かずおさんと戦争
「かずおさん」
これ、わが家の愛犬の名前。ご老体のマルチーズ、♂。もう足がよたよたしていて、目だってほとんど見えていない。日がな一日昼寝をして、のんびりと晩年を過ごしている。
飼い主はわたしのおばあちゃん。ミヨノばあちゃん。でもおばあちゃんは三年前、九十一歳の長寿で亡くなった。わたしにかずおさんを託してね。
かずおさんは「かずお」じゃないの。「かずおさん」という名前なの。生後三か月のマルチーズをわが家に迎えたその日から、おばあちゃんはずっとこの子のことを「かずおさん」と呼んでいた。始めから名前を決めていたようだった。お母さんは「マルチーズにかずおさんって名前、全然似合わない」と反対したのだが、おばあちゃんはまったく意に介さなかった。
ミヨノばあちゃんのお通夜の晩、同郷のチヱさんというおばあさんが、飼い主に先立たれたかずおさんを膝の上にのせて、背中の毛を撫でながら
「ミヨノもこれで、天国で和夫と再会できるねえ」とささやいて泣いた。
だれもチヱさんのそのささやきを聞いていなかったが、わたしはハッキリと聞いてしまった。
チヱさんと二人きりになったとき、わたしはチヱさんの耳元に顔を近づけて「ねえチヱさん、和夫さんって誰のことなんですか」と聞いてみた。
チヱさんはハッとして、
「和夫さんてば、ほら、このかずおさんじゃあないの」そう言ってかずおさんの白い毛をあわてたように撫でてみせた。
「ううん、そうじゃなくて。
わたし前から気になっていたんです、この子の名前。だってなんかリアルでしょう。カズオサンって。一度おばあちゃんに聞いてみたことがあるんだけど、むかし親戚にかずおさんという人がいて、戦争があったころ、若くして病気で亡くなったって。だからその人の名前をこの子につけたって。
でも、それ以上のことは何も教えてくれなかったんですよ。チヱさん、もし何か和夫さんという人のことを知っていたら、誰にも言わないから教えてくれませんか」
そう頼み込むと、チヱさんは困ったように首をかしげて
「まずったなぁ。あたし、余計なこと言っちゃったなあ。ミヨノは家族にも和夫のこと黙ってたのね。やっぱり昔の女だからねえ。あぁ無理もないねえ。ミヨノが誰にも言わず墓に持っていくものを、あたしがべらべらしゃべることなんてできないから、かんべんしておくれ」
チヱさんのシワ深い顔に、さらに深いシワが刻まれてしまった。
そんなチヱさんの困惑した顔を見て、わたしはすべてを悟ったのだ。和夫さんって、遠い昔のミヨノばあちゃんの恋人の名前にちがいない。和夫さんは親戚などではなくて、きっと戦争で死に別れたおばあちゃんの恋人にちがいない。そう考えてみると、すごく納得がいった。
わたしはもう十七歳だ。恋愛のことに興味津々だから、その手のことにかけては鼻がきく。
「チヱさん、ミヨノばあちゃんには、たぶん恋人がいたんでしょう?その人、戦争で亡くなったんですか」
「やっぱりミヨノの血だねえ。あんたは若いのに頭がいいよ。そうだねえ、誰にも言っちゃだめだよ。約束してくれっかい?」
わたしは少しときめいていた。ミヨノばあちゃんの秘められたロマンス。誰にでもあるんだなぁ、ロマンスの一つや二つって。
ミヨノばあちゃんに犬を飼うことを勧めたのはわたしのお母さんだった。おじいちゃんが亡くなった直後のことで、いいなぐさめになるだろうと思ってのことだ。ペットショップでミヨノばあちゃん自身が選んだ子犬に、おばあちゃんはかずおさんと名付けた。
チヱさんによると、その名前の由来となった人物は、ミヨノばあちゃんの生まれ育った村の幼馴染で、隣家の次男坊だったそうだ。
本名は広田和夫。おばあちゃんとは、いつしか恋仲になったらしい。和夫とミヨノはいつか夫婦になるとまわりからからかわれていたものだとチヱさんは言った。チヱさんは遠くを見るような目をして、
「和夫はねえ、いい男ぶりだったよ。気持ちのやさしい男だったけど、力石をひょいと持ち上げるようなたくましいところもあったもんさ」と言った。
