終わる星、始まるスター

 ――さあさあ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。次にお目見えするのは我が団の看板双子だよ。この子達は男の子かな、女の子かな、なんとどちらでもないんだ。こんな美しい顔をした双子はちょっと奇妙。上の子の零は一本腕、下の子の壱は三本腕! この子達の見物は空中ブランコ! さあさあご注目だよ…………。

 明滅の激しいストリングライトが小さな世界を照らす。ライオンの咆哮、燃え盛る炎、飛び交う輪にナイフ、おどけてみせるピエロに踊るフリークス。絶えぬ祭りに観客は拍手喝采、一時間半ばかりの夢世界、平凡に飽きた健常者達の暇はポップコーンみたいに弾けて吹き飛んで、抱腹絶倒が止みやしない。
 テント小屋での僕らはスターだった。自分と上の兄弟である零は今年で二十七歳になる。少年、或いは少女のまま成長を止めてしまった双子のトレードマークは赤と黒のスパンコールで織り成されるハーリキンチェックのハイレグレオタード、頭の真ん中から分かれた白と黒のツートンのボブ、真っ赤な口紅、ホールケーキみたいなシルクハット。観客は長い脚がお気に入りだった。それはそうだ、どのパーツも商品なのだからふたりでマッサージし合ったりストレッチをこなして形を維持しているのだから。
 自分たちが言うのも何だが、スターの所以としてはこの美貌が真っ先に上げられる。無性別かつ成長を止めたお陰でホルモンの影響を受けず、見事少年と少女のあわいの美しさと声を得られた。しかしふたりのお気に入りは何と言っても奇数の腕だった。なるべく筋肉が付かぬように、しかし相方の体を支えられる力を得るために鍛えるというのは至難の技。最高の商売道具だ。

「さあ行くよ、零」
「任せろ」

 双子で行う曲芸は人気があり、空中ブランコはメインイベントだ。団員たちの最も得意とする演技を披露する中、ふたりで宙を舞う。フリークスの自分たちにもこの時ばかりは羽が生えるのだ。神様からもらった安物なんかではない。ふたりで死に物狂いで手に入れた、透明で数メートルほどの翼。双翼で舞う姿にある者は歓喜し、ある者は咽び泣く。それだけで自分たちの価値が得られた気がした。
 零は片腕だが、支えるのは常に相手の役目だった。何処にそんな力があるのか、薄すぎる筋肉でも僕の腕をしっかり掴み、天高く上昇するといとも簡単に放り投げ、落下する僕の腕を必ず掴む。その逞しさと安定感たるや、どの団員からも得られぬ信頼の証。僕が笑えば零も笑う。零は僕と違って滅多に笑いやしなかったが、片割れが傍にいるのは何よりも心強い。

「壱、俺の手を離すんじゃあないよ」
「大丈夫! 絶対離れないし、何度でもくっ付くさ」

 僕たちは何時だって輝いていた。数十億の値打ちがある宝石なんかより、永劫受け継がれる芸術品より僕たちは美しく、永遠に守られる自信すらあった。僕らに向けられる数多の目を潰すほどの煌めきで人間を魅了できたら、そんな夢を抱いて。そうやって僕たちは揺れて舞う。双子にしては少しばかり個性の差異があったとしてもミスだってしない。思えば僕は驕っていたのかもしれない。僕たちは誰よりも凄くて優秀で、何時までも夜空に君臨する明星であるのだと。
 夢は見るものだと僕が言うのなら、零は夢は覚めるものだと言う。当時の僕は笑って流していたが、どうやらどちらも正しかった。夢は見るもの、そして覚めるものだと。現実は常に寄り添う。だから夢は生きていけなかった。僕たちより先に眠ってしまったのだから。

『ああ〜、君たち双子には悪いんだけどね〜。うん、クビ! いやだって僕もね、面倒は見てあげたいところなんだけど〜お金もね、限りがあるし? うん、それにほら、新しい子も来たし〜だからね〜……』

