恋文

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おめでとうございます。茸不思議小説です。縦書きでお読みください。2019年1月3日

 郵便受けを覗くとクリーム色の縦長の封筒がはいっていた。珍しいことである。この郵便受けにはごてごてとした宣伝か、年金の通知が入っているくらいで、友人や親戚からの便りなどほとんどないに等しい。親しい多くの友人は皆鬼籍に入り、ただ一人の血のつながった弟も昨年死んだ。
 草取りもままならぬ年になり、二日に一度来てくれるヘルパーさんとの会話があるくらいで、時折庭にやってくる黒猫に一人声かけるといった日常である。
 親が残してくれた百坪の土地と、昭和始めに建てられた平屋の家が私の住んでいるところだ。身体だけは丈夫で、卒寿を過ぎても、食べる物も旨いと思うし、足も何とか丈夫で、散歩だけは欠かすかすことがない。
 幸い我が家の裏木戸を出ると、すぐに武蔵野の雑木林につながることもあり、車の通らない安心な林の中の散歩道を一時間ほどゆっくりと楽しむことができる。夏などは朝早くても若い人たちが散歩やジョギングを楽しんでいるが、声をかけてくる者もなく、こちらとしても、一人静かに歩くことができるので、大変好ましい。
 朽ち始めた木製の郵便受けを開けて取り出して見ると、封筒の表紙には細い筆で書かれた私の名前があった。だが切手は貼ってない。明らかに差しだし人の手で我が家の郵便受けに入れられたのである。裏がえすと差出人の名前もなかった。
 部屋に持っていき、ペーパーナイフを封筒に差し入れた。この真鍮性のペーパーナイフは若い頃、国分寺のアンティーク屋で見つけたものである。五十年近く使っている。昔は友人知人からの手紙、海外からの手紙、原稿依頼の手紙、毎日のように届き、よく使ったものである。久しぶりである。
 シャというこぎみよい音とともに封が開いた。中には白い便せんが折り畳まれている。
 ちょっと震えるようになった手で摘み出すと、中のものを広げてみた。小筆で書いたのであろう、上手いとはいえないが、一生懸命丁寧に書いた字が並んでいる。老眼鏡が一つ一つの字を拾いだす。
 「おなつかしゅうございます、あの日、あのとき、お声を掛けていただき、それ以来、毎日のように、恋しいお方にまたお会いしたい、お会いしたいとの気持ちで、一日を終えるのでございます、なにとぞ、また、お声をお掛けいただきたく、お待ちしている次第でございます、少しばかりで結構でございます、情をおかけくださいまし」
 何というか、古くさいような、ちょっと恥ずかしくなる言葉の羅列である。それにしても、誰が、このようなものを書いて、わざわざ郵便受けに入れたのだろう。九十二になる私に、刺激になればと、気を利かせてくれたのかもしれないが。ヘルパーにでも聞いてみよう。
 次の日、ヘルパーが「こんな手紙がポストにありましたよ」と、宣伝葉書とともに、クリーム色の封筒を持って入ってきた。お昼前のことである。
 「毛筆で書かれるなんて素敵ですね、私なんか字を書くと、亭主がなんてひでえ字だ、読めねえよっていうんですよ、ひどいですよね、もっとも亭主の方が字が上手いことはたしかですけどね」と笑って、その手紙を渡してくれた。
 そのヘルパーさんは週に数度顔を出す人だが、とても気さくで、よく気の回る人である。何人か来るヘルパーの中で私が気に入っている一人である。大きな体なのによく動き回る。
 まあ、ともかく、これでヘルパーさんにこの手紙のことを聞いてもしょうがないということがこれでわかった。
 またしても、誰なのだろうと、ヘルパーさんに手渡された封筒の封を切った。白い便せんには、前のものと同じように、細い筆で同じように丁寧に文がしたためてあった。
 「朝露がたまる頃になってもお会いできず、涙ながらに、明日を楽しみにする私でございます。お優しい言葉をお掛けくださいまし。あなた様のお顔をもう一度見てから朽ちたいと願うのでございます」
 何とも大げさな物の言い様であるが、いったい誰がよこすのか、全く想像できない。
 「なんですか」
 ヘルパーさんは興味がありそうだ。隠しても仕方ないので、
 「こんな手紙なんですよ、誰がくれるのか全くわからない」
 差し出すと、ヘルパーさんは「あーら」と興味津々に近寄ってきて便箋を広げた。
