それは乾かぬ映日果のように

 映日果を開くのと変わりなかったんだ。

 映日果を開くのと変わりなかったんだ。
 北の生まれのせいか、映日果という果物に出会ったのはつい最近だった。あちらではさくらんぼやらぶどうが多く目立った。たまに林檎を貰うこともあった。映日果というものは干したものが主流だと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。
 存外に柔らかい外皮に爪を立てると、ぱっくりと割れる果実。そこから覗く鮮やかな薄紅色。他の果実の比ではないが、鼻腔をまさぐる芳香だった。齧り付いた瞬間に広がるねっとりとした甘やかさ、花を食らう優雅さ。しかしそこらで入手できる果実で用が足りるものだから、食べてそれきり。それから特に思い入れはない。
 ……だが、淡い赤は柘榴よりも一層生々しさを伝えた。スーパーで並べられた豚肉や鶏肉もあのような優しい色を湛えている。夢なんて要らないから、現実がほしい、死に将来性が見い出せない。多分誰よりも生に固執していた。愛していた、だからこそ食べる行為は切り離せない。
(映日果みたいに開けばいい。親指で押し上げて、亀裂をこじ開けるように更に力を加えたら、果実は簡単に身をひけらかす。とても簡単で、単純で、愚鈍な仕組み)
 寡黙な肉は誰よりも優しい。口を忘れた肉はフックで吊るされ、命の水を赤く滴らせていた。殺菌した金ダライに溜まる血は空気中に触れることでゆっくりと凝固しており、切り口にもゼリー状の血液が形成されている。それでも頸動脈から流れる血は勢いを止めることなく、シャワーを浴びせに掛かる。
 隣にぶら下がった肉は瀉血を終えたらしい。皮は剥いでしまったが、足首に彫った番号だけは確認できるように残している。番号を改めて確認して、タライの後ろに控えている首を確認した。半年前に教団に入信した男だった。名はサイトウと言うらしいが、戸籍も家もないような、見るからに薄幸な男だ。入信した当時は顔色も肉付きも悪かったし、喰らえば不幸が感染しそうな、そんな情けのない目をしていた。
 思えば手の掛かる肉であった。だが信者としてはとても従順であった。人一倍死への憧憬を見せる男であったから、言われたことは疑いもせずに実行して、この結果だ。


・毎日ハーブティーを飲むこと。(肉の臭みを取るため。それから肉へのストレスを軽減させる目的で)
・菜食を心掛けること。但し痩せ型の信者に関しては食肉を認める。なるべく脂肪分の少ない、赤身の二区を食すこと。栄養は偏らないようにすること。(肉の獣臭さや飽和脂肪酸を限りなく落とす名目で)
・人に、自分に優しくすること(ストレスの溜まった肉はとても不味い)
・真世界を信じなさい(そうしないと僕が飢えてしまうから!)


