土左衛門茸

土左衛門茸

茸不思議小説です。縦書きでお読みください。

 「また浮いているぜ」
 船頭の又吉が竿をとめて、入背川縁の柳の枝が垂れている先を指さした。そこには女の土左衛門が顔を上に向け、ぷかぷか浮いていた。薄汚れ赤い色が削がれてしまったような着物も半分脱げ、発育の悪い乳が川の水に晒されていた。その肌から数本の茸が生えている。
 「どんな茸だ」
 相方の九七が、竿を差し、舟を女の近くに寄せた。
 「ありゃあ卵茸だ、引き上げようなんて考えるなよ、番屋に届けておきゃあよかろうや」
 「ちょっと待てよ、あの赤い茸はどうして生えたのだろうか」
 「さー、わかんねえな、昨日の土左衛門は男だったろう、足を滑らせて入背川に落ちたということだったな、見ていたものがいたので、引き上げようとしていたら、もう死んでいた、しかも茸が身体の一面に生えていたということだったろう」
「そうだな、今日のは足を滑らせたのとは違うだろう」
 「違うな、自分から死んだのか、それにしてもまた茸だ」
 「とりあえず、親方に伝えておこう」
 二人は死体をそのままにして、舟を動かした。

 「また、土左衛門ですぜ、親方」
 又吉が舟問屋の親方、芳蔵に女の浮いていた場所を伝えた。
 「そいじゃ、自分で届けてこい」
 「でも、荷を上げなきゃなんねえけど、いいかね」
 「ああ、俺が九七とやっとく」
 「へえ」
 芳蔵は人に説明するのが苦手である。よくしゃべるにも関わらず、人にものを正確に伝えるのが不得手であった。
 番所にいくと、猪八が家の前を掃いていた。又吉は八に声をかけた。
「吾助親分さんはいないのかね」
 吾助はこのあたりでは顔の聞く岡っ引きである。
「うん、今、奉行所に行っている」
 「代官所じゃないのか」
 「いや奉行所」
 「あんなに遠くにか」
ここは江戸の町外れである、南町奉行所までかなりある。
 「うん、黒川さまと一緒に行った」
 黒川小雨はこのあたりの同心である。若い頃、吾助は悪いことをかなりしたが、そのわりには周りから慕われていた。ちょっとした悪事で代官所につかまって、放免になってからは、黒川がなにくれと面倒をみて、岡っ引きとして雇われていた。普段は何でも屋でもある。結構世話焼きで、年寄りの面倒をよくみることから、町ではとても重宝がられている。
 又吉は少しばかり思案に暮れた。八に言づてを頼んでも無理である。飯の用意と掃除が八に与えられた役割である。少しばかり足りない八を、子供の頃から吾助が面倒をみて働かせている。女房に早死にされ、子供のいない吾助にとって、とても助かっていた。 
 「また来るよ」
 そう言って、又吉は芳蔵の店に戻った。
 「はええじゃねえか、岡っ引きはいたかい」
 「いや、八しかいなかった」
 「それじゃ後でもう一度行ってきな」
 「そうする」
 又吉は芳蔵と交代して運んできた荷を倉に運び込んだ。ほぼ船の上から荷がなくなったとき、芳蔵が又吉を呼んだ。
 「吾助親分さんが来なすったぜ」
 「へえ」
 又吉は船から上がった。岸には吾助親分が船を見下ろしている。
 「よう、又吉、家にきてくれたそうだな」
 「へえ、土左衛門をみつけやして」
 「どこだ」
 「ここから半時ばかり行った火消し小屋のあたりでさ」
 「また、茸か」
 「ええ、女でした、ちょっと貧相な」
 「そうか、すぐに手配する」
 「親分、奉行所に呼ばれたんで」
 奉行所は岡引きなどが行くところではない、岡引きを取り仕切る十手持ちの同心たちでもめったに行くことはない。
 「ああ、珍しいこともあるものだ、同心の黒川様と一緒に呼ばれた、与力や同心、それにたくさんの御用聞きも来ていたぜ」
 御用聞きとは岡っ引のことである。
 「何かあったので」
 「土左衛門のことさ、お上は悪いものが流行る兆しじゃねえかと気を揉んでいる」
 「そんなにたくさん浮かんでいるんで」
 「このあたりで、一日五、六人だ。みな茸が生えている、しかも同じ茸ではない、椎茸が生えていたのもあった」
 「茸が人を殺したんで」
 「いや、そうではないかもしれないと、薬師は言っていた」
 「薬師も来てたんですかい、ほんとに気味の悪い出来事で」
 「陰陽師も動き出しているようだ」
 「陰陽師てなあ、まだいるんで」
 「いる、いまでこそお上は側に置いていないが、天地異変、変事が続くときには、呼びつけているということだ」
 「そいつらあ、いつもは何をしているんで」
 「神社を任せられておる、それもあまり知られていないものだが、その世界では力がある」
 「さすが、親分さん、学がある」
 「へへ、今日朝から、そんな話を延々と聞かされて、俺も初めて知ったんだ」
 「そりゃあ大変だ」
 「薬師もなにかあるといっていた、十分調査せよと言うことだ、おまえが見つけたのも、じっくり調べさせてもらうよ」
 「親分、あっしは、今じゃこの川岸の問屋で働く船の運び屋ですがね、生まれは甲斐の山奥でして、茸のことにはちょいと詳しいですぜ、お役に立つことがあったらいってくださいよ」
 「そりゃ、助かるぜ」
 「どこで採れる茸が死人についていたのか調べてみりゃあ、何かわかるかもしれねえ」
 「そうだな、黒川様にも言ってみようじゃないか」
 「へえ」
 「それじゃ、その土左衛門を見に行くか」
 「あの赤い茸は卵茸でしたぜ」
 「食えるのか」
 「あの赤い茸は誰も食べねえ」
 「そりゃあそうだ、それじゃあな」
 岡っ引きの吾助は引き上げていった。

 それから半月ほどしたある日の朝である。
 「昨日、西から船が着いたそうだ。荷がだいぶ集まっている、遠くて悪いが、佐助さんのところに行ってくれ」
 佐助さんは、海の船着場からすぐのところに蔵をもち、船からの荷物を一端あずかる店をやっている。
 芳蔵は又吉と七九に声をかけて、倉に入っていった。
 海に近いところに出るにはかなりかかる。
 又吉と七九は舟をあやつって、河口に近い預かり問屋に荷を取りに行った。
 舟をこいで二つ時、佐助さんの店に着いた。
 そこの番頭さんが一つの包みをさして、
 「この荷物は南蛮からきた薬だそうだ、なんでも、偉い陰陽師の頼みのようだ、高価なものだそうだから、芳蔵さんに直接渡しておくれ」と又吉に言った。
 「へえ、わかりやした」
 又吉はその荷物を船の中ほどに置いた。かなりの荷物を積み込むと舟を出した。
 「今日も晴れてよかったな」
 又吉は竿に力を入れて七九に声をかけた。
 「ああ、土左衛門に会わなきゃいいがな」
 「そうあることじゃない」
 いつもの話をしながら、川を上っていき、町の中に入ると、また人間が浮いている。
 「おい、又さん、まただよ」
 先に見つけた七九が指さした。
 水の澱んだところに、膨らんだ男が浮いていた。
 「茸が生えているかい」
 「船を近づけようか」と七九は竿をさした。船がぐーっと岸の近くの淀みに寄った。
 侍だった。うつ伏せで顔はわからない、脇差しは落ちてしまっているようだ。髷の脇から白い茸が生えていた。
 浮いている手の甲からも小さな白い茸が生えている。
 「やっぱり茸だ、白い茸だぜ、又さんありゃなんの茸だい」
 「よくわからんが、鬼茸だろう、ぽちぽちがあるからな、毒だぜ」
 死体の茸の上に赤トンボが止まっている。
 「これも、吾助親分に知らせなきゃな」 
 「やっとくよ」
 又吉が答えて竿をさした。
 
