく単独外出を許されたのに、俺の失敗で外出の門が閉ざされてはとグッと我慢しました。)そして、ご飯では無く、パンなので食べやすいように、ちぎり、バターを塗ったりして、お手伝いしてもらい食べる事が出来ました。

  ≪ 俺の夢 ≫

式場・披露宴会場を兼ねた旅館なので、この日だけで、結婚式が朝から7組。お客さんは皆モーニングにネクタイで、女の人は振り袖姿の着物や留め袖・眩しいようなドレス姿。俺は、薄汚れたトレナーにGパン、汚いズック靴。どこのルンペンが来たのだろうと思った事でしょう。だけど、予約していました。車椅子の背中に「旅行中」とワッペンを付けていたので、何とか利用出来たようです。  周りは皆、新婚さんばかりで、目のやり場に困る程でした。〈いいんだ。どうせ俺は独りぼっち。でも今に見てろ俺にも夢がある。〉そう、思ってこみ上げる怒りをグッーと堪えました。  部屋に戻り、実家に電話をかけましたが、両親は留守でした。カラオケに出かけているとか、(のんきな人達!)  電話にでた。弟の子供に土産を頼まれました。  翌朝6時に眼が覚めたので、郵便貯金会館の周りをブラブラと散歩です。空気が美味いしくて静かです。園では味わえない気分だと思うと、(幸せだナーァ、自由って。これが自由かァ!)  7時30分朝の食事は立食でバイキング方式。「私取れませんのでお願いします。」とボーイさんに適当によそって来てもらいました。冷たいマンゴウージュースにフランスパン生ハムと半熟卵もう最高です。(これで好きな人がそばにいたらなー、)とブツブツ言ってたら。 横で「ボーイさんが今度お越しの節には、是非ともペアーでおいで下さいませ。」と言われ。「ようし、今に見てろ俺だって、」と胸に誓ったのですが、、、。(からいばりでも良い目標は、大きく。)

  ≪そして13日ゴールのテープ≫

そして13日、散歩しながら2時間ぐらいかけて岡山駅まで行き、早めに昼食を済ませて姫路まで新幹線に乗りましたが、早いだけで期待していたよりオモツロクナイ。早すぎて何も見えない、(シルバー席に乗せられていた俺はドアーを閉められて独りぼっちです。) あーっと言う間に姫路駅に着。貨物専用のエレベーターで播但線乗り場へホームからホームへ移動して。その間JRの職員さんに車椅子を押して誘導して頂きました。(^O^)ありがとうございました。<(_ _)>30分ほど待っと列車が来て播但線に乗り和田山駅へそこで乗り換えて4時12分の列車で竹田駅へ竹田駅にはJRの職員さんを初め、畑山さんご夫妻。園の休みの職員さん。利用者の山口・千葉・柏木君の3人が出迎えてくれ、園ではみんなが拍手して出迎えてくれる中をゴールのテープを玄関で切ると、安心したのと満足感と嬉しさに胸がジーンと来て嬉し涙で、 前が、、 みんなの顔が見えませんでした。   これでまだ。はっきりとは言えませんが自信めいた物が出来た気がします。 本当にみんなありがとう。 現在、俺は思っています。旅をして良かったと単独でも許可してくれた園にありがとう。  俺を信じてくれた両親に有り難う。旅で俺に関わりを持ってくれた統べての人に、
   お礼を言わせて有り難う。 恩返しは出来ないけど、一生懸命生きる事が
    私の恩返しだと思います。 本当にありがとう。 最後に言わせて、、、
      生まれて来て、、、 生きてて良かった。。。

『坂本龍馬の生地を訪ねて』

    本当にみんなありがとう。 現在、俺は思っています。旅をして良かったと単独でも許可してくれた園にありがとう。    俺を信じてくれた両親に有り難う。旅で俺に関わりを持ってくれた統べての人に、

 お礼を言わせて有り難う。 恩返しは出来ないけど、一生懸命生きる事が
    私の恩返しだと思います。 本当にありがとう。 最後に言わせて、、、
      生まれて来て、、、 生きてて良かった。。。

『坂本龍馬の生地を訪ねて』

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 青春
  • 冒険
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-03-14

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