茸鍋
茸不思議小説です。縦書きでお読みください
寒くなってきた。茸の季節である。祖母がはじめて九州に行ったときに買ったという、古い土鍋がある。茸鍋にするため、流しの上の収納庫からその土鍋をとりだした。この素焼きの土鍋は外側を見ると、何の変哲もないものだが、内側に松茸が三本描かれている。誰が描いたのかわからないがなかなかリアルで、水を入れると水の中にコロンと本物が入っているような目の錯覚を引き起こす。ちょっと面白い土鍋である。生活がきつかった祖母は、松茸など口に入らなかったのだろう、旅行の土産に、せめてもと松茸の絵の描かれた土鍋を買ったのだ。生活背景はちょっと寂しいような話だ。
ここ何年も使うことがなかったが、マーケットに並べられていた茸鍋セットを見たら、ふっとこの土鍋のことが頭に浮かんできた。萩にすんでいる頃は、両親がいて、たまに使ったが、亡くなってからは、東京に一人ででてきたこともあり、なかなか使う機会がない。
マーケットから買ってきた茸鍋セットの封を切った。占地、舞茸、椎茸、榎茸がきれいに並べられている。最近は培養技術が発達して、すべて室内で生産されたものだ。昔では考えられないようなことだろう。安くて栄養価も高い培養茸は料理には欠かせない。自然ものと比べると均一化されていて、ちょっと味気ない気もするが、いつも茸が手にはいるのはありがたい。
テーブルの上の卓上コンロに土鍋を載せた。水の中にひとかたまりの占地、舞茸、榎茸、椎茸をいれた。白菜と鱈の切り身を入れようと、土鍋の中を覗いたときである。茸が水の中でワサワサと動き出した。どうしたんだろうと見ていると、買ってきた茸たちが身を寄せるようにして集まり、いくつかの固まりになった。
茸たちの間から、松茸の絵が目に飛び込んできた。茸たちは松茸の絵のところを避けて集まったのだ。偶然にしても面白い。
さらに、白菜と鱈の切り身を入れ、豆腐を加えた。すると、豆腐も白菜も鱈も松茸の絵を避けるようにして集まった。そのときは深く考えることもせず、コンロを点火して、できあがるまで小田原みやげにもらった烏賊の塩辛で一杯始めた。うまい塩辛だ。
テレビをつけると、ニュースで東北地方の茸の豊作を伝えていた。次は天然ものを買ってこよう。そう思って、鍋の中を見ると、またしても松茸が目に飛び込んできた。鱈も白菜も松茸の絵をよけるようにして、泡に揺られ始めている。
テレビの画面には茸狩りの様子が映し出されている。赤い奇麗な茸を指さして、これは食べられるおいしい茸だということを案内人が説明している。同行のアナウンサーが、えーこんな真っ赤なの毒じゃないですかと騒いでいる。卵茸である。民放はわざとらしくていやだ。
鍋の中では煮立ってきた茸がぶくぶくと揺れている。椎茸を箸で摘むと、まだ松茸のところだけ空いている。どうしてか、そのときはちらっと思ったが、ともかく食べることが先で、ポン酢につけて椎茸を口にいれた。培養ものでも旨い。鱈の身、榎茸、白菜、舞茸みな旨い。
具が少なくなった鍋の中をのぞいたとき、やっぱり松茸が目に飛び込んできた。箸で残っている椎茸を松茸の絵の上に移動させてみた。すると、椎茸がいやがるようにするっと松茸の絵の上から逃げてしまう。白菜を絵の上に載せてみた。やっぱりするりと逃げた。小さな鱈の崩れた身をのせても同じである。箸の先で絵の部分に触れてみると格別飛び出したり凹んだりしてるわけではなく、飛び出して見えるのも、他のものが松茸の絵を避けるのも、絵に仕掛けがあるようではなさそうである。
そのとき、テレビで臨時ニュースが入った。桜島が赤い溶岩を吹き上げて、黒い煙を吐いている映像が映し出された。今年はいろいろな火山が爆発して、日本は火の国でもあることを思い出させられた。地震も多い。
自分の目はそちらに釘付けになり、土鍋のことを忘れていた。
ニュースはいつものオレオレ詐欺で何千万もだまし取られた事件に戻っている。よく払う金があるものよと、また土鍋に箸を入れ、残りの茸を食べた。
後はおじやにしよう。
台所からご飯をよそってきて、土鍋に入れた。そこでも不思議なことに、松茸の絵が浮き上がってきた。米粒がみんな絵のところから逃げてしまうのである。グツグツ煮えてきても同じである。卵をとじて落としてかき混ぜると、一時松茸の絵が消えるが、かき混ぜるのをやめたら絵が浮き出てくる。
