空席:その傷が模範解答?
痛みに気づいて、初めて間違いを知る。
空席:その傷が模範解答?
なんとなく気付いていたような気がする。私には妙に優しく繊細に。硝子の彫刻を扱うように、愛おしげな視線を向けていた。本当は、それを自覚するたびに、顔が熱くなった。自意識過剰かな、って誤魔化して、勘違いだよと言い聞かせて、この熱の意味を遠ざけていた。
「もしも、私が恋愛的な意味であんたのこと好き、とか言ったら、なんて返す?」
その言葉の意味を、よく知っている。どこか期待した言葉だったから。目を見開くと、照れ臭そうにあなたは笑うんだ。その笑顔が眩しくて視線を下げて、煩い心臓に一喝するけど、気持ちは正直で、火照る顔。どうにか殺す表情。大丈夫、私はちゃんと笑えてる。
答えを待つ間の互いの沈黙が、無音でなかったことに感謝する。体育館の床を跳ね回るバスケットボールのドリブル音なんて、今はよく聞こえないくせに。
でも、きっと、間違えている。
私はいつもわからない問題にぶつかったら模範解答を見て、どうしてその回答になるのかと考えながら、正しい答えを探す。どこか卑怯だと思ってた。間違えることが怖かった。不正解を突き付けられると、自分の選ぶものに確信が持てなくなるから。自分を信じるための手段として、模範解答に縋った。
そうやって、私はいつも正解を叩き出していた。だから、私が出した答えは模範解答。正しい答えのはずだった。
みんなそう言うだろう、回答。私を殺した、世間的なありふれた……ベストアンサー。
「へえ、気持ち悪いね」
あなたは、夢から醒めたような。そんな顔をしていた。
無理して笑うその表情が痛々しくて、そのとき初めて私は自分が間違えたのだと気付かされた。
「……**澤さん」
今まで名前で呼んでいたのを、あえて名字で呼んだ。自分に罰を与えたつもりだった。傷つける事を知っていた。でも、それ以上に私が傷付いたことは、あなたは知らないでしょうけどね。
あなたが傷を隠すように笑う。ごめんね、とは言えなかった。バスケットゴールにボールを打ち付けるガコン、という音がやけに耳に残っている。断頭台にかけられた誰かの首が落ちるみたいに、ボールが床をバウンドする音も。ダアン、ダアンと、誰にも見えない鮮血を撒き散らして跳ね回る。私か。あなたか。どちらの流した血だろうか。
しばらくして、あなたが部活を辞めた。私が褒めた髪色を変えた。空を舞う小さな鳥のように、青みがかったような、艷やかな黒が綺麗だと伝えると、照れ隠しして、ケラケラ笑うけど、でも、すごく嬉しそうだった。あなたのその顔が好きで、何度でも伝えたのに。その髪色を変えたのは。逃げるようだと思った。それがあなたらしくて、何処か一層愛おしく感じた。
そのくせ、連絡先は削除されなかった。本当の意味で断ち切る勇気がないのも、あなたらしかった。あなたらしさを感じるたびに、胸が締め付けられる。
痛い。苦しい。それを誰に伝えていいのか。今までなら、日常の小さな痛みをあなたに伝えていたのにね。吐き出せないことが余計に苦しかった。鋭利で重たくて冷たいものが、胸の中に残っている。吐き出して、それを全部受け止めて、笑い飛ばしてくれたあなたの声を思い出しては、また鋭利な刃に心を裂かれるよう。
痛い。模範解答を選んだはずなのに。正しさを振りかざしたはずなのに。私は私の選択を信じていいはずなのに。痛む。
この痛みは、正しいのかな。
空席:その傷が模範解答?