 教団における取り決めは多々あるが、性欲以外の生理的欲求を満たせば問題はない。あとは自分への信仰心さえ薄れぬように育てればいいだけのこと。宗教なんて、信仰なんて建前だ。自分が安全に肉を食したいだけ。特別なことではない。皆こっそりやらかすようなこと。
 女性なら若い方がいい。脂身が甘くて肉質が柔らかい。男性はある程度鍛えられた方がいい。場合によっては筋が硬く食べづらいが、そういったものはミンチにするか煮込めばいい。筋肉質の肉は旨味が強くて食べごたえがある。これは自分が実際に肉を食し、教団の運営の傍らで畜肉を取り扱う副業をして学んだことにある。人と畜肉は置き換えられる。しかし不要なものを過食する傾向にある人肉はどうしても脂身が多くて、自分の好みに育てるには時間も費用も労力が掛かるが、それを補うのが自らが教祖となる教団であった。まやかしの世界、嘘だらけの言葉。それでも彼らの味が優しいのは、自分を心から信じ、一切を投げ打った証である。
 故に彼らは簡単に命を投げ捨てる。いや、自分の肉が喰われるとも知らずに真世界を求めて旅立ったのだ。現に見よ、並べられた生首たちの安らかな顔を。安寧を得て現世を蹴った彼らの行く末を。
 だから自分の成すことは全て理に叶っている、ということだ。
「えっと……サイトウさん。今日はあなたをご馳走になるよ」
 壁に嵌め込まれたパネルを操作し、レバーを横へとずらすとフックは軋み、がくんと揺れたかと思うと首無しの遺体は小刻みに揺れながら水平に移動する。そして解体台の上まで移動するとレバーを下げ、台へと寝かせるように遺体を降ろす。
 月光が染み込んだように真っ青な体だ。ステンレス製の台の上には巨大なまな板を設置している。そこに横たわる彼には生きたぬくもりなどもう、ない。代わりに肉付きが良くなった体が転がっているばかりだ。
 人肉は簡単に手に入るものではない。頻繁に屠殺しようものなら警察が嗅ぎ付けて来るだろう。それに出来ることなら身寄りのないもの、特に戸籍も存在しないような人間を手に入れることで、継続的に食欲を満たしたいところだ。だから血も骨も、筋ですら無駄にはできない。
「僕は食料になる信者の皆さんにこうお伝えしているんです。教祖である僕の身でもって生の穢れを浄化する。そうして真世界へ向かうべく、魂を強きものにすると。そして肉体に囚われることなく新たな価値を得ると」
 本来なら宙吊りのまま臓物を掻き出すのが良いだろう。しかし面倒な方法を選ぶのは、あくまで人間は人間であり、家畜とは一線を画しているものだと信じているからだ。
 人間は醜い、人間は綺麗。死を迎えた人間は等しく鼓動を止める。よほど不運に見舞われない限りは等しき臓器を保有している。此処で初めて人類の平等を知る。自分にも同じように筋肉があり、膜があり、器官が肉体を生かしていく。皆同じ、人を殺す自分も、真世界を信じて死ぬ彼らも何ら変わりのない生き物。
(喰らうことが許されないのなら、なら皆死んでしまった方がいい。人間もそう、動物も、植物も。だけど生きている以上は、誰かが痛みを引き受けないといけない。きっと理不尽なこと。だから僕は理不尽さをせめて無痛にして手渡してやらないといけない)
 研いだ包丁は鏡のようにてかり、自分の顔を映す。笑いジワを刻んだ目尻まで鮮明に反射している。前腕ほどある刃渡りは人を切り開くにはもってこいの大きさだ。
「嘘はついていません。食事とはかけがえのないものですが、一方で業の深いものだ。謂わば命を犠牲に成り立つものだから、この世で一番業の深い僕が、あなた方の穢れを受け入れると言っても過言ではない。そこに矛盾はあってはいけない。僕はこれでも真面目で誠実ですから、教団をインチキ扱いされるわけにはいかないもので」
 手前に包丁を置き、台の端へと生首を乗せる。眉間に開いた一センチほどの穴からは鼓動も息吹も聞こえてきやしない。固く閉じられた目蓋が開くことだってない。冷たくなった頭部は生きたことも忘れ、深い深い深淵へと沈む。這い上がることはできない。できたところで帰る場所もないのなら。
 手向けは百合が刺繍されたシルクのハンカチーフ。それを頭部に覆い被せてやると、今度こそ包丁を手にし、切っ先が真っ平らな腹部へと添えられた。軽く触れただけでぷつんと切れる皮膚だったが、そこから赤い珠が現れることは無い。
「ですからサイトウさん。あなたのように名前や身を寄せる家がない人でも、安息の地へと迎えるように祈りながら、僕はあなたを食べるんです」
 ぐっと強く刃先を宛てがうと、縦に開かれた肉はぱっくりと開かれた。熟れた木通のように覗く肉。黄味がかった脂肪がうっすらと乗せられている。ぷつぷつと凹凸のある脂肪に更に包丁を入れていくと、筋を断ち切り、薄い膜に覆われた器官がお披露目される。
