異世界にて、我、最強を目指す。GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF

GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第1幕

 イタリア・ローマまでは乗り継ぎを要し、最速でも20時間近くかかる空の旅だ。
 また窮屈な思いをするのか、とへこたれ気分だが、ローマが最終本選地となるのだからそうそう凹んでも居られない。
 同化魔法事件も解決したし、飛行機に乗っても目眩(めまい)はしないはずだ。
 事実、広瀬を紅薔薇の中庭で葬ってから、俺の体調は良好を保っていた。

 イタリアへの出発組は、羽田を発ち北京で乗り換えてからローマに入ることになっていた。外からの客人を自国に入れようとしない北京共和国。なぜ北京の空港を乗り継ぎ空港にしているのか、乗り継ぎは別のとこが良かったなどど、逍遥は後ろでブツブツいってるが俺たちのチャーター機ではないのだからしょうがない。
 ただ、俺も北京では買い物しなかった。免税店だって、何が売ってるかわかりゃしない。
 
 数馬曰く、この空港が外貨を得る最大の要所なのだそうで、通訳を申し出てくれたのだがなんとなくその気にはなれなかった。

 そういえば、GPSに中国関係者は来ていなかった。
 中国と言っても、北京共和国と香港民主国に分れているんだった。
 どちらの国でも、魔法はどういった形でか制限を加えられているのだろうか。
 それとも、このようなお祭り騒ぎには参加しない方針なのかもしれない。

 最初に言っておくべきだったのだが、アジアで参加しているのは日本、台湾、シンガポール、マレーシア、オーストラリアと香港。お隣の韓国は参加していない、それなりの魔法師がいそうなものだが。

 トルコは宗教の関係からか中東に分類されていて、イスラムの宗教上、魔法は神を冒涜する偽の行為であり、許容の範囲を超えているとのことで、地下組織が細々と魔法訓練を行っていると聞いた。
 魔法部隊のような機関が無くて有事の際はどのような体制をとるのだろう。
 神に祈っても食べ物は落ちてこない。
 落ちてくるのはミサイルだけだ。


◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇

 がんじがらめの飛行機の旅を経て、俺たちはやっとローマの地に降り立った。

 ローマ。 
古代遺跡のコロッセオ(コロッセウム?)、昔の映画で見た真実の口やトレヴィの泉。バチカン市国にあるサン・ピエトロ大聖堂システィーナ礼拝堂とバチカン美術館など、かかる地の見どころは満載らしい。
街全体が美術館と言っても過言ではない程の古代建築物。
 戦争で焼失しなかったのが何よりだと思う。
イタリアの世界遺産登録数は世界一だというから、いかに古代中世から世界の中心地であったかがわかる。
 
 ここ、ローマでの宿泊先はウエスタン系列のホテルらしい。
 日本にいたとしても中々宿泊することのないホテルが多いので、俺はホテルライフさえも満喫していると言っていい。

 自分がなぜこの地に降り立ったかさえ忘れようとしている俺に向かい、数馬が前に回ってきて、両手を右肩付近に伸ばし右耳を千切らんばかりの行動に出る。
 数馬のやつ、こりゃ、本気だ。
「わかった、わかったから」
 俺の腹の中を読んでいる数馬は、深い溜息を洩らしながら俺を右手の人さし指で指さした。
「わかったならそのよだれが出そうな顔は止めて、ほら、チェックイン」

 数馬ほどドライなサポーターもいないのではあるまいか。
「僕がドライサポーター第1号になればいいだけの話じゃない」
ほら、また読心術。
「顔はアイドル顔で優しそうなんだけどなあ、数馬は」
「持って生まれた顔と持って生まれた性格だから」
「まったく。亜里沙や(とおる)もいざとなると傍にいないし、嘘つきばっかだ」
「そう?なんだかんだ言っても君の傍にいるじゃない」
「空港とかで挨拶するくらいは傍にいるとは言わないの」
「シスコンやブラコンでもあるまいし」

 シスコンブラコン扱いされたのは今回が初めてで、あの逍遥(しょうよう)でさえそこまでは言わなかった。
数馬よ、君のある意味冷酷さ漂うまでの鋭さには溜息しか出ない。
 でも、言われて見れば俺は自分が一人っ子だったのも手伝って、亜里沙や(とおる)を兄弟姉妹のように思い続けてきたように思う。
 あいつらにしてみれば俺の思いを知っていたかどうかまでは分らないけど。

 今回も、亜里沙も(とおる)もローマにはまだ着ていないようだ。
 数馬が後ろから急かすのだが、ホテルのフロントまでキャリーケースをガラガラ引きながらのっそりと歩く。
 ブルーがかった瞳と茶色の髪の毛。そして白い肌に外国人らしい目のくぼみ様。そんな風貌のフロントのお兄さんは、人懐こい笑みでにこやかに俺たちを出迎えてくれた。
「お荷物お預かりしましょうか?それともお部屋に直行されますか?」
 なんと、驚いたことに流暢な日本語を操り話しかけてくる。
 
見るからに日本人ではないその姿を前にして少し焦ってしまった俺は、英語はおろか日本語すら頭に中に浮かばず、何も口にすることができなかった。
「あ、あの、いて、その」
 後ろから数馬が俺の前に出てきて、俺の脛目掛けて軽い足蹴りを食らわした。
「僕らは自分の部屋に行きたいので、キーをください」
「かしこまりました」
「日本語お上手ですね」
「日本で3年間、語学など勉強いたしました。何かお困りのことがあればフロントまでお尋ねください」
「ありがとうございます」

 数馬は2人分のカードキーを受け取りにっこり笑いフロントに良い青年像を印象付けると、フロントから見えない場所に立った瞬間、俺の襟首を持って引きずるようにエレベーターホールへと歩き出した。
 まさにドライサポーター、数馬。

 でも、俺たちの関係はこれはこれでいいのかもしれない。
 聖人(まさと)さんのような人がサポーターに就くと、俺は全てにおいて甘えすぎてしまう。
 逍遥(しょうよう)のように完璧に競技を熟せるならまだしも、俺のような半人前が人に甘えることの是非を考えれば、俺と数馬の関係は天秤が釣り合うような気がする。
 広瀬だったころの数馬は俺を甘やかし放題だったけど。
 試合の順位がどうあれ、俺に対してピリッと辛口評価をしてくれる数馬を半ばスゲエやつだと思うし、これからもそれでいい。

 数馬と俺は、廊下を挟んでちょうど向かい側に位置するよう部屋があてがわれていた。
 各自、カードキーを差し込み開錠したあと、荷物を部屋の中に入れ、数馬が俺の部屋に乗り込んできた。
 俺は少し寝たかったんだが、どうやら今回も時差ボケに苦しめられることになった。
8時間の時差ボケを解消するためにこちらの時間で夜になるまで起きていなくてはならないと力説する数馬。
 さて、鬼の数馬がどんな方法で俺を起こしていたかというと・・・。

 なんと、プロレス技、レスリングや柔道の技だった。

 俺はスポーツが得てして苦手だからプロレスを初めとした各種競技への造詣は全くと言っていいほど、ない。今、何の技をかけられているのかも、恥ずかしながらわからない。
 時差ボケ状態が解消されれば数馬の悪魔みたいな所業も解かれるのだと、俺はひたすら痛みに耐えていた。

 30分身体を動かし、10分休憩、30分・・・を3セット。
 その後はホテル内のレストランで軽く食事を摂り、特に空いてない腹にモノを満たし、部屋に戻って英会話を勉強した後、また身体を動かす。
イタリアは治安があまり良くないとのことで、生徒会から外に出ることは絶対禁止というお触れが出回っていた。
他の人達がどうしていたのかはわからないが、少なくとも数馬は時差ボケが早く無くなるまで只管身体を動かすよう強要してくる。

うーん、身体を動かせば動かすほど休憩時間に眠気が襲ってきて、俺は立ったまま、目を開けたまま寝そうになるんだが。
で、数馬の平手打ちが勢いよく俺の右頬に炸裂するという、いただけない展開となっている。
 早く次のステージへと俺を(いざな)ってほしい。
時計よ、進め。

 そうこうしているうちに、メインディナーの時間がきた。
 さらりとではあるが、2,3時間前に食べたばかりのお腹に何も入る余裕はない。
 数馬もそこは許してくれているようで、食事について強要はしなかった。
 俺は嬉々として野菜ジュースとイギリスパン、ポテトサラダを皿に取りトレイに置く。いつもなら数馬がメインディッシュを探すのだが、今日はその動きはない。

 腹八分目までいかない食事ではあったが、俺的には充分満足のいくものだ。
 隣では数馬がパスタ料理を頬張っている。イタリアならやっぱりパスタだよね。でも日本で見るスパゲティやマカロニとは違う。
 なんという料理かは知らないが、世界中回っている数馬だからその辺の情報収集はお手の物だろう。
 試合が終わったら、数馬おすすめの料理に手を出してみるとするか。

GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第2幕

食事を終えた俺たちは、何も話すことなくトレイを返却口に戻し食堂を出た。
 廊下の向こうから、アレクセイとサーシャが歩いてくるのが見えた。

 数馬が不敵な笑みを浮かべアレクセイを見ているのが横顔でもわかった。
「海斗、あの2人知ってるんだろう?紹介してくれないか」
「あ、うん。いいよ」

 俺は数馬を立たせたまま、アレクセイたちの方に走り寄った。
「やあ、アレクセイ」

 アレクセイは俺を直ぐに認識したようで、目尻にシワを寄せながら速足で俺の元に近づいてくる。
「海斗、調子はどう?」
 英語で話すアレクセイに対し、俺はいつものごとく日本語で返す。
「まあまあかな」
 そこに数馬が寄ってきた。
「海斗、こちらは?」
「ロシアのアレクセイだよ、向こうにいるのが同じくロシアのサーシャ」
 数馬はにっこりと好青年の顔を作りだし、右手を差し出した。
「君の演武はとても素晴らしい。お手本のような演武だね。どうやったらあんな結果を出せるのか不思議なくらいだよ」
 数馬の右手を握り返しながら、アレクセイはロシア語と思しき言葉で何か言っている。英語ではなかったから、たぶん、母国のロシア語だと思う。
 日本人にロシア語はわからないだろうという上から目線の表情に変わっていくさまが見て取れた。
 ところが数馬がロシア語で返事をしたものだから、アレクセイは目を見開き、あははと笑った。この笑いがどんな心の内を表してたのか、俺には見当もつかなかった。

 それから二言三言会話した後、お互いの手をもう一回固く握りしめ、数馬はその手を離した。アレクセイたちはバイバイといって手を振ると、食堂の方に向かって歩き出した。

「数馬、何話してたの」
「ロシアにいたことあるのか、って聞かれたからいたことあるよ、って返したのさ」
「ロシア語も話せるんだ」
「それなりにはね。それより海斗、君、彼の表情で何か気付かなかった?」
「上から目線の表情に変わったのは気付いたけど。結構ストレートに挨拶したからねえ、数馬は」
「そうか。僕のことは知らないんだな。何も情報が入ってない証拠だ。ところで、僕がなぜ彼に握手を求めたと思う?」
「挨拶でしょ」
「違うよ、彼の右手を調べたかっただけ」
「調べる?」

 俺が怪訝な顔をすると、数馬は俺の耳元に口を寄せて小さな声を出した。
「ありゃ、やってるかも」
「やってる?何を」
「禁止魔法」
「えっ!」

 数馬がシッと唇に指を当てる。
俺が驚いて数馬の目をみると、数馬は茶目っ気丸出しの笑みを浮かべたと思うと、次の瞬間にはきりりとその口を真一文字に結んだ。
「数馬、どうしてそう思うの」
「握手した時の握力がとんでもなかったのと、もうひとつ、右手の筋肉が異常に発達してた」
「どうするの、生徒会に行って話す?」
「いや、僕が感じただけだし、今、事を大きくすることは僕にとって本意ではない」
「どうして?」
「もしかしたら国ぐるみで禁止魔法を掛けていることもあり得るじゃないか。今僕たちが彼を挙げてしまったら、トカゲのしっぽ切りになってしまう公算が大だ」
「でも、このままじゃGPFもアレクセイが優勝して終わっちゃうよ」
「他の競技の状況も調べないと」
「『プレースリジット』は沢渡元会長が1位キープしてるから、禁止魔法はないんじゃない?『エリミネイトオーラ』だって逍遥(しょうよう)の独壇場だし」
「さて、どうだか。2位以下にロシアの選手が混じってるかも」
「どうしたらいいんだろ」
「海斗、君はこのことを胸にしまって練習に打ち込んでくれ。まだ誰にも話すんじゃないよ。僕はちょっと出かけてくるから」
 数馬は俺に練習用のソフトを渡すと、足早に廊下の向こうに消えた。
 たぶん、どっかに提訴する前に種目ごとの順位を調べるんだと思う。あとは、ロシアの出場選手の所属先も。魔法部隊の出身なのか、それとも一介の高校生なのか。


 禁止魔法か。
 禁止薬物同様、身体をボロボロにすると聞く。
 俺の周囲では今までそういう事例は無かったけど、数馬は様々な禁止魔法を見てきたのだろう。広瀬が抑え込んでいる数馬が言ってたのは、(あなが)ち間違いではあるまい。

 アレクセイといえば、前にガムもらったっけ。
 生徒会に持っていったはずだけど、あれ、どうなったんだろう。
 俺は禁止薬物入ってるのかと思ったんだけど。
 薔薇大学あたりで調べれば、禁止薬物がはいってたかどうかわかるのかな。
 俺にその後何も知らされていないということは、俺の勘違いだったのか。
 
 練習ソフトを手にしたものの、俺はちょっと気持ちが高ぶってしまって、今すぐには練習できるような心情ではなかった。
 

「海斗、どうしたの?」
 気が付くと、そばに逍遥(しょうよう)聖人(まさと)さんが立っていた。
 逍遥(しょうよう)が俺の手にあるソフトを指さし怪訝な顔をする。
「1人でソフト持って立ってるってことは、数馬どっか行ったの?」
 数馬はさっきのことを胸の中にしまっておいて、と言ってた。誰にも話すなとも言ってた。
「俺が前にロシアの選手からガムもらったんだけど、それに禁止薬物混入してたのか確認に行った」
 逍遥が上から目線で俺に問う。
「それ食べたの?君らしくもない」
「食べてないよ、でもなあ、あの時結構混乱してたからな」
「なんでまた」

 ああ、聖人(まさと)さんのことで悲しんでた時だ。
 まさか真実を言うわけにもいかない。
 俺は嘘をつくのが苦手なのに。

 嘘といえば、数馬は沢渡元会長に誘われて紅薔薇に入学し、馴染めなくて休学の末海外を放浪したと聞いた。
 でも、沢渡元会長は同化魔法事件のとき、数馬の顔を覚えていないと言ってた。
 なんか、話がクロスしてる。
 身体検査のときは数馬と沢渡元会長は顔を合わせているはずだから、沢渡元会長は数馬の顔を覚えていてもよさそうなもんなんだが。

 よくわからないな。
 ・・・わからないことは、考えない。
 俺が今考えるべきは『デュークアーチェリー』の練習であり、GPS最後の決戦であり、そこに至るまでの意味合いは、GPSでポイントを稼いでGPFへの出場権をもぎ取ることにある。

 でもやはり、少しでも疑問があるとそちらに脳ミソがもっていかれる俺。

 そうなんだよ、あそこで沢渡元会長、あるいは数馬が嘘をついても何もならない。
 数馬の話だと、沢渡会長は元々の数馬の顔を知ってて、紅薔薇に誘っている。
3年近くも前だ、顔なんておぼろげにしか覚えてなかったかもしれない。それに成長期だから顔だって変わってくる。
 そして今回呼び戻し面接をした際もその顔とさほど変わりはなかったから特に違和感を抱かなかったのだろう。
 万が一これがまるっきり違った顔になっていれば、頭の片隅にでも顔面不一致の記憶が残ったはずだ。
 
 広瀬は、そういったことも踏まえて面接の後に数馬に近づいたものと考えれば辻褄(つじつま)が合うか。
そうだよ、広瀬が数馬に同化魔法をかけたのは面接が終わってからだったに違いない。

黒幕だった広瀬がなぜ数馬の顔をそのまま残したのか、少しばかりその理由(わけ)が疑問ではあったけど、現3年は魔法科に優秀な生徒が集まっていて、若林先輩や千代(せんだい)先輩などの魔法技術科の生徒もいた中で、数馬の顔そのものを変えてしまったら気付かれるだろうし、不審に思われる危険性もあったのだろう。

 でもそしたら、なぜ俺の顔だけ変えたんだ?
 聖人(まさと)さんや逍遥(しょうよう)、サトル、南園さん。殆どの人が俺の顔の変化に気付いた。
公欠で休んでいた間に、急変したとしか思えない俺の顔。当時魔法部隊に駐留していたであろう広瀬が遠隔魔法でも掛けたか。
 

 俺がぼーっと考え事をしているように見えたのだろう。
 逍遥(しょうよう)が俺の頭のてっぺんに自分の中指を突っ立てている。
「海斗、何考えてんの」
「その前に頭の指、離してよ、逍遥(しょうよう)。いや、なんで広瀬は数馬の顔を変えなかったのに俺の顔は変えたのかなと思って」
「現3年の優秀さを知ってたこともあるし、現1年をバカにしてた節もある」
逍遥(しょうよう)の出た競技見てなかったのかな。サトルの才能に関しては、ほとんど知らなかったろうし」
「薔薇6までは団体戦だからね。なにより、宮城海音(みやぎかいと)は君に対し異常なまでの嫉妬心を燃やしてる。それは今も変わらないんだろう。となれば、ターゲットは自ずから君となる。そして僕の還元を受けようとしていたわけだから、僕に直接同化魔法をかける気はなかったんじゃないかな。ね、聖人(まさと)

 聖人(まさと)さんはタバコを吸うように人さし指と中指を口に近づけるような仕草をしながら俺たちを見ていた。
「俺も現1年の魔法技術について聞かれたことはない。広瀬は昔から必ず自分で情報収集するやつでな、俺には一切聞かなかった。自分の思ったように情報収集が進むと、いつ何時でもニヤニヤ笑って、1人悦に()ってたものさ」
 逍遥は俺の頭から手を離し、聖人(まさと)さんの話に聞き入っている。
「情報収集に長けてたのか。だから大前(おおさき)のことも直ぐアンテナに引っかかったわけだ」
「たぶんな」
「そして大前(おおさき)を絡め取り、最大のターゲットである海斗の元に近づく機会を狙ってた、と考えるのが合理的だ」

 俺が考えてたのは、何で俺の顔は変えるつもりだったのかなということだったんだが・・・。
第一、 顔変えたら逍遥(しょうよう)が俺だと気付かないじゃないか。

「ああ、それは君が前に思った通り、広域魔法で君の新しい顔を八朔海斗(ほずみかいと)と認識させるつもりだったんだろう。普段会わない人なら、成長して顔が変わったと思ってお仕舞だろうしね」

 もう、今更読心術のことなど考えてもまた逍遥(しょうよう)は能書き垂れるようなものだから、その辺はスルー。
 案の定、逍遥(しょうよう)はそのつもりでいたようで、腰を曲げて俺の方に顔を近づけてたが、俺が何も口にしないものだから呆気にとられていたようだった。

「さ、いくぞ。お喋りは今夜宿舎でやってくれ」

 聖人(まさと)さんは逍遥(しょうよう)を引きずってグラウンドの方に顔を向ける。
 逍遥(しょうよう)はといえば、投げキッスを何度も俺に向け飛ばしてくる。
 
 うっ、逍遥(しょうよう)、俺にそんな趣味は無い。勘弁してくれ。
 
 俺は暫し一人になったのだが、数馬は練習しとけと言ったわけだから、何もしないでいたらまたプロレス技のお仕置きが待っている。
 ここは一心不乱に競技と向き合うべきか。
 
 俺はそのままアリーナへと向かい、ソフトを使って練習を始めることにした。
 しかし・・・。
ソフトの使用方法が今一つわからず、俺は悪戦苦闘を繰り広げた。
まず、スイッチの入れ方がわからない。これではソフトが起動しないわけだから、練習も何もあったもんじゃない。

どうしよう、数馬が来るまで待つべきか。
“このままソフトをぶっ壊したらお仕置きだけでは済まないだろう。やめちゃえ、練習なんか”と俺の中のミニ悪魔が甘い誘惑を仕掛けてくる。
 一方、ミニ天使は“ソフトを使わなくても出来る練習があるじゃない。姿勢を保つ、体幹を強くする、考えて色々試せばいいのに” と釘を刺す。

 悪魔の囁きに傾いたり、天使の呟きにハッとしたり。
 それでも俺はどちらも選べずにいたのだが、ついに悪魔と天使を乗せた天秤は釣り合わなくなりカターンという小さな音が俺の脳の隅で鳴っていた。

 俺は指先を震わせながらソフトの箱を持ったまま、アリーナからその身を隠そうとしていた。
 悪魔の勝利だ・・・。


 誰の目にも留まらないように、そーっと静かに音を立てないように一直線に歩く。
 アリーナ出入口まで来た時、誰も見ていないのを確認するため、ヒョイと後ろを振り返った。
 よし。誰も俺には気付いてないようだ。
 俺はそのまま後ずさってアリーナを出るはずだった。
 そう、そのはずだったんだ。

 出入口から外に出ようと後ろ向きに歩いてた俺。
 途端に、ドン!と何かにぶつかった。
 人ではない。何かこう、柔らかいもの。
 左手で背中を探った。
生ぬるい。
なんか蛸みたいな感じで吸盤に吸いつけられているような、ぬるぬるした感触に感じられ、これはいったい何だろうと後ろを振り向こうとするが、肝心の首が動かない。
どうしてだ?

もう一度、身体に渾身の力を込めて後ろを向こうと首を動かした。
なぜか、俺は金縛りにでもあったように全身が動かなくなっていた。
「何をしているのかな?海斗くん」

まずい・・・。
数馬だ・・・。

「数馬?俺練習しようと思ってたら身体に力入らなくて。一度グラウンドに出て走ろうかなと・・・」
「嘘つかないの。さっきからずっと見てたよ。ソフトのスイッチ入れられなくて、痺れ切らして練習止めたんでしょうが」

 あ、見られてた。
 最悪のパターン。

「で、数馬は何してたの」
「話を逸らすでない」
「気になってさー」
「ま、それは分らないでもないな」

 途端に身体の反発力が抜けたというか、さっきまでの金縛りから解放された俺は回れ右しようとして、足下で何かにけつまづき転んでしまった。
「いでっ」
「普段は共通語なのにいざとなると東北訛りになるね、君は」
「大きなお世話だ。東北訛りで何悪い」
「僕は各地の方言や言葉のイントネーションの違いが好きでね。例えば君の住んでたリアル世界では、“くず”の3段活用とでも言うべき言葉が存在するんだ、まるで中国語だよ」
「くず?ああ、屑と靴と口か」
「地元民は違うな、すぐわかった」
「馬鹿にしてんの?」
「決してそんなことはない。愉しいもんだよ、同じ日本語でも各地で違う言い回しになるんだから」
「数馬はどこの出身なの」
「僕はロサンゼルス。日本の東京に来たのが15歳の時。そこで沢渡と会って紅薔薇に入学した」
「だから英語はネイティブなのか」
「話しやすいのは確かだね。で、海斗。僕らは語学のお勉強するためにここにいるんじゃない。わかってるね?」

 俺の口元は引き攣ってしまい、イエスやノーさえ言葉に出来ない。
「ほら。なんで君がぬるぬるした物があるなと認識したかというと、これだよ」
 読心術者・数馬が俺に見せたのは、バランスボールだった。
「これで体幹を鍛えるトレーニングができる」
「これってどっから持ってきたの」
「横浜から」
「でも飛行機の荷物になかったよ、こんなの」
「簡単さ、横浜まで戻って取ってくればいいだけ」
「戻る?」
俺の腑抜けた表情が余程おもしろかったのだろう。数馬はあっはっはと大きな声で笑い出した。

「いや、ごめん。君のことだから色々考えてしまうだろうね。僕は移動魔法で一度横浜に戻っただけ。一度戻ると色々仕事押し付けられるから、早々にお暇したけどね」

 いや、考えるというか、頭から花火が上りそうな勢いで驚いてる。
 俺も移動魔法そのものは1回くらい使ったことあるけど、リアル世界からこっちに来る時に一度。それも恣意的に使ったくらいのもので、やったら何となくできただけ。
何百キロも離れた場所に狙いを定め、瞬時に移動する魔法なんて誰も教えてくれない。

「逍遥たちは徐々に教えるつもりだったんでしょ。気にしない気にしない」
 いや。気にするよ。
 数馬の魔法力は、本当に人並みなのか?
「もちろん、人並み。それなりにしか使えないよ。今回の魔法競技だって僕が出たら高順位は狙えない」
「そうなの?使えてたら、魔法科に入った?」
「僕の時は沢渡以下、優秀な生徒が多かったんだ。僕なんぞ足下にも及ばなかったよ。若林とか千代と気が合ったのも手伝って、魔法科は諦めて魔法技術科に入ったんだ」
「でも海外放浪を選んだんだよね」

 ふっと遠くをみるような、宙を舞う数馬の目。その時々の場面を思い返しているのだろうか。もしも思い出したくないことがあったら、済まない、数馬。
「全然。僕はいつでも自分のやりたいようにやってきたからね。さ、もう練習に入ろう。身の上話はまた今度」


 数馬から手渡されたボールは結構大きくて、辛うじて両手に収まるほどだった。
 でも適正な大きさがあるという。
 まず、座って足裏全体がつくかどうか。あとは、足裏つけたままで90度に膝が曲がってるかどうか。なんとかこれもクリア。
 
よくTVとかブログで見てたから、扱いは簡単だと思っていた俺は、訓練方法も何も聞かないで直ぐにバランスボールにヒョイとケツを乗せた。
だが、猫背の俺がバランスボールに乗っかると、すぐにゴロンとひっくり返ってしまう。俺の運動神経のなさがモロに出た。

 そこで数馬は手本を見せてくれた。
 背筋の伸びた綺麗な姿勢で腰かけると、バランスボールは安定する。そのまま腰かけていると、自然と、なんだろう、下腹部に力が入っているのが見て取れる。腹筋運動の代わりにもなっているのかもしれない。

 奮起を誓った俺は恐る恐る、バランスボールに再挑戦する。
 ゆっくりと自分のケツの下にボールが来るように座るのだが。
ゴロン。
ゴロン。
やっぱり落ちる。
簡単そうに思ってたわ、TV画面観て。
あれって高等な運動神経の持ち主が乗るからそう見えるだけだったんだ。

 イタリア大会を前に、ホントなら体幹トレーニングをモノにして全体的な姿勢の崩れを防止したかったんだろうが、たぶん、俺がバランスボールを習得するまでには人の何倍も時間がかかると見た。
 
 俺は数馬にその旨を伝えると、数馬は首を捻った。
「そうか、時間がかかるとなれば、今回だけは今までどおりの方法で訓練するしかない」
「ごめん、せっかく持ってきてもらったのに」
「僕らはGPFの出場権が欲しいだけだから。今回の目標枚数と順位を指標として頑張る方向で考えよう」

 数馬から示された目標。
 枚数は50枚。
 順位は4~6位。
 そこそこの結果を出せば、今のポイントでGPFへの出場が叶うはずだというのが数馬の見立てであり、意見だった。
俺としては日本大会以上の成績を残せる自信がなかったので、数馬の立てた目標に異論はない。

そこで俺たちは今までどおりマッサージと姿勢の矯正を中心に練習メニューを熟し、最後のGPSを迎える準備に当てることにした。

GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第3幕

1日目の練習を終え、数馬にマッサージしてもらったあと俺は一旦自分の部屋に引っ込んだ。夕飯までひと眠りしててもいいと数馬が言ったからだ。
ベッドの上に寝転びながら、俺の頭の中は別の何かに引っ張られるように競技のことを忘れていた。

そういえば、数馬が俺と分れて日本に瞬間移動したときのことだけど。
本当にあのとき消えた理由はそれだけだったのかな。
生徒会室とかに行ってアレクセイの禁止魔法のことは話題にしなかったのか?
魔法身体検査、これは禁止魔法の痕跡があるかどうかを調べる検査らしいのだが、もし事務局が何か情報を掴んでいるとするならば、今の段階でアレクセイを泳がせて試合直後に魔法身体検査を行う可能性は十分にある。
2位のホセとの開きが余りに大きいところからみても、アレクセイ禁止魔法説は各国の話題に上がっていたかもしれない。

もし数馬の予想が正しいとしたら、アレクセイはGPSの結果をもってしても総合1位の称号は剥奪され、GPFには参加できない。
禁止魔法や禁止薬物を使用した場合、発覚以降3年間の対外試合禁止を申し渡されるというから、魔法科に所属する高校生なら退学を余儀なくされるだろう。魔法部隊に所属しているプロの魔法師だとしても、何らかの沙汰があるはずだ。
そこまで考えてアレクセイは禁止魔法を使用しているのか。

いや、待てよ。
国ぐるみで禁止魔法を推奨しているとしたら・・・。

充分にあり得るじゃないか。
リアル世界でもロシアは禁止薬物推奨の国として有名だった。こちらの世界で同様の動きがあってもおかしくはない。

眠るどころか俺の脳は活性化してきて、目は冴えるし身体がムズムズする。
俺はベッドから起き上がり、素早く制服を着ると自分の部屋を出た。周囲を警戒しながら(警戒する必要なんてどこにもないんだけど)向かい側にある数馬の部屋のインターホンを押した。
数馬は寝ているのか出掛けているのか、何度押しても返事が無かった。
 
諦めて、自室に戻るため自分の部屋のカードキーを探す。
ん・・ない。
制服のポケットにないと言うことは、俺はカードキーを持っていないことと同義だ。
まさか、カードキーを部屋の中に置いたままドアを閉めたのか?
あれが無けりゃ部屋に入れないじゃないか。

茫然自失。
これまで色々な国でホテルを渡り歩きながらも、カードキーを忘れて部屋を出るなんて失態は犯したことがない。
俺は脳ミソが一気に固まっていくのを感じた。
部屋に入る方法など簡単にわかりそうなものなのに、今の俺は小学生以下の脳ミソしか反応していない。

どうしよう。
数馬もいない。

暫し廊下に立ちすくんでいた俺は、何を思ったか階下に降りてフロントに向かう訳でなく、生徒会役員がいる部屋へと歩みを進めた。
フロントでドアロックを解除してもらうか、マスターキーで開けてもらうのが一番だと言うのに・・・。

生徒会役員の集う部屋は、俺たちが泊まっていた部屋の1階上にある。
本当に何を考えていたのか俺は猛ダッシュで階段を駆け上がると、その部屋の前まで廊下を走り、息を切らしながらインターホンを何回も押した。

「はい」
 サトルの声だ。
「サトル、入れて」
「どうしたの」
「ドアロックした。入れない」
 サトルは一瞬黙ったと思ったら、部屋の中から複数の人があははと笑い出したのがわかった。
「とりあえず、どうぞ」
 生徒会役員室のドアが開く。
 そこには沢渡元会長と若林先輩、サトルと譲司、そしてなぜか数馬が大きな態度で椅子に腰かけていた。
「いないと思ったら、こっちにいたのか」
 俺の言葉が誰に向けられたものなのか皆にはわかったらしい。
 若林先輩と会うのは久しぶりだった。
「ご無沙汰しています、若林先輩」
「そうだな、お前沢渡の試合見に来てないだろ」
「すみません」
「今回のは見にこいや」
俺が小さくハイ、といいながら頷くと向こう側で沢渡元会長が笑みを漏らす。表面上は強面(こわもて)の沢渡元会長だが、俺に対してはいつも優しい。
「なんだ、カードキーを失くしたのか」
「いえ、たぶん、中に置いたまま部屋から出たのだと思います」

 すると皆がまた笑う。
 一番大きな声で笑っているのは誰あろう、数馬だった。
「フロントに行ってドアロック解除できるの知らなかった?」
「うっ・・・」

 またもや数馬は大笑い。
 数馬にとって沢渡元会長は単なる同級生くらいにしか思ってないんだろう。会長時代のことを考えたら、目の前で大笑いするとか、ないから。
「知らなかった。ホテル滞在とか経験なかったし」
「正直で良いな、海斗は」
「イタリア語はさっぱりダメ、故にフロントもダメ」
「片言の英語くらいならフロントの人間は分かってくれると思うけど」
「1人で行くのは勇気がいる。このままだと試合に差し支える」

 どっと笑う生徒会の役員たち。
 サトル、お前ホントに生徒会の一員になったな。笑われるのは面白くないけど、昔のおどおどしたサトルは見てて辛かった。
 やっと笑えるようになったんだ、もう危険なことには足を踏み入れないでくれ。

 沢渡元会長だけは相変わらず口元に笑みを浮かべるだけで、大口開けて笑っていない。
大前(おおさき)、一緒に行ってやってくれ。このままだと1人で日本に帰りかねない」
こっから1人で帰れるわけあるまい、と思ったものの、帰った人間が目の前にいる。数馬、お前だよ。
「ここにいる人間は皆瞬間移動魔法使えると思うけど」
 ほら出た読心術。
 ・・・え?沢渡元会長は魔法力卓越してるしサトルだって今や逍遥に次ぐ紅薔薇NO2だから使えても不思議じゃないけど、若林先輩も譲司も使えるの?
 俺、今すぐ日本に帰れるの?

 若林先輩が傍らに置いてあったショットガンを俺の方に向けた。先輩、危ないからショットガンは止めてください。
「これは空砲用。魔法力を注入してないやつ」
 数馬が目をキラキラさせてショットガンを見つめていた。目はショットガンに、口は俺に向けている。
「若林も譲司も瞬間移動魔法できるよ。この大会が終わったら、読心術と瞬間移動魔法を伝授するから。まあ、逍遥の還元でなくてもいいだろ」

 サトルがやんわりと数馬を嗜めているように見える。
「逍遥が泣きますよ、数馬さん」
 アイドル顔で笑みを作り、サトルを見る数馬。
「教えたモン勝ち」

 俺は数馬をスルーして若林先輩に尋ねた。
「魔法技術科でもそういう魔法を教えるんですか?」
「いや、俺の場合は数馬や譲司と同じで自分から魔法技術科に入った口だから」
そうだ、譲司は魔法科からの誘いを断って魔法技術科に入学していた。
若林先輩や数馬も同じなの???