ままよと、おじやをよそって口に入れたとき、松茸の香りがぷーんと香ってきた。なんていうことだろうか、松茸おじやになった。気分でそうなっただけなのだろうが、ともかく、おじやも美味しく食べることができた。
久しぶりに飲んだ日本酒のせいでそんな気分になったのかもしれない。
それから二ヶ月たった年の瀬のことである。仕事も一段落して、土曜日はいつもなら誰かと飲みに行くのだが、今日は相手もおらず、自宅ですき焼きにする気になった。材料を買ってマンションに帰り、土鍋を出したときに、茸鍋のときのことを思いだした。
ちょっと奮発した牛肉に豆腐、白滝、葱、白菜をほどほどにいれ、すき焼きの垂れを使って火にかけた。
できるまで、キッチンの小さなテレビをつけて、バタピーでビールだ。
ほどほどのところで、鍋をのぞいてみると、また、土鍋の底の松茸が浮いて出ている。白滝も、牛肉も、白菜も、豆腐も、みんな松茸のところをよけて、お互い重なったりしている。不思議なこともあるものだ。
土鍋をのぞいていると、テレビに緊急速報が入った。熊本で大きな地震のようだ。熊本城から白い煙のようなものが立ち上っている。どうも煙ではなさそうである。なんと震度7の揺れである。大変なことになった。
そう思いながら、土鍋の松茸のことは忘れて、卵を割って食べる用意をした。
こんな大変なときに、すき焼きなどを食べてていいのかと、訳の分からない呵責感にとらわれながら、牛肉を卵の中につけて口に運んだ。
テレビに釘付けになりながら、黙々と食べているとき、ふっとこの土鍋は祖父が湯布院で買ったことを思い出した。大分県の方もかなり酷いようである。
鍋をのぞくと、中身はもうほとんどなくなっている。豆腐と白滝がちょっと端に寄っているだけである。
箸で白滝を真ん中の方に寄せて摘もうとしたところ、白滝が松茸の柄の上からすっと、端によった。それは何気なくつまんで食べてしまったが、次に豆腐を寄せたところ、豆腐もぴょこっと、松茸をよけて端によった。
なんだこれは。物理は嫌いでよくわからないが、絵のところが箸で触っても判らないほどかすかに盛り上がっていたりすることで、水の流れができて、中のものが動いてしまうのだろうか。と、珍しくその原理などに考えが及んだものだから、ちょっと得意になって、それで終わってしまった。
なんだか面白い土鍋なので、今度仕事仲間を呼んで鍋宴会でもするか。そう思って、テレビを見れば、熊本の放送局内の様子を映し出している。大変な揺れである。
熊本城の石垣が崩れている。屋根の瓦や鯱が落ちている。
大変な惨事になった。きれいな湧き水が枯れ、水で有名だった阿蘇の観光名所も壊れてしまった。水がなくなったことで、そのあたりの水田が干からびてしまい、田植えができない。
そうして一週間、あちこちで義援金の募集が行われている。会社の方でも募金があったのでいくらかの寄付はした。駅に行けば必ず寄付してくれとボランティアがよってくる。すべてのものに応じていたら破産する。ボランティアで現地に行って手助けをするなど、いくら気持ちがあっても、仕事を休めば生活に響いてくる。
せいぜい熊本や大分の物産を買ってあげよう。そうだ、それで鍋宴会だ。ということに思い至り、土曜日に、二人の若い同僚に鍋をしようと声をかけた。
その日は、辛子レンコンや、熊本で作られた糸蒟蒻、野菜類を買って鍋の用意をした。九州の海産物をつかった海鮮鍋である。高級な三匹の大きな海老も買った。このように立派な海老は滅多に食べることはできない。それだけでは足りないだろうと思い、熊本の牛でつくったローストビーフを買った。若い彼らはあまり日本酒をのまない、それでちょっと奮発して、九州の地ビールを沢山買って冷やしておいた。
会社の人を家に呼ぶのは初めてのことである。
「先輩、いいところにすんでいますね」
一人の後輩が部屋を見渡して言った。彼らは私より十歳近く若いのだが、子供が二人もいる。
「この年で一人ものだから、住まいにちょっとは金掛けられるからね、だけど一人で老いて、いずれ特養ホームだ、君たちは子供が面倒みてくれるだろう」
