魔法少女の末裔
妹はツインテールをやめた
艶のある真紅のローファー、つま先はふっくらとしていて、少女のキュッと引き締まった足首を際立たせている。靴から伸びるのは鳥の羽のように無駄のない美しい脚線。健康的な太ももを取り巻くカボチャ型をしたピンク色のスカート。その縁を彩るフリルは幾重にも層を成して、肌を上品な贈り物のように優しく包んでいる。細身の腰周りをした純白のシャツ。その胸元にあしらわれたプックリとした形の空色リボン。ちょっぴり幼げな口元。キラキラの瞳。ハートマークの髪留めから伸びる黄金色のツインテールが風になびいている。
すべすべの手に握られているのはもちろん、色とりどりの宝石が散りばめられた魔法のステッキだ。
思い描いた魔法少女が今、目の前にいる。魔法少女はこうあるべき、いや、こんな魔法少女が現れてほしい。ずっとずっと、そう想っていた。けれど、その理想の全てが詰まった存在を目の前にしながら、俺は絶望のどん底にいた。なぜかって、その魔法少女は紙の上に描かれたイラストだから。そして、それを妹に見つけられてしまったから。
「な…何これ…おにいちゃん…」
理想の魔法少女(紙)は、妹に汚れた洗濯物をつまむような持ち方をされ、俺の目の前にぶら下がっている。紙を持つ手がぷるぷる震えている。頬は真っ赤だ。まずい、妹が本気で怒っている状態。
十六年間生きてきて、妹に『恥ずかしいものを見られる』ことは何度も経験してきた。『魔法少女のイラスト』ぐらいどうってことはない、と言いたい所だがこいつはレベルが違う。ただの絵じゃない、俺が自分で描いた魔法少女だ。筆を走らせ理想を思い『描いた』自家製の女の子。
それだけに止まらない。きっちり中の設定まで描き込んでしまっていた。中とはそう下着だ。パンティーだ。ブラジャーだ。
夜中に描き始めたのが仇になった。走り出したら止まらなかった。初めは名前や好物、口癖などのプロフィール、続いて必殺技。そこで止めておけば、まだ重症で済んでいたのに、こだわりが加速してしまった。鼻息荒く机に向かって『リボン付き水色しましま上下お揃い下着設定』を描き込んでいたあの時の俺、まじ殴りたい。
冷静になって何度も焼却処分の候補に上がったのに、完成度の高さゆえに捨てずに残してしまった黒歴史。親や友達でも十分致命傷なのに、よりにもよって妹に見つかるなんて。最悪だ。最悪な理由、それは髪型。
改めて妹を見る。イラストの少女と瓜二つのツインテール。ほぼ毎日しているお気に入りのヘアスタイル、同じくお気に入りのハートマークの髪留め。不幸な一致。
「何…これ…」
「あ、いやこれは…ちがうんだ…」
お前の髪型からインスパイアを受けた訳じゃない!決してお前を描いた訳じゃない!そう言いたかったのに、三角関係の修羅場に直面した情けない浮気男が口にするような言葉しか出てこなかった。
頭の中ではこの絵を描くきっかけになった魔法少女アニメの魅力が早口で展開されていた。
実はその髪型は『焼き菓子魔法少女めるん』の主人公『めるんちゃん』を参考にしていてさ。その『めるん』っていうのは日曜の朝にやってる、いわゆる女の子向けのアニメなんだけど、ストーリーがよく練られていて、高校生の俺が見てもすげえ面白いんだよ。その子が作るお菓子は武器になるだけじゃなくて、それを食べた友達や周囲の大人の心を癒してあげたりもするんだ。熱い戦闘だけじゃない、まったりも癒しも感動も、とにかく全てが詰まっている作品なんだ。お菓子をストーリーや商品展開に上手く絡めていてさ、お菓子だけに『美味く』『カラメル』なんて…。
『ショックな場面に遭遇して頭が真っ白になる』なんてよく聞くけれど、こんな状況でも魔法少女の魅力を熱く語ろうとフル回転する俺の脳みそって一体…。ああ、なんで魔法少女になるとこう、止まらなくなっちまうんだ、ちくしょう…。後悔と諦めが混じったため息が漏れた。
妹はもう目の前にいなかった。残されたのは床に落ちた理想の魔法少女(紙)だけだった。
結局、髪型もろもろの弁解はできなかった。まあ話したところで聞く耳を持ってもらえる可能性は、ほぼゼロだったろうけれど…。
その日を境に妹はツインテールをやめた。そして俺を『おにいちゃん』と呼ぶこともやめた。そして俺は妹から新しい称号『キモにぃ』を授かった。
二人旅
高校二年の夏休み初日、俺は妹の香奈と新幹線の中で肩を並べて座っている。窓の外は快晴。遠くの景色は夏の車のボンネットに落としたアイスクリームみたいにゆっくりと形を変え、時々ビルの看板なんかが一瞬で通りすぎていく。
父方の爺ちゃん婆ちゃんが住む田舎への一泊二日の小旅行。いつもなら、おやじとおふくろ含めた一家四人で帰省するところが、今回に限ってなぜか『二人だけで来なさい』と爺ちゃんが言って、この状況になった。その理由を何度か聞いたけれど、結局『大事な話がある』ということしか教えてもらえず、ぼんやりした疑問という余計な荷物も抱えたまま向かっている。
香奈は俺と二人きりなのが気に入らないらしく、玄関を出る前からずっとアヒルみたいなブーっとした口をしている。今も同じ唇のまま頬杖をついて窓の外を眺めている。妹のご機嫌度はブーたれ口、顔を赤くする、手をぷるぷるさせる、の順で悪くなる。今はさしずめ『あーあ、せっかくの夏休みなのに、なんでキモにぃと二人っきりで出かけなきゃいけないんだろ…』な所だろうか。
同じ屋根の下で暮らしてきて学んだこと、妹のご機嫌が傾きかけている時は甘いものでフォローせよ。
俺は昨日のうちに買っておいたお菓子をバッグから取り出す。
「なあ、香奈これいるか」
「…なに?」
香奈はジトっとした目つきで差し出されたマシュマロと俺を交互に見つめる。そして、ひったくるようにそれを取った。野生の猛獣にでも餌付けしてるような気分だ。
香奈がマシュマロを口に入れ、窓の外に視線を戻す。少し高めで結んだポニーテールが犬のしっぽみたいに揺れた。
髪型を変えるのが香奈の最近のマイブームだ。洗面所の鏡の前で格闘しているのを時々見かける。盛ったり、結ったり、まとめたり。たまに変な時もあるけれど、どれも似合ってるから不思議だ。でも頑なにツインテールにしないあたり、俺との溝はまだ埋まっていないらしい。あの『兄直筆魔法少女イラスト事件』から一年経った今も、呼び方は『キモにぃ』のままだ。
あれから俺は『面倒見のいいお兄ちゃん』へランクアップしようと決意した。でも香奈から突っかかるような言葉が飛んでくると、俺もついムキになって打ち返してしまう。今日も駅でお土産を選ぶ時にやらかしてしまった。可愛いという理由でウサギのクッキーを選んだ香奈と無難という理由でいろんな味が選べる煎餅を選んだ俺。二十分近くドンパチをしたあげく、婆ちゃんが卯年だからという意味不明な理由で最終的に香奈に軍配が上がった。そうやって会話の選択肢を間違えているうちに、俺はいつのまにか『鬱陶しい口げんか相手』にクラスチェンジしてしまっていた。本当は昔みたいに仲良くなりたいと思っているのに…。
魔法少女断ちをするのが一番の近道だというのは分かっている。でも、それだけはどうしてもできなかった。一度試したことはある。二日目で魔法少女が枕元に立った。当時俺が一番ハマっていた『魔法少女コジカ・マジカ』の主人公『バンビ』ちゃんが、寝ている俺の布団の上に正座で乗っかってきた。窒息しかけた。良い夢だったけれど香奈が『寝言がうるさい!』と言って部屋に駆け込んできて俺の頭をひっぱたく事になってしまった。妹の安眠の為にも俺はあえて魔法少女を自重しない道を選んだ。といった訳で魔法少女熱はもう本能と思って自分でも諦めている。
嫌われた元凶を抱えつつ何とか頑張ってきたここ一年。だから今回の帰省の話は正直嬉しかった。香奈との距離を縮められるいい機会になると思ったから。
事前に書き貯めておいた『香奈との弾む会話ネタ』を確認しようと携帯を取り出すと、メッセージ着を知らせるランプが光っていた。開いて中を読む。
哲也:『かなちゃんの夏休みの予定教えてたもれ!!』
ただいまクラスで謎の大流行を果たしている、お願い事をする時の語尾「たもれ」