「そーだよー」
 数馬は若林先輩からショットガンを借りて、ますます目が輝いている。俺の質問に受け答えするのも上の空でやってるに違いない。
 俺がよくやれらるように耳を引っ張ってやろうかなとも考えたが、如何せん、ここには生徒会役員が揃っていて、その人たちからしたら数馬は同級生で年下の俺なんかは数馬を敬うべき存在で。
俺は一介の1年に過ぎない。もう第3Gでもないし。

発想を転換して、部屋に入れなくてもカードキーを失くしたのではないから安心しても構わない事例だし、いざとなったらサトルか譲司の部屋を借りてもいい。サトルも譲司も忙しくて、ほとんど部屋は荷物置き場くらいにしか考えていないようだから。
 サトルはひとしきり笑ったあと、急に表情を引き締めて俺に問うた。
「ほんとにカードキー部屋にあるの?まさかどこかで落としたわけじゃないよね」
 ドキリ。
 そういわれると段々自信が無くなってきた。
「100%部屋にあるとは言い切れないかも・・・」

 途端に数馬のキラキラお目目が三角になった。
「海斗!フロント行ってこい!ここのフロントは日本語が通じる!」
「あの男性しか日本語通じないかもしれない」
 ハタと黙り込む数馬。
「そりゃそうだ。1人でフロント行って、言葉が通じなかったら離話で呼んでくれ」
「俺よりそのショットガンをとるわけね」
「当たり前でしょうが。こりゃもう苦心惨憺(くしんさんたん)の為せる技よ」
 うっとりとショットガンを見つめる数馬に、何だか無性にイラつく俺。
「それでも俺のサポーター?」
「サポートにフロント業務まで混じってないと思うけど。普通は」
「うっ」
 何も言い返せないでいる俺に、数馬は尻を叩く。
「ほれ、時間が勿体無い。行ってこい」
 
背中を押されて部屋から追い出された俺は、ブツブツいいながらEVでフロントのある1階まで降りた。
そうそう、フロントが1階にないホテルも多々あるよね。階下にテナントが入ってるなら理由もわかるんだけど、何もないのにフロント2階とか。

なぜなの?
その理由がわからないでいたら、後から部屋を出てきたサトルが教えてくれた。

ゲストのプライバシーを優先するのか、ホテル側の防犯性を重要視するのかによって変わってくるようだが、土地が賃貸の場合は、フロントを何階に置きたいか、ホテル側の意見が通らないことも多いのだそうだ。
あとは、ペデストリアンデッキ沿いのホテルだと、2階がフロントになる確率がほぼほぼ高い。便利だから。俺のいたリアル世界の仙台は駅前にペデストリアンデッキがあるから駅前のホテルはフロントが2階にあったと記憶している。入ったことはないけど。

それにしてもサトル、優しいなあ、キミは。
「数馬さんがついていって、っていったんだよ。何だかんだで海斗を心配してるじゃない」
「いや、あれは絶対ショットガンに魅入られた悪魔だ」
「君たち、あっという間に仲良くなったね」
「数馬はサポーター版逍遥(しょうよう)だから」
「なるほどね」
 サトルはいかにも納得したように、笑いながら何度も頷いた。

 フロントに行くと、先日の日本語を話すお兄さんが立っていたので俺は胸を撫で下ろした。
早速、ドアロックの解除を申し出たが中々これが厄介で、名前を書かせられた上での宿泊者名簿との突合、宿泊者用防犯カメラとの突合、宿泊階にあるカメラとの突合など、ただでは開けてもらえない。
 それもそうだ、セキュリティ上、顔を覚えていたくらいで「はいどうぞ」とドアロックを開錠できる要件とイコールにはならない。

何重ものチェックを受けて初めて俺は宿泊者として認められ、お兄さんが予備のカードキーを持って俺の部屋まで先導していく。
「こちらでお間違えございませんか」
 頭にすっと入ってくる日本語。
「はい、お手数おかけしました」
 予備のカードキーで部屋を開錠すると、(うやうや)しく頭を下げたフロントのお兄さんは足早に去っていった。

「良かったね、海斗。さ、君のカードキーを探してくれ。僕も手伝うから」

 サトルの言葉を聞いて、俺は急いでカードキーを探し始めた。
 いつもどこに置いてたっけ・・・。
 ああ、キャリーケースの中にスマホと一緒に仕舞ってあるはずだ。
 大事な物は何故か皆スマホと一緒にする癖が抜けない。
リアル世界でもそうだった。

 キャリーケースをガタンと横向きにしてジッパーを開けながら、スマホケースを探す。
 あった。やっぱりスマホとカードキーが一緒に出てきた。
 電波障害にならないのかって?
 大丈夫らしい、今までの状況を鑑みるに。

 ついて来てくれたサトルに何度も深く礼を言い、俺はドア越しにサトルを見送った。
 少し疲れた、寝よう。
 ああ、どうせなら夕食時間を遅らせるんだった。
 今から深く寝入ってしまったらインターホンが聞こえるかどうか、自信がない。
 数馬は時間に超うるさいし、どちらかといえば俺はルーズだ。
  
 数馬に離話して落ち合う時間を変える腹積もりはついた。
 制服からジャージに着替え、俺は斜め上を向くと生徒会役員室の方向に顔を向けた。
 数馬はまだショットガンを触って何やら若林先輩とデバイス談義に花を咲かせている。
 将来はデバイスを作りたいと言う数馬の夢への第1歩なのかもしれない。
 このショットガンは秀逸だと絶賛している数馬。
 若林先輩が沢渡元会長用に、精巧に作製しているのだから秀抜(しゅうばつ)な出来に違いないだろう。

「数馬、数馬!」
 俺の離話にも反応しない。
 さて困った。
 サトルに離話して、数馬に伝えてもらうとするか。

「サトル、サトル」
 サトルは直ぐに気が付いたようだった。
「さっきはありがとう、サトル」
「どういたしまして」
「数馬に伝えてくれないかな。夕食、1時間延長して7時半にしたい、って」
「いいよ、本人と話さなくていいの?」
「向こうはショットガンに夢中だからいいよ」
「了解」

 サトルが数馬に何やら話しているのが見える。
 数馬は機嫌が良いようで、OKマークを手で作ると、またショットガンを弄っていた。


 俺はそのまま、ベッドに入りスマホのアラーム機能を確認してから猫のように布団に丸まった。

GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第4幕

スマホのアラームが鳴りだした。
 ああ、眠った気がしない。
 それでも数馬と会う30分前には起きてシャワー浴びて着替えないといけない。
 ぐずぐずしている間にデジタルの数字は進んでいく。

 まずいまずい。
 早くシャワーを浴びないと。

 5分という驚異的な速さでシャワーを浴びボディシャンプーで身体を隅々まで洗い終え、シャワー室から出た俺は、またもやすさまじい速さで制服に着替える。
 そして数馬の部屋の前に立ったのが7時25分。

 ああ、間に合った。今回はカードキーも忘れないで持ってる。
 何が成長したって、着替えの速さが一番成長したと思うよ、俺は。
 少し上機嫌で数馬の部屋のインターホンを鳴らしたのだが、また応答がない。まだ生徒会役員室にいるのか?
 まだ見惚れてるのかよ、と思いつつ、生徒会役員室を透視してみる。
 
 おや?数馬の姿は見えなかった。その代り光里会長と蘇芳先輩が若林先輩と話している。
 
 じゃ、どこにいるんだ?

 すると、数馬の声が離話で聞こえてくる。
「ごめん、海斗。お腹こわした。僕が行かなくても大丈夫?」
「適当なモン食ってても良いなら、1人で食堂に行く」
 腹痛で苦しんでるサポーターを無理矢理食堂に引っ張っていかなくてもいいさ。

 数馬はどこで何食って腹こわしたんだろう。
寝冷えか?
 さっきはそういう気配もなかったのに。
 食堂フロアのドアを開けると、逍遥(しょうよう)聖人(まさと)さんがトレイを片付けているところに出くわした。
 逍遥(しょうよう)が横向きに首を捻る。
「数馬は?」
 すぐさま透視する逍遥(しょうよう)
 おい、逍遥(しょうよう)。数馬は一応年上だ。少しは(うやま)え。トイレ透視したってしょうがあるまい。
「ああ、調べものしてるみたいだね」

 なにすや。
 腹こわしたって俺に言ったべや。

 嘘だったのか?腹こわしたというのは。
 それにしても、嘘までついて何してるんだろう。
 もしかしてアレクセイのことかな。
 禁止魔法関連ならまだしも、ショットガンを作製してるわけではないだろうから。

 ま、いいか。
 
 俺は1人で自由に食べることができるので、かなり自由度が上がった気がしてほくほく顔だった。
「海斗。数馬がいないからって食べるのサボるなよ」
 逍遥(しょうよう)。相変わらず察しのいいことで。
 たぶんこれも読心術なのだろうけど、絶対に認めないからスルーすることにした。
 読心術なら数馬が教えてくれる、って言ってたし。

「それって契約違反でしょ!!」
 読心術を使ったんだろう。逍遥(しょうよう)が周囲に聞えるような大声で叫ぶ。
それって、俺のことか?
俺が何を誰と契約したって言うんだろう。確かに還元とやらで魔法技術を教えてくれる約束にはなっているようだけど、逍遥(しょうよう)はGPFだってあるし世界選手権の新人戦も控えてる。俺に教えてる暇ないでしょ。
「それでも時間を作って君に還元すると決めたんだ。契約を不履行にすることはできない」
「わかったわかった。でも、さしあたり読心術と瞬間移動魔法だけは覚えてしまいたいんだ」
「なんで、どーして」
「なぜ、っていわれちゃうと必要な理由を並べ立てることはできないけど、こっちにきてるメンバーほとんど読心術できるし。瞬間移動魔法だって、サトルみたいに魔法科にいるならまだしも、譲司や数馬だってできるんだぜ」
「譲司や数馬、若林先輩とかは魔法科を蹴った口だから並以上の魔法力があるんだよ。君は気付かなかったかもしれないけど」
「数馬は自分のこと人並みでしかない、って言ってたぞ」
「そりゃ謙遜だよ。人並みはおろか、魔法科でも敵わないくらいの魔法力持ってるんだよ」
「げげっ」
「海斗・・・カエルじゃないんだから」

 カエル呼ばわりかよ・・・。

 もう最後には俺が逍遥(しょうよう)に詫びを入れる形でこの件については決着した。
 GPF後に、集中して還元すると逍遥(しょうよう)は約束してくれた。
 数馬だってそれは分かってると思うし、なんたってサポート業務の範囲外だってこともある。
 もうひとつ、逍遥(しょうよう)ではなく数馬が俺に魔法を教授することを亜里沙の耳に入れたくなかった。
 こちらの世界に来てから、亜里沙の沸点がどこにあるかわからない。
 その意味で、皆に、特に逍遥(しょうよう)には迷惑をかけたくないのだ。
 
 聖人(まさと)さんは、ただ黙って俺たちの会話を聞いていた。
 まるで俺のことに興味などないといわんばかりに。
 そこまで無視される筋合いもないと思うんだが、心底慕っていた気持ちに整理をつけるにはこれで良かったんだろう。
 もう、ケリはついた。

 
逍遥(しょうよう)たちと別れ自分のトレイに菓子パンと牛乳、ポテトサラダを乗せた俺は、座れる席を探して食堂内を見回していた。この時間帯の食堂は、どうやら混むらしい。

 と、後ろから背中を2回、(つつ)かれた。
 誰?
 少し警戒しながら振り返ると、そこにいたのは国分くんだった。
八朔(ほずみ)くん、久しぶり。今日は1人なの?」
「国分くん、ホントに久しぶりだね。うん、今日は1人なんだ」
「よかったら一緒に食べない?」

 国分くんが2人分の席をキープしてくれて、俺たちは顔をほころばせながら席に着いた。
八朔(ほずみ)くんは『デュークアーチェリー』にエントリーしてるのか。あそこ、強い人たくさんいるんだよねえ」
「国分くんは何にエントリーしてたの?」
「『バルトガンショット』と『エリミネイトオーラ』。四月一日(わたぬき)くんが出場するから『エリミネイトオーラ』にした。優勝は無理でもくらいつけばGPFは確実だ」
「2人一緒に出るなら、僕、どっち応援すればいいのか迷うなあ」

 俺の言葉など耳に入らないかのように、国分くんは話し続ける。
「『デュークアーチェリー』は、結果先行ではあるけど試合を録画して観てるんだ。世界選手権新人戦の種目になりそうだから」
「そうなの?先々まで読んでるんだね。僕がのんびりし過ぎなのかな」
八朔(ほずみ)くんも頑張ってるじゃない」
「中々思った通りに試合運びできなくて」
「僕らはまだ1年だから」

 すると国分くんは何やら周囲を見渡し、俺の方に頭を傾け小声で話し出した。
「聞いてない?禁止魔法使ってここにいる生徒の話」

 ドキッとした俺。
 アレクセイのことか?
 カマをかけられている可能性も否定できないので、アレクセイのことは話せない。(けむ)に巻くしかない。
「さあ。海外だと禁止薬物とか禁止魔法とか何でもアリだ、って聞いたことはあるけど」
「そうか。君の出場してる『デュークアーチェリー』で禁止魔法の噂が出てる。僕も使用者までは特定できてないけど」
「知らなかった」
 ホントは知ってるけど。
 たぶん、アレクセイの話だ。そういう噂は一夜にして広まるものだから。

「禁止魔法は、筋肉に使った痕跡が現れるからすぐにバレるんだけどね。禁止薬物が髪の毛に出るように」
「じゃ、そろそろキツネ狩りってところなのかな」
「今度の大会前に抜き打ちか、全体検査があると思う」

 俺は黙って頷いた。
 となれば、アレクセイは引っ掛かるだろう、完全に。
 
 逍遥(しょうよう)の見た透視が本当だとしたら、数馬が何を調べていたのか分らないけど、アレクセイの禁止魔法の噂は各国に流れてるとみて間違いはない。
 
 俺と国分くんはディープな会話を終了させ、自分たちの出場競技などについて意見交換していた。国分くんは世界選手権の新人戦に狙いを定めているのか、『デュークアーチェリー』の練習方法についてすごく聞きたがる。
 そういえば、国分くんの隣にサポーターが付いてる場面は見たことがなかった。白薔薇はサポーター無しで競技に出場させているようだ。
俺としては下手くそなのも手伝って、サポーター無しだと緊張度合いもMAXだし、何より試合運びを考えながら1人で何もかも考えるのは無理だ。

俺として国分くんに話せるのは、姿勢のことくらい。
バランスボールはまだ練習してないし、どういった成果がでるかもわからないので口にしなかった。
でも、これまた新人戦の種目になりそうな『バルトガンショット』のタイミングが掴めないことを話すと、一緒に悩んでくれた。
紅薔薇のサポーターに(聖人(まさと)さんね)、動体視力から脳に伝わってそこから手に伝わるタイミングがずれてるんじゃないか、っていわれたことまでは話したんだが、それ以上はお互い企業秘密ということで。

国分くんもその辺は重々承知のはず。
でも、今日の意見交換は俺にとって久々の気分転換になった。
いつも数馬に食事のことでガミガミ言われてたから。数馬が心配するのもわかるんだけど、食べられないものは仕方ないんだよ。

トレイを片付けて食堂を後にし、EVまで歩いていくと国分くんは階段を上がって部屋に行くということで、そこで俺たちは別れた。
今度会う時は、GPFか、はたまた世界選手権の新人戦か。でも、国分くんがGPFに出るには逍遥(しょうよう)を超えなくちゃいけない。いや、オール銀メダルでも出場は可能だな。
あとは・・・俺がそこまで行ければの話だ。

俺が部屋に戻った瞬間、「もしもーし」と声がする。数馬から離話だった。
どうやら食堂を透視していたらしく、邪魔にならないよう見ていたのだとか。
「俺は気が付かなかったけど、国分くんは気が付かなかったのかな」
「さて。僕は気配を消して透視していたから、たぶん気が付かなかったと思うよ」

 え、気配を消した透視ってできるんだ。
 本当に、数馬の魔法力は侮れない。
「これから君の部屋に行ってもいいかな」
「どーぞー」
「公開練習日はまだだからって、気の抜けた声出さないでくれ」
「それより早く部屋に来てよ」

 30秒も経たないうちに数馬は俺の部屋に入りベッドを占領した。
「それ、反対。俺が寝転がるべきでしょ」
「たまにはいいじゃない。ところで、さっきの生徒は白薔薇の国分くんかい?」
「そうだよ、良く知ってるね」
「サポーター業務に入ってるよ、国内国外合わせて、どんな相手がいるのかは」
「国分くんは『エリミネイトオーラ』に出てるって言ってた、でもさ、成績聞けなくて」
「なんでまた」
「逍遥がいるから優勝は無理でしょ、どう聞いたらいいのかわかんなくて」
「彼はかなり優秀でね、シルバーコレクターとも呼ばれてる。良い意味じゃないけどね。逍遥(しょうよう)さえいなきゃ、彼は優勝できてる」
 
 そりゃそうだよな、国分くんは元々逍遥(しょうよう)に次ぐ紅薔薇1年のホープだったわけだから。

 数馬の目がキラーンと輝いた。
「他に何か話したでしょ、顔付き合わせて」
 俺はさっきの会話を再現して見せた。
「禁止魔法かけてる人間がいるっていう噂。各国に広がってるらしいよ」
「アレクセイのことかな」
「俺はそう捉えたけど。今度の試合前かGPS終了後に、抜き打ちか全体検査あるんじゃないか、って」
「なるほど。今回はどうするのかねえ」
「引っ掛かったら順位は剥奪されるんだろ?リスキーだよね、あまりにも」
「国ぐるみならリスク分散というか、掴まった人間をぶった切る可能性もある、トカゲのしっぽ切りでね。捕縛者の割合によっては国家としてGPFも世界選手権も棒に振ることになるんだが、国家はそこまでバカじゃない」
「なんか企んでるってこと?」
「まず、国家が絡むとなれば全体検査はないだろうね、噂の立ってる人物にのみ焦点を当てるはずだ。今回で言えばアレクセイ。ロシアは魔法に関する競技人口が多いから、替えはいくらでもいるんだ」
「アレクセイの場合は、試合内容が半端ないからそういう噂も立ったんだろうし」
「あれは悪目立ちしすぎたね。やりすぎだよ、いくらなんでも」

 俺はふと、数馬が何を調べているのか気になった。
 気になったからにはそれを聞かないと気が済まない性分なんだよ、俺は。
「数馬、今まで何してたの」
「別に何も」
「嘘は嫌いなんでしょ。話せ、話して楽になれ」

 アイドル顔のくせに、おかめ顔のような表情で俺を騙そうとしている。いや、騙されないから、俺は。
「アレクセイのこと調べてたの?」
「いや、違うよ」
「じゃあ何さ」
「寝てた」
「残念、逍遥(しょうよう)が調べものしてる君を透視したんだよ」
「そうなの?」
「うん、聖人(まさと)さんも何も言わなかったし」
「そりゃ参ったねえ」
「だから吐け」

 数馬は数秒だけ真面目な顔つきになった。話すか?と俺は期待を膨らませる。
「やっぱ言わない~」
 期待は裏切られ、数馬はまた剽軽(ひょうきん)な顔に戻る。
「パートナーにも言えないくらいのことしてたわけだ」

 俺はふぐのような顔をして、不満を口にした。
「サポーターとの信頼度が下がるような真似は止めてくれる?」
「海斗は知らない方がいいことだから」
「何、それ」
「人生色々あるの。さ、少しマッサージしてあげるから」
 
 結局マッサージという魚に釣られ、俺は数馬の日の当たらない部分を垣間見ることはできなかった。

またしても、数馬のマッサージで夢見心地となった俺は夕食後ということもありそのまま爆睡。どうやって数馬が出ていったのかさえ覚えてない。俺の部屋のカードキーを数馬が持って出れば俺の部屋は自動的にロックされるし、翌朝数馬がカードを持って入ればいい。
 と、簡単に考えていたのだが、各階にあるカメラはものすごく優秀で、人の顔がよく見えるように配置されている。万が一他の部屋のカードキーを持っていると、ブラックリストに乗るらしい。
 数馬はそんなところで下手をこくことはしない人間だ。
 数馬が部屋を出るその時だけ俺を叩き起こし、部屋に内鍵をかけさせたのだろう。
 
 どこかしら寒くて目覚めた時、俺はベッドの上でジャージ姿で大の字になっていた。
 スマホで時間を確認すると、まだ午前2時。
 季節は晩秋。
イタリアは11月が雨期にあたるらしい。東京あたりと気温は変わらないが、夏でも夜は冷えるのだとか。今日も、雨こそ降らないけど結構肌寒い。
このままでは風邪をひきかねない。
 俺は部屋の電気を完全に消し、猫のように丸くなって布団にもぐりこんだ。

GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第5幕

翌朝、スマホのアラームで目が覚めた俺。
 時間は午前7時だった。
 やべえ、シャワー浴びないと。

 さらりと身体を洗った後に髪を洗ってシャワー室を飛び出した。
 が。
制服に着替え頭をぶるぶるっと振ると、髪の雫が床に落ちる。
 髪が乾ききらないのだがもうそんなことは気にしていられない。
 タイムリミットは7時25分。1分でも遅れると数馬が何を言い出すかわからない。
 アイドル顔しといて、いうことは半分悪魔のサポーター。

 俺は部屋を飛び出し向かい側の数馬の部屋の前に立ち、そっとインターホンを鳴らした。

「やあ、おはよう」
 数馬がステキ顔で俺を迎えた。
「なんだ?海斗。シャワー浴びたばかり?」

 バレるよな、やっぱり。

「そんなんじゃ風邪ひくから僕の部屋に入って髪乾かしなよ」
「悪い、少し寝過ごして」
 俺は早々に数馬の部屋に入り、洗面所にあったドライヤーを手に取り鏡の前で髪を乾かす。
 ああ、こんなとき、聖人さんのようなサラサラ髪だったらすぐ乾くのに。
 残念なことに、俺の髪はサラサラとは言い難い。
 硬くて太くて多いときてる。

 それでも自分なりにスッキリするよう髪を纏めると、後ろで数馬の声がした。
「乾いたら食堂に行こう」
「乾いた」

 数馬は部屋の中を綺麗に片付けて、カードキーを片手に俺の方を向く。
「カードキー持ってきた?」
「あれ以来、忘れないようにしてるよ」
「ならよろしい」

 部屋を出た俺たちはEVの手前で逍遥(しょうよう)聖人(まさと)さんの後ろ姿を捕えた。
「どうする?」
 数馬が俺の背中を抓る。
 会話しようか、それとも別々にEVに乗りたいかを聞いて来てるんだ、数馬は。それに対し、俺は少しぶっきら棒に一言だけ返した。
「別々に乗る」
「OK」
 俺があの2人と距離をおこうとしているのを、数馬は肌で感じてる。
 読心術ではなく、俺への思いやりとして。

 俺たちはホテルの反対側にある従業員用EVに向かって歩き出した。こっちは誰も使ってない。
 そういった経緯もあって、数馬は雄弁に語りだした。
「公式練習まであと3日だ。今大会の目標はこないだ示したとおり、50枚で4位から6位。アレクセイは抜き打ち検査に引っ掛かるはずだから、GPFへの出場者は1位繰り上がると見て間違いない」
「全体検査は無くなったとしても、そううまくアレクセイだけ抜き打ちにできるもんなの」
「噂の根源だからね、事務局は必ずアレクセイを引っ張るさ。そうそう、君がもらったガムだけど」
「薬物入ってたの?」
「いや、ただのガムだった」
「なーんだ。俺ビビリ屋だな」
「それが大切なんだ。一度あそこで食べてたら、次は禁止薬物が紛れ込んでいたかもしれない。ロシアと言う国は一事が万事そういう国だから」
「なんでもあり、ってこと?」
「そう。他の種目でもどうやら禁止魔法が使われていると僕は見てる。ただ、それをもってしても倒せない相手がいるから噂に上らないだけさ」
逍遥(しょうよう)とか、光里(みさと)先輩や南園さんとか沢渡元会長のこと?」
「そうだ。女子も胡散臭いんだけどそこまでは調べがつかなくて」
「昨日の調べものってやつ?」
「それもある」
「他にもあるってことだよね」
「あとは内緒。時が来ればわかるから」

 従業員EVの前に着いた。数馬はフフフと俺に不気味な笑顔を見せて下に行くボタンを親指で押す。
 ゲスト用と違い、こちらは従業員専用の荷物EVなので、来るまでに時間がかかった。
 それまでの時間、暇つぶしの面もあったのだろう、数馬は禁止魔法の主な種類を俺に教えてくれた。

 一番使用者が多くて簡単な禁止魔法が、筋肉増強魔法。禁止ドリンクで筋肉増強剤を飲む場合も同じ効果が得られる。
 この2つは、ほとんど同じ働きを見せるが、外国では禁止魔法を使う比率が多い、というのは前に数馬が言ってた。
 筋肉増強魔法を使用すれば、文字どおりあらゆる場所の筋肉が引き締まり腹筋は6つに割れ、握力がとんでもない数値を表す。まるでボディビルダーの如く見事な筋肉を持った身体に変化する。

 そしてそのメリットは、少々手持ちのデバイスが軟弱でも身体から繰り出す熱気だけでデバイスの役割を果たすということだ。
 今回のアレクセイの場合がまさにそうで、ある程度引き締まった体型とはいえ、アレクセイの利き腕である右手を触った数馬でさえ、異常なほどの筋肉の盛り上がりを感じたようだ。

 現状第2位のホセは元々がっしりした体型だし、出身がスペイン。ホセの体型はどちらかといえばエアロビダンサーのそれに近い。
スペインの人は練習などの時間にはルーズだが国を挙げて禁止魔法は厳しく取り締まっているらしく、スペイン選手が抜き打ち検査で引っ掛かるのを数馬は見たことがないと言う。

 一方、禁止薬物は何か月たっても身体から抜けず、依存症の傾向が強まる。それが大きなデメリットとして諸外国にも伝わっているし、おまけに、入手ルートを調べられたら一環の終わり。
ジ・エンド。
 しかし、医療用として開発されたアンフェタミンなど多くの薬品が、さもありなんと言わんばかりに病院などから盗まれたり、病気を装って処方された横流し品が闇のサイトで流通しているという。
外国語に秀でた人間なら、誰でも購入、使用できるのが実情で、五月七日(つゆり)さんのように、敵を陥れようと使用される場合も多々あるらしい。リュカだって敵の手に落ちた。

こういった禁止薬物は、眠気と疲労感がなくなり闘争心を高め、同時に集中力をも高める作用があるのだから自ずと使用する人間もいるのだろうと思われる。


 その点、禁止魔法もすぐに身体から抜けていくわけではないし魔法の痕跡は残るので見つかる確率は高いそうだが、禁止薬物のように非正規ルートを探す必要がないので証拠が見つかりにくく、それ相応の検査機関が抜き打ち検査をしている現状で、大会主催者側は大会前から大会開催期間中はどこでもピリピリムードになるのだとか。


 2つ目の禁止魔法は意図的に躁状態を作りだし、アドレナリンを大量に放出させる魔法なのだという。
 自分の脳に直接電気信号を送り無理にアドレナリンを放出するのだから、試合が終了しても躁状態は治らない。
 それを通常の状態に戻すために己に対しもっと強い魔法をかけるというのだから、試合後は廃人の如く運動能力はおろか、知性さえも二重人格ではないかと思える程人格が変わってしまうと言うのだ。
 試合前後で人格が変わったように見えるため、こちらはすぐに見分けがつくらしく、今ではこの禁止魔法を使用する例は余程のことがない限り、見受けられないのだそうだ。


 最後の禁止魔法が、能力低下魔法を対戦時に相手に向かって掛ける魔法で、『スモールバドル』のような対人戦に多く用いられる。
 同化魔法とは種類こそ違うが、遠隔魔法で相手の調子を崩すことから、魔法の痕跡を消される前に抜き打ち検査をすることが重要になってくるという。
 今回のGPSやGPFでは南園さんがその脅威にさらされていることになるわけだが、近頃考案された自己保身魔法や防御魔法で相手の魔法を跳ね返すことが可能になったということで、こちらは段々下火になっているという説明を数馬から受けた。


 魔法の数としてはそんなにないんだなと思って聞いていると、俺の微かな心の変化を覗いた数馬がメトロノームのように規則的に人さし指を動かす。

 亜種のバリエーションを加えると、禁止魔法は際限なく増えていくものなのだと言う。
 各種大会事務局や各国の魔法大学では、亜種を見つけだし禁止魔法として登録していくが、それを遥かに上回るペースで禁止魔法が編み出されていくということで、取り締まりにはどうしても時間を要してしまう部分も間違いなくあるようだ。
 法律の目をかいくぐった禁止魔法。
 取り締まる各大会の事務局。
これはもう、いたちごっこというやつだ。

 
 今現在、数馬の見立てで禁止魔法を使っているのはアレクセイだけだという。
 俺はいつ抜き打ち検査が行われるのか、それが試合前なのかとても気になっていたが、数馬は俺の心を読みつつも、その話には乗ってこなかった。
 
 俺たち2人は、従業員EVで階下に降りると、食堂に入った。
 逍遥(しょうよう)聖人(まさと)さんは、食堂の一番奥に陣取り、何やら激戦を交わしている。さては、練習方法に逍遥(しょうよう)が根をあげたか。
逍遥(しょうよう)の方が熱心に聖人(まさと)さんを口説き落とそうとしているようにみえたので、練習方法を変えて欲しいという要望なのだろう。

 数馬が俺の背中越しに2人を見ていたのはわかってた。
 でもこういう質問が出るとは思っても見なかった。
「あの2人、何話してると思う?」
 少し慌てた俺だが、先程の見立てで間違いあるまい。
逍遥(しょうよう)が練習方法に不満表明、ってところかな」
 数馬は低い声でヒューッと口笛を吹きながら俺の肩を1回だけ叩いた。
「少し残念。あれは練習の方法を変えて欲しいという要望じゃなくて、もう少し練習量を増やしてほしいという要望」
「今のも読心術?」

 数馬はにっこりとステキ顔で笑う。
「君が“逍遥(しょうよう)が練習方法に不満表明”っていったのは、正解。あの顔を見ればわかるよね、逍遥(しょうよう)がひっきりなしに話しかけてる」
「それで?」
聖人(まさと)さんが渋い顔してるのも見えるだろ、ここからだと。ありゃ、逍遥(しょうよう)の発言を認められないっていうサイン」
「それは読心術なの?外観で感じたもの?」
「残念ながら読心術ではないよ。逍遥(しょうよう)がいつも君に仕掛けているのが読心術」
「やっぱり?あれを読心術と言わんで何を読心術と定義づけるんだ」
「ただ、ある程度の会話などの組み立てを知らないと読心術は構築できない」
「そうなのか?」
「ああ。今回のあの2人の場合で言えば、2人とも笑顔が消えてるところから会話の組み立てを考えていく。逍遥(しょうよう)の不満顔からして、今の段階なら練習に対する不満だと踏んで聖人(まさと)さんの顔を見る。するとやはり顔つきが厳しい」
「なるほど、そこまでは状況判断でいくんだ」
「ここで練習に関する何が不満なのか、その心理の奥底を読むんだ」
「読心術のお出ましってわけか」
「そう。逍遥(しょうよう)は練習量に拘ってて、今よりも増やしてほしいと思ってるし、躊躇することなく聖人(まさと)さんに口頭で伝えてる」
聖人(まさと)さんは?」
「反対の立場だね。今でも他の人より練習量は多いらしい。聖人(まさと)さんからしてみれば練習については量より質を重要視してるから、ここにきて量を増やす意味がない」
「で、朝から二人であんな顔突き合わせてるわけか」
「そういうこと」

 それにしても、やはり逍遥(しょうよう)のアレは読心術だったか。
 だって俺が考えたことストレートに言葉にするんだから、いくら言い訳したところで読心術ってバレるよね。
 バレないとしたら、よほど・・・放送禁止用語だから止めておく。

 俺も早く読心術と瞬間移動魔法、教えて欲しいなあ。
 数馬でもいい、逍遥でもいい。
GPFが終わったら教えてくれるかな。
 12月半ばにGPFがあって、あとは3月まで大きな試合は無いから魔法を教わるには充分な時間もある。
 世界選手権の新人戦も気になる。
日本の枠は3つ。
逍遥(しょうよう)の出場は間違いないから、残り2枠の争いになる。サトルと国分くんあたりがいい勝負をしているといったところか。
俺はいくらGPSに出してもらえたからといって、新人戦に選出されるとは限らない。
 選考方法もわからないし。
 何より、サトルや国分くんに勝てる気がしない。
 今の序列的には、俺、4番目の男。自分でいうのもなんだけど。

「新人戦の選考方法か、それはまだ公開されてないねえ」
 早速数馬の読心術が始まった。
「日本の枠が3なのは間違いないと思う。ワールドと同じ数字になるだろうから。海斗はトップ3に入れるかどうかの瀬戸際というわけか」
「俺としては4番目だと思うんだ。逍遥(しょうよう)、サトル、国分くんあたりで決まりじゃない?」
「どうだろう、GPFの結果次第ってところかな。サトルはGPSやGPFにこそ出ないけど、あの力は本物だし予選会でもあれば2位か3位あたりに食い込める能力は充分にある」

 予選会か。
 よく大学駅伝とかで予選会やってるよね。
シードに入らなかった大学が予選会に出場して、上位10大学あたりまでが本選に出場できるってやつ。
 魔法でも予選会ってあるのかな。
 『バルトガンショット』や『デュークアーチェリー』『マジックガンショット』あたりなら、予選会を行えば十分その役割は果たせそうだけど。

「新人戦に関しては年明け辺りに方針が発表されるだろうから、僕たちも心の準備だけはしておこう」
 少し自信を深めたような数馬の言葉に、口には出さずとも俺は大きく頷いた。

GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第6幕

先日のバランスボールのように、どうやら数馬は俺に対し様々な練習方法を考えているみたいだが、それを今、敢えて強要しようとはしない。俺の心身への負担を推し量ってのことだと思う。
 今回GPFに残れない場合は、日本に帰り練習メニューを大幅に変えるのは往々にしてあり得る。
 俺としても、いくら魔法を始めて7カ月ほどで、まだまだ伸びしろがあるとはいえ現在のGPSでの順位は不本意であり、なんとか新人戦までに順位を押し上げたいというのが人には言えない本音だった。
 でも、その前に、イタリア大会。 
この大会での順位が大事だ。
 いくらかでもいい順位をキープして、できることならGPFに出たい。


 今回のイタリア大会に限っては練習方法を特段変更することもなく、俺は数馬のサポートを受け公式練習に向けて汗を流していた。
 マッサージやストレッチを行いながら、姿勢のみ矯正してソフトを使用しながら的に当てる練習を繰り返す。

 根本的に、姿勢が崩れるのは体幹の矯正を行っていないからではないかと思い数馬に尋ねたのだが、数馬は言葉を濁しながら次の練習の準備に取り掛かる。
 読心術じゃないけど、数馬の態度を見てれば、体幹の矯正が俺にとって魔法上達への足掛かりであり、それは時間を争う問題であり急務なのだとわかる。
 GPSさえ終わってしまえば体幹を鍛える練習を開始するのだろうが、今の段階では数馬が言い出すのを待つしかない。

 何か物足りないものを感じつつも、GPS最後のイタリア大会を明日に控え食事も終え部屋に引っ込んでた夜、数馬が俺の部屋のインターホンを押し、部屋に入ってきた。
「海斗、準備はいい?」
「今俺に出来ることはやったよ」
「そう、じゃあ今日も早めに寝ること。明日は朝の6時半に君の部屋まで迎えにくるから」
「了解。おやすみ、数馬」

 数馬が去って、俺は風呂に入る準備をしに風呂場に向かった。
 ガーン・・・。
日本のように湯船にどっかり浸かる習慣があるせいかどうか、ちょっとがっかりと肩を落とす俺。
こちらのホテルでは申し訳ついでに湯船がくっついているような錯覚に捉われる。これじゃゆっくり浸かることも出来やしない。
 
前にぬるめの風呂に入れって言われたっけ。シャワーもそうなのかな。俺は数馬の言いつけに従い温度を下げシャワーを浴びた。
 ・・・寒いよ・・・。
 
 温度を上げてシャワーを浴び直し、全身を洗う。
 湯船は胸すら出てしまうくらい深さが無い。
 意味ないじゃないのさ、この湯船。

 風邪を引いては大変とばかりに、俺はもう一度熱いシャワーを浴びると風呂から上がりジャージに着替え、そのままベッドに潜り込む。
 明日の朝6時半に数馬を部屋に迎え、GPS最後のマッサージをお願いするつもりだ。


◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・◇

 スマホがジャカスカ鳴っている。
 ああ、こりゃアラームの音だ。
 どれ。
 スマホのアラーム音を消すために、俺は一度起き上がり机の上に置いてあるスマホを操作してアラーム音を消した。

もう朝6時か。

今更ながらにACアダプタも一緒に持ってきた良かったと思う。こっちの世界じゃスマホそのものがないんだから。
 こっちじゃ電話を携帯するという概念が無いんだよね。
 それって離話もあるからだと思うし、万が一の時は瞬間移動魔法で会えるからだと近頃気が付いた。
 誰にも言わない。馬鹿にされる姿が目に浮かぶ。
 でも、普通科生徒のように魔法を使用しない人たちはどうやって遠くの人と連絡をとっているんだろう。
 公衆電話みたいなものが町中にあるんだろうか。
 少なくとも寮の近くでは公衆電話を見たことがないけど。


 そんなことに思いを馳せながらスマホで時間を確認する。
あと20分、何しようか。
 二度寝は絶対に無い。
 消去法で考えれば、シャワー浴びてストレッチか。
 大会が終わっても日課になりそうだな、これ。

 ざっとシャワーを浴びて身体の血の巡りを良くした後、上半身から下半身へとストレッチで身体を伸ばす。シャワーの後だから思うように身体が伸びてくれる。
 開脚で足のつま先に触ろうとしていると、部屋のインターホンが鳴った。
 数馬か。

 俺は一応、画面で数馬かどうか確認する。
 幽霊だけは絶対に嫌だ。
 と、数馬が手を振りながら早く入れろと何度も何度もドアを叩いていた。

 はいはい、わかりました。
 俺は立ちあがってパタパタとインターホン画面に近づくと、向こうで何やら騒いでいる数馬の声が聞こえる。
 ホント、こういうところまで逍遥(しょうよう)にそっくりだよ、数馬は。

「おはよう、数馬」
 そういいながら、俺は勢いよくドアを開けた。

 ゴン!!
 今度は数馬の顔がドアにぶつかった。
 鼻に炸裂したのか、手を鼻に添えたまま上を向き、ティッシュペーパーを要求する数馬。

「ごめん数馬、わざとじゃないんだ」
「わかってる。君のとこにばんそうこう、ある?」
「ない」
「じゃ、僕の部屋に行こう」

 俺はジャージ姿のまま、廊下に出る羽目になってしまった。
ちょっと恥ずかしい。
今着てるジャージは寝る時用。こんなことになるなら、外出用ジャージ着とくんだった。

 数馬はなおも上を向きながらカードキーを探して制服の上着のポケットに片手を突っ込んでいたもんだから、身体が安定しない。
 よろよろとまるで重病人のようにヨタヨタする数馬。
 鼻血だけじゃないのか?
「鼻というより前頭葉をぶつけたんだ。そっちは腫れてると思う。部屋にある絆創膏を貼りたいんだけど、一緒に探してくれる?、海斗」
「了解。どこにあるの」
「机の上に薬箱があるから。その中に消毒液と絆創膏が入ってるはずだ」
 俺は言われたとおり、机の上に置いてある薬箱を徐に開けて絆創膏を探す。
 と、目を疑うようなものが薬箱に入っているのを目にしてしまった。
『アンフェタミン』と名の付いた白っぽい顆粒の薬だった。

なぜ、数馬がこの薬を持っているのか。

 俺は咄嗟にその薬を俺の目の届かない奥へと押しやり、消毒薬と絆創膏を出して数馬に渡した。

『アンフェタミン』のことは、どうしてなのかわからないけど、聞けなかった。聞かなかった。
 ああ、広瀬が数馬だったころに何処からか仕入れて薬箱に入れ、そのままだったのかもしれない。そうだよ、そうに違いない。
 

「いや、それは広瀬が買う前に、自分用に僕が入手した薬さ」
 ドキッ。
 数馬の読心術は俺の心を掴んで離さない。

 となれば、遠慮する必要はない。
「なんでこんな薬がここにあんの」
「撒き散らそうと言う魂胆は無いよ。この薬を飲むと心身がどうなるか知りたかっただけさ。サポートする側として、薬にどんな効果があるのか、実際にどんな弊害を産むのか。自分の身体で実験してるんだ」
「これは依存性がある、って国分くんから聞いたように思うけど。大丈夫なの?今も飲んでるの?」
「GPSに誘われた時点で薬は止めたよ。誰が追い落とそうとするかわからないからね」
「何か後遺症出なかった?」
「特には。気分は高揚した、実際に。でも止めたらすぐに抑うつ状態になってねえ、疲労も重なって動けない程だった」
「数馬・・・それを後遺症って呼ぶんだと思う・・・」

