茸の飼育

茸の飼育

茸SF小説です。縦書きでお読みください

 今年の四月、高尾山の麓の新しくできたマンションに移り住んだ。最上階の十八階で、窓から望む景色は最高である。高尾山の木々が目の前に迫ってくる。今まで住んでいた新宿とは大違いだ。これならば仕事もはかどるに違いない。
 寝室とかなり広い部屋が三つもある。キッチンも前の倍はある。一番広い部屋は仕事部屋にし、あとの二部屋は趣味で集めたものを置いておくのに使う。仕事と趣味が重なり合うので、すべてが仕事部屋ともいえる。
 仕事はおもちゃやガチャのキャラクターの設計である。アニメが好きで、それに出てくるキャラクターのフィギュアーをたくさん集めた。それが仕事になった。
 部屋の壁に沿って大きな本棚を置き、集めたものを並べた。なんとも壮観だ。
 アニメのビデオやDVDもたくさん持っている。ちょっとマニアックな再生装置をもっている。収納棚にはビデオ、DVDがあふれている。アニメを見ていると刺激され、頭の中に自分なりのキャラが浮かんでくる。男の子の好きになる新しいキャラクターを考える時には、女の子の好きそうなフィギュアーを並べて考えたりもする。要するに頭を別の方向にもっていったときのほうが、面白いひらめきが起こる。
 かわいらしい猫のフィギュアーを目の前に並べてみたとする。みんな同じ顔をしている。インパクトのある猫を作らなければならない。タレパンダを考えた怠惰な女の子のことを思いだす。面倒くさくて眠くて、だらけたパンダを描いたらヒットした。腹が減ってきた。食いたい猫を作ってみよう大口を開いている腹ぺこ猫、大酒のみの猫、どうだろう。これではだめだ、もう誰かが考えているだろう。むしろ殺人猫の方がいいかもしれない。と言った頭のゲームをする。
 だがなかなか簡単にいくものではない。今はやっているのは大王具足虫である。草鞋(わらじ)虫やダンゴムシのような形をしている、昔はきったないという虫で、とても子供のアイドルになるようなものではなかった。何年も食べなくても生きている。それがとうとう死んだ。これが話題になり有名になると、かわいいということになる。ゴキブリだって同じような顔なのに嫌われる。ニュースでゴキブリについているばい菌の数は人間の手の平と同じほどだということを言っていた。人間の思い込みは怖い。逆にそれを利用すると売れるのである。
 その日、作業部屋で何とか新しいものをと頭をひねっていると、隣からかすかだが音楽が聞こえてきた。ブーンという音も聞こえる。気になるほどのものではない、普通だったら気がつかないだろう、静かなクラシックである。モーツアルトだ。
 このマンションはワンフロアーに二軒はいっている。面白い造りになっていて、ビルのそれぞれの側にエントランスがあり、エレベータも二機ある。それで隣の人と会うことは全くない。一つの入り口を利用しているのは一八軒の住人ということになる。一つ下の階に住んでいるのは初老の夫婦で、会うときはいつもハイキングの格好をしている。きっと老後を山の散策で楽しんでいるのだろう。若い夫婦、子供を二人抱えた奥さん、さまざまである。
 そのようなことから、音楽が聞こえてくる隣に、どのような人がいるのか全くわからない。昼間からいるということは会社勤めではないのであろう。会社勤めとしても、自宅にコンピューターがあれば仕事の出来る時代である。私もアイデアが浮かんだ時だけ、その設計図などを持って事務所にいく。場合によってはアイデアーが浮かばないので、仲間と会ってストレスを解消するために行くこともある。毎日会社に行く一般のサラリーマンとは違った生活をしている。
 その日から音楽は毎日聞こえてくるようになった。隣の住人は自分と同じような生活をしている人か、もうリタイヤーをして好きな音楽を一日中聞いている人か、そんな想像をしていた。
 ところがその隣の住人と、ひょんなところで出会うことになった。
 スケッチを会社にもって行き、ひとしきり仲間と話をして、午前中にマンションに戻った時である。エレベータで若い女性と一緒になった。始めてみる人だ。スマホを見ながら私と一緒にエレベータに乗り込んだのである。黒いスラックスに真っ赤なヒール、白いブラウスとあまりにもすっきりとしたいでたちだ。背はかなり高い。黒髪を無造作に束ねて、顔つきはちょっと外人ぽい。何を見ているのかとのぞき見をすると、茸の写真である。茸の図鑑を開いている。