力石とは、農村の男たちが力比べで持ち上げる大きな石のことらしい。いまならさしずめバーベルといったところか。
「じゃあ和夫さんは、おばあちゃんのフィアンセだったのね」
「まぁ、そんな言い方もできるかね」
もしも、そのころの日本が平和だったら、ミヨノと和夫は結婚していただろうとチヱさんは言った。そして仲睦まじく農家を営んでいたにちがいなかったと。
ところがミヨノと和夫の蜜月は、戦争の砲煙にかき消されてしまったのだ。
和夫に召集令状が届いたのは、戦争も末期のころだったという。それから時をおかずして、和夫は軍籍に入った。村人総出の激励と日の丸の小旗に囲まれながら、機関車の前で敬礼した和夫の顔には憂いの影さえなく、農家の若者にしては旅役者のように凛々しかったとチヱさんは強調した。機関車の汽笛と、天皇陛下万歳の歓呼の中にミヨノの姿はなかったそうだ。たぶんミヨノは、出征兵士を見送る場で声をあげて泣いてしまうのを恐れたにちがいないとチヱさんは言った。黒煙をあげて横切ってゆく機関車のすがたを、ミヨノは人気のない線路の脇に立って見送っていたにちがいない。そのときミヨノは、ドラマのワンシーンのように、機関車を追いかけて走ったかもしれない。村人のまえでは憂いの影さえみせなかったという和夫も、車窓から身を乗り出して、ミヨノに大きく手をふったかもしれない。そのとき和夫は泣いていなかっただろうか。泣いていなかったなどと誰が言えるだろう。
お葬式が済んでミヨノばあちゃんの遺品がすっかり整理された。だけどその中に、和夫さんにまつわるものはなにもなかった。わたしはチヱさんとの約束を守って和夫さんのことは黙っていたが、それにしても和夫さんらしきひとの写真もなければハガキの一葉もないのには少しガッカリしてしまった。
ミヨノばあちゃんは和夫さんのことを忘れてしまったのだろうか。そんなことを考えながら、壁に掛けられたばかりのミヨノばあちゃんの遺影を見上げてみれば、傍らにあるのはおじいちゃんの遺影である。
そうだよね、とわたしは思ったのだ。和夫さんとの思い出は、おじいちゃんと出会う前のことだったんだものね。
和夫さんはついに戦地から帰らなかった。チヱさんの記憶によると、和夫さんは沖縄で戦死したらしい。遺骨も遺品も何一つ故郷に戻ってこなかった。和夫さんと一緒に召集された若者たちの多くも同じ末路をたどった。
戦後のミヨノばあちゃんには、和夫さんのいない長い長い人生が待っていたのだ。決して和夫さんとの思い出を無かったことにはできなかったはずだけど、無かったことにしなければ生きていけない前途があった。たぶん、わたしのおじいちゃんと結婚したときに、ミヨノばあちゃんは和夫さんにまつわる一切のものを処分したのだろう。そこまでしなければ結婚に踏み切れなかったのだろう。
わたしの記憶に残っている限り、おじいちゃんとおばあちゃんはとても仲が良かった。おばあちゃんはおじいちゃんの嗜好をすべて理解していたし、二人で一緒によく旅行にも行っていた。二人で力を合わせてわたしのお母さんを育て、真司おじさんと春子おばさんを育ててきたのだ。おばあちゃんはまちがいなくおじいちゃんを愛していたと思う。おじいちゃんが癌で亡くなったとき、わたしはまだ小さかったけれど、肩を震わせて泣いていたおばあちゃんの姿をいまでもよく覚えている。
でも、おじいちゃんが亡くなった直後に飼い始めた子犬に、おばあちゃんは「かずおさん」という名前をつけたんだ。このあたりの心理が正直なところよくわからない。やっぱりおばあちゃんは和夫さんのことを忘れられなかったのだろうか。
ミヨノばあちゃんが亡くなる少し前、おばあちゃんはわたしの手を握りしめて「かずおさんの世話をまかせたよ」と言った。それがおばあちゃんからわたしへの遺言になってしまった。
「かずおさんに毎日ごはんをたくさん食べさせてあげてね。いつも新しいお水をたくさん飲ませてあげてね」そう何度も頼まれた。
わたしのお母さんは、そんなおばあちゃんの和夫さんへの愛情ぶりをよく叱っていたものだった。