 数馬は不敵な笑いを浮かべた。
 鏡でしかそれを目撃できなかった俺だが、数馬に対しイエローカードが何枚も頭の中を駆け巡る。
 いくらなんでも禁止薬物を自分の体内で実験するなんて正気の沙汰じゃない。
 短期間の使用ではあったのだろうが、サポーターが禁止薬物飲んでたらサポートしてる選手も疑われるに決まってるし、万が一抜き打ち検査なんて受けたら今までの苦労が水の泡と化す。

 俺、今のままサポート契約続けてていいんだろうか。

「大丈夫だよ、あれから何か月も経ってるし薬は抜けた」
 読心術により考えを読まれることも忘れて、俺は本気になってサポート契約の見直しを考えていた。
「そういう問題か?」
「大したことじゃない。海外ではそうやって自己犠牲の精神に基づいて魔法大学の論文書く人間だっているくらいだ」

 え・・・。
 そういうことって非日常的じゃないの。
 数馬は洗面所の鏡を見て絆創膏を額に上手に張りながら俺の心に湧いた疑念ともいうべきマイナスの感情を撃ち砕く。
「日本ではアンフェタミンが覚醒剤取締法によって規制されているからその手の論文は書けないけどね。だから単純な好奇心で飲んでみただけ」
「やっぱり犯罪」
「おやおや。どうしても心配なら、その薬は処分するけど」
「いますぐ投げて来てよ」
「いますぐは無理。ホテルの一室からアンフェタミン見つかりましたなんて知れたら、それこそGPSの危機だ。それに海斗、投げたら瓶が割れてそこらじゅうに飛散してしまう」
「あー、仙台弁では投げるは捨てる、の意なんだよ。捨てて来て、ってこと」
「なんだ、方言か」

 数馬は口笛まで飛び出す始末で、俺を安心させてくれようとはしなかった。

 洗面所で絆創膏を額に張り終えた数馬。
 アンフェタミンの入った薬箱を閉めるとスッと右手を翳した。
「なにしたの」
「開けられないように隠匿魔法をかけた。薬箱そのものが他人の目には見えないようにね。ところで海斗」
「なに」
「イントネーションおかしいよ。それも方言?」
 
 お。
 普段イントネーションにも気を付けて標準語を話しているつもりが、ちょっとどころじゃない驚きの事実を知って頭の中はそれどころでは無くなっていた。
「方言だわな。こんな事実が目の前にあって我を見失わない方が変だろ」
「そんなに驚いた?」
「なんでそんなに平静でいられるんだよ」

 数馬はふうっと大きく息を吸い込み、少しずつ息を吐きだしながら俺の正面に回り込んだ。
「心配は要らない。この薬はもう捨てるし、海斗に迷惑はかけない」
 俺は怒りとまではいかなかったけど、数馬の闇を見たような気がしてなんだかやるせない気持ちになっていた。
「俺のためっていうより、数馬の心身に影響がないか、その方が心配だよ。なんでまたそんなもの飲もうなんて思ったんだか。その薬の異常性は計り知れない。もう、犠牲者は国分くんだけで十分だ」
 顎に右手を当てた数馬は、しばし瞑想の中に取り込まれたように見える。瞑った目を開けた数馬は静かに言葉を選びながら俺に話しかけた。
「そういえば彼はこの薬を飲まされて退学に追い込まれたんだっけ」
「実際には退学は取り消されたはずだけど。色々な事情も絡み合って薔薇ネットワークに載せて、最終的に白薔薇に行った」
「哀しい出来事だったね、君らにとっては」
「だから俺はその薬があること自体許せない。数馬は海外にいて知らなかったから仕方ないけど」
「悪かったよ、GPSが終わったら日本に帰る前にこの薬箱ごと消去するから」
「あ、消去魔法」
「そう」
「なんで今消去しないの」
「色々あってね、今はまだ消去できない」

 数馬は口角を緩やかに上げて微笑み、俺の頭を軽く撫でた。
 俺としては、ゴミ箱に捨てられないからGPS後だとばかり思ってたからだけど、消去魔法でサラサラにできるんだったら、今すぐにでも消去して欲しいほどだ。

 あ、でも、消去魔法は一流どころの魔法師でないと使えないって聞いた。いや、充分な効果がでない、だっけ。
 聖人(まさと)さんや(とおる)なら十分のその効果を発揮させる消去魔法を使えるはずだ。GPSが終わってひと息ついたら、聖人(まさと)さんか(とおる)にでも頼むんだろうか。
 あーあ。俺の考えることはみな数馬に丸わかりだから、もう話さなくてもいいよね。
 数馬は俺の顔をちらっと見て、頭を振った。
 なんだ?
 俺の思ったことがわかっていて頭をふるということは、あの2人に頼むのではないということか?
 それならどうやって消去する。
 まさか、数馬、君、消去魔法使えるのか?
「さあ、どうかねえ」
 
 えーーーーーーーーーっ。こういう時の数馬は、いつも自分の力を隠して俺を惑わせる。
 もしかしたら、聖人(まさと)さんや(とおる)並の魔法力を身体の奥底に隠してるのかもしれない、大前数馬(おおさきかずま)という人間は。

「そこまで優秀じゃないよ、僕は」
「でも亜里沙が言ってた。並の魔法力じゃ無理なんだろ?」
「海外で危険に晒されることも多かったから。破壊魔法や消去魔法は最後の手段として入手しただけの話さ」

 そこで俺はハタと思い出す。数馬が広瀬に同化魔法をかけられていた時のことを。
「なら、なぜ広瀬を破壊とか消去しなかったの」
「やったら僕まで粉砕されるから。自分の身が惜しかった。あの時はホントに迷惑かけたね」
「広瀬はもういないからいいじゃない」
「まだ残ってるじゃないか、君を目の仇にしてる宮城海音(かいと)が」
「そういやそんなやつ、いたな」
「彼には気を付けた方がいい。どこで邪魔してくるかわからない」
「まさかこの会場にはいないでしょ」
「退学後は家にいるみたいだけど油断は禁物。聖人(まさと)さんがその辺は気付きそうなもんだけどね」

 
 宮城海音(かいと)か。
 今どうしてるか知らないし、知りたくもない。
 異母兄である聖人(まさと)さんを、まさに自分の奴隷のように扱い、俺の命さえ軽々しく奪おうとした最低なヤツ。
 でも、ヤツがGPSの聴衆として現地にいないという絶対の保障はない。
 広瀬がこの世から消滅した今、新たな人物を手懐(てなず)けて、俺や聖人(まさと)さんを狙っているかもしれない。

 重要な事案が増えた。
 アレクセイ、リュカ、数馬のアンフェタミン、宮城海音(かいと)

 でも一番重要なのは、今から始まるイタリア大会。
 数馬を突き、食堂へ行こうと誘う俺。
 今日はもう食事前のストレッチやマッサージを行う時間がないし、俺が部屋で胴衣に着替えて食事に行って、そのまま『デュークアーチェリー』の実施会場に向かうしかあるまい。

 数馬もさすがに額の絆創膏は気になったようで、俺の部屋で俺が着替えてる間、ずっと洗面所で鏡を見ながら正面、右45度、左45度と角度と表情を変えながら飽きずに何回も見ている。
 ごめん、数馬。悪いことをした。
 けど、そのお蔭で薬箱の存在を知った。
 この怪我がなければ、俺は数馬所有の薬箱の存在を知らぬまま大会に出場していただろう。

 でも、薬箱の処分、なんでGPSが終わってからなんだろう。
 普段は薬箱の存在を隠しているようだから、逍遥(しょうよう)聖人(まさと)さんも知らないだろうと思われる。(とおる)だって同じだろう。
だから彼らの的確なアドバイスを受けることもできない。
 
 読心術で俺の思いを知った数馬。
今度は深く溜息を吐いている。
「ホテルの中で消去魔法を使うとフロントにばれるんだよ。君も知ってのとおり人一人あの世に送れる強力な軍隊用魔法だからね」
 
 なるほど。
 GPSが終了しホテルを出てから皆にわからないように消去魔法をかけるというわけか。

 ああ、今日の大会、俺の心は脈打ってうまく的に当たるかどうかわからない。動悸が激しい。まだ運動もしていないのに。
胴衣にベンチコートを引っ掛けてそのまま食堂へ向かった俺と数馬。
 俺は薬箱のことを話題にあげまいと必死で目の前の勝負飯・パンケーキを頬張っていた。
数馬はもう慣れたもので、俺と同じような食事を摂りつつ、メインディッシュの鶏のから揚げを皿に取る。日本風に言えば鶏のから揚げなんであって、イタリアでなんという料理なのかは知らない。
美味しそうににこにこする数馬を見て、強心臓だなと、つくづく自分が嫌になる。

そうだよ、やはり俺はメンタルなんて強くない。

GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第7幕

「そろそろ行こうか、数馬」
 腹6分目ほどしか食べていない俺だったが、もう食べる気にはなれなかった。
 アンフェタミンの入った薬箱が心配で。
誰かが盗んで持っていってしまうのではないか。
廃棄するときに誰かの目につくのではないか。

 数馬は目くばせして離話で話しかけてくるんだが、それに対してもまともに答えられない。
 すると、トントン、と両肩を叩かれ、数馬は後ろから俺に再度離話で問う。

「海斗!君ははるばるイタリアまで何をしに来た?」
「・・・試合・・・」
「そう、試合だ。君ならできる。目標は50枚、順位は4位から6位」
「できるかな、こんな状態で」
「大丈夫、練習は嘘をつかない。君ならできるさ」
「ほんとに?」
「ああ、これまでの練習の成果を出せばいい、君ならできる」

 トレイを返却し、食堂を出ようとしていたところに逍遥(しょうよう)聖人(まさと)さん、サトルと譲司が4人で歩いてきた。
 初めに俺の異変に気付いたのは逍遥(しょうよう)だった。
「海斗、どうしたの?どうみてもこれから試合に臨む顔付きじゃないけど」

 俺があたふたしたのを見逃す逍遥(しょうよう)ではない。
「また何かあったの?」
 何も答えられず、俺はそのまま押し黙った。
数馬の部屋でアンフェタミンを見たなんて言えるわけがない。数馬もそこは重々承知のようで、言い訳がましくない程度に逍遥(しょうよう)に向けて返事をする。
「今日の結果でGPFへの道が拓けるかどうかだから。目標も高めに設定してあるから少し焦ってるには違いないかな」
逍遥(しょうよう)はそれでも食い下がってきた。
「海斗の口から聞かないと。ホントなの?海斗」

 折角数馬が言い訳してくれたのに、俺が台無しにすることはできない。
「最後の試合だと思ったら緊張してきて。目標通りに動けるか心配してたんだ」

 通常、ここで逍遥(しょうよう)は読心術で俺の嘘を見抜き反論してくるのだが、今回ばかりは何も言ってこない。
 不思議だなと思いつつ、俺は数馬の言葉を頭の中で繰り返す。
 それが真実だと自分自身が思えば問題ない。
 顔はたぶん引き攣っていただろうが、緊張しているということですり抜けられるはずだ。
 俺は逍遥(しょうよう)たち4人に向かって言い放った。
「大丈夫だ、試合までにはメンタル戻してMAXの状態で臨むから」

 それまで唇を真一文字に結び腕組みしていた聖人(まさと)さんが、ようやく腕組みを解いた。
「その意気で試合に臨め。試合中は目の前の的に集中しろ、わかったな」
「ありがとう、聖人(まさと)さん。逍遥(しょうよう)も1位目指して頑張って」

 サトルや譲司の激励の言葉を心に受け取り、俺と数馬は4人から離れた。
 いつもならもっと俺を心配するのに、どうして逍遥(しょうよう)は読心術を使ってこなかったんだろう。
 離話で話すと距離が近くて4人に聞えそうだったので、俺は地声のトーンを低くして数馬に尋ねた。
「ねえ、数馬。なんで逍遥(しょうよう)たちは読心術を使わなかったのかな」
「簡単さ、僕が偽の感情を君の意識の上に被せたから」
「そんなこと、できんの?」
「当事者の本当の感情に対し、違った意識を刷り込ませてそれを纏うような感じで作用する」
「だから皆気付かなかったのか」
「いや、たぶん聖人(まさと)さんだけは気付いてたかな。恐ろしいばかりの魔法力を持っているよ、彼は」
逍遥(しょうよう)に話したりしないかな」
「大丈夫だろう。逍遥(しょうよう)は1位を取らなくちゃいけないという至上命題がある。それに水を差す様な事実を伝えるとは思えない」

 そうか、そうだよね。
 亜里沙たちの手前、逍遥(しょうよう)は負けるわけにいかない。
 そしてGPFでの勝利も、絶対に嘱望されているはずだ。
 聖人(まさと)さんは皆わかっていたとしても、何も話はしないだろう。GPSが終わって日本に帰る頃には何かしら動きがあるかもしれないが。

 ホテルのフロントでタクシーの手配を頼んだ際、30分待ちということだった。少しだけ時間があったので俺と数馬は俺の部屋でマッサージとストレッチを行う。2人とも、何も話はしない。
 無論、アンフェタミンのことについても。

 30分後フロントからの連絡で下に降りて、車寄せに停まっていたタクシーを使い、試合場まで急ぐ俺と数馬。
 今日は光里(みさと)先輩たちと一緒ではなかったので、少し心に余裕ができた。
 もちろんアンフェタミンのことは心配しないと言ったら嘘になるけど、今、俺に何かできることはないんだ。ただのひとつも。

 俺はGPS最後の試合で、目標に届くよう、ただひたすら演武を行うだけ。
 
 公開練習は何となくだが調子がよく、計49枚を的に当て、俺の中では少しだけ自信がついた。        
出場者全員の枚数を見てみないと判断はできないが、ある程度の順位に滑り込むことができるように思う。

 試合の順番を決めるくじを引きに行く数馬。
 俺は廊下に行くと言って、数馬の背中を見送り身体の筋肉が不自然に縮まないようストレッチで主だった筋肉を伸ばし、廊下にぺたんと座り込んで開脚しながら足親指を掴む。
「そのまま押す?それとも順番見る?」
 後ろから聞こえるのは数馬の声だ。
「押すだけ押して。そのあと順番見てもいい?」
「いいよ」
 数馬は力を込めて俺の背中を押す。ついでに肩甲骨も押そうかといわれたが、あのマッサージは長く施術して欲しいので、順番を確かめることにした。
 今大会は紙ではなく、小さな箱をそれぞれがもらってきて、その中にあるプラスチックボールに順番が書いてあるという仕組みだった。

 箱を開けて、ボールに触る数馬。
「お?」
 一言だけ言葉を発する。

 どうしたんだ、思っても見ない番号だったか。
「見る?」
 そんな風に声がかかるとは思わなかったので違和感があったんだ。
 たぶん、俺にとって気楽な番号ではないはずだ。
「見せて、数馬」
 半ば奪い取るようにボールをもらい、一度胸のとこで「良い番号でありますように」と念じる。そんな、念じたからといってボールの番号が変わるわけではないのだが。

 いつまでも念じてるのも変だなと、俺はボールを目の高さまで上げて、書いてある数字を見やった。
 33番。

 ・・・。おいっ。オオトリじゃねえかっ。

 こりゃ、緊張する、絶対緊張する。
 数馬、わざとこの番号引いたわけじゃあるまいな。

「そうだよね、透視できる人なら番号わかってしまうかも」
 おまえーーーー、絶対、知ってて選んだな。

 でも、一度選んでしまったからには交換することもできない。
 皆の的当て枚数がざっと並んだところで俺は演武しなくちゃいけない。
 オオトリだけは1人で演武と決まっているんだ。その他の場合は並行して進められるんだが。
 これも運命と割り切って、立ち向かうしかあるまい。
 緊張さえしなきゃいいんだよ。

 みんな。
 他人が当てた枚数が分るということは、一見楽だと思ってないか?それ以上当てれば勝てるでしょう、って。

 じゃん、ちょっと違う。
 逍遥(しょうよう)の『マジックガンショット』のように自由自在に速さを調節できるなら全然問題にはならないが、俺はそこまでの魔法は使えない。
 1枚1枚丁寧に当てていくしか道はないのだが、最終演武となると欲が出たりするから必ずと言っていいほど、ミスる。
 最終戦で自分の全てをさらけ出せる人なんてそうそういやしないんだよ。

 でもまあ、数馬のせいにしても仕方ないし、この番号に合わせ調整をするしかない。
今の俺に出来るのはそれだけだ。
「OK、数馬」
 待ってましたとばかりに数馬は事務局に順番登録に向かった。
 俺としては、20~25番目あたりが一番力を出せるんだけどなあ・・・と、また愚痴が口をついて独り言に変わる。
 いかん、自分が置かれた環境の中でどれだけのパフォーマンスを見せられるかで本当の力が証明されるんだ。

 とにかく、当初の目標通り50枚で4~6位を目指そう。

 数馬が帰ってくる前に廊下に出て、ストレッチを行う場所を探す。
 もう、それは数馬に伝えてあるし、探してくれだろう。
アリーナ内での出場選手は人数が決まっている。出場選手だけで35人。アリーナの廊下はストレッチなど軽めの調整を行う人が多く、実際にソフトを使う人たちは外に出ていた。
俺は、その人たちが皆演武を行うまでストレッチとマッサージで乗り切るしかない。

 ちょうど片隅に少し広い場所があったのでキープし、俺は軽くストレッチを始めた。
 サポーターまで混ぜたら50人をゆうに超える人間たちが内外で練習したり、話し合いを進めている。

 そのうち、周囲がバタバタしてきた。
 試合が始まったんだろう。
 数馬は廊下に俺を残し、試合の様子を見に廊下からアリーナ試合場に向かう。
 俺は俺で、身体を伸ばしながら数馬が肩甲骨のマッサージしてくれないかな、とか考えて自分でも触れる肩甲骨に指を入れようと右腕を背中の方に回す。
 しかし、マッサージが出来る体勢とは言い難い。
 自分でやれるだろ、って?
 今まで何度も書いて来たじゃないか。

俺は昔から身体が固いんだ。

 俺が肩甲骨を掴もうと必死になっていると、数馬が速足で試合場から出てきて、俺の仕草を見ながら遠くで笑っている。
 数馬。笑う前に手伝ってくれ。


 俺は腕が絡まり動けなくなった。い、痛い・・・。腕の張りが、もう限界に来ている。
 危なく「うわーん」と泣くところだ。
 そこにようやく数馬が笑いながら近寄ってきて、少し俺の腕を伸ばして肩甲骨に触らせると、腕を解いた。
そして肩甲骨のマッサージを行うため、俺はタオルとベンチコートを床に敷いてうつ伏せになった。

 知った顔が次々と廊下を離れて試合場に入っていく。俺の脇を通っていく者もいた。
 面倒なので双方笑みを受かべるくらいで話はしない。向こうだって試合前の一番緊張している時だし。

 30分ほど経っただろうか。
 もう一回数馬が試合場内を覗くために床から立ち上がった。
「もう少しだと思うけど」
 どちらかといえばストレッチに飽きていた俺は、試合そのものにも、少しばかり飽きが来ていた。
 イカン。
 一番まずいパターンだ。
こういう飽きやすさが試合に響き順位を落とすことに繋がるんだ。
 
 数馬がアリーナ出入口から猛スピードで走って出てくるのが見えた。
 そろそろ出番か。

「海斗、荷物こっちに渡して。今25番」
「わかった。トップ、誰?」
「いわずもがな、アレクセイさ」

 試合の度に禁止魔法をかけているのか毎日かけているのか分らないが、身体がボロボロになったら将来魔法が使えなくなるだろうに。
 そこまで納得の上で禁止魔法使うのかね。
「向こうの国では大会優勝者に敬意を表して国内中心部に家と車をくれるんだ。スポーツ然り、魔法大会然り」
 あ、あはは。
 読心術もここまでくると潔いと言うか、なんというか。
 俺も早く読心術使いてぇ。
「この大会終わったら教えてあげるから。少し我慢。さ、試合場へ急ごう」
 数馬は俺の胸中を意に介さず、荷物を右手に持ち左手で俺の胴衣を引っ張りながらそこらじゅうの人をかき分けて試合場に入っていく。

 もう、30番までの演武が終了し、観客席でもだいぶ空席が目立つ。
 まあでもある意味観客がいないということは俺の耳に入る外国語が減るということであり、案外オオトリも悪くないかもしれない。
 氷の上を舞うフィギュアとかスピードスケートならオオトリは傷ついた氷の上を滑るからなるべく引き当てたくない番号なのだろうが、魔法はそういったマイナス面もない。
 色々なスポーツ大会同様、メンタルが試される場でもあるのだろう。

 ぼんやりとそんなことを考えて、誰かが演武している的の向こうを見ていたら、後頭部を2発、思い切り叩く人間がいた。
 もちろん、数馬だ。
「今日の君はなんだか落ち着きがないねえ」
 いででと声に出しながら後頭部を右手でさする。
「そお?バタバタしてるつもりはないけど」
「そういう意味じゃなく。心ここにあらず。落ち着きがない証拠」

 なるほど。うん、心はどっかを舞っている感じがしないでもない。
 でも、今日が最後の演武だし、やっぱり気合を入れて試合に臨みたいのは確かだ。
「俺、次?」
「そうだね、31番がもう終わる。準備して」
 数馬の言葉に従うように何回かジャンプして手足をぶらぶらさせた後、首を大きくゆっくりと左右に動かす。ポキッ。首の骨部分から鈍い音がする。本当はやっちゃいけないと数馬に注意されてるんだけど、これやるとなんだか気持ちいいんだよねー。

 最後に右手指一本一本をポキポキ鳴らすと、俺は31番の選手と入れ替わりに円の中へと向かう。
 不思議と心臓がドキドキと音を発していない。今までの試合で一番、静かにいられる気がする。
 まだこれが最後だという実感がないのだろうか。
 それとも、強靭なメンタルを身に着けたのか。
 右手人さし指を一旦高く振り上げて少しだけ戻し、足を広げて姿勢を整えた。

「On your mark.」
「Get it – Set」

 音声とともに、的が真正面に現れる。
観客の声はほとんど聞こえない。
 俺があがっているわけではなく、最後の演者だから観客がいないに違いない。

 ドン・ドン・ドン!!
 立て続けに的に刺さる矢。
 矢が中心に当たるや否や、次の的が出てきて、また俺は間髪入れずに的を射る。
 左肩が下がるようなこともなく、総じて右手も疲れを感じないまま、的だけを見て的に当てることだけを本能的に考えていた。
 お蔭様で、何枚的に当てたか数えんの忘れたよ。
 数馬が数えててくれるだろ、きっと。

 俺にとっては、あっという間だった。
演武時間の終了を告げる笛が鳴り響く中、俺は右手を降ろし円の中から退いて初めに電光掲示板を確認する。
 51枚。
 よしっ、目標クリア!
 あとは順位だが、誰が何枚射抜いていたのか、今日の他者の成績を俺は全く見ていなかった。
 俺で演武は最後、GPSは終了だから、このあと電光掲示板に今日の順位と射的枚数、GPSの総合順位が表示されるはずだ。
 GSPの総合順位が知りたい・・・逸る心を押さえながら、電光掲示板に目を凝らす。
いつも以上に表示に時間がかかっているように感じた。
 数馬のところまで退いてもまだ電光掲示板は表示されない。
「何か遅くない?」
「んー、時間かかってるねえ。何かあったかな」
 数馬は淡々と語ってはいるが、やはり目は電光掲示板を注視している。

 ピカ。
 電光掲示板が動いた。

 まず、今日の順位。
 俺は5位。
 あの枚数を射抜いたとしても、俺の前に4人もの人間がいたか。
 誰が上位にいるかを確認しようとすると電光掲示板は消えてしまい、「えっ」っと驚きの声を上げてしまった。

 時間が押してるのかもしれない。
 次はGPSの総合順位のはず。

 どうなるか・・・正直、6位までに入ればGPFに出場の機会を得るわけだから、それでいい。

 1分くらい経っただろうか。
 再び電光掲示板が稼働し一斉に名前が光った。
 目を凝らすと、カイトホズミの名があった。
 急いで順位を見る。

 ・・・7位・・・。
 1位はロシアのアレクセイ、2位はスペインのホセ、3位はカナダのアルベール、4位はイギリスのアンドリュー、5位はドイツのアーデルベルト、6位はフランスのクロード。
俺は結局7位。GPFへの参加資格をあと一歩のところで逃してしまった。

 あーーーーーーーっ、惜しかった。
 隣で見ていた数馬。
 俺に(ねぎら)いの言葉をかけるでなく、じっと電光掲示板を見つめている。
 どうした、数馬。

 すると、電光掲示板がチカチカと点滅し始めた。赤で光っていたはずが、色が蒼に変わって点滅している。
 
 なんだなんだ。
 故障か?

 その時だった。
「よしっ」
 数馬が一言つぶやき、ガッツポーズを見せた。
 どうしたんだ?数馬。

 点滅は俺の感覚では3分以上続いていたのではないかと思う。
 数馬は俺の肩を叩いて、今迄俺に見せたことのないような口元や目つきでにやけていた。
「どうしたのさ、数馬」
「電光掲示板を見てればわかるさ」
「故障じゃないの。俺、7位だって。惜しかったよなあ。あと一歩でGPFだったのに」
「海斗。もう少し我慢して見てなって」
 我慢って、もう順位発表終わったよ。何を今更未練がましく掲示板見てろってのさ。

 すると、急に電光掲示板が暗くなり、30秒ほどしてまた赤く光った。
 数馬が俺の後頭部をバンバン叩く。
 いで、いでで。
 いでーよ、数馬。
「ほら海斗、見てごらんよ」

 いや、後頭部揺れててちゃんと見えないんですけど。
 数馬がやっと手を離したので、俺はまじまじと電光掲示板に目を遣り、なんか不思議な感覚に捉われた。
 さっきと変わってね?

 カイトホズミの名前を見つけて、横に目を流し順位を見る。

 ・・・6位?・・・
 なんで?どうして?

「ギリギリ間に合ったか」

 数馬がまた、ボソッと独り言をいってる。
 いったい、何がどうしたんだ?

「ほら、1位見てみなよ」

 言われるままに電光掲示板を凝視する俺。
 ん?さっきと何かが違う。
 あ、1位がホセになってる。
 アレクセイは?どこにいった?
「事務局の検査がギリギリで終わったらしい」
 数馬の言葉を借りれば、試合前の検査をすること敵わず、試合後に抜き打ちと言う形で魔法検査をした事務局。
 検査では、アレクセイは過去全大会、禁止魔法を自分にかけ体力気力をオーバーパワーにしていたことが判明したという。
 アレクセイ自身は何者かに禁止魔法をかけられたと主張したが、結局その主張は認められなかったのだとか。
 結局アレクセイは魔法検査にひっかかり、今までの総合1位の順位は剥奪され、今日以降3年間の対外試合禁止を申し渡されることになった。

GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第8幕

ちょっと可哀想な気もしたけど、勝負の世界でイカサマやっちゃいけない。
 正々堂々と戦えば、アレクセイだってGPFに出る実力はあったかもしれないのに。

 正々堂々と言えば・・・5位になったクロードもリュカにイカサマかけて追い出した口のはず。
 でも電光掲示板に名が出たということは、リュカの提訴は認められなかったということか。
なんか、哀しい。
 アレクセイは自分をオーバーパワーにしただけで誰にも迷惑かけてないけど(広い意味では迷惑だったけど)、クロードは間違いなくリュカに無き罪を被せて自分はのうのうとGPFか。
ちょっと許せなくない?
 
「数馬、5位のクロード・・・フランスのリュカを追い落としてGPFって、俺からしたらアレクセイより罪深いんだけど」
「そうだね、彼は今までもそうして人のモノを取り上げながら生きてきたんだろう。顔に書いてある」
「どうにかリュカの無実証明できないかなあ」
「GPFまでに証明するのは難しいけど、その後なら」
「GPFに出場するってだけで胸くそ悪いわ」
「海斗は正義派だな」
「海を越えて生活したこと無いからかも。嘘って嫌じゃないか?」
「確かに。さて、どうするかな、リュカのところに行ってみる?」
「皆と別行動はできないでしょ」
「じゃあ、来てもらうか」
「数馬、話聞いてくれるの?」
「カイト・ホズミの頼みだから」

 数馬は俺が6位入賞でとっても嬉しかったに違いない。そりゃそうか、俺なんかがこの大会で6位に入れるなんて、自分自身思っても見なかった。
 世界まるっとの戦いではないけど、ポイント制のこの戦いで6位入賞の意味は決して小さくない。
 GPF、そして世界選手権新人戦。この2大会で今年度は幕を閉じる。
 その中で俺はどこまで世界に通じるのか、やれるだけやってみたい。
 亜里沙が今頃笑ってるかもしれないな。最初はGPSすら出ないってごねたから。
 今頃何処をどうしているのやら。
 イタリアには顔も出さないのか?亜里沙に(とおる)

 と。
 リュカの件に係る話しを展開しよう。
 俺と数馬は最初にルイの部屋を訪ねることにした。もしかしたら、リュカもイタリアまで来ているかもしれない。陸続きだし。隣国だし。ま、飛行機使って行き来するんだろうけど。
 とにかく、ルイからある程度の情報を得てリュカに繋げないと。
 ルイは数馬と母国語=フランス語で話したことがあるから数馬に対して良いイメージを持ってると思う。リュカの現在についても情報を持ってるだろう。
 まずは、そこから。

 確かフランスチームも、ここイタリアでの宿は日本と同じだったはずで。
 俺と数馬は試合場を出てタクシーでホテルに戻りルイの部屋を訪ねたが、まだ試合から戻っていないようだった。2度、3度のインターホン呼び出しにも応答がない。

「夕食後にもう一度訪ねよう」
 数馬が自分の部屋に帰りたい様子だったので、俺もルイと話すことを一旦諦めた。

 あ、逍遥(しょうよう)や他の人達の試合観るの忘れてた。ごめん、みんな。結果だけ後から聞くから。
 

 EVが数馬や俺の部屋がある階に到着した。
 数馬は部屋に行くにつれて、顔色が冴えなくなってきた。
「どうしたの、数馬」
「いや、ちょっとマズイ展開になってるかも」
 それ以上、数馬は話そうとしなかった。
 なんだろうと訝る俺だが、数馬の表情から読み取れるモノは何もない。

 数馬は部屋の前に立つと、カード―キーを出して無造作に部屋を開けた。


◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇

「やっぱり」
「どうしたの、数馬」
「薬箱が消えた」
「なんだって?あの中には大事なモノが入ってるんじゃなかったのか」
「かなりヤバイな」
「万が一見つかったりでもしたら、数馬の人生終わるよ」
「海斗の人生も半分くらい落ちるかも」
 誰が数馬の魔法を解いて薬箱ごと持っていけるって言うんだ?
俺は廊下に出て、そこら辺を行ったり来たりしていた。
数馬は部屋の中でじっとしている。
俺の行動がかなり怪しく見えたのだろう、試合が終わって帰ってきた聖人(まさと)さんと逍遥(しょうよう)が挨拶も無しに数馬の部屋に入って行く。
 聖人(まさと)さんが部屋を見回し、数馬の魔法の痕跡を感じたようだった。
「何隠した」
 数馬はあらぬ方向に目を遣り聖人(まさと)さんの言葉を宙に浮かせようとしたが、こればかりは無駄だった。
「おい、なんであんなもの持ってた」
 やっぱり。
亜里沙もそうだが、聖人(まさと)さんも過去を見通す魔法を使えるのか。
俺はその辺を単純に考えていた。
「過去を見通すなら、持ってった人を特定できないの?」
 聖人(まさと)さんが苦笑いを浮かべる。
「俺は過去透視を行ったんじゃないよ、海斗。できないわけじゃないけど過去透視は苦手なんだ。そこにあったものが何なのか、今はそれだけしかわからない」
「そうなの?じゃ、誰が持ってったか分る術はないんだ」
「残念ながらそうなる」
逍遥(しょうよう)は何も口にしなかった。逍遥だって透視くらい、読心術くらいしていたに違いない。アンフェタミンがここにあったという事実に驚いて全日本の件を思い出しているのかもしれない。
 
 どうしようもないといった顔色で、数馬は大きく溜息を吐く。
「取り返さないと」
 そういって、数馬は目を閉じた。
 何分くらいそうしていただろう。
 俺にはあの点滅した電光掲示板と同じくらい、長く感じられたのだが。

「なるほどね」
 数馬はカッと目を見開き、薬箱が置いてあった机を触る。
 チカチカと赤く光る妖精のようなものが見えた気がした。
「ここ、触ってみて。早く」
 数馬に催促され、聖人(まさと)さんを初めとした俺たちは、同時に机の上を指でなぞる。
 
 俺の脳裏に浮かんだのは、フロントで親切にしてくれた、あの日本語を流暢に繰り出す青年だった。
「フロント?」
 一瞬遅れて机から指を離した俺の言葉に、皆が頷く。
「だな」
 聖人(まさと)さんが一言発すると、逍遥(しょうよう)も大袈裟に反応した。
「なんで彼が」
「どちらかといえば、あの薬箱というよりは部屋に侵入するのが当初の目的だったんじゃないか」
 そういって聖人(まさと)さんは数馬を見た。
「アンフェタミン目的では無さそうだな。この部屋に入ってすぐに何かめぼしいものがないかどうか魔法を発動したように思う」
 俺も聖人(まさと)さんの意見に賛成だった。
 なぜかといえば、俺の脳裏に浮かんだ光景では、あの彼が部屋に入って辺りを見回していた。そして右手を大きく部屋全体に翳していたからだ。そうして数馬の魔法は効力を失い薬箱が出現した。
たまたま薬箱を見つけた彼は、中身を見ることなく箱ごと持ち去った。
「中身は確認してないように思うけど」
 聖人(まさと)さんも同様に、頷きながら付け加える。
「怪しげな箱だったから持ってすぐにこの部屋を出たんだろう。俺たちは試合に出てたとはいえいつ戻ってくるかわかんないしな。生徒会の目もある」

 俺たちはしばらく押し黙り机の上を見ていたが、突然逍遥(しょうよう)が大きな声を出した。
「フロントに行く?それとも、居場所を見つけて洗いざらい吐かせる?」
 数馬は首を捻ったまま、腕組みして考えるような仕草をみせる。
「話を大事(おおごと)にしたくないからね、居場所を見つける」
 そしてまた数馬は目を閉じた。
 同時に、|聖人さんも。
 逍遥(しょうよう)聖人(まさと)さんを信用しているからか、透視をする様子は見られない。机に手を翳しながらじっと薬箱のあった辺りを凝視している。
皆俺よりも魔法力があるだろうからと、俺は何もしなかった。
そういえば、俺の部屋は何もされてないだろうか。
逍遥(しょうよう)。俺の部屋に一緒に行ってくれないか」
「OK。ここに入ったとなれば、パートナーである君も犯行対象になってる可能性があるね」

 俺と逍遥(しょうよう)が数馬の部屋を出ようとしたときだった。聖人(まさと)さんが静かに目を開けた。
「俺も行く。この部屋で起こったことは大方わかったし、数馬一人いれば過去まで遡れる」
 目を閉じたまま集中しているが、数馬も声は聞こえただろう。
 数馬が過去に遡れる、としれっといいのけた聖人(まさと)さんの言葉を俺は聞き逃していた。

 
3人で静かに数馬の部屋を出て、俺がゆっくりとドアを閉めた。
なんだかとてもドキドキする。
心臓が飛び出そうといったらさっきの逍遥(しょうよう)より大袈裟かもしれないけど、かなり俺はハイテンションだったに違いない。聖人(まさと)さんたちより前に出て部屋に向かい、息を整えてカードキーを差し込んだ。

すっと静かにドアを開け、中を見回す。特に変わった様子はなく、脱ぎ散らかされたジャージは・・・すまん・・・この世界に来てから行儀が悪くなり、パジャマたるジャージを畳んだことがない。
「いや、これはだな・・・」
「君がテキトーにしてんのは分かってるから大丈夫」
 逍遥(しょうよう)は容赦のない口撃パンチを俺に浴びせた。
 はい・・・言い訳できる材料も持ち合わせておりません・・・。
 
 聖人(まさと)さんは何も言わず、ふっと右手に息を吹きかけそのまま室内に手を翳す。
 数馬の部屋でみたような光景が出てくれば、誰かがここに入った証拠だ。

 すると、チカチカと赤と黒の光が交差した。
 黒の光なんて初めてみたわ。
 光は段々と大きくなり、俺の机の下で止ったまま。

 なんだ?何が起きた?

「数馬を呼んで来い」
 聖人(まさと)さんが早口で俺たちに声をかけた。冷静な口調ながら、重々しい。
「はい」
 俺は答えると同時に、速足で部屋を出て数馬の部屋に向かった。逍遥(しょうよう)はそのまま残っていたようで、後を追ってくる様子は見受けられない。
 数馬の部屋の前に着き、俺は急いで何回もインターホンのボタンを押し続けた。
 ドアが開くまでとても長く感られ、チッと舌打ちをしてしまったほどだ。

 ようやくインターホン越しに数馬の声が聞こえた。
「今行くから」
 そういってインターホンは切れた。
 俺が何も言わずとも、数馬は異変に気が付いたようだった。
数馬が顔を見せた瞬間に俺は部屋の異変を話そうとしたが、俺に口を閉じるようなゼスチャーを何度となく繰り返す数馬。
その時は意味がわからなかったんだが、あとで考えてみれば、部屋の外には防犯カメラが作動していたはずだからそれに反応するのを避けたのだと思う。

 とにかく、俺たちは互いに話すことなく走って俺の部屋に向かい、俺がカードキーを差し込んで部屋のドアを開けた。
 数馬の顔を見た瞬間に聖人(まさと)さんが親指で机の下を指した。
「これ、そうだよな」
 光はまだ交差し点滅したままだった。
「こうきたか」
 数馬は悔しそうに吐き捨て机の下に右手を翳す。
 
 あ。
 あの薬箱だ。
 
 なんで俺の部屋に。
 持ち去ったわけじゃなかったのか。
 数馬は薬箱の中からアンフェタミンの入った容器を取り出し、俺たちに告げた。
「今からホテルの外に出てこれを消去してくる。誰が来ても知らぬ存ぜぬを通してくれ」


 そういってドアの方を向いた時だった。
 インターホンの音が激しく聞こえたような気がした。俺はピョン、と飛び上がったほどだ。
 ドアに対し背中を向けていたので、咄嗟に何が起きているのか状況が掴めなかった。振り返って画面を確認すると、見たことのない大人が2人。スーツを着ている。1人は男性、1人は女性。

 誰だ?
 と、不安になって周りを見ると、俺以外の3人が消えていた。

 え?
みんなどこへ行った?
 そして、ドアの向こう側にいるのは誰だ?