 零と壱という星は呆気なく捨てられてしまった。僕たち双子に代わる美しくて醜い団員が加わったのだ。乳房が片方しかない代わりに四本の脚がある姉と四本が腕ある妹。姉妹はふたりが合わさることにより、一体の巨大な女郎蜘蛛となり曲芸をしてみせた。それがたちまち人気を博してしまったのだ。
 しかも身体能力は僕たち双子よりも遥かに上であったし、何よりあの子たちは「ふたりでひとつ」なのだ。機械的で精密、寸分の狂いはない動作。一ミリのズレすら許さぬ合わせ技は不気味さを醸し出し、軈て観客は魅了された。皆が皆、星のことなど忘れて蜘蛛に心を食われてしまったということだ。
 一卵性双生児のくせに、個性が際立つ僕たちでは一体感がない。それに蜘蛛姉妹にはこちらにはない愛嬌だってあった。ふたりとも誰にだって笑顔を振りまくし、ボディタッチも欠かさない。頭から爪先まで見世物としての商品価値を露にしていた。
 フリークスだから持て囃されるなど間違いだ。団長や観客がどう思おうと、そこに価値を見い出せなくなったらおしまい。星は石屑としての価値を塗りたくられてしまったということ。だとしたら流星にでもなったのかもしれない。燃え尽きて地面に衝突した無様な星の行方。その割に零はおろか、僕ですら妙に冷静沈着であり、捨てられたと解れば衝撃は差程でもない。双子がバラバラにされるよりはマシだった。

「そうか、俺たちはクビか」
「ジョーシャヒッスイってやつだね」

 明日には出て行けと言われ、荷物と銀貨を数枚ほど投げ付けられると、団長はすぐに姉妹たちの元へと駆け寄った。彼女たちは太っちょ団長の枕もしているという噂があるほどだったので、性すらない僕たちは団長にとって面白くもないコンテンツとして更新されたらしい。ハムとソーセージで作ったような手が厭らしく彼女たちの腰や臀部を撫で回しており、僕たちふたりは吐き気がしてその場を立ち去った。
 あれほど立ててくれた仲間たちも彼女らにぞっこんで、誰もが新しいもの好きだった。僕らが横を過ぎ去ってもニヤニヤと侮蔑の眼差しを向けるだけだ。零が僕の手をぎゅっと握ってくれなければ、小人症のサムを蹴り殺していたかもしれない。
 着古したカフタンワンピースは刺繍も解れてしまっていたし、あちこち虫食いの穴が広がっていたが、見世物小屋に連れてこられる前から愛用していたものだ。零もそれを着て、裾を靡かせながら向かう。向かう場所は勝手口ではなく、自分たちが少し前まで踊っていたステージだった。
 明日までに出れば良いのなら、今はステージにいたって良いはずだ。照明が落とされて真っ暗なステージは落ちぶれた双子にはぴったりで、自分たちを照らしてくれる照明はひとつもなかった。だが修復作業を終えてない天井の穴だけは優しくて、僕たちへの最後の餞別であるというように、穴から満天の星空を見せてくれた。
 雲ひとつない空だった。真ん中にぽっかり空いた穴からは空を渡る月がちょうど顔を出し始める頃で、月光が少しずつ滑り込んでは蒼白の光が舞台を照らす。大好きだった空中ブランコも巨大な玉も、一輪車だって眠りに就いている。そんな中ふたりで歩を進めると、月のスポットライトが僕たちを照らし、零の長い睫毛がラメ入りのマスカラなしでもきらきらと輝いていた。

「寂しいなぁ。ねぇ、零。僕はこの仕事もこの場所も好きだったんだよ」
「…………」
「零はそうでもない?」
「いや……。君がいれば何処も楽しかったさ」

 僕たちフリークスは見世物小屋の中でしか生きていけない。性器はなくとも穴はあるのだから体を売れば多少は食い繋げるだろう、しかし無性別の僕たちを蝕む行為であることは薄々気付いていた。何より零がそういった行為を忌み嫌っている。
 それに売り物になったところで何時捨てられるか解ったものではない。真っ平らなラブドールも使い古されたら誰だって性欲が湧かなくなるもの、らしいから。そうしたらラブドールはどうなるか? ごみの集積場にドナドナされてスクラップらしい。
 フリークスにも神聖さが一欠片でもあれば良かったのに。結局生まれ方を間違えた人間のなり損ないだ。幾ら楽しくたって、僕らの夢の傍には必ず真っ黒な現実が赤い口を開けて、僕らを食べようとしているのだ。どうしようもない、抗えない。そんな方法も知らずに踊り続けていたのだから、それ以外の選択を得られたところでやっていける自信もない。