 人体を宝箱と例えることがある。柔らかな脂肪、硬い筋肉、薄い膜に肋骨に宝を守る肋骨。そこを開けば腹を満たすご馳走が自分のためだけに顕現した。もう脈動を伝えることはないが、まだほのかにあたたかい臓腑に頬を擦り付けると、ぬちゃりと水音が立ち、頬を柔らかく包み込んでくれる。『神棚』と称するこの部屋は常に室温が一桁を保っているため、尚更残熱が肌を擽る。吐く息が可視化されるたびに隙間へと指を埋めた。
 死人の慰撫ほど優しいものはない。人が主観を抱く限り、限りなく純度の高い愛情など得られはしない。母親という創造神ですら完璧な愛を与えられないのだから、生とはなんとも不器用な行程だ。だからこそ生を終えて次のライフステージへと登り詰めた肉は絶頂の具現化そのものであり、建前も偽りもなくなれば拒絶は閉ざされる。結果、母のような慈しみだけがべっとりと肌へと付着する。
「サイトウさん、あなたには届く由もないことですけど、僕はこの瞬間がとても好きなんです。あなた方信者が心より僕を受け入れてくれるんです、それって素晴らしいことじゃないですか。あたたかくて気持ち良くて。僕はこれを胎内回帰に通ずる行為だと思ってましてね」
 そこまで語り掛けると、物言わぬ死人であることを思い出してひとり苦笑いを零す。死んでいるのだし、ましてや首と胴体は分断されてしまったのだから、脳が活動しているとも思えない。しかも血抜きにはそれなりの時間も要する。それでも彼らは間違いなく人であるし、喰われて腹に収まり、残滓が排泄されるその瞬間も人であるのだ。だから語らずにはいられない。
 教祖は託宣を告げるが、『僕』の話は聞きたがらないだろう。寂寥を誤魔化すように言葉を零す。飴玉みたいにぽろぽろと落ちて転がっても、赤い飴玉を拾ってくれる人はいない。甘くなければ飴玉ではない。だが孤独を貫かねば肉にありつけない。そんな矛盾の狭間で生きている。
「僕は…………まあいいや。男のあなたに話しても仕方ないことだ」
 頭を起こすと肉の腥さが胃の腑をまさぐった。そろそろお腹が空いて苦しい、意識も朦朧とする。野菜でも畜肉でも魚でも満たされぬ体だ。つくづく憐れではあるが、満たす方法を得た今、恐ろしいことなど何一つありやしない。祈るように手を合わせ、祈るように包丁を掲げる。凍てつく光を湛えた刃物は事実だけを誠実に引き連れてくれる。
 美味しいと良いなぁ。そんな思いで膜へと引っ掛けると風船のようにぷつんと穴が開き、秘められた器官が空気へと触れた。
 内臓というものは思いの外重量があるもので、小腸をひと房握って引きずり出すと、上腕が軋むくらいだ。しかも内臓は形通り収まる傾向にあるものだから、手繰り寄せるとなると綱引きと変わらない。ぎっしりと詰まった肉の詰め合わせ。大事に扱わないと。
 黒い手袋がぬらりと光る。体液にまみれながらも腸は引きずり出され、下部に設置されたタライへと落ちていく。赤い肉汁がまな板の切れ目へと入り込んで、脂が辺り一面に擦り付けられていく。ぶつぶつと膜が剥がれる音を遠巻きに聞きながら、汚れるのも構わずに腕を動かす。
 今日は何にしよう、久し振りにシンプルな塩焼きにしたい。頬肉、腹肉、背も剥ぎ取ろう。腿も少し齧って、残りは脛と一緒に煮込んでしまおう。腸詰めも作りたい、ブルートヴルストも、パテ・ド・カンパーニュも。シチューとか、それから、色々。生で食べるには美味しくないことは知っているから、加熱調理せねばいけないのは面倒だけれど。
 食べなければ生きられない。殺さなければ生きられない。生きるとは業だ、海溝より深淵より深い業だ。でも生きたいから食べるのだ、殺すのだ。それを誰が咎められようか。『肉』を喰らう咎を誰が責められようか。
「教祖様、教祖様……」
 びちゃん、と回腸が落下する。突然の声に辺りを見回したが誰もいない。誰も立ち入ることのできない部屋には幹部すら侵入を許さない。怖気が液体化して体内を巡る。心臓を凍らせるために。手が徐々に強張り、指先から一気に体温が引いていく、だがやはり誰もいないのだ。此処には自分と、吊るされた信者と、腹を空っぽにしたサイトウ以外は。
(……あまりの空腹に気がふれてきたのか)
 死体が喋るわけでもないし。マスクの内側では湿気が篭もり、汗すら溜まる。塩辛い唇を舐めて作業を再開すると、引っ張っていた回腸がびくんと戦慄いた。
 気のせいだと信じたかった。しかし回腸の蠕動は一度きりではない。元の場所に帰ろうと内臓たちが騒ぎ始めている。鯉の滝登りのように、内臓がうねうねと蠢いて、蛇のようにタライを這いずり回っていた。
「…………なんだ、これは」