 何をやっている人だろう。同じようにイラストを書くか、絵を描く人か、などと思っていると一緒に十八階についてしまった。スマホに熱中して降り損ねたのだろうと思っていたのだが、私が降りようとすると彼女も一緒に降りた。ここには私の家しかない。彼女はそのまま私を通り越すと、私の部屋の戸の鍵穴に鍵を差し込んで回そうとしている。何をしているのだ、開くわけはない。
 「あれ」っと首をひねっている。階を間違えたのだろう。
 「ここは十八階ですよ」と教えるつもりで言ったところ、
 「ええ、私も」と、彼女は私の顔を見た。そして急に笑いだした。
 「え、いや、ごめんなさい、下の入口を間違えたみたい。私そそっかしいんだから、ここはあなたの家ですのね、私は隣に住む美輪美羽です、失礼しました」
 入口にはNとSと書いてある。私の家はSの入口で、南東を向いている。隣の部屋は北西でNの入口である。
 「あ、そうでしたか、僕は逆井根九朗です、越してきてまだ一月です、よろしく」
 「あら、こちらこそよろしくお願いします」
 彼女は笑顔のまま止まっていたエレベーターに乗った。
 なかなかチャーミングな女性だが、年がよめない、同じくらいだろうか。
 ということで、お隣さんとは越してきて一月後に初対面を果たした。音楽好きの感じのよい女性でよかったとちょっと安堵した。会う機会がないのはちょっと残念だ。

 高尾山は確かに人が多い。休日になると、ぞろぞろと若い人のグループやカップル、老人たち、それに混じって外国人の人たちが沢山登っている。私も連休前、平日の朝早く、観光客がいない頃を見計らって、ぽちぽちと登ってみた。新宿にある事務所近くのアパートに住んでいた頃には、緑の中を歩くというと、新宿御苑を昼休みに仲間とぶらぶらする程度であった。それでも新宿御苑の近くでよかったと思っていたのだが、こういった自然にはかなわない。
 大きな根がごちごちと這っている道を登っていくのは足の感触が違う。登っていくと展望が開ける。反対側の山の斜面の緑が目をうつ。しばらくいくと、道の脇の土の中に網笠茸が生えているのをみつけた、茸は子供の話の中にはよくでてくるし、大人の世界でも食材として大事な生き物である。網笠茸はフランスではモレーユといい、国民こぞって大好物である。数本かたまって生えていた。写真を撮った。
 動植物は採らないようにとの触れがあったが、茸ならいいだろうと思い、全部ではなく三本だけ上着のポケットに入れた。そういえば中学生の頃に教わった生物では、世の中の生き物は動物界と植物界の二つに分かれていたのに、今では菌界が加わって三つになっている。いろいろなキャラクターを考えるのに、小学校から高校までの教科書も参考にしたりしているので、そんなことも頭にはいっていた。生物に限らず、物理、化学、地学の教科書の図に刺激されることもある。
 ケーブルカーの終点近くまでくると、植物園やビヤガーデンがある。眺めがよく新宿の方もよく見える。ビールでも飲みたいところだが、残念ながらこの時間では開いていない。景色を眺めもう少し歩いて神社によって帰ることにした。高尾山に登るルートはいろいろある。降りるのは別の道にしてみた。途中で滝があり、行者が二人早くから滝に打たれている。そんな様子を眺め、ゆっくりと降りた。
 マンションにもどっても、まだお昼までに時間がある。これから週に何回か高尾山に行くことにしよう。とてもいい散歩で頭のリフレッシュになった。
 ポケットの中の網笠茸を机の上の小箱に放り込むと、デスクトップを開けた。高尾山の天狗の顔を描いた。鼻を低くする。どこかにこんな顔のおじいさんがいたような気がする。なぜ顔が赤いのだろう、青や紫にしてみたらどうだろう、緑にしてみた。緑色の顔の天狗が木の上に腰掛けていると以外とマッチする。一つ目の天狗はどうだろう。おどろおどろして面白い。高い鼻の先に目を付けてやれ。ほほうシュールだ。
