君の声は僕の声  第四章 5 ─王都─

君の声は僕の声  第四章 5 ─王都─

王都


 列車からホームに降り立った聡は、あまりの人の多さに頭がくらくらした。町のお祭りの日だってこんなに人はいない。立ち止まればすぐに人混みに流されてしまう。もみくちゃにされながら、秀蓮からはぐれないようについて行くのがやっとだった。

 駅から通りに出ると、人々は散り散りになり、やっと人混みから解放された聡は大きく深呼吸をした。同時に咳き込む。聡の目の前を馬車が通り過ぎた。乾燥した大地に土埃が舞う。見渡す限り森も山もない。こんな土地に来るのは初めてであり、馬車や車の行き来する大きな通りは酷く空気が悪かった。

 通りを渡ったところで、瑛仁が馬車で迎えに来ていた。
 駅からのびる大通りは、KMCの工場前の通りの倍の広さはあるだろう。通りには雑多な店が並び、店先には野菜や生活用品から家畜まで、様々な品物が並べられていた。客の前で調理をし、勢いよく湯気が上がっている店もある。通りには、玖那人以外にも、肌の色や髪の色が違った人々が大勢行き交い、それぞれの国の料理屋が建ち並んでいた。商人も客も大声を張り上げて会話している。そうでなければ大衆の声にかき消されてしまうのだろう。聡には耳慣れない異国の言葉が飛び込んできた。

 ここは自分の生まれた国なのか、異国なのかよくわからない。けたたましい音に交じり、美味しそうな食べ物の匂いから、鼻につく香辛料の匂い、そして馬の糞の匂いまでが入り混じり、独特の匂いが漂っていた。

 馬車はいくつもの辻を曲がり、都の中心へと入っていく。

 聡は、この馬車がまるで過去に遡って走っているような錯覚を覚えた。古い石畳の道は悪く、馬車の乗り心地は酷くなる一方だった。道は狭くなり、古い家が建ち並んでいる。どの家も塀越しに、大きな木々が道を覆いかぶすように茂っていた。

 時々馬車だけでなく車や自転車とすれ違う。スーツを着た女性がさっそうと歩く後ろでは、聡の町でも見かけなくなった長衣を着ているお年寄りがのんびりと椅子に腰かけパイプをふかしている。その隣では載秦国の人間が聡には理解できない言葉で会話をしていた。
 文字が見えなくなった古ぼけた看板の薄暗い店の隣には、大きな窓ガラスに囲まれ、何に使うのかもわからない機械が綺麗に並べられた店が続いている。KMCの通りが未来なら、ここは過去と未来とが入り混じった不思議な町だった。

 聡の隣に座っていた秀蓮は、都の中心へと近づくにつれて口数が少なくなっていた。
 聡も先ほどから物珍しい町並みを眺めながら、ひとつの思いが強くなっていた。この都に兄がいる。そう思うと心が騒いだ。

「疲れましたか? もうすぐ私の家に着きますよ」

 瑛仁がにこやかに言った。馬車は、古いが手入れの行き届いた屋敷の前で止まった。
 一番奥の部屋に通されたふたりは、さっそく寝台に体を投げ出し、食事もとらずに眠ってしまった。

 翌朝ふたりが目を覚ました時には、瑛仁はすでに城へ出かけていた。瑛仁が用意しておいてくれた食事を終えてお茶を飲みながら、秀蓮は、花をつけた百日紅の木陰の揺れる、美しく手入れされた中庭をぼんやりと眺めていた。聡はそんな秀蓮の横顔を見つめた。都へ来てからというもの、秀蓮はこんなふうにぼんやりすることが多くなった。ぼんやり、というよりは、飄々としているようにも見える。

 昔のことを思い出しているのか、今後のことを考えているのか、聡にはわからなかった。
 この屋敷にも想い出があるのだろうか……。この屋敷は広い。瑛仁が暮らしている棟と、聡たちに用意された客人用の棟の他に、もう一棟が中庭を囲むように建てられていた。ひとりで住むには広すぎる屋敷に瑛仁はひとりで暮らしている。瑛仁ほどの人物なら縁談などいくらでもあっただろうに、彼はずっとひとりでいるらしい。聡はちらりと秀蓮を見た。

