アイの起電力

短編ですが、《半永久的物語》の序章だと思っています。

起電力・・・電流の駆動力。 または、電流を生じさせる電位の差(電圧)のこと。

 AM.8:00
 
今日も一日が始まった。三日に一度届けられる物資の中から、アイが規定の食物を取り、朝食を作り始める。いつものスープの匂い。あと、アイの鼻歌。
「ねぇ、アイ」
と、声をかけてみる。すると、アイは
「なに?トーラ」
と、お玉を回しながら答えた。その《Sound(サウンド)》は少し高い。いつもは気にならないことが何故か今日は気になって、今度は問うてみる。
「なぜ、鼻歌をうたうの?それは、なんの意味があるの?」
アイは、その言葉に表情を動かした。あれは“苦笑い”というやつだ。
「これはね。気分が良くて、嬉しいが抑えきれなくなると、溢れて、勝手に出るものなんだよ」
そういって、アイは鍋に視線を戻す。
「気分がいい・・・」
 それは、体調が良いということだろうか。しかし、そもそも《ヒューマノイド》のアイに体調という概念があるのか。不調はもちろんあるだろう。だが、その逆は好調では?しかも、好調はメンテナンスの後の状態だろう。そして、アイが最後にメンテナンスを受けたのは、《No.3》がシェルター外実験に出た、三年前のはず。
 トーラには、理解できなかった。

 そして、そんなトーラを見て、アイはまた表情を変えた。この表情は、よく、分からない。近いのは“悲しい”だと思う。けれど、それも違う気がする。
 トーラには、理解できなかった。


 PM.1:00
 
『黄砂耐久度』を計るため、家の外へ出る。そして、副実験の『畑作り』も同時に開始した。

 家の裏手にまわって、昨日手を入れたところを見てみる。が、やはり変化はない。どうやら、今回の緑化剤も効果がなかったようだ。引き続き、数種の緑化剤を撒く作業をする。

「ねぇ、トーラ」
「なに?アイ」
 緑化剤No.182を持ってきたアイが、トーラに語りかける。
「トーラは、あそこに帰りたい?」
「あそこ、って?」
「シェルターの中」
「?あそこは、実験が失敗したら返る(・・)ことになってる」
「っそうじゃないよ、生きたままってこと」
「生きたまま?それは、実験が成功したってこと?なら、それも帰ることになってる」
「そうじゃない、そうじゃなくて・・・っ」
 アイは俯いた。なぜ、“悲しい”表情なのか、トーラには理解できなかった。
「・・・普通の生活をしてみたいかってことだよ」
「普通の生活・・・?」
トーラは思考した。普通の生活とは、なにか。けれど、
「・・・よく、分からない」
普通の生活とはなにか、トーラには理解できなかった。

ただ、トーラには一つだけ分かったことがあった。それは、アイのいる生活が、自分の普通だったら良い、と思ったことだった。
 それがなんという感情なのかまでは、分からなかったが、ただ、なんだか温かく、心地がいいと、トーラは思った。

 しかし、芽生えたものを芽生えたと認識することもなく、《No.3》は、壊れた。


 PM 3:00

黄色い空。どんなに手を入れても死しか生まない、小さな畑。遠くに、黄砂を遮る、シェルター街の外壁が見えた。

「ねぇ、アイ、君は、あそこに戻りたい?」
 開けた口に、砂が張り付く。いつもなら数秒後には分解されて消えるはずなのに、今日はいつまでも居座っている。あぁ、これは、もしかして。

トスン、という軽い音が立つ。気づけば、トーラは地面に沈み込んでいた。もう、身体は動かない。
 異物を感知した人工器が、働こうとする。けれど、機能不全を起こしているそれは、ただ過剰に動き続けるだけ。そして、熱を持って、腹の中をじりじりと焼く。もう、動けない。
しかし、《No.3(トーラ)》は、それでも知りたかった。
「ねぇ、アイ、戻りたい?」
I-503b(アイ)》は、泣けない体で、泣きそうに顔を歪めていた。
「そんな事、あるはずないでしょう・・・っ」

 視界が、黄土の色で染まっていく。ざらついた感触は、まぶたの裏にまで及んでいて、僅かな痛みが奔った。
 もう、分かった。実験は、またしても失敗した。

「僕は、僕はっ、《No.3(トーラ)》と居たいんじゃない、“トーラ”といたいんだよ!」
 アイは、“啼いて”いた。そういう風に、トーラは理解した。

 そして、“トーラ”は息を引き取った。


 PM.9:00
 
さっき、永い眠りに伏したトーラを『実験物搬送用保管器』に入れてきた。
それは、アイにとっては、トーラという一人の人間の死であり、耐え難い悲しみを生むものであった。が、《I-503b》である自分にとっては、一実験体の死であり、実験の失敗を表すただの証拠品でしかなかった。
それが、言いようもなく寂しいと思った。

いつもの通り、夕食の準備をしようとしたところで、アイははっとした。もう、夕食は、必要ない。
一人きりの家に耐えられなくなったアイは、思わず外へと飛び出した。夜の砂漠は寒いから、トーラが夜の外に出たことはなかったけれど、人ではない自分には、関係がない。そのまま玄関ポーチからも出て、座り込んで空を見上げた。

星が、瞬いたように見えた。それが、黄砂に混じる人工物の破片だと分かっているのに。
アイは苦笑する。実際に星を見たのは、アイではなく《I-503b》だというのに、星がどんなものか知っている。やはり、アイは何処まで行っても《I-503b》なのだ、と。


「君と一緒に、巡る星(・・・)になりたかったなぁ・・・」
ポツリと呟いた声が、死の世界へと落ちた。そんなはずはないのに、胸が痛む気がして、胸を押さえ、耐えるように俯く。この痛みを感じるようになったのは、《I-503b》がアイになって、調度一年たったころだった。まったく一緒の期間を共に過ごしたトーラは、ついぞ覚えることがなかった、この感情。ヒューマノイドで、半永久的存在である自分が覚えたのは、一体何の皮肉なのか。見送るのは、辛かった。

 ねぇ、トーラ。
僕も、連れて行って欲しかった。
いっしょに、普通になりたかった。
君に、たくさん教えてあげたいことがあった。
君が、幸せを理解できるように、たくさん、愛してるって伝えたかった。
・・・いっしょに、しねたらよかった。

泣けない体に、泣く《Motion》をとらせた後、アイは言った。

『対象の、生命反応停止を確認。《No.3》の記録情報を完全に削除し、設定プログラムNo.256まで初期化します』

そして、アイは目を閉じ、《I-503b》が、目を覚ます。

『《I-503b》 残り可能起電回数 999996/1000000回』



《完》

アイの起電力

お読みいただき、ありがとうございました。
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アイの起電力

とある、廃退した世界のお話。 短編 愛情 切ない 孤独

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-12-14

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