 「親方、ちょっと、吾助親分のところに行ってきやす」
 「なんだ」
 「また、土左衛門でさ」 
 「やっぱり何かあるんかね」
 又吉は荷物のことを思い出した。
 「そうだ、親方、舟の中ほどに積んであるのが南蛮の薬だそうで」
 「そうか、もっと遅くなると思ってたのに早かったな。俺が直接取ってくる」
 「偉い陰陽師が頼んだということですね」
 「あいつ、しゃべっちゃだめだと言っといたのに、困った奴だ」
 「陰陽師ってなあ、まだいるってのを、こないだ吾助親分から聞いたばかりで、どなたで」
 「俺も知らん、あるお屋敷の使いがきて、そういうものが届くから、屋敷に運べとだけ言われている。俺も陰陽師が頼んだとは聞いていない。その屋敷のことも誰にも言うなと行われているんだ、その屋敷は陰陽師とは関係ない家と思うのだがな、又吉、誰にも言うんじゃないぞ、陰陽師ではないかもしれないぞ」
 「へえ、どういうことで」
 「本当のことを言ってはだめなのだろうよ」
 又吉は、吾助のところに走った。
 「おう、又吉、またか」
 「ええ、こないだのところより、少し下のところで、目印があまりなくて、どこと言いずらいんで」
 「火消し小屋から下の方に行けばいいのだな、今日はもう遅い、明日の舟だ」
 「明日だともっと流れちまう」
 「毎日、このあたりに舟を出しておる、調べた後に水に入ったのであろう、もう、かまわねえ」
 「へえ」
 「それより、黒川様が褒めておったぞ、茸の種類を調べるといいと、奉行に言ったそうだ、薬師が調べてみると、確かに死体から生えていた茸は、この辺りにもあるものだそうだ、ということは、土にしか生えないものが、なぜか人に生えたかということだ。それで、黒川様が奉行に褒められ、俺が黒川様に褒められたってわけだ。又吉にも申しておけと言っていた」
 「そりゃ、少しはお役に立てて、嬉しいこったす、でも、なぜ人のからだに茸が生えるようになったんでござんしょ」
 「それをさ、調べているところらしい、薬師はそのようなことが起きたことは、古文書にもないと言っておるそうな、南蛮の本にもないそうだ」
 「流行病(はやりやまい)ではないので」
 「うん、それが怖いと思っているようだ」
 「そんなもんに罹りたくないですな、それじゃ、あっしはもどって荷ほどきの手伝いをしなければなりやせん」
 「ありがとよ、土左衛門は明日探すよ」
 又吉は吾助の家を後にした。