「先輩は結婚しないのですか」
「もういいね」
「え、結婚してたのですか」
「うん、十九の時にね」
「別れたんすか」
「うん、事故でね、死んだ」
「すいません、余計なこと聞きました」
彼らは買ってきたおつまみを私に渡した。
「大したものはないが、今日は、家のことを忘れて、たくさん飲んでいけや」
二人は大きくうなずいた。
用意していた鍋に火を入れ、まずビールで乾杯した。
「大分のビールですね」
「うん、ちょっとした協力さ」
「我々が買ってきたのも熊本のおつまみですよ」
馬刺しの燻製やからし高菜である。
「ローストビーフも熊本の牛だよ」
「熊本パーティーですね」
彼らは鍋の中をのぞいた。ぐつぐついいはじめた。
「うまそうな海老や魚ですね」
「それも、熊本産だ」
「松茸もそうですか」
一人が私の顔を見た。鍋の底の松茸の絵が浮き出て見える。海老や鱈や豆腐が、みな松茸の絵をよけている。
「いや、よく見てくれよ、鍋の底の絵なんだよ、海鮮に松茸は入れないだろう」
「え、これ絵ですか、浮いて見えますよ」
彼はビールを飲みながら、箸で松茸の絵をつついた。すると首を傾げながらちょっと不思議そうな顔をして、
「ほら、箸で摘めるじゃないですか」
そういいながら、箸を鍋から持ち上げると、松茸を私の前につきだした。
「いい匂いだ、もう食べられるようですよ」
彼はそういって、ポン酢に浸してかじった。
「いいな、あ、ここにもある」
もう一人も箸で松茸をつまみ上げると口に運んだ。
「ビールも美味いですね」
どうなっているのだろう。あたりには松茸の匂いがプンプンする。
「海鮮鍋に松茸もいいじゃないですか、ここ何年も松茸なんか食べたことないですよ、熊本の松茸じゃないでしょうね」
彼らは旨そうに松茸を食べ終わった。
私が無言でいると、「ほら、先輩、もう一本あるじゃないですか」
一人が松茸を挟んで、私のポン酢にいれてくれた。
やっと正気に返って「あ、すまん、九州のなんだよ」
と思いついて言いながら、私も松茸を食べた。おいしい松茸で、ポン酢で食べることなどしたことがない、焼いて食べた方がよかったかもしれない。
「さっき、先輩は松茸の絵と言ったけど、ほら、この土鍋の底には海老の絵があるじゃないですか、海老が絵だったのですね」
のぞいてみると、三匹の腰の曲がった海老が描かれている。買ってきた三匹の海老は鍋の中から消えている。なにが起きたのかわからないが、絵が入れ替わっている。
「絵の海老は高級な海老ですよね」
「そういえば、海老を買い忘れたよ」
私はごまかした。さらに、
「この土鍋はね、先祖が貧しくて、海老など食べることができないので、せめて、海老の絵のある土鍋を買って、野菜だけ煮て食べてたという話なんだ」
「へー、古い土鍋なんですね、でも先輩はそんな心配ないじゃないですか、会社で今の地位までその若さで上り詰めているのだから」
「十九で結婚しただろう、大学時代だよ、それで最初は親には反対されていたしね、当時はアルバイトもよくしたけど、逆に勉強は一生懸命にやったよ」
「だから、今のポジションがあるんだ、俺なんか、大学はただ出ただけ、何にも勉強しなかった」
「俺もだよ」
「まあ、いいじゃないか、大学のことは、これから今の会社をみんなでもり立てれば、給料も上がるよ」
「そうっすね、頑張りますから、先輩よろしくお願いしますよ」
その日の鍋は海老なしになったが、楽しい鍋の会になった。不思議な出来事である。
次の日の日曜日、もうすっかり忘れていたところから電話がかかってきた。関西の大きな都市の警察からである。大学は関西の大学に行っていたこともあり、結婚生活もそこでしていた。
「しばらくですね、お元気ですか」
ずい分久しぶりだが、声の主はすぐわかった。刑事の声である。
「はい、おかげさまで、落ち着いて生活しています」
私はそのとき、なぜ刑事が電話をしてきたか気がついた。電話口でも刑事にはそれが伝わったようだ。きっと、わたしが一時、声を詰まらせたからだろう。
「あの犯人が、一週間後出所します、一応お知らせしておきます、あいつの家は東京なので、そちらに戻ると思います」
