彼もあたしも

彼とあたしは付き合って二週間。できたてほやほやのカップルだ。同じ高校同じクラスで出会った彼はみんなの人気者タイプのモテモテ系男子で、なんでよりにもよってあたしみたいな女っぽさのかけらもないくせに女独特の醜さだけを持ってるような女のことを好きになったのか見当もつかない。もっといい子がいたでしょ絶対。それでも彼はあたしが好きだと言う。あたしは彼に憧れに似た感情を抱いていたから、告白された時は嬉しくて飛び跳ねそうだった。
彼と付き合ってからの二週間はあっという間のようで長かった。先行き不安になるが、ちょっと喧嘩もした。理由は彼が少し嫉妬したから。あたしが男友達と手の大きさを比べようって流れになって手を合わせたのを見て嫉妬したらしい。そんなことで嫉妬するなんて面倒な男だと思う人もいるだろうけどあたしは嬉しかった。だって人気者の彼があたしなんかのことで心を動かしてくれるんだもん。
嬉しかったけどあたしも言い返したから喧嘩になった。そんなに嫌ならあなたもあたしの手に触れればいいじゃん、触りたいんでしょ、触ってよっていう具合に。あたしもなかなかな女だなと思う。あたしに比べると気の弱い彼はごめんと軽く謝ってから、「次のデートでは手を握らせてくれ」と言うもんだから、あたしは「いいよ、握らせてあげる」としか言えなかった。
デート当日、あたしは気合をばちばちに入れていった。真冬だと言うのに黒のタイツは六十デニール。ピンクのニットワンピは女の子の必殺デート服である。ダッフルコートに白のマフラーでこれはもう女の子らしすぎて、愛しの彼のハートを鷲掴み違いなし。今年の冬のために新調したスマホ対応の手袋は家に置いてきた。ばっちり。これで憧れの彼の手を握れる。彼の手のぬくもりを感じてドキドキすることができる。手を繋いで街を歩くんだ。素敵な彼氏の彼女ですって顔して歩けるんだと思うとワクワクする。そんなことを考えながらあたしは家を出た。この期待が数時間後裏切られることも知らずに。
待ち合わせ場所に着くと彼がいた。待ち合わせ時間十五分前に着いたというのに。残念、デートだからとはりきって早めに着いて寒い中彼氏を待って手を冷やすかわいい彼女作戦、失敗。はりきって早めに着きすぎたのはかわいい彼氏だった。惨敗である。
そしてさらに残念なことが発覚する。彼は手袋をしていたのだ。なんでせっかくのデートで手を繋ぐのに手袋をしているんだ。その手袋がスマホに対応していることにすら腹が立つ。あたしは置いてきたのに。手が凍る思いして最寄り駅まで自転車漕いだのに。よくよく考えれば手袋して自転車漕いで電車の中でカバンに手袋をつっこんでおけばよかった気もするけど、なんだか無性に腹が立つ。不機嫌になる。せっかくのデートで不機嫌になってごめん。でもあなたが悪い。手を繋ぐためにわざわざ手袋を外すつもりなのか。なんだそれ、ムードがない。手袋越しに手を繋ぐのか。なんだそれ、ありえない。
「じゃあ、行こっか」
そう言って手を繋ごうともせずに歩き出す彼。手を繋ぐって約束は忘れたのか、この野郎。
今日のデートは映画デート。あたしが観たがってた映画を二人で観ることにしたのだ。あたしはそのこともあってうきうきで家を出たのに、ついむすっとしてしまう。こんなに不機嫌なのに、あたしが不機嫌になってることすら気づかない鈍感な彼。そういうところも嫌いじゃない。嫌いじゃないけど、好きじゃない。一回むすっとしてしまったら、いつ機嫌を直せばいいのかわからなくなって、あたしは映画を見ながらもずっと彼が手袋を身につけてデートに来たことに腹を立てていた。面倒な女だと笑う者もいるだろう。しかしこれは恋する乙女にとって大問題なのである。直に好きな人の手を握りたい。そう思って何が悪い。ふっくら柔らかいのか、それともごつごつして硬いのか、大きな手で包まれるような心地がするのか、ひんやりして気持ちがいいのか。昨日はそんなことをひたすら想像しながら眠ったのだ。夢の中の彼の手の感触は、ふんわりしていてよくわからなかった。だから、本物の彼の手に触れたいって余計に思った。それなのに。
映画館の中ではさすがの彼も手袋を外したので、そこにはあたしのそれよりは大きいであろう彼の手がある。自分から握ってしまおうか。いや、それじゃ負けた気がする。映画のクライマックスのシーンで手を握ってくれるのだろうか。そうだ、そうに違いない。ロマンチストなあたしの彼氏。好きだ。
しかし、映画が終わるまで彼はあたしの手に触れなかった。約束を忘れてしまったのだろうか。だとしたら許さない。映画の内容は全然頭に入らなかった。彼のことで頭がいっぱいだったからだ。機嫌を直すタイミングを見つけられなかったあたしは、映画館から駅までの道のりもずっと手袋への憎しみを募らせていた。馬鹿な女だ。せっかくのデート、手を繋げてなくても楽しめばよかったのに。観たかった映画を彼と一緒に観れたことだけでも幸せに感じられればよかったのに。なんで馬鹿なんだろう。せっかく洋服もメイクも可愛くしてきたのに、あたしが可愛く振る舞えなければ意味がないじゃないか。自己嫌悪があたしの世界を暗くする。横を見ればイルミネーションがきらきら輝いているというのに、あたしの気分は晴れない。怒りと悲しみと、残念な気持ちと好きな気持ちが混ざってあたしの心に溜まる。泣きそうになる。なぜあたしはこんな思いをしているんだろう。せめて彼があたしのこの気持ちを分かってくれれば救われるのに、彼は気づく素振りすら見せない。救われないあたし。好きな人の手に触れたいという些細な願いすら叶えられない惨めなあたし。そう思うと目が潤んだ。泣いてはいけない、こんなところで泣くわけにはいかない。彼に初めて見せる涙は嬉し涙がいいから。あたしの隣を歩く彼の手には手袋。グレーのあったかそうな手袋。そいつを剥がして彼の手を握ったらあったかいんだろう。頭の中は彼のことでいっぱいだった。前を見て歩く横顔が好きだ、たまにあたしの顔を見て微笑む顔が好きだ、歩き方すら愛おしい。そんな彼の手を握りたい。
「大丈夫? なんで泣いてるの」
彼のその言葉で、あたしの頬が濡れていることに気づいた。涙が流れていたのである。
「なんでって。わかんないの? 忘れちゃったの? あたしの手、握ってくれるって言ったじゃん。なんで手袋なんてしてくるの。あたしとの約束忘れたんだよね、謝るとかいいから。何言われても許さないから。怒ってるよ、今日ずっとそのことばっかり気にしてたのに気づいてくれないし、こんな風になってもわかってくれないし、鈍感にもほどがあるよ。今更手繋いでなんて言ってあげないからね、もう遅いよ」
「別れよう」と言いかけてやめた。彼の目をじっと見つめた。綺麗だった。この映像をずっと頭に焼き付けて別れようと思った。好きだった。好きだから辛かった。デートで泣いて勝手に怒って、彼もこんな女と付き合っていたくないだろう。きっとその言葉を口にしても彼は真意を汲み取ってはくれない。言っても無意味だろう。だったら言わなくていいじゃないか。思考がぐるぐると回って気持ち悪い。
「ごめん」
あたしの思考は彼の言葉によって断ち切られた。あたしの全神経が彼の言葉に集中する。
「ずっとこうしたかった」
あったかかった。彼の手の感触だ。あたしの手に彼の手が触れている。たったそれだけの事実があたしの身体を火照らせた。
「どのタイミングでこうするのが一番かっこいいかとか考えてたら、一番かっこ悪いタイミングになっちゃった。ごめん」
「ばか」
「デート中ずっとそのこと気にしてた。でも緊張しちゃってできなかった。ごめん」
「ばか」
素直に思ったことを伝えてくれる彼が好きだ。あたしの前でかっこつけようとする彼が好きだ。真っ直ぐにあたしを見つめる瞳を見つめ返すことができない。きっと美しすぎて見ていられない。そのくらい好きなんだ。
「ずっとこうしてたい」
「あたしも」
あたしたちはしばらく立ち止まって、手を握りあっていた。街行く人は不審そうにあたしたちを見たかもしれないけど、そんなことはどうでもいい。彼もあたしもずっと手を繋ぐというただそれだけのことを気にしていたのだ。それがやっとできた。それだけで幸せを感じた。きっと彼もそうなんだろう。幸せそうな顔をしている。彼もあたしも、恋人のことが大好きなのだ。

彼もあたしも

彼もあたしも

「次のデートでは手を繋ぐ」という約束をしたが、現れた彼は手を繋ぐというのに手袋をしていた。そのことに憤る「あたし」と鈍感な「彼」のお話。

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-12-21

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