 俺は1人、呆然とその場に立ち尽くした。

GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第9幕

何度か目のインターホンの音で、俺はやっと自分の状況を察した。
 外にいるのは、たぶん、GPS大会事務局の関係者。

 今回のGPS大会で俺に対する何らかの罪が通報され、そのタレこみを確認しに来たというところか。
 罪は・・・アンフェタミンの使用とでもいうところか。
 で、俺の仲間たちは忽然と姿を消した。
 薬箱を置いたまま。

 俺はどう演技すべきなんだ?

 自慢じゃないが、嘘は苦手だし演技も下手だ。
 俺はやけくそになって笑いが込み上げてきた。

 さて、相手を待たせるわけにもいかない。ドアを開けなければ罪を認めたことになる。俺が部屋にいることは防犯カメラ映像を解析すればわかるだろうから。

「はい」
 なるべく落ち着いた態度をとり、大人しくドアを開ける。
八朔(ほずみ)海斗、くんだね?」
「はい、そうです」
「部屋の中を見せてもらってもいいかい?」

ほら、きた。
もう、どうにでもなれ。国分くんのようにアンフェタミンを摂取したわけでもない。俺の身体からは何も出るはずがない。

 俺は小さく深呼吸してから、一言だけ告げた。
「はい、どうぞ」

 2人の大人は部屋の中をざっと素手で触ったあと、右手を部屋中に翳した。
 赤くチカチカ光れば、俺の負け。
 どうやって3人が姿を消したのか分らなかったが、薬箱は机の下にあるし、アンフェタミンはその中に入っているはずだ。
 
 案の定、机の下が赤くチカチカと光り、薬箱を見つけられた。
 男性の方が俺の方に向き直る。
「この中、確認してもいいかい」

 天国から地獄、といった心境で、また一言答える。
「はい、どうぞ」

 俺はそっちを見なかった。見たところで何かが変わるわけでもない。アンフェタミンが見つかれば俺は事務局に連行され検査を受けることになるだけだ。
 
 箱を開ける音がして、がさがさと中を見ているのが音でわかる。何分程見ていたんだろう、大人たちが薬箱を閉める音がして、後ろから肩を叩かれた。
八朔(ほずみ)くん、ありがとう」
 振り返った俺に、男性の方が声をかけてきた。
 俺は素知らぬふりをしていたが、何も話さないのも変かな、そう思って、言わなきゃいいのにひと言多く話してしまった。
「どうしたんですか。今までの試合でこんなことはなかったんですが」
 男性の方が一回咳払いをしたあと、ゆっくりと話し始めた。
「君が不法な薬物を所持していると通報が入った。今見たところ部屋に薬物はない。君さえよければ身体の方も検査したいのだが、どうだい?」

 あちゃー。
 話しかけなきゃよかった。
 でもまあ、どっちにしてもこういう展開に落とし込まれる運命だったのかもしれないし。俺、自分のドリンクしか飲んでないし。あとはホテルの食事しか摂ってない。
 検査するのにどっか連れてかれんのかな、帰り迷うな、嫌だな・・・。
 俺はあからさまに嫌な顔をしていたに違いない。でなきゃ、相手は読心術でも使うのか。
「大丈夫。ここで血液を少し採らせてもらうだけだから」

 そか。それならいいや。
「はい、わかりました」

 隣の女性はどうやら看護師で、俺の血液を採るために帯同してきたんだろう。
「はい。親指中にして手を握ってください」
「針さします、チクッとしますよ」
 俺は注射が苦手だ。
 だから針が刺さる瞬間を見ない。
「はい、終了です。手を開いて構いませんよ」
 採血は一瞬で終わった。

 あー、終わった。
 心臓がどきどきするんだ、注射は。

 ここで確定させるのかなと思ったら、それは持ち帰ると言うので首を捻った俺。
 だって、どこかで誰か他の人の血液と互い違いになってしまうことだって無きにしも非ず。
 俺は必死にここで確定してくれと頼みこんだが、専用の機器は事務局内にしかないと言う。
 ちょっと押し問答のようになってしまい後に引けなくなったが、向こうが採血した証に俺の指紋も容器に押させてくれて、ついでに、DNAも確定させてくれると言うのでやっと折れることができた。

 
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇

 事務局の人が帰ったあと、俺は机の上に置かれた薬箱の中を見た。
 確かに数馬の部屋で見た薬箱だがアンフェタミンは入ってない。入ってたのは絆創膏とかカイロとか。薬類は何が入ってるかわかんないから処方されたもの以外飲むな、と聖人(まさと)さんや数馬から口が酸っぱくなるほど言われていたので、この薬箱にも入っていない。

 それにしても見事な恩行で。
3人と一斉に何処かへ消えたらしい。
 みんなどこ行ったのかな。

 離話でもしてみるか。いや、リアル世界で見てたドラマじゃこういうとき部屋に盗聴器が仕掛けてあったりして罪がバレたりするんだよ。
 俺、何も犯罪冒してないけど。

 
 しょうがないから寝るかな、と思ってベッドに転がったその時。
「海斗、僕。数馬。聞こえてる?」
 数馬から離話が入った。
 俺は思わず起き上がる。
「おー、数馬。みんな一斉にいなくなったからびっくりしたよ」
「悪い悪い、あの状況で説明してる暇なかったから」
「アレ、どうしたの、結局」
「消去したよ」
「どこで?ホテル内じゃできないって言ってたよね」
「日本まで一旦戻ったよ」
「どうやって?」

 目を丸くする俺に、ケタケタと数馬は笑っている。
「瞬間移動魔法はこういうときに一番役立つのさ。3人で紅薔薇に飛んで消去した後こっちに戻って、君が捕まってる間僕らでケリつけてきた」
「ケリって?」
「フロントの彼だよ」

 ああ、そういやあの日本語お上手な彼が数馬の部屋に入ったらしいところから物語スタートしたんだっけ。
「で、結局何だったのさ」
「聞いて驚け、彼は宮城家と関わりがあったんだよ」
「宮城家、ってことは、聖人(まさと)さんの実家?」
「そう。しばらく口割ろうとしなかったから真実の魔法使っちゃった」
「なに、真実の魔法って」
「真実を告白させる魔法のこと。沢渡が使い手としては有名だね」
 五月七日(つゆり)さんが落ちたあの魔法か。
 逍遥(しょうよう)は使えないはずだし、誰が使えるんだ?
「他にあの魔法の使い手いんの?」
 数馬は嬉しそうな声を出す。
「僕~」
「げっ、数馬そんな魔法まで使うの?」
「外国で生活するには必須だよ。嘘つき多いだろう?」
「そりゃまあ・・・。で、経緯教えてよ。なんでこうなったか」

 数馬の話を総合すると、こうだ。

 宮城家では相変わらず海音(かいと)が父親に甘やかされて生きており、紅薔薇、特に八朔(ほずみ)海斗に対する敵対心を隠そうとはしなかった。
 海斗たちを潰すため父親は海斗が出場するGPSの各大会に足を運ぶほどだったが、これというチャンスは訪れない。
しかし、ちょうどイタリア大会で使用したホテルのフロントが、昔、日本語を習いに宮城家に出入りしていた学生だった。
 父親は彼に頼み、八朔(ほずみ)海斗とサポーターの大前(おおさき)数馬の秘密を握れないか画策したいと持ちかけ、フロントの彼は了承した。
そして海斗たちの試合時間中に、フロントという立場を利用し、海斗や数馬が部屋の鍵を室内に置いたままだと嘘をついて海斗と数馬の部屋に入り込んだ。
マスターキーで入ったので防犯カメラを気にすることもない。
数馬の部屋に入って薬箱を見つけた彼(どうやら、薬箱を見つける魔法だけは使えたらしい)は薬物に対する素養は無かったが、風邪薬くらいなら入っているだろうからとGPS大会事務局に嘘の通報をした。その後、海斗の部屋に薬箱を移すよう求めた宮城父の企みに乗り、海斗の部屋に薬箱を移した。
そこまでは彼が宮城父から命令された行動だった。

海斗の部屋に集まる際に、聖人(まさと)さん、逍遥(しょうよう)、数馬は姿が防犯カメラに写り込まないよう存在を消す魔法を使うなど不測の事態に備えていたが、急に大会事務局関係者が海斗の部屋に着たため、アンフェタミンを処分する時間と場所を変更しなければならず、3人一緒にアンフェタミンを持って瞬間移動魔法で日本の紅薔薇学園内に飛んだ。
紅薔薇の中庭に隠れた数馬たち3人はアンフェタミンを消去魔法で人知れず処分した後、またもや瞬間移動魔法でイタリアのホテルに戻った。
この間、約2分。
イタリアに戻った3人はフロントの彼に同行を求めた。
しかし彼が何も話さないため、数馬が真実の魔法を発動し宮城家との関与が明らかになった。
数馬としては一連の出来事を大事(おおごと)にしたくないという不純な理由もあったので、海斗に血液採取まで済ませてもらって、セオリーどおりにこの一件を処理した。
 
「なるほどね、だからみんな一斉にいなくなったのか」
「海斗のこだわりはそこ?」
「そりゃそうだよ、1人置き去りでなんか疑いかけられて血液採られてさ」
「これでまた経験が一つ増えた」
「こんなのは金輪際ごめん被りたいね」

 俺の不機嫌そうな顔を見ても、数馬は反省する素振りも見せない。
 聖人(まさと)さんや逍遥(しょうよう)は、所詮他人事(ひとごと)なので離話にも加わってこない。なんてやつらだ。

聖人(まさと)さんをこの件に関わらせると宮城家で何してくるかわかんないからね、今回は僕と逍遥(しょうよう)で進めたよ」
「逍遥だって宮城家には知られてるんじゃないの?還元した時に会ってるかもしれないし」
聖人(まさと)さんが逍遥(しょうよう)に還元した時は、宮城父は退官してたんだ。まあ、宮城海音(かいと)がまだ暗躍しかねないっていうのがこれからの問題ではあるけど」
「あいつのターゲットは俺だから、何とかするわ」
聖人(まさと)さんと君だよ」
「真面目な話、あいつ、粘着質なうえに面倒なヤツでさ」
「そうらしいね、噂だけは聞いてる」
「退学処分になった後逮捕されたから、もう消えたもんだとばかり思ってた。まったく、あいつは塀の向こうにいるはずなのにさ。何で今も関わってくるかな」
「宮城父が聖人(まさと)さんを認めない限り、この争いは続くだろうね。これからも李下に冠を正さずってやつで生活してくれよ」
「了解」
「明日生徒会に顔を出してイタリア大会の結果を聞こう。今日はもう、おやすみ。2週間後はGPFだ」
「そっちも了解」

 離話を終わらせ、俺はもう一度ベッドに身体を横たえた。
 疲れないと言えば嘘になる。
 今日はGPS最後の大会で、GPFの出場権を争う戦いでもあった。目標はGPF出場だったけど、ギリギリのラインでここまできてた俺だったし、まさかGPFに残れるとは夢にも思わなかった。
 イタリアから日本へ向け出発するのは明日。GPFが2週間後ということで、今回は体調を整える意味も合わせて祝勝会を開催せず、すぐ日本に戻るらしい。
 俺自身、日本でもう少し練習を重ねてGPFに向けて魔法の精度を高めなければならない。

 そうそう。
 他の競技の結果。

 逍遥(しょうよう)の『エリミネイトオーラ』は最後まで気を抜くことなく、1位でフィニッシュしたようだ。総合順位1位でGPFへ。
 光里(みさと)会長の『バルトガンショット』は、今大会は疲れもあり3位だったが、総合2位で順調にGPFへ。
 南園さんは連戦の疲れが溜まってしまったようで今大会は5位。でも、これまでの貯金が物を言い、総合順位は3位。同じくGPF出場。
沢渡元会長は化け物か?他の国に明け渡すことなくGPSの1位を守りきった。もちろん総合1位でGPFへ進む。
あとは俺が『デュークアーチェリー』で今大会は5位だったものの、アレクセイの禁止魔法が公になったことで順位が入れ替わり、総合6位でGPFへと駒を進めることができた。
 全種目で日本の紅薔薇チームがGPFに挑むことになった。
  
 GPFは一発勝負。
 その日の外的な体調や心的なメンタル、その二つががっちり組み合わされてこそ最高のパフォーマンスを披露することができる。
そして、最高の技術と最高のメンタリティを発揮した者だけに、GPFのメダルが(もたら)されることになる。

 前にも言ったと思うけど、こっちの世界は金メダルと銀メダルしかないから。
 準優勝にならないことにはメダルを手に出来ない。
俺は6位からの下剋上を目指して頑張るしかない。


翌日、朝5時という朝っぱらから俺は数馬に起こされた。
ルイがまだこちらにいるはずだから、リュカとともに話をしたいと言う。
寝ぼけ眼でルイの部屋をフロントで聞く俺。
日本語をはきはきと操るあの彼は、もう姿を消していた。紅薔薇サイドからクレームをいれたのかもしれない。
もう会うこともあるまい、そう思いながら、フロントから直接ルイを呼び出してもらう。
今日の出発は確か午後。
リュカの話を聞く時間はあるだろう。

とはいえ、まだ早朝。ルイも大会で疲れて爆睡していたようで、フロント係の人への暴言は凄まじかった。
途中で数馬が電話を代わり、母国語を使ってルイを(なだ)める。
 ついでにリュカの居所を聞いた数馬は、当時の状況を教えて欲しいとルイに頼みこんでいた。するとルイの声色は急に変わり、数馬に何回も同じ言葉を繰り返す。どうやら、ありがとうといっているらしい。
 リュカがイタリアに応援に来たのだと聞いた俺たちは、ルイも一緒に、3人でリュカのホテルを訪ねることにした。

 ルイがカフェで何か口にするかと数馬に聞いていたようだが、数馬は丁重にそれを断り、リュカに直ぐ会いたいと申し出ている。
 俺たちの宿泊先ホテルから歩いて10分。
 小奇麗なホテルの前に立った俺たち。
 ルイが最初にドアの前に立つ。ドアマンが丁寧にドアを開けてくれて、にっこりと微笑んだ。ルイは上機嫌でドアマンに3人分のチップを渡していた。
 続いて数馬と俺がホテルの中に入る。
 チップに弱い俺は、内心助かった―、と安堵する。数馬を見ると平然としたもので、旅を続けてた数馬にしてみれば、チップなど問題にも値しないのだろう。

 先にフロントへ全力で走っていったルイは、リュカがホテルにいるかどうか確認してもらっていた。
 それもそうだ、リュカがチェックアウトしていたら、この計画はおじゃんだ。
 ルイは両足を交互にトントンと動かして、のんびりと対応するフロントに対し少しイライラしているように見える。
 やっとフロントから声をかけられたルイがすぐさまくるっとこっちを振り向く。
「OK!」
 手で大きく丸を作って、少し離れたところに位置していた俺たちを呼んだ。
 
 数馬に母国語で話しかけるルイ。フロントの職員は受話器を握っている。
「ルイ、何話してるの」
 俺はフランス語はさっぱりわからん。ゆえに数馬に通訳してもらうしかない。
 数馬は俺の頬を抓りながらルイの話していたことを通訳してくれる。
「まだチェックアウトしてないって。今、部屋に電話してもらってる」
「じゃ、ここにくるの」
「そうだね、待ってよう」

 俺たち3人は急に無口になり、誰からともなくロビーに移動して椅子にどっかりと腰を下ろし、リュカが姿を現すのを待った。
「ルイ!」
 ルイを呼ぶその声こそ、数馬が話したがっていたリュカだった。
でも、リュカも一応数馬と面識はある。
とはいっても、広瀬に同化されていた数馬だけど。
リュカも何となく雰囲気が違うのを感じているようで、目をくりくりさせて数馬を見ている。
「タコ!」
 ようやく俺に気が付いたらしい。
「リュカ、久しぶり」
 俺は当然日本語で話しかける。
 と、隣にいる数馬はリュカの母国語であろうフランス語を駆使して挨拶した。頭を下げたから、たぶん挨拶したんだと思う。
そのあと二人は早口で会話し始めた。
 途中リュカは涙ぐんだり語気を強めたりと不安定になっているのが俺にもわかる。

 数馬はしばらくリュカを慰めるように話していたが、ポン、とリュカの肩を叩くとリュカはようやく笑った。
「ねえ、数馬・・・」
 俺の方を振り向くかと思いきや、数馬は間髪入れずルイに早口で話しかけた。
 ルイは驚いたような顔をし、そのあと笑顔に包まれた。数馬から離れたルイはそのままリュカにハグして2人で喜び合っている。

「数馬、進捗状況を教えて欲しいんだけど」
「ああ、ごめん海斗。君はフランス語解らないんだっけ」
「さっぱり。で、どうなったの」
「リュカの行動の詳細を聞いていたんだ。ドリンク類から禁止薬物が見つかったようだ。ただね、飲みかけのドリンクから見つかっているから他人が何らかの薬を混ぜた可能性は大いにある。飲んだのを確認したあと大会事務局にリークして薬物検査させたんだろう」
「誰でもできるじゃないのさ、それなら」
「そうだね、ドリンクからはリュカの指紋しか出なかったからグローブはめて実行したのがわかる」
「じゃ、もうどうしようもないの?」
「いや、過去透視できればその時の状況がわかる。でも状況証拠だけじゃつまんないだろ。どうせならはっきりとした証拠をつきつけたくないか?」
「できればね。でもアメリカ大会だからもう指紋も何も部屋に何も残ってないだろう」
「過去透視したら、それ以外に触ってるモノがあるみたいでね、それを日本で鑑定した上で調停委員会に持ち込み過去透視してもらう。部屋の中はおろか、ホテルのフロントや掃除スタッフ、防犯カメラの証言を得てね」
「最初から大会事務局に持ち込むんじゃなくて?」
「調停委員会を中継して持ち込む方が妥当だろう。全ての証拠を叩きつける」

 数馬はすっと目を閉じると、俺の右手を握ってきた。
 俺の意識の中に、数馬が見ている状況が同じようにまざまざと反映される。

 アメリカ大会でベンチ扱いだったクロードは、ホテルのフロントにリュカに頼まれたと嘘をつき部屋のカードを借りることに成功した。
リュカの部屋に難無く入ったクロードは、冷蔵庫にあったリュカの飲みかけのドリンクに風邪薬を混ぜた。
カードを持ったときから冷蔵庫をあけるまで、クロードはしっかりとビニールらしき手袋をしていた。
次に手袋を外したクロードはリュカがいつも持っていたドリンク袋に素手で触っていた。細い糸で編んだ袋だったので、編地について見落としたか、素手で触っても何も影響ないと踏んだんだろう。
中に何が入っているか確認したかったに違いないのだが、手袋を外した理由はよくわからない。或いは、薄手のビニール手袋が滑る素材だったのかもしれない。

数馬はリュカに話を聞き、瞬時に過去透視して真実を炙り出した。
さ、ここからは証拠集めだ。
リュカからドリンク袋を受け取った数馬は、ホテルのフロントに何か話にいった後、一瞬消えた。日本に行ったんだと思う。
俺はまた日本語でルイやリュカと二言三言話し出した。
ルイが嬉しそうに笑顔を見せる。
「カズマ、サスガ」
「数馬に任せとけば何とかしてくれるよ」

 10分ほどで数馬は戻ってきた。
「鑑定は日本にお願いした。30分あれば指紋が出るはずだ。あとは調停委員会に寄ってホテルフロント、掃除スタッフ、防犯カメラ映像をまとめて置いて来たよ。袋の検査結果も調停委員会に直接届くはずだ。それを直接大会事務局に送ってもらおう。これでクロードを追い詰めることができる」

 数馬の行動力は物凄い。
 マネジメント能力は聖人(まさと)さんをゆうに超えるかもしれない。まあ、聖人(まさと)さんは元々選手側の人間だから比較のしようもないのだが。
 でも消去魔法などの軍隊用魔法や瞬間移動魔法、隠匿魔法に読心術、たぶん、さっきの様子だと過去透視魔法も数馬は使える。

 俺のバディはパーフェクトかもしれない。いや、パーフェクトだ。

 数馬はリュカとルイにも同じ話をしていた。
 2人とも目を輝かせ、飛び上がらんばかりに喜んだ。
 そして数馬と俺にハグしてきて、何回も頭を下げた。フランスに頭を下げる文化なんてあったっけ。2人とも日本の文化に興味あるようだから、覚えたのかな。

 数馬は、2人に母国語でこう告げたらしい。
「1週間ほどで調停委員会と大会事務局から連絡が行くと思う。それまで辛抱して。クロードには絶対に近づかないこと。今回のことが筒抜けになって返り討ちに遭うかもしれないからね」
「OK!」
 2人は満面の笑みを浮かべながら、ロビーを出てリュカの部屋に戻っていった。

 1週間後、リュカから数馬に手紙が来た。
 クロードの罪は暴かれ、リュカにかけられていた嫌疑は晴れた。クロードはGPSの規定に沿って総合順位を剥奪され、GPFへの出場の夢は潰えた。それどころか、5年間の魔法競技出場停止の処分が下ったという。
 他人を陥れた点がアレクセイよりも凶悪であるとされ、クロードは魔法師として使い物にならないという烙印を押されたも同然だった。

GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第10幕

俺たちはリュカの冤罪を晴らしたわけだが、待つこと一週間、一緒にイタリアにいることはできず、競技終了翌日には日本に戻っていた。

 まず数馬が取り組んだのが、俺の体幹矯正だった。
 部屋のど真ん中に、今もバランスボールが置いてある。数馬が再び瞬間移動でイタリアから運んできたに違いない。
 朝晩はそれを使って、ぐらつかないよう体幹を鍛えろということらしい。

 でも俺は、すぐバランスを失ってコケてしまう。
 俺の運動神経が最悪なのか、姿勢が悪いからなのか、このバランスボールが不良品なのかはわからない。
試しにサトルに乗ってもらおうと思ったが、サトルは学校からの帰り時間が遅い。生徒会にこき使われてる。
 仕方ないので、逍遥(しょうよう)に乗ってもらい品質チェックということにした。
 数馬自身はこちらの寮にくることはまずない。これは、広瀬時代から変わっていない。
 まず、数馬が乗って見本を見せればいいと思うんだが、数馬にその気はない。
 逍遥(しょうよう)の部屋に行くと、聖人(まさと)さんと二人頭を突き合わせて吠えている。
「なんで吠えてんの」
 最初逍遥(しょうよう)は俺の姿を認識しなかったようで、ガチで聖人(まさと)さんに対抗していた。

 その様子を見ること3分。俺に気付いたのは聖人(まさと)さんだった。
「どうした、海斗」
「俺んとこにバランスボールあんだけど、うまく使えないから見本見せて」
「了解、逍遥(しょうよう)を説き伏せたら行く」

 こりゃ、しばらく無理だな。
 サトルの帰りを待つか。

 案の定、聖人(まさと)さんや逍遥(しょうよう)は俺の部屋に顔を出すことなく時間が過ぎていく。
 サトルに離話しようと思ったが、生徒会でまだ働いているかもしれない。
 乗っては転び、乗っては転びながら俺はサトルの帰りを待った。

 段々夜も更けていく。

生徒会の透視くらいなら怒られないだろう、俺は早速目を閉じて、紅薔薇高校生徒会の様子を窺った。
 みんなもういなかった。
 おう、サトルは最後に鍵かけたようで、職員室にいるのが見える。

 もう少ししたらサトルが戻ってくる。夕飯食べ終えた頃にでも見てもらおう。
 離話だ、離話。
「サトル、海斗だけど」
 もう廊下に出ていたサトルが応答してきた。
「海斗?どうしたの」
「夕飯後でいいからさ、俺の部屋にあるバランスボール乗って見て」
「バランスボール?買ったの?」
「数馬からのプレゼント」

 離話しながら、サトルはお腹を(よじ)らせて笑ってる。
「笑うところか?」
「いや、ゴメン。海斗の体幹矯正始めるつもりなんだね」
「GPFに間に合うとは思えないんだけど」
「どうかな。次の世界選手権新人戦を睨んでるのかも」
「俺は出ないだろ、どう考えても」
「わかんないよ。もうすぐ寮につくから、待ってて」

 サトルとの離話を終えると、そこに聖人(まさと)さんからの離話が入った。逍遥(しょうよう)ならまだしも、聖人(まさと)さんに甘える訳にはいかない。
「どうした」
「ん、解決済み」
「そうか。逍遥(しょうよう)向かわせるか?」
逍遥(しょうよう)、機嫌悪そうだから止めとく」
「まあな」

 詳しく聞いても俺が何かできるわけじゃないし。
数馬から聞いたアレがまだ調整できてないんだろう。
練習が、量か質か。
 それは俺にだって当てはまる問題だが、今んとこは数馬を信頼し任せてるから。
 逍遥(しょうよう)は最早そういうレベルじゃないんだよね、だからサポーターに関して物申したくなるんだ。
「なんかあったら呼べよ、海斗」
「ありがとう、聖人(まさと)さん」
 
 離話を切ったところで、サトルが来た。この時間からして、夕飯前に俺の部屋を訪ねてくれたに違いない。
「サトル、最初に飯食ってきたら?」
「うん、今から食堂行く。どれ?バランスボール」
 濃いグレーのバランスボールはどうだといわんばかりに俺のベッド脇に鎮座している。背中をベッドに付けてないと、俺はすぐ転ぶ。
「戻ったら乗ってみる」
 サトルはそう言い残して俺の部屋を出た。

 数馬に離話したいのだが、俺の魔法力はまだそこまで強化されていないらしい。結構遠くまで通じるようになったと思ったのに・・・。これがやんごとなき事情でもあれば火事場の馬鹿力よろしく離話も通じるかもしれないが。

 みんな、すげー魔法力だよなあ、と小さく溜息を洩らす俺。
 こっちきて7カ月とはいえ、使える魔法少なくないか?
 なんつーか、こう、生活に役立つ魔法を覚えたいよね。
瞬間移動魔法とか読心術とか、隠匿魔法だって何かの役に立ちそうだ。
 破壊魔法や消去魔法は、まだ俺には習得できないだろうから置いとくとして。

 ま、今はそこを考えるんじゃなくてGPFでどう戦うかを考えなければ。
 姿勢はモノになってきてるし、50m先の的もよく見えるからそこは問題ない。
 あとは数馬やサトルの思うとおり、体幹矯正くらいのものかな。
 でもまあ、このバランスボールでホントに矯正できるのか?
 
 俺が呆然と部屋の隅に立ちバランスボールを見続けていると、サトルが食堂から戻ってきた。
「どれ」
 そういって、バランスボールを部屋の中央に動かしてすっと背を伸ばして深く腰掛けるような動きを見せた。
 傾きそうになると体重移動して転ぶのを防いでいる。
 ああ、こうするのか。
 へへへ。
実は数馬に渡された時からバランスボールの使い方を俺は理解できていなくて、座ることだけの鞠みたいなもんかなと思ってた。
 綺麗に動くサトルの見本を見せてもらったあと、今度は俺が乗ってみる。

 最初は体重移動が上手くいかずバランスを崩し横にゴロンと転げていたが、2回、3回とチャレンジしてるうちにどうにかこうにか転げないようになってきた。
あとは姿勢を整えながら乗れればOK。
 サトルの見本はとても美しかったから。

「海斗、この他にもバランスボールの使用方法あるから。明日数馬に聞くか僕が帰ったら教えてあげる」

 翌朝、6時に目が覚めた俺は特にすることもなくバランスボールに挑んでいた。前日よりは転ばないようになったが、俺の場合猫背なもんで姿勢がよろしくない。
 サトルのように、綺麗な姿勢で乗ってこそ体幹矯正にもなるというものだ。

 朝8時。
 いつもより早く支度を整えた俺は、速足で紅薔薇に向かった。
 魔法技術科にいる数馬に会うために。
 体幹矯正もそうだけど、GPFの練習だってしなくちゃいけない。

 魔法技術科の教室に着いて、ちらっと教室の中を見る。
 俺の胸元を見た生徒たちの反応がイタイ。ある者はこっちを見ながらこそこそと隣の生徒に囁きだし、ある者は俺を睨みつける。
 俺が魔法科だからだと思うんだけど、それって、自分で自分を貶めてないか?ひねくれてないか?紅薔薇の生徒に上意下達は無いはずなのに。
 俺が魔法科にいるからそう思うだけなんだろうか。
 学校内にはまだまだ差別が残っているんだろうか。

 それにしても、数馬、遅っ。
 まだ着いてないの?
あんなに時間にうるさいのに?
8時20分になっても姿が見えないので、仕方なく魔法科に戻ろうと振り向いた時だった。
「海斗、ここで何してんの」
「あ、数馬だ」
 数馬が俺を見降ろしている。
「今魔法科行ったら海斗が着てないから戻ってきたんだ」
「俺は最初からこっちきた」
 お互いにあはは、と笑ったあと、数馬が真面目な顔に戻る。
「行き違い。帰りは僕が魔法科に行くから待ってて」
「OK」

魔法科の授業は、GPSの結果に対する報告会とGPFの壮行会イベントがあったきり、勉強はせずに一日が過ぎていった。GPS出場者とGPF出場者への校内インタビューもあり、俺はヒヤヒヤしながら自分の番を待つことに。
なんせ勝負飯を答えるような珍解答者だから、俺の口から何が出るかわからない。
でも、そんな意地の悪い質問は無く、初めての出場でGPFへの出場をもぎとった時の気持ちやこれからの抱負を聞かれたので、ほっと胸を撫で下ろし言葉を選びながら答えることができた。

自分は選ばれないと思っていたのでこの結果に少し驚いているが、選ばれたからには全力で演武したい。

抱負、こんな感じでいいよねー。
こっちに来たばかりの頃に比べれば、成長したよ、俺。
ホントそう思う。

司会者に寄れば、学校全体でのGPS報告会とGPF壮行会は日を改めて行うとのことで、その日他科の生徒たちと顔を合わせることは無かった。

平穏な一日が過ぎていった。
GPF出場が決まったとあって俺の評価は1年の魔法科内でも高まったらしく、今まで俺を無視してきたやつでさえ手のひらを返す様な笑顔で俺を迎え入れてくれる。
そういうやつは根っから信じないことにしてるんだが、そこは大人の対応で。
にっこり微笑んで握手してる。
宮城海音(かいと)の友人とかいう一派は未だに俺を認めないと陰口を叩いているようだが、まあ、数ある中にゃそういう人もいるだろうから、別に仲良くしたいとも思わないし、無視してもらって構わない。

リアル世界に居た時のように、嫌われたくない、みんなによく思われたい、そういう考えから脱してしまったんだよ、俺は。
別に1人でも構わないけど、喧嘩しながら2人で生きるよりも、1人で生きるのは何倍も何倍も辛い思いをする、ってことをこっちの世界にきて理解しただけだ。
 

 授業時間が終了し、廊下には人の流れができた。部活動を行う者、寮や自宅に帰る者。運動用具を持って真面目な顔つきで体育館やグラウンドに急ぐ連中。制服のまま、お喋りしながら笑顔満載で校門の方へ向かう女子。

久しぶりの人の流れに、俺は少し酔いそうになる。

 俺は廊下から教室に戻り、GPF用に『デュークアーチェリー』の練習をしようと思ってジャージに着替え数馬を待っていた。確かに「待ってて」って言ったよな?数馬。
 5分ほど教室の中で待っていると、数馬は制服のまま教室のドアを叩き室内へ入ってくると、俺のところに来ておでこを寄せる。
「あれ、海斗。『デュークアーチェリー』の練習する気だった?」
「違うの?」
「今日はバランスボールの使い方教えるだけにしよう。『デュークアーチェリー』は明日以降」
「了解。でも、バランスボール学校にないだろ、寮に一緒に行く?」
「魔法科の寮は怖いからねえ。ま、1日くらいならいいか」

 なんで魔法科の、それも寮が怖いのかは知らない。
 数馬が放浪するきっかけが魔法科に関係することだったのかもしれない。
 その前に、この一言が本気かどうかもわからない。

 俺と数馬は揃って校門辺りを通り過ぎ、寮への道を歩いていた。
 もう、銀杏の葉は皆落ちた。実は、まだ樹にくっ付いてるモノもある。このまま越冬するとは思えないのだが、どうなんだろ。
 銀杏のことなんて、リアル世界では考えたことも無かった。
 今は、樹木にも命があるんだなと思って見てしまう。

 寮に着いてからというもの、数馬はキョロキョロしながらマイスリッパとやらをカバンから出して音を立てないようにそっと履き、何かに怯えているかのごとく、またもや周囲をキョロキョロと見回しながら、音を立てないようにソロソロと廊下を歩く。
 俺は数馬の耳元でそっと囁いてみる。
「よほど人に会うのが嫌なんだな」
 数馬も前を向いたまま小声で返事している。
「願わくば、今の3年には会いたくない」

 そうして誰に会うこともなく、俺の部屋の前に着き、ほっと息吐く数馬の背中を押しこむかのように俺はドアのノブを回した。
「海斗の部屋に入るの、初めてかも」
「前に1回来なかったか?バランスボール持って」
「あれはイタリアのホテルじゃなかった?」
「そうだっけか。つか、数馬。瞬間移動できるなら最初からこの部屋目掛けて瞬間移動すればよかったのに」
「この寮でそれやったら、すぐばれる」
「ふーん。瞬間移動ってやっちゃいけないの?」
「表向きはね。どれ、バランスボールでの運動メニュー教えるから」
 
 え、バランスボールって座れば終わりじゃないの。
「座る他にもいろいろあるけど、海斗は慣れてないようだから今回は基本の動きと腹筋と腕立て伏せだけ教えるよ」
 数馬、こんな時に読心術使わなくてください。
「こんな時だから使うんじゃない」
 わけのわからない言い訳してる。
「とにかく、運動始めるよ。ほら、まずはボールに座って。姿勢に気を付けて」

バランスボールに座るに当たっては、猫背はいけない。背を伸ばして綺麗な姿勢で座る。これが最低限守るべき事項だ。
まずはOK。
 その姿勢で転げないように5分間座る。5分を3セット行うという。

 俺にとって5分は、永遠に続くのではないかと思えるくらい長くて思わず手足をばたつかせたくなる。
 もちろん、数馬が目の前にいる今はバカな真似はしない。じっと堪えて座ったまま。時折バランスが崩れそうになり、骨盤を前後左右に動かしてコケないように只管(ひたすら)終了の声掛けを待っている。

「いいよ、5分過ぎた。僕がいない時でも最低限、こうして座るのだけはやっておくこと」
「うへーい」
 俺は背中の辺りで汗が(したた)りおちるのを感じる。背筋が痛む。
 決して楽な運動ではない。
俺にとっては。

「じゃ、今日はこれで」
「数馬、明日以降も来るんだろ」
「いや、ここは僕にとって良い空気が流れてないんだ。だから遠慮する」
は?サポーターだろが。
「サポーターである前に1人の人間だ」
数馬曰く、彼の脳ミソはここにいたら吹っ飛びそうな衝撃に晒されるんだそうだ。
何を言ってるのか俺には全く考えが掴めないし理解も出来ないのだが、数馬本人が嫌なのだからどうしようもない。

「その代り、これ」
俺のノートにサササとメモして、ノートからそのページ部分を破り俺に渡すと、すぐさま数馬は部屋のドアを開け廊下に消えた。
玄関まで見送ろうとすぐに俺も部屋を出たが、数馬の姿はどこにも見当たらない。
あいつ。
瞬間移動魔法使ったな。
寮では使えないとか言っといて、使ってんの。大丈夫なのか?


