君の声は僕の声 第四章 2 ─会食─
会食
秀蓮の目に驚愕の色が浮かぶ。聡が不安な目を秀蓮へと向けた。ふたりは言葉を失ったまま顔を見合わせた。
「カグラ?」
秀蓮がシノに視線を戻しながらつぶやいた。
「そう。神楽。──神楽恭一郎の……つまり神楽マテリアルカンパニーの創立者の孫よ」
「孫」
聡が口を半開きにしたままつぶやいた。
「そう。孫。でも孫といっても彼は次男だから、カンパニーを継ぐ人間ではないの」シノが二人を交互に見て言った。それから口に手を持っていき「私の口からこれ以上余計なことを言うと、彼に怒られるわ」
シノは声を落とした。
怪訝そうにシノを見つめるふたりに、「そうだわ!」シノは思いついたように手を合わせた。そして少女のように声を高くする。
「これから竜二を呼んで、一緒にお食事でもしましょうよ。彼はあなたたちと話したがっていたのよ。ね。もちろんご馳走するわ。彼の支払いでね」
「お断りします。僕たちこれで帰ります」
聡が秀蓮を隠すように、即座に立ち上がった。
「あら。まだ疑ってるの? でも、あなた達、竜二のことが知りたくて来たんでしょ?」
シノが机に両肘をつき、組んだ指の上にあごを乗せ、悪戯っぽく笑った。
※ ※ ※
窓からの景色を聡は目を輝かせて見ていた。
川沿いのレストランからは、海へと向かう巨大な船が泊まっているのが間近に見られた。川岸には積荷を運び込む大勢の男たちの姿があった。載秦国の人間はもちろん、玖那人の他にも、聡が初めて目にする肌の黒い人々や金色の髪の人々が働いていた。
川の向こう岸には重厚な鉄の線路が敷かれている。駅に列車の姿はないが、都と港を結んでいる。この線路は、聡がまだ行ったことのない都や海へと繫がっているのだ。船は川を下り、海を渡り、その先は──聡が想像することもできない未知の世界が広がっているはずであった。聡の胸は高鳴った。まるで未来を見ているようだった。
窓ガラスに、スーツを着た男がこちらに向かって歩いてくるのが映り、聡はそれとなく姿勢を正して正面を向いた。シノが男に軽く手を上げる。
「やあ、待たせたね」
リュウジは微笑んで席に着いた。
「ごめんなさいね。突然呼び出して」
「いや、わざわざ会いに来てくれたんだ。どんな仕事だって蹴って来るさ……来ますよ。と言うべきかな?」
そう言って意味ありげに秀蓮を真っ直ぐに見た。
「見た通り、僕は子供です。どうぞお気遣いなく」
秀蓮が涼しい顔で答えた。
「ここまで来たということは、怪我の具合はもういいのかな」
リュウジと呼ばれた男は、KMCの会長、創業者の孫というだけあって、仕立ての良いスーツを着こなし、堂々としていた。秀蓮のことを『見た通りの子供』ではないことを知っているようだった。歳は三十半ばといったところか。背が高く、肩幅もがっしりして胸板も厚い。シノが「強面だけど悪人ではないのよ」と言っていたが、KMCの人間と知らなければ、とてもお近づきにはなりたくないオーラを放っている。もしも秀蓮が年相応の姿をしていたら、この男は秀蓮に対して敬語を使うのだろうか……。聡はリュウジの顔を見ながらそんなことを考えていた。
「君は、聡だね」
リュウジの三白眼の瞳が向けられ、聡ははっとした。自分の名前を知っている。
「君が行方不明になってから、我々はずっと探していたんだよ。君のご両親も心配されている」
聡の表情が曇った。
「あなたはカグラ会長の孫だと」
秀蓮が、余計なことを言うな。と言わんばかりに即座に話題を変える。
今度はリュウジの表情が曇った。
「あ、ごめんなさい。私が話したのよ……でも、話したのはそこまでよ。余計なことは話してないわ」
「別に、話されて困ることはないよ」
リュウジが落ち着き払って言った。
「次男だからカンパニーは継がないって……どういう事です?」