 「親方、行ってきやした、おや、一人で荷を降ろしているんで」
 「うん、九七のやつ調子が悪くてな」
 「そりゃすいません、すぐ手伝います」
 「ああ、たのま」
 親方の芳蔵は力がある。それにしては、いつもよりのろのろと荷物を運んでいる。
 「親方、大事なものはもうしまわれたんで」
 「ああ、倉に入れてあるが、すぐに届けなければならないんだ」
 「どうしやした」
 「九七じゃねえが、俺もちょっと調子が悪い」
 「そりゃいけやせんね」
 「やけに喉が渇くんだ」
 「熱がでるかもしれねえ、それじゃあ届けるのは大変だな」
 そんな話をしながら何とか荷物を倉庫に入れた。
 「又吉、やっぱり、ちょっくら熱っぽい、おまえに行ってもらおうかな」
 「へえいいですよ、一人もんの気楽さだ、親方休んでくださいよ、おかみさんに看病してもらってさ」
 「へへ、かみさんの顔を見ると病が重くならあ」
 「照れなくてもいいじゃねえですか」
 「いや、それより、この仕事は本当に他に漏らしてはならねえんだ、下手すりゃ、打ち首かもしれねえ」
 「そんなに、やばいんすか」
 「ああ、分けは分からねえ、その屋敷に運んだことが外に漏れてはならねえものらしい、だが運んでいくものはあぶねえものではねえようだ」
 「その辺は大丈夫で、しかし俺が行って大丈夫なんでしょうかね、届けたら切り殺されたなんてなるといやですよ」
 「そりゃ大丈夫だ、一文書くから、それを持っていけ、頼んできたのは昔からの知り合い筋で、そいつがその家から頼まれたようだ」
 「でもあたしは使い走り」
 「お前のことを丁寧に書いておく、顔の特徴などもだ、最初にその文をわたして読んでもらえ、そうすりゃあ、大丈夫だ」
 「へえ」
 「それより、その、佐助の店のほうがあぶねえ、おまえにまで言ったということは、ほかにも漏らしているかもしれねえ」
 「そんなにてえへんなことで、それで、どこのお屋敷で」
 「この最後の荷物を運んでくれ、部屋で待ってるから、寄ってくれ」
 「へえ」
 又吉は最後の荷物を担ぐと、倉庫の奥へ運んでいった。
 親方の部屋にいくと、地図が描いてある紙を渡してくれた。
 「このお屋敷だ、実は俺はまだ行ったことがないが、頼んできた者が言った場所だ、地図はくれなかった、覚えておけと言われてな、だから今俺が書いた」
 「えれえ遠いですね、今から荷車を引いていくとなると、八や、九つになりやすが、それでもいいのですかね」
 「かまわねえ、ついたらその日に持っていくということになっている」
 「明日じゃだめなんで」
 「向こうさんは、いつ舟が入ったか、いつ荷が俺のところにきたか知っていると思う、明日持っていくとどやされる。たったこの一つの荷物を運ぶのに二両という大金を払っている。気味が悪いたあ、悪いが、ただ届ければいいんだ。やってくれるな」
 「へえ、もちろん、親方がそういうんだから大丈夫でしょう、行きます」
 「場所はわかったが、何という屋敷で」
 「小川様だ、その地図のあたりに家はそこしかないようだ、ただ、暗くなるから、提灯は用意していけ、ここんとこ日が暮れるのが早くなった」
 「へえ、もう秋になりやすから」
 「ほら、特別に、前金で二分、やっておこう」
 「そんなに」
 「ああ、戻ってきたら、二分だ、それで一両」
 「そりゃありがてえ、半年分のおあしだ、しっかりいきやすぜ」
 「小川野草(のぐさ)様と言う方に必ずお渡ししろ」
 「お武家さまですか」
 「いや、違うようだ、陰陽師でもない」
 「へえ、地図をみると、町からずいぶん外れたたところだ、こんなところに家があるんですかね、草ぼうぼうで、道などなさそうだ」
 「いや、大丈夫だ、頼んできた知り合いは、すぐ分かると言っていた」
 「へえ、わかりやした」
 又吉はもう暮れかかった町に荷車を出した。
 半時も荷を引いていくと日が落ちてきた。
 提灯に火を入れて荷車の取っ手に吊るした。丸の中に芳蔵の芳の字が入っている単純な提灯だ。
 町の中を通り過ぎると、雑木林や草の茂った野っぱらが広がっている。人通りはなく、蝙蝠が目の前をかすっていく。寂しい野道である。ただなぜか道は広く、ほとんどでこぼこがない。手入れが行き届いている。
 やがて、ちらほらあった畑や作業小屋もなくなり、あたりは木と草だけになった。幸い満月とまではいかないが、月が明るい。時々、道の片側の雑木林の中で、何かが動く。狸や狐、兎のたぐいだろう。ちりちり、じーっと虫の鳴く声がちょっと寂しさを紛らわせてくれる。
 荷を引く又吉の前を黒い生き物が勢いよく横切った。月の明かりでちらっと見えた狢(むじな)のようだ。
 「なんでえ、こんなところに家があるのけえ」
 つい声を出したくなる。野っぱらと林に挟まれた道は先が見通せないが、永遠に続くようないやな気分になる。
 しばらく行くと、いきなり道が林の中に入っていった。小高い丘の方に向かっている。それにしても林が切り開かれ、道はきれいに整っている。集落でもあるのだろうか。
 ひどい坂道がないことと、荷が一つで重くないこともあり、引っ張る力はさほど必要はない。しかし林の中の夜道を一人で歩くのは、腕っ節に自信がないわけではない又吉でさえ心細くなってくる。
 道は丘の方に上っていく。地図によると、目的の家は丘を少し登ったところにあるはずである。
 ちょっと上ると、拓けたところがあり、茅葺きの家があった。大きな武家屋敷を想像していた又吉は、ここで聞いてみようと思った。
 明かりが障子戸から漏れている。よかった人がいるようだ。
 又吉は戸をたたいた。
 「どなたかな」
 中から老人の声が聞こえた。
 「夜分、おそれいりやす、ちょっとお尋ねしたいことがありまして、戸をたたきやした」
 「ほう」
 戸が開いて、白髪の老人が顔を出した。又吉はうっとなった。
 老人は端正な顔をしているが、長く白い髪の毛がふわふわと肩のあたりをまって、死びとのような感じさえ受ける。
 「小川様のお屋敷を探しておりやす、お教えいただけませんでしょうか」
 「ははは、小川様のお屋敷とな、わしが、小川野草じゃが」
 「え、あ、それは、助かりやした、芳蔵親方から、荷をたのまれやして」
 老人は懐から取り出した紙を開いた。そこには芳蔵の顔が描かれていた。それを見ると、又吉に言った。老人の目が鋭くなっている。
 「芳蔵が来ることになっているが、どうなさった」
 「へえ、親方は熱がでて、これねえって言うので、頼まれてあっしが代わりにまいりやした、この通り、芳蔵親分から文も預かっておりやす」
 又吉は文を渡した。
 「ふむ、文とな」
 老人は文を開くとうなずいた。
 「たしかじゃ、芳蔵の文だ。又吉さんか、ご苦労であったな、荷をここにお願いしますよ」
 野草は芳蔵の筆も確認したのである。又吉は背筋に寒気が走った。
 「へえ、すぐに」
 又吉は、荷車の荷を取りに走った。家の脇に何かいる。見張っている。
 又吉は勘のいい方である。
 荷物をとって、入り口の上に置いた。
 「へい、これでございやす、お確かめを」
 と言ったが。気持ちは早く戻りたくうずうずしていた。
 「又吉さん、申し訳ないが、老人のたのみ、家に中に荷を運んでくれまいか」
 「へえ」
 いつもは軽く返事をする又吉であるが、なにかもたついた。それでも草鞋を脱いで、荷を抱えると老人の後をついていった。
 農家のような外見とは違って、家の中はどちらかというと、武家屋敷のような間取りで、思ったどころかかなりの広さがある。
 通された部屋には、又吉が見たこともないような、ギヤマンでできた器がおいてあり、卵茸や椎茸やいろいろな茸が器に入れられていた。
 「ここに置いてくだされ」
 又吉は荷を示された机の上に置いた。
 「芳蔵さんの書面には、又吉さんは茸に詳しいとあるが」
 「へえ、甲斐の山の中で育ちやした」
 「なるほど、どうですかな、今日は遅い、部屋をしつらえますから、ここに泊まって朝にお帰りになりなさい」
 「へえ、そりゃありがたいことで」
 躊躇しながらも、逆らえない雰囲気であった又吉はうなずいた。
 「鞠、おらんか」
 野草が声を上げると、どこからか「はーい」という変事が聞こえ、少しの間をおいて、中年の大柄な女性が入ってきた。もんぺ姿の女性は野草に言った。
 「先生、なんでしょうか」
 「又吉さんを寝所にあないしてくれ」
 「はい、どこの部屋にいたしましょう」
 「三の間がよいだろう。そこに、酒を運んでくれ、又吉さんは飲まれますか」
 「へえ、好きな方で」
 「すぐ用意します」
 鞠と呼ばれた女性は大きな目を又吉に向けた。ずいぶん色が白い。
 「こちらです、ご案内します」
 「儂も後で行きますので、先に召し上がっていてください」
 鞠は玄関に近い一室に又吉を案内した。驚いたことに、床の上に、南蛮の寝る台があった。大きなちゃぶ台の上に寝るようなものである。又吉はまだ経験がなかった。
 「これに寝るんですかい」