そう言って、東京の住所と電話を伝えてきた。
実は、家内は大学の同級生で、やはり同級生の男に殺された。無理矢理体を奪おうとして、ナイフを持って近づいた。拒否した妻は逃げ、最後は大学の窓から落ちて死んだ。男のナイフをつかんで手は傷だらけで、無惨な状態だった。私たちはその同級生とはむしろ仲のよい方であり、飲みに行ったりもしていた。まさかそんなことをする奴だとは思ってもいなかったのである。警察に捕まったそいつは、たくさんの余罪があった。犠牲者の中には自殺をした者もおり、情状酌量の余地なしで、懲役十五年を言い渡され、服役していたのだ。それが一週間後にでてくると言うことだ。
関わりたくない、と言うのが本音である。あの当時、死んでしまった彼女を忘れるために猛勉強したのだ。
「刑事さん、ありがとうございました」
「いや、これも勤めなので、やなことを思い出させてしまったのかもしれませんがすみません、何かあったら電話ください」
この刑事さんは人情味のある頼りになる人だった。若かった私は相手を殺しかねないほど狂っていた。それをなだめてくれたのが、その刑事さんだった。
もう忘れたと言っても、そういう事実が分かると、やっぱり頭の隅に犯人のあいつの顔が浮かんでくる。
しかし、それからも、しばらくは生活に変わりがなかった。
年が明け、寒い冬が終わろうとする頃、また後輩の二人が、鍋パーティーをしようと、言ってきた。よほどいごこちがよかったのだろう。
今度はすき焼きにした。買いそろえて、彼らが来るのを待った。前回のように彼らもつまみを抱えてきた。
「先輩のところは気が休まるし、下手な居酒屋より本当においしく飲めます」
「違う違う、上等な料亭より酒が旨い」
などとお弁チャラを言っている。いや、まんざらお弁チャラでもないのかもしれない。確かに気の置けない相手なら、そいつの家で飲む方が安いし、好き放題な話ができるのだろう。
熊本牛を突っつきながら、会社の上役たちの噂話である。やがて家庭の話になり、これからの身の振り方の話になる。いつも同じなのだが、これがストレス解消になるならいいだろう。
「あれ、この土鍋は前のと違いますね」
一人が鍋をのぞき込んで言った。みると、海老の絵ではなくて、椎茸の絵になっていた。椎茸が浮き上がって見える。
「それに先輩、すき焼きに海老って言うのは初めてですよ」
彼は牛肉の脇で煮えている大きな海老を箸でつまみ出した。前買った海老だ。絵になってしまったはずなのに、今度は椎茸が絵になってしまった。
「土鍋を二つ持っていてね、海老は前、買い忘れたから、ちょっとこれに入れてみた」
と、いい加減なことを言ってごまかした。二人とも海老の殻をむいて、溶き卵につけて食べている。
「へー、以外といけますね、先輩は結構新しいことを試してみる方なんですね」
なにが起きたのか考えてみた。椎茸を買い忘れたのだが、冷蔵庫の野菜室に三つ残っていたのでそれを入れたのだ。それが絵になった。前は三つの海老が絵になった。とすると、三つの物が入れ替わるのだろうか。
そんなことを考えながら、彼らのグチにもつきあい、彼らは満足して帰っていった。
そうしてまた秋を迎えた。
その日、ふたたび関西の刑事さんから電話があった。
「また、電話をしてしまいすみません、お元気ですか」
「はい、あいつからは連絡はありません」
「ええ、それはいいのですが、こちらから、一応お伝えしておこうと思うことがありまして」
刑事さんは一人の女性の名前を言った。
「ええ、うちの会社に、その名前の子はいますが」
「そうですよね、どうもあいつがその女性と一緒に住んでいるようなんですよ」
「また、どうして」
「偶然だとは思います、だから犯人は女性の上司があなただということは知らないと思います」
「あの子は田舎からでてきて、まじめによく働くいい子なんですよ」
「あの男は女の扱い方がうまいから、まじめな子ほどだまされますから」
「それじゃ、わたしから、付き合うのを止めるように言いましょう、殺人犯だと言って」
私はちょっと頭に血が上るのを感じた。
「それはまずい、殺人犯でも人権を守らなければなりません、逆に訴えられて、慰謝料などを請求されかねませんからね、一応、罪を償った人間だから」
