君の声は僕の声  第三章 1 ─KMCの男─

加賀谷樹里

君の声は僕の声  第三章 1 ─KMCの男─

KMCの男


 ──体が熱い。

『!』

 額がひんやりとした。冷たくて気持ちがいい。柔らかな手の感触。細い指が髪を優しくなでる。久しぶりに触れる女の人の手の感触。

「母さん……」

「まあ」

 少年のうわ言に、シノは口もとをほころばせた。

 明け方、いきなり家のドアが激しく叩かれ、血を流した少年がリュウジに抱かれ運ばれてきたとき、シノは驚いたが冷静に行動した。少年をベッドまで運ぶと、リュウジは工場へ引き返して行った。シノは急いで診療所へ電話し医者を呼んだ。傷口を見て銃で撃たれたことはシノにもわかった。シノは医者に「事情がわかるまで口外しないように」お願いした。

 白いレースのカーテンから零れる、柔らかな陽の差した少年の顔をじっと見つめる。見慣れない顔。学園の生徒ではない。玖那人でもない。
 シノは少年の額に浮かんだ汗を、濡れた布巾で拭きとった。
 少年の眉間がピクリと動き、口元から小さな声が漏れた。

「気がついた?」

 秀蓮(しゅうれん)がゆっくり目をあけると、三十前後の玖那人の女性が秀蓮をのぞき込んでいた。

「少し待ってね」

 流暢な載秦語でそう言うと、部屋の隅にある電話機のダイヤルを回した。

 ──部屋に電話がひいてある。裕福な暮らしぶり。ここは、あの男の家なのか?

 シノが受話器を置いて戻ってきた。

「傷は掠っただけだったわ。ちゃんと診療所のお医者さまに診てもらったから、安心してね」

 シノが優しく微笑んだ。

 ──電話の相手はあの男か。(そう)は、無事に逃げられたのだろうか

「ここは私の家よ。私のほかには誰もいないわ。私の名前はシノ。神楽学園中等部の教師をしているの。あなたのことは、リュウジと──あなたをここへ運んできた男の人よ。それと、お医者さま以外は誰も知らないわ。何も心配することはないのよ」

 痛みに顔をゆがめる秀蓮を安心させようと、シノは優しく言いながら秀蓮の胸元にそっと手を添えた。その時、遠くからチャイムの鳴る音がして、シノが部屋を出ていった。話し声が聞こえ、しばらくしてから、スーツ姿の男がシノと一緒に入ってきた。

 男がベッドわきの椅子に腰かけた。男の隣でシノが怪我の具合を話して聞かせる。

「まだ熱が下がらないの」
「医者は何て?」
「熱が下がれば心配はないと」

 秀蓮は目を開けてリュウジを見た。あの男だった。

「君は秀蓮だね」

 リュウジが瞳を動かさずに言った。『この男は……』聞きたくても秀蓮は声を出せなかった。

「君を探していたんだよ。まさか君のほうから来てくれるとはね」

 リュウジは秀蓮のあごに手を当て、軽く持ち上げるようにして自分の顔を近づけると、秀蓮の顔をなめるように、隅々までじっくりと眺めた。

「奇跡だな」

 秀蓮がリュウジを睨み上げる。

「おっと」

 リュウジが手を離し、秀蓮に諭すようにゆっくりと言った。

「私は君をどうこうしようとは思っていない。警備員の愚行は、我々カンパニーの意図するところではない。彼らには帰国してもらう。現場も綺麗に片づけたし、お友達の足跡もちゃんと消してきたよ。君が心配することは何もない」

「聡……聡は!」

 秀蓮が起き上がろうとして痛みに倒れそうになる。慌ててシノが秀蓮の体を支えてベッドへ寝かせた。

「おそらくお友達は無事に逃げたでしょう。でも、金庫から重要な書類が無くなった事実は隠せないんでね」

 リュウジは腕を組んでため息をついた。

「なぜ? なぜ、僕たちのことを隠す? ──僕を、どうするつもりだ」

 秀蓮は苦しい息で切れ切れに言った。

「どうもしないと言っただろう? 安心してゆっくり傷を治して、それからまた話をしよう」

 リュウジは椅子から立ち上がり、シノに「頼む」と言って部屋を出ていった。リュウジは一貫して表情を変えずにいたので、秀蓮には何を考えているのかわからなかった。

 とりあえず聡は無事に逃げられたようだ。秀蓮は安心して目を閉じた。熱が下がったら、あの男が来る前にここを出ればいい。このシノという女性は何も知らないらしい。自分を見たままの子供だと思っているようだ


 隙を見て逃げ出せると思った。


  ※   ※   ※


 櫂の部屋も余計な物は置いていない。
 だが、透馬の部屋とはだいぶ印象が違う。散らかっているわけではないのに、透馬の部屋のような小奇麗さがなかった。カーテンが左右ばらばらに開けられ留められていない。ベッドのシーツはくしゃくしゃになって足もとに丸まっている。棚の本は無造作に積み上げられていた。

「最初に聞いておくが……おまえたちは、大人になりたいと思うか?」

 櫂が真面目な面持ちで訊ねた。櫂の唐突な質問に、聡を除く三人は答えられず、お互いの顔色を伺っていた。

「俺は正直、今更、大人になりたいとか、なりたくないとか、どっちでもかまわない。だけど、今の生活を続けていくのには少々うんざりしている」

 三人は黙ったまま櫂の次の言葉を待っている。

「聡が持ってきたものは、KMCの企業秘密だ。これで俺たちが成長しない理由がわかるかもしれない。ま、理由がわかっただけでは大人にはなれないがな。とりあえず、KMCがどうやってエネルギーを作り出しているかはこれでわかる。あとは、新しい研究施設の計画書に、俺たちの健康診断の記録。それから西恒川の水質調査……。聡は秀蓮とふたりでこれを盗んできたわけだ」