 秀蓮と瑛仁は敬語で話し合っている。瑛仁の人柄からくるものなのかもしれないが、彼らはお互いにいたわり合ってはいても、どこかよそよそしい、と聡は感じていた。

「こんな仕事ばかりしている男と一緒になっても、愛想尽かされるだけですよ」

 と笑って瑛仁は言う。だが、瑛仁がひとりでいるのは、秀蓮に遠慮して自分の幸せを遠ざけているように聡には思えた。

 ──秀蓮と話をしなさい。私では彼の力にはなれません。彼はあなたが聞いてくるのを待っていると思いますよ

 瑛仁はそう言った。これまでにも何度も聞こうと思った。訊ねる機会はいくらでもあった。でも、聡は聞くことができずにいた。

 聡の視線に気づいて秀蓮が顔を向ける。

「秀蓮……」

 ためらいがちに聡が声をかけたそのとき、使用人が数冊の書物を持ってやってきた。瑛仁から渡すように言われたものだという。秀蓮は使用人に「ありがとう」と声をかけると書物を手に取った。

「なに?」

 聡は秀蓮の開いた書物をのぞき込んだ。

「陵墓の中に眠る遺跡に関するものだね」

 秀蓮が本をぱらぱらとめくる。書物には、崩れ落ちた岩の中に、人の顔や動物の像が転がっているものや、大きな石に絵や文字のようなものが描かれているのが、細かくスケッチされていた。

「これは文字なの?」

 聡が、スケッチされた絵のような記号のようなものを指す。

「当時使われていた文字なんだろうな」
「何て書いてあるか読めるの?」
「まさか」

 秀蓮が肩をすくめた。

「じゃあ瑛仁は?」
「読めないだろうな」
「…………」

 ふたりは無表情で見つめ合った。

「誰か、読める人は? いるんだよね」

 聡が不安を感じながらも当然のように訊ねた。

「おそらく皇族でも読めないだろう」

 聡は青くなった。秀蓮の落ち着きが信じられない。この文字が読めなければ、遺跡に行って、かつての王国の手がかりを見つけたとしても、何の意味もないではないか。 

「まあ、これを見ながら解読していくしかないな」

 秀蓮が仕方なさそうに笑いながら、別の書物を開き、聡に見せた。

「これは?」
「歴史学者が書いたもので、とりあえず、今の時点で解読された文字。文字表記の規則性。解読の方法。それから、予測される記号の表す意味……などが書かれています」

 書物にはさんであった、瑛仁が書いたメモを秀蓮が読みあげた。

「これを書いた人は?」

 聡がすがるように聞く。秀蓮は首を横に振る。

「ずっと以前に書かれたものだから、もう亡くなってるだろうね。細々と研究は続けられているようだけど、解読に関しては、あまり力をいれてないようだな」

 聡は、お預けを食らいながらそのまま餌を取り上げられてしまった犬のようにがっくりと肩を落とした。

「あーあ。遺跡にすごいお宝でも眠っていたら、みんな必死になって解読するんだろうな」

 聡が大きくため息をつきながらテーブルに突っ伏して言った。

「いや、お宝ならある」
「本当!」

 聡が跳ね起きて秀蓮に期待の目を向ける。

「ある。『賢者の石』が」

 秀蓮が意味ありげな笑みを浮かべた。

「またあ。賢者の石なんてないって」

 聡が露骨にがっかりしてまた突っ伏した。

「あるんだな。石ではない『賢者の石』が……おそらくKMCの連中は探し始めてる」

 聡が顔を上げて秀蓮の横顔を見つめた。秀蓮の顔からは笑いが消えていた。ここへ来てから初めて見せる厳しい顔がそこにあった。

君の声は僕の声  第四章 5 ─王都─

君の声は僕の声  第四章 5 ─王都─

ここは自分の生まれた国なのか、異国なのかよくわからない。けたたましい音に交じり、美味しそうな食べ物の匂いから、鼻につく香辛料の匂い、そして馬の糞の匂いまでが入り混じり、独特の匂いが漂っていた。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-01-20

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