「だからかずおさんは太ってるのよ。犬にも成人病とかあるんだから気をつけなくちゃ。お母さんはかずおさんに餌をやりすぎ!」
しかしおばあちゃんはいつも笑って取り合わなかった。最後の最後まで
「ごはんとお水をたくさんあげて」とわたしに言い続けた。
わたしにしてはめずらしいことだけれど、このごろよく図書館へ通っている。
ミヨノばあちゃんの恋人だったという広田和夫さんという人について、唯一知り得たことがあったからだ。和夫さんは沖縄で戦死した。だから少なくとも、沖縄戦争の記録を調べれば和夫さんの人生の最後の日々を知ることができると思ったからだ。
そもそも、なんで日本とアメリカが戦争になったのか、よくわからない。日本とアメリカは沖縄戦の前に硫黄島でも戦っているし、サイパンとかガダルカナルとか、真珠湾とかトラトラトラ・・・。当時のアメリカの大統領は真珠湾攻撃を事前に察知していたとか、当時の日本のエライ人たちは、戦争に勝つ見込みがないのにその現実を見てみぬふりをしていたとか、いろんな説やら意見やら、かんかんガクガク、さっぱり理解できない。だから政治的な話は飛ばして、沖縄戦の記録だけを読んでみることにした。
太平洋戦争の末期、アメリカの猛攻に追いまくられた日本は、太平洋の広範囲に拡大していた勢力圏を急速に失って、いよいよ本土に攻め込まれる可能性が現実味を帯びてきた。だから日本軍としては、南から北上してくるアメリカ艦隊をどうしても沖縄本島で食い止めたかった。日本側は必死であり、カミカゼの特攻隊もどんどん沖縄の海上へ飛んでいったし、戦艦大和も沖縄に向かう途中で撃沈された。日本がこんなふうに死に物狂いの気炎をあげていたから、アメリカも当然必死の覚悟で挑んできた。ちょっと信じられない話だけれど、沖縄戦でアメリカ軍が発砲した砲弾や銃弾の数は2、716、691発にもなるという。いまでも沖縄本島の地下には23トンにもおよぶ不発弾が残されたままだとか。このすさまじいアメリカ軍の攻撃は「鉄の暴風」と呼ばれている。
日本軍は上陸してくるアメリカ軍を水際で迎撃せず、内陸に進軍してくるのを地下壕で待ち受けた。たぶん、和夫さんもそこにいた。
アメリカ軍が内陸部に深く入り込んできたその時、日本軍の本格的な反撃が始まる。丘陵地帯に隠してあった速射砲や機関銃が一斉に火を噴いた。アメリカ軍も自動小銃、ありったけの手榴弾、爆雷で猛反撃し、戦車や火炎放射器も投入してくる。対する日本軍は弾薬が尽きるまで撃ちまくり、尽きればアメリカ兵の投げてきた手榴弾を広げた毛布で受け止めて、拾って投げ返す。あげくに両軍殴り合いの白兵戦までしたと記録にある。
沖縄県外出身の日本兵の戦死者は65、908人。
こんな戦場に和夫さんはいたんだ。
和夫さん、どんな最期だったの。
わたしは沖縄戦で生き残った兵隊さんたちの書いた手記なども数冊読んでみた。そこでは飢えと喉の渇きに苦しめられたと誰もが証言している。日本軍は深刻な物資不足に苦しんでいた。井戸などはアメリカ兵がことごとく破壊したため、飲み水を確保するスベもなかったのだ。兵隊さんたちは、あまりにも喉が渇いて、地下壕の岩石から一滴一滴としたたるわずかな水さえ必死になって舐めたという。わたしは想像してみた。チヱさんが旅役者のようだったと回想したあの和夫さんが、泥まみれの軍服の胸元をはだけて、壕の岩肌を舐めている姿を。痩せ細り、髭も剃れず、垢と泥と火薬の煤にまみれて、岩からにじむ水滴を舐めている姿を。
わたしは涙がこぼれた。
そしてようやく、ミヨノばあちゃんの本意を理解することができたような気がした。
生前のおばあちゃんもきっと、自分とは直接かかわりのないフリをしながら、沖縄戦の本やドキュメンタリー番組を見ていたにちがいない。和夫さんの最期がどんなものだったのか、自分なりに理解しようとしていたにちがいない。そしてわたしのように、和夫さんの痩せ衰えた姿を思い描いていたはずなのだ。