 などどと、試みていると、というより遊んでいると、今日はジャズが聞こえてきた。MJQである。おとなしい、どちらかというとバックグラウンドミュージックだ。かすかに聞こえるのもいいものである。だが前よりも音が高いような気がする。以前はほとんど聞こえないときが多かった。といっても気になるほどではない。コンピューターに向かってこういうことをやっているだけだから聞こえるのだろう。
 その時、ドアチャイムが鳴った。客などまず来ることがないということは、管理人あたりであろう。のぞき窓からみると、若い女性が立っていた。この間の隣の女性だ。
 ドアを開けた。彼女は明るい声で「こんにちは、隣の美輪です」と頭を下げた。
 「あ、こんちは」僕は自然と笑顔になって彼女を見た。
 「実は、昨日から、ちょっと音楽のボリュームを上げてみたのですが、こちらに迷惑がかかっているといけないと思って、おたずねしました」
 「あ、いえ、大丈夫ですよ、動いていれば全く気がつかない程度です」
 「あつかましいのですが、もし、どの程度の音か聞かせていただけると、注意しやすいのですが」
 「ええ、どうぞ、私の仕事部屋です、ほんの少し聞こえる程度です」
 僕は仕事部屋に案内した。
 彼女は部屋にはいると、机の上の箱に入った網笠茸をちらっとみて、壁に耳を向けた。MJQが続いている。
 「だいぶ聞こえますね、すみませんでした、もう少しボリュームを下げます」
 「いえ、このくらい大丈夫ですよ」
 「でも、聞こえるのはよくありません」
 彼女は机の上の箱にはいった網笠茸を再びちらっと見た。
 「この網笠茸どうなさったのです」
 「高尾山で採ったのです」
 「お好きですか」
 「茸は好きですが、料理ができないので」
 僕の答えはちょっとちぐはぐだったようだ。彼女は笑顔でこう言った。
 「今度、茸の料理お持ちしますね、音が大き過ぎたら言ってください」
 やっぱり笑顔で帰っていった。茸料理ってなんだろう。ちょっとワクワクする。

 その週の土曜日、夕方に美輪美羽が手にバスケットをぶら下げてやってきた。玄関の戸を開けると、バスケットの蓋を取り、中からタッパーをとりだした。
 「茸のマリネです、召し上がってください。あれから音は聞こえますか」
 僕の前に差し出した。
 「あ、すみません、そういえばほとんど聞こえません」
 「それはよかったです、音の向きを変えました」
 そう言って帰ろうとしたので、
 「タッパーはあとでお返しにあがります」
 「いえ私が取りにまいりますから、ああそうでした、実は来週に友人がきて、茸料理のパーティーをするのですけど、いかがですか、もしいらっしゃるなら、そのとき返していただきますし」
 急な誘いで戸惑ったが、時間に縛られない仕事である。
 「ありがとうございます、いきます」
 と即答した。きっと嬉しい顔をしていたと思う。
 「電話をお教えくださいますか、ここに私の電話番号があります」
 彼女はエプロンのポケットから名詞をだした。
 茸料理家とある。僕も名詞を渡した。
 「おもちゃ研究家なのですね、面白そう」
 「いや、研究家というより、形を考え出す方です」
 「へえ、もっと面白そう、それじゃ、土曜のことは電話します」
 彼女は明るく戻っていった。
 こうなるとすぐ隣に行けないのがもどかしくなる。

 土曜日になり、朝に電話があった。十時頃である。
 「おはようございます、朝早くすみません、今日の研究会いらっしてくれますか」
 「ええ、もちろんです、あの茸のマリネとてもおいしかったです」
 「それはよかったわ、今日は茸のフルコースです、友人が二人来ますの、一人は画家、一人は探検家で写真家です、三時頃から始めたいと思います」
 「それは楽しみです、よろしくお願いします」
 招かれたとすると、何か手土産が必要だろう。辺りを見回すと、棚の上に茸のクラフトがあるのが目に留まった。二本の網笠茸の脇に針鼠がいる陶器である。同僚がイギリスに行ったときに買ってきたみやげである。茸が好きなようなのでこれなどはいいかもしれないが、もらったものを横流しでは失礼かもしれない。
 そこで思いついたのが、買ったばかりの3Dプリンターを使うことだった。今は十数万円で簡単な3Dプリンターが購入できる。こういう仕事をしていると重宝なものである。もう一つ上の専門的なものでも数十万である、そいつを気張って買ってみたが、まだ使ったことはない。PCで書いた絵がそのまま立体で作り出される。