 「はい、もしお嫌でしたら、下に布団を引きます」
 「いや、初めてですが、やってみましょう」
 「はい、お召し物はそこにあります」
 浴衣ではなくて、股引のようなものと、上っ張りだった。
 「湯がございますが、先にお食事をお持ちしますか」
 「へえ、腹ぺこでござんして、飯をいただけるとありがたいんでござます」
 なれない丁寧言葉でつっかえた。
 「それでは、すぐにおもちします」
 鞠がでると、又吉は着物を脱ぎ、股引のようなものを穿いてみた。思っていたよりも、ゆったりとしていて気持ちがいい。それに上っ張りも肌に少しゴソゴソしたが、着心地は悪くなかった。
 寝台の上に横になってみた。床よりちょっと高いだけであるが、なにか宙に浮いているようで、ちょっと落ち着かない。
 入りますと、言う声がで、又吉はあわてて寝台から跳ね起きた。鞠がお盆を運んで来た。寝巻きになっちまったのは速すぎたかと又吉がどぎまぎしていると、鞠は、
 「どうぞおくつろぎになって、めしあがりください」
 と、運んできたものを、背の高いちゃぶ台の上に置いた。又吉が見ると、ギヤマンとコップ、豆腐のようなものの乗っているガラス皿などである。そのちゃぶ台の周りには椅子が三つ置いてあった。
 「どうぞおかけください」鞠が又吉に椅子を進めた。
 又吉はおずおずと椅子に腰掛けたが、すぐにその上であぐらをかいた。このようなところで食事はしたことがなかった。
 鞠がギヤマンの入れ物をもって、グラスに注いだ。
 「お酒にございます、どうぞ召し上がって」
 「へえ、すんません」
 一口飲むと、とてもよい香りが口の中にただよった。
 「うめえ酒だ」
 「お口に合いましたか、よございました、どうぞ箸をお取りください」
 「へえ」
 又吉は白い豆腐のようなものを口に入れた。
 「お、こりゃあ、味の濃い、旨いもので」
 「はい、醍醐でございます」
 「え、殿様ですらなかなか食べることができないと聞いたことがあるが、こんなにうめえものとは、だが、酒には味が濃すぎますな」
 「こちらは、鮪の煮付けにございます」
 又吉は箸を入れた。
 そこへ野草が入ってきた。
 「おお、いかがですかな」
 「へえ、珍しいものばかりで」
 「わしには、ぶどう酒をおくれ」
 「はい」
 「二つグラスをもってきておくれ」
 「はい」
 鞠はすぐに、グラスと赤い液体の入ったガラスの徳利をもってきた。
 一つのグラスを又吉の前に置き、もう一つを野草の前に置いて、赤い酒を注いだ。
 「もういいから、あとは儂がやる」
 「はい、もう一品もって参ります」
 「うん、」
 野草は赤い酒を旨そうに飲んだ。
 「これはフランスという国の酒でな、葡萄から作ったものだ、なれないと酸っぱくて渋いが、癖になってのう、うちでも作ってみておるのだがな、なかなかこう旨くはつくれん」
 「へえ、すっぱんの血は飲んだことがありやすが」
 「この、醍醐とよくあうのでな、どうです、飲んでごらんなさい、まずければやめればよいから」
 「へえ、試してみます」
 又吉はグラスを持つとちょっと口をつけて、ぐっと赤い酒を口に注いだ。
 「ほう、なかなか、いい飲みっぷり」
 又吉は「ひゃ」といった。
 「そうでしょうな、酒とは全く違うもの」
 「へえ」 
 そういうと、また飲んだ。
 「なじんできやした。いや、旨いかもしれねえ」
 「なかなか、いい舌をしておられるな」
 又吉は醍醐をつまんで、葡萄酒を口に含んだ。
 「こりゃあいけます、旨いもんで」
 野草は杯をあけると又吉と自分に葡萄酒をついだ。
 「さて、又吉さん、茸のことに詳しいそうでな、ちょっとこの茸を見てくださらんか」
 「おーい、鞠、あの茸を持ってきてくれ」
 大きな声で叫ぶと、奥で「はーい」という声が聞こえた。
 すぐに、鞠が籠にのせた乾燥した茸を持ってきた。橙色をした親指ほどの大きさの棒のような茸に、長い柄が付いていて、その先が枝分かれすると、数匹の蝉の幼虫がついている。
 「お、これは、虫茸ですな」
 「よくご存じだな、虫に生える茸で、その虫を殺してしまう」
 「へえ、だけど、ずいぶん大きなもので、どこにあったんで」 
 「うん、それはちょっと、申し訳ないが、今は、言えんのだ、日本のものではない」
 運んできた荷物とはこれだろうと又吉は思った。
 「あっしが見たことのあるのは、一匹の蝉の子供からでたものしかありやせんが」
 「うむ、そうなんだが、何匹もの虫から一つ出てくる虫茸など今までなかったのだ」
 「もしや、土左衛門の茸となにか関係がありやすか」
 「ああ、そうなのだ、話す前に、ちょっと又吉さんにお願いがありますがな」
 「へえ、なんでしょう」
 「お内儀がおありかな」
 「いえ、一人もんで」
 「今は、船問屋の運びやをなさっておるが、その仕事がお好きなのですかな」
 「とんでもねえ、流れ流れて江戸に来て、飯を食うあてがなく、苦労しやした。甲斐の国から出てきたのは、本当は学びたかったんで」
 「なにをですかな」
 「山の田舎者が言うのも恥ずかしいんだがね、薬を作る仕事をしたいと思ってやした」
 「ほお、珍しい」
 「わっちが育ったところには、薬になる草がたくさんあって、草を採るように依頼された親父(おやじ)が、小さかった俺を連れて、よく薬草採りにいったものです」
 「お父上はどうなさったかな」
 「とっつぁんも、かかあも死にまして、一人になってしまったので江戸に出てきたわけで」
 「それはお気の毒に、どうなさってんで」
 「おとっつんのとってきた茸に当たって死んじまったんで、あの茸取りの名人がって、周りから言われちまった。それで、あっしは毒のことを知ろうと思ったんで」
 「ほう、それで。江戸へ」
 「だが、誰も、山猿にそんなことを教えてくれる人もなく、今になったんで」
 「又吉さんは、いくつになったのかね」
 「二十三でございやす」
 「うむ、ちょうどいい年回りだな」
 野草がまた葡萄酒を注いだ。鞠が新しいつまみをもってきた。
 「これはな、南蛮の干し肉でな、食うてみなされ」
 又吉は細く切って干してある肉を口にいれた。
 何ともうまい汁が、口に広がった。
 「歯触りはスルメに似ていやすが、味はぜんぜん違いやす」
 「それは牛の肉を干したもの」
 「え、牛で」 
 「南蛮では牛、豚、皆食べる」
 「いや、美味しいもので」
 「ところで、又吉どの、我が家で仕事を手伝ってはくれまいか、薬を作る仕事をしておる。
 「やはり薬師さまでしたか」
 「いや、そうではないが、新しい薬を見つける仕事をしておる」
 「だが、芳蔵親方と、仲間の九七がどういうかわからねえ、義理がござんして」
 「いや、そうだろう、すぐでなくてよいのだ、給金ははずみますぞ、月一両」
 「そりゃ、すげえ、昔、そのくらいもらっていたことがあるが」
 「ほお、それはすごい、ではもう少し出しましょう、二両でどうかな」
 「いや、値をつり上げるつもりで言ったのではねえで、一両もらっていた仕事は、手首が後ろに回るあぶねえ仕事で、もうああいうことはやりたくねえ」
 「それは失礼した、この仕事はそのようなものではありません」
 「だが、この荷物を運ぶときに、芳蔵親方から、他言するな、へたをすると、首が跳ぶ、だから文を持たす、と言われやした」
 「はは、確かに、この荷物がこの屋敷に運び込まれたことを知られると、まずいことがある。もう少し言いましょう、今、土左衛門に茸が生えておるのはご存知だな、あれは、病でしてな、しかし、ただの病ではなく、目に見えぬ悪さをする生き物がからだに取り付いたものなのです。わしらはそれを退治しようと考えているが、ある悪巧みをしている連中は、それを利用して、宮家を滅ぼそうと考えている。運んでもらったものは、その病を退治するにも、悪巧みに使うのにも大事なものでな。
 「その病を治すほうを、小川様は作ろうっていうこんで」
「その通りで、そのために、鼠や兎などの獣の子を集めております。その手助けをお願いできないかと、もちろん薬を作るところもお手伝いいただければ」
 「そういうことですかい、わかりやした、面白そうだ、だが、やっぱり義理がありやす、明日、帰ってから返事をするのでよろしいでしょうか」
 「もちろんですよ」
 「ひとつおききしていいでしょうか」
 「なんなりと」
 「ここのことを人に言うと首が危ないと親方に言われました。どのようなところなのか聞いてはまずいのでしょうか、もしここで働くとすると、知っておきたいと思ったのですが」
 野草は声を出して笑った。
 「おおげさですけどな、わしは徳川の親戚筋でな、宮家とも関係がありまして、そういった方の薬を調合しておったのです、まあ、毒などのことも調べておったこともあり、その頃幕府はここの場所は極秘にしておったので、その名残なのですじゃ、もう時代もかわり、気にされんで下され」
 その後、葡萄酒を飲み、旨いものを食べ、又吉は初めて寝台というものに横になった。
 