「どうして僕達だったんだろう」
「スターという意味か、捨てられたという意味か、それとも俺たちが何故フリークスとして生まれたか、ということか?」
「どれでもないかも。……ううん、きっと全部だ」

 夢はあった。零はどんな夢を描いていたか話してくれたことはなかったし、自分も語ったことはない。しかし本当はこんな場所で踊るより、観客たちのように人並みの生活を送りたかった。朝起きて、ガーデニングをしながら片方は働いて、片方は勉学に勤しみ、夜は必ずふたり一緒に夕ご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、ひとつのベッドに潜り込む。そんな生活を送ってみたかった。

「だが結果論だろ。俺は片腕、君は三本で生まれた、それが全てだ。人はなんだって平凡でいたがるものだ、しかし俺も君もそうじゃない。人並みの人生なぞ夢見たって……ほら、夢は覚めただけだろう」
「でも零、僕は健常者に生まれたかっただなんて、これっぽっちも思ったことがない」

 こんな形でも気に入っていた。一本の腕だけでも、或いは三本もある腕でも唯一無二の造形は誇りでもあり、それがふたりの宝物でもあった。これがあってこそ僕は壱であり、零もいる。果たしてそれ以外の選択肢があっただろうか。僕らがどれほどの勉学と教養を身に付けたら真理に辿り着けるのだろう。だがもう、辿る気もない。道があったとしても、足が重くて歩けそうになかった。

「君って馬鹿だよな」
「じゃあなんで泣いてるの」
「泣いてない」
「そうだね。……もっと夢を見ていたかったよね」

 零は泣き言を言わないし、涙を零すことすらしない。しかし月光が零の頬を照らすと、陶磁の肌には透明の雫か伝い、睫毛は濡れて更に煌めいている。真っ白な光に縁取られる零は誰よりも綺麗で、僕にしか零を抱き締められやしない。華奢な体を抱いては僕もこっそりと落涙した。
 逃げられなかったのではない。僕たちには逃げる場所なんてなかっただけだ。僕たちフリークスは消費し尽くされつつある、あの蜘蛛姉妹や長いこと共にしてきた仲間たちも何れは排他され、憐憫の残滓として虚しい余暇を持て余すしかないだろう。その先駆けが僕たちというだけ。飽きるという性質は誰に対しても平等であるから。
 それでも夢は何時までも続くと信じていたから。だから悲しいんだ、切ないんだ、悔しいんだ。夢が終わってしまう事実に押し潰されてしまうんだ。

「……壱。此処を出る前にもう一度だけ、空中ブランコに乗りたい」

 零からの我が儘なんて滅多にないことで、切り揃えられた前髪がゆらりと揺れる。手の甲でごしごしと拭われた頬は赤く滲んでおり、化粧を施さぬ顔に鮮やかに映えていた。
 答えの代わりに額を合わせると、零は口端を持ち上げては僕の手を掴んで駆け足でステージの上部へと向かった。成長が止まったのは何時のことだっただろう、こうやってかけっこをした記憶だって曖昧だったが、零の嬉しそうな背中と月の光で染められたワンピースはふわりと揺れた。
 ステージの端と向こう側。月は真上に来ており、会場が満遍なく照らされている。ブランコに腰掛けると、零もそれに合わせて腰掛けた。零が手を振れば足を踏み込む合図。右手が左右に振られたのを見届けると、ふたり同時に土台を蹴り上げた。
 ニュートンの揺りかご、だったろうか。それとなく思い出している。間には鉄球も何もなくて、僕たちは規則正しくテンポ良く揺られているだけだ。近付いて、離れて、また近付いて。僕たちは何時でも一緒で、これからも一緒だ。相変わらず一本腕と三本腕のフリークスで、平坦な人生を駆け巡るしかない。それはとても、憐れなことなのかもしれない。でも僕が零に腕をあげたところで人にはなれやしない。僕らだって人から産まれたはずなのに。