教室で俺の真後ろに座っているあいつからだ。
俺:『しらねえ』
哲也:『部活以外のプライベートの予定聞いてたもれ!』
俺:『いやだ!』
哲也:『そこを何とか!お兄様!!!』
俺:『お前にお兄様と呼ばれる筋合いはない!』
妹にすら呼んでもらえてないってのに…。
高橋哲也。高校からの友達、同じ帰宅部仲間。部活に入っていない奴は他にも何人かいるが、こいつとはなぜか馬が合ってよく喋るようになった。
毎度、哲也が考えてくる下らない企画にツッコミをいれたり、たまに加担したりしている。最近だと『クラスの女子が使っているシャンプー大図鑑』や『本の貸し出し履歴を分析して文学少女の性癖をずばり当てる』なんてのがあった。調べてどうするんだと言いつつ、文学少女の企画は半分興味があってつい協力してしまった。
学年が変わって以降、こいつから届くメッセージの大半は妹の近況を伺う内容になっていた。
一つ下の香奈は今年から俺と同じ高校に通い始めた。九条というちょっと古風な苗字もあってか、俺たちが兄妹だということはすぐ周囲に知られるようになった。単にそれだけなら『ふーん』ぐらいで済んでいたんだろうけれど、最近は俺を九条塔矢ではなく『香奈ちゃんのお兄さん』として認識している奴の方が圧倒的に多い。妹はモテる。香奈目当てで新入生はおろか二、三年生まで押し寄せて、潰れかけの美術部が息を吹き返したのを知った時は正直驚いた。
そういった訳で週一ぐらいで色んな奴から『かなちゃんの…』とか『かなさんについて…』とかそういう文面で始まるメッセージが届く。
隣に座る香奈の横顔をちら見する。まあ正直、人気があるのも分かる気がする。仏頂面をしていてもそう思う、兄バカかもしれないけど。
哲也に適当な返事を送ると、また別のメッセージが届いた。
佐登美:『かなちゃんのスリーサイズ教えてたもれ!!』
『女子が書く内容じゃねえぞ!』と思わず口からツッコミが飛び出しそうになった。
今度は哲也の悪友、泉佐登美からだ。良く言えば開放的、でもいきなりこんな文面を送りつけてくるあたり、変態といった方が正しいかもしれない。
黙っていれば美人なんだけれど、本性はこの通り残念な方に曲がってしまっている。
哲也の『クラスの女子が使っているシャンプー大図鑑』の企画を完成に導いた立役者、もとい暗躍者。
こいつも妹にご執心で、哲也と一緒に『香奈ちゃんについて何か調べよう』なんて会話を耳にした時はリアルで頭を抱えそうになった。
俺:『教えねーよ!』
佐登美:『かなちゃんの写真たもれ!至福の私服写真!』
俺:『やらねーよ!』
佐登美:『わかった!じゃあ百歩ゆずって入浴中の写真でゆるしてやる!』
俺:『何が分かったんだよ!!』
佐登美:『私のすけべえな写真と交換でどう?』
ツッコミが間に合わねえ。『すけべえ』ってなんだよまったく。実は女子高生の着ぐるみを着たオッサンなんじゃないかと時々疑いたくなる。佐登美の背中にファスナーが付いていても俺は多分驚かない。
ふいに水泳の時に見た佐登美の水着姿が頭に浮かんだ。結構スタイルが良かった。あの胸だと水の抵抗で泳ぐの大変だろうなとか、やっぱり肩こりが悩みか、なんて哲也とプールサイドで馬鹿話してたっけ。佐登美のノリなら本当にちょっとエッチな自撮り写真とか送ってくれたり…。
いやダメだダメだ!手にしたマシュマロのせいで妄想に拍車がかかりそうになる。心が揺らいじまった…。
たとえクラスメイト女子の肌色多め写真が目の前にちらついたとしても、大切な妹を売る訳にはいかない。それに一度要求が通ったら内容がエスカレートするのは目に見えている。俺はセクハラ大魔神に懇切丁寧なお断りの返事を送った。
俺:『死ね!』
送信とほぼ同時に折り返しが届く。ゾンビのイラストだった。寒気がして思わず周囲を確認してしまう。まあ、いる訳がないとホッとしたのもつかの間、更におぞましい追撃が届いて携帯が震えた。
佐登美:『かなちゃんのパンティおくれ!!』
だめだこいつ。ため息が漏れた。ひとまずパトカーのイラストを送って反撃しておいた。
変態の魔の手から妹を守るべく携帯越しに悪戦苦闘していると、香奈が服の袖をくいくいっと掴んできた。
「おかわり」
袋ごと全部渡してやると、見開いた目が少しキラッと輝いた。
香奈が最近はまっているブルーベリー。この味のやつを選んで正解だったみたいだ。
よく見ると、もうアヒルみたいな唇はしていなかった。
「なにじろじろ見てんの」
「いや、何でもない。それ俺にも一つくれよ」
「…はい」
香奈がマシュマロを一つひょいっと投げてよこした。
手に取って口に入れると柔らかい甘さが広がった。
景色は次第に山がメインになっていく。
そういえば香奈とこうして二人きりで出かけるなんて初めてかもしれない。
列車が何回めかのトンネルに入った。窓ガラス越しに香奈と目が合う。お互い同じタイミングで視線を外してしまった。
お出迎え
「やっぱでけえ…」
門構えを前にして『懐かしい』より先にこの感想が出てしまった。
爺ちゃん婆ちゃんの家に来るたび毎回この言葉を言っている気がする。安土とか桃山なんちゃらの茶碗や刀が出てきてもおかしくない和の豪邸。家というより屋敷だ。実際、蔵なんかもあるし本当にお宝が眠っているかもしれない。よく知らないけど。
それにしても、うちのご先祖さんは一体何者だったんだ。
「おっきい…」
香奈も同じ感想だった。
二人とも呼び鈴を押すのも忘れて、まじまじと眺めてしまった。
まだ身長が今の半分くらいしかなかった頃のことをふと思い出した。
香奈と二人でこの屋敷の中を走り回って遊んでいた。俺は右利きで香奈は左利き。二人とも利き手に一番お気に入りのおもちゃを握りしめ、逆の手をお互いガシッと繋ぎ合っていた。それが冒険する時のいつものスタイルだった。最後は玄関を飛び出して裏山にある神社へ続く長い石段を全力疾走、狛犬がラスボス役だった。神社は確か守鉄姫とかいう名前だったはず。もしかしてこの山全体も代々伝わる土地だったりするんだろうか。
思い出にふけっていると、婆ちゃんが出迎えに出てきてくれた。
「おお、香奈。元気にしておったか。べっぴんさんになったのう」
「おばあちゃん!久しぶり!!」
道中とは打って変わって、ひまわりのような笑顔になる香奈。片手にペットボトルでも持たせれば、そのまま清涼飲料水のCMにいけそうだ。雲ひとつ無い青空と照りつける真夏の太陽のせいか、そんなことを思った。頬を伝う汗も純度百パーセントのダイヤモンドみたいにキラっと輝いてみえる。
ひとしきり香奈と話し終えると、婆ちゃんが笑顔で俺に話を振ってきた。
「ところで塔矢はもう彼女はできたんかい?」
「ま、まあ別に」
「まだおらんのかい?」
「ま、まだいないよ、ははは…」
来るだろうなと予想していた質問にぼんやりした返事をした。『まだ』とは言ったけれど予定は未定。俺の携帯のスケジュール帳に女子の名前が載るなんてことは、まあまず無いだろうな。
「でも仲がいい子ぐらいはおるんじゃろ?」
「ま、まあね…」
ああもう、しつこいよ婆ちゃん。彼女いるいないトークは、投げる方は楽しいけど受け取る方は地味にダメージにあったりするんだよ。『週末何してる?』とか『趣味は?』の質問に『魔法少女』と答えられずに『いろいろ』とか『探し中』のような煙幕を炊いて逃げている俺。必然、女子との会話に花が咲くはずもなく。交わす言葉は大抵大きめの付箋一枚でおさまる量で終わってしまう。
最近は妹繋がりでやりとりする相手が増えて、嬉しいような、困ったような状況ではあるが…といってもその相手の大半は野郎共なわけで…。
この手の話題はいつも適当に期待を持たせるような事を言って取り繕っている。ああ、暑さとは別の意味で汗が出てきそうだ。
少々いたたまれず視線を外すと香奈がブーたれ口になっていた。
「キモにぃ、仲いい子いるの?」
「別に、い、いなくもねえけど」
「ふーん、同じクラス?」
「ま、まあ、そんなとこ」
「なんて子?」
佐登美の顔が思い浮かぶ。唯一よく話す女子。でも肝心のターゲットが俺じゃなくて香奈なんだよな、残念ながら。中身の方も残念な感じだし、エロおやじ的な意味で。
