新月の集会
人狼は、満月の夜になると人間から狼に化けてしまうっていう話を昔絵本で読んだことがある。
たかがおとぎ話だったが、少年の頃の僕にはそんなおとぎ話でも本当にあると信じていた。
実際にそんな力がある人と会って友達になりたいなだとか、そうなるにはどうしたらいいのか聞いてみたいだとか。
現実を突きつけられる日まで毎日妄想にふけっていた。
結局中学の頃、親に「夢ばかり見てないでさっさと現実と向き合え」って言われてからその幻想のようなおとぎ話は崩れるかのように忘れ去られてしまった。
けれどある新月の日だった。
昔絵本で読んだものとは違ったが、崩れた幻想を取り戻してしまうような事があった。
満月とは正反対の寒々とした暗い夜に猫が人に化けてしまうというのを目撃してしまった。
人狼の話とはまったく別で変わったおとぎ話のようだった。
その不可思議な光景は、大人になった今も忘れられない。
僕が少年時代に目撃した小さいようでとっても大きな出来事。
***
その出来事が起こったのが遡ること約15年、僕は高校一年生になり実家から離れ一人暮らしをし始めた 。
その時に『一人じゃ寂しいだろうから』とオスの 黒猫を親がわざわざ買ってきた。
小さな頃から僕は猫が大好きだったので嬉しい引越し祝いだった。
ちなみにその黒猫の名前はルシュ。 華奢な体つきですらっとしていたからそんな雰囲気が出るような名前にした。
十二月の中に入ったある晩のこと。
その日は新月ということもあって月明かりがなく、いつもより少し寒かった。
だからすぐに眠れるような気がしたけれど、その日は寒いこともあって不思議と目が冴え中々寝付けなかった。
「なぁーん。」
ルシュが愛らしい声で鳴きながら僕の元へ寄ってくる。
撫でると僕の冷たい指先がルシュの体温で暖かくなって不思議と気持ちよかった。
暖かくて気持ちよい感覚が楽しくてついつい撫ですぎてしまった。
そしていつの間にルシュはご機嫌ナナメになり、ぷいっとそっぽを向きながら僕の元を離れていく。
あちゃー、僕としたことが撫ですぎてしまったな。
とそんな風に反省していると、いつの間にか空いていた窓からルシュがぴょんと飛び降りた。
「ルシュ、ちょっと待てよ!」
撫ですぎて怒ったのかどうかはわからないけれど脱走したからには意地でも捕まえないと! と思った僕は、あわてて近くにあったコートを羽織り、ルシュを見失わないように気を付けながらそっと跡をつけていった。
☆*☆*☆*
ルシュはそのしなやかな体で道を軽やかに走っていた。
十二月だからかうっすらと雪が積もっていて、足跡がてんてんと続いている。
それに目をやりながら少しずつ慎重に歩いていく。
僕の家は大通りに近いのでキラキラと光る電灯をつけた店が多い。
その店たちを横切るかのようにルシュは裏道をくねくねと右に左にと曲がった。
ただ裏道には大通りと違い行き止まりがあるわけで、どうやらそこで足跡とルシュの姿を見失ってしまったようだ。
「行き止まりか……。あぁ、これからどうしよう。」
行き止まりを見てはっとした僕は後々ひどく後悔した。
何故なら、闇雲にルシュ足跡だけ追っていたせいで帰る術もない訳だ。
途方に暮れた僕はぼうっと前の行き止まりだけを見ていた。
ただ、見ていただけだった。
しかし、ある事に数分してから気が付いた。
それは行き止まりになっている大きな鉄板の横に少し隙間があってそこから一筋の光が見えた。
眩くて暖かな光が。
もしかしてそこにルシュがいるんじゃないかと思って前へ前へと近づき、隙間からこっそりと光の中を覗いた。
光の向こうには二十人近い男女が火を囲んで談話している。
光の正体は炎だったし、しかも猫ではなく人間だった。
……と思ったが、これは人間ではない。
よくよく目をこらすと猫の尻尾にふさふさの耳が付いてる。
その光景を見た時、驚き混じりで思わずわっと叫んでしまった。
刹那、ピタリと会話の音が消え、こちらを睨みつけるようにこちらを見た。
怖くなって咄嗟に隙間から目を逸らす。
「なんなんだよもう……。怖いしもう帰りたい。」
物陰に隠れながらそう小さく呟いた時、いきなり腕を掴まれる感覚が伝わった。
そしてズルズルと前へ前へと引っ張られていくのも感じた。
物陰に隠れているはずなのに何故?
