君の声は僕の声  第三 8 ─ふたつの優しい時間─

君の声は僕の声  第三 8 ─ふたつの優しい時間─

ふたつの優しい時間


 昼食を済ませると、今日も櫂たちは学校へと出かけて行った。櫂はその前に、聡から預かっていた書類を秀蓮に渡していった。はじめはベッドの中で読んでいた秀蓮は「ひとりで大丈夫」と、図書室へと行ってしまった。途中、聡が心配して様子を見に行ってもまったく気づかない。それほど書類を読むことに集中し、窓辺に体をあずけて座り込んでいた。秀蓮の周辺には資料や辞書が散乱している。

「今日はこれくらいにしておこうよ」

 聡が本を片づけながら言った。もうすぐみんなが学校から帰って来る頃だった。

「秀蓮?」

 返事がない。 
 聡が顔をのぞき込むと、秀蓮はいつになくぼんやりしていた。

「どうしたの? また熱でも出てきた?」

 聡が秀蓮のおでこに手を当てると、やっと気づいたように「ああ、大丈夫だよ」と立ち上がった。熱はないようだったが、部屋に戻ってからもずっと黙ったままだった。

「少し眠ったほうがいいよ」

 聡に言われるまま、こくんと小さくうなずいて秀蓮はベッドに入り眠ってしまった。聡は秀蓮の寝顔と机の上に置かれた書類の封筒をぼんやり眺めた。


 ひとりで歩けるようになった秀蓮は、その夜、食堂でみんなと食事をとった。

「久しぶりだな、ここで一緒にめし食うの」

 櫂がそう言うと、秀蓮はゆっくりと視線を櫂へと向けた。

「みんなに話したんだ。おまえがここにいたこと」

「ああ」

 構わないよ、というふうに秀蓮は笑って応えた。それから「相変わらずいいもの食べてるな」と櫂と顔を見合わせた。

 流芳たちは、秀蓮と初めて顔を合わせた。あきらかに聡と初めて会ったときとは態度が違う。みんな見た目には同じ年ごろで、同級生のようなものだ。だが、聡の時には『新入り』だったのに対し、秀蓮にはみんな緊張気味だった。誰も知らない頃に櫂とここで過ごし、KMCに乗りこんで企業秘密を盗み、一緒にいた聡を逃がして自分は銃で撃たれ、傷を負いながらひとりでここまで逃げて来たのだ。  
 流芳たちの目には、傷を負って帰還した英雄のように映っているようだった。それなのに、当の本人はいつもと変わらない。ゆったりとくつろいだ秀蓮に、いつの間にかみんなの緊張は解けていた。それが秀蓮の不思議なところだった。聡がはじめて秀蓮の家にいったとき、彼は特に何かしてくれたわけではない。むしろ黙っていた。それなのに聡の気持ちは少しずつほぐれていった。

 みんなもそうだ。秀蓮が傷を負ってここへ来たとき、「話しに乗った」と言っていた透馬でさえ、動揺していた。このまま『乗って』いいのか……と。秀蓮に対して警戒していた。それが、うそのように楽しげな空気だ。櫂があいだに入って、それとなく気づかってくれているけれど。いや、櫂に気づかうつもりはないのかもしれない。

 秀蓮の静かな優しさと櫂の大らかな優しさが、みんなの気持ちをやわらげ、ひとつにまとめていた。

 聡にとって、こんな安らげる語らいのひと時は久しぶりだった。家を飛び出す前も、家族に対して無理に笑っていた。今思えば、それは父も母も同じだったに違いなかった。兄でさえ聡の異変に気づいていたのだ。父と母が気づかないはずはない。両親が聡を気遣いながら悩んでいたことを、聡はようやく考えられるようになった。そして、勝手に家を出て行って心配をかけてはいるが、離れたほうがお互いにとっても良かったはずだと、思えるようにもなっていた。

 ここで笑っている少年たちも似たような想いを抱いているのだろう。それが聡の気持ちを鎮めてくれた。聡は何の気遣いもなく笑うことができた。

 櫂のひと言が、その安息をぶち壊すまでは──

 食事を終えて聡と麻柊がみんなにお茶を入れると、それを受け取ってひとくち口にしてから櫂が言った。

「なあ秀蓮。今夜は俺の部屋で寝ろよ。俺は寝袋を使う。聡、おまえも久しぶりに今夜はベッドでゆっくり眠れよ。な」

 櫂の慈愛に満ちた瞳に嘘はない。秀蓮との話が目的だとしても、まともに寝ていない聡を気づかってくれていることは十分にわかっていた。それでも、突然の話に聡はうろたえた。杏樹とふたりきりになりたくはなかった。『マリア』から話を聞き出すのだって嫌なのに、秀蓮がいてくれないのは困る。杏樹の態度が急変したら……聡は秀蓮にゆっくり目を向けた。

「そうだな。聡、お言葉にあまえよう」

 微笑んだ秀蓮の口から出た言葉に、聡は狼狽を隠せなかった。

「僕はベッドなんていらないよ。秀蓮いっしょにいてよ!」
「ぐほっ!」

 勢いよく立ち上がった聡の椅子が倒れそうになり、隣に座っていた透馬が慌てて椅子を押さえた。
 櫂がお茶を吹いた。「あち、あちっ、あちっ」茶器を倒し、慌てた櫂の横で流芳が急いで零れたお茶を布巾で拭いた。
 周りの少年たちも何事かと見ていた。
 我に返った聡は「あっ……」と口をおさえ、気まずそうにゆっくりと腰をおろした。
 