「別に誰だっていいだろ。それ知ってどうするんだよ?」
「え?…えっと………えっと………そんなの関係ないじゃん!」
「それはこっちのセリフだ。そういう香奈はどうなんだよ?」
「え?私!?い…いな……い…る…ら…ない」
「なんじゃそりゃ…」
いるのか、いないのか、どっちなんだ。それとも『いらない』のか。訳が分からない、まったく。
「うるさい!キモにぃのクラスの人みんなに…マジカル趣味ばらす!それで解決!!」
「うげっ……す、すみません、やめてください死んでしまいます」
「ふん!」
魔法少女LOVEなことを悟られないよう、毎日がミッションの学校生活を送っている俺を一発でノックアウトする言葉、伝家の宝刀『マジカル趣味』
香奈がこの言葉を覚えて以降、兄妹げんかは毎回俺が白旗を上げて終了している。
でもなんで急に不機嫌になるんだ?せっかくキラキラの笑顔になってくれたと思った矢先にこの落差。時々、香奈の考えてることが分からない。
原稿用紙一枚分くらい女子と話せるようになったら、距離感っていうのも、もっと掴めるようになるんだろうか。
「二人とも相変わらず仲良しじゃのう」
「全然仲良くなんかないよ!聞いてよおばあちゃん、キモにぃ高二にもなって今だに魔法少女のアニメだとか…」
「だーー!!待て待て!そういうのは個人情報だから!保護の観点でコンプライアンスだから!!あ!それより犬飼ってたよね、あの黒い柴犬の!名前クロだっけ?いくつになった?それより爺ちゃんどこ?」
爺ちゃんと可愛い愛犬クロを大慌てで召喚した。
おかげで香奈の機嫌はまたひまわり色に戻ってくれた。
全員の元気な様子を見て少しほっとした。
のほほんとした天然キャラの婆ちゃん、屋敷に負けず劣らず髭と和服が似合う威厳のある爺ちゃん。前に会った時と変わっていない。違うといえば可愛がっている愛犬が少し大きくなったくらいか。
大事な話と聞いて何やら深刻な内容を想像していたけれど、大方俺たちを呼ぶための口実だったんだろうな。
「そういえばー、私たちに用があるって聞いたんだけど…」
香奈も気になっていたようで、クロを撫でながらさりげなく爺ちゃんに質問する。
「うむ、そのことじゃが。夜ゆっくり話すことにしようかの」
「うーん、分かった…。それより早く家入ろう。こんな日差しの下にいたらみんな干からびちゃう。そうだ!お土産買ってきたんだよ…」
爺ちゃんの返事を聞いた香奈の顔に一瞬心配の色が見えた。俺も香奈と同じ顔色をしていたと思う。爺ちゃんの声色がちょっと真剣な様子だったから。
どうやら俺たちに大事な話があるっていうのは本当らしい。
大事なお話
夕飯と風呂を終え、俺と香奈は爺ちゃんの自室に通じる縁側を歩いている。フローリングとは違う、時々ギシッと音を立てる古い木の板の踏み心地。草の香りの混じった夜風が流れて、風呂上がりの熱を少し冷ましてくれた。車の音がしない静かな田舎の夜。
「なあ、香奈。大事な話って何だと思う?」
「知らない」
「お宝の相続とかかな?爺ちゃんいくつだっけ?」
「縁起でもないこと言わないでよ」
「香奈は蔵の中って見たことあるか?」
「無いけど。でも、そういう話だったらお父さんとお母さん呼ぶでしょ普通」
「だよな」
文化財みたいな家を持っているとはいっても、伝統芸能を代々受け継いできたような家系じゃない。俺も香奈もいたって普通の高校生だ。
ふすまを開けて部屋に入ると、爺ちゃんが正座で待っていた。いつも以上に背筋がまっすぐとしていて、その姿勢だけでこれから始まる話が真剣なものだと分かった。緊張感が増す。
「お前達に見せたいものがある。いや、見せねばならぬものだ…」
俺たちが座ると、そう言って爺ちゃんはおもむろに立ち上がった。そして床の間へ近づき、柱に彫られている家紋を押した。するとズズっという音がして隅の畳が持ち上がった。
そして、その下から大事そうに何かを取り出してくる。お札も箱書きも何もないまっさらな木箱だった。
呆気にとられた。忍者屋敷かよ。こんな隠し方するなんて、値打ちものというより呪われた品って香りがプンプンするんだが。
「何が入ってるの?おじいちゃん」
香奈が少し訝しげな声で質問する。
「うむ、九条家に代々伝わるものじゃ。よいか、これからお前たちに見せるが、決して手を触れてはならんぞ」
爺ちゃんはそう言って、俺たちの前に箱を置き、蓋を静かに持ち上げた。中は光沢のある紫の布に包まれた棒状の何かがある。慎重な手つきで布を開いていく。中にあったものは…。
魔法少女のステッキだった。
砂糖菓子のような乳白色の棒の先に金色の大きな星型のエンブレム。先端に天使を思わせる丸みをおびた小さな羽がぴょこんと付いてる。ラブリーでマジカルなステッキが、畳の上に置かれた木箱の中で、とてつもないオーパーツ感を放っていた。
溜まっていた眠気が一気に吹き飛ぶ。ステッキと爺ちゃんの顔を三度見した。真剣な表情をまったく崩していない。
隣で正座している香奈も呆気にとられている。どうやらこれは俺だけが見ている幻覚ではないらしい。
これって、スイッチ押したらピコピコ鳴ってチカチカ光るやつだよな。トイなんとかっていうオモチャ屋さんとか、日曜朝の女の子向けアニメのCMとかでよく見る。うん、よく見る。毎週欠かさず見てる。
でも何か違和感がある。国内外ありとあらゆる魔法少女をチェックしてきた俺の脳内データベースに検索をかけても、これにヒットするものが一つもない。ストーリーの無いただのオモチャのステッキだって守備範囲なのに。手作りの一点ものか?よく見ると素材も高級そうな…。
「触れてはならん!」
爺ちゃんの一喝でびくっとして我に返る。俺は知らないうちに見せられたステッキに向かって手を伸ばしていた。
「塔矢の力は薄いようじゃな。まずは魔法少女についてお前達に…」
話を始めようとする爺ちゃんを遮るように香奈がゆっくり立ち上がって、こっちを向いた。顔を真っ赤にして手をぷるぷるさせている。
「キモにぃ…あんた、おじいちゃんに何したの!?」
「え?ま、待て!な、なんのことだ!?」
「マジカル趣味!一人でコソコソ楽しんでるならまだしも…よりによってお爺ちゃんに感染させるとか!!」
「待て!俺は断じて何もしてない!…ていうか俺の生きがいを病気みたいに言うなーー!!」
思わず立ち上がって言い返してしまう。完全にとばっちりだ。
「ごめんね、おじいちゃん。キモにぃに何か変なこと吹き込まれたんだね。今日はもう遅いから、明日になったら病院行こう。ね?そうしよう」
香奈がなだめるように話しかけている。おいおい、俺を病原菌みたいな方向で話を進めようとするな。
「まあ、落ち着いて座りなさい二人とも。驚くのも無理は無い。九条家は代々、魔法少女の家系なのじゃ」
「「…はい?」」
爺ちゃんの衝撃発言に思わず返事がハモッてしまった。
俺は魔法少女が大好きだ。でも今まで一度だって爺ちゃんに同族の匂いを嗅ぎつけたことはなかった。本当に寝耳に水の話だった。
爺ちゃんの出すあまりに落ち着き払った空気に、俺たちはひとまず座り直して話を聞くことにした。
「悪しきものを祓い、陰ながら平和を守る存在、それが魔法少女じゃ」
「は、はあ…」
とりあえず相槌を打つ。
香奈は黙ったままジトーっとした目つきをこっちに送り続けている。唇がアヒルの形になっていた。
「ご先祖様の活躍によって、世の中は魔法少女を必要としない平和なものとなった。しかし、問題が一つ残ってしまった。それがこのステッキじゃ」
「問題って…」
「うむ、これを手にすると魔法少女の力を振るいたくなる衝動に心が支配されてしまう」
「妖刀…みたいな力ってこと?」
「そうじゃ。魔法少女としての役目を終えた九条家は代々これを守ってきた」
「そ、そうか…」
手にした人間の心を支配して人斬りに変えてしまう、そんな日本刀の話なら聞いたことがある。でも魔法少女ステッキ版と聞いても、小学校前の女の子が『えいっ!』とか『マジカルチェーンジ!』とか言って真剣にごっこ遊びしてる姿しか思い浮かばない。
それにしても爺ちゃんの声色に冗談が混じっていない。正直そっちの方が驚きだ。爺ちゃん本当にぶっ壊れちまったのか?
