君の声は僕の声 第四章 4 ─旋律─
旋律
「いや、KMCには原因がある。絶対に。──でなければ、西恒川の周辺だけに起こるはずはない。西恒川と東恒川は上流で一本に繫がっているんだ」
秀蓮が悔しさを抑えるように言った。聞いている少年たちの眉間には、ますます深いしわが刻まれていく。
「二千年前にKMCなんてないだろ? 二千年前、すでに誰かが、いや、俺たちのような子どもがエネルギー開発でもしていたっていうのか?」
そんなわけないだろうという具合に、櫂が肩をすくめた。ソファの肘掛けに体を預け、頬杖をついていた透馬は櫂から視線を秀蓮へと向け答えを待つ。
「小人が滅ぼしたんじゃない。小人と呼ばれたものが僕たちのような子供だったとして、子どもが国を滅ぼしたとは思えない」
秀蓮がきっぱりと言うと、ずっとうつむいて考え込んでいた聡が口を開いた。
「二千年前に起きたことが、今、ここで起きているということ?」
聡がゆっくりと顔を上げ、秀蓮を見つめた。櫂と秀蓮のやり取りを交互に見ていた流芳と麻柊の目が聡に向く。秀蓮がうなずく。
「KMCが開発当時から行っていた何かが、二千年前にも行われていた……」
肘掛けから体を起こし、透馬が慎重そうに言った言葉に櫂が続けた。
「共通する何かを探れば、原因がわかるってことか」
みんなは顔を見合わせた。少年たちの目に力が入る。いつの間にか自然と身を乗り出し、全員の顔が近づいていた。
「──でも、二千年も前に起こったことなんて、どうやって探ればいいのさ」
麻柊の言葉に、みんな諦めの表情を浮かべた。誰かの口からため息が漏れる。少年たちはソファの背もたれに体を預け黙り込んだ。
「陵墓に行けば何かわかるかもしれない」
秀蓮が重い空気を破って言った。「なぜ陵墓が城から遠く離れたこの森の中にあるか知っているか?」
みんなは首を横に振った。
「二千年前に山を越えてきた人々はまず、食糧の豊富なこの森の中に定住したんだ。そして人口が増え、広い土地を求めて、人々は今の都へと移った。だけど当時の帝が眠るこの森に、今も歴代の帝が葬られている。陵墓の奥には当時暮らしていた遺跡が残っているんだ。このことは千五百年前にまとめられた歴史書の中に書かれているから間違いない」
話が複雑になってきて、少年たちの眉間に、またしわが寄りはじめた。
「それが城に保管されている一番古い歴史書だ。それ以前の記録があるとしたら……」
「陵墓だね」
聡がきっぱりと答えた。
「僕は、まず都へ行ってくる。みんなが持ってきてくれたあの数式も、解読しないとね。都の知り合いにお願いしてくるよ」
「城の中に保管されている歴史書を君は見たことがあるのかい?」
透馬が訊ねた。父親が地方官をしていた透馬は都へ行って城を見たことはあっても、城の中に入ったことはなかった。他の少年たちは都にすら行ったことはない。
「昔……ね。自分で読んだから間違いない。もう一度確認してくるよ。それから遺跡のことも詳しく調べてくる」
透馬と麻柊、それに流芳は寄せ合っていた顔を離し、探るような目で互いの目を見合った。透馬たちは秀蓮の父が城で侍医をしていたことは知らない。隠すわけではないが、聡は黙っていた。
「あ~あ」
櫂が声に出してソファに深くもたれた。緊張が解け、会話が途切れた。
「今日の話はここまでだな」
腕を上げて伸びをすると、透馬に「ピアノ弾いてよ」と振った。
透馬の家には珍しいピアノが置いてあった。透馬の家の前を通るときの、広い庭の奥から聞こえてくるピアノの音を、聡は思い出した。慎は医者を、透馬は音楽家を目指していた。ふたりで一緒に王立大学へ行こうと話していたのを、聡はよく聞かされていた。兄が毎日勉強していたように、透馬は毎日ピアノを弾いていた。
