遭遇

宇宙飛行士に合格した薫くんのお話。
やっぱりあの酒場に呼ばれたみたいです。

  穏やかな午後のひと時を、彼は近所の公園で過ごしていた。
天然の雑木林になっているここは、散歩にはちょうどいい。
うしろからやって来た緑の香りをいっぱいに含んだ風が、彼の前髪をサッと掻きあげて、空へと戻っていく。

(あすこへ行くのか……。)

 明日はいよいよ地球を出発する日だ。由江 薫は、惑星調査ロケット「ジュピター・ヘルメス」号の乗組員で、
調査チームの中では最年少者だ。午前中までに今回の調査内容の再確認と最終身体検査が終わったので、午後はそれぞれが自由行動をとる事になった。

木々の香りを胸いっぱいに吸い込む。今回の調査は期間が短いほうだが、それでもあと1ヶ月はこの地球から離れることになる。
クルーの連中は皆そろって墓参りに行ったようだったが、彼には父からもらった金色のロケット・ペンダントがあったので、それを見るだけで十分だった。

「父さん、母さんに会いに行くよ……」

 父親が宇宙飛行士だったこともあって、彼は幼い頃から宇宙へのあこがれを持っていた。
もちろん小さな子供なら、誰しも未知の宇宙にあこがれるものだが、彼の持つそれはどこか質が違っていた。
一人で夜に星空を見上げていると、懐かしさに似た不思議な感情がこみあげてくることがあったし、たくさんある星々の中の、
(どれだかはわからないが)どこかにある星が、薫を呼んでいるような気がすることがあった。

自分のそんな気持ちについては、何度も父親に話したことがあった。すると決まって父は薫を高く抱き上げて、こう言うのだった。

「薫、それはな、おまえの母さんだ。大きくなったら会いにいってやれ!」

 薫は自分の母親については写真でしか見たことがなかった。
いつも父の首からぶら下がっているペンダントのロケットの中にそれはあった。
写真の中の母はとても綺麗で、どことなく儚げに微笑んでいた。

父はよくそのペンダントを開いて見せながら母の話をしてくれたが、自分で覚えている母親の記憶といえば、
頬っぺをさすってくれる白くてきれいな手の甲や、柔らかくていい匂いのする乳房や、やさしい口元などでしかなかった。
それでも薫はよくねだって父にそのペンダントを見せてもらうのだった。

あれから10年が経った今でも、夜空を見上げると、その不思議な感情が湧いてくる。
父が惑星の調査をしに宇宙へと出掛ける時は必ず墓参りをしたが、母親はどうもそこには眠っていないらしかった。
父と最後に墓参りに行った時のことを、薫は今でもよく覚えている。
     
「薫、じいちゃんとばあちゃんの墓参りに行くぞ」
「ねぇ、お父さん、お墓って死んだ人がはいるところでしょ?」
「そうだよ」
「じゃあお母さんはこの中にいるの?」
「いいや、薫、母さんは死んでないぞ。ただな、ここからだいぶ遠いとこにいるんだ」
「遠いとこって、空の上なの?僕お母さんに会いたいよ……」

すると父は薫をぎゅっと抱きしめて、そして空のほうを見上げて、

「そうなんだ。母さんはなぁ雲の上のもっと上の、だいぶ遠いとこにいるんだ。今度の調査で父さん、その近くまで行くから。
あそこから母さんを連れて帰ってくるからな。おまえは家でかしこくしてるんだぞ?」
「本当?うん、わかった。絶対だよ?」

 ああ、と返事をしてくれた父はそれから帰ってこなかった。
家にいると寂しくてよくお泊まりをしに行った、惑星調査・観測センターの女史がある日、薫にすまなさそうにこう言ってきた。

「薫くん、薫くんのお父さんね、ちょっと帰ってこられなくなっちゃったの」
「え、どうして?お母さんがみつからないのかな?」

女史は涙を流しながら、薫をぎゅっと抱きしめた。

「ちがうの、ちがうのよ薫くん!あのね、これあなたのお父さんからの預かり物なの。
私にはこれだけしかしてあげられないの、本当にごめんなさい……」
そう言うと握りしめていた白い封筒を薫の手のひらに乗せた。震える手で中を開けてみると、父の金色のロッケット・ペンダントがきらめいてすべり落ち、
それと共に父が記したらしい小さな四角い紙切れが1枚はらり、とでてきた。