 「恋文じゃない、おじいさんなのに大したものね」
 なのには余計だ。
 「私なんか、文章わかんないけど、きれいな文ですよね」
 「うん、丁寧に書いている、若い人は書けないかもしれないね」
 「それじゃどこかのおばあちゃん、おじいさんが散歩の時に会った人じゃないの」
 馬鹿言っちゃいけない、女の年寄りに捕まったら、散歩どころではなくなる。取り留めもなく子供や孫の話を始める。散歩は中断されるし、話は面白くないし、とてもからだによくない。それでも、ときおり、道ばたの花をめでている老女らに挨拶をすることはある。そのような老女は私をちらっと見るだけで軽く会釈し、また花に目をやる。そういう女性なら邪魔にならず、見ていても良いものだ。しかし、最近、家の周りや、雑木林の中でそのような女性とも言葉を交わしていない。
 「いないなー」
 「若い頃の恋人じゃないの」
 私は頭をかいた。大学時代、仲のよかった女性はいるが、もう七十年も前のことである。その女性とは大学のクラス会で一度あったが、それも二十年も前になる。八十人いた同級生で生きているのは今は十三人となり、そのうち女性は十人だが、その女性はもう他界している。
 「もうみんな死んじまっているよ」
 「郵便じゃないから、近所の方よね」
 「わしもそう思うのだが、さっぱり見当がつかなくてね、ヘルパーさんに相談しようかと思ってたところなんだ」
 「それじゃ、この手紙が最初じゃないんだ」
 「うん、二通目で」
 「いいじゃない、楽しみがあって、きっと、若い頃おもてになったのね、おじいちゃん」
 また、おじいちゃんだ、よけいなお世話だ。
 ヘルパーさんにこにこして仕事に戻った。
 「ちょっとだけ歩いてくる」
 ヘルパーさんに声をかけ、ステッキを持つと外にでた。ステッキがなくても歩くのは大丈夫だが、上手く使うと、足の負担が軽くなる。イギリスに行ったときに買ったものである。
 秋も深まったせいで、雑木林の中はひんやりとして、日の光がスジになって射し込み、歩く道を斑模様に照らしている。道の脇では落ち葉に囲まれて、ホトトギスの花がまだあちこちに見られる。
 しばらく歩くと、椚の木の根本で、傘が黒く溶けて、しおれている茸が何本か見られた。その脇に、ピンク色のかわいい茸が三本、落ち葉の中から延びている。光があたり、傘がガラス細工のように透き通ってきれいだ。
 ついつい、「かわいいね」と声を掛けてしまう。何度か見かけたことがあり、名前を調べたことがある。花落葉茸と言ったと思う。ちょっと奥の方に、落葉に埋もれた蝸牛の殻から、花落葉茸が一本すーっと伸びてピンク色の傘を開いている。珍しいなと思い、手を伸ばして蝸牛をそうっと持ち上げた。蝸牛に詰まった落葉から生えていたようで、茸は折れることなくそのまま持ち上がった。
 そこで散歩をやめて、壊さないようにゆっくりと家に戻った。
 家ではヘルパーさんがお昼の用意をしてくれていた。冷蔵庫には夕食の用意もしてある。
 「お帰りなさい、今日はちょっと早いですね」
 ヘルパーさんがキッチンから声を掛けた。いつも散歩から帰ると、昼の用意がしてあって、ヘルパーさんはもう帰っている。
 蝸牛から伸びている可愛い茸をそうーっと持ってキッチンに言った。
 「おや、可愛らしい茸、へーえ、蝸牛の殻に入れてもってきたんですね」
 「いや、偶然だろうけど、こうなって生えていたんだ」
 キッチンのテーブルの脇に蝸牛を置いた。茸の鉢植えのようだ。
 テーブルの上には、目玉焼きと、ほうれん草のお浸し、味噌汁が用意されている。
 手を洗うとテーブルの前に座った。
 ヘルパーさんは、エプロンを外すと、「ゆっくり食べてくださいね、お茶入れてありますから、飲みたいときに急須にお湯入れてください、それでは、私は帰ります、何かあったら、事務所の方に連絡してくださいね」
 そう言って帰っていった。
 食べた後の後かたづけや、洗濯物の取り込みは自分でする。

 明くる朝、キッチンに行くと、テーブルの上の蝸牛から生えた花落葉茸はフニャッと蝸牛に寄りかかって萎びていた。こうなると無残なものである。茸は捨ててしまったが蝸牛の殻はちょっと奇麗なので洗って転がしておいた。
 朝食は自分で用意する。ビスケット、紅茶、ヨーグルト、それに前の日に用意しておいてくれた果物で朝食をすます。