透馬は微笑すると静かに立ち上がり、ピアノの前に座った。ゆっくり蓋を開けると、大切そうに鍵盤を撫でた。そして背筋を伸ばし、流れるような旋律を奏で始めた。ピアノの音が、騒めいていた談話室の空気を一変させた。
騒ぎながらチェスやカードゲームに興じていた少年たちも静かに耳をかたむけている。演奏のテクニックは音楽大学へ行くほどではなくなってしまったが、普段は口数の少ない透馬の、言葉にすることのない想いが音に深みをあたえていた。
聡は透馬の胸の内を考えていた。秀蓮が医者になる才能と環境を持ちながらも、都から遠く離れた森の中で暮らしているように、透馬もここへ隠された。全寮制の特別クラスなんて聞こえはいいが、自分たちは隠されているのだ。兄と一緒に王立大学へ行くと語っていた透馬は自信に溢れていたのに……。透馬は何も言わない。兄のこともあれ以来は何も聞いてこない。聡からも何も話さなかった。
優しい旋律が激しい旋律へと変わった。いつもは穏やかな透馬の顔つきが厳しくなる。激しく動き回る指が鍵盤を叩きつけるのを聡はじっと見つめていた。
やがて旋律は叙情的に奏でられていく。聡は目を閉じてピアノの音色に想いをゆだねた。演奏を終えると、透馬は指を組んでため息をつき、今度はノリのいいジャズを弾きはじめた。チェスをしていた少年たちの肩が小刻みに揺れる。弾いている透馬も楽しそうだ。談話室の空気ががらりと変わった。
昼食をとりながらその後のことを話し合った。
聡と秀蓮が都へ行っている間に、櫂たちは学校の帰りにテントなどのキャンプ用品を買い揃える。もうすぐ夏休みだから、寮の少年たちがキャンプの準備をするのはいつものこと。怪しまれることはない。夏休みは仕事も学校も休みになるから、みんなで外泊届を出せば何も問題はなかった。
秀蓮が午後にはここを出ると言った。聡は早く家に帰りたい一方で、杏樹のことが気になっていた。あれから杏樹は、あいさつ程度の会話はするけれど、いっさい話しかけてはこなかった。一人で静かに本を読んでいるか、談話室で過ごしているようだった。『心』も『マリア』も現れなかった。
部屋に戻って帰り支度をしていると、杏樹が食事を終えて戻ってきた。シーツの剥がされたベッドを見て「帰るの?」と声をかけてきた。
抑揚のない言葉。感情のない表情は、たぶん『純』だと思った。
「秀蓮の傷も良くなったし、家に帰るよ。ふたりで邪魔しちゃって悪かったね」
杏樹は聡の言葉にも反応することなく「ああ、元気で」と言うだけだった。純とはさほど会話をしてはいなかったが、それにしても素っ気ない。聡の気落ちした様子に秀蓮が杏樹に言った。
「玲と話がしたいんだ」
杏樹はぼんやりした目で「そんな奴は知らない」と言う。
「それなら、陽大かマリアは?」
秀蓮がすかさず聞くと、杏樹は少しだけ不快な表情を見せ、そのまま部屋から出て行ってしまった。閉じられたドアを見つめていた聡の肩に秀蓮の手が置かれる。
「また来るから。きっと玲たちは考えているんだよ」
何も言わない杏樹に聡はがっかりした。せめて『陽大』か『マリア』には別れを言いたかった。だが、『彼ら』は自分たちを拒絶しているわけではないと、聡は思った。拒絶するなら玲が出てきてはっきりと別れを口にするだろう。
何も言わないのが|無意識(・・・)の|杏樹の意思(・・・・・)なのではないかと。
「──そうだね」
自分に言い聞かせるように聡はつぶやいた。それから気持ちを切り替えるように大きく息を吐き
「行こう」
秀蓮に向き直りドアを開いた。
君の声は僕の声 第四章 4 ─旋律─