モテないし活殺自在の古流武術家と出会う

最強の格闘技は何か!?
 
 2月の某日。新宿駅の東口に、一人の少女が姿を現した。
 長い黒髪と大きな目を持った、歳は10代といったところの小柄な少女である。
 彼女の名前は黒木智子。原宿教育学園幕張秀英高等学校2年4組に所属する、現役女子高生だ。
「……来た」
 智子は、東口駅前の名物でもある大型ビジョンを見上げてから気合いを入れた。
 今日ここに来たのは、『リベンジ』のためだった。
 高校1年の冬、何を思ったのか彼女はキャバクラ嬢になろうと夜の新宿に繰り出したことがある。そして、新宿・歌舞伎町という町に恐怖し、逃げ出してしまった。
(別に今、キャバ嬢になりたいってわけじゃない。でも、そういう話じゃなくて……
あれから1年以上が経った……あの頃の私とは違う。人と話す回数も増え、経験値は溜まっている……今の私なら、絶対歌舞伎町に負けたりなんかしない!)
 対策もバッチリだ。前回訪れたのは午後5時を過ぎ暗くなってからだったため、活気づいた夜の歌舞伎町の空気にやられてしまった。
 今回は、違う。
時刻は午後3時になろうかというところ。この時間ならまだ、町はおかしなノリにはなっていないだろう。これなら普通に歩くことができるはずだ。

 智子の中では、逃げ出すことをせず、歌舞伎町を普通に歩いて無事に帰れたらそれで勝ちということらしい。
 果たしてそれが勝ちと呼べるのか。そもそも勝負とはどういう意味なのかわからない。
 しかし、智子は他の誰から何を言われようとも、この戦いから引く気はない――そう、負けっ放しは嫌なのだ。
 2月の冷えた空気を胸いっぱいに吸い込んだ智子は歩みを進める。その彼女の目に、遂に因縁の地――歌舞伎町一番街の看板が飛び込んできた。

 彼女の狙い通り、昼飯時を過ぎた頃の歌舞伎町は平穏だった。数多の猥雑な看板や客引きを徹底的に非難する独特のアナウンスには少し引くところがあるが、心乱れることなく智子は町の中を歩いている。
 むしろ、そんな町を楽しんでもいた。
(やっぱ上がっちまったな、レベル……もしかしたら今の私なら夜になっても平気で……
 いや、まさか歌舞伎町の女王をまた目指すことも!?)
 智子がそんな調子に乗った考えを巡らせていたら、二人組の男が視界に入った。
(おおっ!ホスト!)
 派手な髪形、派手なスーツ、派手な靴……上から下まで完璧なホストだった。二人は自販機の横で缶コーヒー片手に会話をしている。
(よし。ここでさらにレベルを上げてみるか。いける!今の私なら、いける!)
 智子にとっての「さらにレベルを上げる」とは、ホストに近付いてみるということである。二人組の近くに立つ自販機で飲み物を買いつつ、話を盗み聞きするところまでしてやろうと決めたのだった。
 少々挙動不審になりながらも、接近。震える手で自販機に小銭を投入。
 なお、会話を弾ませるホスト達の視界に、彼女は一切入っていない。いや、入ってはいるのだろうが、認識されていないと言うのが正しいか。
 智子はそんなことは当然知らない。ホットの紅茶を買い、財布をポケットに戻しながらホスト達の声に耳を傾ける。
(フフフ……思いの外順調にクエストをクリア。ホストにも動じないとか、女王エンドはもうすぐそこか? こいつらもやがては私にかしづく――)
「やっぱアレだよな。俺らの方から、風俗で働いてくれとか言っちゃダメなんだよ」
「そ。ホストの基本は女の自発性を促すってヤツね。向こうの方から俺達のために働きたいって言わせるくらいじゃないと」
「だな。で、実際に言って来たら、俺らの系列店をここなら安心とか言って紹介すりゃ完璧」
 智子はポケットに財布を、鞄に紅茶をスッと収めた。
(やっぱ、やめとこう……)

最強の格闘技は何か!?
 