(薫へ。 父さんはどうも帰れないみたいなんだ。母さんをつれて帰るって約束したのに、本当にごめんな。
そのかわりにもならないとは思うが、父さんのこれをやるよ。お前が大きくなったら母さんとこに会いにいってやれるようにな。
それじゃ元気にしてるんだぞ? 父より)

 その封筒は父が打ち上げ当日になって、何かあった時にはこれを息子へ渡してくれと、急に思いついたように走り書きをして
この女史に預けたらしかった。この人は父の助手をしていて、父と一緒にこのセンターに泊まる時はいつも薫の相手をしてくれていた。

 これは薫の生まれる数年前のことだ。
それまで何度も衛星を打ち上げては観測を続けてきたSELENA(セレナ)という惑星が、少し手を加えれば人類の生息可能な惑星だということがわかり、
父親達のプロジェクト・チームはすでに一度この星へ飛んでいた。そして地質や生存する生物の調査を終えて、一応無事に戻ってきていた。
いちおう、というのは帰還後の彼らの中には少し精神に異常をきたしているものや、少し体調不良になったものなどが含まれていたからだった。

薫の父は幸いにも正常だったが、密かに赤ん坊を抱いてタラップから降りてきていた。それが薫だった。
しかし、そのことについてとやかく言われるようなことは一切なかった。センターの人間も政府も、みんな異常をきたした乗員の揉み消し工作に必死で
それどころではなかったのだ。

 父が封筒を渡した時には2度目のフライトだったのだ。前回に異常者が出た原因はもう突き止められていた。
それは水質から蒸発して、知らない間に宇宙服に浸透していた微妙な有毒成分のためであった。
父達は、このフライトで問題の水質の成分調整を済ませるはずだった。そして次に来る時に大気に手を加えれば、
もうそこは地球とほぼおなじ状態になるはずだった。無事に成功してさえいれば。

 あれから十年と少しが過ぎた。
薫は生まれもっての才能か、父親譲りの努力の才が実ってか、宇宙飛行士の試験に前代未聞の十七歳という若さでパスした。
当時の世間の騒ぎようはすごかったが、政府らはこのプロジェクトのことだけはまだ、未発表のままだった。
これまでの揉み消し工作が水の泡とならないように、だ。

この第3度目のフライトは、外面には単なる惑星の軌道観測ということになっていた。
本当の目的は、惑星セレナの完全な水質の再調整と大気成分の調整をするためだというのに。
それだけ皆がこの惑星に、第3度目のフライトに、甚大な期待をよせていたというわけだ。

そうやっていろんなことが頭をよぎるうちに、あっという間に日が暮れてきた。木々の間をザワザワと走る風も、だんだん冷たくなってきた。
空は強烈な夕焼けのオレンジから、薄紫に、そして間もなく紺青へとその色を変えていった。星々が薫に話しかけるように瞬き始めた。
明日は朝早くから忙しくなることは十二分に承知していたが、なかなか足が家のほうに向かなかった。
この並木道の入り口を抜けたら、そのまま宇宙船の中だったらいいのに。

このまま、この入り口を抜けたら・・・。

 薫が並木道の最後の両側をくぐり抜けた時、奇妙なことが起こった。
いつもはそこを抜けると、静かな住宅地が我が家までずっと続いているはずなのだ。
しかし彼は今、ふだんとは全く雰囲気のちがう場所に立っていた。ネオンライトや電球があちこちで鮮やかに点灯し、車が走り、大人数の着飾った人々が
あちこちに行き交っている、見知らぬ繁華街のど真ん中にいたのである。

彼は一瞬呆然とし、次に反射的に後ろを振り返った。さっきまで通ってきた自然公園の散歩道は、あとかたもなく消えていた。

 「こ、こんなことって……」

 何が起きたのか訳がわからなかったが、薫はとりあえず落ち着こうと、足取りを先へ進めることにした。
歩いてさえいれば、きっとそのうち知っている所へ出るかもしれない。

そこへ突然、目の前を真っ白いとても大きな猫が横切っていった。
よく見ると、その猫にピッタリと寄り添うようにして、ひざ丈ほどもない小さな女の子が一緒にくっつくようにして駆けている!
一瞬の目の錯覚かと疑ったが、いくら目をこすってもちゃんと彼らは存在していた。そして前方の路地裏の奥へと消えた。