「壱、飛んで」
「行くよ、零」

 観客はお月様と星たちだけ。それでも良かった、観客がいてこそ僕たちは見世物小屋のスターでいられたのだから。思いきりブランコを揺らして零に近付くと、零は脚をブランコへと掛けて飛び降りる僕の手を見事掴んだ。ワンピースは捲れてペチパンツが丸見えであったが、どんな姿でも零は凛としたパフォーマーであったし、僕はそんな零であったからその手を取れる。
 ふたりきりのサーカスだ。僕らは揺れて揺れて、その手を離さぬようにときつく手を結んだ。ひとつの影がぶらりぶらりと真下に、くっきりと映し出されている。そして零が思いきり腕を振り上げると、そのまま手を離してブランコへと飛び移る。自分までペチパンツを晒した状態だったが、滑稽さもふたりだけなら愛らしいものだった。

「なぁ、僕らは、最高の道化だったよな!」

 今の僕たちは見世物小屋のスターではなくなった。僕たちは文字通り、可笑しい道化師でしかなかった。しかし零の真摯な眼差しが届く限りは、自分が零に向ける恒常的な熱情が途絶えぬ限りは、互いが互いにとってのスター。眩しく灯る一番星。永久に絶えぬ光、夢の足元を照らし続けた希望。それが今、最高の煌めきで以て宇宙へと弾けていく。

「そうだな! 俺もお前も、何時だってスターだ。これからもずっとずっと輝くんだ……!」

 零が近付いていく。そのタイミングを逃すことなく零の手を取り、僕のブランコは遠く遠くへと去ってしまう。何時だって力強い一本腕に支えられていた。落とさないようにと優しく、きつく結ばれた手の感触は手のひらに染み付いて離れやしない。
 ほんのり温かい手が夢みたいで、離れたきっと冷めてしまう。だから零の熱を守るようにして大事に大事に三つの手で握り締める。宝物は大事に抱かないと、そうでしょう?

「僕が見てるよ、だから零も見ていて。僕たちはずっと、ふたりでスターなんだよ」

 そう囁くと、見下ろす零の瞳が大きく見開かれ、ゆるりと緩んだ。星の雫がほろほろと落ちてはふたりの結ばれた手を伝う。零の涙は星や金平糖でできているのかもしれない。そうでなければこんなに美しい雫を生成できないだろう。
 それなら瞳は何処かの凄く綺麗な鉱物だ。零はそんな綺麗なものでできている。自分も双子だからきっと似たものでできているのだろうけれど、零は特別だ。宝物だから、特別なのだ。
 揺れて揺れて、ブランコは何処までも揺れた。振り子時計のようにぶんとふたりで揺られていると、零は綺麗な雫を零したままでこちらへと語り掛ける。

「ふたりで双子座に行こう。流星に乗って……そうしたら俺ら双子はきっと、生きていけるだろう?」
「良いね、じゃあ行こっか。ふたりなら怖くないよね、僕たちだってふたりでひとつの双子なんだもの」

 それが僕たちの夢ならなんて素敵だ、なんて悪夢だ。僕たちには双子座がどれかなんて知る由もなかったし、その時まで星座には神話があることすら解らなかった。でも僕たちこそが神話になれると信じていた。いや、双子の僕たちには本当は神話も伝説も、名声も何も要らなくて、ただ僕たちが呼吸する場所さえあれば何でも良かったのかもしれない。
 だから今日、僕たちは新しい地へと旅立つ。そこがどんな場所で、僕たちはそこで幸せになれるかの確証もない。それでも零と一緒なら怖くない、何処だって天国になるのだ。
 テント小屋の僕らはスターだった。僕たちは今、ブランコから手を離す。天に落ちる気分はミントにまみれたみたいですうすうとして少しだけ怖かったけれど、零の手だけはやはり一緒だったので、僕はにっかりと笑い掛けた。
 弾ける、赤く、弾ける。地へ飛び込んだ瞬間に僕たち双子は赤い星となった。空にはまだ届きそうになかったが、彼の手と僕の手はずっとずっと結ばれたまま、鮮やかにひとつに還ってみせた。何時か本物の双星になれることを夢見て、僕は壱の閉じられた目蓋を何時までも眺めていた。小さな世界が暗くなるまで、ずっと。
 零、次は覚めない夢を探しに行こう。ふたりで双子座で座長をして、ずっとずっと、踊り続けよう。だって僕らはスター。ふたりでひとつの幸せな星なのだから。

終わる星、始まるスター

終わる星、始まるスター

奇形(フリークス)で無性別、そして大人になれない双子の零と壱は見世物小屋のスター。しかし新星の登場により、彼らは追い出される。それでも彼等(彼女等)は果てしないスターだった。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-12-31

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