 空手、ボクシング、キックボクシング、ムエタイ、散打、テコンドー、
 柔道、少林寺拳法、中国拳法、日本拳法、古武道、サンボ、
 合気道、相撲、アマチュアレスリング、プロレスリング、
 ブラジリアン柔術、カポエイラ、ジークンドー、

 多種ある格闘技がルール無しで戦った時……
 スポーツではなく……
 目付き金的ありの『喧嘩』で戦った時――

最強の格闘技は何か!?
今現在、最強の格闘技は決まっていない。

 春の訪れなどまだまだ先だと思わせる寒さが新宿を襲っていた。
 そんな日本有数の繁華街を、一人の男が歩いている。
 古流武術・富田流の入江文学である。
 男は、先ほどまで駅前の喫茶店で雑誌社の人間から取材を受けていた。陰陽トーナメントへの出場が決まってからこの手の取材には何度か応じてきたが、今回は特に熱が入ったものだった。
 今回取材を申し込んできたのは武術専門誌の編集者で、文学の父である入江無一と富田流が世間の注目を浴びた頃にこの雑誌の編集をやろうと志したそうだ。そして、一丁前の編集者になった今、富田流の人間の話を聞くことは運命のようだと取材開始時に文学に堂々と言ったのだ。
その熱意にあてられたのか、文学も今まで受けてきた取材の中で一番まともに応対した。
 当然、田島と富田流の過去、無一の死の真相、他の陰陽トーナメント参加者・流派との因縁などを話しはしなかったが。
 取材の終了時には記者から激励の言葉をもらい、今は少しいい気分で新宿を歌舞伎町方面に歩いている。
(やっぱり、このトーナメントに出るってことは、世間から注目されるんだよな……)
 そして、ふとそう思った。

 入江文学にとって陰陽トーナメントに出場する目的……それは優勝をすること。そして、田島彬と戦い殺すことただ一つである。名声も、莫大な賞金も、関係ない。
 そう考えていた文学だったが、ここ最近で自分の周囲が少し騒がしくなってそれも変わってきた。
(そりゃあ、まあ、なあ……)
 つい先日も、昼の情報バラエティー番組で芸能界一の格闘技通と称されるお笑い芸人が「皆さんは関選手や横綱に注目しているでしょうが、ボクはあの芝原剛盛が出場することが本当にすごいんだと言いたい! しかも相手はこれもまた伝説……喧嘩王の上杉均なんですよ!」と若干芝居がかっていたが熱弁をしていた。
 ――自分も、世間では有名人になっているのかもしれない――
 そんな考えが頭をよぎった瞬間だった。
「あ、あれっ! あれ! ほら、テレビに出てた!」
「えっ? マジに? どこ?」
 信号待ちをしていた文学の耳に、そんな甲高い声が聞こえた。周りに芸能人でもいるのかと周囲を見回したが、それらしき者はいない。そして、声を上げていたのは見た目が派手な若い女の二人組だとわかった。
「あれだよ! 金隆山が出るトーナメントに出る、選手のっ! いや、名前知らんけど!」
「マジで? 言われてもわかんないし……ってか、おっさんじゃん!」
 文学の背中に電流が走った。それは梶原柳剛流の『雷』によるものではない。
(お、お、俺のことか……!)
 息を止める文学。熱く、猛々しく暴れる何かが彼の身体の中を襲っていた。ちなみに、
 騒いでいた彼女らの言葉のうち「いや、名前知らんけど」以降は、都合よく耳に入ってはいない。
 襲っていた何かの正体は、歓喜だった。生まれてこの方まるで縁がない、歌舞伎町が非常によく似合う異性が声を上げたことが、よりその感情を爆発させる。
(お、落ち着けっ! ここで最悪なのは、自分のことを言われていると気付き挙動不審になることだ。そんな『慣れてない感』は絶対に悟られてはいけない!)
 信号は既に青になっているが、気付かないで横断歩道を渡らずウンウンと一人頷く文学。残念ながらとっくに挙動不審になっていたが、本人にその自覚は無かった。
 先ほどの二人は「やっぱ名前わかんねーわ。関とかならわかったのにね」「ねー」と既に彼に興味を失い歌舞伎町の中に姿を消していたが、文学本人の思考は次のステージに向かう。
(このままだと一般市民が俺に群がりパニックになる可能性がある! 配慮をせねばっ!)
 到達した思考のステージはあらぬ方向だった。
 ともかく文学はその考えに沿って、足早に盛り場を抜けることにする。
「確かこの先には公園がある。そこで一息だ」と思い、公園を目指す。そのために文学は、歌舞伎町のメインストリートのど真ん中を、口角を上げ、肩で風を切りながら、キリリと顔を引き締めてスタスタと歩いた。
 この姿を、彼の唯一の弟子が見たら呆れ気味にこう言うことだろう。