 PCに向かうと、茸の図を描いてみた。ふつうの茸の絵に手足をつけたり、目や耳をつけたり、茸の柄にエンジェルの羽をつけてとばしたり、頭の中が茸で動きだした。確かに面白い。写真を取り込んで立体にするのも面白いだろう。茸はおもちゃのキャラクターにいい。しかし今回もって行くにはちょっと未熟だなと思う。
 思い出したのは高尾山で撮った網笠茸の写真である。カメラをPCにつなぐと、写真を取り込んだ、いろいろな角度から撮ってあるが、その中から三本まとまって写っているものを選び、イラスト用のソフトで切り取った。これを3Dプリンターのソフトにかけて立体図にすればよい。
 作業部屋の片隅でまだ使われていない3D印刷機にスイッチを入れ、説明書を片手に操作方法をなぞった。樹脂はこの機械を購入した時にオプションでいろいろな色を買っておいた。赤の樹脂を機械に入れた。
 うまくいくかどうかわからないが、PCを機械につないでスイッチをいれた。説明書の通りの手順で動かしてみた。
 ブーンという音がして、何か出てきそうである。
 時間がかかったが、終了のランプがともった。
 取り出し口を開いてみた。真っ赤な三本の網笠茸が手のひらに乗るほどの大きさで出来上がっていた。
 うまく操作できると嬉しいものである。しかも以外と簡単に作れ、イメージ通りになる。これはいい土産である。
 三時になって、空のタッパーと赤い網笠茸をもって下に降り、ビルをぐるっと回ってNのエントランスに入った。ちょっと面倒だ。入り口の造りはSと変わりがない。だが反対の世界に行った気分だ。こちら側に入るのは始めてである。何となくわくわくする。エレベータはあっという間に十八階に着いた。
 ドアの呼び鈴を押した。
 「はーい」という明るい声とともに、戸が開いた。
 「あれー、いらっしゃい、まだ用意できてないけど、どうぞ」
 茸の模様のあるエプロンをかけた美羽がでてきた。
 「厚かましくもおじゃまします、ありがとうございました」
 「どうぞ、友達もこれからですけど、茸のチップスがあるからそれでビールでもどうぞ」
 広い居間に案内された。
 居間はキッチンと続いていて境が無くとても広い。さすが料理研究家の家である。隣の部屋からジャズが聞こえてくる。そちら側が僕の家になるようだ。
 掛け時計が二つ鳴った。おやと見ると二時である。腕時計を見ると、三時を過ぎている。手巻きの時計はすぐ止まる。合わせたとき一時間狂っていたようだ。
 「すみません、美輪さん、まだ二時なのですね、三時になったらまた来ます。僕の腕時計が進んでいて」
 僕が立ち上がると、「はははは、いいですよ、かまいません、どうぞ、ほら、この網笠茸チップス、おいしいですよ、私がつくったんです、この冷えた黒ビールとあいますわ、かまわなければ、食べて待っててください。友達も早く来ると思います、料理が途中ですから続けさせてもらいますね、」
 笑いながら美羽さんはテレビのスイッチを入れ、ビールと茸のチップスを置いた。
 「あの、これ、ありがとうございました、それにこれどうぞ」
 僕は空のタッパーと、赤い網笠茸を渡した。美羽さんは茸フィギュアを見ると目を見張って喜んだ。
 「わー、すてき、真っ赤な網笠茸、どこでこのフィギュア見つけたんです、がちゃですか」
 「いえ、作ったんです」
 「どうやって」
 「3Dプリンターで簡単に作れます、高尾山で撮影した網笠茸の写真を使ったんです、今作ってきたんですよ」
 「3Dプリンターって、知っているけど見たことないわ、おもちゃの研究って3Dプリンター使うのですね」
 「実は初めて使ったのです、今まではコンピューターでイメージを作っていたのですが、これからは必要だと思って買ったばかりです」
 「ご自宅にあるの」
 「ええ」
 「いつか使わせていただけるかしら、費用はだしますから」
 「いいですよ、ところで、ガチャなさるのですか」
 「ええ、茸のガチャを」
 「茸が好きなんですか」
 「私たち、茸ガール」
 「え、茸ガールって、茸が好きな女の子ですか」
 「そう、これから来る絵描きさんも、探検家も茸ガールなの」
 「それは楽しそうですね」