数馬が寮を嫌っていたのは未だに広瀬が身体を支配しているからなのか?と思ったんだが。
まさか・・・違うよな。
俺の取り越し苦労であってほしい。
俺は廊下の真ん中に突っ立って何をするでもなくぼんやりと数馬の身体を乗っ取った広瀬の、元広瀬先輩のことを考えていた。

 耳元に、何か音が聴こえてくる。なんだろう、人の声?それとも音楽?
「海斗、こりゃまた目立つところでぼーっとしてんね」
 寮に帰ってきた逍遥(しょうよう)が近づいてきて、嫌味とも何とも言い難い言葉をさらっと吐いて俺の肩を叩く。
「君か。ねえ、何か変な音聴こえない?人の声とか、音楽?とか」
「さて、どうしたもんかな」
「まだ微かに聴こえてる。わかんない?」
「聴覚は猫並だなあ。嗅覚は犬並だし。君はおよそ人間っぽくないね」
 相変わらず、相当失礼なヤツだ。

 まあ、俺は昔から動体視力とかはいい方だし、音当てクイズなどやろうものなら絶対音感とまではいかなくても全問正解を叩き出せるくらいの自信はあるけど。
 ああ、違う。
今はそういうプチ自慢がしたいのではなく、俺の疑問に答えてくれる人が欲しいんだ。
逍遥(しょうよう)、馬鹿にしたいだけなら自分の部屋に戻ってくれ」
「悪い悪い、からかうつもりはないんだ。君が聞こえてるのは鈴の音じゃないか」
「鈴?」
「そう、よく猫の首についてる、アレさ」
「ここから聴こえるということは・・・捨て猫かな」
「さあ、どうだろう」

 俺は特に猫嫌いというわけではない。
むしろ犬よりは猫に興味を惹かれていた。
中学校のとき、地域猫は何たるかという題材で授業があったんだ。
 地域で生きている大人猫や子猫に避妊オペを施し、(まあ、オペは子猫の場合譲渡されてから、という場合もあるんだろうが)譲渡できる猫は譲渡、他は命を全うするまで地域で世話をする、というものだ。
人間と共生する猫=地域猫だと聞いて、俺は陰ながら応援していこうと思ったし、自分も地域猫に関わる活動をしたいと本気で考えたものだ。

しかし、リアル世界の両親は、俺が動物を飼うのを良しとしなかった。絶対世話しなくなるだのなんだのと理由をつけて。
一度だけ、俺は道端でダンボールに入れられ鳴いてる子猫を拾い飼おうとしたら、両親に捨てられた。
俺の親は、鬼だ。

 ああ。
 久しぶりにリアル世界の記憶を呼び覚ました気がする。
 でも、どれも嫌な思い出ばかり。やはりあの両親との思い出は、俺の記憶に幸せをもたらさない。今までも、そしてこれからも。


 俺が眉間に皺を寄せていたのを、逍遥(しょうよう)が見逃す訳もない。
「君はよほどご両親との思い出が気に入らないみたいだな」
 また読心術使って話してるのはすぐにわかったけど、言い返す気力すらないほど俺の心は嫌な気分に包まれていて、頭の中では相当凹んでいた。
 
「でも海斗、今聞こえてる音は僕らにとって嫌な暗示ではないと思うよ」

 逍遥(しょうよう)が言い終わるか言い終わらないうちに、寮の廊下からスリッパの音が聞こえてきた。
 誰だ?
 寮の人間ならスリッパは履かない。
 それは外部の人間であることを意味している。

 スリッパの音と時折鳴る鈴の音は段々と大きくなり、各部屋の前で一旦止りながら近づいてくる。そして両方の音がシンクロして、俺の部屋の前で止った。
 誰だ?数馬か?
 いや、数馬は俺の部屋を解っているはずだ。なんたって、俺の部屋だけ未だにドアが他の部屋と違うんだから。
 俺が身構えていると、遠慮がちに部屋をノックする音が2回。
 先程までの嫌な思い出を引きずったまま、眉間に皺を寄せドアのノブに手をかける俺に対し、逍遥(しょうよう)からダメ出しが入る。
「海斗、その顔じゃ相手が怖がる。笑わないまでも、せめて表情は普通にしてよ」
 
 表情に気が付いていなかった俺は、くるりと逍遥(しょうよう)の方を振り返り、ぎこちない笑顔でニヤッと笑った。相当不気味な顔だったに違いない。
「OK。ドア開けても大丈夫」
 言われるがままにもう一度ドアノブに触ると、また部屋をノックする音が聞こえる。
「はーい」
 勢いよくドアを引いた俺。

 なんと、そこに立っていたのは国分くんだった。
 それも、白黒の猫を胸に抱いて。

「久しぶりだね、国分くん。逍遥(しょうよう)もいるよ」
「ご無沙汰、八朔(ほずみ)くん。四月一日(わたぬき)くんも一緒?」
 逍遥(しょうよう)はいつの間にか俺の脇に立っていて、国分くんに握手を求めた。
「GPS以来だね、国分くん。今日はどうしたの」

 逍遥(しょうよう)は役者だと思う。読心術使えば何で国分くんがここに来たかなんてすぐにわかるだろうに。
 でもまあ、今はそこを突っ込むシチュエーションじゃないのも知ってるんだろう、逍遥(しょうよう)は。

 国分くんは、胸の中で大人しくしていた白黒猫の額を2度3度と撫でて、言いにくそうにしている。
「その猫に関係したこと?」
 俺の言葉に勇気をもらったとかそんなところだろう、やっと国分くんは口を開いた。
「この猫なんだけど・・・」
「どうしたの」
「魔力のある猫なんだ」
「えっ」
 猫に魔力?俺はそんな話、聞いたこと無いぞ。
 横にいる逍遥(しょうよう)を見ると、ヒューッと口笛を吹き鳴らし、猫の耳に触ろうとした。シャーッと威嚇する猫。怒ってんのかビビってんのかはわからない。俺は猫を飼ったことがないから。

 国分くんは逍遥(しょうよう)の行動を半ば無視しながら、俺に向かって続けた。
八朔(ほずみ)くん、この猫を君に譲りたいんだけど、ダメかな」
 焦った。
猫の譲渡が嫌だったのではなく、急に返事をできなくて焦ったのだ。
「いや、その・・・」
「ダメかな」
「寮で飼っていいかもわかんないし」
「今すぐでなくてもいいんだ。君はいずれ元の世界に帰るだろう?その時一緒に連れて行ってもらえれば」
 正直、その言葉には返答できなかった。俺はもう、リアル世界に戻る気はない。
 俺は横で腕組みして猫に威圧的な態度を取ってる逍遥(しょうよう)の脇腹を肘で思い切り突いた。
逍遥(しょうよう)、ここって動物飼育できるの?できないの?」
「この寮?飼育云々は聞いたこと無いな。魔力のある動物は寮の外でたまに見かけるけど」
 魔力のある動物・・・そんなもんがこの世界にはいるのか?
 俺にはそっちのほうが驚きで、途端に目が輝いた。
 でも・・・。
「となると、生徒会に聞かないとダメか」
 国分くんが心配そうな顔をする。
「この寮では飼育禁止なのかな。そしたら長崎に連れて帰るよ。僕の実家では母が猫を飼ったことがないから自信がないって。何か猫アレルギーだって嘘ついてるし」
 聞くと、俺が根を上げたあの長距離バスで長崎から猫を連れて横浜に来たのだという。

 俺は猫の額を一度だけ撫でた。俺には刃向かってくる様子もない。
猫も人を見るのか、と逍遥(しょうよう)に嫌味を言ってみたが、逍遥(しょうよう)意に介していないようで猫の耳を触ってはシャーシャー言われている。
「待って、国分くん。今、生徒会経由で学校に聞いてみる」
 そういって国分くんを引き留め、俺は生徒会にいるはずのサトルに離話した。サトルか譲司は生徒会にいるはずだ。学校側に確認してもらう時間くらいとれるだろう。
 離話がサトルにつながった。
「やあ、海斗。どうしたの」
「サトル。突然ですが・・・俺たちの住んでる寮で動物、猫なんだけどさ、飼育できるかどうか確認して欲しいんだ」
「OK。少しだけ時間をくれる?」
 
 そう言ってサトルは驚く様子も見せず、一旦離話を切った。
 国分くんが目を丸くしている。
八朔(ほずみ)くん、離話魔法の領域が広がったんだね。ここから紅薔薇生徒会に離話したんだろ?」
「たまたまだよ、知らない魔法の方が多い」
「僕が思ってるよりもだいぶ進化してる。やっぱり、君ならこの猫を託すことができるよ」
「ひとつだけ聞いていい?その猫は、なぜ長崎で飼ってあげられないの?」
「猫の魔力を己がモノとするために魔法猫たちへの虐待が横行してるんだ。白薔薇学内では猫たちのシェルターを作ってるんだけど、この猫は頭が良すぎてシェルターに入ろうとしないんだよ。やっと僕が捕まえて麻酔で眠らせてからバスに乗ったものの、こっちに着いたら麻酔が切れちゃった」
「暴れん坊なの?」
「いや、基本的には大人しいし人には慣れてる。でも自分に対して善からぬことを考えてる人間はわかるみたいで、基本、怒る」
 俺は口角を少しだけ上げながら逍遥(しょうよう)の目を見た。
「だから逍遥(しょうよう)には唸るのか」

 逍遥(しょうよう)はむっとした顔になり、猫の耳を触るのを止めた。
 自分が猫に好かれないという現実を目の当たりにして、どう接していいかわからなくなったんだろう。
「僕は邪魔なようだから帰る。じゃ、国分くん、また会える日を楽しみにしてる」
 ぶっきら棒な声で猫には目もくれず、国分くんと俺を交互に見る。
 国分くんは恐縮したような表情を浮かべて逍遥(しょうよう)に謝った。
「気にしないで。この子はこう見えても人見知りなんだ」
 実際には然程気にしてない逍遥(しょうよう)。何かやることがあるんだろう。バイバイと俺たちに手を振って、自分の部屋へと戻っていった。

「怒らせたかな」
 国分くんは心配そうに俺の方を見る。
 逍遥(しょうよう)は怒っていないし、この猫がどういう猫なのかも、触っただけで判別できたらしい。
「大丈夫、逍遥(しょうよう)は怒ってないよ。何かやることができたみたい」
 俺がまた猫の頭を撫でた。白黒猫はゴロゴロと喉を鳴らしていた。
「でも俺は触ってもシャーッて言われないよ?」
「飼い主が君になるって解ってるからじゃないかな」

 もし、寮で飼うことができないとしても、餌付けして毎日様子を見ることくらいできるかもしれない。地域猫として。
 でも、魔力ある猫の噂が広まったら、また虐待紛いに何かされるかもしれない。
 それでは余りに可哀想だ。
 だからか。国分くんにとって、俺は紅薔薇第3Gの生徒であって3月末にはリアル世界に戻る人間と思ってこの白黒猫を託すんだろうな。

でも実際には違う。俺はリアル世界には戻らない。
万が一戻るとして、魔力ある猫をリアル世界に放つなどできるんだろうか。
リアル世界に行けばただの猫というが、その確証も取れてはいないだろうに。

しかし、だ。国分くんがここまで真面目に話してくれるということは、今まで別の世界に行った猫が魔力を失っているという事実があり、その流れをして第3Gからの報告もあるんだろう。
或いは人の形に変化して第3Gを守ってくれるのかもしれない。
それじゃ化け猫になってしまうか。

俺が目を閉じると、ちょうどサトルから離話が届いた。
「海斗、確認したよ。動物は一部屋に1匹ならOK。ただし、犬、猫、ウサギ、鳥などを想定しており、爬虫類や魚類は提携動物病院の関係上想定していないため、飼育許可は出せない。だって」
「ありがとう」
「どういたしまして。ところで急にどうしたんだい。動物飼うの?」
「猫を譲り受けることにしたんだ」
「じゃ、必要なモノは僕が買っていくよ。海斗は猫飼っていたこと無いだろう?」
「実はそうなんだ」
 国分くんの顔を見ながらサトルと離話する。

 サトルは透視しながらの離話だったようで、すぐに状況を飲みこんでくれた。
 
猫のトイレとご飯が最低限必要なわけだが、俺の奨学金で賄えるか、それが少し心配になった。
 そこは国分くんも重々承知していたらしい。
 長崎でこの白黒猫に餌をあげていた人や白薔薇高校の生徒から寄附をもらって、持参金付きなんだと笑った。
 なるべく室内だけで飼って欲しいと一言付け加えて白黒猫を俺の胸に渡した国分くんは、暗くなりかけた西の空の向こうにポーン、ポーンと魔法を使って走っていく。
 長崎行きのバスに間に合うだろうか。それとも今日は久しぶりの帰郷で実家に泊まるのか。
 俺はグレー色の雲を見つめながら白黒猫を抱き、国分くんの去っていった方向に目をやりながら猫のぬくもりに触れていた。
 
 それから1時間。俺は部屋の中で白黒猫に猫じゃらしならぬ猫リボンを与え、時間も忘れひたすら遊んでいた。
ドンドンと部屋をノックする音が聴こえても猫は動じない。胆の据わった猫だ。

ドンドンの主はサトルだった。気を利かせて、猫トイレと猫ご飯を買って来てくれたのだ。猫がフラストレーションを溜めないように、結構大き目なトイレ。もちろん、トイレの砂もぬかりなく。
 こんな大きい荷物、大変だったろうに。サトル、やっぱり君は気が利くなあ。
 俺の目を見て恥ずかしそうな顔をしたサトル。これも読心術の為せる技か。

 この猫が今何歳くらいか、国分くんは長崎に行ったばかりだから知らなかったが、白薔薇の3年の先輩が入学したころ子猫だったらしいので、今は4歳くらいか。
 長崎では、ホームズと呼ばれていたんだそうな。
 俺は名前考えるの下手くそだし猫も突然別の名前で呼ばれても困るだろうということで、サトルと相談して名前はホームズを継承した。

 と、ノックもしないで部屋に入ってくる逍遥(しょうよう)聖人(まさと)さん。
「結局こっちで飼うことにしたのか」
 逍遥(しょうよう)は先程ホームズにシャーシャー文句を言われたので俺がホームズを飼うことにあまり良い感情をもっていないらしい。聖人(まさと)さんはといえば、俺よりホームズの行動を熟知しているかのごとく、部屋の中でホームズと一緒に暴れまわっている。
「そんなに暴れたら隣に迷惑かかるよ」
 聖人(まさと)さんはホームズが自分に慣れっこいので上機嫌だった。
「海斗の隣の部屋は俺が住んでるから大丈夫」
「もう片方あるでしょうが」
「ああ、沢渡のとこな。寝る時にしか帰ってこないさ。つか、荷物部屋らしいぞ」
「猫って夜行性って聞くけど。ホントに大丈夫かな」
「ホームズは人間と同じなんだよ。見た目が猫なだけで。お前が寝りゃ一緒に寝るさ」
「そうだといいんだけど」

 サトルは猫に触ったことがないらしく少し挙動不審だったが、ホームズはサトルの肩にヒョイ、と乗ってニャーアン、と一声鳴いた。
 まるでサトルを認めてやる、と言ってるように聞こえた。
 サトルの肩に向けて逍遥(しょうよう)が手を伸ばすと、途端に毛を逆立てて尻尾は何倍にも太くなり、シャーッと威嚇する。余程逍遥(しょうよう)がお気に召さないらしい。
 逍遥(しょうよう)はどれだけ凹むかと思いきや、猫のおやつを持ってきたと言いながら、両手に持った袋からおやつを取り出した。最終決戦は食べ物策戦だと言って目の色を変えている。
 へー、今って猫用のおやつまで売ってるんだ。
 昔ならねこまんまよろしくおやつなんて気の利いたモノはなかったはずなのに。

 逍遥(しょうよう)が袋を開けてジェル状のおやつなる物を出すと、ホームズはクンクンと臭いに釣られ逍遥(しょうよう)の傍に寄って行く。
 しばらく、その距離は縮まることなく小康状態が続いたが、とうとうホームズが折れた。
 逍遥(しょうよう)の手からおやつを食べて、ニヤリと笑ったのだった。

 猫って笑うのか?
 俺にとっては初めてみた猫の表情が衝撃的で、顎が外れそうなくらい大きな口を開けたと思う。
 
 聖人(まさと)さんは1人で笑っていたが、本気で笑っているようには見えなかった。俺の部屋の中がどうなっているかに興味があったようで、バランスボールを見つけた時、10秒ほどボールに視線が釘付けになったのを俺は見逃さなかった。
 
 逍遥(しょうよう)は猫へのリベンジで俺の部屋に来たのだろうが、聖人(まさと)さんは何のために来たのやら。
 GPF、あるいは世界選手権新人戦への出場を視野に入れている逍遥(しょうよう)聖人(まさと)さんが俺なんかの練習を見たって仕様があるまい。
力の差は歴然としているのだから。

「じゃ、俺たちは行くわ。逍遥(しょうよう)、お前もだ」
 逍遥(しょうよう)はもう少しホームズに気に入られたがっていたようだが、聖人(まさと)さんがぐいぐい腰のベルトを引っ張るので逍遥(しょうよう)はずっこけた姿勢になりながら俺の部屋を出る羽目になった。
 腰のベルト?
 俺たちは普段寮に戻るとジャージを着ている。今は冬だからその上にブルゾンやダウンなどを着る人も多い。
 腰にベルトをしている人を見たことがない。
 さては、あのベルトは何らかの練習、あるいは技の習得に使用しているモノに違いないと俺の第六感が働いている。

 もう、俺と逍遥(しょうよう)の間で新人戦を戦うかのような聖人(まさと)さんの態度は少し気になったが、新人戦のエントリーが出来るかどうかだってわからない俺。
 願わくば、新人戦にもエントリーしてみたいけどね。
 色んな技を習得できたら、俺の力がどこまで通用するのか自分の限界を見てみたい。
「お前も見たいだろ?」
 ホームズに声をかけると、ニャオーンと一声返ってきた。
 サトルは咄嗟のことで意味が分からなかったようで、不思議そうな目で俺をまじまじと見つめる。
 逍遥(しょうよう)の腰に着いたベルトの意味、俺やサトルがどこまで逍遥(しょうよう)にくらいついて行けるのか楽しみだとサトルに伝えると、サトルはホームズを抱っこして、2人でくらいついて行こうと言って、微かに笑った。

 サトルも自室に戻り、俺の部屋にはバランスボールと猫トイレが並べて置かれるようになった。部屋が狭くて置くところがないんだ。
 数馬もこれだけは許してくれるだろう。
 今晩はもう遅いから、明日学校に行ったら、いや、明日の朝、数馬に離話しよう。
 こうなった経緯を話せばきっとわかってくれるさ。

 なんつっても、猫捨ては犯罪です。

 ホームズの飼育を認めてもらうためにも、俺はバランスボールで体幹を鍛えなくちゃいけない。
 その晩、手始めの座る練習をしていたら、ホームズが膝の上に乗っかってきた。もちろんバランスは崩れる。でもここで倒れたらホームズを踏んでしまいかねない。俺は前後左右に大きく姿勢を傾けたり足を延ばしたりしながらホームズと練習を重ねていた。
 また、バランスボールを使った腹筋と腕立て伏せが練習項目に入っているのだが、俺はただでさえ腹筋や腕立て伏せは苦手だ。
 明日数馬に離話したとき、その辺も話してみよう。何か打開策を見つけられるかもしれない。
 
 ホームズがいい加減眠そうにしているので、俺はホームズを抱っこしながら俺のベッドの端に運んだ。
頼むから粗相はしてくれるなよ。トイレはベッドの脇に置いた。トイレに行きたいときは俺を起こせ。

 ホームズが爆睡した後、俺はもう少しだけバランスボールに座って上体を左右に捻る動きをしたあと、寝入る前のストレッチを始めた。ホームズはそのまま寝ている。
 今日予定していた全運動を熟し、俺はサラッとシャワーを浴びてベッドに潜り込んだ。ホームズは起きる気配もなく、ベッドから落ちる様子もない。
 俺はホームズの傍らに身体を引き寄せた。
 ホームズそのものが湯たんぽのように温かい。
 
 その晩、俺は気持ちよく眠りに就いた。

 朝。目覚ましは6時半。
 5時ごろからホームズは五月蝿(うるさ)かった。どうやらご飯が欲しいらしい。
 目をこすりながら猫ご飯を探し、猫用のエサ入れに注ぎいれる。ああ、水も清潔なモノにしなくちゃ。
 そしてまた布団に入ろうとする俺を、ニャーニャー鳴いて止めたのはホームズだった。
 うん、このまま寝たら間違いなく遅刻するだろう。
 俺はストレッチで身体を伸ばし、じんわりと身体が熱くなったところでバランスボールに挑戦した。昨日寝る前に行った、座りながら左右に身体を捻るというものだ。
 ホームズは俺の方を見ていたが、邪魔しようとはしない。
 賢い奴だ。

 その代り、バランスボールに座った状態で骨盤を前後、左右にスライドさせる動きの時は俺の肩に乗ったり俺の膝上に乗ったりして、邪魔するというよりは水平に動いているか確認しているようだ。
 
 バランスボールの腹筋運動と腕立て伏せは、今度数馬がこの寮に来た時教わるとするか。
 あまり魔法科の連中が住む寮は好きではないようだけど。


◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇

「猫を譲り受けた?」
 翌朝の離話、数馬の第一声はそこに拘っているように聞えた。俺の勘違いならいいんだが、強ち勘違いでもなさそうだ。
 ただ、怒るというよりは詳細が知りたいといった声色。
「長崎で見かけた猫で魔力がある猫らしいんだ。向こうにいると事故やら何やらで危ないから、知り合いがこっちまで届けてくれたんだよ」
「長崎の白黒猫か、確かホームズとか呼ばれてた」
「ホームズの事知ってんの?数馬、長崎行ったことあんの?」
「僕の父がね、長崎にいたことがあって」
「寮住まいって聞いたけど、数馬のご両親は長崎にいんのか?」
「父は交通事故で亡くなったよ。母は病気で。天涯孤独な身の上さ」
「ごめん、プライベートに立ち入るのは失礼だった」
「いや、いつかわかることだから」

  
 数馬は落ち着き払っているが、両親のことを聞かれるのはあまり好きではないだろう。両親が生きてる俺でさえ、親のことを聞かれると嫌な気分になる。
 数馬は誰が猫を連れてきたかは聞かなかった。数馬に取ってそれはさして問題でもなかったか。
 ホームズが横浜の、それも紅薔薇の寮にいる、ということの方が数馬の頭の中の大部分を占めているように思われた。
 
 その日の夕方は、俺一人でソフトを使用して『デュークアーチェリー』の練習と相成った。数馬は急用ができたとかで、体育館には姿を現さなかった。
 体育館に見回りにきていたサトルと譲司にソフトの使い方を教えてもらった。円陣を出しそこに立つと的が出てくる、単純といえば単純な仕組み。
 20分練習し当てた枚数をソフトに入力する。
 そして10分休んでまたトライ、午前中だけで3回トライした。
 GPFに出場できるのは俺だけのはずなんだが、体育館の中では同様の練習をしている人たちが何組かいて、俺に場所を譲れ譲れとうるさい。
 
 あんたたち、なんで練習してんのさ、『デュークアーチェリー』だよ?
 すると世界選手権に出るとか、新人戦に出るとかほざいてる。まだ種目公開されてないじゃない。
 要は、俺の邪魔したいだけなんだな。
 どっかで見たことあるな。宮城海音(かいと)の手下か?いや失礼、仲間か?
 あまりの抗議に俺は場所を明け渡し、彼らの演武を壁際で眺めることにした。
 30分が経過し、また30分、俺に場所を明け渡すことなく、練習に励んでいる。

いやー、申し訳ないけど、たかだか30分30枚程度で万歳してるようじゃ世界では通用しない。宮城海音(かいと)自身、何らかの形でこの競技への出場を切望しているとしたら尚更の事。
新人戦に出場する選手は予選会で決めるという噂もあるし、俺もうかうかしていられない。紅薔薇だからと贔屓される生活は終わりを告げる。
 あの世界から集まった精鋭たちの中で緊張しながらもハイスペックな演武を行うためには、技術とメンタルを十分に磨かなければならない。
 こいつらごときのお遊戯会に付き合っている暇はない。
 
 俺の場合、新人戦の前にGPFもある。
 これみよがしに俺が抗議しても、こいつらは場所を明け渡す気は更々ないようで、アホらしくなった俺はソフトを回収し寮に帰ることにした。
 ソフトを回収すればこいつらも練習できなくなるんだけど、そんなの知ったこっちゃない。

 俺は悠々と体育館を出て、今にも雪の降りそうな曇天を見上げながら足早に寮へと向かった。

GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第11幕

寮に戻り自分の部屋に入り、最初にホームズを探す。
 粗相していないか、壁にガリガリと悪戯をしていないか。
 どちらも完璧なホームズ。
おまえ、猫らしくないなあ。

 俺と目が合うなり、ニャーッと大きな声で1回だけ鳴いた。多分この声は「ご飯寄越せ」コールだ。
 いそいそと猫餌袋から食器にホームズ用のご飯を移し水の隣に置く。
 ホームズは、よっしゃ!とばかりに食器に顔を埋めた。ホントは朝と夜だけでいいらしいんだけど、鳴かれると俺は弱い。食べ過ぎてデブにならないように、食器には少しだけご飯を入れた。
 あとは、水を綺麗なものに取り替えて猫トイレの掃除をする。どうやら便にも問題はなし。

 と。
 数馬から離話が入った。
 体育館に行ったらいない。今何処で何をしてるのかなー?と、ある意味背中に戦慄が走るような声のトーンに負けないよう、俺はホームズを抱きかかえながら体育館での出来事を詳らかにした。
「宮城海音(かいと)の仲間?」
「何人かいるんだよ。宮城海音(かいと)自身、新人戦に出るつもりなんじゃない?あー、でも今は刑務所にいるのかな」
「魔法力は大したことないと記憶してるけど。それに、今は自宅にいるよ」
「数馬は宮城海音(かいと)のこと、知ってんの?」
「広瀬に同化されたとき、何度か広瀬として宮城の家に行ったことがあるんだ。その頃はもう釈放されていてね。結局自殺教唆の罪は適用されなかった。もちろん尊属殺人罪もね。宮城の父親があらゆるところにプッシュしてバカ息子を助けた、って噂だ」
「広瀬になっててもわかるの?そういうこと」
「広瀬は僕の同化を中途半端に行っていたから、ある程度は分った」
「そうなんだ、聖人(まさと)さんに何もないと良いけど」
 数馬はほんの少し間を置いてから、声が一段低くなった。
「海斗、狙われてるのは君だということを自覚してくれ」

 広瀬の中に閉じ込められていた数馬が宮城家に出入りして得た情報からすれば、宮城父はとにかく二男の海音(かいと)ばかり手をかけているという。自殺教唆や尊属殺人罪の適用を見送らせたことからも、そのバカ親ぶりがわかる。
 勘当した兄聖人(まさと)には興味を持っておらず、いや、未だに聖人(まさと)がスキルを高め自分を追い越すのではという危機感からか、事あるごとに兄聖人(まさと)の悪口を吹聴しているという。

 ただ、これは広瀬から解放された後大前(おおさき)数馬として得た情報だが、現在の日本軍魔法部隊司令部では、兄聖人(まさと)に関する罪は冤罪と証明されており、本人さえ望めば、来年度から魔法部隊への復帰も夢ではないという話も聞こえている。本人への通達も今年度中に行われるだろうということだ。
 
 なんとも喜ばしいことだ。
 そうだよ・・・喜ぶべきことなんだ・・・。

 一緒に学生生活を送れないのは、やや寂しい気もするけど、本来あるべきところに、いるべきところに聖人(まさと)さんは戻るべきなんだ。
 逍遥(しょうよう)は片腕が無くなるくらいの衝撃を受けるかもしれない。
 でも、最初からあの2人でバディを組んでたわけではないし、薔薇6まで逍遥(しょうよう)は1人で考え実行してきた。その日々に戻るだけだ。

 そう考えると俺も同じ。
 将来数馬が何かしらの事情で俺の元から去ったとしても、俺は衝撃だけで生きるべきではない。1人で何でもできるように、今から心構えを持たなければ。

 数馬から練習の指示はひとつだけ。
「海斗、1人で練習してて邪魔が入ったり、体育館で練習にならない時は寮に戻って構わない。バランスボールで腕立て伏せまでできるようにしといて。腹筋は、まだ難しいかな、君には」
「腕立て伏せだってやりかたわかんないよ」
「自分の思うようにやっていい。それより、バランスボールに気を取られて姿勢の練習するの忘れないように。僕はちょっと練習に付き合えないから1人で調整してて」

 離話はブツッと音がして急に切れた。
 何事か。別に怒っているような声色でもなかったし。
 ま、いいかあ~。
 ちょっとだけ、ほんのちょちょっとだけ、ホームズと遊ぶか。


◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇

 ホームズは猫らしくない。
 魔法が使える猫だからかもしれないけど。
俺は今まで猫と生活したことも無ければ、魔法を使える動物と一緒に寝食を共にしたこともない。
 だから、猫らしくない行動なのか、これが普通なのかすら分かってない。

 でもホームズは俺に懐いてくれるし、白黒で足が白いホームズはまるで靴下をはいてる猫のようでとても可愛い。
 顔は、どうやらハチワレという模様とサトルに聞いた。
 魔法が使えるなんて、どっちかっていうと黒猫を思い浮かべるのだが実際にはそうでもないらしい。
 ホームズの使える魔法ってなんだろう。
 国分くんに聞くのを忘れてしまった。
 今度国分くんに会うとしても、世界選手権新人戦の予選会くらいじゃないか?
 そこまで待てない。
どうしても知りたい。
離話で横浜から長崎・・・やれっこないよね。
 
 逍遥(しょうよう)聖人(まさと)さんは、たぶんこないだ会って気付いたと思う。でも、教えてはくれないだろう。
 なんでかって?ホームズが逍遥(しょうよう)を嫌いだから。
 聖人(まさと)さんは逍遥(しょうよう)のためにならないことには手も口も出さない。
 
 サトルならわかるかな。
 まだ紅薔薇から戻ってないか。
 離話して帰りに俺の部屋に寄ってくれるよう頼むか。
 俺は一度生徒会室を透視してサトルが何をしてるか確認した。
 荷物の片付けをしてる。
 よし、今なら離話できそうだ。
「サトル、サトル、俺、海斗」
 サトルは直ぐに気が付いたようで、廊下に出てくれた。
「何?海斗」
「寮に戻ったら俺の部屋に寄ってくれるかな」
「いいよ、あと30分ほどで帰れるから」
「すまん、よろしく」

 サトルが顔を出すまで、俺はホームズを抱っこしてにらめっこしていた。
 猫って目を逸らした方の負けだって聞いたけど、俺とホームズはどっちも目を逸らさない。
 そのかわり、両目ウインクがホームズの特技なのがわかった。
 最初にホームズが両目ウインクしたから俺が両目でウインク返しすると、ホームズも真似して両目ウインクする。
 4,5回それを繰り返したら、俺もホームズも飽きてホームズは部屋の隅にある餌場にいってしまった。
 俺はそれを機に、バランスボールに座って前後左右に身体を動かす。骨盤を前後、左右にスライドさせる、って取説には書いてあるんだけど、意味が分からない。
 そのうちにまたホームズが膝に乗ってきたので自己流で骨盤を動かしてみる。
 成功してるかどうは・・・わからん。
 疲れた俺は、バランスボールにうつ伏せに寝そべった。
 これが簡単なようでいて結構、いろんな筋肉を使う。四肢のバランスが良くないと、ゴロン・・・と落ちる。ホームズは俺の背中に乗って、ドヤ!といわんばかりに「ニャオーン」と鳴いた。

 時を同じくして、部屋のドアを叩く音がした。
 たぶん相手はサトル。
 バランスボールから降りる際にバランスを崩しすごい音で転んだ俺。
 相手はサトルだと分っていても、恥ずかしい思いに変わりはない。
 四つん這いになったまま表情を普通にして、立ち上がってからドアを引く。
「や、ごめん、忙しいとこ」
「いや、今日はそうでもなかったから」

 俺はサトルを椅子に座らせると、自分はベッドの淵に腰かけた。
「あのさ、ホームズの使える魔法って見当つく?」
 俺、直球勝負。
 サトルはホームズと心を通わせるかのように、コツンとホームズの額に自分の額をくっつけた。

「たぶん、この子は瞬間移動魔法と読心術が出来ると見た」
 驚いたのは、紛れもない俺だ。
「え、こいつでもできんの、俺できないのに」
「君はこっちに来たばかりだから。来て1年もしないのにその魔法覚える人なんていないよ」
「そうか?早く教えて欲しいんだけど」

 その瞬間、ニャーンと鳴いたホームズを見ると、口の端があがってて、まるで笑ってるかのように見えた!
「サトル!ホームズが・・・」
「笑ったね、今」
「なんでそこで驚かないんだよ」
「魔力を持った動物はみんな笑うよ」
「たとえばそれが蛇だったとしても笑うのか」
「君にとっては不気味かもしれないけど、こっちの世界に居る魔力を持った動物はみんなそうさ。魔力も持たないのに笑えるのは人間だけ」

 蛇のスマイル・・・考えただけでもぞっとする。
 
「とにかく海斗、ホームズの事、内緒にするんだよ。必要最小限に(とど)めて」
「数馬には話したけど、いいだろ」
「たぶん」
「頼りないな、まだ何か疑ってんの」
「いや、疑いは晴れたよ。この寮を嫌う理由がまだ判らないけど」
「俺、そんなこと話したっけ」
「読心術の為せる技だっていつもいってるでしょ」

 ああ、そうだ。
 サトルの前ですら本心は隠しとおせない。
 俺の周りにはハイスペック魔法師が多すぎる。
 
 まだ夕食を食べていないことに気が付いた俺は、サトルとともに食堂へ降りることにした。ホームズが逃げ出さないように、首輪に長いロープを結んでベッド脇のパイプに何重にも巻いておく。
 ごめんな、ホームズ。
 好き勝手に歩ける長崎からこんな狭っ苦しい部屋に閉じ込めて。

 サトルはロープに手をかけ俺を手伝いながら、違う、と一言呟いた。
 もう、長崎では有名になりすぎてしまったホームズ。外を歩いてれば必ずやホームズを悪い連中が狙ってくる。それを阻止するために国分くんは長い時間をかけてホームズを連れてきてくれたのだと。
 国分くんたち長崎の人々の厚意を無駄にしないためにも、ホームズは紅薔薇でのんびり生きるべきなのだと。
だが、如何せん、紅薔薇にも、この横浜にも色々なやつらがいる。はっきり言って、人口は横浜の方が多い。そいつらからホームズを守るにはこの方法しかないし、ホームズも分かっていることなんだと。

飼いネコの行動範囲を自然に任せることへの賛否はあるだろう、俺は猫を飼ったことがないから室内飼いに違和感があるだけかもしれない。
 サトルの言うとおり、室内飼いが猫にとって事故や事件に巻き込まれないための1ステップなのかも。
 俺はホームズの顔をもみくちゃにして、サトルと二人、部屋を離れた。

 
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇

「ところで、GPFの練習はどう?」
 サトルは体育館の様子を見ていないので表情も明るい。それに対し、俺の顔色は胸くそ悪さから来る青白い顔と言った方が正しいだろう。
「さんざんだよ。ソフトが有効に使えない」
「どうしたの」
「宮城海音(かいと)の友人?あいつらが邪魔するんだ」
 サトルも友人の顔は覚えていたようで、眉間に皺を寄せて小声で俺に問う。
「体育館じゃなく、別のとこで練習したら?」
 練習場所の確保もままならない俺としては、一番堪える質問だった。
「外じゃできないし、教室内じゃ無理だし・・・」
 
「市立アリーナとか。県立体育館もある。国立競技場はさすがに貸してくれないかもだけど」
「学校で嫌な思いするよりはそっちにシフトした方がGPFのためになりそうだな、ありがとう、サトル」
「僕の方でアリーナのスケジュールつかんで押さえておくよ。ホントは数馬の仕事だと思うんだけど・・・」
「数馬、日本に帰ってきてからほとんど一緒に練習してないんだ。バランスボールで体幹鍛えるのが先、ってのはわかるんだけどさ」
「彼も色々闇が深そうだ」
「そんなこと言わないでさ、仲良くしてくれよ」
「その辺はわかってるし大丈夫。バッティングするといけないから、数馬がアリーナ押さえてるかどうかだけ確認しといて」
「え、サトルから話してくれるんじゃないの」
「それは僕の仕事じゃないよ。チーム組んでる海斗の仕事だ。僕は万が一のこと考えてるだけだから」
「サトルも厳しくなったなあ」
「そう?」
 なぜか知らないけど、サトルの目を見て「あっかんべー」と舌を出したくなって。負けじとサトルもやり返してくる。2人でお腹が痛くなるまで笑った。
 こんなにお腹が捩れるほど笑ったのは久しぶりかもしれない。
 やはりサトルは気が置けない俺の友だ。

 
 夕食を食べ終えた後、サトルと別れて部屋に戻るとホームズがベッドの毛布の上に丸くなって寝ていた。
 ああ、寒いよな。俺だって寒いもん、猫はもっと寒がりなんだろ?
 先月から今月にかけて、お土産も買わなかったし出費がほとんどなかったから、少し手元に残るお金があった。ホームズのベッドでも買ってあげようかな。サトルにまた相談しよう。あ、ホームズのご飯とトイレ、サトルに買ってもらってお金出してない。
 トイレとご飯代までだしたらベッド買えるかな・・・。
「僕からのプレゼントだよ、気にしないで」
 サトルからの離話だった。
 透視をしてたとも思えないから、サトルの読心術は目の前にいなくてもOKなくらい上質な魔法なんだろう。
 サトル、ありがとう。
 
 そして誰か、俺に読心術教えてくれ。
 せめて、ホームズと会話できるくらいに。

 ホームズを寝かせたまま、俺はまたバランスボールにうつ伏せに寝そべってバランスをとって遊んでいた。
 数馬がどこにいるかわかんないけど、離話でも飛ばしてみるか。
 久しぶりに行う透視とともに、俺は数馬に向けて離話を試みた。

 透視は上手くいかなかった。何か霧のようなもので覆われていて数馬の姿が見えない。数馬が霧の中にいるのか、霧が数馬の陰を邪魔しているのか。
その代り、離話は成功した。
「数馬、俺、海斗」
「あれま、君今どこにいるの」
「寮」
「へー。随分遠くまで離話できるようになったんだね」
「今何処にいんのさ」
「秘密」
「ケチ」
「そのうちわかるさ。で、何か話があって離話くれたんでしょ」
「あ、そうだった。やっぱり体育館で練習できなくてさ、市のアリーナとか県立体育館で『デュークアーチェリー』の練習しようと思うんだけど、スケジュール押さえてた?」
「いや、僕は押さえてない。必要なら誰かに頼むなり自分でチェックするなりしてスケジュール押さえてくれ。僕はGPFの出発日に学校行くから。今回はマッサージとかしないけど、バランスボールでごろごろしてれば肩甲骨も解れるはずだ」
「マッサージもなし?サポーターとしてはちょいと怠慢じゃないの?」
「悪い悪い。今でないとできないことなんだ。許してくれよ」