ああ、訳が分からなさすぎて頭がショートしそうだ。
抵抗出来ないくらいの強い力で掴まれたものだから抵抗も出来ずにただズルズルと引っ張られ、僕はぎゅっと、固く目を瞑っていた。
***
あれから少しして、ズルズルと引っ張られる感覚が無くなったので僕は恐る恐る目を開いた。
よくみると中央にがパチパチと炎が燃え盛っていて、周りの人々は皆、猫の耳がありふさふさの尻尾が生えていた。
そうだ、やっぱりここはさっき見た場所と同じだ。
でもはじめ見て驚いた時に思わず叫んでしまい、この場にいた人達全員に睨まれて怖い思いをしたのもあってか僕は一般的な男子より小さなな体をぎゅっと縮めていた。
そんな僕の方を叩き
「ねー、怖がんなくていいよ柊斗」
とはにかみながら言ってきた子がいた。
背はすらっと高く華奢な体つきで、艶やかな黒色の髪の毛。
首元には空色のチョーカー。
僕の名前を知っている時点で薄々気が付いたが、この子は間違えなくルシュだ。
「ルシュ、もしかして君なのかい?」
「うん。そうだけど?」
ルシュは目をぱちくりさせながら僕の方を見て言った。
「じゃぁ、どうしてここにルシュが居て、なんで人になってんだ? 」
「それは新月の夜だからさ。 化けた猫は一夜限りの集会を開き、日が出るまでどんちゃん騒ぎさ」
ルシュが何言ってるか初めはよくわからなかったが、ぐるぐると思考を加速させるとはっと気がついた。
昔大好きだった、あのおとぎ話のまたまた正反対の事が今、確かに起きているということに気がついたのだ。
「もしかして怖いの? 」
「怖くねぇよ! ……ただ、全員に睨みつけられてんのは確かにこわいかも。」
最後のあたりに行くにつれて恥ずかしくなり、空気で言葉を言っているかのように声が小さくなった。
その言葉をどうにか察したルシュは猫のみんなの前に立ってこう言った。
「皆ちょっと聞いて、こいつは悪いやつじゃないからあんまり睨みつけんなよ? 修斗怖がってんだ。」
「えー、でも俺たちと違ってふさふさの耳と尻尾は無いぜ? 怪しいだろ。」
「そーだそーだ。」
ルシュが僕について悪いやつじゃないと説明しようとすると周りの猫人間たちは騒ぎ出した。
その時、しゃがれた低い声で
「うるさい」
と言ったのが聞こえた。
振り返ると、その姿は老人らしく、髪の毛が全て真っ白い猫人間が居た。
「お前達、少しは黙らんかね。 たしかにルシュの言った通り彼奴は悪者ではない。その証拠が純粋な心を持っておるというところだ。」
「純粋な心? 」
その単語に引っかかってクエスチョンマークを浮かび上がらせていると、その猫人間は言葉を続けた。
「そうじゃ。 どんな不思議な物語だろうと純粋に受け止めていた時期があったじゃろう? 」
「あっ、多分それは狼男の話……? でももう親に夢は……。」
「大人に夢を破られた時、おぬしは悲しかったろう。 信じていたものは現実ではないことを突きつけられて。」
猫人間は僕の話を遮って話を続けた。
たしかに、その物語を昔は純粋に受け止めていた。
大きくなってもずっとずっと信じていて、みんなが成長しその話を馬鹿にしようと、アホくさいと言ってけなしても僕はそれが現実となっていると思ってた。
ただ、大人である親に「そろそろ中学も卒業するんだからそんな夢物語を追っていないでこれからのことについて考えろ」って言われた時はショックでそのおとぎ話は忘れようとしていた。
確かに、現実を突きつけられたときは悲しかったし辛かった。
ただ、夢を忘れかけた今頃にこんな集会に呼び出されたのか不思議でたまらなかった。
だが、僕のその気持ちを見透かしたのか猫人間はまたまた口を開いた。
「ここに入れる大きな条件は、純粋な気持ちを持っている者しか入れないのじゃ。 だから穢れた気持ちを持つものは入れない」
「じゃあ、それなら僕はあなたの言う純粋な気持ちっていうのを忘れかけていたのに何故ここへ入れたのですか」
僕はそんな矛盾点を見つけたので不思議に思いその猫人間にまた問うことにした。
すると老人の猫人間は少し考えた素振りをして言った。
「 それは、ルシュのおかげじゃ 」
「あいつの……お陰? 」
聞いてみたことにより余計に訳が分からなくなってまた首を傾げた。
「ほら、先程この現場をひっそりと見たろう?そしてお主は『昔読んだおとぎ話は嘘ではない』と確信した。 そうじゃろう? 」
確かに、老人猫人間の言う通りあの時そう思った。
『昔見たおとぎ話は嘘ではない』って。
――ああ! そっか、わかったぞ!