 このおっさん、気付いて欲しいんだな……と。

 結局、公園に辿り着くまでに文学に声をかける者は誰もいなかった。昼間っからルール違反の呼び込みをしている男達すら、無視であった。
(あれか、みんな緊張して声をかけられなかったんだな。もっと、気軽に接してくれて構わないのにな)
 あらぬ方向に建っていたステージの上で、文学の思考は乱舞していた。
 自惚れ・勘違いである。

 そんな残念な中年の視界に、一人の少女が入った。
 長い黒髪と大きな目を持った、歳は10代といったところの小柄な少女だった。
 一言で表せば「地味」なその少女は、多少着飾ってはいるものの、歌舞伎町には似つかわしくない感じがした。その小さな手には、自販機で売っている紅茶が握られている。
 文学が少女を目にして数秒後、一瞬目が合った。少女は気付いたのがすぐに顔を伏せる。
(ははーん、俺の事がわかったようだな。恥ずかしがっちゃって)

(えっ? まさかあのおっさん、私に値段交渉をしようと……)
 違った。
 ベンチに座っていた黒木智子は、必死に身体の震えを抑えようとしていた。彼女は、突如公園に現れた中年の男を「少女に金銭を払い、そういう場所に一緒に入り、そういうことをしようと考えているおっさん」と認識している。
 歌舞伎町にまたも敗北した智子は、中心から少し離れたところにある公園で落ち着いていた。この公園はマスコミにも取り上げられる催し物に使われたりもしているのだが、その周りはラブホテルだらけである。智子はしばらくしてから周囲の異様さに気付き、やはりこの町は恐ろしいと改めて思ったところに――
 入江文学がやって来た。
 不自然に足早で、妙に背筋を伸ばしており、表情はどこか「作っている」感じがした。そして何より、女に飢えているようなオーラが見えた気がしたのだ。
 智子は一瞬で、こいつは女子高生を買おうとしているのだと悟った。
公園に女子高生が一人。そして周囲はラブホテルだらけ。女子高生を狙うハンターからすれば、狩場にわざわざ獲物が迷い込んできたようなものだろう……智子は、逃げようと決めた。
だが、最悪なことに、そう思った矢先にそいつと目が合ってしまったのだ。
(目が合った瞬間にいきなり立ち去るのも、あからさまか? 「ねえ、ちょっと待ってよ」と声をかけるきっかけを与えかねない? いやいや、慌てず、しかし迅速に去るべき!)
 自分の手札はスマホと紅茶――スマホに着信があった風に見せかけ、立ち去る――紅茶を飲み切ってゴミを捨てに行くため、立ち去る――より自然に動けそうな後者に決めた。
 まずは冷めてしまった紅茶を全部飲んでしまおうと口に持って行ったその時だった。
 公園に、新たな人間が現れた。