 櫂がお茶にむせながら、聡と秀蓮の顔を交互に見て口を拭う。

「おまえたちって……そうゆう仲なの? なら邪魔はしないよ」 

 透馬が顔を赤らめ、聡と秀蓮から視線を外す。流芳と麻柊は二人で顔を見合わせ、明らかに動揺している聡を同情的な目で見ていた。

 秀蓮が思わず吹いた。

「誤解されるような変な言い方するなよ、聡。もう傷は心配ないよ」それから櫂に向き直り「寝袋持って行くよ」と涼しい顔で立ち上がった。



 食堂からの帰り、流芳と麻柊がしょぼくれて小さくなっている聡の肩に手をかけた。

「杏樹と何かあったんじゃない?」

 ふたりは本気で心配してくれているようだった。そのとき、聡の目に食堂から出てくる杏樹の姿が映った。杏樹は数人の少年たちと笑いあっている。夕べあんなことを言われて、こちらは気を揉んでいるというのに、杏樹は実に楽しそうだ。秀蓮と櫂の会話も弾んでいる。

「そんなこと、ないよ」聡は「ははは……」と、力なく笑った。

 部屋に入ると秀蓮は寝袋と書類を用意していた。聡は恨めしそうに秀蓮を睨んだ。

「そんな目で見るなよ。『マリア』はおまえを信頼してる。僕がいないほうが彼女も話しやすいだろう。それに、僕も櫂と話があるんだ。じゃあな」

 そう言って聡の肩を叩いて秀蓮は部屋を出ていった。入れ違いに杏樹が入ってきたので、聡は急いで着替えを手にして逃げるように浴室へ駆け込んだ。


「いろいろとありがとう。ちゃんとお礼を言っていなかった」

 寝衣に着替えた秀蓮が、ベッドの上、壁に背もたれて言った。

「俺は別に何もしてないよ。寮のおばちゃんが何でもやってくれる」

 櫂は、談話室のものと勝手に取り替えたふかふかのソファに身を沈めていた。

「まあ、いきなり知らない奴からおまえの名前が出てきて、こんな書類を渡されたのには驚いたけどね」
「悪かった。もしも僕が捕まったときの最後の手段だったんだ。逃げられるはずだった。まさか銃を持ってるとは思わなかった」
「それなんだが、民間企業の警備で銃なんか、ふつうは所持しないだろう?」
「──あれはカンパニーの社員じゃない。警備会社の人間でもない」

 櫂は睨むように秀蓮を見て言葉を待った。

「訓練された軍の人間だ」

 櫂の眉がぴくりと動く。

「軍? KMCのうしろには玖那軍が、つまりは玖那政府がついてるってことか?」
「うん、KMCから手を組んだわけではないと思う。警備員の行動を『カンパニーの意図するところではない』と、僕を助けたKMCの男が言っていた。嘘ではないと思う」
「玖那政府の目的はエネルギーか? それとも……おまえどう思う?」
「僕に聞くなよ。わかってるんだろう?」

 そう言って秀蓮が片方だけ口角を上げた。

「これ」秀蓮が書類をベッドに投げるように置いた。「これを見る限りでは、KMCのエネルギー開発には問題はないのかもしれない」

 秀蓮の顔が暗く沈んだ。「でも、間違いなくKMCとは関係があるはずだ」

 秀蓮はあごに手をあて、うつむき加減にくちびるを噛んだ。

「KMCは自分でも関係あると認めてンだろう?」

 声を低くした櫂の言葉に秀蓮は顔を上げた。

「だから政府までが出てきた。──この俺たちの健康診断。ご丁寧に毎年二回もやってるんだ。こんなに分析した細かいデータがなぜ必要なんだ? この水質検査だって環境のためにここまでやるか?」

 二人は顔を見合わせて押し黙った。

「あいつらも必死で探してるはずだ。俺たちがこうなった原因を。やつらよりも先にみつけないとな」

「いいのか?」
「何が?」
「興味ないんじゃなかったのか?」

 秀蓮が意地悪い口調と裏腹に笑う。

「乗りかかった船だ」

 櫂があきらめたように両手を上げた。

「なあ櫂、聡をしばらくここにおいてもらえないか? 調べたいことがあるんだ。それから櫂の盗ってきてくれたあれ。僕にもわからない数式ばかりだ。知り合いに調べてもらう」

「それは構わないが、あいつには言ってあるのか? おまえ、あいつに自分のこと話してないだろ? おまえが捕まっちまって、あいつ相当心配してたぞ。銃を突きつけられたなんて俺は知らなかったから、助けに行くなって言っちまったンだ。可愛そうに。──あいつ、おまえにずいぶん懐いてるじゃないか」

 櫂がくっくと笑った。

「何も話さないでおいていったら、あいつまた泣きつくぞ」
「ああ、わかってる……。だけど、聡はまだ十四歳だ。自分のことも知ったばかりだ。面倒に巻き込みたくない。でも……大人にしてやりたいんだ」

「──そうだな」

 静かに言った秀蓮に、櫂はゆっくりとソファに体を沈めた。

君の声は僕の声  第三 8 ─ふたつの優しい時間─

君の声は僕の声  第三 8 ─ふたつの優しい時間─

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  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-01-01

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