熱帯魚の消費期限

 熱帯魚を買った。それも、空中熱帯魚だ。
品種改良が進み、今では延びた寿命もやはり短命と言わざるを得ない。熱帯魚の値札には「期限:3日」と書かれてあった。

「買うならまだ待った方が良いですよ。来週には新しいのが入荷しますから。まあ、これは後3日ですから」

 空中を浮遊する熱帯魚をじっくり眺めていた私に店員は言った。若いバイトは店の売り上げには興味がないらしい。
 私は3日の寿命を6700円で買った。

 元値から下がりに下がった空中熱帯魚は、うちの狭い部屋が気に入ったらしい。少し前から部屋を整理していたおかげで、空中を泳ぐのに障害になりそうなものはなかった。
 床にスマートフォン、椅子が一脚、それに本やその他諸々が詰まっている段ボールが6箱隅に積まれているだけだ。
 壁は白、床はコンクリートの上に灰色の絨毯を張っただけの狭いアパートで、紫の尾びれが揺れる。破れたひれの端が「後3日」をより迫ったものに感じさせた。

 私は熱帯魚を看取るつもりでいた。残り少ない日々で熱帯魚と共に今までを振り返る。良いことも悪いことも含めて、確かに私は生きていたのだと思い返しつつ静かに最後を過ごすことこそ最も有益な時間の使い方だと信じていた。

 それが。
 何をどうしてか、カビ取り洗浄剤でキッチンの水回りと風呂場を磨かなければならなくなったのか。
 部屋に熱帯魚を放って数時間後だった。突然熱帯魚が力をなくして床に落ちてきた。

「お前…まだ買ってきて当日だぞ」

 私にだって6700円は安くない。ネットで調べてみると、どうも空中熱帯魚はカビに弱いらしい。空気中を飛んでいるカビの胞子が熱帯魚に悪影響を及ぼすとあれば、なるほど空中だからそれもそうかと納得したがこのまま死んでもらっても困る。
 カビで弱った空中熱帯魚に、というまさにそのままの名前のスプレーを買ってきて熱帯魚にふりかけた。

 さて、と思い立ってカビを取ることにした。せめて2日は生きてもらう。
 そして始めたカビ取りだが、その内にだんだん楽しくなってきた。洗浄剤を塗ってしばらく置くと良いらしく、待っている間に段ボールを一つ開けてカーペットクリーナーを取り出した。コロコロ転がしてホコリやダニ、髪の毛を取るあれだ。粘着力がなくなるとシートを剥がす。一通り終わって上を見上げると今度は天井の角にクモの巣があることに気づいた。
 空気中のカビ胞子がダメならクモの巣もダメな気がして払う。よく見ると凹凸のある壁紙に薄くホコリがかかっていた。

「こんなに汚かったなんて知らなかったな」

 部屋がきれいになったのは、深夜だった。
寝転がって天井を見る。古くさい電球の光を遮るのは空中熱帯魚だ。
 床に落ちてきた時の弱々しさはなく力強く動かす尾びれは実に優美で、透けた紫は絹のように光沢がある。
 きれいだった。
 徹底的に掃除をしたからか、アレルギー性の鼻炎も治まっていて呼吸がしやすい。空中熱帯魚の餌であるナントカ成分分解スプレーも悪い匂いではなかった。

 私は段ボールをすべて開けてどこかにしまった履歴書を掘り当てた。ペンも探し当てなければと考えて熱帯魚見上げる。私など見ていなかったが、お前は正しいと言っている気がする。
 次の日、縄を捨てて空気清浄機を買った。

 熱帯魚はそれから2年、生きた。

 私はそれから65年、生きた。

熱帯魚の消費期限

熱帯魚の消費期限

熱帯魚は熱帯魚でも空中熱帯魚

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-12-15

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