 歯がガチガチと小刻みに震えて滑稽な音を鳴らす。これではいけない、『殺さないと』いけない。死んでいる人間に対して殺意を抱くだなんておかしい話であったが、殺さないといけなかった。教団の秘密を知っていい者は自分しかいない。部外者に知られようものなら苦痛をもって償ってもらわねばならない。殺すしかない、殺さないと、殺さねば自分は飢え死にだ!
「っ、くそ、くそっ!!」
 肉に最低限の損傷しか与えぬように。そのモットーを今、崩すしかなかった。生き返ろうとする内臓目掛けて包丁を振り下ろすと、ゴムを切り裂くような弾力が手元で跳ね返る。分泌液が飛び散っては顔を汚したが、今はそんなことは気にしていられない。生命活動を止めることが一番だった。殺さないと、死なせないと。
 切れる息の合間に何度も内臓を破壊した。ズタズタに引き裂かれた肉たちは見るも無惨にちぎれており、胃袋が裂けた箇所からは胃酸が溢流して肉を溶かし始めている。この肉はもう食べられないかもしれない。絶望でもあったが、それよりもリスクを最低限に抑えるためには壊すしかなかった。
 金槌も使った。ノコギリも使った。肋骨を砕き、開き、肺も心臓も滅多刺しにした。ぶすぶすと抜ける空気や、心臓の内側に溜まったゼリー状の血液が零れて、ミンチになって、サイトウの体内はどんどん原型をなくしていく。ああ、勿体ない、口惜しい、どうして僕がこんなに取り乱さねばならない。無常感は更に肉を切り裂いた。
「……はぁっ……は、はぁ…………っ」
 およそ十分ほどだろうか。汗は全身から噴き出し、インナーもぐっしょりと濡れていた。肉の破片がこびり付いた包丁を置くと、多大な疲労と脱力感に苛まれて膝からゆっくりと崩れ落ちた。腕全体が強張って痙攣している。血の臭いやら消化液の饐えた臭いに包まれて、短い息をするたびに呼吸器が焼け爛れそうだった。
「……疲れて、るのかな…………」
 たかが幻影に惑わされるとは、己も随分と弱ったものだ。ナイロンのジャケットで汗を拭うとがさりと音が立ち、汗が申し訳程度に染み込んでいく。髪から汗が伝い、千切れた内臓の上へと降り注いでいくが、今更衛生面がどうだの言えた状況ではない。
 お腹が空いた、また畜肉を食べなければならない。嫌だ、人間の肉がいい。やっと血抜きを済ませたのに。折角良い肉に育ったのに、一切の苦痛もなく殺してやったのに、どうして、どうして教祖の僕を裏切る、唆す、追い詰める。
 重度の空腹に目が回った。今にも倒れそうなほどの強烈な眩暈に体を起こせそうにない。すぅ、と一際深い息を吸い込んだ途端、小さくはあるが、確かにあの声がした。教祖様、と呼ぶ控えな声で。蚊よりも聞き取りづらいような情けのない声で。
「きょうそさま」
「きょうそさま、わたしのからだがいたいんです」
「どうされたんですか、きょうそさま」
「どこかいたいんですか、きょうそさま」
「きょうそさま」
 誰だ僕を呼ぶのは。原罪を煽るようなうら悲しい声で呼ばないでほしかった。全神経を揺さぶる声はどんどんはっきりしていく。声の持ち主が誰かなんて愚問だった。それは数時間前にこの手で眠らせ、ノッキングして、意識がないことを確認して首を切り落とした人間でしかない。とても従順で敬虔な信者だった。
 ――私は真世界に行けなくとも構いません。ただ人並みに死んで終わりたいのです。最悪もがき苦しんでも致し方のないことですが、私に終わりが与えられるのなら、教祖様の教えを受けていきたいと思うのです。
「サイトウ、さん」
「教祖様、どうなされたんですか。体が痛いんです、なぜ私の体がこんなことに。あの、教祖様、どちらにいらっしゃいますか」
「やめてください」
「教祖様、何処へ」
「やめてくれ」
 ごとん、と鈍い落下音がした後にごろごろと部屋を徘徊する異音が辺りを這いずり回った。それから僅か数分後に出逢ったのがヴェールを纏ったマリア様だったら、どれだけの救いだろうと嘆いたものだ。そこには聖母もいなければ薄いヴェールもない。どす黒く汚れたハンカチーフで半分ほど覆われたサイトウの頭部が目の前に現れた時にはすっかり意識を失ってしまった。嘘ではない、確かに見たのだ。白濁していたはずのサイトウの瞳が真っ黒で、困惑した片目がこちらに縋っていたのを。そして教祖様と何度も連呼したことも。
 気付いた頃には説教部屋に寝そべっていた。マスクも手袋もナイロンの作業衣もそこにはなく、いつも身にする真っ白なスーツを身に纏う自分が説教台に伏せっている。
(……悪い夢でも見ていたのだろうか)
 頭が痛い。恐ろしい夢を見てしまった。あれから暗転するまでぶじゅぶじゅと粘着質のある異音が耳元を這いずる奇怪な夢に見舞われていた。最近信者も増えたせいで疲れているのだろう。時計を確認すると、説法の時間まであと三十分もある。体内の澱を全て排出するように溜め息をつくと、不意に扉がノックされる。