「わかりました」
「あの、無茶なことはなさらないでください、何かあったら連絡ください」
「連絡いただいてよかったと思います、ありがとうございました」
私はまずやってみようと思うことが頭に浮かんだ。
あくる日である。
会社でその女の子に声をかけた。
「最近嬉しそうだね」
彼女は恥ずかしそうに、だけど目を輝かせて私を見た。
「結婚することになったんです」
「それはおめでとう」
「いつ頃に」
「まだ、これから予定を立てるのですけど、彼の仕事の関係で、一年後ぐらいになるとおもいます」
「そう、ご両親は喜ばれたでしょう」
「実はまだこれから言うのです、彼の両親にも会っていません、ご両親はアメリカに住んでいて、大きな仕事をなさっていて、日本にしばらく帰ってこれないそうなんです」
彼の両親は離婚して、父親は北海道に、母親は病気で亡くなっているはずだ。
「彼はなにをしているの」
「その貿易会社の部長さんをしていて、忙しいみたい、彼もアメリカに住んでいるのですけど、日本での仕事のため、一時帰っているのですって、ホテルに泊まっていたのですけど、今私のマンションにいるんです」
完全にだまされている。
「そう、ともかくよかったですね、お祝いに食事にでもお二人を誘いたいんだけど、それは結婚が決まってからにするよ、そのかわり、おいしい鍋セットをあげましょう」
「え、そんな、嬉しいけど、お気持ちだけで」
「いや、知り合いが高級鍋セットを売っているのがいて、そこのすき焼きセットはとてもおいしいんだ、二人分を今度持ってくるよ」
彼女は嬉しそうにうなずいた。
ここに、犯人が脅したナイフを妻が鷲掴みにした時、切れて落ちてしまった三本の指がある。私が処分するからと、刑事さんに無理をいって、渡してもらったである。普通ならどうなのだろう、きっと、遺体と一緒に火葬に賦されるか、ホルマリンにいれ証拠品として保存されるのか知らない。きっと私の狂気をなだめるために、写真など撮った後に、渡してくれたのだろう。
私の家に仏壇はないが、彼女が大事にしていた宝石箱に入れてある。特殊な防腐処置をしてある。もちろん結婚指輪も入れてある。
私は三本の彼女の指を取り出して、お湯を煮立てた土鍋に入れた。
しばらくすると、椎茸が浮かび上がってきた。箸で椎茸を取り出すと、土鍋の底に妻の指が絵になっていた。ちらっとみただけではなんだかわからない。
その土鍋をきれいに洗うと、布に包み、箱に詰めた。椎茸を三つと野菜類、糸こんにゃく、最上級の松坂牛などを買いそろえ、少しかさばるが、手提げに入れて会社に持っていった。
「二人で食べてね、いい肉だよ、この土鍋はサービスにくれたんだ、使ってよ」
「ありがとうございます、早速今日にでもいただきます」
彼女はとても喜んだ。
さーどうなるのだろう。牛肉や白滝の間から浮き出た妻の三本の指は、あいつにどんな反応を引き起こすのだろうか。あいつのことだ、きっと怒るだろう。こんなもの入れやがってと言って。彼女をしかりつけるか、もしかすると、なぐるかもしれない。そうなれば、彼女の方から、彼を遠ざけることになる。そうなればしめたものだ。
次の日、彼女はどんな顔をして会社に来るのか。
そして次の日になった。会社に行くと、彼女はもう出勤していた。私が席に着くと、近寄ってきて、にこにこしながら言った。
「とても美味しいお肉でした、あんな上等な牛肉食べたことがありません、彼もそういっていました。それに彼は骨付きの鳥肉がとても美味しいって喜んでいたので、全部彼にあげました。すき焼きに鳥が入っているなんて珍しいと言いながら、骨までしゃぶっていました。ありがとうございました」
私はそれを聞いて、青くなった。
なんだ、あいつは、妻の指まで食っちまったのか。しかも、鳥だといいやがった。
「あの、椎茸の絵がある土鍋も古びた感じでとても好きです」
彼女はそういいながら、自分の席に戻った。
憤りよりも、世の中にはいろいろな人間がいることを改めて感じた。全く喰えない男だ、それに人を喰っちまうし、何をしたら懲りるのだろう。
私はただただため息をついた。また何か考えなければならない。
茸鍋