君の声は僕の声 第四章 6 ─客人─
客人
夕方、瑛仁が早くに帰宅した。今夜はお客が来るので、ふたりも一緒に食事をしようと言う。秀蓮がぱっと顔を輝かせて瑛仁と顔を見合わせたことに聡は気づかなかった。瑛仁が何か話していたが、聡の耳には入ってこない。それどころではない。もしや、いきなり皇族の誰かさんが来るのだろうか……聡は全身から冷や汗が吹き出した。自分は場違いだ。食事のマナーすら知らない。席を外そうか……でもそれでは話が聞けなくなる。ならば隣の部屋から話だけ聞いていようか……聡は頭の中でぐるぐると考えを巡らせていた。
夕食の時間になり、聡は結局、用意された円卓のテーブルにつこうと、力なく入り口に近い椅子を引いた。すると「そこは僕の席」と言って秀蓮が座ってしまった。頭が真っ白になっていた聡は、言われるままにその隣の席に座った。
「?」
ということは上座は聡の隣の席で、当然、屋敷の主人である瑛仁より身分が高いのだから、聡の隣に座ることになるではないか。
「せ、席。違うでしょ。変わるよ」
顔が強張って上手く喋れない。うわずった声でそう言いながら聡は席を立とうとした。
「そんなに緊張する人じゃないよ。今夜のお客様は」
秀蓮は下を向いてクスクス笑っている。久しぶりに見せた秀蓮の笑顔に気づく余裕もなく、聡は半分上げたまま宙に浮いていた腰を降ろし、座ったまま椅子を秀蓮の方へと寄せた。
玄関に呼び鈴が響く。
聡の心臓がバクバク言っている。緊張に足が震えてきた。聡は背筋を伸ばし、正面を向いたまま固まっていた。
足音が近づいてくる。お客を招き入れる瑛仁の声が、部屋の入り口から聞こえた。聡はそっと視線を入り口へ向けた。そこには若い男が立っていた。
男が聡を食い入るように見ている。やがて男はこぼれ落ちるほどに大きく目を見開いた。同時に聡は男の顔に視線が釘づけになりながら、よろよろと立ち上がった。
「聡! おまえ、聡か?」
「兄、慎兄……」
慎は大股で聡に近寄り、両手で聡のほおを押さえてもう一度訊ねた。
「聡だな?」
聡は何度も何度もうなずいた。慎は思いきり聡を抱きしめた。兄の慎は、別れた時よりも、さらに体の厚みが増してたくましくなっていた。体を離し、聡の顔を確かめるように見ると、もう一度抱きしめた。
「どれだけ心配したと思ってるんだ」
そう言いながら、聡の髪がくしゃくしゃになるほど、頭を撫でまわした。聡はされるがままで、きつく閉じたまぶたからは涙が零れていた。
秀蓮と瑛仁は、顔を見合わせて、嬉しそうに笑った。
「聡、なんでおまえがここにいるんだ?」
気持ちが落ちついてきた慎は、聡から体を離し、瑛仁に向き直った。聡は眉を寄せて兄を見上げた。「なんで」とはこちらが聞きたい。
「黙っていて悪かったね」
瑛仁は、ふたりに席をすすめると、まずは、慎に秀蓮を紹介した。
「貴方が秀蓮。弟が大変お世話になりました。貴方のおかげで聡が……いや、聡だけじゃない、僕たち家族も救われました。ありがとうございます」
慎が礼を言うと、秀蓮はにこやかに微笑しながら会釈した。慎は自分よりも年上の少年の、端正な顔を見つめた。
聡はどういうことかわからずにきょとんとしている。
「聡が秀蓮のところにいることは、お兄さんには話しておきました。慎は死ぬほど心配していたからね」
そう言われても聡にはさっぱりわからない。「でも、どうして兄が瑛仁と……?」耳が肩にくっつきそうになるほど首をかしげている聡に瑛仁が言い添えた。
「秀蓮に頼まれたんですよ。貴方のお兄さんを探すようにと。そして、ご両親にも連絡するようにと」
聡は驚いて秀蓮を見た。
「だって、ご両親に話しておかないと、僕が誘拐犯になっちゃうだろう?」
秀蓮がとぼけて肩をすくめた。
両親から逃げるように家を飛び出したことはずっと気になっていた。自分が無事でいることだけでも伝えておきたかった。秀蓮の気遣いが嬉しかった。聡は笑おうとしたが、目には涙が滲んだ。
それを見た秀蓮が「ほら、これ飲んで」テーブルからグラスを取り、聡に差し出した。涙を引っ込めようと、聡はそれを一気に飲み干した。
「あっ」
瑛仁が慌てた。
「それは慎の、食前酒……」
それからは和やかに食事の時間を楽しんだ。
聡は真っ赤になりながら、ろれつの回らない口で、慎の怪我を治した薬草を探し、使い方を教えてくれたのが秀蓮だと話した。
「そうか、それで納得した。聡が見つけるには難しいと思ったんだ」