 美羽はキッチンで手を動かしながら話してくれた。
 そういえば、飾ってあるものがみんな茸である。
 「ずいぶん茸を集めましたね」
 「ええ、ヨーロッパに行ったりすると、茸のクラフトがたくさんあるでしょう、茸好きなことを知っている友達がお土産でくださったり、自分で買ったりいっぱいになってしまって」
 そこにチャイムが鳴った。
 美輪が箸を持ったまま玄関にでた。
 「いらっしゃい」
 二人の女性が部屋にはいってきた。どちらも美羽と同じくらいの年齢だろう。
 「あれ、美羽、男のお客さんなんて珍しい」
 長い髪の女性が驚いた。
 「お隣の逆井根さん、およびしたの、おもちゃの研究家」
 「おもしろそう、あたし、篠井縁(ゆかり)、独身、よろしく」
 縁は僕の隣に腰掛けた。美羽が紹介してくれた。
 「縁ちゃんは画家です、抽象画だけど、茸をモチーフにすることが多いの、こちらは、葉巻卵子(らんこ)、卵子は探検家です、二人ともビールでも飲んでて、いつものように冷蔵庫から出してよ」
 卵子と呼ばれたおかっぱの女性は、細面でとても探検家にはみえない。卵子が冷蔵庫を開けてビールを取り出した。
 「こんにちは」
 卵子は沈んだ顔つきとは違ったとても明るい声でおじぎをすると、私の前に腰掛けた。
 「どんなおもちゃ作るんです、まさか、大人のおもちゃじゃないでしょう」
 卵子が聞いたが、大人のおもちゃとはどのような意味でいったのかわからないが、ちょっと驚いた。
 「おもちゃそのものというより、おもちゃの元になるキャラクターといった方がいいかもしれません。マンガやアニメのキャラクターがおもちゃになるように、独自のキャラクターを作り出す仕事です」
 「それじゃ、ゆるキャラみたいなものを考えるのですか」
 「まあ、そんなところです。でも、生き物だけではなくて、乗り物や、周りのいろいろなものも考えます。SFも大いに関係します」
 「宇宙船ね」
 「ユーホや宇宙船の新しい形を考えるのは本当に難しい、ほとんど出尽くしているので、どこからか新しい発想をもってこないともう作れません」
 「そうかもね、あの、なんとかという日本の有名な監督がつくった映画の宇宙船が未知との遭遇とそっくりだったものね、発想の貧困」
 美羽が料理の盛りつけをしながら言った。
 その通りである。
 「さて、できたわよ、手伝って」
 美羽の声で、二人の女性はキッチンに行って、料理を運んできた。
 「今日は卵茸のスープに、牛肉とカンゾウタケの炒め物、それにアンズタケのマリネ、網笠茸を入れて焼いたパン」
 美羽が説明した。めいめいに小皿とカップが配られた。
 なかなか手を伸ばさない僕に美羽が少しずつとってくれた。
 「カンゾウタケ、美味しいじゃない」
 縁がほおばりながら美羽に人差し指と親指で丸を作った。
 「うん、なかなか美味しい」
 卵子もうなずいている。
 「カンゾウタケも成功したね」
 「おいしいですね、茸料理なんてまともに食べたことはないけどいいものですね、三輪さんの料理の腕がいいからかもしれないけど」僕がそう言うと、
 「そりゃ、プロですからね、彼女は、だけどそれだけじゃないのよ、茸を育てる名人よ」
 縁がパンをちぎりながら返事をした。茸を育てるというはどういうことだろう。聞きたい顔をしていたのだろう。卵子が説明してくれた。
 「茸の培養をここでやってるのよ、実験室よここは、カンゾウタケはなにがいいの、美羽」
 「ベートーベン」
 「卵茸はなに」
 「それが不思議なの、なぜか美空ひばりなの」
 「え、あのカエサルの茸が美空ひばりが好きなの」
 僕はなんの話しかわからず、「カエサルってシーザーですか」と尋ねるぐらいのことしかできなかった。
 「ええ、卵茸は食通のシーザーが好きだったということよ」
 「網笠茸はなにが好きなの」
 「ジャズね、でも静かなもの、だからMJQが好きね」
 「よくMJQがかかってますね」
 「すみません、逆井根さんの仕事部屋まで聞こえてしまうの」
 「いえ、今そんなに聞こえません、でもなんの話なのでしょう、音楽と茸の相性というのは」
 美羽は立ち上がると、隣の部屋の戸を開けた。いきなり、かなりの音量のMJQが居間にあふれた。
 僕がびっくりしていると、美羽が手招きをした。僕はその部屋をのぞいてみた。