「テメ、入江ダナッ!?」
「&%$%&#!」
 片言の日本語の男と、全く日本語を離さない男。両名とも顔も服装もいかつく、有り体にいえばその筋の者にしか思えなかった。
「チッ、こっちはファンじゃないようだ」
 それを見て、文学は顔をしかめる。ただ、声を荒げる男達に心当たりがあるようだった。
「ソッチ系の反社会勢力――流石歌舞伎町といったところか……」
「ナニ言ッテル!」
 ベンチに座っていた文学が完全に立ち上がる前に仕留めようと、片言の男は急いで走る。
 しかし――
「グッ! ……ウゥゥ……」
 文学は立ち上がる途中の動きから、タックルの様な動きに移行し片言の男に体当たりをした。不意の動きに片言の男は対応できず、腹に重い一撃が命中する。その痛みを感じる間も無く、二撃目の蹴りがバランスを崩していた片言の男の脇腹を直撃。地面に倒れた男の胸部を、文学はすかさず踏み付けた。
 その一撃で、片言の男は完全に沈黙する。
 富田流無刀技骨子『金剛』が決まった瞬間だった。
「&%ッ!? ――@>!」
 片言の男に続こうとした日本語を離せない男だが、敵に一瞬茫然としてしまった。
 しかし、すぐに敵である文学のこと見据え、上着のポケットに手を突っ込む。
 話せない男が取り出したのは、武器だった。収納時15センチ・使用時30センチの、伸縮する特殊警棒である。
 殴るというよりは警棒の先端で突くような動作で文学を狙う話せない男。文学はその攻撃を数度避けると、話せない男が得物を握る方の手を平手で叩き、すかさず離脱。相手の突きに合わせた一瞬の動作で、突っ込んでくる猛牛を捌く闘牛士のような身のこなしだ。
「%%%%ッ!」
 こいつは自分を完全に馬鹿にしていると悟った話せない男は、ますます怒りを露わにし大きく警棒を振り上げた。
 そこを、文学は狙った。
 振り上げた腕をつかみ、そのまま引き倒す。気が付けば文学は警棒を奪い取っており、話せない男がそれを察した瞬間には男の顎に警棒の柄の部分による一撃が振り下ろされた。
 こうして、公園に突如として現れた二人組は一瞬のうちに片付けられた。
(ヒィィィィ!!!)
 予想外の事態を目の当たりにした智子は絶句。声を出したくても出せないくらいの恐怖を感じていた。
「こんな得物で向かってくるとは……俺クラスを倒そうというなら指定ポケットのカードをアイテム化して使う必要があるから覚えておけ」
 そう言って文学は、手にしていた警棒を放り投げた。
「ちなみに、ランクBの指定ポケットのカードは全部店で買えるぞ」
(グリードアイランドかよ!)
 恐怖の中、智子は心の中でツッコミを入れた。
 そんな智子に気付いたのか、文学はフォローの言葉をかけようとする。
 本人としては、テレビで見たことがある(かっこいい)格闘家に、話したくても話しかけれないシャイな少女への優しさを見せたつもりだった。
「君、大丈夫か? 悪い奴らは俺が退治したからもう安心だぞ!」
「い、い、い、いや、ど、どう考えても、あ、あなたを狙ってきたのでは……」
「まさか!」
 声を震わせる智子にとぼけた態度を見せる文学だったが、2人の耳に新たな声が飛んで来た。
「うわ!やべえって!」
「喧嘩……だよな?」
「け、警察!? 人が倒れてるから救急車!?」
 この公園で起きたことをどこから見ていたかは知らないが、公園の外から若者グループが声を張り上げていた。
 これは面倒なことになると直感した文学は、その場を去ると決めた。
「おいっ! ポリスが来る前に逃げるぞ!」
「――ふぇ? えっ?」
 なぜか智子にも声をかける文学。勢いよく公園から飛び出し、智子も言われた通り文学の後を追ってしまった。
 年の離れた初対面の2人は、歌舞伎町を完全に抜けて大久保方面に向かって行った。
 2月の寒い日のことだった。

「ハァハァ……ゼェゼェ……」
 大久保駅から少し歩いたところにあるスーパーマーケット。その駐輪場にあるちょっとしたスペースに2人は辿り着いた。
 息を切らせる少女を見て、文学はなぜ自分は逃げ出すときにこの子に声をかけてしまったのか考える。
(わ、わからん……)
 なぜかはわからなかった。だが、この地味な少女からは、どこか放っておけないような特別な何かがあると思ったのだ。
「その場の勢いもあったんだろうが……ふむ……」
 
 息がやっと整ってきた智子は、自分の横でうんうん唸っている中年の男にやはり恐怖していた。自分のことを買おうとしているエロオヤジかと思ったら、突然目の前で喧嘩をはじめ、しかも滅茶苦茶強かったという――いずれにせよ危険な人間だと確信したのだ。
 それなのに、なぜ自分は「逃げるぞ」と言われこの男の後ろをくっ付いて走ってしまったのかを考える。
(わ、わからん……)
 なぜかはわからなかった。だが、この危険な中年男からは、どこか親しみやすそうな特別な何かがあると思ったのだ。
「ゼェゼェ……そ、その場の勢いもあったんだろうが……ハァ……」