「九条家の使命はこのステッキを守る事だけではない。仮に取り憑かれた者が出た時は、魔法少女に変身して封印せねばならん。そのためのステッキもある。しかしもう夜道は危ない。それを祀っている場所については明日、案内する」
「お、おう…」
それから爺ちゃんは魔法少女としての力は隔世遺伝で、次は俺たちの代だとか、そんな事を淡々と語った。どうやら『魔法少女の力が無いと見ただけでこのステッキに取り込まれてしまう危険がある』らしい。俺と香奈だけを呼んだ理由はそれだった。正直手の込んだ設定としか思えなかった。
ひとしきり話を聴き終え、俺と香奈はそれぞれの寝る部屋へ戻った。頭に大量のはてなマークを乗せることになったせいか、二人とも帰りの足取りは重たかった。
明かりを消そうと電灯の紐を掴むと、香奈が隣の部屋から自分の布団をずるずると引っ張ってきた。
「何してるんだ?」
「田舎だし、夜にオオカミとか出てくるかもしれないじゃん。キモにぃを隣に置いて囮にする」
「まあ、好きにしろ」
妹に頼りにされる立派な兄になれて嬉しい限りだ、ということにしておいた。爺ちゃんのヘビーな話を聞いて正直疲れていた。『お化けが怖いんか』なんて茶々を入れる気力は湧いてこなかった。
布団に入ってしばらくすると、香奈が暗闇の向こうから話しかけてきた。
「ねえ。本当にキモにぃがおじいちゃんに、何かした訳じゃないんだよね」
「してねーよ」
「あの話本当だと思う?」
「まあ嘘、だと思うけど…」
「ところでキモにぃはさ…魔法少女の事ってどう思ってるの?」
「どうって?」
「可愛い?それともかっこいい?まさか、憧れとか?」
「うーん、全部かな。悪いことに目を背けないで、正面から立ち向かって、そして成長してく。それだけじゃなくて、単純に可愛い子を前にした時のキュンってときめく感じとか、応援したくなる気持ちもあったりしてさ。ヒーローでもあり、アイドルでもあるって感じ」
しまった、思わず語っちまった。魔法少女のことになるとつい熱が入っちまう。
「ふーん、そっか」
俺の話をやけにすんなり聞く香奈に少し違和感を感じた。大体このへんで香奈からトンがった返事が来て、それをゴングに口げんかスタートするんだけれど…。
香奈も話し相手が欲しかったって所なんだろうな。『爺ちゃんが魔法少女の妄想に取りつかれた』なんてメールや電話、友達にはできないもんな。
でもあの話が本当だとしたら、俺の魔法少女熱もマジで生まれついての本能ってことになるのか。そんなことを考えたりしていると、目を閉じてもなかなか眠りに落ちていけなかった。なんだか夢に魔法少女が出てくるような気がした。
変身
犬の鳴き声で目が覚める。薄ぼんやりした意識で枕元の携帯を手さぐりで取って時間を見た。まだ三時半。この鳴き声、クロが吠えてるのか?割と大人しい性格だったはず。まさか本当に野生の動物が来ているとか?
隣の布団を見ると香奈がいない。縁側へ出て声のする方向を探す。どうやら爺ちゃんの部屋らしい。テレビでも付けているみたいに辺りがチカチカと光っているのも見える。あんな話を聞いた矢先でちょっと心配になって、様子を見にいくことにした。
近づくにつれ、ガタガタと何かが揺れるようなな音まで届いてくる。何か普通じゃない。
嫌な予感が頭をよぎった。人の心を惑わす力を持った魔法少女のステッキ。部屋から出て行った香奈。そういえば寝る前の様子が妙に大人しかった。
まさかな…あれが本物だなんてこと…
一歩ずつ不安は確信へと変わっていき、俺は部屋に向かって駆け出していた。
半開きのふすまの隙間から光の筋がうねりを上げて飛び出していた。中からの風でふすまが曲がり、今にも外れかけている。クロは庭にいて、爺ちゃんの部屋の中に向かって吠えまくっていた。
部屋の前で香奈がぺたんと座り込んでいるのが目に入った。
「香奈ぁ!!!」
「おにぃ…ちゃん」
放心状態だった香奈がはっと我に返ってこっちを見上げた。
「大丈夫か!?」
「わたしは、全然…」
よかった、何ともないみたいだ。香奈の手には何も握られていない。
予感は外れた。魔法少女姿になった香奈が頭に浮かんでいたが、寝ていた時の格好のままだ。
だとすると、部屋で一体…何が起こっているんだ?
恐る恐る中を覗いてみる。そこにいたのは。
爺ちゃんだった。
両膝をつき、あの魔法少女ステッキを右手に掴んでいる。光と風は先端の星のエンブレムから生まれていた。腕が小刻みに震えている。あれだけ触るなと言っていたステッキを自分で思いっきり掴んでいる。
「爺ちゃん!!!」
「逃げるんじゃ…わしの意識がまだ…ある…うちに……」
俺の叫びに気づいた爺ちゃんが絞り出すような声を出す。歯を食いしばり、何かを抑えるように苦しげな顔をしている。
香奈が俺の背中に手を当て、弱々しい声をあげた。
「おじいちゃんが…」
「何とかする!!」
「変な光が…」
「分かってる!何とかする!!!」
『何とかする』とは言っても何をどうしたらいいか見当もつかない。アニメみたいに頭殴って気絶させる訳にもいかない。携帯で助けを呼ぶか?警察?救急車?呼んだところで、これはもう人の力でどうにかできるレベルをはるかに超えている。
近づくことさえできず、二人とも目の前の光景をただ見つめるしかなかった。
そうだ婆ちゃん…。どうしたらいいか何か知ってるんじゃ。そう頭によぎった時。
光と風がステッキに吸い込まれるように急速に大人しくなり、そして止んだ。
クロも鳴き止み、辺りは虫の音だけの静寂になる。
部屋の中は黒く塗りつぶしたみたいに何も見えなくなった。
「止まった…のか…」
「おじいちゃん…だいじょう…」
香奈が声をかけようとした次の瞬間。
部屋の中で何かがぼわっと光った。ステッキが発光している。闇の中から亡霊のように浮かび上がった爺ちゃんは同じ姿勢のまま、時が止まったように固まっている。
突如、爺ちゃんがスクッと立ち上がり、ステッキをびしっと上に掲げた。老人とは思えない切れのある素早い動作、まるで別の何かが乗り移ったかのような…。そして目をカッと見開き、すーっと息を吸う。
何かが始まる、そんな予感がする。とんでもなく良くないことが。
爺ちゃんが年季の入った低い声で呪文のような言葉を叫んだ。
「フィーーーレ…」
「マジカ…」
「ノアーーーーーー!!!」
太陽のような暖かい光が爺ちゃんの全身を覆った。その体が垂直にすーっと浮き上がっていく。足元から吹き上がる風が服や髪をゆっくり揺らしている。神々しい光景。『成仏』という言葉が頭に浮かんだ。
突如ドンッという音が響き渡り、爺ちゃんを包む一本の竜巻が生まれ、空へと突き抜けた。天井と屋根を一瞬で吹き飛ばした螺旋の風に沿って、足元からビビットでキラキラの光の粒が溢れ、舞い上がっていく。部屋中の物が巻き込まれ、吹き飛び、ぶつかり合い、めちゃくちゃになる。落ちてきた瓦がガンガンと激しい音を立てて屋根や地面に次々激突した。
そして風が激しさを増し、キィィンという高音を発して爺ちゃんがさらに光り輝いた。
「うわっ!」
「きゃぁ!!!」
ふすまが吹っ飛ぶ。
風で倒れた俺たちに強烈な閃光が襲いかかった。
少しの間を置いて風が収まり始める。パラパラと物が崩れ落ちる音だけが聞こえてくる。目をゆっくり開けるとそこには。
魔法少女コスチュームを身に纏った爺ちゃんが立っていた。
フリル付きのニーソックス。ピンクのチェック柄のプリーツスカート。妖精の羽を思わせる腰についた巨大なリボン。純白の手袋。清楚な花の髪飾り。全身がオーラに包まれ輝いている。
衣装こそ完璧に魔法少女、でも中身は完全に爺ちゃん。どう見ても狂ったコスプレ姿にしか見えない。