特に行くあてもなかったので、なんとなくその路地裏の角を曲がると、小さな一軒のバーがあった。看板には「The half moon 」と銘うたれている。
彼は興味をそそられて、思わずそこへ足を踏み入れた。

 からんころん、とベルが店内に響く。どこか不思議で、独特な雰囲気がこの店を満たしている。

 「いらっしゃいませ」

目の色が片方ずつ違う、髪の黒いマスターがカウンターの中央で静かにグラスを拭いている。
ひと際目を惹いたのは、この耳の尖ったマスターの後ろにある巨大な水槽。そこには波打つ蒼い髪の、美しい人魚がいる。
ほんとうに水の中で呼吸をしているらしい。

薄暗い店内をよくよく注意して見まわすと、どうやら皆おかしな格好をしている。
側の椅子に腰掛けた全身黒ずくめの男は、グラスを傾ける口の端からとがった牙がのぞいている。
狐のようなふさふさのしっぽと耳をつけた和服姿の子供がその隣で酒を飲んでいるし、
それにさっきの白い猫と、極端に小さな白い服の少女。

そのほかにも、派手なアロハシャツの袖の下から緑色のウロコをびっしりはやした男や、向こう側が透けて見える山高帽の男、
隅っこのほうにいる乾物のような老婆は、水パイプのながいながい柄を口に含めて、おいしそうに紫煙をくゆらせている。

 「なんだか場違いな所へ来た、なんておもっていませんか?」
マスターがにっこりとして僕に話かけて来た。確かに今そう思っていたところだった。

 「なにかご注文は?」
 「あ、えっと、なにかすきっとするカクテルを」
 「承知いたしました」

そう言うと黒髪のマスターはなにやら奥の棚にある色ガラスの酒瓶をいくつか取り出して、それを銀色のシェイカーに注ぎ、
鮮やかな手つきで上下に振り混ぜはじめた。そしてあっという間に一杯のカクテルが出来上がり、僕の前までカウンターをすぅっと滑ってきた。
爽やかな秋空のような明るい水色の発泡酒だ。

隣にいた和服姿の子供がわぁ、と小さく声をもらしてから僕に声をかけてくる。

 「とってもキレイな色だね!」
 「え?ああ、そうだね」  
 「おにーさん、なんだか思い詰めたような顔をしているね?」
 「そうかな?」

明日は打ち上げだ、という緊張感が知らぬ間に顔にでも出ていたのだろうか、何せ子供は敏感だから。
などと思っているとマスターが微笑みながら、グラスを勧めた。和服の子供は僕にきたグラスをじっと覗き込んでいる。

 「何があったのかは存知ませんが、それを飲むとすっきりしますよ。あなたのために作った当店のオリジナルです」
 「マスターこのお酒、名前はなんにするの?」
 「そうですね。秋空流星、なんてどうですか?」
 「いいね!すてきだよ。ねぇ、おにーさんもそう思うでしょ?」
 「え?うん、ああ、すてきだ」
 
ここからどうやって帰ろうなどと無粋なことは、今は考えないほうがよさそうだ。思い切って飲み干そう。

 「お客さまはどうやってここへ?」
 「それがよくわからないんだ、気がついたら繁華街にいて。それからはそこの白い猫と女の子を見かけて……」

 マスターは僕の答えに少し意外そうな表情をしたが、すぐ笑みを取り戻すと、あとをこう続けた。

 「そうでしたか。実は当店は、ふつうの人間の方は来られないようになっておりまして……」
 「ふつうの?それじゃあ僕はいったい何なんですか?」
 「一言で断言はできませんが、あなたはここにいるみなさんとだいたい同じってことですよ」

そうしてぐるりとここの客たちを見渡すように僕に促した。どうも言っていることがよくわからない。
確かに僕は宇宙船の中で生まれたらしいけれど。自分の母親が何者なのか、手がかりはないけれど……。

僕が店内を困惑した表情できょろきょろしていたせいか、隅っこに座っていた老婆がふいに口を開いた。
 「つまりお前さんも、間(あい)の子(こ)なんだよ」
 「あいのこ?僕が?そんな話は聞いていませんよ」
 「それは周りがだぁれも知らんかったからだね。しかし、お前さんは確かに人と、人ならざる者の間の子なのさ。だからここへ来られたんだ。
お前さんの片親は、なんにも言っとらなんだのかえ?」
 「父からはそんな妙なことは聞いていません。確かに僕の母親は消息不明ですが。
まさかあなたは、僕の母が人間じゃないと、そうおっしゃるんですか!?」

そこで老婆は水パイプをまた口に入れて、紫の煙をゆっくりと吐き出した。むせるような甘い花の匂いが店内に漂っていく。
だんだん頭の中が麻痺していくみたいだ。この煙のせいか。

しかし、母親が人間じゃないなど、信じられない。父のペンダントの中で、あんなに美しい母が?
 