「どなたですか」
 水分不足の喉は上手く発声できず、みっともなく枯れていた。
「サイトウです。……少しの間よろしいですか」
 サイトウ。忌み名のように畏怖が浸透していく。しかしあれは悪い夢であり、事実彼との接点は希薄である。たまたま記憶の本棚が悪戯したに過ぎないだろう。それを証明するかのように扉から顔を出すサイトウは頭を垂れ、何度もお辞儀をしながら説教部屋へと入り込んだ。
 何もない、至って普通の肉体だ。首だってくっついているし、血の匂いもしない。夢と現実の区分に安堵して胸を撫で下ろすと、彼は恭しく手前の椅子に腰掛け、垂れ下がった眉を僅かに上げた。なるべく平常心を保つように、平坦に語り掛けてみることにした。
「どうなさいましたか。また眠れないのですか?」
「いえ、お陰様で眠れています。でもそれをお伝えしたいのではなく……ええと、教祖様に言いづらいことなのですが」
「あなたが悩むことはありませんよ。僕たちは家族以上の絆で結ばれています。どうか僕を引け目に感じないでください。僕はあなたの全てを受け入れましょう」
 そう告げると、彼の顔が一瞬にして晴れていく。とはいえ彼は一度も笑ったことがないので曇りが去ったと言った方が正しいのかもしれない。彼はおもむろに立ち上がるとジャケットを脱ぎ出し、毛玉だらけのタートルネックの表面を撫でた。貧血症状だろうか、今日は顔色が良くないように思う。それを象徴するように手の甲が一層白く際立っている。
「教祖様……あなたに相談して解決するのかどうか……あっいえ、教祖様は誰よりも信頼しています。ただ、ええと……」
「何でも構いませんよ、些細なことでも話してください。ストレスは器に良くないですよ」
「なるほど。……私、変な夢を見たんです。しかしどうも……おかしいんです。見ていただけますか」
「ええどうぞ」
「良かった……」
 この時安堵したのは彼だけだったのかもしれない。そもそもこの時点で彼の違和感に気付くべきだったのだ。体調・食事管理を徹底しているというのに貧血になるだなんて有り得ないことであったし、彼が好んで赤茶のタートルネックを着るということも、よくよく考えてみたらありはしないはずだった。
 おかしいと疑うべきだったのだ。これが夢ではなく現実であった場合に自分はどう耐えるべきか模索する必要があった。だから眼前に開かれた光景に血の気が引き、倒れるなんていう失態は犯さないで済んだはずだったのに。
 晒される腹部、切開されたままの肉体。肉の器の中では雛が孵ったかのように内臓たちが囀っている。ぐちゅぐちゅと混沌を生み出す薄紅は糸を引き、彼の体内で蜷局を巻いていた。蠕動する傷口を撫でながらサイトウは何かを伝えに掛かっていたが、倒れた自分には到底届きそうにない。そうか、あれも、夢ではない。そういうことか。
 映日果みたいだ。脆くて柔らかくて、薄紅がぷつぷつと弾けて甘く開かれる。僕が開いた、不老長寿の果実。
「教祖様、あれから首はくっついたのですが、血が半分も戻らなかったせいか上手く再生しないんです。せめてあのまま死ねたら良かったのですが。あの後教祖様が倒れてしまったので、私が勝手ながら着替えさせました。いてはいけない部屋に私がいるということは、多分誰にも知られてはいけないことなのですよね。私は教祖様を兎や角言うつもりはありませんし、あなた様が私のために尽くしてくださった結果だと重々受け止めております。だから教祖様をこちらで寝かせたのですが……ああ、勝手なことをして御免なさい。罰ならいくらでも受けますから。……しかし教祖様、これはどうしたら良いのでしょう。このままだとセーターが擦れて痛いんです。腥い臭いとかしませんか? 私はこれからどうしたらいいのでしょう。信仰心が足りない証でしょうか。私はこれからどうしたらいいのですか。どうかお導きを、教祖様、教祖様………………」

それは乾かぬ映日果のように

それは乾かぬ映日果のように

新興宗教と言う名を借りて食料集めをするセトウチは新興宗教の若き教祖であり、食人鬼であった。 一方、新興宗教に入信したサイトウは戸籍も家もなく、人のように死ねぬ肉体を抱いて五百年も生きてしまった。 そんなふたりの始まりはどうしてって血腥い。 ※解体描写などのグロテスク表現があります。

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日
2019-01-23

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