「お、おじさん? は、いったい何者なんですか」
 意を決して智子は文学に聞いてみた。ここまで来た以上、何も話さずにこの場を離れるのは難しいと判断し、自分の素直な気持ちをぶつけてみる。聞いた直後にこの判断は失敗だったかと後悔したが、質問をぶつけられた相手は意外な反応を見せた。
「――えっ? 俺のこと、し、知らない?」
「――えっ? ま、まあ……」
 冬の張りつめたような空を、2人の『えっ?』が交錯した。
(予想外の返答! ……ますますわからん!)
(いやああああ! もしかして俺、自分が有名人だと勘違いしていた!?)
 困惑する智子と崩れ落ちそうになる文学。
 たった今、歌舞伎町に入る前に2人組の女に声を上げられたことでかかったトランス状態(自分を有名人だと思っていて舞い上がっていた状態)から、文学は覚めた。
 そして、猛烈な羞恥心に襲われてその場にうずくまってしまう。
(な、なんだこのおっさん! もしかして、ヤバい薬でもやってんのか? それで、薬が切れたとか?)
 智子はそう思ったが、実際には文学は薬などに頼っておらずナチュラルハイ状態だった。
「お、お、俺はぁ、と、富田流の入江文学です……」
 文学は震えながらも智子が先ほどした質問に答えた。ちゃんと名乗ることで、この名前を聞き彼女が自分のことを思い出すかもしれないという一縷の望みにかけたのだ。
「――――はあ……」
 しかし、智子は『知らない』という反応を示す。
(いやああああ! やっぱり、知らなかったあああああ!)
 望みは消えた。文学はとうとう頭を抱えてその場にうずくまる。
「と、とだりゅう? とだ、流……さっきもすごく強かったし何かの格闘技ですか?」
 智子は目の前で悶える中年男に絶句していたが、これはフォローしないとマズイと思い、会話が続けられるように努めることにした。これは流石に、見てはいられないと感じたからだ。
「どうせ知らないだろうけど古流武術だよ。それの6代目継承者だ」
(ああ、古流武術とかよくわからんが、それだからあんなに強かったのか)
 納得が出来る答えが得られたことで、智子は内心少し落ち着いた。状況が徐々にでも整理されると、自ずと冷静になれるものである。
「俺は中国人から賭けマージャンで金を巻き上げたり、ヤクザの組を潰したりしたことがあるんで、それでどっかから怨みを買っている。その仲間が怨みを晴らそうと襲ってきたんだろう。さっきの連中は日本語が怪しかったし、多分前者が原因かな」
(やっぱ危なすぎるこの人!)
 文学が話す内容に、智子は引いた。歌舞伎町は確かに危険だったが、それを凌駕する存在に出会ってしまったと思った。謎の親しみやすさを感じたことなど、きっと勘違いに過ぎないのだ!
(へ、下手に逃げたり機嫌を損ねたら……殺される?)
 さっきまで飲んでいた紅茶が別のモノに即座に変わって体内から出てきそうな勢いだが、智子は同時に考える。
(やはりここは、トークで切り抜けるか)
 理想は、少し話して相手の機嫌を取り、自然に「それではこの辺で……」と離脱すること。そして、1人で大久保駅に行き電車に乗ればクリアーだ。
(よしっ! 男は女から褒められたらすぐにどうとでもなる! いけ!私っ!)
「い、いやあ、それにしても本当に強かったですね。格闘技といったら柔道の関選手とか相撲の金隆山しか知らないけど、古流武術っていうのも強いんだ……」
「おっ? そう思うか?」
 その言葉に即座に反応し、スクッと立ち上がり笑顔を見せる文学。智子は本当にどうとでもなりそうな予感がした。
「まあ、関や金隆山は確かに有名だろうよ。陽側の最高峰だしな」
(ようがわ? よう……陽? 陽キャってことか?)
「世間は俺のような陰側を当然知らないし、きっと陽側の奴らに敵わないと思っているだろうが、こっちだってなかなかやるんだぜ」
 この文学の語りに、智子はあらぬ勘違いをしてしまう。
(このおっさん、自分は陰キャだと語ってるのか?)
 あ、ちょっと痛いかもと、智子は思った。普段格闘技とは縁遠い智子ですらその凄さ・強さを知っている国民的英雄の関修一郎や金隆山――その2人に対し「自分はやれる」みたいなことを語る自称古流武術の6代目継承者……怪しさと痛さを覚えてしまったのだ。
「そういや君はえーと、女子中学生かな?」
「は? じょ、女子高生ですけど……」
「おお、そうだったか。君は格闘技をあまり観ないようだけど、去年の大晦日に放送されたデスバトルは知っているかな?」
 文学は得意げな顔で饒舌に語り出した。
 智子は記憶を漁る。そういえば、高校生と柔道の金メダリストが戦うってかなり盛り上がっていたのを思い出した。試合は見なかったが、その凄惨な内容が話題になったのも覚えている。
「あ、ああ……確か、金メダリストに高校生が勝ったんですよね。み、見なかったけど……」
「あの高校生は俺の弟子だっ!」
 そう言って文学は親指を立てた。物凄いドヤ顔を添えて。
「へ、へぇ……」
「試合を観なかったのは残念だな。当日は俺がセコンドに就いて、ナイスな指示を出したことであいつは勝てたようなもんなんだが――」
 文学の喋りはますます勢いに乗る。智子もそれはすごいことだとは思うが、あまり興味関心がない分野のことなので反応はし辛い。
 そもそも、格闘技をやる人間の気がしれないというのがある。なぜ、わざわざ痛い・苦しい思いをするようなことを、自ら進んでするのかがわからないからだ。そんなのドMか、逆にドSのどちからじゃないかと思っている。
「――君の周りでも、『あの高校生のセコンドをしていた人、かっこよくなかった?』って話題にはなってなかったかな? ふふふん」
「いや、全然」
 即答をしてしまった。智子はこれには『しまった』と思った。
 なぜなら、智子の即答後に文学は意気消沈してしまったからだ。先ほどまでの明るいノリはどこへやら、うつむいてブツブツと何かつぶやき始めてしまった。
(うわあ……やっぱこのおっさん、ちょっと……)

