雨が降ったら

砂原 淳

 もう長いこと、みきちゃんと話していない。
 長いことといっても一週間くらいだけど。
 きっかけはみきちゃんが好きなアイドルの話をいつまでもしてたのをわたしが話半分に聞き流したからなのか(中学生になったら何部に入るか考えていた)、わたしが迷いに迷って買った新しいペンケースにみきちゃんがケチをつけてきたからなのか(「前のほうが良かった」と言った)。
 とにかくある日話していて足元が宙ぶらりんになったような心細い気持ちになって、どうやらそれはみきちゃんも同じだったらしく、それから話しかけなくなった。たぶんわたしから話しかけなくなった。


 この一週間というもの、けっこうお互い楽しくやっている。みきちゃんは他のグループでこっそり持ってきた雑誌囲んでるし、わたしはわたしで後ろの席の子と手紙回したりなんかして。
 ケンカしたわけでもなし、朝の挨拶だけはしているのだ。廊下をずんずん進んで教室に入る勢いにのって、クラスメイトのみんな一緒くたに向けてって感じで「おはよー」って言う。でも目の端で、みんなに混じって返事するかもしれないみきちゃんのことを、いつも探している。
 今日は、返事した。


 台風が一度も来ていないのに今年は突然の大雨が多くて、いつも雨上がりにはむわっと暑くて緑くさい。
 雨が降るたび、どんどん夏になってきている。
 今日、教室の窓から見える木に大きなクモの巣がかかっていて、男子がすげえなんて騒いで朝の会でちょっと話題になった。先生は「何の蜘蛛か図鑑で調べてみろ」なんて言ってたけど、たぶん誰も調べないだろう。
「ねえ、ねえ」
 背中を突かれて振り向くと、後ろの席の子が身を乗り出している。
「今日も降るんだって。ママが午後からすごいわよって言ってた」
「うそ」
 今朝は晴れてたし、TVの予報も見なかったし、うちのママはノーコメントだった。したがって傘を持ってきていない。
「夏休みももうすぐなのに雨ばっかだよね。このまま外で遊べずに休みに入っちゃうのかな」
 あーあ、と大げさに天井を仰ぐクラスメイトのまねをして、わたしもあーあ、と言ってみる。それから視線をずらして、教室のいちばん後ろに座っているみきちゃんをそっと見た。
 そうだ。もうすぐ夏休みに入ってしまうのだ。たぶんみきちゃんともこのままで。
 あーあ。


 クラスメイト(のママ)の予言は当たり、給食が終わるころには外はバケツをひっくり返したような騒ぎになった。放課後ともなると少しは落ち着いたけれど、空気が重く湿っていることに変わりない。クラスの係の仕事を終え、みんなから集めたプリントを職員室の先生まで届けた私は、水の中を歩くようにゆっくりと教室に向かった。
 窓の外と同じグレーの廊下。そうじ当番の努力もむなしく、どこか濡れた場所を歩いてきたらしい誰かの足跡がてんてんと残っていて、そのそばをわざとキュ、キュ、と音を立てながら歩く。教室に戻ると誰か背を向けて窓の外を見ているのが見えた。

 みきちゃんだ。

 他には誰もいない。話しかけようか、やめようか、迷いながらそっと進む。一歩近づくごとに、あの宙ぶらりんな、さみしい気持ちが強くなっていく。
 ついに横に並んだ。
 口を開けた。そのまま何を言おうか迷っていると、
「くもが」
「え」
 みきちゃんが窓の外を見たままつぶやいた。
 あわてて手すりに手をかけて視線を追う。クモの巣が弱い雨に打たれて揺れている。その中央で、巣のぬしが脚一本でだらりとぶらさがっていた。
「お昼過ぎからずっとあのままなの」
 気付かなかった。
「そうだったんだ。雨降ったら普通逃げるよね。生きてるのかな。溺れ死んじゃったのかな」
「溺れるって、雨で?」
「そう、雨で」
 窓の外を見たまま、するする言葉が出てくる。別に虫は好きじゃないし、わたしがしたかったのはクモの巣の話なんかじゃない。なのにこれを逃したらもう話せなくなってしまう気がして、こんな大事なことってないという風に、わたしは真剣にしゃべっている。
 「揺らしてみて、生きてたら動くんじゃない」
 ふたりで窓を開けて身を乗り出してふうふう息を吹いた。横目でちらりと見ると、みきちゃんは大きく息を吸って全力で吐き出してを繰り返している。頬っぺたどころか顔全体が赤い。真剣だ。
 ふと、みきちゃんも同じなのかなという気がした。いまこの時を逃したら私たちは戻れなくなっちゃうんじゃないかって、みきちゃんも思ってるのかもしれない。
 息はなかなか届かなかったけど、巣の一辺がかかっている木の枝を狙ってみるとかすかに巣が揺れてキラキラとしずくが落ちて、クモも面倒くさそうにつかまり直した。
 「あ」
 「動いた」
 思わず振り向くと、みきちゃんも初めてこっちを向いて、目が合った。
 丸く見開かれている、茶色の目。たぶんわたしも同じような表情をしている。
 二人でちいさく笑った。
 「傘持ってきた?」
 「ううん、忘れてきちゃった。」
 「一緒に帰ろっか。」
 「入れてくれるの?」
 「いや、みきも持ってないから、走って。」
 何だとあきれて吹き出してしまう。外を見ると雨はずいぶん弱まって、それに、すごく久しぶりに楽しいことが起きる気がする。
 いいよ競争しようと言って、そしてまた二人で笑った。

雨が降ったら

自分の幼少期を振り返ると、「事件!喧嘩!仲直り!」みたいなことってあまりなくて、
ごく些細なことで友だちと気持ちが離れかけ、また些細なことで近づいていくというのを繰り返していたように思います。
大人になった今も、あまり変わりません。
そういった気持ちや関係性の揺れが書けるようになりたいです。

雨が降ったら

小学生の「わたし」は、最近友だちのみきちゃんと話せていない。 相手の様子をそっとうかがう日々を過ごすうち、夏が近づいてきて…

  • 小説
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