 唖然としたけど、魔法技術科の寮でカンヅメになって何かしてるのかもしれない。
それに、サポーターに頼りきりの選手は皆GPSで敗退している。言葉を返せば、GPFに出場する選手はサポーターの働きが無くとも自分で調整できる選手だということ。
 俺もそうあらねばならないのだろう。
 それでも、試合日には亜里沙や明が着そうだけど。


 翌朝、ホームズが顔に猫パンチを繰り出してくるのに閉口してベッドから起き上がり、猫トイレと猫ご飯を準備した後ストレッチで身体を伸ばしシャワーを浴びていたのだが、ホームズが制服の上を歩いている痕跡を目撃し、思わず大きな声をあげてしまった。
「ホームズ、制服にあがんないで!」
 猫は大きな音を嫌うという。
 ホームズもまた猫である。
 ぷいっと顔を背けたような仕草をすると、ホームズはダダダっと走ってベッドの陰に隠れてしまった。

 
 今日も首輪に付けたロープをベッドの脚にぐるぐる巻きにして、俺は部屋の戸を閉めた。でも、心配がある。遊んでいる時にホームズの首にロープが巻きつきはしないか。
 今日は一度教室で点呼を受けた後で生徒会室に顔を出し、サトルに他のアリーナのスケジュール状況を聞いてもらったらそのままアリーナに移動しようと思っていたのだが、予定を変更して一度寮に戻ろうと予定を変更した。

 点呼が終わった教室内でサトルに近づき俺たちは一旦廊下に出た。
「アリーナの状況見て押さえておくから、君は最初に寮に戻るといいよ」
「こういうとき読心術は助かるな。ごめん、スケジュール確認、よろしく」

 そのまま教室には入らず、俺はソフト片手に校舎から出た。
 どこからか鈴の音が響く。
 この辺りにも猫がいるんだろうか。
 なぜかは知らないけれど、俺は音のする方向に耳を傾け足を向けた。普段人のいない中庭の方。ああ。ここで数馬を救い出したんだった。
 そんなことを考えながら歩いていると、段々大きくなる鈴の音。
 俺の立ってる中庭のベンチ前に近づいてくるのがわかる。

 でも、猫の姿はどこにも見えなかった。
「海斗、海斗」
 誰かが離話してきたんだが、聞いたことのない声だった。
「こちら海斗。誰?」
 そのとき生垣の陰からニュッと首を出したのは、なんと白黒ハチワレ靴下猫のホームズだった。
「ホームズ?なんで?ロープどうした。外せるわけないのに」
 またもやニヤリと笑うホームズ。
 俺はその笑顔に対しすぐさま笑顔で応えることができず、心底慌てていた。
 反対に、ホームズは余裕たっぷり。
「僕の得意魔法は、隠匿魔法と瞬間移動魔法。サトルのいうとおり、読心術も得意かな」
「ホームズ、おまえ人間の言葉話せんの?つか、なんでここにいんのさ」
「ロープなんて僕には合ってないようなものだよ。瞬間移動できるんだから」
「そ、そうか。で、瞬間移動してここで何やってる」

 ホームズの目が突然オッドアイに変わる。
 元々オッドアイじゃないじゃん、ホームズー。どうなってんだよー。
 
「今、君は僕の心を読んでいるんだよ。これが読心術というやつさ。他の人に僕の言葉は届かない」
「これって離話じゃないの」
「君が勝手に僕に話しかけてくるだけじゃないか」
「そうなの?」
「僕の目がオッドアイになるときは魔法を行使してるとき。他の人には絶対に話さないで」
「わ、わかった」
「というわけで、海斗、一度寮に戻ろう。瞬間移動で」
「俺できないよ、到着地決めた瞬間移動」
「するんだよ、寮の部屋に戻る、と口に出せ。お前全日本の前に瞬間移動してなかったか?逍遥(しょうよう)と」
「そんなことあったっけ」
「つべこべ言わず、やれ」
 ホームズは突然姿を消した。結構無作法な物言いの猫だな、ホームズは。
 俺も、言われたままに小さな声で『寮の部屋に戻る』と呟いた。途端に、俺の周りに竜巻のような強い風が吹く。

俺は思わず肩に両手を巻き付け目を瞑った。

GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第12幕

目を開けるとそこにはホームズがいた。ロープに繋がれたまま。
周りを見回すと、そこは紛れもない俺の部屋の中だった。
「ニャー」
 ひときわ大きな声で鳴くホームズ。彼の目の色は、普段の黄色系に戻っていた。

 思わず独り言が口をついて出る。
「ホームズ、全日本の時は浮遊して国分くんのとこにいったんだ。瞬間移動じゃない」
 またもや大きく鳴くホームズ。
 まるで、「そうか」と肯定し返事してるかのような鳴き声。

 ホームズ。
 可哀想だけど、魔法無しでこの部屋にいるときはロープに繋いでおくよ。必要になったら瞬間移動すればいい。
 ごめんな。

 俺は餌場と水を確認後、また学校に戻ることにした。
『紅薔薇の中庭に行く』
 ホームズの方を向きながら低い声で呟くと、また風が俺を襲った。ホームズは風に巻き込まれていない。それを確認して俺はまた目を閉じる。
 目を開けた瞬間、俺の前に広がった風景はやはり学校の中庭だった。
 ここなら人通りもほとんどないし、急に現れたからと驚く向きも少ないだろ。なんつったって、魔法科高校なんだから。

 俺が思うに、EVの中で亜里沙やサトルが使った魔法、俺がリアル世界から戻るときに使った魔法とは少し違う気もするけど、これで、自由自在とまでは行かなくても、ある程度は自由に動ける。聖人(まさと)さんや数馬のように世界を股にかけるにはまだ魔法力が足りないから無理かも知んないけど。
 いつの日かもっと魔法力が付けば世界中を飛び回ることも不可能ではないはずだ。

 俺は昇降口から校舎に入り、生徒会室へと歩いて行った。
 サトルに離話すればそれでいいかなとも思ったが、GPFのためにお願いすることだから直接生徒会室に出向き、理由を説明すべきだろうと考えたんだ。
 GPFが行われる札幌への移動日まであと10日。
 俺に残された時間は少ない。

 生徒会室に行くと、サトルが笑顔で迎えてくれた。
 譲司もサトルと一緒にアリーナの予約をしてくれていたようだが、南園さんと絢人(けんと)はいなかった。
 そうか、GPF組の沢渡元会長、光里(みさと)会長、南園さんは練習に励んでいるんだ

 市立アリーナの予約時間までサトルと譲司が時間を割いてくれて、俺たち3人は井戸端会議しながら『デュークアーチェリー』の姿勢を見てくれた。
 話題は、今時季旬なGPSとGPFのこと。
 ロシアのアレクセイとフランスのクロードが、禁止魔法使用やの他者への禁止薬物投与で失格になり俺は5位でGPSを通過した。
 決してGPSの成績が芳しかった訳でもないが、サトルも譲司もすごく喜んでくれた。
逍遥(しょうよう)の1位通過は皆が期待していたところだし、南園さんのGPS通過も妥当といわれる中、俺だけがみんなの心配の種だったらしい。
 そりゃまあ、魔法を始めて7~8か月でGPFというビッグタイトルに片足突っこめるのは光栄なことだし、自信にも繋がったのは事実だ。
 ただ、7位からの繰り上がりだから決して自慢できることではなく、幸運が重なっただけだという俺の意見に2人は異論を唱えなかった。
  
そんな井戸端会議の(つい)でに、譲司は俺を生徒会室のソファに転がして肩甲骨のマッサージまでしてくれた。
何ともこれが夢見心地。
 俺がバランスボールを日課としているからか、筋肉のつきかたが変わってきたと譲司が驚いていた。なんでも、上半身と下半身のバランスが整ってきたんだとか。
 俺自身はそんなに違いを感じていないんだが。

 でもソフトを使用した昨日の練習ではコンスタントに20分で50枚を超えるようになったし、バランスボールの成果が上がっているのかもしれない。
 数馬がそばにいないのは多少気になるけど、俺の周囲には何人もの応援者がいてくれる。心強い応援団。彼らの応援は確実に俺のメンタルに効いていて、それだけで頑張ろうという気力をキープできる。
 今日の生徒会室での井戸端会議が新たな俺の活力になり、また前に進む原動力になったのは間違いない。
 
 俺は二人と別れ生徒会室を出ると再び中庭に行き、瞬間移動魔法で市立アリーナへ向かうべく、低い声で口にした。
『市立アリーナのロビーに行く』
 またしても竜巻のような風に守られ、俺の身体は市立アリーナのロビーに降り立った。
うん、横浜市内ならどこでも瞬間移動できそうだ。
俺が降り立った周囲には誰もいなかった。良かった。人間の姿が急に姿が現れるなんて傍目には何のミステリーかと訝られてしまうだろう。それとも、この世界では瞬間移動が当たり前で、急に人間が姿を現したとて誰も怪事とは思わないのかもしれない。
 GPFが終わったら、どこまで行けるか数馬や逍遥(しょうよう)と練習してみよう。今はまだ。GPFの練習が先だ。

 ソフトが必要なのかと思ったら、市立アリーナでは『デュークアーチェリー』の練習施設が完備されていた。今時季は世界選手権の新人戦を志す者たちの練習の場でもあるらしい。競技日程としてはGPFが先行するため、俺の場合、優先的に予約を取れたらしい。
 アリーナの受付に名前を伝えると、スタッフさんが練習場まで俺を案内してくれて、頑張ってと激励の言葉をもらった。
 練習場でも、俺が着くなり前に練習していた人が場所を譲ってくれた。
 好奇の目で見られるのかと思いきや、皆、俺に対し応援の言葉こそあれど、紅薔薇の生徒のような敵意は全く感じられなかった。皆、紅薔薇よりよほど親切だ。紅薔薇では、俺は贔屓された第3Gの生き残りだから。
 だからこそ、こうして俺を応援してくれる人のためにも俺は結果を残さなければならない。

 円の中に入り、出てきた的に対し姿勢を整える。
 第1の矢を人さし指デバイスから的へと放つ。
 ドンッ!
 重々しい音を立てて、矢は的のど真ん中を射た。
 周囲から漏れ聞こえるおおーっという歓声と溜息が入り混じり、練習場内に拍手が起こった。
 その拍手に応えるかのように、次々と的が現れ俺の放つ矢はその度にど真ん中へと突き刺さる。
 10分間で約30本。矢は全てど真ん中に入った。
 自分でも初めての成果なので俺も少し興奮していて、よっしゃ!と小さく拳を握りガッツポーズする。
 最初から見ていた人もいれば、後から加わった人もいたのだろう。ギャラリーから大きな拍手が再度巻き起こり、俺はへへっと頭を掻きながら四方に向かって頭を下げた。

 でも、こんな枚数でスペインのホセに近づけるとは思わない。
 俺はもう一度、今度は20分でどれくらい行けるか、姿勢の良し悪しを自分で認識しながら、また挑戦した。
 10分までは完璧な姿勢で50枚連続ど真ん中に刺さった矢。
 しかし10分を過ぎると、俺の悪い癖が出始めることも承知。
 ギャラリーも静まり返り俺の演武を見つめていてなんだか恥ずかしいのだが、それはGPFも同じことで、GPFのギャラリーの方が数は多いはずで。
 (とおる)に言われた指示をアレンジして10分経ったところで姿勢を直し、あとは肩に力を入れないように、上から撃ち下ろすように演武を続けた。
 20分で90枚ど真ん中。ど真ん中を外すたびに心無いギャラリーは騒ぎ立てる。この騒音ともいうべき音を自分の中で受け止めて流す気力も同時に持ち合わせなければ。
度重なる試合で俺が得た教訓でもある。

 今日の練習は30分と決まっているので、俺は帰り支度をして練習場から出ようとした。
「明日も来るのか!頑張れよ!」
 俺は思わずうるっとして後ろを振り返れずにいたが、涙をようやく堪えて声のした方を振り向いた。そちらには笑った顔がたくさんあって、手を振っている。俺も手を振りながら何度も頭を下げた。
 応援の声に見送られながら、俺はアリーナの受付まで戻った。
 スタッフさんも俺の練習を見てたようで、興奮して握手を求めてくる。
 あの・・・俺、まだまだだから。まだGPFで勝ち抜いたわけじゃないから、また練習に来ます。
 それにしても、GPS大会は日本中に発信されていて、みんながそれを見ているのだということを再認識した。
 学校で練習してる分には集中できる環境ではあるけれど、それは多分かごの中での練習であって、今日のような本当に見知らぬギャラリーがたくさん集まるのがGPSなりGPFという試合だと思う。

 俺はアリーナから外に出ると、『紅薔薇の生徒会の隣のトイレに行く』と瞬間移動魔法を唱えた。
 そのとおり、一瞬にして俺は広瀬同化魔法でみんなが大騒ぎしたあのトイレに移動した。トイレに移動するのも(いささ)か笑いの種には間違いないんだが、離話するよりは正式に依頼した方がいいことだ。
 何を依頼するかって?
 市立アリーナや県立体育館での練習場のキープだよ。
 見知らぬギャラリーが多い方が実戦として(くみ)しやすい。
 ソフト使うより以前に、練習場が準備してあるし。
 かえって、アリーナの練習場が取れない時に紅薔薇の体育館を使う方が理に適ってるように思うんだ。
間違ってないだろ?

数馬はおそらく何かの準備に(いとま)が無いのはわかってる。それは決して数馬自身のためではなく、俺のためだろう。GPFには出場決定であり、あとはGPFで何位になるかの違いだから。
それにGPFが何位でも、世界選手権や新人戦は予選会があるって噂だし。

 数馬の魔法力からして、彼が出てもおかしくないと俺は思ってるけどね、本人が魔法力を否定してるから、大会に出る気はないんだろう。
 とにもかくにも、ひとりでも気負いなく練習し、成果を出せるようにすることが今の俺には必要なのだと思う。


アリーナで本気で練習したあとだったから、ぼーっとしながら生徒会のドアを思いっきり開けると、目の前に見えたのは沢渡元会長の顔だった・・・。
さーっと冷や汗が出る。
生徒会では会議を行っていたらしく、皆揃い踏み。
ヤバイ。
どんな理由つけてこの場をやり過ごそうか。
あ、そうだよ、アリーナの予約をできる限り入れて欲しいってことだ。
「申し訳ございませんでした」
 俺は深々と頭を下げ、一旦廊下に出ようとした。
「待て」
 沢渡元会長は俺のことになると興味を出す。ってか、亜里沙と(とおる)がお目付け役として沢渡元会長を選んだのかもしれない。
「どうした、八朔(ほずみ)
「いえ、大したことではないのですが。そもそも、生徒会にお願いするべきことではありませんので」
「それでもここに来たには訳があるのだろう?どうした」
「あの・・・GPFに向けて、市立アリーナと県立体育館の予約をできる限り取って欲しいと思いまして」
大前(おおさき)は何をしている。本来なら彼の役目だろう」
「数馬は今、別の視点からGPFなど俺の魔法力を総合的に検討しています。それでこちらに伺った次第です」
 沢渡元会長は少しだけ笑みを浮かべた。でも、目が笑ってない・・・。数馬に対し、良い印象を持っていないのだろうか。ちょっと心配になった。

「いいだろう、もう10日しかないしな。岩泉、栗花落(つゆり)、手分けしてアリーナの予約をできるだけ取ってくれ」
 サトルも譲司も、事務的に返答する。
「承知しました」
 俺はその、承知しましたという言葉が好きではないが、いまここでどーのこーの言える立場ではない。
 サトルは市立アリーナ、譲司は県立体育館にスケジュール確認してくれたが、県立体育館は練習場こそあるものの先着順を優先し、GPFのためという理由は通らなかった。一方市立アリーナは今日のように30分ほど毎日、時間を取ってくれた。

「市立アリーナ、10日後のGPF開始まで毎日取れました」
 サトルの言葉に、生徒会の室内からほっとし雰囲気が見て取れた。
 県はケチだなあと思ってしまった俺だが、県立体育館で練習している連中も、市立アリーナで練習してる連中も、1月に行われる世界選手権や新人戦出場に必要になるかもしれない予選会のために練習しているのだということを瞬時に思い起こした俺は、市立アリーナを選んだ連中に申し訳ない気がした。
「すみません、ここにきてあの者たちの練習時間を削ってしまいました」
 俺は心から反省したのだが、沢渡元会長はそっけない。
「何、あの連中にもいい勉強になるだろう。県立で練習している連中は、いい手本を見損なったわけだ」
「自分は手本になるような魔法の使い手ではありません」
「それより、1月に予定されている予選会は何やら不穏な空気が漂っていると聞く。今練習しているのは、皆50m先の的だろう?」
 あ、やっぱり1月に予選会あるんだ。
「はい、そうです」
「新人戦の『デュークアーチェリー』の的は100m先になるという噂があるのだ」
「えっ」
 驚きのあまり、声を詰まらせる俺。
 50m先でさえ的外すのに、100m先なんて矢が届かないよ。
「心配することは無い。今のは噂段階だからな。とにかくお前は今の練習法を続け、GPFに乗り込め」
「はい、承知しました!」

 なんだかんだで、俺も承知しました、なんて言葉使ってるし。
 これ以上何か考えたら読心術の矢が乱れ飛びそうなので、俺は早々に逃げることにした。
「ありがとうございます」
 回れ右して出ようとする俺の手をとり、サトルが立ち上がった。
「GPFでも選手やサポーター、生徒会が合同で移動します。のちほど詳細を発表しますので」
 わかった、とアイコンタクトでサトルに返事をした俺は、そのまま生徒会室から廊下に出た。
 ああ、もうめんどくさい。
 学校内で魔法使うとバレるって聞いたことはあるけど、今日はもう疲れた。中庭から瞬間移動魔法で部屋に戻ろ。

 やっとこさ中庭に着いた俺は、いつものとおり低い声で行き先を呟いた。
『紅薔薇魔法科寮へ行く』
 前はホームズが一緒だったから寮という呟きで済んだけど、どこの寮か言わなかったら他の寮に行く可能性だってあるよね。

 と頭で考えてる間に、身体は寮の玄関に戻っていた。そうか、前は部屋を指定したんだっけ?
ま、いいや。

 寮の廊下をちんたらと歩き、自分の部屋に着いた。
 ホームズ、抜け出してないよな。疲れていながらもそれだけは心配になる。
 鍵を使って部屋を開けて中に入り、また閉めたドアの鍵をかける。
「ホームズ、ホームズ」
「なんだよー」
 目の前に現れたホームズは、またもやオッドアイになっていた。ぬぬ、魔法使ってなにしてんだよ。
「これからここに客が来る。俺のオッドアイのことは絶対言うなよ」
 そういうとにこやかに笑い、元の目の色に戻りニャオーンと鳴く。
 なんだ、誰が来るんだ。
 ホームズの言葉を聞いて俺が着替えないでその場に立ち尽くしていると、部屋をノックする音がした。
「はーい、誰~」
「僕だよ、数馬」
 
 久しぶりの数馬の声。
 俺はすぐにドアを開錠し数馬を迎え入れた。
「忙しいのはわかるけど、学校くらい顔見せればいいのに」
「悪い悪い。ちょっと学校にも行ってなくて」
「そんなにハードなことなの?」
なるほど、ろくに飯も食ってないのか、顎のあたりがまたシャープになった気がする。数馬は元々痩せてるから、これ以上痩せたらスケルトン。骸骨になるよ。

数馬は少し上機嫌で口笛なんぞ吹きながら、部屋を見回した。
「猫を譲られた、って聞いたけど。名前、ホームズだっけ」
「あれ、言わなかったっけ」
「聞いてない」
 俺はホームズを数馬に紹介しようとベッド界隈を探した。
「ホームズ、ホームズ」
 呼びながら気付いた。猫の名前をホームズと口にしたのは、数馬だ。俺が言う前に。
はて。何で知らんふりする。

 そのとき、ホームズがベッドの毛布から顔を出した。
 見た目はとっても可愛いハチワレ猫だ。
「ホームズ、おいで」
 俺が呼ぶとホームズは起き上がったが、数馬を見た瞬間、物凄い勢いで威嚇し始めた。
こないだの逍遥(しょうよう)なんてもんじゃない。
 数馬は近づこうとしたんだけど、ホームズはバリバリと爪とぎに懸命になっている。ああ、先週買った爪とぎがもう使えなくなった・・・。
でも変だ。ホームズなりの意志表示か、来るな触るなと爪を立てているのがわかる。
 俺ですら抱っこできない。
 ホームズがこんなに怒ったのは初めて見た。
 
「ご機嫌斜めのようだね」
「うーん。逍遥(しょうよう)くらいのモンなんだけどな。フーシャー威嚇されてんの」
「猫にも好き嫌いはあるのかもね。それとも、僕が嫌な臭いつけてるのかな。病院とかさ」
「そうなの?」
「うん、大体の猫は病院の臭いが大嫌いなんだ。痛い事された場所、って覚えるらしい」
「へー」
「この猫の得意魔法は何なの?過去透視とかしないよね」
 ホームズがニャーニャー鳴いて、できるかそんなもーんと・・・。あ。俺、ホームズの心の中がわかるわ。
 でも、数馬にはホームズや俺の心の中がわからないようで、何もツッコミはなかった。
「さて、近頃の練習風景を聞こうか」

 俺は、体育館で邪魔が入ったので市立アリーナで練習を始めたこと、GPF開幕前までずっと市立アリーナで練習を続けること、あとは寮に戻ってストレッチやバランスボール、姿勢矯正であと9日を過ごすことを切々と説いた。
 その奥底には、サポーターなんだから少しは面倒見やがれと言う嫌味も入ってるんだが、数馬はモノともしないでGPFまでそのまま練習をして欲しいとほざいてる。
 げーっ。

 まあ、頼りすぎちゃいけないし、いつか独り立ちするのが流れとしても、GPFまであと9日だよ?あと9日くらい面倒見てくれてもいいじゃないのさ。
 でも、最後まで数馬は俺の心を読もうとしなかった。読んでるのに無視した可能性もある。それって、どっちでも変わらないでしょ。

 数馬は皆が帰ってくる時間は廊下にも出たくないと言って、部屋の中から瞬間移動魔法使って自分の寮に戻ってしまった。
 おいおい、数馬―。
 でも、GPFには姿を見せるらしい。
 それで良しとするか。許さないか。これ考えたって面倒だから、許すわ。
 
 数馬が帰るなり、ホームズが俺の膝に乗ってきた。
 すぐさまオッドアイになる。
「あいつ知ってる」
「数馬の事?」
「そう。あいつに拉致されかけた」
「なんで」
「あいつの過去を透視したから」
「さっき、過去透視の話数馬がしたら『できるかそんなもーん』て言ったじゃない」
「出来るなんて言おうものならまた拉致されるわ」
「数馬の過去になんかあったの?」
「あいつが自分から言わない限り、言わない」
「そうだな、俺が知ってもどうしようもないし」
「でも、あいつ嫌い。猫として扱ってくれない」
「え、だってホームズは猫だよね」
「だろ?だから海斗は好きなんだ」

 また黄色い目に戻り、バランスボールに近寄るホームズ。
 数馬の過去ねえ。
 どういう過去か知らないけど、俺としては、ややこしい面倒事はもういいから。
 俺、なんだかそういうことにばっかり巻き込まれてる。
 で、命狙われたり。
 平穏に暮らしたいんです、俺は。

 バランスボールにうつ伏せになって四肢の力を抜いてみる。あ・・・ゴロン。
 何か筋肉が緊張してるような感覚になる。
 今度は仰向けになって乗ってみる。
 バランスを激しく崩し頭から落ちてしまった。危ない危ない。
 最後に座ってホームズを膝に乗せ、前後左右に動く。
 今日はもうお仕舞にするか。

 軽くストレッチをしてシャワーを浴びた。
 あ、そうだ、夕食まだ食べてない。
 ジャージに着替え、ホームズを部屋に残して鍵をかけた。
 数馬がホームズを拉致するつもりなら、この鍵など役に立たないだろう。どっちも瞬間移動魔法できるんだから。
 願わくば、数馬にはもうその気が無くなったと信じたい。

GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第13幕

市立アリーナに通うようになってから、早いものでもう8日が過ぎた。
 俺のために時間を空けてくれた人たちが見守る中、俺は30分で平均75枚という万全の調整ができていた。
 ありがとう。みんな。
 明日は学校で壮行会があるからアリーナには来れない。
 俺は最後の演武をギャラリーに見せると、大きく手を振って大声で挨拶した。
「こちらでの練習も今日で終わりです。時間を譲ってくれた皆さんに心から感謝します!」
 するとギャラリーの人々は、拍手喝采と市立アリーナスタッフが手作りした何枚ものタオルを振ってくれた。
『Kaito Hozumi』『八朔 海斗』『ガンバレ』
「応援に行くからな!」
「この調子で頑張れよ!」

 俺はうるうるきて、涙があふれ出てきた。上を向かないとこの涙で床を汚してしまいそうで、ジャージの袖で涙を拭いながらみんなの声援に手を振って応えた。
「ありがとうございます!お世話になりました!」

 お蔭様で泣き腫らしたかのように真っ赤な目をしてアリーナを出た俺は、歩くにも人目があるので直ぐに瞬間移動魔法を使い紅薔薇の魔法科寮に戻った。
 ストレッチを少しだけして、すぐにシャワーを浴び汗を取り、ジャージに着替えてからホームズを探した。
「ホームズ、ホームズ」
 寒いからまたベッドの中に潜ってんのかな。
「ホームズ」
 何度呼んでも姿が無い。
 ベッドのロープを見ると、なんとぐるぐる巻きにしていたロープが外されていた。

 逃げた?
 それとも、拉致?
 俺はサトルや逍遥(しょうよう)聖人(まさと)さんに離話して連絡を取りながら3人が寮に帰って俺の部屋にくるのを待った。
 聖人(まさと)さんがまず最初に俺の部屋に着いた。
「どうした」
「ホームズが、ホームズがいないんだ」
 続けて、サトルと逍遥(しょうよう)が俺の部屋をノックする。
「どうしたの海斗、泣きそうな顔して」
 俺はホームズが部屋の中にいない事実を受け入れられなくて、本当に泣かんばかりの顔をしていたと思う。
「ホームズがいなくなった」
 
 すると、3人が3人とも、右手で拳を握り左胸、ちょうど心臓がある辺りに合わせていた。
「何してるの?」
 サトルが一瞬目を開け、『過去透視』と一言だけ。
 3人とも過去透視ができるのかという思いもあったが、今はとにかくホームズの行方を知りたかった。
考えられるのは、悪いけど数馬の拉致しかない。
あと、ホームズがこの部屋にいるのを知っている者はいない。ましてや、魔法力を持った猫だなんて、誰も知る由がないんだ。
「数馬が昨日ホームズに会いに来た。過去透視が出来るのか、って聞かれたけどできないって追い返したんだ」

 聖人(まさと)さんが最初に目を開けた。
 次に逍遥が、最後にサトルが。
「大丈夫だ、海斗。大前(おおさき)が今日ここに来た様子はない」
「ホームズが瞬間移動してどこかにいったな」
「行った先まではわからないけど、悪意は感じないよ。そのうち戻ってくると思う」
「でも猫が外歩きしたら事故に遭ったり猫嫌いに人に苛められたりするよ。早く見つけないと」
 俺は3人を部屋に残し、寮から出て周りを探し始めた。こういう時、大声で名前を呼ぶのはタブーなんだそうだ。猫がびっくりして怒られてると思うから。

 と、俺の頭の中に、国分くんの顔が映った。
 ホームズが肩乗りして遊んでる。
 そうか、国分くん、冬休みで帰省中なんだ。
 ホームズは自分をただの猫として扱ってくれる人間を最も好んでいる。国分くんはある程度知っているとしても、国分くんのご両親は猫としか思っていない。お父さんは余程猫好きなんだろう。お母さんはいつでも家にいる方のようだし、色んな意味で可愛がってくれる。猫アレルギーって嘘ついてたらしいけど・・・。
 もしかしたら、俺の部屋より国分家の方がホームズのためになるかもしれない。

 するとホームズから離話が届いた。
「俺、国分がこっちにいるときはたまに世話になるけど、あとは魔法科の寮に帰るぜ」
「そっちの方が居やすくないか?魔法なんて使わなくて済むし」
「んー。俺さ、GPFとかにも行くんだよね。魔法の関係で」
「そうなのか」
「だから寮にいるのが一番楽なんだ。お前の部屋、居やすいし」
「ならよかった」
「少し時間くれ、国分の家でもとうとう保護猫を迎えるらしい。猫なんざショップで買うもんじゃねえし」
「でもほら、血統書とかある猫もいるだろ」
「そんなもん、正規のブリーダーを登録してそっから買えばいいんだ。時代の流れは保護猫よ」
「君は猫なのに経済的な話とかまでするんだな」
「博識と言いやがれ」
「はいはい、博識猫さん。ところで、俺らがGPFに出掛ける前に帰ってくるのか?」
「帰る」
「待ってるよ、何か欲しいものない?」
「電気ヒーター」
「それは俺の小遣いで買うのは難しいな」
「誰かの不用品が手に入る。じゃな」

 突然離話は切れた。
 でも、ホームズが悪い奴に連れてかれなくて良かった。
 安堵の息を吐きながら寮の部屋に戻ると、みんな事情を承知していた。俺の心を読むのは簡単だろうから。
 そんなのどっちでもいいや。
 ホームズが無事に戻るなら。

「あ」
 サトルが思い出したように素っ頓狂な声を上げた。
「ヒーター」
 俺はホームズが話してたヒーターの話を忘れ、サトルは何を言ってるのか意味が分からなかった。
「今、ヒーターのことなんて話してない」
 サトルはぷくっと頬を膨らませ俺の目を見る。
「ホームズが欲しがったヒーターだよ」
「あ」
 俺もようやく思い出した。
「俺の小遣いじゃ無理だよ」
「僕の部屋、これからはオイルヒーター使うことになったんだ。だから今まで使ってた電気ヒーター、海斗にあげる」
「いいの?」
「不用品として処分を考えてたけど、まだまだ使えるんだよね。こっちに来た当初、春先に買ったヒーターだから」
 それはありがたい。
 元々、リアル世界では俺の家は石油ヒーターを使っていたんだが、こちらの世界では灯油消費に厳しくて、寮でも電気系の暖房器具を使うようにとお達しがあり、俺は毎晩寒い思いをしていたんだ。
 助かった―。
 ホームズが毛布に隠れて出てこない日もあったんだよなー。
 やっと暖房器具が手に入った。
  
 それにしても、ホームズはこれから起こることを予言したようにも思えた。
 もしかしたら、未来を見通せる力があるのか?もしもホームズの力に未来予知まで加わったら争奪戦になることは必至だ。
 
「たぶん、そういうことじゃねーの」
 聖人(まさと)さんが少しぶっきら棒に言ってのける。何だかこの頃機嫌悪い。
 逍遥(しょうよう)が俺の思いに気付いたようで、笑いながら種明かしをしてくれた。
聖人(まさと)はね、学校や寮が禁煙なのが気に入らないの」
仕方ないでしょ、俺に余波を回さないでくれ。
「仕方ないで済めば魔法師はいらない。警察もいらない」
 こりゃまたえらく不機嫌で・・・。
 サトルが場をとりなそうと懸命に声をかける。
「出かけてきたら?外なら制服姿じゃない限りタバコ吸えるでしょう」
「今からこいつのマッサージと簡易練習やるから時間無い」
 逍遥(しょうよう)を指さしなおも不機嫌な聖人(まさと)さんに、俺は二の句が継げないでいた。

 逍遥(しょうよう)が場の雰囲気を変えようとふざけた言動を試みるも失敗に終わり、部屋の中は段々険悪な空気が充満しそうになっている。
聖人(まさと)、もう行こう。せっかくホームズが見つかって海斗は喜んでんだから」
 俺からみるに、やっと正気に戻った聖人(まさと)さん。
「ああ。今行く。海斗、数馬には今日の事絶対にいうなよ。なんであいつがそんなにホームズの力を必要としてんのか知らないけど、数馬に対して威嚇してんだろ?」
「うん。逍遥(しょうよう)どころじゃなかった。昔拉致されそうになった、ってホームズが言ってた」
「よほど力が欲しいんだな」
「過去透視できるか?って聞いてたし」
「過去透視くらいなら俺にだって出きらあ」
 
 悪態をついている聖人(まさと)さんは逍遥(しょうよう)に引きずられるように俺の部屋を出て、俺はサトルと二人きりになった。
「あの人の闇は深そうな気がする」
 そう言ってサトルは押し黙り、部屋の中にまた重苦しい空気が流れる。あの人、とは数馬を指しているのか、それとも聖人(まさと)さんのことなのか。
俺は何と言葉を繰りだせばいいのかわからずにもがいていた。ますます深まる謎。
その空気を掻き消すかのようにサトルは立ち上がった。
「僕、電気ヒーター取ってくる」

 サトルが部屋から出て、俺は久しぶりに1人きりになった。
 ホームズが来る前は1人でも結構呑気に暮らしていたが、こうして誰もおらずこの空気を俺だけが吸っていると思うと、なんだか無性に泣きたくなった。
 いつサトルが来るかわからないから涙をジャージの袖で拭い、ヒーターが来るのを待つ。

 ヒーターの埃でも拭き掃除をしていたのだろう、10分ほどしてサトルが部屋にヒーターを持ってきてくれた。
ヒーターは新品同様で、神様仏様サトル様、と俺は何度も頭を下げた。
 さっき言った闇が深いとは誰を指しているのか聞こうとしたがサトルはその言葉から逃げているように感じられ、ヒーターを置くとそそくさと自分の部屋に帰ってしまった。

 闇が深い、か。

 事実、数馬は何かを隠している。
 第一に、数馬は沢渡元会長から誘われ紅薔薇に来たと言っていたが、当の沢渡元会長は数馬の顔すらも知らなかった。
 2人の言うことは見事に平行線だったのを俺は覚えている。沢渡元会長は当時のことをうやむやにしたが。
 ホームズへの執着といい、俺のサポートを投げ出して何かに熱中していることといい、日本に戻ってからの数馬はどこか変だ。

 一方で聖人(まさと)さんも未だ家族から見放された1人の青年であって、タバコがどうのなんて軽口を叩いてはいるものの、家族との和解、魔法部隊への復帰、色んなことが心の中でクロスしているに違いない。
 本来、紅薔薇にこのままいるべき存在ではないのだ、聖人(まさと)さんは。
 あの時は紅薔薇に復帰させることが一番と考えられたが、果たしてそうだったのか。
 
 俺はヒーターの電源を入れ、赤く染まる熱源の前で手を翳しながら色々と考えていたが、明日学校で行われる壮行会や明後日のGPF出発前に向け、心を空っぽにしなくてはいけないと思い返す。

 GPFは、俺が思うほど甘くない。

 翌朝、ホームズのいない朝を何日ぶりに迎えただろう。お蔭で・・・よく眠れた。
 というか、遅刻寸前。
 もう8時をゆうに回っている。

 鏡の前で髪に水を付けて伸ばそうとするが焼け石に水状態で髪はハネたまま。
おいおい、この髪で壇上に上がるのかよ。みんなに笑われてしまう。
 でも、時間がない。
 どっちを取るか悩んだ末に、やはり髪ハネを捨て学校へ向かうことを選択した。
 
 髪の毛を気にしながら全力ダッシュで学校に向かい、校門を入ったそのときに先生が出てきてガラガラ・・・と門を閉める。
 あー、危機一髪。

 そうだよ、俺の髪の毛は危機だ・・・。
 
 走って学校に入ったので肩で息をしながら魔法科に入った俺。
 早速宮城海音(かいと)の友人らしき人物たちが何か俺のことを言ってるのはわかったんだが、こちとら息が苦しくてはっきりとは聞こえなかった。
別に褒められたわけじゃないんだからそれで良かったんだと思う。
 逍遥(しょうよう)とサトルが近づいてきたのはわかったが、2人に対しても何も喋れない程、俺はぜーはー。
 たまにはジョギングもしないと。こうしてみると、身体ってすぐに鈍るんだな。楽な方に流れがちな俺にとって、これは死活問題にも通じるものがある。
 
 逍遥(しょうよう)は半ば怒ったように俺を見て、一言。
「その髪も直せない程寝てたの?壮行会あるのは知ってたでしょうに」
「近頃はホームズに起こされてて。今日はホームズいなかったから爆睡しちまった」
 サトルが心配そうに俺ではなく、俺の髪の毛を見ている。
「点呼が終わったら一旦トイレに行こう。自己修復魔法かければ髪のハネも直るから」
「サトル、ありがとう。それに比べて、逍遥(しょうよう)は相変わらず厳しいよな」
「僕は嘘ついてないでしょ。サトルが優しすぎるだけ」
 つくづく自分の爆睡にも腹が立ったが、逍遥(しょうよう)の物言いにも何となく角が見受けられて、安易に頷くことができないでいた。

 あれ、そういえば聖人(まさと)さんは?
 この頃はいつも逍遥(しょうよう)と行動を共にしてたと思ってたけど。
 俺は遅刻寸前話から急に話題を変え、逍遥(しょうよう)に尋ねようと目を見た。
 いつもの読心術が始まった。
聖人(まさと)?二日酔い」
 普段そういう行動をとらない人なので、俺は少なからず驚いた。
「えっ。大丈夫なの」
 逍遥(しょうよう)は呑気に口笛を吹いている。
「壮行会までは来るって」
「何時からだっけ、壮行会」
「午後?それとも午前の10時だっけ」
 サトルは本気で呆れ返っている。
「それ、本当なら懲罰モンだよ。聖人(まさと)さんなら透視も効かないように隠匿魔法使ってるだろうから確認もできないけど」
 なおも逍遥(しょうよう)の呑気っぷりは変わらない。
「サポーターは今回紹介されないからいいってさ。GPSで紹介されたからって」
「GPSの時は俺のサポーターだったでしょうが。今回は君に変わってんだから新しく紹介し直すだろ」
「あ、そうか」
「そうかじゃなくて。聖人(まさと)さんに直ぐ来るよう連絡しなよ」
「具合悪そうだったからなあ」
「自己修復魔法や他者修復魔法とか、効かないの?」
「うーん。どうかな。今まで二日酔いの人間に試したことがない」
 