 やはり痛い。そして、モテないんだろうなと、思った。
 そして、対峙する相手をそう評価してからの、黒木智子は強い。

(おそらく他の体育会系と一緒で、格闘技ばっかやって生きてきたから世間とズレてるんだろうな。女とも縁がなかったんだろう)
 かなり当たっていた。目の前にいる男は、女性経験も就職した経験もない。
 こうなってくると、先ほどまで感じていた文学への恐怖はどこへやら、か弱い小動物と接するような態度をとってしまう。かわいそうだから、フォローを入れてあげようと上から目線で思った。
「でも、スポーツやってる男がモテるのは昔からそんなに変わらないと……思いますよ?」 
 確か自分の弟もサッカーをやっているおかげなのか(主に変態から)モテているようだし、間違ったことは言っていないと思っての発言だ。
 それに対し――
「嘘だっ! 俺は今まで一度もモテたことがないぞ!」
 今度は、文学が即答してしまった。そして、文学もこれには『しまった』と思った。
 初対面の少女を相手に、そんなことをカミングアウトしてしまったからだ。
 智子の眼差しは、ますますか弱い小動物を見るような――いや、最早冬の寒さにやられて死にかけている虫を見るそれになっていく。
 そして、禁断の一撃が口から放たれた。
「――おっさん、童貞なのか?」
 入江文学の心臓に重い一撃が打ちこまれた。それは金剛ではない。言葉だ。
「って、てめえ!! というか、そういう言葉どこで覚えた!?」
「今時の女子高生ならそれくらい当たり前に知っているが……」
 智子の文学に対する言葉遣いはどんどんくだけていく。
 まさか本当に、近頃の女子高生の性は乱れているのか……文学は嘆かわしさと少しの興奮を覚えながら、目の前の女子高生を改めて眺めた。
(こんな地味な見た目のやつでも、それなりに……そういう経験をしているというのか?
 だとしたら――)
 そう思った瞬間に、文学の胸の高鳴りは増した。
(何かちょっと興奮する!)

