こじゃれたカフェ
都心から電車で50分。駅から徒歩20分。バスは路線からはずれている。
それでも週に一度本社がある都心から会社の研究所に足を運ばないといけなかった。しかし、本社は社用車を買ってくれない。
目的地の研究所は海が見える高台の上、そんな場所にあった。
社員の巻田は今日もまた、研究結果の確認のため駅から歩き出した。しばらく下り坂を下ると、海まで抜ける一本道と高台へ登っていく坂の分岐にさしかかるのだ。
いつものようにため息をついてから坂を登りはじめたときだった。立ち木のすき間から人影が見えたのだ。おや、と思わず立ち止まる。やはり、人がいる。しかも、何人もいる。
こんな民家もまばらなところに何事だ、と巻田は不思議だった。人の姿を追えば、立ち木のならびに切れ目がわかった。どうやら小道が続いているみたいだ。
もしやと思ったが、腕時計に視線を落とす。
「やっベー、遅れるな」
それでも巻田は小道に足を踏み入れてみた。すぐに青空が切り取られた広い空間に出た。
青空の下には列に並ぶ人がいた。こんなさみしい場所に行列か、といぶかる巻田は、さらにその先へ視線が向かう。
「何かの店?」
晴れた青空にひとつ浮かぶ雲のように真っ白い壁が爽やかだ。屋根から突き出た煙突まで真っ白だ。
カフェかレストラン、もしかしたらパン屋だろうかと思う巻田だが、いつのまに建ったのか、まったく気がつかなかった。
腕時計を見る。針は9時30分を指している。
「そうだ。今度一緒に」
小道を引き返し、元の坂道にもどると再びため息が出てしまう。そして、巻田は研究所へ歩き出すのだった。
「えっ、カフェ?」
「いや、カフェって決まったわけじゃないけど。直接、入ったんじゃないから」
どうにか約束の時間まで間に合った巻田はさっそく要件をすませ、待ち時間のあいだ、いつものように研究員の大田垣に話しかけたていた。
「でもお店があったんでしょ。わたしも通勤で朝通ったわよ。まったく気づかなかったわ」
首をかたむける大田垣にからかわれているんだと巻田は笑いかける。
「またまたーー、大田垣さん、寝ぼけて出勤してー」
たしかに人の行列が不自然に目についた、と巻田が思った。毎日通う大田垣さんなら朝だと気づかないだろう、と。まして帰りなら夕方だから閉まっていたのだろう。
なぜって?カフェはお昼限定の営業だ、と決まっているからだ。だって、こんな辺鄙なところ、暗くなれば狐か狸しか出ないところに人が来るわけ、無いと巻田はたかをくくっている。
「帰りによってみようかな」
「日が沈んだ時間は営業してないんじゃない」
「えー、それならいついこー」
考え込む大田垣は天井を見上げていた。
「じゃあ・・・・・・今度の休みの日、一緒に行かない」
巻田が大田垣の視界に割り込むように言った。ためらいなく巻田に向かって大田垣は言う。
「あなたとは嫌よ」
そして二人の男女の会話が終わった。
いつのまにか青空をさえぎった灰色の雲の下、うつむいて歩く巻田は駅に向かっていた。
ぽつりぽつり、と頭にあたる感触に足を止めて、空を見上げるとまた、ぽつりとしずくが顔にあたり、
「雨、か」
と巻田は呟いた。気づけば再び小道の入口に立っていた。「ぐうっ」と巻田の腹がなる。腕時計を見るとすでに正午を過ぎていた。
「おしゃれな店ならやっぱり行ってみたいって言うかも、大田垣さん」
あわてて折り畳み傘を取り出すと巻田は小道に入っていった。
並んでいた行列はすっかりなくなっていたが、雨空の暗がりでも白い外観は目立った。「OPEN」の立看板が入り口のわきに出ている。さらに看板には、なにやら店名らしいものを英語で書いていたが、「Cafe」だけは理解できた。
「よし、入ってみよう」
思いきって巻田が扉を開けるとついていた鐘が、カランと音を鳴らす。
「いらっしゃい」
メガネをかけた白髪の初老の男性と目が合った。入り口側とは違い、店内の奥はガラス窓で仕切られ、外にはテラス席まであった。
どうぞ、と窓ぎわの席に案内された。巻田が座ると、
「よくいらっしゃいました。本日開店になりまして、お客さんが第1号となります」
と初老の男性が言った。手には銀色のトレイを持っている。
巻田は、「へえー」と店内を見回した。たしかに白木をふんだんに使った内装は真新しい。そして店内にはコーヒーの香ばしい匂いが漂っている。
「んっ、まてよ」
巻田が腕を組む。
「じつは午前に店の前まで来たんだけど、けっこう人が並んでいたんですけど・・・・・・」
沈黙が巻田と初老の男性のあいだにしばらく挟まったようだ。
耐えきれず巻田が大きく息を吸ってから、
「あの並んだ人たちはお客じゃなかったんですか?」
疑問をぶつけてみた。
すると初老の男性のひたいからは汗が流れるように出ている。
「困ったな・・・・・・まさか見られていたなんて」
必死に汗をぬぐう初老の男性が続けて言った。
「じつは・・・・・・午前は開店記念で、その、無料だったんです。すべてのメニューが。それで午後からがお金をいただく営業となりまして」
「なんだー、そういうことなんですか」
ポンと手を叩いた巻田に「申し訳ない」と答えた初老の男性はまだ汗をぬぐっている。
「ようやく納得しました。気にしませんよ。それより、おなか空いたんで注文お願いします」
「あっ、それは失礼しました」
そう言うと初老の男性が、お水です、と銀色のトレイに載ったコップを巻田の前にさしだした。続けて、
「おしぼりです」
初老の男性がくずれて丸まっているおしぼりをつかんで巻田の前に手を伸ばす。
その様子を見ている巻田が気づいた。
「いや、そのおしぼりで汗ふいてたでしょ」
こじゃれたカフェ