 明くる朝早く、駄賃として一分もの銭をもらい、空の荷車を押して、船問屋に帰った。
 歓待を受けた上、銭までもらった又吉は、まだ何が起きたのか納得がいかず、帰りつくまで、どこから矢が飛んでくるか気がきではなかった。それとも狸に化かされたのか。
 それでも、走るように空車を引っ張っり、なにごともなく船問屋に帰りついた。しかし、とっくに開いているはずの店が閉まっている。又吉は裏の川縁に回ってみた。そちらの入り口も錠がかかったままである。二人とも体の調子が悪かったから、今日は家で伏せってでもいるのだろうと思い、又吉は芳蔵親方の家に行ってみた。
 倉庫からほんのちょっとのところである。芳蔵の家はなかなか良い造りの一軒家である。広くはないが、元々豪商が妾のために作ったものを、買い取ったのである。裏木戸を開け、土間をのぞいてみると、おかみさんが一人で湯を沸かしている。
 「親方あ、どうしなすった」
 「おや、又さん、昨日帰ってこなかったよ」
 「おかしいな、昨日の夜、熱がでそうだって言ってたがな」
 忙しいときは家に帰らないこともあり、おかみさんは気にしていなかったようだ。しかし、昨夜の様子では帰らない方がおかしい。又吉は昨夜のことをおかみさんに話した。
 おかみさんも血相をかえ、私も倉庫に行くと言って、仕度をしてきた。又吉はおかみさんをともなって倉庫に戻った。
 「おかみさん、おかしいな、川っぷちのほうも鍵がかかってたけど」
 そう言いながら又吉はもう一度川岸の船着き場に回ってみた。
 「やっぱ開いてませんね」
 おかみさんも川縁にやってきた。
 「おかしいな、鍵締めて二人でどこかにしけ込んじまったとしか考えられないね」
 「あの人は仕事以外には、庭いじりぐらいしかしないよ」
 確かに芳蔵は酒も飲めない。
 又吉は誰もいない舟の上に岸から飛び乗った。舟がぐらっとらっと揺れた。と、岸にいたおかみさんが大声を上げた。
 又吉が何かと舟と岸の間を見ると、水面に男の死体が浮かび上がってきた。しかも、二人である。どちらも背中を向けていたが、茸がびっしりと生えていた。
 「父ちゃんと九どんだよ、どうしよう」
 又吉は引っかけ棒で引き寄せると、二人のの死体を舟の上に引きずりあげた。
 「親方、九七」
 又吉の呼びかけた声は声にならなかった。
 「あたしゃ、どうしよう」
 おかみさんは泣き崩れた。
 しばらくして、自分を取り戻した又吉は、
 「吾助親分のところへいってきやす」
 と走り出した。
 吾助はそれを聞くと、下っ引きを集めて、芳蔵と九七の遺骸を近くの寺に運んだ。
 「おかみさん、この茸の生えた死体は、寺に葬れとのお達しなのだよ、その前に、荼毘に付してな、しかもすぐに行なえとのことだ。別れを惜しむ間がなく、申し訳ないが、がまんしてくれ」
 吾助のいう事に、おかみさんは頷くしかない。又吉と家に戻った。
 「おかみさん、とんでもねえことになって、なんと言ったらいいかわからねえ」
 「あまりにも急でねえ、なにが起きたのかわかりゃしないさね、親方が土左衛門になるったあ、信じられないじゃないか、あんなに泳ぎが達者でさあ、九さんにしてもそうだ」
 「おかみさん、今すぐにゃあ考えられねえだろうが、身の振り方を考えなきゃなんねえな」
 「又さん、あの仕事を次ぐ気はないかね」
 倉庫を一つと舟を一艘もった小さな問屋である。定期的に決まった荷を集め、それをいつものところに配るという作業で賄いをたてていた。もし又吉がやめるとなると、新たな船頭を雇ってからでないとだめであろう。しかも力がないと勤まらない。
 「おかみさん、それは出来ねえ、芳蔵親方のような気の利いた采配は振れねえ、九七がいりゃあ、考えねえこともなかったが、あいつもいっちまった」
 九七から家族のことを聞いたことはない。やはり独り者である。
 「あたしは、江戸には居れないね」
 「おかみさん、ちょっとの間、留守にするが、その間にどうするか考えておいてくんなせえ」
 「又さんはどうするね」
 又吉は覚悟を決めていた。
 「ちょっとあるお方に相談しやす、おかみさん、舟と倉庫を任せてもらえやしねえでしょうか」
 「ああ、あたしゃ、どうしたらいいか、わかりゃしない、いいようにしておくれでないかい」
 「悪いようにはしやせん、あっしの先も考えてのことでさあ、おかみさんもしばらく、気を落ち着かせてくだせえ」
 又吉は次の朝、小川野草の屋敷を訪れた。
 「おお、又吉さん、どうでしたな、親方はうなずいてくだされたか」
 「へえ、親方はうなずくこたあなかったです」
 「だめでしたか、それは、残念なことだが」
 野草は本当に期待していたようであった。
 「いや、先生、そうじゃねえんで、親方あ、死んじまいした」
 「そりゃあ、お気の毒に、まさか、茸で」
 「そうなんでさ、ここにきた夜に、熱ぽいと言ってたんだが、昨日戻ってみると、親方は家には帰っていねえ、姉さんと倉庫に戻ると、なんと九七っていうあっしの相棒ともども、川に浮いていた」
 「それはたいへんなこと、まま、お上がりなされ、鞠、部屋を開けておいてくれ」
 奥の方から鞠の返事が聞こえた。
 部屋に通された又吉は、話を続けた。
 「それで、おかみさんが残されちまって、困っているんで、助けていただけないかと思いやして、それが済めばあっしも、ここにお世話になることもできると思いやす」
 「それは、出来ることならいたしますぞ」
 「なに、むずかしいことじゃないんで、親方の倉庫と舟、それに家を売って、金を作って、おかみさんを国に帰してやりたいんで」
 「あ、それならば、お役に立てそうじゃ、それで、いかほどかな」
 「あっしには倉庫と舟、それに親方の家の値段なんでわかりゃしねえ」
 「ふむ、それならば、どうだろう、三百両じゃ少ないかね」
 又吉は驚いた。
 「とんでもねえ、三百両なんて、あっしらが、一生懸命、一生働いても手元に残る金じゃありやせん、冗談でござんしょ」
 「いや、わしもそういうものの値段はわからんが」
 「もどって、親方が持っている建物と舟の書き付けを見せてもらいやす、それで、ともかく買っていただけることを、おかみさんに伝えたいのですが」
 「おお、そうしてくだされ、ことがすんだら、是非又吉さんにはここで働いてくだされな」
 「もちろんあっしの方でお願いいたしやす」
 こうして、おかみさんのところに戻り、又吉その話をした。芳蔵親方のもっていたものから、書き付けを探しだすと、倉庫や舟を買った時の証文があった。
 「おかみさん、これどうしたんで」
 「芳さんがまじめに働いて、この倉と舟をいただいたということだよ、芳さんは上総の生まれで、十になったかならないかで丁稚奉公、大きな船問屋で一生懸命働いたそうな、そこの大旦那さんに子どもがなくて、なくなったときに、たくさん持っていた倉や船を働いているものに分けるように遺言を残されて、奉公人の中で一番若かった芳さんにもあの倉と舟を残してくれたそうだ、だから、大旦那さんの墓参りは欠かさなかったね」
 「そうやあ、姉さんも、上総の出じゃなかったでしたかい」
 「そう、近くにすんでいたんだ、うちも水飲み百姓、私が十八になる頃、売られるところに、芳さんが、倉と舟を手にいれた、商いをやるので、連れ合いになってくれって、きたのさ、嬉しかった、そして、やっと今の家を手に入れたのさ、今の家はうちの人の知り合いの地主さんの紹介で、二十両ほどだったかね」
 「それじゃ、上総に戻るんで」
 「妹や兄やんがいるから、そのつもりだけど」
 「それじゃ、倉と舟、それに家を売ってよござんすね」
 「そりゃあもちろん、でも、買う人がいるだろうか」
 「まかしといてください」
 