秀蓮がすかさず訊ねた。リュウジの眉が不快そうにピクリと動いたが、変わらない口調で続けた。
「この国では、子供たちの中から優秀な者を選んで跡取りにする習慣があるようだが、玖那では長男が継ぐのが習わしでね。二番目に生まれた私には、生まれた時から会社を継ぐ権利がないのだよ」
そのとき、食事が運ばれてきた。美しく盛りつけられた料理がテーブルに並べられる。
「遠慮なく好きなだけ食べてね。支払いはこの人だから」シノが「ねっ」とリュウジに向かって小首をかしげた。
目の前に並んだ豪勢な料理を前に聡は思った。秀蓮と出会う前に、こんなに綺麗に飾られたご馳走を並べられたら舞い上がってしまったに違いない。それが今はどうだろう? まるで心が動かない。料理は美味しいはずなのに……。
夕暮れの川岸にポツポツと明かりが灯りはじめた。色とりどりの光が水面に揺れている。そのうちに、積荷を運ぶ男たちの手もとを照らす照明が灯された。まるで昼間のような明るさに聡は面食らった。
街灯の少ない町では、こんな時間に外で働く者はいない。みな家に帰り、小さな電球やランプのもと、家族そろって食事をとっている。こんな時間に働いている彼らはいつ食事をするのだろう。家族は待っているのだろうか。聡は明かりの中で汗を流す男たちを見ながらぼんやり考えていた。
そのうちに振動が響いた。室内を流れる音楽と窓にはめこまれた厚いガラスで振動する音は聞こえないが、窓の外は大きな音が響き渡っているに違いなかった。そのうちに、積荷を船に乗せる機械が動き出した。積荷は人の手を使うことなく船へと運ばれていく。
「あの装置もKMCが作り出した電気で動かしているんだよ」
リュウジが箸を置いて聡に言った。箸を手にしたまま料理には手を付けずに窓の外に見惚れていた聡は、慌てて窓から目を反らした。
「おかげで彼らの仕事はだいぶ楽になった。あの重い積荷をひとつひとつ運ぶのは大変な作業だと思わないかい?」
聡は無言でリュウジを見つめた。
「我々は、利益を出すためだけにエネルギーを作っているわけではない。いずれは家庭でも電気が使えるようになって、掃除や洗濯を電気で動かした装置がやってくれたら、お母さんは楽になると思わないかい? もっと大きな船や列車を速く走らせるほどのエネルギーを作り出せるようになったら、君は世界のどこへでも行ける。世界を見てみたいと思わないか?」
リュウジが真っ直ぐに聡を見つめたまま淡々と話を続けた。
「そのために、私たちはエネルギーを開発している」
世界を見るなんて考えたこともない。リュウジの話に聡は心を奪われた。リュウジの口調は嫌な感じではなかった。子供の聡を言いくるめるつもりでも、カンパニーの正当性を主張しようとする訳でもないことは感じとれた。
聡は働く男たちに視線を戻した。シノは感慨深げに話を聞きながら、テーブルに飾られた花を見つめている。秀蓮は目を伏せて黙ったまま食事を口に運んでいた。
「我々のエネルギー開発に問題はない。水質調査にも嘘はない。君も報告書を見ただろう?」
落ち着いた声でそう言い、リュウジは秀蓮に顔を向けた。
「…………」
黙ったままの秀蓮を聡はうつむき加減にそっと見つめた。
「我々は、環境には十分に配慮している」
「──それならどうして、西恒川の付近にだけ、僕たちのような子供が生まれたんでしょうね。あなた方が来る前には、そんな子供はいなかった」
秀蓮は声を抑えるようにしてテーブルの一点を見つめながら言った。
「それはどうかな?」
聡と秀蓮は同時に顔を上げてリュウジを見つめた。
「確かに、近年にはそんな子供たちはいなかったのかもしれない。だが、かつての王国を小人が滅ぼしたという伝説があったね。いや、それだけではない。この国には小人伝説が数多く存在する」
──同じ事を考えている
秀蓮はリュウジから目を離さずに唾を呑みこんだ。
君の声は僕の声 第四章 2 ─会食─