まず今いる場所をひっそりと見た時点で、夢が現実になっていることに気がついた。
そして昔見たおとぎ話を疑う事はまず無くなった。
狼男が本当にいるかどうかはわからないけれど、猫が人間に化ける猫人間は居たのだ。
「シュウト、と言ったかな、 疑問なく全てわかったのならこの話は終いにして、皆で集会の続きをしようかの? 」
「はい、ありがとうございます。是非続きを見てみたいです」
僕は大きく頷いてこの集会の続きを見ることにした。
***
あれから僕は集会の続きを見ていた。
まずはじめに始まったのはダンスショー。
この世界では聞いたことがない不思議な音色とともに踊り手は自身が感じたままに体で表現していて、それはいつもテレビで見てるダンスや踊りとは一味違った。
見ているだけで心がおどる。
どうやら僕は猫人間たちが踊っているのを見ている方が好きみたいだ。
踊りの種類は人それぞれだったけど、みんな楽しそうにしていてときどき歓声がワッっと広がった。
数十人が踊り終わり、もうダンスショーは終わりかなという雰囲気の中、ルシュがひょっこりと現れた。
「今回は踊る気なくてエントリーしてないけど、柊斗もいるし踊ってもいいかい?」
とルシュは長老の猫人間に問いかけていた。
まだ踊るかも分からないのに、さっきの踊り手以上の歓声があがってそれは辺り全体に広がった。
長老猫は少し考えこんでから
「……別に良いが、ただそんなに時間がないから少しだけじゃぞ。」
とルシュに許可をあたえた。
ルシュは小さくガッツポーズをしてステージに駆け上っていった。
先ほどの歓声がより大きくなって不思議とライブ会場に来たような気分になっていた。 「ねぇ、今大きく歓声が上がってるけどルシュってどれくらい凄いの?」
沢山の踊り手がいる中でルシュだけどうしてこんなに歓声が上がるか不思議に思った僕は近くにいた白黒まだら模様の猫をつっついてから聞いてみた。
「そうね……まぁ、見てれば分かるわよ?」
彼女は僕の方に振り向きながら不敵な笑みを零して言っていた。
演目が始まるとすぐに彼女が言った理由が分かった。
息を呑む程の美しさ。それはどんな猫にも適わない、力強くも優しさがある踊りだ。
そしてルシュが使った楽曲は僕が昔から聴いていたものでそこにアレンジが加わり耳障りの良い音色になっていた。
「ほら、 凄いでしょ? 曲は柊斗くんの世界にあるものをアレンジしてるって言ってたわ」
ルシュが踊っているのを横目に見ながらそのマダラ猫は鼻を高くして言っていた。
僕はそれに対抗するかのように
「たしかにそうだ。 だってこの曲は僕が一番大好きな曲さ!」
と力説するとそのマダラ猫は驚いていたが
「本当!? じゃ、それくらいルシュは柊斗くんのことが大好きだったのかもね」
と彼女はにっこり笑いながらそう言った。
ルシュのダンスが終わり、瞬く間に拍手が起こった。
短い時間ではあったけれどどの動きも美しくてどの猫にも適わない踊りだった。
舞台上からひょいと飛び降りて観客席の方へと戻ってくる。
そしてルシュがこっちまでやってきて
「どうだった? 俺の踊りよかったか?」
と聞いてきたのですかさず
「最高だったよルシュ! 見てて楽しかったよ」
僕はそう言いながらルシュの頭をガシガシと無造作に撫でた。
すると踊り疲れたルシュの顔がぱあっと明るくなるのが見えた。
それが僕がルシュを見守る中でとっても可愛いらしい姿だったな。
なんて思いにふけっているとルシュが口を開く。
「次はコーラスショーだな。音のない音、っていうのがこのコーラスショーのメインテーマさ」
「音のない音? 」
いきなり不思議で矛盾しているかのように聞こえる単語に僕は首をかしげていると
「そうそう。あの音色は心地いいんだ。聴いてるだけでうっとりとして眠くなる」
とルシュは大きな欠伸をしながら言った。
心地よくて、眠くなるコーラス。しかも音のない音という不思議なオマケ付き。
余計に頭がパンクしそう……。
「そろそろ始まるぞ」
ルシュの一声ではっと気が付いたので取り敢えずそのコーラスを聞いてみる事にした。
たしかに音のない音っていえば辻褄が合うようなそんな音だった。
超音波の類だろうけど、僕の心に響き鮮やかな音色と旋律が響いていた。
今聞いている曲をわかりやすく例えるなら心地よくて夏の暖かな草原にやってきたという具合だ。
「なかなかイイだろ?」
「そうだな。いつも聴く曲とは大違いだ。」
そう言って僕はにへっと笑った。
それにつられてルシュも笑った。
ぽかぽかと暖かい気持ちが溢れるような心地よい時間を過ごした。
あれから三曲程聞いたあとでコーラスショーは無事に終わったのだった。
コーラスショーが終わりあれからいろんな出し物があった。
ちょっとしたマジックショーや、朗読会、それにクイズまで。
どの出し物も、僕がかかえている嫌な現実を忘れるくらい楽しかった。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去る。
夜も少しずつ終わりを迎え、最後は談笑会となった。
猫人間はステージ前からばらけて話したい人達と談笑を楽しんでいた。
ちなみに僕はルシュとさっき話しかけて仲良くなったまだら猫とくだらない話をしていた。
最近僕がやらかした事とか、彼女に振られてクリぼっちになりそうって話。
会話が盛り上がる中、トントンと肩を叩かれて僕はふっと振り返る。
その正体は先程の長老の猫人間だった。
「おぬしにこれをやろう」
そう言って長老の猫人間は僕の手に強く光るなにかを押し付けるかのように渡した。
「これは? 」
「猫目石というものじゃ。暗い夜、新月の夜に強く輝く特別な宝石でのう、わしらが集会に集まる時の大事なものじゃ」
「わわわ! こんな物、猫でもない人間の僕が受け取っても良いのですか?」
仲間だけに渡されるようなそれを貰った僕は驚いて長老の猫人間の方を向いた。
しかし長老の猫人間は
「いいのじゃよ。最初も言ったが自身の純粋な心が肝心じゃ。石にその心が宿り、集会に集まる為の鍵となる。大事にしてのう」
ニッと笑いながら僕の頭をグシャっと撫でた。
「やったじゃん柊斗!」
隣で聴いていたルシュが喜ばしげにはしゃぎ
「柊斗、良かったわね! また遊びにおいで」
とまだら猫はフフフと笑いながら言った。
ぼくは二人とは離れ人が少ない場所に歩いていった。
そして長老の猫人間にもらった緑色の猫目石をぎゅっと握りながらこれからの思いを馳せていた。
また新月の夜に沢山遊びたい。
そしてルシュと一緒に踊りたいし歌も歌いたい。
まだら猫とルシュ、三人でくだらない話をまた、この場でしたい。
「また、新月の夜に……」
ポツリと自然に言葉が零れた。
次の新月にはどんな出来事が起こるのだろうか?
楽しみで楽しみで仕方ない。
――ああ、もうすぐ陽が昇りそうだ。
陽が昇り太陽が夜の終わりを告げると、不思議なことに意識が遠のいてしまった。
***
目が覚めるといつもの通り、自分のベッドの上に寝転がっていた。
僕はむくりと起き上がってぼぅっと考えた。
あの集会は夢だったのだろうか……? と。
しかし、すぐにその考えは消えた。
焚き火くさい匂いの服。
そして、手にはあの長老から貰った猫目石が握られていた。
あの夢は嘘じゃなかったんだと、本当にあったんだと嬉しくてたまらなかった。
***
あれから15年経った。
その中の1年と半分ぐらいは必ずあの集会に通った。
でも高校三年にもなると大学受験で忙しくなって中々集会に行けずにいると、ある日忽然とルシュが消えてしまった。
僕は慌てていろんな場所を探し回ったり、集会に時々参加したが見つからず、大学に受かってからはぱったりと行かなくなっていた。
大学生活は非常に気侭な生活を送っていたがどうも楽しくはなかった。
そんな中、僕は四年の春から就職活動を始めた。
就職先もすぐに見つかってそのまま社会人の生活へ。
こうして大人になって社会に出て働いても新月の夜の集会へまた行きたいなという気持ちはあった。
しかし、思っているだけで中々行動に移せず結局僕は三十路過ぎのオッサンになってしまった。
***
ある新月の夜だった。
朝からずっと降ていた雪おかげで午前で帰宅となり久々に早く家へ帰れた。
その日は初めて集会に行った時と似たような日でなんだかセンチメンタルな気分になっていた。
家のデスクに座り、引き出しから丸い猫目石を手に取った。
センチメンタルな気分も入り混じってか少し涙が出てきそうだった。
そんな時にコンコンと優しく窓を叩く音がしたので僕はふっと振り返り、誰だろうと思って近づく。
出てきた人物を見た僕はハッと息を呑んだ。
蒼いチョーカーとすらっとした体付き。
……間違いない、あの時のルシュだ!
「ど、どうしてお前居るんだ!?」
ひどく混乱している中、ルシュは昔と変わらない明るい声で一言
「それはとにかくさ、柊斗、また集会に行こうよ」
にっと笑いながら僕に手を差し出すのだった。
Fin
新月の集会