しかし
しかし、それは意味のある事だろうか?医療の究極的到達点は、生きるべきでなかったものを生かす事もあるだろう。
きっとそのものは犯罪を起こすものかもしれないし、あるいは人類に、人知を超えた英知をもたらすものかもしれない。
けれど、きっと触れてはいけないものがあっても多くのものが知らない事がある。
そこで、きっともしそういった事象と対話できるものがあるとすれば、その“システム”とは、すでにこの世にちりばめられていて、自然ではなく、不自然なものの中にあり、不自然から体得した、自然をしったものの中にある。
それは時の歯車だ。それは悠久の時の歯車だ。半永久機関を、人類は手にした。
それはある羽をつけた生物だ。いや、それも偶像だろう。
ただ、ひとつ心の底から身体が望み、また理解している事は、その時の歯車の条件であり、その条件とは以下に書き記されたものである。
人類は、砂漠の砂の崩れ落ちる、大きな空洞からそれを発見した。まるで不可解な動機。未知のものを理解し、生かさんとする動機。
それは尊く、人類がそれを生かそうとするとき、人類は新しき不浄の、新しき浄化の理解を知り、そしてそのものと対をなす存在となりえるだろう。
しかし