「秀蓮て?」

 麻柊が訊ねる。

「特別クラスでもなく死亡届でもなく、森の中で暮らしてる変わり者だ。カンパニーに捕まっちまったがな」
「カンパニーに」
「そいつ大丈夫なのか?」
「巡警に突き出される?」
「僕たちもやばいんじゃないの」

 巡警とは、二年ほど前に新たに設けられた制度で、街には軍とは違う黒い制服をまとった巡警が闊歩していた。

「巡警に突き出されることはないさ。これを見られて困るのはカンパニーだろ。それに俺たちは未成年だ」

 櫂はしてやったりというふうに笑った。

「ああ、そうか、そうだよね。良かった」
「良くはない。巡警よりヤバいかもな。KMCを敵に回すかもしれない」
「………………」

 三人は黙った。

「これから先は、危険を冒してでも大人になりたい奴には話す。ここでいつまでも同じ姿のまま同じ毎日を静かに暮らしたい奴は、いま聞いた話は忘れろ。強制はしない。大人になれる保証はないし、身の安全の保証もない。それでも構わない奴にだけ話す。ひと晩考えて、聞きたい奴は明日、ここに来い」

 ヤバいだの、危険だのと言われた三人は表情を硬くした。成り行きに不安と責任を感じて聡が口を挟む。

「あの、僕はみんなを巻き込むつもりはないよ。櫂、君のことも。秀蓮だって、君に書類を預かって欲しかっただけだと思う」

 聡の言葉に櫂は何か言いたげに口を動かそうとしたが、みんなに視線を投げて言った。

「まあ、みんなひと晩考えよう。聡、おまえも少しゆっくり休め。──といって、空いてるベッドはないな。あっ……ひとつだけあったか」

 麻柊と流芳が顔を見合わせた。 

「櫂、それは……杏樹の部屋のベッドのこと?」

 流芳が上目使いに小さく言った。透馬が軽く首を横に振って櫂を見た。不穏な空気に聡は遠慮がちに口にする。

「あ、僕は、秀蓮の家に帰るよ……。また、明日来る」
「それは駄目だ。カンパニーの奴らがあんたの行方を追っているかもしれない。ここにいた方がいい。秀蓮だってここに来るんだろう? ここで待つように言われたんだろう」

 聡は釈然としないまま頷いた。



「杏樹と同じ部屋にして大丈夫かな」

 階段を降りる足を止め、流芳は透馬を振り返った。

「ずっといるわけじゃないし、聡は人の秘密を探るような奴じゃない。普通に過ごしていれば大丈夫だろう」

 流芳は不安げに頷いた。聡はふたりの先を黙って降りて行った。



 櫂がドアをノックするのを後ろで流芳たちが何か言いたげに見つめていた。先ほどの三人の様子から、聡はこの部屋の杏樹という名の住人に不安を抱いた。寮生から同室になるのを避けられている少年なのだろうか。乱暴な奴なのか。それとも性格上問題ありの奴か……。立場上、嫌とは言えない。秀蓮が来るまでなんとかやり過ごすしかない。どんな少年なのか、聡は固唾を呑んで身構えた。

「はい」

 ドアが開き、杏樹が顔を出した。櫂が何やら説明していたが、その言葉は聡の耳には入ってこなかった。

「聡、おい聡」

 はっとして櫂に目を向ける。

「夕食の時間になったら杏樹と一緒に食堂に来いよ。杏樹、よろしくな」

 櫂がそう言うと、杏樹は「ああ」とそっけない返事をして部屋の中に入っていった。

「じゃあな」

 そう言って聡にシーツと着替えを渡すと、櫂と透馬は行ってしまった。

「僕たちは隣の部屋だから、何かあったらいつでも言ってよね。じゃあまた後で」

 流芳と麻柊がなおも心配そうに、聡と奥の杏樹に声をかけてドアを閉めた。

「そっちのベッド使えよ」

 耳もとで声をかけられ、体をよけるように聡は後ろを振り返った。目の前に少年の顔が迫り、聡の心臓が跳ねた。どんな問題児が顔を出すのかと思っていたら、現れたのは、白い肌の小さな顔にバランスよく配置された目鼻立ちの、体つきも華奢な、まるで少女のような少年だった。

 聡は別の意味で当惑した。

「シーツ、そっち持って」

 杏樹は聡からシーツを取り上げると、シーツを敷くのを手伝ってくれた。特に問題のある少年とは思えない。むしろ大人しい少年に見える。

「シーツとパジャマは取り替えたくなったらリネン室に持っていけば交換できる。寮のおばさんに洗ってもらえるから」

「あ、でも僕はここには……」

「櫂の知り合いなんだろう? ここでは誰も詮索しないから」杏樹がさえぎった。「時々面会に来て泊まる人間がいるけど、みんなカンパニーにやってもらってるんだ。気にしなくていいさ」 

 自分のベッドに座って片膝にほおづえを付き、傾けた小さな顔から横目で聡を見上げ、笑うでもなく不愛想でもなく、少女のような細く透明な声で言った。

君の声は僕の声  第三章 1 ─KMCの男─

君の声は僕の声  第三章 1 ─KMCの男─

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