 その話を持って、又吉は再び野草の屋敷に行った。
 「てなわけで、蔵と舟の値段がわからねえ」
 「わかりましたぞ、それでは、先に言った三百両で買いましょう、それに百両を又吉さんあなたの準備金にお渡ししましょう」
 「恐ろしい話です、わたしはいりませんが、どうでしょう、三百両そろえて、おかみさんにやってくれやせんでしょうか」
 「又吉さんがそういうのなら、それでいいでしょう、ただ、その家は又吉さんが必要なときに使ってくれまいか、倉は茸の病の調べ所にしてもよいかもしれぬな」
 「ところで、先生、芳蔵親方や、九七は泳ぎも上手で、とても土左衛門になるような人間じゃありやせんが、どうしてああなったのか、わからねえでしょうか」
 「おそらくだが、からだが熱くなりすぎて、水に入らなければ燃えてしまいそうになったのだろう、だから、川に飛び込んだのじゃないだろうか、しかし熱があってからだが思うように動かず、死んだのだろう。病気だな」
 「やはり流行病で」
 「うむ、皆にうつるわけでもなさそうだが、そのたぐいだろう」
 「今にあっしもなるかもしれねえ」
 「ならんとはいわんが、芳蔵さんや九七さんがなったのに今大丈夫なら、なりにくいのじゃろう」
 「そりゃあ、ありがてえ」
 「鞠、お金を持ってきなさい」
 「はい」
 奥から菊が包みを持ってきた。
 「三百両あります、おかみさんに、よろしく伝えてください」
 「へえ、こんなにたくさんの金をみて、震え上がるかもしれやせん」
  と又吉は野草に頼みごとをした。
 「先生様、この大金を、家と倉と舟の代金として、芳蔵のかみさんに渡すという証文を書いていただけやせんでしょうか」
 「そりゃたやすいが、どうしてかな」
 「あっしらのような町人風情が、このような大金を持っていると、それだけで咎めを受けるかもしれねえ」
 「そうかの」
 小川野草はその文をしたためて又吉に渡した。
 「頼みますぞ」
 「へえ、金を渡して、国に帰る手伝いをおえたら、早くにもどりやす」
 もどった又吉は、びっくりするおかみさんに金を渡し、国に帰る手伝いをした。
 それから十日、自分の住んでいる長屋も引き払い、おかみさんも上総に旅立ち、すべて片づけた又吉は川縁の倉に行った。
 驚いたことに、倉の周りに、偉く頑丈な竹塀が巡らされていた。
 「なんでえ、誰がこんなことをやったんだ」
 と入り口を探し、塀の中にはいると、
 「おい、又吉、いろいろ大変だったな、ここはもう入ってはなんねえ、さる方のものになった」
 吾助親分が声をかけてきた。
 「どいつで」
 「それは言えねえがかなりのお足で買ったらしい、おかみさんに聞いたが、いくらもらったのか教えてくれなかった。なぜこんな、古い倉を欲しがったのかさっぱり、わからねえ」
 おかみさんが、吾助に国に帰る挨拶に行ったときに聞いたのであろう。又吉の懐には芳蔵あての家などの証文が入っていた。おかみさんからの受け取りはもらってある。それも野草が用意したものである。野草にあとで渡すものである。それはだまっていた。
 又吉は小川野草の家に戻った。
 「さあ、これから、お手伝いをお願いしなければなりません」
 野草は鞠に又吉の部屋に案内させた。一番奥の外にでることのできる角部屋だった。
 庭の先の林の中に大きな小屋があった。外の道からは全く見えない。
 野草が言った。
 「あそこに、動物たちがいますのじゃ、兎、鼠、鼬じゃ」
 「そいつらをどうするので」
 「兎に茸を食わせ、兎の肉を鼠に食わせ、鼠をイタチに食わせておる」
 「又吉さんには、仕掛けをかけて、兎や鼠、イタチを捕まえてほしいのだ」
 「へえ、ガキの頃は追い回したもんですが、江戸に来てからは、とんとそういうことに縁がないので、できるかどうか」
 「仕掛けは作らせてあるので、後は仕掛けて、かかったものを運ぶだけでな、難しいことはない、朝それをやってもらって、動物たちに餌をやり、時が余ったらわしの薬作りを手伝ってくだされ」
 「へえ」
 「それに、夜は自由にしてくだされ、身の回りは、鞠の元に何人か手伝いの女子がおるので、その者たちにさせます」 
 鞠と野草しか顔を見ていない。他に誰かいる様子がなかった。
 「あのう、余計なことを聞いちゃいけねえかもしれねえが、これからお世話になる鞠様とはどのようなお方で」
 「おお、そうじゃった、まだ言っておりませんでしたな、こりゃ失礼しました、孫じゃよ、両親はエゲレスにおりましてな、父親はむこうの人で、ケンブリッジというところの学校の先生をしておって、茸の学者でな、わしの娘がとついでおります、孫のマリーは日本に来て日本の勉強をしておりますのじゃ」
 又吉は鞠が大柄の女性で、色の白いことの理由が分かった。
 「庭に出てみてくだされ」
 又吉が庭にでると、野草もおりてきた。
 「小屋をごらんにいれよう」
 野草が小屋の鍵を開けると、中に老人が一人いた。
 「申(しん)和(わ)さん、生き物たちはどうかね」
 申和と呼ばれた老人は、柔和な顔を野草に向けた。
 「うまくいっております。8番の鼬が死にまして、体に茸が生えております。
 「おおそうか、それは、なにを食わした奴かな」
 「1番の兎の肉を食わせた鼠でございます」
 「あれは、やはり、南蛮の虫茸か」
 「はい、そうでございます、これから、それで調合いたします」
 「ここまではよくいったな」
 又吉は死んだ鼬をみた。水飲みの中で水死している。赤い茸が鼬の死体から一面に生えていた。土左衛門と同じである。
 「玉子茸ですな」
 又吉が言った。
 「おおそうじゃった、申和殿、こちらは又吉さんといってな、これから、兎、鼠を捕まえてもらうことにした。それに、薬の調合も手伝ってもらう。申和殿は、もうその仕事はしなくて結構じゃ、小屋の動物たちをお願いします」
 「それは助かりました、わたしももう六十を過ぎ、野山を歩くのは疲れます、又吉さんよろしくお願いしますぞ」
 「へえ、よろしくお願いします」
 申和の言葉はとても柔らかかった。
 又吉と野草は屋敷に戻った。
 野草は又吉を居間にさそった。その部屋も南蛮仕様で椅子に足の長いちゃぶ台があった。
 「鞠、食べ物を見繕ってくれないか」
 「はい」遠くから返事があったと思ったら、すぐに食べ物を持って部屋に入ってきた。鞠の顔を良く見るとどこか野草と似たところがある。
 「テーブルの上に置いておくれ」
 足の長いちゃぶ台はテーブルと言うらしい。
 「ちょっと変わった、食べ物を用意していますが、口に合わなければ、取り替えますよ」
 野草が自分の前の皿の上のものを持ち上げた。柔らかいようである。野草はそれに黄色の練り物を塗って口にいれた。
