君の声は僕の声  第四章 1 ─子供の特権─

君の声は僕の声  第四章 1 ─子供の特権─

子供の特権

 


 (そう)秀蓮(しゅうれん)は、(かい)に借りた制服を着て神楽(かぐら)学園中等部の正門にいた。

 シノの家を訪ねようとした秀蓮を、聡は止めた。リュウジというカンパニーの男に連絡されて捕まってしまうのではないかと警戒した。
 教師であるなら、学校で会えば、周囲の目がある。制服を着ていればこちらは生徒。まさか教師が生徒に妙な真似はできまい、と考えたのだ。
 
 KMCの経営する学園だけあって、聡の通っていた町の学校とは門構えからして違う。広い校庭は綺麗に整備され、校舎へ続く舗装された道の脇にはポプラ並木が青々と揺れていた。
 学校から出て行く普通クラスの生徒たちが、聡と秀蓮を横目に見ながら通りすぎて行く。普通クラスの生徒とはネクタイの色が違う。彼らは緑のネクタイだ。それから、もうひとつの『特別クラス』の生徒は青のネクタイ。そして聡たち『特別クラス』のネクタイは赤だった。ネクタイを見れば、ふたりが別の敷地に建つ『特別クラス』の寮生だということは一目瞭然だった。

 数人の少女たちが、ささやき合いながらクスクス笑っている。自分が笑われているようで聡は少女たちから目を反らした。だが、少女たちは話に夢中で、聡を見ることもなく通り過ぎて行く。

「暑いな。あっちの木陰で待ってようか?」

 好奇の目で見つめる生徒たちを憂鬱そうに見ていた聡に、秀蓮が誘う。

「いや、ここでいいよ」

 秀蓮はネクタイの色など気にもしていない。聡は腕を組んで背筋を伸ばした。

「おまえ、聡じゃないか?」

 そんな聡の背後で、誰かが声をかけた。こんなところに自分を知っている人間がいるのか? 不審に思って振り向くと、かつての同級生がそこに立っていた。

 初等部から机を並べていた少年だ。少年の父親が聡の父親の上司で、成績が良く、勝手に聡をライバルと思い込み、張り合っていた。勉強が聡よりできるにもかかわらず、常に級長を任される聡を快く思っていないことは、少年の態度の端々から感じとることができた。

 ──会いたくない奴に会った

 聡の表情が曇る。

「ふうん、おまえ学校に来なくなったと思ったら、おまえも『特別クラス』に編入してたのか」

 そう言って、これ見よがしに胸を張って見せつけたネクタイは青色だ。少年の唇の端が意地悪く上がるのを、秀蓮は静かに見つめていた。

「誰? 友達?」

 一緒にいた少年が訊ねる。

「前の学校の同級生だ。良く出来る奴でね。いつも級長を任されてた」
「へえ」

 そう言って少年の肩越しから好奇の眼差しでのぞき込み、聡のネクタイが赤いとわかると、とたんに見てはいけないものを見たように慌てて目を反らした。

「これが噂に聞く、赤いネクタイか。──似合ってんじゃん。その赤いネクタイ」

 子供の頃は聡より背の低かった少年が聡を見下ろして言った。そして勝ち誇ったように笑いながら聡のネクタイを掴むとひねり上げた。

「やめろよ」

 一緒にいた少年が止めた。

「優等生だったお前がね……ざまあねぇな」

 聡の右手が拳を握った。

「僕を殴るのか。え? 優等生の聡」

 聡の握りしめた拳を見て、少年が露骨に顔をゆがめた。
 挑発する少年を睨みながら、聡は冷静になろうと震える拳を緩めた。と、その時、少年が土埃りを上げて勢いよく地面に倒れ込んだ。

 突然のことに何が起こったかわからずに、少年は口を開けたまま目をパチパチさせて倒れていた。はっとして痛みを感じた頬を押さえて見上げると、聡の隣にいた同じく赤いネクタイをした少年が、拳を握ったまま、聡を庇うように立って見下ろしていた。倒れたまま少年は唇を噛んだ。潔癖な聡に暴力をふるうような真似はできないし、隣の大人しそうな奴が殴ってくるとは思っていなかった。

「痛っ……何すんだ!」

 少年が秀蓮を睨みながら怒鳴った。
 秀蓮はすぐさま膝をついて少年の胸ぐらを掴んだ。

「殴られた痛みなんてすぐに消えるだろう」

 声を落として睨みつけると、少年を地面に叩きつるように手を離した。一番驚いていたのは聡だ。熱くなりやすい自分をいつもは止める役だった冷静な秀蓮が人を殴るとは思わなかった。
 まわりの生徒たちが足を止めて振り返り、集まってくる。

「何をやってる」

 校舎の方から教師と思われる大人が走ってきた。

「聡、逃げるぞ!」

 秀蓮が立ち上がり、聡の腕を掴んだ。茫然としている聡を引っ張りふたりは走った。前を歩く生徒たちが何事かと振り返り、ふたりに道をゆずる。正門を抜け、生徒たちに紛れると、秀蓮は立ち止まり声をあげて笑った。

