川の淵のアリス

これはわたしたちの世界。

死にたくなった。それはもう本当に死にたくなった。

私はただの人である。息をして歩いて毎日会社に行くつまらない人だ。趣味も特技もない。恋人もいない。実家はそこそこに問題を孕んでいてまたそこそこに平和で、一人暮らしの生活に特に不満もない。ただの人だ。
満足はしている。
ただの人だと思うと同時に私は価値のある人間だと思う。与えられた仕事をちゃんとこなしている。毎日しっかり生きている。節目の日には実家に連絡するし、姪っ子や甥っ子も懐いてくれる。極めて模範的なただの成人女性だ。
死にたくなる理由なんてない。いつか素敵な彼氏と出会って幸せな家庭を築いて幸せに死にたい。今死ぬわけにはいかない。私が死んだら仕事には穴があくし実家の家族は悲しむだろう。死にたくない死んではいけない。なのになぜだか死にたくなってしまった。
足は少し離れた深そうな川に向かっている。深そうだけど実際深いかなんて沈んでみなきゃわからないので飛び込んだところで死ねるかわからない。もしかしたら本当に浅い川で飛び込んでも胸元まで浸かって終わってしまうかもしれない。そしたらとっても滑稽だ。だけどそれはそれでありかもしれないと思ってしまう。いいじゃないか、無計画でダサい自殺未遂をした格好悪い女。ただの人よりはマシだ。
音楽を聴かずにこんな長い距離を歩くのは久しぶりだった。いつもは適当に流行りの音楽をイヤホンで聴きながら歩く。最寄り駅までの15分も会社までの5分も適当な音楽を聴いている。特にこだわりはない。人生に対する物足りなさをごまかせればそれだけで音楽には価値があった。でも今はその物足りなさをこれでもかというくらいに噛み締めて歩きたい。世界に絶望して歩きたい。少しでも死に近づいて歩きたい。今死から遠ざかったら何かが失われる気すらした。
私を取り巻く世界はいつもとは一味違っていた。特別なんで言葉じゃ表せないくらい特別だった。輝いていた。生きているもの全てが輝いて見えた。道行く人は皆希望に満ちた笑顔に見えたし街灯は太陽のように輝いていたしビルの明かりは田舎の星空のように尊く見えた。とても綺麗だったけど別れを告げたくてたまらなかった。
雨が降ってきた。12月の雨。ぴったりだと思った。私の最後の日にぴったりな雨。私の代わりに空が泣いてくれたのだ。私は悲しくて歩いてるわけでもなければ世界に絶望して歩いてるわけでもない。ただなんとなく。何かふんわりとした願望があってそれを叶えるために私は歩いてる。でも死ぬのには絶望だったり悲しさだったり何か理由が必要な気がする。適当に12月の雨に絶望でもしておこうか。寒いね。ああなんでこんなに寒いんだろう。嫌な世界だな。という具合に。
生まれ変わったら何になろう。
それが私の希望だった。ただの人でもいいけれど、なんだかもっと違うかわいくてふわふわで女の子らしいものを答えておきたい。昔から女の子らしさとは無縁のガサツで色気もない女だったから、今度は女の子らしいことをしてみたい。最後くらいかわいげのあることを考えてみたかったのだ。
うさぎだ、うさぎ。そう、うさぎ。ぴょんぴょこぴょんぴょんなんて具合に愛想振りまいて、きゃーかわいいなんて言われるような動物になってみたい。まあ実際私みたいなうさぎがいたところできゃーかわいいなんてならないんだけどね。きっと私は真っ黒じゃないけど中途半端にくらいくらいのうさぎで真っ白なかわいいうさぎの人気には敵わない。それでも幾らかの人にはかわいいと思われて、ちょっと図に乗ってかわいい白うさぎに嫉妬をするのだ。ただの人より人間味があるうさぎだ、いいじゃないか。
きっと私はうさぎに生まれ変わる。
そうやってわたしは橋の手すりに手をかける。
白うさぎが私の背中を押した。

川の淵のアリス

川の淵のアリス

死にたくなる朝、死にたくなる昼下がり、死にたくなる夜。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-12-11

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