今度こそ幻覚であると願いたい。そう信じたい。けれど、隣で目の前の光景に唖然としている香奈の様子を見て、今度も幻覚じゃないことが分かって愕然とした。
魔法少女は実在した。
嘘みたいな話は全部本当だった。
こちらに気づいた爺ちゃんがくるっと顔を向けた。目が光っている。そして、ずん、ずん、と一歩ずつこちらに近づいてくる。
一切無言なのが不気味さにさらに拍車をかけている。猛烈に嫌な予感がする。でも逃げようにもあまりのインパクトに俺たちは立ち上がることすらできない。爺ちゃん(魔法少女)がジリジリと迫ってくる。
クロが敵対心MAXで爺ちゃんに向かって吠え始めた。あの格好見れば当然だ。どう見ても不審者。職務質問不可避。
爺ちゃんが鳴き声に視線を向ける。
「にげて!」
香奈が叫ぶ。それでもなおギャンギャンと威嚇し続け、その場を離れようとしないクロ。
爺ちゃんは自分の愛犬にゆっくりと近づき、その頭上でステッキを無骨にブンっと振った。空中で弧を描いた星形エンブレムの軌跡に沿って、白い光の粒が生まれ、降り注ぎ、クロを包み込んだ。
「キャウぅン…」
小さな断末魔。そして体がぱたりと倒れる音がした。
嘘、だろ。倒しちまったのか。一切躊躇のない動きだった。小さい頃から可愛がっているペットに迷いなく攻撃するとか、あれはもう爺ちゃんじゃない。爺ちゃんのような魔法少女のような別の何かだ。
死んだと思ったその時、クロがむくっと立ち上がった。ぶるぶるっと体を震わせている。無事だ生きてる。
でも何かシルエットが違うような…。
「あれ、おじいちゃんと…同じだ」
香奈が異変の正体に気づいた。
クロが爺ちゃんと瓜二つの魔法少女コスチュームに身を包んでいた。目が光っている。
そして爺ちゃんがクロをガシッと抱きしめた。何十年かぶりに再会した親子のような情熱的なハグが展開されている。何が一体どうなっているんだ。
これは悪い夢だ。俺の体はまだ布団の中にあって今もうなされてるはずなんだ、きっと。そして隣で寝ている香奈が『うるさい!』と言って俺の頭をひっぱたく。それで目が覚める、はずだ。まったく、寝る前にあんな話を聞かされたからこんなことに…。なあ香奈、早く起こしてくれよ…。
現実逃避しかけた俺の頭に、ふと爺ちゃんの言葉がよぎった。
『ステッキはもう一本ある』
こんな時の為に封印のステッキがあるって、確かそう言っていた。でもどこに。
すると後ろから足音が聞こえてきた。騒ぎを聞いて起きてきた婆ちゃんが『あれまあ』と言いながらのんきな表情で現れた。
もう一か八か婆ちゃんに聞いてみるしかない。
「なあ婆ちゃん!これ、一体どうなってるだ!?」
「あらあら、どうしたんじゃ」
「こんな時のこと爺ちゃんから何か聞いてない?」
「知らんなあ…おい爺さん、この時期にクロに服着せても暑くて可哀想じゃろ…」
「いやいや、そ、それどころじゃなくて…」
目の前の光景も衝撃だが、婆ちゃんの天然ぶりも驚きだ。でもこんなところで漫才やってる場合じゃない。
「えっと、何でもいいんだ!何か大事な、特別なものを隠してある場所とか…」
「うーん…あるとすれば蔵の中じゃろな。あの中だけはいっぺんも見せてもらった事が無い…」
婆ちゃんには見せられないものを隠している場所。きっとそこだ。
俺は香奈の手を掴んだ。
クロとの熱い抱擁を終えた爺ちゃんがスッと立ち上がってこちらを向いた。
お宝発見
蔵に飛び込んで分厚い扉を閉めると、月の光も届かない暗闇になった。中は意外に普通の空気だ。人が立ち入らない場所特有のホコリっぽさがない。
安心で足から力が抜け、扉を背にして俺と香奈は座り込んだ。
まだ少し不安げな声で香奈がしゃべりかけてくる。
「おじいちゃんの話、あれ本当だったんだ…」
「ああ、妄想か作り話ならよかったんだけどな」
「うん。クロが、魔法少女に…」
「あの光を浴びたから…だよな。あいつ確かオスのはず…」
「オスとかメスとかの前に。犬だよ犬。それより早く封印のなんとかっていうの見つけて助けにいかなきゃ…」
犬ですら強制的に魔法少女に変身させる光、人間の俺たちが浴びたら…。結果は考えるまでもない。婆ちゃんも今頃…。
婆ちゃんはあの場に残った。
一緒に逃げよう促した俺たちに背を向け、爺ちゃんに向かって一人すたすたと歩いていってしまった。
「二人のように速くは走れん。ここで爺さんを説得してみる。塔矢と香奈は先に行くんじゃ」
それが別れの言葉だった。
おそらく婆ちゃんは魔法少女については何も知らなかったはずだ。でも俺たちの慌てた様子に何かを察して時間を作ってくれた。
早くなんとかしないと。
蔵の入り口は香奈が触れただけでガチリと音を立てて独りでに開いた。間違いない、ここには特別な力を持った何かがある。
立ち上がって携帯をつけると、扉の近くに電気のスイッチがあった。それを入れると蛍光灯のつく音と共に中の様子が徐々に顕わになる。
色彩の洪水が沸き起こって虹色のお花畑のような空間が現れた。右を向いても魔法少女。左を向いても魔法少女。赤い髪、青い髪、金髪、黒髪ぱっつん。ありとあらゆる魔法少女のグッズが集結している。漫画、映像、フィギュア、ポスター、抱き枕、よく見ると二次元だけじゃない、三次元のコスプレ写真まである。手間のスペースに適度に空きを作っているあたり、ここが現在進行形で成長しているのが伺える。財力、時間、そしてなによりすさまじい熱量を感じるコレクションルームだ。
ここなら何日、いや何か月、いやいや年単位だって居られる、俺なら。
「これまさか…おじいちゃんの?」
流石に香奈も俺が爺ちゃんを焚き付けたとは思っていないらしい。この膨大さは一介の高校生が集められるレベルじゃない。大人のコレクションだ。
まじまじ見回すと、大人なゲームの魔法少女のグッズまである。しかもよりによって抱き枕、天井から堂々と吊るしてあるというオマケ付き。俺がかつて描いた下着設定なんて子供のお遊びと言わんばかりの超どストレートなエロ表現。中の設定どころじゃないその先の『奥』の設定まできっちり見えてしまっている。魔法少女とあらば見境なし。ある意味清々しい、別な意味で大人なコレクション。
香奈の視界に入れたらまずいと思ったがもう手遅れだった。頬を真っ赤にして手がぷるぷる震えている。
「キモにぃ…の、どすけべ!!」
「お、俺のコレクションじゃねえから!爺ちゃんのだろこれ!!」
「こ、こ、こ、こういうの、キモにぃも持ってるんでしょ!!」
「も、も、も、持ってねえし!!」
完全なとばっちだけれど一時見惚れていた手前、大手をふって反論できないのが苦しい。それに俺も男だ。ピンク色な方面に興味が無いわけじゃない。そういうお店で、ちらっと目に止まってしまって、ふらっと手に取ってしまって、こそっとお金を払ってしまう事も無い訳じゃない。
「男のひとって…男のひとって……」
香奈が小声でブツブツ言いはじめた。やばい俺と魔法少女の株が大暴落を始めている。
ああ、やってくれたな爺ちゃん。まさか蔵の中にこんな『お宝』を隠していたなんて、全く予想外だった。
「そ、そんなことより、早く封印のステッキ探すぞ!確か爺ちゃん『祀ってある』って言ってたから…ほ、ほら、あそこの神棚とか!」
楽園を目の前にして、置かれている状況をすっかり忘れてしまっていた。この空間は俺にとっても香奈にとっても目に毒すぎる。
神棚には爺ちゃんの部屋で見たものとそっくりの木箱が置いてあった。これだと思って手にとったが妙に軽い。
蓋を開ける前から予感はしていたが、中身は空っぽだった。
もうここまでくるともう狐に化かされているみたいだった。
手から箱が滑り落ちた。
封印のステッキが無い。消えた?盗まれた?おいまさか、ここで行き止まりなのか?
