朝の水族館がきれいだといい

 蟲のことを想う夜の色鮮やかに光る信号機から特に赤を抽出したい。兄の、おそらく分身であろう男が、飛び降りたのは高層ビルの屋上からだったと街頭テレビで知った。なんとなくかなしかったのは、ぼくがハッピーバースデーを歌ってあげた記憶があるからだ。沼に落としたものがとつぜん浮上してきたときの感覚に似ている。踏切を通過する電車の車輪をじっと見ているのが好きなきみがいなくなった日のことは忘れてしまったけれど、もうひとりの兄が、兄から脱皮するように生まれたときのことは覚えているし、けれど、分身であろうそれが果たして兄とどう違うのかは結局わからなかった。
 朝の水族館がきれいだといい。
 水は、澄んでいるといい。
 魚たちが眠っているあいだに、あたらしい海が生まれているといい。
 からだのなかが透けて見える魚がいたとして、ぼくは冷静にそれを眺めていられる自信がないと云ったのは兄で、兄はぼくにとって世界でいちばん美しい存在だった。兄は濁りなかったし、不純物が少しでも混ざりそうになれば、ぼくが丁寧に取り除いた。白百合の花を燃やしたことがある。いつか、きみが、遮断機の棒を越えてしまうのではないかと心配している。ほんとうはいまも、目の前を通過してゆく電車の車輪とおなじ目線になるようしゃがんでいるきみが、弾かれたようにそこへ触れるのではないかと、ひそかに思っている。
 学食のしょうゆラーメンが最期の食事になったら、どうするの。
 いや、学食のしょうゆラーメンも、おいしいのだけれど。
 夜空を見上げたときに思い出すのは、たいせつなことばかりだったりする。くるしい。生きていると、たいせつなものがふえてゆく。もし抱えきれなくなったとき、ぼくはそれを放り出さないでいられるだろうかと考えて、やがて考えることを放棄する。きみが死ななければ、それでいいのだと思うんだ。

朝の水族館がきれいだといい

朝の水族館がきれいだといい

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-01-12

CC BY-NC-ND
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