 さて新聞をとろうと、玄関からでて、ポストを見ると、またクリーム色の封筒が入っている。ずいぶん朝早く来ている人がいる。誰なのかさっぱりわからない。
 キッチンで紅茶をもう一杯いれ、飲みながら封筒を開いた。
 「お元気のご様子、私、とても嬉しく思っております。秋も深まり、それにもかかわらずホトトギスの花がうるさすぎるように咲き誇る中、これまた、秋も深まったのに青松虫が木の上からじいじいと蝉のよう。うるさいったらありゃしない。日本の松虫はどこにいったのでしょう。あの遠慮がちな、本当の秋の虫はどこに行ったのでしょう。
 あなた様は、やはりかわいい娘(こ)がお好きなよう。私がお慕いするあなた様は私には目もくれず、きれいなお色のべべをきた娘に声をかけなさる。あたしもきれいに生まれたかった」
 今日の手紙は機嫌が悪そうだ。もう青松虫は鳴いていないと思うのだが、手紙にはそう書いてある。確かに日本の松虫を聞くことができないのは寂しい。それにしても、この内容はどういう意味なのだろうか。きれいなおべべの娘などは知らない。手紙と言うより、気ままに文を書いてポストに入れていくのだろうか。
 今日も天気はいい。いつもの散歩に出た。朝早いので少し寒いが気持ちがいい。
 雑木林の中はもっとひんやりとしている。朝には虫たちも眠りにつくのだろう。鳴き声は聞こえない。
 道の脇に白っぽい茸がいくつか生えている。茸はどれもかわいらしいが、名前はなかなかわからないものである。
 椚の木のところにくると、ここでもピンクの花落葉茸の傘が赤黒く萎れ、隣には白い柄に黒っぽい帽子をかぶったような地味な茸がすっとたっていた。前にもそこに生えていた茸である。かがんでみると、地味だが日本女性のたおやかな風情をもつ。「いいもんだな」いつの間にかついつぶやいている。モノトーンの良さ、セピア色の良さと言ったらいいのだろう。
 腰を上げ、先に進むと、松の木の下の、落ち葉が積み重なった中から、茶色の茸が顔を出している。何とも間抜けな顔だ。茶色の傘がとろけたような形の茸だ。ふぬけ顔。だが何となく楽しくなって、立ち止まって見てしまった。茸にも個性がある。
 散歩から帰ると、もう一度紅茶を飲んで、いつものように本棚から一冊本を選ぶと、ソファーに寄りかかった。若い頃に買い集めた本を、今改めて読んでいる。学生時代にはアルバイトをしたお金で、会社にはいってからも少ない給料をやりくりして、古本屋まわりをしたものである。好きな作家の初版本を買って、本棚に一冊づつ増えていくのを楽しみにしていた。今では単行本の古本値も下がり、大した価値はないかも知れないが、装丁は今の目立とうとするはでさはなく、落ち着いたもので、一つの美術品だ。
 今日の本は、中井英夫の幻想博物館だ。大学生の頃出版された本で、勇んで買ったものである。ベッドに寝転がって、一気に読んでしまい、ため息をついた記憶がある。幻想小説っていうのはこういうものなんだと、はじめて意識した本である。中井英夫はこの後、同様の幻想小説集を三冊だした。その三冊の挿し絵は最初の本とは違う画家だったこともあり、「幻想博物館」も後の画家の装丁で再販された。それらをすべてそろえた。内容と装丁が一致している好きな本である。
 三編も読み終わらないうちに、食事の配達の人がきた。一日おきに昼と夜の弁当を届けてくれる。ヘルパーが来ない日の食事である。
 次の日、またもやポストにクリーム色の封筒が入っていた。
 「やはり、あなた様はすてきな方です。本物を知るお人です。私はこの封筒のようなクリーム色ならばよかったと思っておりましたが、あなた様が地味な私をじーっと見てくださったこと、生まれ持ったままでいいと思うようになりました。この思いを持って消えていけるのはとても幸せです。ありがとうございました」
 やっぱり、訳はわからない。
 テーブルの上にその手紙をのせたままにしておいたところ、ヘルパーさんに見つかった。
 「また、お手紙もらったのですか」
 「うん」
 「誰だかまだわからないの、おじいちゃん」
 「うん」
 「朝早く起きて、誰が入れるか見てればいいじゃないの、おじいちゃん、たまには早起きしたらいいじゃない」
 おじいちゃんを連発する。親しみをこめてなのだろうが、それだけが欠点だ。
 私は年をとっても、そんなに早起きをするほうではない。しかし、確かに、誰が持ってくるのか見届けたほうがいいだろう。
 「明日は早起きしますよ」