 ちょっと湿り気のあるなま暖かい空気が顔を打った三方の壁際に棚がある。薄明かりの中にぼーっと茸が並んでいるのが見えた。入って右側に大きなスピーカーが備え付けられ、MJQをながしている。
 「茸の培養をしているのです。音楽が成長を促し、旨味を増やすのよ」
 「ほー、茸によって好きな音楽があるのですね」
 「ええ」
 美羽は戸を閉めた。
「美羽は研究家でもあるのよ、なんでも、発酵菌の発育に音楽がいいということらしいのよ、鰹節を作るのに音楽を聴かせるというのもあったし、チーズを作るのにも音楽がいいそうよ、それで美羽は菌の仲間の茸も同じだろうと、音楽を聴かせて成長を促したの、特許出願中だそうよ」
 縁が説明した。
 僕はちょっとばかり驚いたが、確かに棚の上には立派は茸が育っていた。網笠茸も、僕が採ってきたものより大きくて立派だ。 
 「これ見て、いいでしょう」
 美羽が僕が作った赤い網笠茸をみんなに見せた。
 「いいわーどうしたの」
 縁も卵子も目を輝かせた。
 「逆井根さんがつくったのよ」
 「へーどうやって」
 「写真から3Dプリンターで作り出したのだそうよ」
 「いいなー、茸の写真があるから、作ってもらおうかしら」
 「樹脂を買っていただければいいですよ、でもまだ複雑な色合いは出せないと思うので、自分で着色すると本物のようになりますよ」
 「私の撮った写真からつくってもらって、縁に着色してもらうのよ」
 「いいよ、同じもの三つ作って、三人でかざろう」
 「それじゃ一月に一つ作ることにしよう、お願いしますね」
 そう頼まれてしまった。まあ悪くない。いや嬉しいことだ。
 そのようなことから毎月一回、三人の女性が美羽の料理と、卵子の写真と、縁の着色の道具を持って集まってくる。最初作ったのは南米の真っ赤な茸である。所々に黒色の斑点があって、よくある絵のような茸で、とても自然のものに見えない。
 形は単純なので作り出すのにそんなにかからなかった。僕も影響を受け、茸のデザインのフィギュアやおもちゃを考えるようになった。
 半月が経った。
 なんとなく美羽のところから聞こえてくる音楽の音が高くなった。また試しにスピーカーの向きやら、音量を調節しているのだろう。いやな音楽ではないので、気にはならない。
 明日はみんなが集まる日である。僕は3Dの樹脂を購入し用意をした。その夜は仕事場でコンピューターを見ていると、やけに高い音量でMJQが聞こえてきた。
 なぜかうとうととしてきた。そんなに疲れているはずはない。ふと机の上の小箱の中を見ると、半年以上前に高尾山で採った網笠茸が干からびている。それがもそもそと動いて見えるのは気のせいだろうか。
 目がぼやけてくる。箱の中の網笠茸がみずみずしくなっている。
 茸がどんどん膨らんで大きくなってくる。
 網笠茸が小箱から大きくなって外にでてきた。
 僕はそのまま机の前で寝てしまった。
 あとは前後不覚である。
 玄関のチャイムが鳴った。
 「こんにちは」
 美羽の声である。いつの間にやらかなり寝てしまったようだ。
 「いらっしゃい、ちょっとうたたねしてしまって、まだプリンターの用意ができてないけど、すぐします」
 三人の女性が入ってきた。
 女性たちは部屋にはいると大きな声を上げた。
 「すごーい、本物みたい」
 その声で僕も自分の部屋を見た。
 今まで全く気がつかなかった。なんと天井や壁や床の上にまで、びっしりと、網笠茸が生えている。
 「どうやってつくったのかしら」
 美羽が聞いてきたが、僕にはさっぱりわからない。
 仕事部屋にいってみた。そこにはもっと大きな網笠茸が机の上から壁からすべてにびっしり生えていた。
 僕が後ろを向いた拍子に、
 「逆井根さんの服にも網笠茸がついているわ」
 卵子が叫んだ。
 「あ、頭にもでた」
 縁の声が聞こえた。
 僕は頭の上に手をやると、網笠茸が触れた。
 それをもぎ採ってみるとまた驚いた。
 「本物の茸だ」
 「かごを持ってくる」
 美羽が部屋から出て、しばらくすると大きなかごを抱えてきた。
 それにみんなして、部屋中に生えた網笠茸を採って入れた。
 「どうしてこうなったんだろう、朝には全くなかったのに」