 又吉も同じようにしてみた。
 油を塗った麩菓子のようだ。
 又吉の様子を見た野草は笑いながら、鞠に声をかけた。
 「菊、白いご飯をもってきてくれ」
 すぐに、白い飯に、青菜のおしたし、玉子などが用意された。
 又吉はちょっとほっとした。
 「これは、麦で作ったもので、パンと申してな、南蛮では米と同じように食べているものなのですよ、塗ったものは乳から作り出した油でなバターというのじゃ」
 「へえ、あっしにはまだ味がわからないようで」
 「いやいや、どうぞ白いご飯を食べてくだされ。少し、死体の茸について話をしましょうな。水死体から茸が生えるようになったのは、十年も前のことからでな、そのころは変な茸もあればあるものだ、としか考えておりませんでしたがな、それが、五年ほど前から急に増えまして、悪い病気ではないかということになったじゃ。
 わしはそのころもう隠居してたが、その死体を見てほしいと頼まれ、これは将来大変なことになるのではないかと、くい止める方法を考え始めたわけです。
 そのためには、まずなぜ茸が生えるのか、実際に生き物で試してみなければなりませんでな。茸を兎に食べさせて、さらに、その肉を鼠に食べさせて、その鼠を鼬に食べさせることで鼬がどうなるか調べたわけです。
 数年は全くだめで、ところが、あの、小屋にいた申和どのが、漢方のことに詳しいくてな、虫茸、すなわち冬虫夏草ではないかと、私に進言してくれ、しかも自ら、それを確かめてくださるということになった。虫茸を食した兎のからだが少し暖かくなり、その肉を食した鼠もそうなった。さらに、その鼠を食した鼬もからだの温もりがわずかだが高くなったのじゃ。それを確認してからは、日本国以外のところの虫茸を集めましてな、試したのです。かなり効果があり、この間又吉さんが運んでくれた。あの強い茸を食べさせたのが、今日見てもらった鼬なのですよ。どうしてそうなるか、これから突き止めねばならないのです」
 「茸は、いつも同じ場所に生えますが、何年も生えなかったり、毎年生えたり、そりゃあ、その年のお天道様の具合と、雨の量と、それに土の具合で決まりまさあ」
 「そうですな、さすが又吉さんだ、茸になじんでいらっしゃる」
 「もう、ガキの頃には茸ばっかり食わされていやしたから、おいしい茸を探すのにやっきになっておりやした」
 「おお、そうでしたか」
 「茸は土の中のあの白いものからでるんですぜ、茸をほじくると、土が真っ白い糸のようなものでからまっているんでさ」
 「その通りで、あの白い糸から茸はでてくるんです。だから、あの白い糸が広がることのできる土が必要なんです」
 「おいらは見たことはありやせんが、虫茸は蝉の子供の中の白い糸からでるんでしょうか」
 「その通りなのだよ、又吉さんは勘がいい、蝉の子供の中に胞子が入ると、その白い糸が増えて、大人の蝉になる前にその子供は死ぬ。そこから虫茸が出る」
 「それで、南蛮の虫茸を取り寄せて、食わせたわけで」
 「そうじゃ」
 「だが、死体に生えるのは、虫茸ではねえ、普通の茸だ」
 「そこがわからないところなのです、それを見つければ、白い糸が増えるのを押さえることができる、薬が作れるのです」
 「ふつうの茸には土が大事だね、その病は生き物のからだを土に変えるのと違いやすかね」
 それを聞いて、野草は驚きの顔をした。
 「それだ、それです、又吉さん、何かがからだの中にはいると、血が土と同じものに変わるのですな、そういえば茸の生えた土左衛門の血が茶色っぽかった」
 「へえ、そうなんで」
 「どうして土に変わるのか、それがわかればいいのじゃな、又吉さん、大変な発見じゃ」
 「なにかあっしがいいましたですかね」
 野草の褒めように又吉はなんだか奇妙な気持ちになっている。 
 「又吉さん、今日見ていただいたとおり、鼠を確実に病気にさせることができるようになった。その血を調べ、薬を作ってその鼠に喰わせ、病気がでなければいいわけじゃ、茸のでない薬を見つけましょう」
 小川野草もずい分興奮しているように見える。又吉が言ったことがそれほど大事なことなのか、本人にはまだわかっていなかった。
 「へい、なんでもいたしやす」
 「兎があの茸を食べたことで、茸にすんでいた何かが、肉に入り、それを食べた鼠の血が、その何かによって、土になったのです。茸の胞子はどこにでも飛んでおる、それが口から入り、血がそのような状態になっていると、白い糸が増え、病気になり、熱がでて、死んだ後に茸が生える。死ぬ前はとてもからだが熱くなり、入水することになる」
 「へえ、恐ろしい」
 「怖い病だ、だが、又吉さんのお陰で、薬が作れそうだ」
 「鼠より蚯蚓のほうが、よかないですか」
 「それはまた、なぜですかな」
 「蚯蚓は土を食っている、土には茸の白い糸がある。だけど、茸は生えてこない。茸が生えないようにするものを持っているのじゃないかね」
 「うーむ」
 野草はうなった。
 「すばらしいのう、そうか、又吉さん、蚯蚓を調べましょう、まず、蚯蚓に南蛮の虫茸をすりつぶして混ぜた土を食わしてみましょう」
 昼食後は、申和に連れられて、罠の仕掛けてあるところを回った。小高い丘に広がった林の中に仕掛けてある。それでもそんなに広いものではない。
 又吉は次の日から、仕掛けを持って林の中を歩き、蚯蚓を捕ってきて、南蛮虫茸の入った土の中にいれた。
 蚯蚓からはいっこうに茸は生えてこなかった。
 それから、半月がたった。
 夕食の席である。
 「又吉さん、予想通り、蚯蚓に茸は生えないようですな、今度は、蚯蚓をすりつぶして、鼠に兎の肉と一緒にあたえてみましょう」
 野草が言った。
 「はい、お手伝いします。あたしの子供の頃、ばあさんが、蚯蚓を乾燥させて、熱さましの薬にしていました」
 「ほお、それは面白い、熱を覚ますのなら、この病気にもいい、南蛮虫茸を食べた蚯蚓を乾燥させ、粉にして、南蛮虫茸を食べた兎の肉に混ぜて、鼠に食わしてみましょう」
 そんな会話があって、その後、野草は又吉の助けで、乾燥した蚯蚓をつくった。蚯蚓を開いて土をきれいに洗って、干したのである。蚯蚓の開きだと又吉は面白がった。蚯蚓のあの表現のできない、青臭い泥臭い匂いだけはなれなかったが、干すとそれはなくなった。
 そして、また半月、蚯蚓の入った肉を食べた鼠には茸が生えなかったが、入ってない肉を食べた鼠にはいろいろな茸が生えた。
 さらに新しいことがわかった。南蛮の虫茸をたべなくても、ただの蚯蚓の干したものでも効き目があったのである。
 こうして干した蚯蚓の開きが薬となった。