二人とも仲良く爺ちゃんに魔法少女にされ、お揃いのフリフリ衣装に身を包んで新たな標的を求めて家の外へ…。
その先は想像したくなかった。
そんな未来だめだ、考えろ。
ここに駆け込む前から何か違和感が頭に引っかかっていた。何かが違う。爺ちゃんの言っていた言葉を思い出せ…。そうだ。
「香奈、ここじゃない…」
「ここじゃないって?」
「裏山の神社だ。爺ちゃんはあの時『夜道は危ないから』明日案内するって言ってた。家の敷地の外なんだきっと」
「守鉄姫神社?」
「ああ」
確証は無いが、もう考えられる場所はあそこしかない。
「ねえ、ちょっと待って…」
香奈が何かに気づいた。
「ひょっとして守鉄姫って…ステッキがなまって、そうなったんじゃ…」
守鉄姫…すてつき…ステッキ。
「あり…うる……」
「は、ははは……」
乾いた笑いが香奈の口から漏れた。
そういえば神社とセットで山の名前も漏れなく守鉄姫だった。どうやら魔法少女は日本古来の文化らしい。日本史の教科書が書き換わることになりそうだ。まさか卑弥呼まで魔法少女だった、なんて話にならないよな…。
その時、蔵の外から犬の鳴き声が聞こえてきた。クロが俺たちの匂いを嗅ぎつけている。
爺ちゃん(魔法少女)がすぐそこまで迫っていた。
手と手を繋いで
蔵の裏口からこっそり抜け出した俺と香奈は神社へ向かった。
仮にこの先で封印のステッキを見つけられたとして、俺と香奈のどちらが魔法少女になるのか。疑問はあったがひとまず頭の端に置いておく。今はただ向かうしかない。
月明かりの下、長い石段を昇る。
素足のまま飛び出してきたので、小石を踏む度に痛みで足が止まる。ただでさえ何十段もある階段。エスカレーターを逆走しているみたいだ。
「キモにぃ、遅い!何してんの!早くっ!」
「はぁ、はぁ、ま、待ってくれ…」
同じように息を弾ませて汗だくなのに、香奈はぐんぐんと先に進む。カモシカみたいな細い足のどこにあんな運動神経が宿っているんだ。
俺は魔法少女に全力を傾ける生活を送ってきたせいで運動の方はからっきし。ついていくのに必死だった。学内マラソンで550位というハイスコアを叩き出したほどだ。俺の他に550以上を出せたのは全校生徒の中でも20人未満だったはず。
やっとの思いで登りきり、本殿に足を踏み入れる。携帯を小さい懐中電灯にして二人で暗闇の中を探すと、うちの家紋が彫ってある柱があった。爺ちゃんの部屋で見たカラクリが脳裏に浮かぶ。
家紋を押すと天井板の一部がギィと音を立てながらゆっくり降りてくる。何やら十字架のようにまっすぐ立てられているものが見える。
円筒形の棒の先に大きめの丸みを帯びたハートマーク。一切塗装のない木でできた棒だが、デザインはまず間違い無く魔法少女のステッキ。これだ、見つけた。
急いでそれを掴もうとしたが、直前で手が固まる。もう俺の辞書の『魔法少女のステッキ』の項には『触ったらやばいもの』という文言が追記されていた。
香奈が俺を盾にするようにまわりこみ、背中をつついてきた。
「キモにぃ、行け!」
「俺かよ!」
「他に誰がいんのよ!お爺ちゃんが変身できたんだから、性別関係ないじゃん。こういうのはキモにぃの専門分野でしょ!」
「俺は自分が魔法少女になりたいタイプじゃなくて、見守り応援タイプなの!」
「何それ…意味わかんない…」
こんな所で口げんかしてる場合じゃない。ああ、こうなったら背に腹は変えられねえ。まさか自分が魔法少女になる日が来るなんてな。
恐る恐るステッキを掴む。しんとしたまま何も起こらない。触っただけじゃ何も起こらない、ということはやっぱりあれが必要ということか。魔法少女ステッキを手にして、まず最初にやるべきこと。そう、変身のための呪文の詠唱。
本殿の外に出る。少し強い風が吹いて木々を揺らした。
爺ちゃんがやったあれを俺もやらなきゃいけないってことか。あの時見た光景、聞こえた呪文を思い出す。あまりの衝撃映像のために脳にしっかりと録画されていた。同時に変身後の姿も一緒にリプレイされてしまう。目をつぶって心の抵抗を飲み下す。
やるしかねえ。俺は掴んだステッキを夜空に向かって掲げ、そして叫んだ。
「フィーレ…」
「マジカ…」
「ノアーーーーー!!!」
沈黙。
あれ?
もう一回。
「フィーレ…」
「マジカ…」
「ノアーーーーー!!!」
無音。
あれ?
「…香奈…頼む」
「わたしぃ!?」
「俺が変身できなかったんだから、もう香奈がやるしかない…」
「えええ!うそ!ちょっと待ってよ!」
「このまま何もしなかったら、どっちにしろ爺ちゃんの攻撃で魔法少女にされちまう…」
「魔法少女なんて、絶対嫌!!」
「もう香奈しかいないんだ。それに爺ちゃん達をあのままにしておく訳にはいかないだろ…世間的にも…」
「ぬぅ~…」
騒ぎが大きくなれば、田園風景をバックに魔法少女姿をした老夫婦と犬一匹を捉えた写真が、新聞の一面もしくはネットの面白ニュースのトップを飾る事になる。運が悪ければ俺と香奈もお揃いのコスプレ姿でその仲間に…。香奈の頭にもその光景がイメージされているようだ。
「分かったわよ!やればいいんでしょ!やれば!!」
香奈がステッキを引ったくる。そして両手で掴み、まじまじと見つめる。
少しの間を置いた後、目をぎゅっと閉じて先端のハート型のエンブレムに唇を近づける。
「ま、魔法少女に、なれぇ…」
ヒソヒソ電話のような呪文の詠唱。
沈黙。
「いや…爺ちゃんや俺がやったみたいに」
「う、うるさい…」
「恥ずかしいなら、耳ふさいであっち向いててやるから…」
「うるさいーーー!んぎぃ…もうしらない!!」
今度は火のついたロケット花火でも持ったかのようなビクビク加減でステッキを突き上げた。
「フィーレ…」
「マジカ…」
「ノアーーーーー!!!」
沈黙。
あれ?
もう一回。
「フィーレ…」
「マジカ…」
「ノアーーーーー!!!」
無音。
あれ?
半泣きに近い二回目にもステッキは何の反応も示さなかった。
「だ…だめじゃん!これ壊れてるんじゃないの!!」
「古すぎて…もう力が残ってないとか…」
「どうすんのよ!キモにぃ、もう一回やれ!!」
「いや、待て。呪文が違う、とか…」
「これ以外知らないじゃん!」
「だよな…」
その後の、俺の渾身の叫びをもってしても、香奈の泣きの一回をもってしても、木製のステッキはうんともすんとも言わなかった。もう打つ手が無いという空気が俺たちの間に流れ始めた。
その時。
「一人では力が足りん。二人の力を合わせるのじゃ」
沈黙を破って、女の子の声が聞こえた。顔を見合わせ、声の主を探して周囲を見回すが、誰もいない。確かに俺たち以外の声が聞こえた。
「変身の言葉は間違っておらん。問題は魔法少女力じゃ」
また聞こえた。すぐ近くに。少し幼さの混じる声。
「ここじゃここ」
香奈の胸元のあたりから声がする。発信源はステッキだった。
「一人では封印どころか変身することもできんぞ」
「うわっ、喋った!」
毛虫でも付いていたような動きで香奈がステッキを俺に向かって放り投げる。落とす寸前の所でなんとかキャッチした。
「これ!投げるでない!!」
「お、お前が、喋ってるのか?」
「お前などではない。わしの名はカレンじゃ。それよりおぬしら、九条家の人間じゃな?」
「そうだけど、なんでそれを…」
本当にステッキから声が聞こえている。こいつ一体何者だ。
「細かいことはいい。わしが目を覚ましたということは、非常事態という事じゃ」
「そうなんだよ。爺ちゃんが、魔法少女になっちまって…」
「星の印の付いておるステッキか?」
「知ってるのか!?」
「うむ、あれは厄介じゃ。放っておいたら大変な事になる」
「それでお前を探してたんだ。なあ、どうすればいい?」
「目には目を歯には歯をじゃ。魔法少女に対抗できるのは魔法少女しかおらん」
「でも、俺たち変身できなかったし…」
こくこくと頷く香奈と目が合う。それは今失敗したばかりだ。
「だから言うたじゃろ。お前たち二人の力を合わせるのじゃ」
「力を合わせるって…」
「二人一緒にわしを掴む。そして肉体的接触をしながら同時に変身を願うのじゃ」
「肉体的っ…」
言葉を聞いた香奈がビクっとして縮こまっりながら後ずさった。待て、今すけべえな話題は駄目だ!例の蔵を飛び出して、せっかく忘れていた頃合なのに!