 「まぁまぁ、そんなにかっかとせんでもよかろ?お前さんはまだ幸せなほうなんだから……」
 「僕の母の正体を、あなたは知っているとでもいうのですね?」
 「お前さんを見ればわかるんだよ。だいたいのことはね」

僕は黙ってうつむいた。こんなことを真に受けることはおかしい。確かにおかしいはずなんだ。
しかし、それでは星空を眺めている時のあの不思議な気持ちや、母の未だに確認されていない身元は、いったいどう説明したらいいのだろうか?
この老婆の話を僕はどうやら信用してしまいそうだ。本当はボケているだけかもしれないこの年老いた人物を?

 「まぁ、聞きたくなければ聞かなくていいさ。お前さんの自由だよ」
 「いいえ、知りたいです、教えて下さい」

 とんでもない答えが返ってきたら、年老いた婆さんの戯言なのだと思えばいい。
けれど、もしかしたら、なにか母親を捜索する時の手掛かりになるかもしれない……。

 「あんたの母親は多分、宇宙(そら)に住む風の一族さね」
 「なんの、一族ですって?」
 「風、だよ。星々の間をめぐり渡って、旅をしている連中さ。そうやって星々の存在のバランスをとってやっているのさ。生き物のいる星々はみんな、連中の訪問を
いつも待ちわびているもんだよ」
 「僕は父の乗っていた宇宙船の中で生まれたんです」 
 「おお、そうだろうよ。連中はここしばらくはこの星に来ていないからのぉ」
 「では母はまだ生きているのでしょうか?」
 「あいつらはそういうものから一切、解放されているのさ。いつまでも死なないし、もとから生きているというわけでもない。
だからなおさら、限りあるものを慈しむのじゃ。連中のなかには時々、生ある者との間に愛をみいだすやつもいる。
そういう偶然がいくつもいくつも重なり合って、お前さんのような間の子が今ここにいるというわけさ」
 「………」

なにか衝撃のようなものが体中を駆け抜けて、僕はしばらくそこから動けなかった。
ぜんぶ本当のことなんだろうか?そんなはずはない。ふつうに考えたら、絶対にありえない事だ。母が人間ではなかったなんて!

しかし体は「本当のことだよ」と全身で反応していた。
夜空を見上げた時に感じる、胸の熱い高鳴りも、老婆の答えに納得しているらしかった。
それでは、あれは本当に母が呼んでいたのか……。 

 「ありがとうございました。実は明日、宇宙船の打ち上げがあって僕はしばらく地球を発つんです」
 「ほぅ、それはそれはねぇ……。愛をみつけた連中は相手の必ずなにかしるしを渡すと聞いているがね」

僕は、はっとして胸のあたりから父のロケット・ペンダントをひきだして、老婆に見せた。

「もしかしてこれでしょうか?父の形見なんですが……」
 「あぁ、それだろうね。それは連中の笛だよ」
 「笛なんですか?これが?」
 「お前さんが吹いたって鳴りはしないさ。宇宙(そら)に出たときにそれを外の風にさらしてごらん。
それは風が鳴らす呼び笛なのさ。連中にはどこにいてもその音が聞こえるらしいよ」
 「そうだったんですか。だから父はこれを僕に残したんですね、父の手紙の意味がやっとわかりましたよ。本当にありがとう、そろそろ行かなくては……」
 
 ”10、9、8、7、…… 秒読みが始まった。もうすぐ母のいる空だ。
打ち上げが無事に済んだら、外部点検の時にこのロケット・ペンダントを宇宙の風にさらしてみよう。

6、5、4、…… そうしたらきっとヒュゥ、という音がして、彼ら一族の集団があらわれるにちがいない。

3、2、1、…… そうしたらきっとその中に、この写真の中の母がいるに違いない。 


……0 そうしたら……!!”


                                                         
<END☆>

遭遇

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宇宙飛行士に合格した薫くんのお話。 彼もやはりふつうではない者のようで…。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青年向け
更新日
登録日
2019-01-06

CC BY-NC-ND
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CC BY-NC-ND