 「さて、この薬を人に試さなければなりませんな」
 「又吉さん、あの倉庫を、病の治しどころにしましょう、あなたが切り盛りしてくれませんかな、申和さんにもたのみます」
 「へえ、それはよございますが、なにをしたらいいので」
 「この薬を売りさばくのと、医師を派遣し、体が暑くなり始めた患者に、この薬を飲ませるのです。それで熱が引けば、茸は生えることはないでしょう」
 「本当に効くんでしょうか」
 「鼠に効いたものは、人にもよく効くものです」
 「そんなものですか」
 又吉は半信半疑で話を聞いていた。
 それから、数日後、又吉は申和とともに、野草に連れられて、川岸の倉庫に行った。
 久しぶりの町中である。そこであまりの変化に驚くことになった。
 倉庫が見違えるようにきれいになっており、薬問屋、養生院に変わっていたのである。門構えも全く違うものになっていた。
 しかも、建物の前には吾助と同心が控えていたのである。
 「これは小川様、このたびはありがとうございます」
 「いやいや、いい薬ができましたぞ、この又吉さんが作ってくれたのです、又吉さんにこれから、ここを任します」
 又吉という名をきいて、腰を低くしていた互助が頭をあげた。又吉と目があった。
 「え」
 「どうした、互助」同心の黒川が聞いた。
 「又さんが戻ってきた」
 「あの茸のことをよく知っている又吉か」
 「へえ」
 同心が又吉を見た。
 「小川様、この又吉とやらは、ついこの前までこの舟問屋にいた船頭でございましたでしょうか」
 同心が野草に聞いた。
 「おお、そうでしたな、しかしこの薬は又吉さんが作り出してくれたのですぞ」
 「それは、それは、おみそれいたしました」
 吾助親分ばかりか、同心の驚きようもすごかった。
 「これで、この病も消えます」
 「ありがたいことです」
 「それで、これからは又吉さんが、この薬問屋と養生院を取り仕切りますから、よろしくお願いします、薬はまず、このあたりの患者さんから分け与えましょうぞ」
 「早速手配させていただきます」
 同心たちは、きれいになった建物の中へ野草たちを招きいれた。
 吾助親分が恐る恐る又吉を見た。
 又吉は微笑み返した。
 「吾助親分さんこれからもよろしくおねげえします」
 又吉は頭を下げた。互助親分の顔が柔らかくなって、笑顔に戻った。嬉しそうだ。
 建物は全く変わっていて、薬問屋の造りになり、薬を作る部屋、医師が患者を診る部屋も用意されていた。
 「又吉殿、これから、私の知り合いの若い医師を毎日ここによこします。その医師の采配で、薬を渡すようにします、渡す係りの者は、私の家の者をよこします、又吉殿は、この院がうまくいくよう、みていてくだされ」
 「そんな、大それたことができますでしょうか」
 「いや、又吉殿ならできる、町の者を助けてくだされ」
 「やれることはやりやしょう、人助けだ、互助親分にもたみますから」
 「おお、よろしくたみますぞ」
 「それで、小川様も、こちらに、いらっしゃるので」
 「たまにはきましょうぞ」
 「お願いがございやす」
 「なんなりと」
 「先生様のお手伝いはいくらでもいたします。やりながら一つ私も自分で事業を興してみたいと思いやす」
 「ほお、なにをなさりたいのかな」
 「この薬を作るときに考えたことでございます。茸が好きな土を作ることができるならば、その土を作って、食べられる茸をはやして、売るのでございます」
 「それはあっぱれ、すごい才気じゃ、わしの屋敷の道具をお使いなされ」
 「ありがとうございます、それにあの南蛮の虫茸を旨く栽培して、薬にするのでございます」
 「その通りじゃ、この年まで生きていてよかったわい」
 小川野草は白髪を掻き揚げてうなった。

 それから、又吉はあの倉庫を野草院と名づけ、多くの人の命を助け、その傍ら、茸の白い糸が好む土を作り出し、どのような茸も栽培することができるようになったのである。
 それから十年ほど経った。小川野草が亡くなり、それを期に、又吉は野草院を若い者に任せた。亡くなった小川野草の屋敷を譲り受け、もう一つやりたいことをはじめている。不老不死の薬を創ることである。虫茸を使って研究を始めたところである。

土左衛門茸

土左衛門茸

川に浮く死体に必ず茸が生えていた。流行病の土左衛門だ。船頭の又吉は頼まれた荷物を荷車に積み遠くの屋敷に運ぶ。そこから又吉の運命は変わっていく。茸にくわしい又吉が病を治す薬を見つける手助けをする物語である。

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-12-14

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted