指差したらいけん

矢水びん 作

指差したらいけん

 どう言うてええか分からんのやけど、先生、こういった場合でも保険ってきくんかな? 五十年の人生で、病院の世話んなったんは四五回くらいしかなくてな。二十歳ん時の流感をキリに、病気にはいっぺんもなっとらんけん、忘れてしもうてなぁ。
 ――あぁそうかな。精神科でも保険降りるんかいな。ほっとしたわ。いやな、先生。今こそなんや、うつやらあすぺ……なんちゃらがと心の病気が世間に認められとるけどな、わしらん時はそりゃあ……な。送られる先は脳病院で、今みたいにインターネットもないけん、わしらなんも知らんかったらやな、怖かった怖かった。あの太宰さんの小説読んだことあったから尚のことな。
 ここの病院もな、今はこないにこじゃれた洋館みたいな造りになっとるけど、昔はレンガ造りやってな、そこにうじゃうじゃツタがからまって、えらい気色悪い見た目やったわ。子供の頃悪いことするとよう言われたわ。「そないなことばっかりするんやったらあの病院連れてくで!」って母ちゃんにな。
 ――あ、はいはい。えー名前は平井又造(ひらいまたぞう)です。生まれはここ。そう愛媛よ。正確には松山から南へずーっと下がったとこにある小さな町やけどな。××町って名前で……。
 ――おっとろっしゃ先生もそこかいな。……あれ? そいや、先生の歳はいくつよ。
 ――五十かいな。いやいやまさか同級生とはこりゃすごいな。あの町で小学校いうたら東小学校しかないからな。助かるわぁ同級生ってだけで、話すのが少し楽んなるけんね。
 ――この左手の包帯? あぁそうよ。この左手のせいで、わしはここに来る羽目になったんよ。この左手は、わしの人生を大きく変えてしもた。
 この左手の話の前に先生、ちぃと昔の話してもええやろかいね? この左手の話するには、どうしても昔からになるんよ。かんまんかいね?
 ――ありがと。じゃあ最初っから話すわ。先生も知っとると思うけど、六十年代っていうのは高度経済成長なんて今では言われとるけど、貧しいとこは貧しかった。特にあの町みたいな、田舎はな。わしの実家は代々農家をやっとったんやけど、戦争で畑が全滅してしもてやな。それでもおやじが懸命に働いて、ある程度までは農業できるとこまで元に戻したんよ。やけど、わしの家は兄妹が多くてな、六人よ六人。子が増えるにつれて生活は厳しくなって、とうとうその日暮らしにまでなってしもうた。
 長男のわしが、故郷を捨てて稼ぎに出ることになるまで、そう時間はかからんかったわ。中学を出てすぐやったな。家へ帰るなり母ちゃんに「うちの家が火の車で、もうどうすることもできん。やから又造、お前が高校行きたいんはよう知っとるけど、子供たちのためや思うて、どうか働きに出てくれんかいのう」、とこう言われてやな、こんなもん断れるわけなかろうが。下の子供がよう「腹へったぁ腹へったぁ」ってぐずりよるのを、わしも毎日のように見とったしやな。
 ……そんでここだけの話やけどな、わしは親の前では見栄張って高校行きたいって言いよったがな、本当のところはちーっとも行きたくなかったんよ。やからいつ頃言おうかなーって思うてたところにこの話やけん、喜んで二つ返事で引き受けたわいな。
 やけど、そのすぐ後、がいに後悔することんなった。わしが出稼ぎに出たんは、九州の……えー何ゆうところやったかいな……すまん思い出せんわ。まぁとにかく、がいな大きさの工場がいーっぱい建っとる所やった。長い煙突からは、世も知れん色の煙が休みなく出とってやな、川は廃水かなんか知らんけど、その工場から出す水で赤茶色やったわ。
 先生は勉強しとるから知っとるやろ。その頃は、ちょうど公害が社会問題になるちょっと前でな。つまり一番ひどい時期やったんよ。
 水俣とか四日市とかイタイイタイとか、こういうことは後になって知ったんやけど、わしが行ったところも、そういった公害病が出たところやった。その時一緒に働いとった連中はほとんど今では死んでしもうとる。