「ん?香奈といったかおぬし。なんじゃ、その年頃になって手を繋いだこともないのか?」
「え?」
首をかしげた香奈の口から気が抜けたような声が漏れる。
「何を破廉恥な妄想をしとるか知らんが。肌と肌が触れ合っておればよいのじゃぞ。まあ、わしもお前たちぐらいの年の頃は頭の中はそれはもう桃色のお花畑で…」
「紛らわしい言い方するなー!」
思わず俺までステッキをぶん投げそうになった。
こいつを持ってるせいで、俺が香奈を責めてるみたいになってるし。
「まあ、とにかく早よせい!すぐそこまで気配が近づいておる!」
「ああ、分かったよ!いくぞ香奈」
何だか分からないけど、ひとまずこいつの言ってる事を試してみるしかない。
まだあたふたしている香奈の右手を掴む。焦りと恥ずかしさで、お互い手の平が汗ばんでいる。俺は指と指を交差し、固く、きゅっと手を結び直した。
香奈はまだ覚悟を決めかねた表情のままだったが、やがてゆっくりと繋いだ側と反対の手でステッキを握った。
俺たちは息を合わせ、星空に向かって変身の呪文を叫んだ。今度は二人同時に。
「フィーレ…」
「マジカ…」
「ノアーーーーー!!!」
玉砂利がカタカタと小刻みに音を立て始めた。地面の揺れが次第に大きくなる。
俺たちの体を暖かな光が覆った。
狛犬、鳥居、周囲の物体全てがすぅっと地面に沈んでいく。違う、俺たちが浮いているんだ。
息をのんだ次の瞬間、足元に生まれていた緩やかな風が、力強い竜巻になって俺たちを包んだ。髪や服がバサバサと激しく揺れる。
そして、風に沿って虹色の光の粒がキラキラと薄いガラスを割ったような音を立てて、夜空に向かって駆け抜けていく。世界中の全ての宝石が今、ここに集まってきたような光景だった。
体を包んでいた光が強さを増し、眩しさに目を閉じる。同時に体の内側から重たい水の濁流のような力が外に向かって溢れてくる。繋いだ手に力が入った。
風が次第に落ち着きを取り戻していき、俺たちは羽が舞い降りるほどの速度で着地した。
やったか?
自分の体を見る。さっきと同じ寝ていた時の格好のまま。嘘だろ…失敗したのか?繋いだ手の先を見ると。
魔法少女になった香奈がいた。
ふっくらつま先の真っ赤なローファー。かぼちゃ型をしたピンク色のスカート。きゅっと締まった腰周り。控えめな大きさの胸元にあしらわれた空色のリボン。ハートマークの髪留めから伸びるツインテール。
全身を輝くオーラが包んでいる。
この衣装、どこか見覚えがある、いや、描き覚えがある。
俺がキモにいと呼ばれるようになった元凶、あの魔法少女のイラスト。香奈がその衣装を身に纏っていた。
見た目の設定も完璧なら中の設定も…あっ………全身から血の気が引いた。
香奈は頬を真っ赤に染めている。繋いだ手から震えが伝わってきた。
「キモにぃ…妄想したら…ころす!!」
「痛ててててて」
香奈が繋いだ手の爪を鷲のようにガシッと立てきた。怒っているのか、それとも恥ずかしいのか、多分両方だろうな。いや、今回は恥ずかしさの方が百倍上か…。
高校一年まで生きてきて、兄に「恥ずかしいものを見られる」という経験を香奈もそれなりに積んできたと、思う。でも今回はレベルが違う。ただの衣装じゃない、頭てっぺんからつま先、おまけに下着まで兄がデザイン、もとい妄想した魔法少女コスチュームの強制着用。
両手が塞がっていて助かった。この状況、ガチ殴りが飛んできてもおかしくなかった。
スネ蹴りが飛んできた。
「キモにぃのバカ!ヘンタイ!えっち!!!」
「痛っ、、悪い。すまん。痛っ、、」
謝るしかなかった。今度は俺のせいじゃないと言えなかった。妹のキックを甘んじて受けるしかなかった。
ふいに香奈の蹴りが止んだ。誰かが石段を上がってくる気配がする。
星空をバックに月明かりに照らされた魔法少女姿の爺ちゃんがゆっくりと姿を表した。続いてその両脇をクロと婆ちゃんが固めている。全員お揃いの可愛らしい衣装に身を包んでいた。
現れた…。御多分に洩れず婆ちゃんも魔法少女化されている。
爺ちゃんの周りを流れるオーラは弱まるどころか、さっきよりも力強く輝き、脈動している。まずい、明らかにさっきよりもパワーアップしている。
「おい!これからどうすればいいんだ!?」
「…」
木のステッキに聞くが一切返事ない。こいつ肝心な時に何にも言わなくなっちまった。さっきのおしゃべりはどうしたんだ。
「おにいちゃん!!」
香奈が叫ぶ。キラキラの光の粒子が目の前に迫っていた。避けられない。咄嗟にステッキを前に出す。鋭いガラスの破片同士がぶつかり合うような音。透明な膜を挟むように、飛んできた光が紙一重で周囲に拡散した。
間髪置かず、爺ちゃんがステッキを振って第二波、第三波を飛ばしてくる。
両手を繋いでいるせいで、二人三脚をしているみたいに思い通りに動けない。集中砲火を浴びてその場に釘付けになる。
足元を狙った一撃が飛んできた。ステッキが届かない。咄嗟に避けようと二人同時にジャンプした次の瞬間、見えない力でぐんっと押し上げられるように、俺たちは空に舞い上がった。
景色が一変した。はるか先に米粒みたいな街の灯がぽつぽつと見える。下にはさっきまで見上げていた鳥居や本殿。ミニチュアみたいだ。少し涼しい風が頬を撫でた。
一瞬の静寂の後、早回しのようなスピードで本殿の屋根に向かって落下する。まずい!足折れる!死ぬ!!
「うおおおおおおお!!!」
「きゃあああ!!!」
ぼわん。
ベッドの上で少し跳ねた程度の衝撃で着地した。
なんともない。
心臓がバクバクいってる。二人とも言葉が出ない。繋いだ左手からも香奈の驚きと鼓動が伝わってきた。
今、物理法則を完全に無視した。
すげえ、これが魔法少女の力なのか…。
でもどうする?この先どうしたらいい?