 「もしかすると、うちのステレオの音がいつもと違ったかしら」
 「ちょっと大きい音かなと思ったけど、コンピューターを見ていたら眠くなって、みなさんが来るまで気がつかなかった、そうそう、寝てしまう前に高尾山で採った干からびた網笠茸が膨らんできたような気がしたけど」
 「きっとそれね、音と湿度と何かが胞子を刺激したのじゃないかしら。すみませんでした」
 「いいえ、とても不思議なことだから、これを調べたら新しい茸の栽培方法が見つかるかもしれませんね」
 「私もそう思っていたところです」
 ということがあって、あの音と茸とを再現すべく、美羽と共に試みてみたのだが、残念ながら、網笠茸は生えることはなかった。
 「他の茸で試して見ましょう」
 美羽はそう言って、自分の部屋で栽培している卵茸を一瓶持って来て、私の仕事場に置いていった。机の上で白い瓶から生えている真っ赤な卵茸が三本、とても奇麗な飾りになっている。美羽はこのカエサルの茸が好きだという、美空ひばりの音楽をかけている。少し聞こえてくる。
そしてとうとう、その日がきた。ひばりの歌が流れるのを聞きながらコンピューターに向かって仕事をしていると、急に瓶の中の卵茸が伸び始めた。根本の真っ白な壷も大きく成長している。またしても、僕は眠くなった。そしてうとうとしていると、ドアのチャイムが鳴った。その日も三人がくる予定だったのだ。半分眠気眼でドアを開けると、いつものように、美羽、縁、卵子がにこにこして、ドアの外にいた。
 「こんにちは、今日は青い茸のフィギュアを作りたいの」
 部屋の中に入ってきて、美羽は「卵茸の匂いがするわ」と、言った。
 「きゃー」大きな叫び声に、みんながいってみると、なんと、机の上に、天井に届くほどの大きさの卵茸が三本生えていた。さっきは気がつかなかった。
 「すごーい、これで料理したら何人分かしら、網笠茸の時にはたくさんに増えたけど、卵茸は大きくなるのね」
 大きな卵茸は写真に撮られ、料理をするためにすぐに美羽が自宅にもっていった。
 縁と卵子は私の部屋に残って、青い茸フィギュアを作っている。
 「どうして音楽が隣の家に影響をして、茸を増やしたり大きくしたりするのかしら」
 「坂出根さんのこの部屋に原因があるのか、坂井根さんそのものに原因があるかよ」
 「茸は電気に影響を受けるのよね」
 「そうね、この部屋の電気は特殊なのかしら、ねえ、坂井根さん、ここには特殊な電気装置ありますか」
 「特に無いですよ、3Dの装置ぐらいかな」
 「でも、その装置が動いていない時に茸が大きくなるということは、やっぱり、坂井根さん自身が原因なのよ、」
 卵子が結論付けた。
 そこに美羽から電話があり、卵茸の料理が出来たのでいらっしゃいということだった。僕たちは調度出来上がった青い茸の絹笠茸を持って、美羽の部屋に行った。
 キッチンテーブルの上には、卵茸のスープ、サラダ、卵茸とハムのサンドイッチが用意されていた。
 「おいしそう」
 縁が早速手を伸ばした。
 「あら、奇麗な青い絹笠茸」
 出来立てのフィギュアを見た美羽がそう言いながら、赤ワインをもってテーブルについた。
 卵子がフィギュアを作っている時の会話を説明した。
 「だけど、今回も私たちがお邪魔した時にそうなったよね」
 「そうか、そうすると、我々も必要っていうことね、もしかするの三人の誰かの脳波も関係しているかもしれないね」
 「そうよ、それにね、音楽そのものが胞子を発達させたり、大きくさせたりするのではなくて、音楽が酒井根さんの脳に影響を与え、脳から発せられた脳波が茸の生長に影響を与えたのかもしれないわね」
 美羽が僕に尋ねた。
 「逆井根さんの好きな音楽はなに」
 音楽には疎くて、特にどんな音楽が好きということは無い。返答に困った。
 「とりたてて、ないけど、どんぐりころころかな」
 これは冗談半分で言ったのである。おもちゃを作るのに童謡を聴くというのも一つの手段である。イメージづくりには有効である。
 「それじゃ、今度、どんぐりころころのCDを探してプレゼントするから、それを聞きながら仕事をしていただこうかな」
 みんななんとなく笑ってしまった。

 それから数日後、美羽が、「どんぐりころころのCD探すの苦労したわ」といいながら、本当にCDをもってきた。