「地味子……か」
 玉拳創始者・里見賢治は、横にいる側近にして元進藤塾の山本空に聞こえるか聞こえないかという声の大きさで、そうつぶやいた。
「どうしました?」
「いえ、空君は所謂『地味な女の子』に対して、異性としてどのような魅力を感じますか」
 山本空は、少し考える。里見さんは自分を龍にしてくれる偉大な存在だ。この唐突な質問にもきっと何か意味があると思い、真面目に答えようと思った。
「そうですね、遊んでない感じがして、そこがいいかな――と」
「なるほど。1つ目に近いといっていいでしょうね」
「1つ目?」
 首をかしげた空に、里見は解説を続けた。
「地味な女の子――『地味子』ジャンルには、おおよそ3つの方向性があります。
 1つ目は、『こういう地味な子なら、俺でもいけそう』という自分に自信のない非モテな男が抱きがちなパターンですね。
 2つ目は、『この子に最初に手をつけてやろう。俺色に染めてやろう』というパターンです。一見ヤリチンが考えるパターンと思いがちですが、童貞がこう考えることもままあります」
 山本空は過去の自分を振り返りつつ、鋭いなと思った。
 里見は続けた。
「3つ目は、『地味な子が実は……』というパターンです。地味な子が本当はエロかった、というギャップですね。性に対して興味が無さそうなのに、いざそういう場面になったらすっごく乱れるという意外性――重心移動は『門』と同じです」
 そういうアダルトビデオ多いよなと思いつつ、山本空はやはりこの里見さんについて行くしかないと確信を強める。
 2月の寒い日のことだった。

 饒舌だったかと思えば消沈し次には焦燥を見せるという、感情が乱高下気味な男・入江文学。
 今度は、急にモジモジとしだめた。
「そういえば、そちらのお名前をまだ伺ってなかったんですが、教えてもらえますか?」
(急に敬語?)
 おそらく自分の倍以上は生きているであろう男性に対し、初めて敬語を使われたかもしれない。智子は軽く衝撃を受けた。
「黒木……智子だけど」
「黒木さんは、その……彼氏とか、いらっしゃるんですかい?」
 智子は『いない』と即答はしなかった。おそらく会話のアドバンテージを握っているのは、現在はこちら。『いる』と嘘を付くのは簡単だが、話し続ければボロが出る可能性もあり危険だ。
 智子はそう判断し、最適解を導き出す。
「そ、想像に任せるけど」
 それだけ言って、口をつむった。表情はどこか、余裕がある感じを装う。
(多くは、語らずか……)
 文学は智子の隣に男がいる様を想像してみる。少し難しかったが、とりあえず手近な高校生である自分の弟子を浮かべてみた。
(う、うーん……これはどうだ? いや……そうだ! 十兵衛といえば!)
 少し前、件の弟子と恋愛とその経験についての論戦を繰り広げたことがあった。その中で弟子は自分と同じ童貞であると思い、そのボロを暴くためにいくつか質問をしたことがあった。
 文学は決めた。近頃の女子の恋愛・性の事情をこの黒木智子から聞くのはいいが、彼女が弟子と同じように経験がないのに嘘を付いている可能性もある。
 これは、探る必要がある。
 だから、その時と同じ質問をぶつけた。
「女性には前と後ろに穴が――違った! こっちじゃない!」
「ん?」
 文学は慌てて言葉を止めた。よかった、気付かれてはいないようだった。
 流石にこっちの質問はセクハラを通り越して言葉を使ったプレイになってしまうと判断した。
 だから、こっちにする。
「黒木さん個人の話じゃなくても構わないんですが、今時の高校生はデートでどこに行くんですかね?」
 智子は一瞬身構えた。この男、探ってきやがったか――と。
 自分のことを処女だと疑っているとしたら癪だが、残念ながら事実ではある。
 しかし、ここで舐められないためにも、一般的で当たり障りない回答をしてやり過ごすことにした。下手に捻った答えをしたら危ない。
「そ、そりゃあ、ネズミ―ランドに行ったりとか」
(来た!!)
 その回答は、文学としてはありがたかった。同様の答えを出した弟子は、その後の追加の質問に対し歯切れが悪く、嘘臭さ・童貞臭さを隠しきれなくなっていたからだ。ここで一気に黒木智子の恋愛経験を暴くことにする。
「――で、そのネズミ―ランドでどう楽しめばいいんだ?」
(うっ! この童貞、まだ突っ込む気か? しかも一つの質問を掘り下げてくる……)
 智子は頭の中で慎重に言葉を選ぶ。自分はネズミ―ランドに行ったことはあるが、そこでデートをした経験は無い。だから、ネズミ―ランドに関する知識を総動員し、カップルが喜びそうなものを頭に浮かべる。
「……そりゃあ、パレードを、みたりとか……見たりとか……」
(むむむ!?)
 文学は、あの時と全く同じ流れだぞと嫌な予感がしつつも、確信に迫っている気がしてきた。だから、恐る恐る最後の質問をした。
「……なあ……黒木さん……パレードを見て何が楽しいんだ?」
 智子はこちらを見ているようで見ていない虚無的な目付きで、ボソボソとこう答えた。
「いや……あの……中に入っている人、暑いのに大変だなーと思ったり……
 あれだけやっているんだから結構な金もらわないとワリがあわないなーとか考えたりして楽しむみたいな……」
「お前絶対に処女だろ!!」
 いつかの時と全く同じ答えを耳にし、文学は声を荒げて言ってしまった。
「はあ!? うるせーよ高齢童貞が! 筋肉鍛えて技磨く前に加齢臭抑えてモテる努力しろ!」
 真実を暴かれ、図星を突かれたことに智子も激昂する。相手が古流武術の使い手でも最早怯まない。
「というか、童貞が最強を目指しちゃいかんのか? 格闘技漫画の主人公とかだいたい童貞っぽいだろ!」
「範馬さんのところの息子は童貞捨てて滅茶苦茶強くなったじゃねーか! オーガも強くなりたくば喰らえって言ってたろ!」
「あんな漫画史に残る珍妙なセックスするくらいなら童貞の方がマシだ! この処女が!」
「言ったな? だったら一生童貞でいろよ!」
「――すまん! 前言撤回!」
 冬の街角で、女子高生と中年男性が童貞だ処女だと罵り合う光景は異様だった。
 その異様さは、周囲に人を集めるには十分だった。
 それに気付いた2人は、口論を止め。お互いに目配せする。
(黒木さん……!)
(おっさん……!)
((世間にこれ以上恥をさらす前に、止めよう))
 冷静になった童貞と処女は頷く。絶妙なアイコンタクトだった。
そして文学(童貞)は再び新宿方面へ、智子(処女)は当初の予定通り大久保駅方面に走る。
 2人の邂逅は、両者痛み分けという結果に終わった。
 2月の寒い日のことだった。