 ――わしは元気ですごいって? やから最初に言うたやんか先生。わしは病気にはとにかく縁がないって。やけど、これも考えもんよ。知った連中が次々自分の前で死んでゆくんは、あまり良い気分やないけん。
 ――いや、謝らんでええよ。
 とにかくその町は汚かった。空気や水もそうやけど特に地面がな。雨の次の日にトラックが通るやろ。そんな町やけん降ってくる雨はなんか濁っとって、その雨を吸い込んだ泥の上をトラックが通るわけよ。あれやったら犬の糞だらけの道の方がまだマシやわ。道もろくに整備されとらんもんやから、町中が汚い泥の道やったわ。で、わしらはそんな道の上を毎日歩いて、工場へ通っとった。
 とにかく大変やったわ。工場での仕事やのうて町に住むこと自体がな。何度も何度も逃げ帰ろうとしたわ。実家に帰りゃあ確かに貧乏で飯もろくに食えんなるけど、炭が混じった米や苦い味噌汁食うよりは何倍もマシやって。
 やけど、小汚い寮の布団で目ぇつむると、下の子たちの顔が、こう浮かぶんよ。そこでもらう給料は、一日分でもうちの家族が全員三日は食えるくらいの高額やったけんな……。帰りたい気持ちを必死に抑えて、とにかくがむしゃらに頑張って働いたわ。
 そんで半年くらい経った頃やったかな。人間ってのは怖いもんで、そんな汚れた町にもすっかり慣れて、ちょうどその日工場が機械の故障かなんかで休みになったからってんで、寮の近くの子供たちと、近所の空き地で遊んどったんよ。
 いや、そんな町に住んでいてもやっぱ子供は元気でな。確かにマスクしとった子供がかなりおったけど、毎日のように元気に町中走り回りよったわ。その姿に、実家の子供たちを重ねたんかな。わしは暇さえあれば、子供たちと遊んどった。工場勤めでガタイが良かったけん、よう怪獣役やっとったわ。
 その日、確か予定より早めに仕事が終わったけん、職場から出てすぐんとこにある広い空き地で、野球かなんかしよったんかな。うん、野球よ。子供たちは十人くらいおったわ。それから同僚のミッちゃんとショウちゃんとカズちゃんもおったな。
 そんで、わしが外野の守備についてる時、誰かが盛大にホームランぶちかましたんよ。たぶんショウちゃんやな。その三人の中では一番ごっつい身体しとったし。
 工場ががいに建つようなところやから、空き地言うたってそないに広くはないわけよ。ボールはわしの頭軽ーく越えて、ちょっと軽い森みたいになってるとこへ入ってしもうて。
 貧しい家が多かったけん、たぶん貴重なボールやったんやろうな。わしがボール探しに森へ駆け出した時、後ろでショウちゃんが子供たちからえらい非難されとる声が聞こえてたわ。
 そんでその森へと入ったんやけど、よくよく見たら、そこ森じゃなかったんよ。そんな町でまともな木が生えるわけないもんな。雨や泥から金属の臭いがして、ちっさい脳みそみたいな柿が生えるような場所やもん。
 そこ、水たまりやったんよ。巨大な。沼と言ってもええかもしれんわ。ちょうど盆地になっとってな、長い時間かけて雨水が溜まったんやろう。泥で濁っとるんはもちろん、鉄のサビみたいなんがぷかぷか浮いとったわ。で、えらいもんでそんな場所からでも木は生えとった。あのー……何て言うたかいな、あの、南国で水の上にできる森やけど……。
 ――そうそうマングローブよ。大きさは全然違うけど、感じとしてはあんなやった。明らかに触ったらいけん水やったから、わしもさすがにその沼ん中に入ろうとはせんかった。ボールを持ってきた子には悪いけど、事情話して謝って諦めてもらおうと思うて、引き返そうとした、その時やった。
 足元がぬかるんどったからやな、わし、足滑らしてこけてしもうたんよ。なんとか身体支えて沼ん中ドボンってなことにはならんかったんやけど、そん時な、手をズボッと沼ん中につけてしもうたんよ。