 「そうなさいな」
 ヘルパーさんはいつもの仕事を始めた。
 私は散歩に行くといって、隣の雑木林の中を歩いた。昨日と変わらない景色ではあるが、日に一度の散歩はとても気持ちがいい。
 道ばたの白い茸はまだ元気に顔をもたげているが少し萎び始めている。椚の木の下には、また花落葉茸が一本立っている。桃色できれいだ。その脇に、黒く傘が溶けてたれた茸がそれでも立っている。昨日はすっきりと地味に立っていた茸だが、一日でこうも変わってしまう。
 今日も三十分ほど歩いて家に戻った。
 その日のお昼、ヘルパーさんの用意した食事をした後、久しぶりにシングルモルトをもちだしてきて、少しばかり飲んだ。若い頃は好きでよく飲んだものだが、八十を過ぎてからは、一月に一度口にするかしないかである。最後の一本、ラガブーリン十二年ものがほんの少し残っている。このヨード臭いスコッチも懐かしいが、五十八度というのは今ではちょっときつい。それでもシングル一杯ほどは飲んだろう。すぐ眠くなってきた。午後は寝て、その後は寝ないで起きていようという魂胆である。
 かなり寝てしまい、目が覚めたのは夕方の六時半である。ヘルパーさんが用意した夕食を食べると、後片付けをして、居間でテレビを見た。夜九時頃になると、しかし、やっぱり眠くなってきた。まあ無理は禁物だ。とりあえずベッドにはいった。
 はっと、思って目が覚める。時計を見るとまだ三時だ。
 起きて居間に行き、ソファーに腰掛け、窓のカーテンを開ける。玄関灯の明かりで、門の脇のポストが見える。
 すぐ出かけられる格好をして、まずポストを見てみた。手紙は入っていない。
 戻ってソファーから見ていることにする。
 四時になったときである。いきなり、すっと、人陰がポストの前に現れ、明らかに手紙らしきものを入れた。
 私は、あわててジャンパーを羽織ると懐中電灯を手に玄関から外にでた。
 線のように細い女性だ。
 その女(ひと)は背をこちらに向け、雑木林の方に歩んでいるところであった。黒い薄手のセータに、ベージュの長いスカート、細いうなじが今におれそうに揺れている。細長い頭からごま白の長い髪の毛が肩や背中にかかっている。
 女性は風に押されるように身体を左右に揺らしながら、雑木林に入っていった。中は真っ暗である。しかし、いつも歩く道である。懐中電灯の明かりを頼りに歩いていく。女性の陰が前の方で揺れる。椚の木の根本にくると、女性がとまって振り返った。
 白い顔が見えた。
 一瞬、切れ長の目で私を見ると、女性はすーっと土に吸い込まれるように消えた。
 私は椚の根本を照らした。
 黒い傘の茸がとろけて、土の上に横たわるところだった。そばに殻の蝸牛が転がっている。
 一夜茸、人夜茸、人世茸、すべてがわかった私はゆっくりと家に戻った。
 郵便受けにはいっていたのは真っ白な封筒だった。
 「昨日も来てくださいました。あなた様にお会いできる最後の日になりました、本当は、蝸牛の殻から生えて、あなた様の手で、あなた様の家に運ばれ、一晩すごしたかった。だけど願いはかないませんでした。来年の春まで、じっと我慢をして、文(ふみ)を考えます。春のいい日に、私はまたあなた様にお会いできます、お元気でいてくださいますよう、かしこ」
 一晩だろうが、九十年だろうが、生き物の一生は、一瞬のことである。
 しかし一夜茸の一晩の恋は、一夜茸の一生の恋である。茸に恋された男は私だけだろう。嬉しいことである。
 茸も恋をする、茸はほかの生き物にも恋をすることができる。人はどうだろう。そう、茸や植物に恋をするこができるはずである。そのためにも、彼らの目で生活をともにし、会話をし、個性を認めるができるほど心を広げなければならない。それは九十歳でもできる恋なのである。一夜茸が私の目を覚ましてくれた。
 来年は私の方から一夜茸に恋文を書こう。なんとかして。
 
 

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ポストに古風な恋文が入っていた。差出人名がない。老人は誰が出したのか、ポストを見張っている。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-01-03

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