「い、いりえ……文学だったかな」
 その日の夜、智子は自室で今日出会った男の名前を検索してみた。
 近頃の検索エンジンは賢い。知りたい人間の名前を全て平仮名で入力しても答えがすぐに出てくる。「格闘技」「古流武術家」などと関連ワードを並べれば完璧だ。
「陰陽トーナメント……え? 200億円?」
 智子が辿り着いたのは、スポーツ新聞のウェブ版の記事だった。そこには、田島彬が開催する格闘技トーナメントの出場者一覧があり、その中にあの高齢童貞の名前と顔があったのだ。他の出場者には、智子でも知っている関修一郎や金隆山もいる。
(あのおっさん、一回戦で桜井とかいうよく知らないおっさんに勝っちゃったら、次に金隆山と戦うことになるのかよ!!)
 しばらくして冷静になった智子は、思った。
(おっさん、死ななきゃいいけどなあ……)
 心配でもなく、純粋な気持ちだ。
 あの年齢で童貞で、痛々しい言動のおっさん……情けなくて涙が出そうになるし、下には下がいて世の中広いなと複雑な気持ちにもなった。
 だけどまあ、せめて五体満足で日本に帰って来て、奇跡的に彼女でも作れたらいいんじゃないのかなと思ったりもした。
 ファイトマネー目当てで、女が寄ってくる可能性もあるだろうし。
「でもあの様子だと、そんな相手が来ても付き合うとか無理だろうなあ」

 それからしばらくして、陰陽トーナメント当日。
 家族が購入した有料放送で、マカオからの陰陽トーナメントの中継を智子は観た。
 そして、一回戦第三試合、あのおっさんの姿に涙する。

 その涙は、彼の姿が情けなかったから流したものではなかった。

モテないし活殺自在の古流武術家と出会う

モテないし活殺自在の古流武術家と出会う

わたモテ×喧嘩稼業のクロスオーバー小説です。 時系列的には、わたモテは12巻くらい?喧嘩稼業は1巻かそれよりちょっと前?

  • 小説
  • 短編
  • アクション
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-12-28

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work