 俺は少し大きな声を出そうと逍遥(しょうよう)の耳元に近づいたが、気配を察知したのか、するりと逃げられた。
「わかったわかった。離話してこっちに直ぐに来るよう伝えるから」
 そういうと、逍遥(しょうよう)は直ぐに廊下に出た。
 俺とサトルも廊下に出て、逍遥(しょうよう)をやり過ごしてトイレに入り、サトルは俺の髪ハネを他者修復魔法で直してくれた。
 そうか、朝起きた時に自己修復魔法ですべて綺麗に整えればいいんだ。なんで今まで気付かなかったんだろう。
「そうだね、これからは自己修復魔法かければいい。そうすれば逍遥(しょうよう)に嫌味言われなくて済むよ。ところでさ」
 サトルが俺の耳元でこっそり告げる。
「何?」
「この頃、聖人(まさと)さんと逍遥(しょうよう)、上手くいってないんじゃないかな」
「そうなのか?」
「うん、聖人(まさと)さんがタバコだ酒だって荒れてるのは何かしら原因があるんじゃない?」
「そう言われて見れば、そうかも」

 その中身をサトルと話そうとしていたら、運悪く先生が来て点呼が始まってしまった。
 サトルと俺は先生の目をかいくぐりサッと教室に入ったからだが、逍遥(しょうよう)は廊下に出たきり入ってこない。
 おーい、いつまで何してんだ、逍遥(しょうよう)
 サトルは岩泉だから直ぐに点呼が終わり、俺は八朔(ほずみ)だから後の方。逍遥(しょうよう)四月一日(わたぬき)だから最後だ。
 俺も名前を呼ばれハイと返事をした。
 聖人(まさと)さんの番になると、サトルが「頭痛により遅刻します」と早口で代弁した。サトル、君は気が利くよ、やっぱり。
 もう、逍遥(しょうよう)の番まで来たら俺が代弁してやるよ。「腹痛のため遅刻します」とでも言えばいいだろう。1年魔法科の担任は、なぜか生徒の顔を見ないで点呼を取る。
 渡辺という生徒がいるんだが、もうそこまで点呼は進んでいた。
 逍遥(しょうよう)、仕方ない、あとは俺に任せろ。

 そう思って代弁の準備をした時だった。
 そっと後ろ側の入り口に逍遥(しょうよう)が姿を現したかと思うと、靴音を立てずに自分の席に戻って椅子に座った。
四月一日(わたぬき)
「はい」

 絶妙な具合で点呼に間に合った逍遥(しょうよう)
 先生は最後の逍遥(しょうよう)の名前を呼んだあと、出席簿を携えて教壇から降り、そのまま廊下へと姿を消した。
 俺はすぐさま逍遥(しょうよう)の席へ移動する。
逍遥(しょうよう)、よく間に合ったなあ」
「点呼の進み具合は聞こえてた」
「離話してたのに?」
「いや、聖人(まさと)との話は終わってたから」
「すぐ来るって?」
「今日は休むってさ」

 なんとまあ。壮行会で壇上に上がる日だってのに。
 さっきサトルが言った、2人の不和を俺も感じ取ってしまった。
「不和というほどのものでもないよ。近頃何でか聖人(まさと)が感情的になることが増えたんだ。僕は一切今までと変わってないんだけどねえ」
 俺は違う違うというように、大きく手を振った。
「いや、君の変わってないは当てにならない。何かしたんだろ。あの聖人(まさと)さんが感情的になるなんて余程のことだ」
 俺は逍遥(しょうよう)と話すのを止め、トイレに行くふりをして廊下に出ると、聖人(まさと)さんに離話を飛ばした。
 
 最初は隠匿魔法で姿が見えなかった聖人(まさと)さんだが、俺がしつこく離話を飛ばし遠隔透視していることを悟ったのだろう。ようやく隠匿魔法を解除し返事が返ってきた。
「どうしたの、今日は壮行会があるのに」
「俺、逍遥(しょうよう)のサポート降りるわ」
 何となく感じてはいたことだが、俺の心の中で、驚きと悲しみが入り混じった。聖人(まさと)さんの言葉が空虚に空回りする。
そんな、そんな簡単に言うな!!
「なんで。俺のサポート降りてまで逍遥(しょうよう)についたのは聖人(まさと)さんなのに」
 心に仕舞い続けていた聖人(まさと)さんへの思慕を改めて気付かされたような気がして、思わず本音が出てしまった俺。
 聖人(まさと)さんはしばらく何も話そうとはしなかったが、俺に対する責任を痛感したんだろう。ポツリ、ポツリと言葉を選びながら話し始めた。
「そうだな、あのとき選んだのは、確かに俺だ」
 俺は言葉遣いも悪くなってきて、聖人(まさと)さんを責め立てるような口ぶりになっていた。心の中ではそんなこと思ってないのに。
逍遥(しょうよう)の何が嫌でサポート云々まで話が飛躍すんだよ」
 聖人(まさと)さん、読心術使えんだろ?俺の心も読んでくれよ、推し量ってくれよ。本当のことを言えば、俺は今でも、数馬を放り出してでも聖人(まさと)さんとチーム組みたいと思ってんだよ。
 聖人(まさと)さんが次の言葉を発するまで、俺は期待していた。一体、何を期待していたって言うんだろう。
 
「この頃、新人戦への戦略も含めてなんだが逍遥(しょうよう)と衝突することが多くてな」
「そんなのいつものことじゃないか」
「そうか?ついつい、酒に逃げてたんだよ。いつまで続くんだこれは、って」
「来シーズンはサポーターから選手になるだろうが。もう組みたくとも誰をもサポートできなくなるんだよ?」
「そうだな」
「あと2試合しかない。GPFと新人戦しかないんだよ、ホントに今のままでいいの?サポート降りて、後悔しないの?」

 向こう側で、大きなため息が聞こえた。
それは俺に向けられたものでは無くて、逍遥(しょうよう)に向けられた悔恨の情であり、俺は涙を堪えるのが精一杯だった。少しだけでも、俺に対する情が欲しかったから。
 聖人(まさと)さんは決して逍遥(しょうよう)を見捨てたわけではなく、勝利してほしいからこそ色々な葛藤が心に生じるのだと思う。
 俺は涙を拭き、最後の言葉を聖人(まさと)さんに投げかけた。
聖人(まさと)さん、自分の思いを素直に逍遥(しょうよう)に告げたら?2人がチームとなり共同作業で進めて行きたい、って」
逍遥(しょうよう)にその意味が分かるかよ」
「俺はあと2試合しかサポートできない、ってはっきり言えばいいよ。逍遥(しょうよう)は未来永劫聖人(まさと)さんと組めると思って我儘言ってるだけだから」
「そんなもんかね、読心術を使っても、あいつの心の中が読めないんだ」
逍遥(しょうよう)天邪鬼(あまのじゃく)だから。もう残された時間が少ないと思えば、聖人(まさと)さんの意見に耳を貸すと思うよ」

 しばしの間が空く。
その空気感は俺と聖人(まさと)さんの距離を縮めるどころか、もっと、もっと遠くまで離れていくように感じられた。

 その後、最初に口を開いたのは聖人(まさと)さんだった。
「おう、わかった。もう一度あいつとゆっくりと話す時間を作る」
「そう、よかった」
 さっぱり良くない、と俺の心の悪魔が囁く。この機会に、宮城聖人(まさと)を自分のサポーターにしてしまえ、と。
 俺の中の天使は何も意見せず黙ったままで、もう少しで俺は、悪魔の指示通り動いてしまうところだった。
 でも、堪えて我慢して、ようやく悪魔に打ち勝つことができた。
 
「壮行会は午後からだから、昼飯食って酒抜いて来たらいいよ」
「ああ、お前を裏切ってしまったこと、申し訳ないと思ってる。ごめんな。でも、見違えるほど上達したじゃないか」
「そうでもないよ、今は数馬とほとんど会ってないし。魔法とか教えてもらってない」
「いや、読心術だよ。俺は今離話で話してたわけじゃない。俺の思いをお前が読み取っただけだ」
「そう言えばホームズにも言われたような気がするけど」
「瞬間移動魔法も教わったんだろ。これでまた使用できる魔法が増えたな」
「どっちもホームズが教えてくれた。逍遥(しょうよう)には悪いけど、いずれ覚えなきゃいけない魔法だったし、この際誰から教わったかなんて関係ないしね」
「そうだな。その意気だ。そういえば、近頃数馬とは会ってないんだろ?サポート受けなくて気にならないのか」
「『デュークアーチェリー』の上位者は皆サポーター無しなんだよ。俺もそういう風になりたいから、今は気にしてない」
「お前さんは、やっぱり強いな」

 泣きそうになってる俺を知ってるはずなのに、敢えて『強い』という言葉を使ってくる聖人(まさと)さん。
 俺はその期待に応えなければならないと思うし、応えたい。
 泣きそうになるのを堪え顔をくしゃくしゃにするだけでもう、何も言えなかった。

 俺は聖人(まさと)さんとの離話を終わらせ、廊下にいる生徒の間を潜り抜けながら魔法科の教室に入った。
科内ではGPFの話よりも新人戦の話が耳に入ってくる。皆の話を総合すると、新人戦の予選会があるというのは本当らしい。
その予選会に出る為には生徒会からの推薦が必要とのことで、皆、どうやってアピールするかに頭を悩ませているようだった。
 そりゃそうか、GPFには誰も出られないんだから興味も半減というところだよな。
 GPSで7位から5位に変更されGPFに向け首の皮一枚でつながった俺に対し敵意を向けてくる者もいたし、反対に頑張れよと肩を叩いてくれる者もいた。
 とにかく俺は、GPFである程度の成績を残し、その上で新人戦の予選会に臨みたい。覚えた魔法をひとつひとつ、自分のものにしていかねば。

GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第14幕

午後からは講堂で生徒全員が出席した壮行会が行われ、GPFに参加する選手とサポーターが紹介された。
 
 まず、沢渡元会長。GPS1位通過で『プレースリジット』への出場が決定している。もちろんサポーターは若林先輩。
 次に、光里(みさと)会長が光流(ひかり)先輩から『バルトガンショット』を引き継ぎ好成績でGPFへの出場を決めた。蘇芳(すおう)先輩が引き続きサポートを続ける。
 1年では、逍遥(しょうよう)がGPSで1位通過した『エリミネイトオーラ』に出場する。聖人(まさと)さんは昼前に学校に来て、なんとか壮行会には間に合ったが、2人はずっと目を合わせることもなく、少し異様な風景に見えたのもまた事実だった。
 南園さんも『スモールバドル』に出られることになった。GPS同様、譲司がサポートに就く。生徒会役員同士で気心知れた仲間でもあり、南園さんの更なる飛躍が望まれる。

 最後に名前を呼ばれたのは俺、八朔(ほずみ)海斗。壮行会に集まった生徒のほとんどが俺が禁止魔法その他の事情で7位から5位に順位格上げされ、やっとこさ出場できることを知っていたらしく拍手はまばらだった。
 サポーターとして数馬の名前が呼ばれたんだが、結局数馬は講堂に姿を見せず、司会を務めたサトルの声がちょっと不安げに聴こえた。そりゃそうだよな、サトルにしてみれば壇上に上がってくるはずの人間の姿がないのだから、どうやってカバーすればいいか悩んだに違いないが、サトルは機転を利かせて瞬時に出場者全体への拍手を生徒たちに求めたので、数馬のことはうやむやで終えることができた。

 それにしても数馬、何やってんだろう。
GPFには行くといってたから札幌には行くんだろうけど、壮行会にさえ姿表せない程の何か、ってあるんだろうか。俺からしてみれば、半ばサポート棚上げのような気がするんだけど。まあ、いい。数馬無しでもやっていけるくらいの練習は1人で行っていたから。

 壮行会では1人ずつ選手が挨拶したんだが、他の皆は、ご期待に添えるよう上位目指して頑張ります、みたいなことを言っていたので、俺もそれに(なら)って言おうと思ったが、俺が上位を狙えると思って期待してる人は少ない。拍手の音でそれは分かる。
 だから、別のフレーズでやんわりと。思い切り世界にぶつかってきます、といったんだよ。それなら拍手してくれた人を失望させずに済んだだろ?

 壮行会が終了して俺は一旦魔法科に戻ったが、逍遥(しょうよう)聖人(まさと)さんは会話どころか視線さえ未だ外している。このままじゃ、明日からのGPFに差し支えるじゃないか。
逍遥(しょうよう)が亜里沙から出された命令はGPSを1位通過だったはずなので、GPFで何位になろうが亜里沙からビンタされることはないだろうけど。
 でも、あまりにひどい内容なら、やはり紅薔薇を辞めて軍務に引き戻されるかもしれない。逍遥(しょうよう)、君はそれでいいのか?
 
 俺が見つめてることに気が付いたのだろう、俺の心の中にも。逍遥(しょうよう)は俺の傍に寄ってきた。
「僕なら大丈夫。もうヘマはしない」
「順位落すと亜里沙が怖いぞ」
「それより、数馬はどこ?」
 俺は目を細めてきょろきょろしている逍遥(しょうよう)を見つめる。
「それはこっちが聞きたいくらい。GPFには行く、って伝言あっただけでさ」
「練習できたの?」
「市立アリーナで毎日30分ずつ。あとは寮でトレーニング」
「マッサージ、聖人(まさと)にやってもらったら?」
「バランスボールでぐにゃぐにゃしてると何か調子いいから大丈夫」
 俺の「大丈夫」という返事を逍遥(しょうよう)は全くといっていいほど信用していない。それは言葉の端々からも見て取れる。
「バランスボールで肩甲骨のマッサージになるとは思えないね。聖人(まさと)見つけて頼んでおいでよ」
聖人(まさと)さん、どこ」
「知らない」

 俺の目は段々細目から三角に変わって来て、亜里沙程じゃないけど怒りが目元に現れるようになり、本来聖人(まさと)さんがいうべき言葉をついつい口にしてしまった。
逍遥(しょうよう)、なんで君たちが諍い起こしてんのかは知らない。でも、GPFと新人戦しかサポート受けられないんだよ。来年度聖人(まさと)さんはプレーヤーとして魔法大会に参加する。君のサポートはできない。わかってんの?」
「・・・」
「わかっててやってんなら俺はもう何も言わない。でもさ、君たちはお互い反省すべきだと思う」
 俺に諭されたところで、真っ直ぐな心でそれを受け止めるはずもない。逍遥(しょうよう)は全くの天邪鬼(あまのじゃく)だ。
「なら、最初の人選どおり聖人(まさと)は君のサポートに就けばいいんだ」
「そういう問題じゃないだろ。反省しろよ」
「何も悪くないのに、どうして反省が必要なのさ、嫌だね」
 
 もう、なんだってんだ、この二人は。
 亜里沙に言ったらなんとかなるかな。
いや、あいつは逍遥(しょうよう)より俺を大切にしている。ゆえに、「最初の人選どおり聖人(まさと)は君のサポートに就けばいいんだ」という逍遥(しょうよう)の言葉を額面通りに受け取ってサポートを変えてしまうだろう。
そして広瀬事件の時に思ったのだが、亜里沙にとって数馬は死んでもいい人間だったのだから、俺と数馬のサポート関係など一瞬にして吹っ飛ぶ。
 俺としては、今も聖人(まさと)さんのサポートに未練がないわけではないが、数馬という新しいサポーターを迎え頑張る中で、やっと聖人(まさと)さんとのサポート関係を忘れつつあったのだから、聖人(まさと)さんの願いどおり逍遥(しょうよう)のサポートをさせてあげたいし、俺は数馬との新しい関係を構築していきたい。
 
 逍遥(しょうよう)は天邪鬼ではあるが合理的な人間で、普段は今回のように駄々をこねる真似はしない。聖人(まさと)さんを信頼しすぎているからこそ、我儘いい放題になれるんだな。そう思うと、俺の胸に秘めた思いが切り裂かれてしまうような気がした。あまりの面倒くささに、俺はちゃぶ台をひっくり返してしまいたい気持ちに駆られた。
 わかる?ちゃぶ台返し。
 わかんないならググってくれ。
 もちろん俺がいたリアル世界でちゃぶ台の代わりにあったのはダイニングテーブルだし、今だって、部屋にあるのはちゃぶ台ではなく机だからひっくり返せるモノなんて何もないんだけど、目の前にちゃぶ台があったとしたら、俺がちゃぶ台ひっくり返して現状が変わるなら、俺はとうの昔に台に手をかけ一気にひっくり返していたことだろう。
 
 それくらい、俺にとっては腹立たしいことなんだよ。聖人(まさと)さんと逍遥(しょうよう)の喧嘩は。
 友情や思慕という目に見えないものが間にあるから、こればかりはどうしようもない。
 
 ああ、なんだか疲れた。
 飄々としながらも唇を尖がらせてる逍遥(しょうよう)に声をかけたが無視されたので(なんで俺が無視されなきゃならない?腹立つなー)サトルと譲司を探した。2人はまだ講堂にいたようなので離話を飛ばして今日の練習はOFFとする旨を伝えた。
「俺、今日は帰る。明日出発だし、もうアリーナでの練習もないしさ。体育館でアホどもに突っかかられんのが一番面倒だし」
「了解。マッサージしなくていいの?」
「うん、この頃はバランスボールにうつ伏せになったり仰向けになったりしてるんだ。なんか凝り固まった筋肉が解れそうな気がして。ところで確認。明日は何時出発だっけ」
「朝7時に学校集合。あとはバスで羽田空港に向かってそこから空路で新千歳空港に行く」
「そうか、ありがと。寝坊しないように起こしてくれないか、サトル」
「いいよ、朝5時半に起こすから、今日のうちにキャリーケースとか準備してて」

 俺にとって、寝坊防止の最大効果は人に起こしてもらうことだ。
 そうすればまずもって二度寝はしない。
 たぶん、きっと。

 俺は明日横浜を発つわけだが、そういえばホームズもGPFに行くようなこと言ってたな。明日までに帰ってくるのかな。数馬も明日はさすがに姿を見せるだろう。ホームズが数馬を嫌ってるからサトルか誰かに預けることになると思うけど。
 生徒会でホームズの面倒見てくれればいいんだけどなあ。少なくとも、サトルと絢人(けんと)は試合に出ないわけだから。

 亜里沙に動物はダメだ。
 あいつがワンニャンに懐かれたところを見たことがない。抱っこしたとて、大抵手の中から逃げられる。怖い人間だということを動物に見抜かれているわけだ。
 (とおる)はその点、動物とのふれあい方は上手で道端で会うワンニャンはみな(とおる)が呼ぶと尻尾を振る。駆け寄ってくるワンニャンも多数。
だが、亜里沙も(とおる)もいつ姿を見せるかわからないから今回に関して言えば問題外だ。

 俺はもう夕食を摂り終えて、部屋でバランスボールに乗って仰向けになっていた。
 スマホ時計を見ると、もう午後9時。夜の帳は早々に降りていて、段々と部屋の空気も下がっていくのがわかる。
 おっと、忘れてた。サトルの言うとおり、明日出掛ける準備をしないと。
 GPFは練習日も合算すると10日ほど札幌に行くことになる。ホテルはそれなりのところを使うのだろうが、着替えやら何やら、持っていく物は少なくない。
 俺はすっくと起き上がってバランスボールに座った状態になった。

 その時だった。
目の前の空気が歪んだように感じられ、俺はまた、目眩を起こしたのかという錯覚に捉われた。すぐに錯覚とわかったのは、そこにピン、と尻尾を立てた白黒猫のホームズが現れたからだった。何だかホームズは鼻の頭から尻尾の先まで、全身(すす)けている。
「これには深い理由があってな、決して俺の魔法が悪いんじゃない」
 俺の目を見ながら心で叫んでいるホームズ。俺も言いたいことを心に思うだけにして、俺たちは傍から見ると成立しない妙な会話を楽しんでいた。
「そっか。シャワー浴びるか?」
「断る。俺はシャワーが世界で2番目に嫌いだ」
「一番嫌いなのは?」
「人間」
おしなべて人間には近づきたくないというわけか。
ただ、ホームズ的にはそこには例外規定があるようで、ホームズをただの猫として扱ってくれる人間には心を許す、ということだった。
なるほど、国分家はぴったりと規定に当てはまったわけだ。
「その(すす)、どうすんの」
「舐めて綺麗にする。猫ってなぁそんなもんだ」
「りょーかい」
 
 離話と同じじゃないかって?
離話は透視を伴う場合が多いし、相手の心が俺の心に響かない。読心術は、相手の心がそのまんま響いて来る。
普通人なら嘘をつけば心の中で動揺することが多いわけだが、その動揺を見切ってしまうのだから離話とは違う。
 だから読心術は目の前あるいは近くにいる人間の心を読むんだなあ、と感心している俺。

 そしたらホームズ曰く、近くにいる人ではなく、目の前にいてその眼を凝視できる場合に発動される、という。
だが、逍遥(しょうよう)が俺に使った読心術は後ろにいても、何回も発動されていた。俺が輪の中に居さえすれば。
「あいつ、気に入らないけど魔法力は群を抜いてるな」
「見ないでもわかるの?」
「1回見た。あの一瞬さえあれば俺には充分だ」
「へえ、じゃあ、俺の力は?」
「へたっぴ」
ホームズの一言があまりに的確すぎて、俺は苦笑いするしかない。
「随分とシビアだな。俺はお前の飼い主だってのに」
「飼い主?俺はただ居候してるだけだ」
「じゃあ行くとこあんのか」
「ない」
「やっぱり俺の飼い猫じゃないかー」
「違う」
 
 ホームズは何やら反論したがっていたようだが、猫用おやつをちらつかせると猫に戻り、ニャーニャー言いながらおやつを両手で持って器用に頬張っている。
 やっぱこいつ猫だよ。
 猫がたまたま魔法力持っただけに過ぎない。
 
 俺はホームズの傍らで明日からの準備を始めた。
 もう夜の10時過ぎ。
 早めに寝ないと。
 準備に結構な時間を割いてしまって、手足が冷えてきた。ベッドに入っても冷えて眠れないような気がしたので軽くシャワーだけ浴びたのだが、それ以上起きて風邪を引くリスクを嫌って、俺はそのままベッドに潜り込んだ。

 ベッドに入った俺は、GPFに行くといったホームズの言葉を思い出した。
さて。誰とどうやっていくのか聞くべくか聞かざるべきか、ヘンなことに気を回し悩んでいる俺。
 そこはさすが読心術の使える猫。眼も合わせていないのに俺の心を読んでる。
「明日は瞬間移動魔法で札幌に飛ぶ。向こうでは生徒会の世話になる」
「そうか、なら安心だ。おやすみ、ホームズ」
 ホームズはニャーと鳴き、猫用ベッドに丸くなった。

 翌日の朝、5時。
 ホームズの朝飯寄越せコールで俺は目が覚めた。
 最初に猫トイレを掃除し猫ベッドの形を整え、猫ご飯を袋から出し餌場に置く。もう時間は5時20分。
自分も制服に着替え、俺はサトルの迎えを待った。
ホームズありがとう、これで寝過ごさなくて済んだよー。

サトルは5時半ちょうどに俺の部屋に来た。
周りの部屋との兼ね合いもあるので小さくドアをノックされたんだが、俺が制服に着替えて余裕ぶっこいて待っていたのには少々驚いたようで、両目が三日月になって笑っている。
 おはようと互いに声を掛け合い、キャリーバッグを持って部屋の中を確認した。
 ホームズは朝のご飯タイムで満足したらしく、また猫ベッドで眠っている。
 サトルが不思議そうにホームズを見ていた。
「あれ、ホームズは連れて行かないの。向こうでホームズの面倒見てくれ、って言われたんだけど」
 どうやら、瞬間移動魔法で移動することは知らされていないらしい。生徒会の中でもホームズの真の魔法力を誰が知ってて誰が知らないのかわからず、俺は曖昧な返事しかできなかった。
「あとで札幌に行くって言ってた」
「そうか、じゃあ縄に繋いだままでいいんだね」

 ホームズとの会話を思い浮かべた時点でサトルは悟ったのかもしれないが、特段俺を責めることもなく、ホームズが驚かないように俺は静かにドアを閉めた。

 学校に着くと、久々に数馬登場。
 イタリア大会以降ほとんど顔を見ていないような気がして、本当にご無沙汰しているなと。
 君は俺のサポーターなのかと嫌味のひとつも言いたくなったが、まあ、市立アリーナで練習はできたしアリーナのギャラリーさんがたからの激励ももらったし。
 俺にとっては、この世界に来て紅薔薇以外の人からああいった形で応援されたのは初めてで、ちょっと言葉にしにくいけど簡単に言えば物凄く嬉しかったわけで。
 GPF会場に応援に行くぞ!という声までいただいて、こりゃ本気で頑張らなくちゃ、と。

 数馬自身は、一体何をしていたのか知らないがかなり上機嫌で俺にドリンクを渡そうと2本買ってきた。
「ごめん、数馬。前にも言ったけど自分で買ったものしか飲まない」
「あ、そうだったね。忘れてた」
「イタリア大会終わってから何してたの」
「やんごとなきお仕事さ」
「なんだよ、それ」
「今回のGPF大会に関係あるものじゃないから、そのうち話すよ」
「え?今回に関係ある秘策とかじゃなかったの」
「違うよ」

 俺は項垂れた。気持ち半分、数馬は今回のGPFに合わせて何か考えてるとばかり思ってた。関係ないならそういえばよかったのに。
「でも練習風景は見てたよ」
「その都度離話してくれればよかったのに」
「一度したよね?あとは別に直すとこもなかったし。下手に口出すのもねえ」
 軽く言ってのける数馬に俺は呆れたわけだが、今後何かあるのだろうからその時まで待つしかない。数馬という男は、話さないと決めたら絶対に話してくれない。その点は、聖人(まさと)さんの方が落としやすい。
 数馬を見ると、読心術で俺の考えがわかっているはずなのに「ふふふ」とアイドル目線でしたり顔をしている。
 何やら不気味でもある。
 早いとこ頭の中をGPFのサポーターに戻してもらわないと。このままサポートしないなんてことも大いにあり得る。

「さて、8日間だっけ。30分平均75枚。上が90枚で下が55枚か。今度の札幌アリーナも市立アリーナと似たような試合場だから、君にとってはやり易いと思う」
「そうなの?」
「ああ。海外でなくて良かったよ。君は時差ボケしやすいから」
「そこまで言わなくても・・・」
「ホントのことだし、みんながそう思ってることじゃないか」
「もういい、わかったわかった」
「ところで、ホームズは一緒じゃないの?」
 数馬の目がキラーンと光る。
 前にも拉致しようとして失敗したらしいじゃないか。なんでホームズをそこまでつけ狙うんだ?
「プライバシーに関わることだから言わない」

 プライベートでホームズが必要だってことか。
 それにしても数馬は自分のことを言わない。ロス生まれと15歳で日本にきたこと、紅薔薇に合わなくて放浪の旅に出たことくらいか。俺が知ってるのは。
 ま、必然性があれば数馬のプライベートが明らかになるんだろうし。
とどのつまり、数馬から見て、俺は数馬に何もしてやれないということなんだよな。
 俺という存在が必然でないということ。
 ちょっと複雑な気持ちになったが、今はそういうことを考えてる場合じゃない。これからGPFというビッグタイトルに挑戦するんだから。
 俺はキャリーバッグをバスに積み込み、窓側の座席に1人座って徐々に明るく光っていく街並みを見ながら羽田空港まで移動した。
 羽田空港から新千歳空港まで、確か1時間30分。搭乗手続きやら何やらを含めて3時間というところで、エコノミークラスではあったものの快適な飛行機ライフだった。
これが飛行機に乗ってる時間が2時間を超えると、足腰がバキバキになる。その一歩手前ということで、なんとかバキバキになるのは避けられた。
 
 新千歳空港に着くと、紅薔薇にしては珍しくJRの電車移動となった。およそ40分ほどで札幌市内に到着。これがバスだと70~80分ほどなのだとか。JRの駅は空港の地下に直結していて、俺でも迷わないと思えるような便利さだった。

 仙台はこれがないんだよなあと溜息が出る。仙台から発着してる飛行機の時刻表を見るのが好きだった小学生の頃、JRと空港は直結で繋がっていないことを知り、迷うよなあと不安になったものだ。ま、飛行機に乗ったことも空港に連れて行ってもらったこともないけどね。
 
 現実に戻ろう。
GPF出場が全員紅薔薇高生であったため、今回は紅薔薇中心の移動ルートで来たわけだが、札幌駅からはGPF専用バスで指定されたホテルまで移動した。駅からホテルがえらく遠いわけではないのだが、外国から参加する選手たちの交通事情を考慮して大会事務局が専用バスをチャーターしたらしい。

そうだよな、俺が外国に行って各自の責任において移動してくださいなんて言われた日には、試合すっぽかして帰るかもしれない。
俺のようなヘタレな選手はいないだろうけど。今までずっと専用バスだったのに気付かない俺も俺だ。時差ボケで頭の中が止った扇風機状態だったのだと今更ながらに反省した。

今回のホテルはウェスティン系列。
え?リアル世界にそんなもんないって?いいんだよ、こっちの世界だからリアルとは関係ない。
海外の選手が多い中、やはり海外資本のホテルは安心感が違うのだろう。
紅薔薇御一行様はバスを降りると次々に荷物をバスから降ろし、ホテルの中に入っていく。
ああ、こんなシチュエーションで前にリアル世界に戻ったことがあったっけ。
今回はそういうことがないといいな。

ビッグタイトルの最中にあの両親と顔を突き合わせるのはお互い不幸なことだと思う。俺は今更リアル世界に戻る気はないし。両親のやつれ様を見た時には胸が痛んだけど、こっちで魔法を極めることにしたんだ。

もう、リアル世界のことは忘れたい。
いや、忘れなければ。
タイトルホルダーになるためにも、余計なことを考えてる暇なんかないんだ。
ごめん、父さん、母さん。でも俺、こっちで何とか周りに助けられながら生きてるから。それだけは安心して欲しい。

GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第15幕

ホテルのチェックインも無事に終わり、俺は数馬と一緒に部屋のカードキーを受け取り荷物を置きに部屋に向かった。数馬は俺の部屋の隣に宿泊することになっていて、数馬としてはどう思っているのかわかんないけど、マッサージをお願いした。
そりゃ、飛行機で身体がいつもより固まったも同じなんだから出場選手としてはサポーターにお願いする権利があると思う。

嫌がる数馬を拝み倒し、俺は自分の部屋でマッサージを受ける約束を取り付けた。
結局折れた数馬は、荷物を置いて珈琲を1杯飲んだ後、俺に部屋に来てくれ、肩甲骨を中心とした全身マッサージを施術してくれた。
かなりご無沙汰していたこの感覚。やはり身体を解すにはバランスボールだけでは足りないと感じた次第だ。

数馬は普段口数が多くもなけりゃ少なくもないんだが、今日はやけに口数が多い。思うに、俺に対して何か(やま)しいことがあるんだと思う。
自信と(やま)しさが相反(あいはん)して数馬の心を占めている。
数馬、頼む。
GPFに向けて気持ちを入れ替えてくれ。

GPF。
競技ごとに、戦い抜いた中から6位までの人間が出場し、世界一を決める大会だ。
魔法W杯が国ごとの世界一を決める大会なら、GPFは個人の世界一を決める大会になる。
GPSで選出された6名が競うGPFの試合が、もうそこまで近づいていた。5日後に総合練習と公開練習を行った後、各競技が連日行われるという。

各競技の試合日は以下のとおり。
1日目。『スモールバドル』アリーナ。南園さん。
2日目。『デュークアーチェリー』アリーナ。俺、海斗。
3日目。『バルトガンショット』グラウンド。光里(みさと)会長。
4日目。『エリミネイトオーラ』グラウンド。逍遥(しょうよう)
5日目。『プレースリジット』競技場構内。沢渡元会長。

俺は競技2日目。公開練習から日も空かないし、良いくらいのペースで調整していけると思う。自分の競技が終わればあとは応援に回れるので、『スモールバドル』くらいのモノだ、真剣に応援に回れないのは。南園さん、ごめん。
『スモールバドル』、『デュークアーチェリー』、『バルトガンショット』は新人戦の競技種目になるという噂もあって、特に俺は『バルトガンショット』に興味が湧いている。
『エリミネイトオーラ』と『プレースリジット』は世界選手権上級生用に行われる種目だから、参考程度に見学するだけになるだろう。

でも、それもこれも自分の『デュークアーチェリー』が良い成績を収められればのことで、成績が悪けりゃ即横浜に戻される可能性もあるという。
え?見学もなしに横浜に戻るの?あまりにせっかちというか、5日間くらい余裕くれたっていいじゃないか。

 そういう噂も乱れ飛び、俺は皆より地力に劣るので専ら練習に励むほかない。
 GPF初めての練習日。毎日、午前と午後に分れて『スモールバドル』と『デュークアーチェリー』の練習が行われる。『デュークアーチェリー』の練習は午後の部だった。
 メンタルの強さが勝負を決するとも数馬から言われた。
 俺自身決してメンタルは強くないのだが、周囲は口を揃えてメンタルが強いという高評価?をしている。
 もうそれに対し反論する気もないけど、やはりビッグタイトルを1日で決するとあって、平時に30分平均75枚だった俺の命中率は、練習日に入ると30分50枚ほどと極端に落ちていた。
やはり、途轍もない緊張感が命中率に与えている影響は思っていた以上に大きいと考えられる。

 数馬は五月蝿(うるさ)くは言わなかったが、横浜市立アリーナのギャラリーからお守りをもらったはずだ、とお守り探しに時間を費やしている。俺としては受け取った記憶がないんだが、数馬に言っても聞きゃしねえ。
 おい、それより俺の姿勢を見てくれよ、と言うに言えず、俺は投射時のバランスを欠きはじめていた。

 もう、こうなったら市立アリーナで皆から褒められたあの場面を3D記憶で呼び戻すしかない。これは大会規定で反則とはならないはずだ。
 円陣の中に入り、出てきた的に対しゆっくりと姿勢を整える。
 第1の矢を人さし指デバイスから的へと放つ。上から振り降ろす感じで。
 ドンッ!
 重々しい音を立てて、矢は的のど真ん中を射た。
 よし、このイメージを前面に出して練習を続けよう。

 思った通り、3D記憶からイメージを引き出して以降は、平均60枚、70枚と命中率が上がってきた。
 ホセやその他海外から参加している選手たちを見ていても、平均70枚といったところで命中率は推移しているようだった。
 GPSでの平均はもっと低かったから、皆が演武に慣れてきて命中率が上がっているものと考えられる。
横浜にいるときは平均75枚だったから、もうひと踏ん張りで平均80枚まで命中率を上げるべく、時間のある限り俺は的に向かって試射を続けた。

 練習の虫となったがゆえに、俺は他の競技の練習風景はほとんど目にすることが無かった。見学したいのは山々だったが、自分の練習、イメージを忘れるわけにはいかない。
 練習が始まって4日目。明日は総合練習と公開練習があるという日。
 俺はとうとう、30分平均平均75枚の壁を破り80枚まで近づいた。

 よし。これも3Dイメージに記憶させ明日の公開練習に向けて演武を続けよう。
 このころになると数馬は何一つ俺の練習に文句をつけたり手直ししたりすることもなく、俺は自分の意思だけで練習を続けていた。

 明日の公開練習日に向けて。


◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇

 総合練習と公開練習の日がやってきた。
 その日も午後からの演武。
 GPS総合1位のホセから公開練習が始まり、いきなり30分平均80枚という数字が出たので、アリーナ内は興奮と喧噪に包まれた。
 総合2位、総合3位、と次々に演武が進む。

 俺はアレクセイとクロードが失格になったので総合5位。
 数馬が傍らに立っていて、俺の番が来るとポン、と肩を叩いて送り出してくれた。

 公開練習ということでプレスがほとんどではあったが、市立アリーナでお目にかかった垂れ幕が1枚、ギャラリー席に見えた。
 もしかしたらあそこにプレスの人もいたのかな。横浜からここまで来てくれたのかな。
 アリーナのみんなの時間に割り込んだ俺が、恥ずかしい演武を行うことなどできない。

 気持ちは決まった。
 変な動悸もない。
 3D記憶を呼び覚まし、姿勢を整え、一旦目を瞑る。
 目をゆっくり開けると、俺は円の中に入った。
 右手を振り翳し、ぴんと伸ばした人さし指の向こうに的が出てきた。
 ドン!!
 的の真ん中に矢が飛ぶ。
 次々と的に当たっていく矢。
 今日は3Dのイメージ記憶から姿勢を直しているため、ほとんど時間を取ることなく的に当てていける。

 30分平均75枚。
 ちょうどアリーナで練習していた頃と同じくらいの出来だった。
 よし。
 今日はこのくらいの出来でいい。
 明後日の本選では、今以上の成績をだせるはずだ。今日は7割くらいの力で様子を見ていたから。数馬の言葉を借りれば、「これもまた、駆け引き」というわけだ。
俺は数馬の元に走り寄り、ハイタッチ。
 最終演武の、ブラジルはルーカス選手も俺とほとんど同じ75枚という枚数で公開練習を終えた。
 さすがにGPF。公開練習から皆凄い成績でプレッシャーをかけてくる。