慎は驚きながらも頷くと「それなら貴方も僕の命の恩人だ」と、秀蓮に礼を言った。
「不思議ですね。慎が怪我をしなかったら、この四人でテーブルを囲むことは、なかったかもしれない」
瑛仁がそう言うと、「それなら、お兄さんこそ、僕の恩人です」と秀蓮がさらりと言った。聡と慎は意味がわからず、同じ仕草で首を傾けた。秀蓮が笑い。瑛仁が目を細めた。
聡の顔色が戻ってきたころ、瑛仁が、慎を探したときのことを聡に語り始めた。
秀蓮を訪ねたあと、さっそく瑛仁は大学で慎を探した。同じ名前の学生は何人かいたが、すぐに見つかった。大学入学当時の成績は平凡なものであったが、その後急に成績が伸びた学生がいた。ほとんどの学生が遊びや飲みに出かけていくなかで、付き合いが悪く、ひとり勉強している変わり者として、大学では有名になっていた。
弟が行方不明になり、その理由を両親からの手紙で知った慎は、自分を訪ねて都へ来ているのではないかと、都中探し回った。都には他に知り合いなどいない。もしも都へ来ているなら、寮を訪ねてくるはず。今は都にいないのかもしれない。そのうち都までくれば、聡から会いに来るはず。そう思った慎は、友人からの誘いを断り、勉強に打ち込んだ。変わり者の有名人は、その日のうちに探すことができた。
瑛仁は、聡と一緒にいる秀蓮は自分の恩人であり、聡と同じく『大人になれない少年』であると話した。
聡に会いに行こうとする慎を、瑛仁は止めた。必ず会えるようにするから、それまで医者になる勉強を続けるように。そして、自分の研究の手伝いをしてほしいと話した。研究とは、少年たちの体の異常の原因を探し治療方法を見つけること、そう聞くと、慎は二つ返事で引き受けたという。
黙って話を聞いていた秀蓮がそっと席をはずし、持ってきた鞄の中から、櫂たちから受け取った紙の束を持って戻ってきた。
「これはKMCの大学院の研究施設から持ち出したものです」
そう言って瑛仁と慎の前に置いた。
「KMCは新しい研究施設でそれを続けるつもりでしょう。僕にはわからない数式ばかりだから……調べて欲しいんだ」
秀蓮が工場跡地に新しく建設された研究施設について話しをすると、神妙な顔つきになった瑛仁が「わかりました」と、落ち着いた様子で書類を手にした。
それから秀蓮は、KMCに軍が──玖那政府が関与してきていることを話した。
瑛仁と慎の顔色が変わる。
「この研究を続けることは、もう僕たちだけの個人的な問題ではないんです。政府同士が絡んでくれば、僕たちの手の及ばない領域まで広がってしまうかもしれない」
秀蓮は慎に向かってそう言いきった。慎が目を細めた。
「どういう……意味です?」
秀蓮がためらいながら続けた。
「僕は聡を、貴方たち兄弟を巻き込みたくはありません。でも、聡には約束したから話します。もし、僕の話を聞いて、聡がこれ以上KMCと関わるのをやめさせたいのなら、僕は聡を貴方のもとへ残して、ひとりで帰ります」
「なっ!」
聡が立ち上がろうとするのを秀蓮が手で遮った。
「君の気持ちはちゃんと聞くから……でもお兄さんの気持ちも聞く」
聡は言いたい気持ちを押さえて、仕方なく座った。
「とにかく、話を聞こう」
納得いかない顔をしている聡をちらりと見て慎が言った。
「まず、この国は今危険な状態にあります。KMCが来たことで国は割れている。王朝を守ろうとする皇太后につくものと、帝がまだ幼いのをいいことに、帝を味方につけてKMCと手を結ぼうとするもの。さらに王朝そのものを滅ぼして近代的な国家を造ろうとする一部の人々。それから──」
「まだあるの?」
「ああ。それから、玖那だけではない、載秦国の資源を狙う列強の国々。それらが、それぞれの思惑で動いている。KMCですら、政府と手を結ぶものと反対するものに割れているようだったしね」
「そうなんですか?」
「おそらくね」
秀蓮はリュウジのことを簡単に話した。
「でも、それがどうしてそんなに危険ことなの? 今までのように帝が成人するまでもう少し皇太后に頑張ってもらって、帝が成人すれば、他の国とも対等にやっていけるんじゃあ…」
「帝が成人すれば……ね」
秀蓮が聡の目を見据えて言った。瑛仁は顔を伏せ、長いため息を吐いた。
「それって……」
聡が秀蓮の言葉を待つように訊ねた。慎も秀蓮をじっと見つめる。秀蓮はテーブルの上で組んでいた指に力を込めた。
「──聡、これから話すことは国家にも知らされていない最高機密だ」
君の声は僕の声 第四章 6 ─客人─