だからミヨノばあちゃんは信じたのだろう。マルチーズの子犬とペットショップで対面したとき、きっとこの子は和夫さんの生まれ変わりだ、和夫さんは不憫な死に方をしたから、もう飢えも渇きもない幸せな来世を生きれるように、神様が和夫さんの魂を子犬にして自分の手の中に戻してくれたんだと。おばあちゃんはきっとそう信じたにちがいないんだ。
ミヨノばあちゃんがいつもかずおさんに山盛りの餌をあげていたことも、新鮮なお水を与えていたことも、おやつだと言ってしょっちゅうビーフジャーキーを与えていたことも、いまならすべてを理解できる。
おばあちゃんが亡くなった頃のかずおさんは、まだいまよりは元気だった。すでに老犬の域にたっしていたけれど、散歩に連れて行くとよく歩いた。
かずおさんはわたしの少し前を歩きながら、よく振り返ってわたしのほうを見た。その表情は確かに笑っているのだった。もしもかずおさんが広田和夫さんの生まれ変わりだとしたら、充分幸せな来世であるような気がする。
毎朝、山盛りのドッグフードを与えると、かずおさんは口のまわりの毛をすっかり汚しながらよく食べた。そんな姿を見ていると、戦場の地下壕で飢えていたはずの和夫さんが思い出されて、もっとお食べという気持ちになる。わたしはミヨノばあちゃんの心を追体験しているのだった。
かずおさんの老いは、まず足にきた。ここ数か月の間に、いつもの散歩コースを歩ききれなくなってしまった。途中でしゃがみ込むと、もうリードをいくら引っ張っても動かなくなる。そうなったら抱きかかえて連れて帰った。だんだんと歩ける距離が短くなり、ついに排尿と排便以外では四本の足で立たなくなったころ、かずおさんの心臓は弱り始めていた。
やがて食が細くなり始め、ぐったりと横になってほとんど動かなくなってしまった。動物病院の先生は「老衰ですね。もう人間にしたら百歳ちかいですよ」とほほ笑んでみせた。病死や事故死とちがって、老衰は幸福な最期なのだとその表情は語っていた。
入院して死を待つか、自宅に連れて帰るかの選択を迫られたとき、わたしは迷わず連れて帰るほうを選んだ。お母さんも、それがいいというふうに深くうなずいた。
キャリーバッグはお母さんに持ってもらって、わたしはかずおさんを抱いて帰った。蝉が街路樹のあちこちで鳴いている。まだそれほど暑くはなかったが、直視するにはまぶしすぎる日差しだった。ああ夏が来たんだなとわたしは思った。
夏になると戦争関連のテレビ番組が多くなる。太平洋戦争末期の悲惨な戦場、本土の空襲、二発の原爆と、敗戦の玉音放送は、夏季の情景と結びついて日本人の記憶に刻まれている。わたしはかずおさんを抱きしめながら、顔さえ知らない軍服姿の青年のことを想っていた。
折よく夏休みが始まったから、わたしはずっとかずおさんのそばにいた。もうこの夏を乗り切れないだろうと思うと切なかった。かずおさんのふさふさした白い毛にブラシを入れると、気持ちよさそうな顔をする。いつもより少し多めに餌を食べてくれると、拍手をしたくなるほど嬉しかった。永遠に生きていてくれたらいいのにとそればかり思っていた。
でも、確実にかずおさんは衰弱していった。ついに餌を食べなくなり、横になって眠り続けていた。
わたしは小さい頃からずっとかずおさんと一緒に暮らしてきたのだ。かずおさんのいない生活なんて想像もできなかった。ミヨノばあちゃんも逝き、さらにかずおさんも天国へ行ってしまったら。そう思うといつも泣きたくなる。
その日は気温が30度を超える猛暑日で、エアコンを除湿にしたり冷房にしたりしながら快適な室温を保っていたのだが、一日中エアコンの風をあてていたらかずおさんのからだに毒なので、夕方になって部屋の窓を開けた。夕涼みという言葉にふさわしいやわらかな空気が、わたしとかずおさんのまわりに流れた。
わたしは夕飯を済ませると、またかずおさんの寝ているクッションの横に座り込んだ。ここ数日、ずっとこんな過ごし方。
そのときだった。
ドドーン、ドドーン、
大きな音が空いっぱいに反響した。
かずおさんはびっくりしてからだを起こした。
わたしはハッとした。今夜はもしかして花火大会?
