ラ・ニュイ・ブランシュ
風邪もすっかり良くなって、私は久しぶりに夜の街に出た。念のために飲んでおいた喉の痛み止めのせいで、足が少しフラフラする。それが何とも、気持ちいい。
年に何度か立ち寄るバーに行ってみた。マスターは私の顔を見ると「明けましておめでとうございます」と声をかけてくれた。もうすぐ二月だけど、ここへは年が明けて初めて来たんだっけ。この前来たのは確か……クリスマスの夜。あの時は彼と一緒だった。うかつにも私は、彼と最後の時間を過ごした場所に一人で来てしまったのだ。私たちの別れ話は、マスターの耳に入っていたに違いない。でもさすが、知らん顔をしていてくれている。天の邪鬼な私は、話を聞いて欲しくなっていた。
「8年も付き合ったんだけどね」
少し唐突だったかな。よく考えたら、マスターがあの夜のことを覚えているなんて保証はない。けれど私は、カウンター越しに話し続けた。
「それなのに終わるのは一瞬。人生なんてそんなものかな」
グラスを磨いていたマスターは、それをカウンターに置いた。
「思い通りにならないことなんて、それこそ人生にはいくらでもありますからね」
穏やかに微笑みながら、彼は言った。
「マスターも何度か経験してるの」
私が聞いてみると、
「それはもう、何度も」
彼はもう一つグラスを取って並べて置き、シーバスリーガルと炭酸水を注いで、レモンを浮かべた。
「お好きでしたよね。私のおごりです」
「ありがとう」
ご馳走になるのと好みを覚えていてくれたことに感謝して、私は最高の笑顔で答えた、つもり。そして、彼と乾杯した。
「あの晩の私、ひどい顔してたでしょ?」
なんて答えるのか期待しながら、私は聞いてみた。
「見ていられませんでした。痛々しくて」
彼は正直に答えてくれた。
「彼ったら、僕は君を泣かせるようなことは決してしないよ、なんて私を口説いたくせに」
「Sale menteur」
彼は小さな声で言った。
「え?どういう意味」
私が聞き返すと、
「特に意味はありません。ただの歌の一節ですよ」
抑揚のない声で、彼は答えた。
「もしお食事がまだでしたら、何か用意しましょうか」
そして彼は、パリで料理修行をしたことがあるのだと付け加えて言った。
私はなんとなく断ってしまった。幸せが過ぎると失う痛みも重いのだと学んだばかりだったし。
「今度フランスの話を聞かせてね」
私が言うと、彼は黙って微笑んだ。
ラ・ニュイ・ブランシュ