防御はできた、回避もできた、でも攻撃ができなければジリ貧だ。
爺ちゃん達を見ると、こっちをじっと見上げている。飛び移ってくる気配はない。
「香奈覚えてるか…」
「何を?」
「この魔法少女の設定」
「なっ!い、いまそんなこと言ってる場合じゃないでしょ!へんたい!!」
香奈が内股になって俺から離れようとする。
「ち、違う!そっちじゃなくて!必殺技の方だ!」
「必殺技ぁ!?」
「香奈がその、、格好ってことは、必殺技の名前も俺が考えた設定の、はずだ」
「お、憶えてる、けど…」
封印のステッキが頼りにならない以上、俺たちでなんとかするしかない。
「ぬおおおおおおお!!!」
爺ちゃんが雄叫びをあげだした。足を開き腹の下に力を貯めるポーズをとっている。婆ちゃんも同じ姿勢、クロも威嚇体勢をとりはじめた。
全員の身に纏ったオーラが一つに重なり、力強い奔流を作りはじめている。
どう見てもとどめの一発。
いや、好都合だ。俺は香奈に作戦を伝えた。
爺ちゃんが呪文の詠唱を開始する。来た、予想通りだ。
「フィーレ…」
「マジカ…」
「今だ!!」
爺ちゃんの体が動いた瞬間、俺と香奈は全力で飛び上がった。
はるか下、俺たちが立っていた場所を貫いて光りの帯が一直線に伸びている。
二発目三発目は飛んでこない。やっぱり大技。それはつまり、俺たちに呪文を唱える時間があるってことだ。
俺と香奈は繋いだ手を握りしめ、自由落下しながら叫んだ。あの超恥ずかしい魔法少女イラストに書いた必殺技名を。
エンドロール
地面に着地する。バランスを崩してお互いの頭がゴンっとぶつかった。痛みに身悶えて、あやうく手を離してしまいそうになる。
俺たちのステッキからは極太の龍のような雷が飛び出して、天空から爺ちゃん達に直撃した。轟音と共に辺りが昼間みたいな明るさになった。必殺技は、届いたはずだ。
けれどその威力は想像をはるかに超えていた。爺ちゃんたちは一体…。
ピシっという音がした。握っていたステッキに一筋の亀裂が入る。そこから木の根のように広がったヒビは、ステッキを粉々の木片に変えてしまった。
俺と香奈はカラカラと崩れ落ちるそれを、ただ呆然と見ているしかなかった。
二人で目を合わせる。いつのまにか香奈の格好も元の姿に戻っている。魔法は解けてしまった。
爺ちゃんたちが倒れているのが目に入った。
「おじいちゃん!!おばあちゃん!!!」
香奈が手を離して一目散に駆け寄った。
全員見た目はもう元の姿に戻っている。
爺ちゃんが握っていた魔法少女ステッキは、真っ二つに割れて地面の上に転がっていた。
「おじいちゃん大丈夫?」
「おお、香奈。ここは一体」
「守鉄姫神社だよ。おじいちゃん、憶えてない?」
「何が…あったんじゃ…」
変身していた間の記憶は残っていないらしい。
婆ちゃんとクロも目を覚ましはじめる。よかった無事みたいだ。
体を起こした爺ちゃんが近くに落ちているステッキを見て何かを察した。
「わしが、あれに取り憑かれておったのか…」
「ああ、急に爺ちゃんが変身しちまって…。それで俺と香奈の二人で壊したんだ、あのステッキを。けど、封印のステッキもバラバラになっちまった」
俺は粉々になった封印のステッキの方を指差した。
「いいんじゃ…これがあるべき姿。代々うちの家系がやろうとして出来なかったことじゃ。よくやってくれた」
爺ちゃんはどこか切なそうな表情で、壊れたステッキ達を見つめながらそう言った。
「クロとおばあちゃんまで変になっちゃって…あの力って…」
香奈が爺ちゃんに尋ねる。
「うむ、それついて先に話をしておくべきじゃった。あのステッキの名はフレンドリィといって、一人きりで闘う宿命を背負った魔法少女の悲しみが詰まっておった」
「悲しみ…仲間が…欲しかったってこと?」
「そうじゃな。それもただの仲間ではない、共に戦ってくれる魔法少女としての仲間じゃ…」
それであんな力が…。
俺はその魔法少女が一体どんな子だったのかは知る由もない。けれど『魔法少女という人には言えない秘密』を抱えているという点では少しだけ気持ちが分かるような気がした。ほんの少しだけれど。
昇り始めた夏の太陽と、少しづつ呼応するセミの合唱が夜の終わりを告げ始めた。
終わったんだ。そう思った。
その時、沈黙を破って幼さの混じる女の子の声が聞こえきた。
「最悪、日本中いや世界中の人間が魔法少女にされておったかもしれん、まったく、危機一髪じゃった」
「そんな俺の生きる目標をゾンビみたいに言うな!…ってこの声は…」
どこか聞き覚えのある声。
「ここじゃここ」
ぴょこんとお座りしているクロの方向から聞こえてくる。
俺の耳がおかしくなければ、木でできたあの封印のステッキから聞こえてきた、あいつの声だ。
「お前!今までどこに…それにバラバラになって、死んだんじゃ…」
「勝手に殺すでない。まあ厳密にはもう死んでおるがの」
俺たちが変身した途端、急に喋らなくなって、そして今度はクロに乗り移っている。こいつ何者なんだ。
「おぬしらの力がわしの予想をはるかに上回っておった。ステッキが崩壊せんよう維持するので精一杯だったのじゃ。この犬っころのおかげで助かったわい」
「お前一体…」
聞きたいことが山ほどある。でも一番知りたいのはこいつの正体だ。
「カレン。花に恋すると書いて花恋じゃ。九条家の初代魔法少女、お前達の先祖じゃ」
「あの、伝説の…」
爺ちゃんが反応した。
「ジジイは知っておるようじゃの。でもまずはそこの塔矢と香奈に…」
話を遮って婆ちゃんがクロの全身を撫で始めた。
「クロが喋っとる。不思議なこともあるもんじゃ。爺さん、テレビに出れる!テレビに出れる!」
「こ、こら!撫でるでない!そんなところ触ったら、ひゃぁ…いやっ…おぬしら!このババアをなんとかせい!!!」
即順応している婆ちゃんの天然ぶりに少し唖然とした。まあ、爺ちゃん(魔法少女)を目の前にしても一切動じてなかったし。肝が座っているというか何というか。
興奮気味の婆ちゃんの手から抜け出して、この花恋とかいう俺たちのご先祖は話を続けた。
「はぁ…はぁ…まったく、なんじゃこの体は…。それはそうと、安心するのはまだ早いぞ、おぬしら」
「まだ早いって…」
これ以上何があるんだ?フレンドリィとかいうステッキは真っ二つになって、封印のステッキもバラバラに砕けた。
もう何も残っていない。
「今回の件、誰かが意図的に起こした可能性がある」
「意図的に…」
「見たところジジイの魔法少女力はそれほどではない。年も年じゃ仕方ない。しかしステッキの誘惑に負ける程ではない。不自然じゃ」
「一体誰が…」
「まだ分からん。そやつが何を引き起こそうとしているかもな。じゃが、魔法少女の絶大な力、それを悪用しようとする者が現れても不思議ではない」
確かに偶然にしては出来すぎている気はする。俺と香奈がここに来たタイミングでいきなり爺ちゃんが暴走するなんて。
「こうなった以上残りのステッキの封印も確認せねばならん」
「え?」
今なんて言ったこいつ。『残りのステッキ』って言ったぞ。
香奈もそうだが爺ちゃんも驚きで目を見開いている。
「まあ、ジジイが知らんのも無理はない。実は良からぬ力を持った魔法少女ステッキはまだある」
「ま、まじかよ…」
「うむ。九条家だけで全てを抱えるのは危険と判断し、別々の地で守る事にしたのじゃ。悪しき者の耳に入らんよう、ごく限られた者しか知らんよう隠してな…」
おいおい嫌な予感がするんだが。香奈に蹴られた時のスネの痛みが鈍くぶり返してきた。
「もしかして…また、変身しなきゃいけないの…」
頬をひくつかせながら香奈が喋る。
「うむ。塔矢と香奈には特別な力がある。おぬしらであれば今回のように封印を超えてステッキを成仏させる事もできるじゃろう」
「嘘でしょ…大体…なんであんな格好…」
「魔法少女を想う『心』は塔矢に受け継がれて、変身する『力』は香奈に受け継がれておる。魔法少女とは心で描き、力で変身するものじゃ。どちらが欠けても力は発揮できん。しかしまずは、おぬしらの新しいステッキを調達せねばならん。これから忙しくなるぞ」
香奈の頬が徐々に赤く染まり、手がぷるぷると震えだした。
これは悪い夢だ。俺の体はまだ布団の中にあって今もうなされてるはずなんだ、きっと。そして隣で寝ている香奈が『うるさい!』と言って俺の頭をひっぱたく。それで目が覚める、はずだ。まったく、寝る前にあんな話を聞かされたからこんなことに…。なあ香奈、早く起こしてくれよ…。
現実逃避しかけた俺の頭に、香奈とぶつけた時の鈍痛がじんわりとぶり返してきた。あ、これ現実だわ。
香奈の叫びが山に響き渡った。
「魔法少女なんてもういやああああああああああ!!!!!!」
エピローグ
神社を出て石段を下りる。香奈はがっくりと肩を落としている。俺の方も疲労困憊、足がふらつく。こんなことなら運動部にでも入っておくんだった。そういえば魔法少女がスポーツするっていうのもアリかもしれない。魔法少女を満喫しつつ、運動不足も解消、一石二鳥だ。…あーあ、こんな時でも魔法少女基準でものを考えちまう俺の頭って一体…。
しかし、これから俺たちどうなっちまうんだ…。
その時、俺は心に一つ引っかかっていた事を思い出した。それは蔵の神棚にあった空箱。箱を見つけた瞬間、俺は封印のステッキが入っていると確信した。けれどなかった。蔵の扉には特殊な仕掛けが施してあった、おそらくあれは魔法少女力のある人間にしか開けられないものだ。俺ならあそこを保管場所として選ぶ。
爺ちゃんがあの場所から神社へ移動させたのか?だとしたらなぜ、わざわざそんなことを?
考えすぎかと思ったその時、あるイメージが浮かんだ。
蔵の中にあった大人(ピンク色的な意味で)な魔法少女のグッズの数々。それを目の前にして考えあぐねる爺ちゃん。あれを俺たちに見せる訳にはいかない。かといってコレクションを退避させようにも量が膨大…。ならばと思い、封印のステッキを別の場所に…。
でも隠し先を神社にしてくれて助かった。もし家の中にでも移されていたら俺たちは見つけることができなかった。
蔵の中身については婆ちゃんはそもそも気にしていないようだし、色んな事が重なりすぎて香奈の記憶からも抜けているようだ。同族のよしみであれを見てしまった事については、あえて触れないでおこうと思った。
魔法少女の末裔