 俺たちは札幌アリーナを早々に出て、アリーナ前にいたタクシーをつかまえてホテルに戻った。
 タクシーの中ではほとんど会話が無かったんだが、ホテル前で運転手さんにお礼をいって降りると、数馬がにこっと笑った。俺の部屋でマッサージしてくれるという。
 やっとサポートに戻ってくれたか、数馬よ。
 2週間余りとはいえ、全然俺のサポートから手を引いた状態になっていたんだ、これからはしっかりサポーターとしての仕事を果たしてもらわねば。

 肩甲骨中心に1時間ほどマッサージしてもらった俺は、5分もするとウトウトとしてついにはぐっすり眠ってしまった。数馬は時間になると俺の両頬っぺたをぎゅーっと引っ張り俺を起こす。
「いでっ。いでーよ、数馬」
「海斗。あとは簡単なストレッチと、さらっとシャワー浴びといで。僕は部屋に戻ってるから。シャワー浴び終えたら僕の部屋にくると良い。一緒に夕食に行こう」
「了解―。食堂へは制服着ればいい?」
「ああ、制服で。どこの馬の骨かわかんない人物が夕食バイキング食べに来たのかと思われるのも癪だからね」

 同じ日本人だからこそ、そういう心配もあるというわけか。
以前には、3流雑誌の記者が知らんふりして食堂に紛れ込んでいる、といったアクシデントもあったらしく、その後、GPFについては制服着用が義務付けられたのだという。
 GPFというのはそれだけメインに考えられている競技なんだなあ。GPSはGPFのための予選会のようなものなんだろうな。

 夕食を挟んでGPFでの戦略を数馬と話し合った。
 特に秘策はない。
 これまでどおりの姿勢に気を付けるということだけ数馬から指摘された。
 3Dイメージ記憶のことは数馬に話していない。話すべきなのかもしれないが、ホームズの拉致未遂事件を聞いたあたりから、いや、もっと前だ。数馬と沢渡元会長の出会いあたりから、数馬が何かを隠しているのでは、と気持ちがもやもやしていた俺。
不用意に自分の得意技を数馬に話すのは何か危険の予感がした。
 

◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇

 公開練習後、俺はストレッチを主にしたトレーニングに励んでいたが、競技1日目に行われる南園さんの『スモールバドル』の見学に数馬と一緒に出掛けた。広々としたアリーナを6つの会場に分け、シングルス選だけが行われる『スモールバドル』。
 見た目ラケットの小さいバドミントンみたいな競技だが、そこには魔法がふんだんに使用されていて、例えばバドミントンでいうスマッシュを打ち込む際は高度な魔法でスピードをコントロールし打ち分けるんだが、相手もさるもの、ネット際に魔法をかけて威力を半減させ、上級者になるとコースさえも変えてしまうという。
 そしたらいつ終わるんだという話になりそうだが、魔法力の高い者が勝利することは目に見えているので結構早く試合に決着がつくことも多いそうだ。

 南園さんの魔法力が卓越したものであることは紅薔薇以外にも知れ渡る所であり、日本で行われる各大会には、「クールビューティ」と南園さんを応援するファンがつめかけるらしい。
 知らなかった・・・。全日本で一緒にマジックガンショットを戦っていたというのに。確かに南園さんは他の女子高生のようにケタケタと笑うわけではない。普段から冷静で、そして美人だ。「クールビューティ」と呼ばれるのも合点がいくというものだ。

 今から思えば、あの頃は応援の声も聞こえないくらい緊張してたんだろうな、俺。
 試合直前など今でも緊張しないといったら嘘になるけど、全日本の頃に比べればちょっとは成長したかもと、自分で自分を褒めてみる。
 今の俺に必要なのものは、自信だと思うから。自分を信じること、それが一番大事なのだと思う。

 そんなことを考えながら南園さんの試合を観ていると、ほぼ一方的に南園さんは相手を下していく。
 南園さんはGPS2位でシードされていたため、1試合しただけであっという間に決勝に駒を進めることができた。
 俺と数馬も応援席の下に降りて激励する。
 南園さんは俺たちの声を聞き、少し恥ずかしそうに頬を赤らめながら笑って、背を向けた時に片手の拳を上に突き上げて決勝の舞台へと進んでいった。

 決勝の相手は、イギリスのアイリーン。
 探偵ホームズ(猫じゃない、小説の方)が唯一負けた相手、アイリーン・アドラーが有名だな。俺は探偵ホームズの小説も好きで、文庫本を全巻持っている。

 と。
ちょっと話が逸れてしまったが、アイリーンはGPSを総合1位で通過した強敵だ。
試合の笛が鳴り、最初のサーブは南園さん。ネットスレスレの魔法サーブは相手を惑わせるのに十分な威力を持っていた。
 だが、相手もさる者。上手く受けとめると途端に逆襲のスマッシュが南園さんの身体正面を狙ってきた。
 南園さんは冷静に対処し、ネット際に魔法ネットを張り巡らし威力を弱めると、反対に無回転のスマッシュを打ち返し試合はラリーの様相が濃くなった。

 長い試合時間になると踏んでいた俺だったが、相手のアイリーンは途中から魔法力がガタンと落ち始め、南園さんのスマッシュに対応できず点差が開き始めた。
 もう、この試合は勝負が決したかもしれない。
 南園さんの勝ちが決まるのも時間の問題だろう。
 さて、あとどれくらい相手が持つかと思っていたら、あっけなく相手がサーブをミスって、南園さんが初出場初優勝という快挙を成し遂げた。

 「クールビューティ」の初優勝とあって会場内は大盛り上がりだった。会場の四方に手を振って挨拶していた南園さん。
 俺も数馬も拍手で南園さんを迎えた。
「初優勝おめでとう」
「ありがとう」
 サポーターの譲司と南園さんはハグをして初優勝の余韻を楽しんでいるように見えた。

 
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇

 さて、明日は俺の『デュークアーチェリー』の試合だ。
 今日に引き続き良い成績が収められるよう、自然体で臨みたいと思う。

 身体を柔らかくして姿勢を保つことを第一に考え、数馬はその夜も俺の肩甲骨界隈をマッサージしてくれた。あとは只管ストレッチで身体を伸ばす。数馬も手伝ってくれて、久々にストレッチがまともな範囲に広がっていく。
やはり一人だとどうしても楽しちゃうんだよねえ。自分でやるとついつい身体を甘やかしてしまう。
 あとは、数馬がまた横浜に瞬間移動して俺の寮からバランスボールを持ってきてくれた。
 数馬にしてみれば俺の部屋に入りホームズを捕まえて拉致したかったのかもしれないが、そうは問屋が卸さない。
 ホームズはとっくの昔に瞬間移動していたはずで、今頃は生徒会のサトルや絢人(けんと)が面倒を見ているはずだ。さすがに生徒会で面倒を見ている猫を捕まえることはできないだろう。

 数馬の目的がホームズの何なのかは知る由もないが、いや、過去透視なのか?
でも、聖人(まさと)さんや逍遥(しょうよう)、サトルだって過去透視はできるようだし特段ホームズに拘ることではない気がする。
ホームズには何か他の得意魔法があるのかもしれない。
まだホームズは俺に全てを話してるわけじゃないんだと思う。
 信頼関係、か。
 俺とホームズの間に今より深い絆が生まれれば、それが何なのか話してくれると信じたい。

 いかんいかん、明日に備えて今日は早く寝なくては。
 何も考えず、深い眠りに就こう。

GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第16幕

数馬との約束時間は朝の6時半だった。
 俺はスマホの目覚まし機能で朝6時に目覚め、起き掛けにシャワーを浴び、ストレッチで身体を伸ばしもう一度ぬるめのシャワーで身体を温める。
 今日はホームズの飯寄越せ攻撃が無い分、起きるのがつらかった。ホームズのニャーニャー攻撃はおちおち寝ていられないほどで俺は仕方なく早起きしてたわけだが、試合の時は役立つんだな。帰ったらホームズに感謝の言葉を捧げよう。

 よし。
 今日の前運動は終わった。あとは数馬が迎えに来るのを待つだけだ。

 時計どおり、約束どおりに数馬は俺の部屋に迎えに来た。
 今日の策戦を練りつつ、と思ったら俺の身体の解れ状態を見ただけで、特段演武に関する指示は無い。
 ちょっと拍子抜け。
 だって、GPFだよ?ビッグタイトルだよ?
 俺は儲けモンでここに立っているわけだけど、少しでも上の順位に行きたいじゃないのさ。
 数馬はそう思っていないのかどうか、聞くのも(はばか)られるので口にはしない。
 でも数馬の目には「勝利」の二文字が浮かんでるような気がして、俺は奮起を促されているようにも感じた。

 朝7時。
 もう食堂では朝のバイキング朝食が始まっていた。
 ここでも世界中の料理が用意されていて、アボガド寿司やカリフォルニアロールなど俺にはクエスチョンマークの付く異次元な料理もあったが、スタンダードな料理も多い。
 数馬には常々米を食べろと言われるが、朝の俺にそれを強要することは土台無理な話で、俺はいつもながらのパンケーキとサラダ、野菜ジュースだけ腹に入れた。
 数馬は魚定食をチョイスして朝もしっかり食べている。
 それなのに、俺と同じくらいの時間に食べ終えている。数馬が食うのが早いのか俺が遅いのか、それはここにいる誰も分からないと思う。

 最後の熱い珈琲を飲み終えた数馬が立ち上がった。
「よし、海斗。会場に行こう」
 俺も立ち上がりトレイを片付けると、数馬は俺の前に立ちロビーに向かっていく。
 エントランス先に客待ちのタクシーは1台もいなくて、フロントに頼み配車してもらうこととなり、制服に紅薔薇印のベンチコートを着込んだ俺は回転扉の手前に立ってタクシーが見えるのを待った。
 数馬も同じくベンチコートを着ている。
 外国から来た人も、欧米系の人は厚着していない。ヨーロッパなんぞ、日本より寒いし。

 生徒会連中くらいのモノだ、分厚いダウンジャケットを着て「寒い寒い」と震えあがっているのは。
 俺は東北は仙台育ちで、ある程度の寒さは毎年経験済みだから。今シーズンなんて寒いうちにも入らない。
「寒くない?」
 数馬の言葉に笑いながら顔を捻る俺。
「札幌までくるとさすがに寒いかも。数馬こそ寒くないの?」
「僕は世界中旅してたから。北はアイスランド、南はチリ」
「すげーな。どうやって生活資金捻出してたのさ。アルバイト?」
「パトロン」
「なんだよ、それ」
 笑いながら外を見ると、俺たちを乗せてくれるタクシーらしき車がホテルの車寄せに到着したところだった。
「行こうか、海斗。今日は思う存分暴れろ」
「おう」

 車は雪道を上手に走り、目的地の札幌アリーナまで20分ほどで到着した。少し渋滞気味だったとはいえ、雪道の運転は難しいし、ましてや凍ったアイスバーンなんてスタッドレスタイヤを装着したところでくるくるとタイヤが回る。
 俺、嫌な思い出があるんだよ。
 俺が小学生の頃、父さんが一度凍った道を車で走ってて。こっちは何とか大丈夫だったんだけど対向車がスリップしていきなり俺たちの車の前に出てきたんだ。ぶつかる!そう思った瞬間に、対向車の運転手がハンドルを左に思い切り切ったらしく対向車は縁石に乗り上げ俺たちは無事だった。
 それ以来、俺は車の免許を取ることがあっても凍った道路は絶対に運転しないと心に決めた。あんな怖い思いはもうたくさんだよ。

「海斗、降りて」
 先に乗り込んだ数馬が俺の脇腹にパンチを入れる。ああ、またリアル世界のことを延々と思い出してしまった。
「ごめん」
 最初に降りた俺の頬を、鼻を、額を、冷たい突風が突き刺さる。
 これはもう、仙台どころじゃない。
 札幌は、ものすごく、寒い。


◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇

 俺が数えてみるに、ほとんどの選手が会場入りしていた。みんな朝っぱらから早いな、と思ったのが第一印象だった。
 俺ですら朝の7時半過ぎには会場入ってんだよ?試合開始は午後の1時だし。
 みんなやっぱり腰据えてやってんなー、と。
 そうだよ、ビッグタイトル獲るためにはちゃらちゃらしててはいけないんだ。

 ところで、ホームズの姿は俺がいる会場には見えなかった。もちろん、まだ生徒会役員の姿も会場内にはない。
 なんでホームズがGPFに顔出すのか知らないけど。
 ホームズの魔法力が大会には必要ということかな。
 なんだろ、ホームズのできる魔法って。過去透視?そんなもの、聖人(まさと)さんが言った通り人間でも使用可能だ。
 何かウラがありそうな予感がすんだけど。

 ああ、またホームズのことばかり考えてしまって、自分の為すべきことに神経を向けられないでいる。
 一旦ホームズから離れて、これから俺が何をしなくてはならないのか、はっきりさせないと。

 数馬は大会事務局に行って演武順を確認すると言って俺の元から離れていた。もうすぐ帰ってくるだろう。それまで何もしてなかったら雷落とされるかも。
俺はようやくベンチコートを脱ぐと、身体を温めるためにストレッチの準備に入った。
運がいいのか悪いのか、そこに数馬が戻ってきて、俺の様子を見ると口をへの字に曲げている。
ばれたか。
何もしてなかったのが。

「海斗。少し気がたるんでないか。これから大事な局面なのに」
 数馬の言葉は真理をついていて、俺は何も言い返せず、ただ頷くことしかできなかった。
「ねえ海斗。少し念入りにストレッチを行って、あとは現物で練習しよう。事務局に行って練習時間を確保してきた。練習時間は10時から30分だ。午後の本番の演武順はGPSの成績が下位の方から進めるって話だ」
「わかった、10時からね。あと2時間以上あるんだけど」
「ストレッチが終わったら姿勢の矯正とイメージトレーニング。それだけで10時まで時間潰せると思うよ」
「了解。姿勢の矯正は見てくれ、数馬」

 3Dイメージ記憶から繰り出す俺の技のことは数馬には言ってなかったはず。今いうのも何かなーと思っていたが、イメージトレーニングの中にそれを入れるということで数馬も俺の技に気付くかもしれない。そしたら話そう。
 サポーターに嘘ついてたらサポートできないというのは本音だろうが、俺はあの技をはっきり言って誰にも教えたくはない。
 サポーターを信頼してないわけじゃなく、周囲に悟られるのが嫌なだけなんだ。
 別に反則技じゃないし、上級者は皆行ってる魔法だとは思うんだが。
 こういうところから、サポーターとの軋轢(あつれき)って生まれるものなのかな。

 3Dイメージ記憶のことを数馬に伏せたまま、ストレッチと姿勢の矯正まで終えた俺は、イメージトレーニングの時間に入った。
 もちろん、3Dイメージ記憶で一連の動きが決まっていくといっても過言ではない。
 数馬は気付いたのかどうか、口を出してくることはなかったが、そう言えば前にイメージ記憶のことを数馬と話したような気もする。それは一般的なイメージ記憶。
 
 俺が使う3Dイメージ記憶は、姿勢やデバイスの位置まで皆3Dのイメージ記憶として蓄えられているので、イメージトレーニングを行うより遥かに命中率が上がる。
 それでも、一般的なイメージトレーニングはメンタルに必要不可欠なものだ。いくら3Dイメージ記憶を呼び覚ましたとしても、メンタルが弱弱しくなっていては演武に取り入れることはできない。

 俺は数馬との約束通りトレーニングを続け、練習時間の10時を迎えた。
 さ、ここでどれだけの成果が出るか、また、どれだけのプレッシャーを他の選手たちに与えることができるか。この30分間はとても重要な時間になるはずだ。
 練習場の円の中に入り、俺は早速3Dイメージ記憶を呼び出す。
 姿勢を正し、右腕を大きく振りかぶり人さし指デバイスをちょうど目の高さに合わせると的が出てきた。
 次々にど真ん中に当たる矢。
 いつもよりかなり調子は良かった。
 10分やって休憩を取り、また10分、最後は5分間だけ的に向かう。
 百発百中の勢いだったが、本選ではここに緊張感が渦巻いてくるので、最初の1発目が大事だと思うし、数馬も同じことを言っていた。
 読心術ができれば俺の思いは丸わかりだから、たぶん数馬にもわかっただろう。
 俺は気分よく練習を終えることができた。

「海斗、このままの状態を維持するため主にイメージトレーニングを行っていこう。もちろんこれからマッサージはするし昼食も摂るわけだけど、身体への負担はなるだけ減らすように心がけていくつもりだ」
「ありがとう、数馬。イメージトレーニングは大事だね。メンタルを強くしてくれる」
「君のメンタルは充分強いと思うよ」

 その時、生徒会から南園さんと譲司が俺たちの方に近づいてきた。何か手に袋を持っている。
 なんだろう。
 まさか、ホームズじゃないだろうな。
 南園さんは制服を着ていて、奥ゆかしく頭を下げた。
八朔(ほずみ)さん、大前(おおさき)さん。ホテルの食堂からお二人の食事をお持ちしたのですが」
 俺の顔色が優れなくなったのを南園さんは感じたらしい。
「やはり他者からの差し出しはお召し上がりになりませんか」
「ごめん、南園さん。これから一度ホテルに戻って食事して、またここにくるよ」
「そうですね、こちらこそ失礼しました」
「折角の申し出を袖にして悪い。俺のポリシーなんだ」
「解っています、八朔(ほずみ)さん」

 練習時間が終わると、俺は帰る準備をして、数馬、南園さんや譲司と一緒にホテルへ戻った。昼バージョンのバイキング料理が並んでいる。
 横で数馬が米食え米食えとうるさい。

 そうだよな、南園さんが持ってきてくれたのはちびっこむすび。チビむすびには、おかかや鮭、梅干し、昆布、赤飯と5つあり、どれもおいしそうだった。
 バイキングでこれを食わない手は無い。

 ホテルに入り食堂へ飛ぶように入った俺は、チビむすびを探した。しばらく見つからず内心焦ったんだが、食堂のウェイターらしき人が作りたての料理をそこかしこに並べている。その行動をじっと見てると、次に手に取ったのはチビむすび。
 やった、これで5種類のチビむすびを食べれる!
 南園さんに恥をかかせたことを反省しつつ、美味そうなチビむすびに俺は食らいつき、二口で食べ終えた。
 やっぱ米は美味い。
 
 5種類全部食べたが、腹8分目より少し少ないくらいで、俺としては一番状態が良い。食い過ぎは胃がもたれて午後の試合に影響が出る。
 最後に熱いほうじ茶を飲み食事を終えた俺は、また数馬や南園さん、譲司と4人でホテル前に停まっていたタクシーに乗車し札幌アリーナへと舞い戻った。
 アリーナの中に入ったのが昼の11時半。
 南園さんたちはギャラリー席に移動しさっきのチビむすびを食べているのが目に入った。ごめんね、南園さん。
 数馬はチビむすびと味噌焼きのデカむすびを1個食べたようで、腹が膨れたと文句を言っている。誰に対して文句をいってるのかわからないんで、俺は敢えて無視させてもらった。

 試合開始まで、あと1時間半。俺の出番は、昼の1時半からだ。
 俺は腹が落ち着いたところでまたストレッチと数馬に少しマッサージを受けて身体を温める。
 姿勢を正す練習を重ねながらデバイスチェックと称して持ってきたソフトを使い矢を射るタイミングを数馬と話し合いながら進めていた。

 刻一刻と、試合開始時間が迫る。
 これまでのGPSとは違った雰囲気の会場内は、みなが緊張感に包まれていて、それでいて技術的に上回っているトップ6が肩を並べ練習したり休みの時間を取ったりしていて、誰も声を上げない静けさが、俺には少々不気味に映った。

 
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇

 ついに午後1時を時計の針が差した。
 GPFの試合開始の笛が鳴る。

 最初の演武者は、総合6位のブラジル・ルーカス。
 彼も俺と同じように失格者が出たためにGPFに出場が叶った幸運の持ち主だ。
 だが、元々の魔法力は決して低くは無い。
 30分間で70枚というハイペースで試合は始まった。

 次は総合5位。俺、日本・八朔(ほずみ)の番だ。
 周囲から巻き起こる声。日本人選手に対する声援は大きく、期待のほどが感じられる。
 横浜市立アリーナで俺の練習を見てくれてた人たちも応援に来てくれて、大きな声で俺の名を呼んでいるのがわかる。
 俺は選手の名が呼ばれると、ゆっくり円の中に入り笛が鳴るのを待った。3Dのイメージ記憶で姿勢を正し、的が出てくるのを待つ。
 
「On your mark.」
「Get it – Set」
 的が出てきた。
 俺の放った矢は、中心部にドスンと突き当たった。的が入れ替わり新しくなる。また矢を放つ。
 このまま30分も手を上げていたら姿勢が悪くなるのも当然といえば当然なんだが、3Dイメージ記憶が海馬を支配している俺は、5分ごとに姿勢を正し的の中心部を狙う。
 この策戦は功を奏し、何と今までの最高記録、30分で88枚という、自分でいうのもなんだが素晴らしい記録を作って演武を終えた。

 あとは、残り4人がどのくらいの記録を出すかだ。
 総合第4位のドイツ・アーデルベルト。
 思い切った演武を心掛けたようだが俺の88枚の記録が気になったらしく、ほんの少し的を外す場面が見受けられ、72枚に終わった。
 次の演武者は総合3位につけたイギリス・アンドリュー。
 基本に忠実な良い演武だったが、やはり重圧がかかったのか、あと一歩のところで的を外す時が多く、合計75枚という結果だった。
 次は、メダリストになれるかどうかの瀬戸際、総合2位のカナダ・アルベール。
 無心になって的だけを見ていた技術は相当高いもので、俺を超え90枚という成績を残した。
 最後に登場したのが、GPSでもアレクセイを追いかけた総合1位のスペイン・ホセ。
 ホセの演武はGPSの時から素晴らしく、俺は到底敵わないと感じていた。
うーん、このままいくと3位か。
 メダリストにはなれない。
こちらの世界は銀メダルまでしかないのだ。
 俺が思った通り、ホセは圧巻の演技で、プレッシャーにも負けず95枚という歴代1位の成績で演武を締めくくった。

 全ての演武が終わると、サポーター席から飛び出してきた数馬が俺の頭をぐりぐりと撫でる。
「海斗!初めてのGPFで3位は大したものだよ!」
「でも、メダルもらえない」
「メダル以上に価値があることさ」
 数馬の慰めの言葉にも、何となく申し訳がないような気がして俺は下を向いていた。
 その時だった。
 横浜から来てくれた応援団が俺に大きな拍手を送ってくれた。
「よくやったぞ!」
「また横浜で一緒に練習しような!」

 応援団の言葉に胸がジーンと熱くなり、俺は思わず泣きそうになった。
「次は新人戦に出るんだろ!泣いてる暇ないぞ!」
 そういって応援団の人達はまた拍手してくれた。
 俺は努めて冷静を装い、涙を胴衣で拭いて応援団の人達に一礼した。
 ワーッと上がる歓声。
 この競技で日本人が3位になることは今迄になかったらしく、そこかしこから拍手や声援が飛んできた。
 漸く自分ができる限りのことをしたのだという実感が俺の心の中に湧いた。
 俺は胸を張り、ギャラリー席に向かってもう一度礼をし、試合場を後にした。


 数馬がまた俺の頭をもみくちゃに撫でた。
「海斗、これで新人戦にぐっと近づいたね」
「数馬、気が早いって。エントリーは3人でしょ。選ばれるかどうかわかんないよ。元々俺より魔法力高い人たちが1年には多いから」
逍遥(しょうよう)やサトルは捨てがたい人材だけど、今回のこの成績は間違いなく新人戦に影響を及ぼすと思うよ」

 新人戦か。
 夢って言うか、その話を初めて聞いた頃は自分とは無縁の世界だと思っていて話をよく聞いてなかった部分もあるし、未だに自分が足を踏み入れて良い場所なのかもわからない。俺、まだまだ魔法知らないし魔法力も決して高いわけじゃないから。
 でも数馬はこうして喜んでくれてるし、ああいう声援ももらえたし、これで良かったのかな。今までの練習がやっと見える形になった。
これで堂々と紅薔薇に帰れる。

 メダリストイベントには関係なかったので、俺は試合が終わるとまっすぐにホテルへと向かった。
 もう、疲れた。これでもかというくらい寝たい。
 でもその願い叶わず。
 なぜかといえば、亜里沙と(とおる)がホテルに来てて、数馬は俺を置いてどこかに姿を晦ましたからだ。
 相手をしないで寝たら、亜里沙はメデューサのごとく髪を振り乱して俺の耳元で騒ぐに違いない。
 まったく、いて欲しい時に傍にいないで、なんで今頃、それもホテルにくるんだよ。
 口達者な亜里沙曰く、軍務が忙しかったとのことだが、いつも言い訳は軍務じゃねーか。もっと他に言い訳はないのか。
 その前に。
 おめでとう、とかお疲れ、とか労いの言葉を一言くらい言え。
 
 どうやら亜里沙たちは俺の試合をギャラリーの中に紛れて観ていたようで、3Dイメージ魔法についてはバレていた。俺、あんな真似でもしない限り上位に食い込めないモン。
試合当日こそ亜里沙のマシンガントークを聞かされ辟易していたが、翌日から3日間、2人は軍務のため札幌に滞在するとのことで、俺は行動を共にすることにした。 
数馬はまた姿を消し、なんとホテルもチェックアウトしていたのだ。
こりゃまた、どこにいったのやら。
透視しても良かったが別に放浪の旅に出たわけではなさそうなので、放っておくことにした。これは(とおる)からのアドバイスでもあった。

こいつらとつるんで行動するなんて、何か月ぶりだろう。こっちに来てから数えるくらいしかなかった気がする。

今日はGPF3日目。
午後から札幌アリーナ脇のグラウンドで『バルトガンショット』が行われる予定だ。この種目には光里(みさと)会長が出場する。
俺は数馬の「新人戦」の一言が頭に残り、この試合を朝の練習から見ようと思っていた。
亜里沙たちの軍務とは、逍遥(しょうよう)の競技の結果報告と新人戦に出場する選手の身辺保護をするための下見だという。
それなら一昨日(おととい)から来てないと。
『スモールバドル』、『デュークアーチェリー』、そして今日行われる『バルトガンショット』が新人戦の競技種目として取り沙汰されてるんだろ?
飯を食いに行くため俺の前を歩いていた亜里沙が前を見たまま俺に向かってサラサラと手を振って、大丈夫、2日前から来てたから・・・と言った傍から(とおる)が亜里沙の口を手で塞ごうとした。

何・・・?一昨日(おととい)
それはいったい、どういうことだ・・・?

俺の目は急に亜里沙並に三角になり、まず(とおる)に目を向けたが、こいつは口が堅い。昔からそうだから、今更粘っても本当のことは言わないだろう。
となれば、残るは亜里沙だ。
「亜里沙、お前たち、第1日目から札幌入りしてて、そんでもって俺の前に姿すら見せなかったって言うのか」
「だってほら、あんたが緊張するといけないし」
「3人で、ってあの約束はどこ行った」
「そんな約束したっけ」
「したよ」
 俺の様子は地を這う大蛇のように段々と怖くなっていったらしい。(とおる)は逃げる気満々で俺と亜里沙から距離を取るし、亜里沙はへらへらと笑っている。
 
 そこに、ちょうどサトルが通りかかった。
 生徒会では早めに朝食を摂りその日の試合に備えているのか。
 真面目な顔に戻った亜里沙が、サトルを呼び止めた。
「ホームズは?」
「こちらで面倒を見ています」
「そう。頼んだわよ」
 サトルは俺にアイコンタクトをとっただけで俺たちから足早に離れ、EVホールのある廊下の向こうに消えた。

 ところでさ・・・。
「亜里沙、なんでお前がホームズを知ってんだよ」
「長崎の猫でしょ、こちらに託された」
「託された?」
「海斗、あんたが長崎の国分くんから託されたんでしょうが」
「そりゃまあそうだけど。なんで紅薔薇にも来ないお前がそのこと知ってんだ?」
「情報網に引っ掛かるわよ、あの猫が移動を申し出るなんて」
「有名なのか、ホームズって」
「まあね、昔は横浜にいたみたいよ。で、長崎に行ってまたこちらに戻ってきた・・・」
「そうなのか?」
「ええ。あの子は特殊能力あるからね、良からぬこと考えてる人間に渡すわけにはいかないの」
「特殊能力?」
「聞いてないの?なら、あの子から聞きなさい。あたしの口からいうことではないから」

 ホームズの特殊能力?
 過去透視じゃないだろうし、瞬間移動魔法でもないだろう。一体、ホームズは何ができるっていうんだ?
 このGPFが終われば一旦寮に戻る。
 その時はまた俺の部屋で飼うことになるから、聞いてみようか。
 本当のことを言うかどうかは謎だけど。

 それにしても、「良からぬこと考えてる人間」か。
逍遥(しょうよう)や数馬のように思いっきり警戒されて威嚇されるんだろうな。その点でそいつがホームズにとってよからぬ人間なのかもしれない。俺の勘違いでなければ、そうなんだな、たぶん。
そこに亜里沙のデカい声が飛ぶ。
「あんた午前中どうすんの、あたしと(とおる)は生徒会に合流するけど」
「練習から観てるつもり。午後は俺、ギャラリー席で応援するわ。試合終わったら生徒会に顔出す」
「わかった、ちゃんと着込みなさいよ」
 着込めと言われても、俺はダウンを持ってない。ベンチコートがあるだけだ。
ダウン買ったら寮費が払えない。そしたら俺とホームズは寮を追い出され、すぐさま路頭に迷ってしまう。
それだけは避けねば。

中に下着を1枚重ねて着込んで、ジャージとベンチコートでいくつもりなんだが、やっぱ制服でないとだめかな。
亜里沙さまは俺の心がお分かりになる様で・・・。
「ギャラリー席に行くなら私服の方がいいんじゃない?中に着込む云々はそれでいいと思うけど。あとは行く前に生徒会部屋に寄ってカイロもらって行きなさい」

 お、そうか。
 カイロという手があった。生徒会部屋に行けばもらえるのか。
俺たち3人は軽い朝食を済ませ、ホテル内のスイートルームを使った生徒会部屋の前にいた。
亜里沙と(とおる)はこのままここにいるようだ。
俺は、私服に着替えて練習を見に行く。
譲司に頼んでカイロを3枚せしめて、俺は廊下に出た。


◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇

 聖人(まさと)さんに寄れば、俺の場合、動体視力は悪くないがタイミングの取り方が悪いため、『バルトガンショット』で成績が伸びないという。
それでもって、新人戦での競技種目。男子は『バルトガンショット』と『デュークアーチェリー』が有力視されている。
何としても『バルトガンショット』の成績を伸ばさねば、エントリーに名前を連ねることすら叶わない。
もしかしたらここでも3Dイメージ記憶術が役に立つかもしれないと、GPF選手の射撃を見に来たのだ。
そこで最初に思ったのは、イメージする記憶を作ることが難しいという超難問だった。

例えば光里(みさと)会長。
ほとんど前を向いた状態で左右から飛び出てくるクレーを2台のデバイスで撃ち落としていた。
俺もあのような状況でクレーを撃ち落とせればいいんだが、なんせそこまでの魔法力は無い。
クレーを目で追う選手もいたが、やはりタイミングがずれて成績が伸びていない。
俺はクレーを目で追っていたんだと思う。『マジックガンショット』の時みたいに。
でも、驚異の3分台を出した逍遥(しょうよう)は『マジックガンショット』のイレギュラー魔法陣を目で追わなかったはず。
そこなんだよなー。俺との違いは。
何としたもんかなー。

光里(みさと)会長のようなお手本を目の当たりにして、自分の癖というか悪いところと比較し成績伸ばす方法を見つけに来たのだが、それはちょっとばかり甘かったようだ。
ここはむしろすっきりと諦めて、応援に回るという手もある。
数馬には申し訳ないけど、こりゃやっぱり無理すぎる。
光里(みさと)会長は2年だから新人戦には出れないとしても、日本各地に俺を上回る実力の持ち主はわんさといるだろう。長崎・白薔薇の国分くんのように。
 
このまま俺がエントリーされたら、新人戦で笑い者になる可能性大。
ちょっと悔しい思いはある。
ああ、予選会でエントリー候補を決めるという噂もあったっけ。
せめて予選会があった方が、自分の実力で戦って負けるところを周囲に見せられるので俺としては予選会OK。

最初から負けを認めるなって?
うん。普通ならそうだよね。
でもさ、国分くんは遥かに俺を凌ぐ力を持っていて。GPFは、たまたま逍遥(しょうよう)の出てる『エリミネイトオーラ』に出場したから2位に甘んじただけ。
『デュークアーチェリー』に出場してたら俺を抜いてメダリストになってたと思うから。

はは・・・。俺、久々に自信失くしたわ。

その日の午後は自信を失くし疲れてしまい、ホテルの部屋で休憩することになった。光里(みさと)会長の応援ができないのは心苦しいけれど、致し方ない。
試合後ホテルに戻った亜里沙に聞くと、準優勝だったらしい。
光里(みさと)会長を負かした相手は誰だ?
たぶん日本人ではないだろう。
詳しく聞いてみたら、亜里沙はわかんなくてサトルに聞き直した。
『バルトガンショット』の優勝者は、ドイツのエンゲルベルトという1年だった。
『デュークアーチェリー』のホセといい、同じ1年の強敵がまた現れた。

その日は少し不眠気味になってしまい、大会事務局に帯同してきたドクターに一夜限りの睡眠導入剤を処方された。もう俺の試合は終わっていたし、次の予選会は早くても1月末から2月の初めだろうから薬効は切れるし試合にも問題なく出場できる範囲での処方だ。
予選会があるかどうかも分かんないけど。


GPFの試合開始4日目。
今日は、逍遥(しょうよう)が出場する『エリミネイトオーラ』がグラウンドで開催される。
頭上にあるフェイクのオーラを消していく競技だ。
ここまで逍遥はGPSの最初の試合で優勝を逃しただけで、後の試合は圧倒的な強さをもって優勝している。つーか、亜里沙が優勝を強いている。
国分くんはこの競技に入ってしまったためいつも準優勝に甘んじてしまい、優勝の切符が手に入らなかった。
その点、国分くんの運が悪いのか、俺の運がいいのかは判断しかねる。

集大成、GPFの舞台でも逍遥(しょうよう)は圧倒的な力の違いを他の選手に見せつけた。国分くんは2位。日本人のワンツーフィニッシュで、ギャラリー席の歓声は大きなものだった。
あ、聖人(まさと)さん、サポーター席にいない。まだ喧嘩続行中なのか?馬鹿じゃないの、2人とも。
亜里沙は勝負が決するとすぐに逍遥(しょうよう)の元を訪れ、たぶん、一応、褒めたんだと思う。逍遥(しょうよう)も少し笑みを見せたので、怒られてはいないのだろう。聖人(まさと)さん抜きで戦ったのも亜里沙的にはポイント高かったんだと。
まったく、2人も2人なら、亜里沙も亜里沙だ。
聖人(まさと)さんがフリーになったと知るや、亜里沙なら俺のサポートにすると言い出しかねない。
数馬にサポートしてもらう理由をどう説明しようか。
新人戦に向けた秘策があるとでも言っておくかな。嘘も方便というやつで。逍遥(しょうよう)にはまだ聖人(まさと)さんが必要なのだから。

こうして、残すは最終日、5日目の『プレースリジット』だけになった。『プレースリジット』ほどハードな競技は無い。
選手たちは互いに倒しあい、ファシスネーターと呼ばれるスーツを着た人造人間のレプリカが合計100体も出てきてそれも倒さなければならない。ショットガンで生身の人間やファシスネーターを全部気絶させれば終了だが、30分の競技の中でそれらを全部やってのけるなど強靭な体力と繊細な策戦を練らなければならない。
 でも、紅薔薇きっての剛腕、沢渡元会長はそれらを全部やってのけるのだ。この人の魔法力は途轍もなく高いと思う。聖人(まさと)さんや数馬、逍遥(しょうよう)とはまた違った意味で。
 
今回のGPFでも、沢渡元会長は周囲の期待を裏切ることなく、30分内に全員を倒すというこれまた歴史的な勝利をおさめた。

メダリストイベントに参加した俺以外の紅薔薇軍団はメディアの恰好のエサとなり、囲みで現在の心境などを聞かれていたようだ。お約束で、メダルをひらひらと見せながら。


こうして俺のGPSからGPFにかけての戦いが幕を閉じた。
最初は出る気もなかったのに、いざ出てみたら面白かった。拙い言い方だけど、それが一番しっくりくる。
色んなことを経験したし、魂を失くし死にそうにもなった。これは大会とは関係ないけどさ。

あとは横浜に戻り、世界選手権や世界選手権新人戦がどのような日程で行われ、どういったエントリーになるのかを静観していくだけだ。

それまで俺は魔法力を向上させなければ。
もしエントリーされても、周囲からブーイングの嵐が巻き起こらないように。

でも、本当のところは少し休みたい。世界各地を転々として、さすがに疲れた。リアル世界での俺はそういう立ち位置にいなかったから。

少し休んで、また魔法力を磨こう。
今後の俺の目標は、世界選手権の新人戦出場だ。

異世界にて、我、最強を目指す。GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF

異世界にて、我、最強を目指す。GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF

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登録日
2019-01-09

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  1. GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第1幕
  2. GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第2幕
  3. GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第3幕
  4. GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第4幕
  5. GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第5幕
  6. GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第6幕
  7. GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第7幕
  8. GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第8幕
  9. GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第9幕
  10. GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第10幕
  11. GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第11幕
  12. GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第12幕
  13. GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第13幕
  14. GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第14幕
  15. GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第15幕
  16. GPS-GPF編  第9章  イタリア大会~GPF  第16幕