 「試してくださいな」と渡してくれると、笑いながら帰っていった。
 それから、家に居る時にはそのCDをかけて仕事をした。
 あっというまに一月が経った。
 また三人が来る日にそれは起きた。PCで仕事をしていると、今回はあまりにも急に眠くなり、寝てしまった。
 そして、チャイムが鳴った。私は目を開けて回りを見ると、頭の上から真っ白なレースのようなものがかかっていて、前がよく見えず、身動きがとれない。椅子から立ち上がると、レースで体が覆われてしまった。それでも歩けるので、なんとかドアのほうにすすみチェーンを外した。
 ドアが引かれると、
 「ひゃー、坂井根さんの頭から大きな絹傘茸が生えてる」
 縁が大きな声をあげた。
 「みんなで採りましょう」
 美羽が上がってくると、僕の周りのレースを切り取って、ビニール袋に詰めた。目の前がよく見えるようになった。
 まだ頭の上には一部がついている。
 自分で手をやると、頭よりずっと大きな絹笠茸が載っているのがわかった。
 「どこから生えているのかしら」
 卵子が僕の頭を調べた。
 「どうもつむじのところのようね」
 「みんなではずしましょう」
 三人は僕の頭から、大きな絹笠茸を外したのである。
 みんなで、絹笠茸を切り刻み、袋に詰めた。
 「とりあえず、これをもって私の部屋に行きましょう、料理をするわ」
 美羽がそう言って、みなを促し、彼女の部屋に行った。美羽は絹笠茸の料理を始め、我々はこの不思議な現象について、議論をしたのである。
 「どんぐりころころで、なんで坂井根さんの頭に絹笠茸が生えたのかしら」
 美羽が料理をしながら言った。
 「きっと、あの音楽が、酒井根さんの頭についていた胞子を発生させて、毛の中で菌糸を伸ばして、茸をだしたのよ」
 「人間の中で、坂井根さんが一番茸を作りやすい人なのね」
  縁のふっくらした顔が笑った。
  「よかったわね、みつかって」
  卵子が料理をしている美羽に声をかけた。
  「ええ、これで、私たちも国に帰れるわね」
  「そうね、お手柄よ、地球にきてよかったじゃない」
  「他の星の連中は、なかなかうまくいってないようよ」
  一体なにの話をしているのだろう。そこに美羽が出来たての料理を運んできた。
  「絹笠茸の中華風の料理よ、おいしいわよ」
  我々の前に絹笠茸のスープから、豚肉と茸を炒めたものなど何品かがならんだ。
  美羽も席について私に言った。
  「坂井根さん、一緒に旅行しましょう」
  「どこかにいくのですか」
  絹笠茸のスープは美味しかった。
  「ええ」
  絹笠茸の炒め物も美味しかった。
  そうしているうちに、美羽の十八階の部屋の窓が開いた。
  「来たわよ」
  「それじゃいきましょう」
  三人の女性が立ち上がった。
  私は絹笠茸を飲み込んだところだった。ああ美味しい。
  それから頭は真っ白になった。
  美羽が他の二人に声をかけた。
  「落さないようにもってね」
  縁が大きな瓶を持ち上げた。
  三人は窓の外の円盤に乗り移った。ありきたりの円盤だ。
  美羽の部屋には脳だけ抜き取られた僕が、ソファーで絹笠茸の料理を目の前にしてぼーっとしていた。心臓は止まっている。
  円盤の中で美羽が言っている。
  「この脳はいくらでも茸を生み出すわね、私たちの会社もこれで安泰」
  「うん、上手くいった」
  三人は「茸栽培会社」のマークの入った円盤を操ると、三万光年離れた自分の星に戻っていった。その星では茸がとても高価なものなのだそうだ。
 

茸の飼育

茸の飼育

マンションの隣に住む女性は茸の料理研究家であり栽培家だった。フィギュアデザイナーの僕は彼女と知り合って、茸フィギュアを作ることになるのだが、

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-12-21

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著作権法内での利用のみを許可します。

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