 痛みはなかったわ。変な感覚もなかったな。そん時はとにかくばっちいもんに手をつけてしもうた、ぐらいにしか思うとらんかったわ。
 戻ってボールの持ち主の子供に、取りに行けんかったわすまんなぁ、て謝ったら「しょうがないよなぁあそこに入っちゃったんだもん」て答えたわその子。どうやら地元の子たちでも、入ったらいけん森として知られとったらしいわ。
 結局遊びはそこでお開きになって、わしは早足で自分の寮まで帰って、真っ先に手を洗(あろ)うた。妙にネバネバした泥で、洗い流すのに一苦労やったけど、まぁきれいに洗い落とせたわ。
 次の日、わしが勤め先の工場へ行くと、工場長がいの一番でわしを怒鳴りつけてきた。
 ――いやいや、何の理由もなしに突然やないてや。これが日常の光景やったんよ。
 わしはガタイが良くて健康なのが取り柄やけど、その他に取り柄らしいものはないんよ。勉強もスポーツもだめで、なにやっても要領|悪うて失敗ばっかり。小学校の頃もようそれで“てがわれた”わ。……ん? あぁ、バカにされたって意味な。
 その工場でも要領悪うてなかなか仕事を覚えんから、毎日工場長から叱られとったんよ。それでその日も叱られて。いつものことやから周りのもんは知らんぷり。見て見ぬふりよ。
 ……慣れとったのは事実よ。そういう扱いに。怒ったところで、何の意味のないけんね。
 いつもやったらハイハイと頭下げてそのまま平然と作業場に行くんやけど、どうしてかその日だけは、何か違ったんよ。
「田舎者はやっぱり知恵足りんのかねぇ?」ていう工場長の嫌味に、初めて怒りが湧いたんよ。同じことをそれまで何十回と言われてきたのにやで。
 とにかく自分でもよう分からん怒りがあっという間にこみ上げてきて、一瞬思ったんよ。「このアホ殺しちゃる」って。
 わしやって聖人君子様やないけん、それまでにも、こいつ殴っちゃろうかな、て思ったことは何度かあったで。でもそん時の殺意は尋常やなかったわ。はらわた煮えくり返るってよう言うけど、ほんとにこの腹ん中が熱ーなったな。
 先生、あんた親御さんに、こんなこと言われたことない?
「人を指差したらいけん!」って。
 ――そんなにない? 育ちが良いんやなぁ先生は。わしは小んまい時しょっちゅうやったわ。気に食わん奴や嫌いな虫とか見かけると、人差し指突き出してバン!って叫んだりしとったんやって。西部劇かなんかでも観て真似しとったんかなぁ。
 あの母ちゃんの「人を指差したらいけん!」っていう怒鳴り声を、久々にそん時思い出したわ。わしに説教終えて帰っていく工場長の頭に狙いをつけてやな、人差し指でこう――あ、わしな左利きなんよ――で、「バン!」……工場長死んでしもうたわ。
 ――はいはい。偶然発作を起こした、ね。先生がそう言うんは予想できとったよ。常識では考えられんことやし。でもな、本当なんよ。だって、わしが指差してバンッて言った途端、工場長の頭バーンって弾け飛んだんやけん。
 ――警察? もちろん来た。頭が弾け飛ぶ病気なんてないけんね。どう見たって殺人やもん。わしが殺してしもうたんよ。
 わけがわからんけど殺してしもうたのは事実やから、罪を償わんといけん。やからその場で、「わしがやりました」って自首したわ。やけど警察は、「からかうんじゃない!」って、まともに取り合ってくれなんだ。
 そりゃそうやわな。指差したら死んだなんて言うんやけん、冗談やと思うたんも無理ないわ。
 その日の夜は、怖くて眠れんかったわ。わしが左手で指差した相手が死んだんやから。原因は間違いなく、あの沼に左手を突っ込んでしもうたからよ。いけんもんをたっぷり含んだあの沼の水が、わしの左手を世も知れんものに変えてしもうたんよ。
 ――証拠? 先生、医者やったら患者の言うこと信じるべきなんやないの。証拠言うてもなぁ、左手は切り落としてしもうたし。