なんて残酷なタイミングなんだ! 毎年かずおさんは打ち上げ花火の音にひどくおびえるのだ。心臓が弱っているかずおさんにこの音を聞かせたら、ほんとにもう死んでしまうじゃないか。
しかし容赦なく、毎年恒例の花火大会が始まってしまった。景気づけの最初の花火が激しく打ち上げられた。
ドン、ドドーン、ドドーン、ダーン、
かずおさんは目をしばたたきながら、ぶるぶると震えだした。
わたしは慌てて雨戸を閉めた。しかし花火の大きな破裂音をさえぎることはできなかった。
ドン、ドドドン、パーン、
ドドドドド、ドドーン、
そのたびにかずおさんのからだがビクッとして、ぶるぶる震える。
この激しい震えは、衰弱しているかずおさんの体力をすぐに奪ってしまった。かずおさんは頭を上げていられなくなり、ぐったり横になったまま震え続けた。
これほど花火を恨んだことはなかった。もうやめてくれとどなりたいような気持だった。わたしは耐えられなくなり、きつく目をつぶった。
そのときふと、まぶたの奥に戦争が見えたような気がした。そうだ、かずおさんはこの音を、砲撃の音だと思っているんだ。わたしは大まじめにそう思った。そうにちがいない。
沖縄戦は「鉄の暴風」と呼ばれた。空襲と艦砲射撃が豪雨のように沖縄の大地に打ちつけたのだ。和夫さんはそのとき地下壕にいた。持久戦にもちこみたい日本軍は、砲弾が荒れ狂う嵐の下でじっと反撃の機会をうかがっていた。
それは恐ろしい時間だったにちがいない。いくら壕の奥深くで息をひそめていたとしても、直撃弾を受ければ一瞬にして死ぬだろう。五体が裂けて、一瞬で死ぬ。そんな運命が、一分あとか一秒あとに迫っている。今日一日生きられるか、明日は死ぬかもわからない薄暗い壕の中で、止むことのない砲撃の音を和夫さんは聞いていたのだ。その音は、自分を殺す悪魔の足音のように残酷な響きだっただろう。実際、和夫さんは直撃弾を受けて死んだのかもしれないのだ。
わたしはかずおさんのからだを撫でながら
「だいじょうぶだよ、だいじょうぶだよ」
なんども繰り返した。
ドン、ドドーン、ドドドン、ダーン、
「これは花火の音なんだよ、平和な音なんだよ、砲撃の音じゃないんだからね」
かずおさんの震えはひどくなるばかりだった。ぶるぶる、ぶるぶる、呼吸も荒くなってきた。このままではいつ心臓発作を起こしてもおかしくないような気がする。わたしは涙が出てきた。
花火の音がいっそう激しく高まってきた。
一玉一玉の間隔が短くなり、ほぼ連打のようになってきたのは、大会が最高潮に向かっているからだ。きっとこの音の下では、たくさんの人たちが夜空を見上げ、歓声を上げながら赤や青や緑色の光に魅せられている。若いカップルは新しい浴衣を着て、家族連れは屋台の綿菓子を食べながら、平和な夏の風物詩にひとときの解放感を味わっている。
ドン、ドドーン、ドドドン、ダーン、
「これは花火の音なんだよ、砲弾の音じゃない、戦争はもう終わったんだよ。だから怖がらないで、怖がらなくていいから」
大会はフィナーレに向かい、ありったけの花火を打ち上げている。そこに仕掛け花火の滝のような音が加わった。わたしはかずおさんがかわいそうでポロポロ泣いた。
「もう戦争は終わったの、ずっと前に終わったの、みんな戦争のことなんて忘れているし、わたしだって本を読むまでは知らなかった。これは花火の音、楽しい音なの、人を殺すための砲弾の音じゃないから」
ドドドドドド、ドドン、ドドドン、ドン、ドン、
「いまこの国は平和だよ、食べ物もいっぱいあるよ、アメリカとも仲良くしてるよ、だからかずおさん、もう怖がらないで、お願いだから怖がらないで。神様、かずおさんを助けてください」
わたしはかずおさんのからだに頬ずりした。とめどもなく涙が出た。
やがて、花火の音が止んだ。
かずおさんの震えはまだしばらく続いた。震えながら深く眠っているようだった。わたしはかずおさんの傍らで横になり、いつまでも頭や耳やからだを撫でていた。いつまでもいつまでも撫でていた。
翌朝、目を覚ますとかずおさんは冷たくなっていた。
目のまわりが少し窪み、鼻も乾いて硬くなっていた。ふさふさだった白い毛にはツヤがなく、そっと触れてみると、骨格が硬く浮き上がっているような感触だった。
わたしは胸の奥から熱いかたまりがこみ上げてくるのをこらえながら、よろめくように立ち上がり、雨戸を開けた。朝の光でかずおさんを照らしたかったのだ。
昨夜の花火がうそのように静かな朝。
遠くで蝉が鳴いていた。
かずおさんと戦争