「あいつの顔見た?」

 楽しそうに笑う秀蓮を唖然として聡が見つめていた。

「何だよ」
「僕も殴ろうとしたけど、君に止められると思った。『くだらないことはよせ』って言われるかと」

 秀蓮の笑いが止まった。

「ふうん──」

 秀蓮が聡に顔を寄せる。

「君は案外、真面目なんだな。まあ、あんなくだらない奴を殴って自分の手を痛める必要はないな。だけど、あいつはおまえの心を傷つけたんだ。そんな最低の奴は殴って逃げる」

 納得できないような顔をしている聡の肩に手をまわし、秀蓮は子供のように笑った。

「子供の特権だよ」



 傾きかけた日差しの差し込んだ窓から廊下へと吹き抜ける風が、白いカーテンを揺らしている。窓の外からは、校庭を走る音や、笑い声、挨拶を交わす声が聞こえてくる。聡にとって久しぶりの学校の午後の風景だった。 

 並んで座る秀蓮の横顔から、先ほどの子供っぽさは完全に消えていた。学園の生徒に紛れて笑っていた秀蓮ではない。同じ制服を着ていてもその佇まいは凛然としている。
『相談室』とかかれた小さな部屋で、二人はシノを待っていた。
 椅子に座って窓の外を眺めていると「また明日ね」と、少女がこちらに向かって手を振った。聡の脳裏に、誰もが聡を避けるなかで、ひとりだけ変わらずに聡に接してくれた少女の姿が浮かんだ。その少女だけは、いつも「また明日ね」と言ってくれた。その少女が手を振る少女と重なり、聡の手をあげようとすると、窓のすぐ外から「またね」と、少女に向かって応える声が聞こえてきて手が止まった。  

 その時、秀蓮に小突かれた。軽やかな足音が近づいてくる。シノという女性が来たのだろう。聡は乾いた唇を舐めた。

「お待たせしました」

 そう言って現れたのは、滑らかに載秦語を話す玖那人の女性だった。

「びっくりしたわ。『秀蓮』という生徒が待っていると聞いて、はじめ誰のことかわからなかったのよ。うちの学校の制服で現れるとはね。制服を着ていなければ、応接室へお通しできたのに……」

 シノはそう言いながらふたりの前を通り過ぎ、眩しそうに目を細めて窓辺に手を伸ばし、カーテンで夕日を遮った。そうしてふたりの向かいに座り、にっこり笑いかけた。

「こんな部屋でごめんなさい」 

 優しそうな笑顔だ。聡は玖那人と話をするのは初めてだった。しかし、KMCの人間と関係を持った人だ。聡は笑顔に騙されないようにと気を張った。

「でも安心したわ。あなたとしては、早くお友達のところへ帰りたかったのでしょうけど、こっちも本気で心配していたのよ。まだ傷口もふさがっていない状態で抜け出すなんて……」

 そこまで口にしてシノは顔を赤らめ「まあ、いいわ」と口を濁した。聡はちらりと横目に秀蓮を見た。思わず二度見する。そこには辛いのを我慢して無理に微笑む、はにかむような秀蓮がいた。

「ご心配をおかけしてすみませんでした。今日はお礼とお詫びに来ました」と、秀蓮がしおらしく口にする。

 聡は、秀蓮のこんな痛々しく素直な表情は今まで見たことがない。見ているこっちが恥ずかしくなるような笑顔だ。秀蓮がこんな表情をするとは。というか、自分が子供の姿なのをいいことに、女性にこんな表情をしてみせるとは姑息というか、秀蓮がそんな手を使うとは……。
 秀蓮は、締まりのない口を開けたまま、呆れたように自分を見ている聡の足を机の下で蹴った。

「痛っ」

 顔をしかめた聡は今度は足を踏まれた。

「あなたのこと、竜二から聞いたわ」

 うつむいた秀蓮の顔から表情が消えた。つぎの瞬間、迷子の仔猫のような目で上目使いにシノを見つめた。

「あ……私たち、あなたを巡警やカンパニーに引き渡そうなんて考えてないわよ。私だって、子供たちの教師をしているのよ、子供を傷つけるなんて許せないわ」シノが顔をゆがめた。「彼も……竜二だって、そう思ってるわ。強面でちょっと口は悪いけど、悪人ではないのよ」

 そう言われて、聡も秀蓮も懐疑的な目でシノを見た。

「彼はカンパニーの人間ですか?」

 秀蓮が真っすぐにシノを見つめる。シノは秀蓮に向き直ると、聞かれることを予測していたとばかりに目を細めて言った。

「ええ。──彼の名前は神楽……。神楽竜二」

君の声は僕の声  第四章 1 ─子供の特権─

君の声は僕の声  第四章 1 ─子供の特権─

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-01-08

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