 ――この左手? これ中身はただの粘土なんよ。左手の形作ってそれを包帯でぐるぐる巻きにしとるだけ。
 ――なんでそんなことをしたんか? 理由は単純よ。工場長を殺してしもうた日から、徐々にわしの左手が化けもんみたいになっていったんよ。
 まず青筋ががいに浮き出てきて、それがドクンドクン脈打って、爪がポロッと抜け落ちて、肌の色が紫色んなった。医者に診せるわけにもいかんけん、仕方なしに夜中、寮の台所から包丁盗んで、風呂場でゴリゴリ切り落としたんよ。
 ――いや、痛みは全くなかった。それががいに怖かったわ。で、それから、まさか左手切り落としたなんて同じ職場の連中に言えるわけないやん。やから粘土で手作って、それくっつけて包帯巻いて、火傷した、とか言ってごまかしたっちゅうわけよ。
 それから五日ぐらいやったかな。工場の人間全員殺すのにかかったんわ。
 ――先生、どうしたん。がいに顔色悪いけど。先生、さっきも話したけどやな、わしは要領が悪うて、仕事の覚えも悪うて、いっつも工場長に怒られよった。……工場長だけやないんよ。職場の同僚全員からいじめられとったんよ。お前のせいで仕事が止まる。田舎者。どんくさい奴。でくのぼう。うどの大木……とにかく毎日毎日悪口言われててがわれた。
 工場長を殺したことを機にやな、今まで気づかんふりしてきてた怒りが、一気に湧き出したんよ。やから、今度は右手をあの沼に突っ込んだ。自分からな。
 ――先生、そのドアもう開かんで。ここ入る時鍵んとこ溶かして壁とくっ付けとったけん。
 工場の奴ら全員殺した後、わしはあの沼にまた行った。今度は全身をあの沼に沈めたんよ。左手だけやった時は気色悪いって思うたけど、全身浸かったらえらい気持ちよかったわ。
 ――そりゃ全身おかしなことになったよ。かなり痛い思いもしたし。でも、それ乗り越えたら、自分の意思で元に戻せたりできるようになったんよ。今、これ肌変えとるんよ。正常な肌に。変えてるの止めてみよか? ほれ。
 ――先生、そんなに叫んじゃいけん。お医者さんなんやからもっと落ち着いとかんと。
 ――ここに何故来たか? 先生、東小学校の同窓会にこないだ行ったやろ。なんか集まり悪いなぁって思わんかった? ずいぶん連絡なしの欠席が多かったやろ。あれな、わしが殺したからなんよ。こう、指差して、バンッて。
 ――驚いたやろ。わしも驚いたんよ。まさか切った左手がまた生えてくるなんてなぁ。
 先生、わし言ったやろ。小学校の頃ようてがわれたって。あの沼の水に身体つけとったら、あの時のこと、思い出してきてやな。がいな怒りがこみ上げてきてやな。
 辛かったぁ。しんどかったぁ。やからてごうた連中探し出して殺したんよ。
 「人を指差したらいけん」。
 そう。わしは人を指差したらいけんかったんよ。
 でも工場長といい同僚といい小学校ん時のあいつらといい、周りの奴らがことごとくわしを傷つけるから、指差さんといけんなってしもうたんよ。
 先生、あんた、小学校ん時、あいつらのリーダーやったわいな。他の連中殺す時にあんたの居場所訊いたけど、誰っちゃ知らんかった。六年ん時に転校しさったからな。ここの病院の院長の名前がそのリーダーと同じやったから、もしかしてと思うて来てみたんやが……同じ小学校出身やもん。先生は、あいつやろ?
 ――やめてくれや化けもんって指差すんわ。子供ん時親から言われたんやろ? 「人を指差したらいけん!」って。
 あん時、わしを指差して笑うとったから、これはその罰な。

 バンッ!

指差したらいけん

指差したらいけん

岩井志麻子さん著「ぼっけぇ、きょうてぇ」に衝撃を受け書いた、方言ホラー。

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日 2019-01-23

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