愛嬌

上司 幾太

愛嬌

好きな人に見せる笑顔は周りに見せる笑顔とは違うのかもしれない。

 「おはよう!」と僕の右肩を軽く叩き、満面の笑顔と明るい声で彼女は朝の挨拶をしてきた。「おはよう・・・」僕は少し驚いた表情で、下駄箱に靴を入れながら答えた。上履きを履き終えて、教室に向かおうとするとまた背後から「お、おはよう」と今度はさっきとは対照的に小さな暗い感じの声で彼女は挨拶をしてきた。「おはよう」「雨すごいね。濡れなかった?」と挨拶ついでに彼女に軽く話しかけた。「傘、差してきたから・・・大丈夫」と彼女は小さく答えた。
 朝のホームルームが終わり、1時限目が始まるまでに10分程度の休憩時間中、「武(たけし)くーん。昨日のテレビ見たー?」と僕の顔を覗き込むようにして、彼女は朝の挨拶と同様に明るく声をかけてきた。彼女の名前は和田 沙織(わだ さおり)明るい性格のため、クラスで友達も多く、男子生徒、女子生徒、先生達とも仲が良い。
 僕は沙織(さおり)さんと他愛ない世間話をした後、1時限目の授業を受けていた。窓の外を見ると今朝から降っている雨はさらに強くなり、校庭へと降り注いでいる。昨日のニュースで梅雨入りと言っていたから、しばらくは雨の日が続くのだろうと教科書の湿気で湿ったページをめくりながら僕はそんなことを考えていた。
 1時限目の授業が終わり、10分間の休憩時間に入り、僕はトイレに向かった。用を足して、洗面台で手を洗い、ズボンの布で手を拭いていると「よかったら・・・」と小さな声で彼女は僕にハンカチを差し出した。「ありがとう」と彼女からハンカチを受け取ると僕は手を拭いて彼女にそのまま返そうとしたが「私、もう一枚ハンカチ持っているからよかったらあげるよ」と不慣れそうな笑顔で小さく言った。彼女の名前は前田 仁美(まえだ ひとみ)クラスでは大人しい性格で、あんまり笑わないし、あんまり話さないから、クラスではいつも一人で居ることが多い。
 お昼休みになると、午前中あんなに激しく降っていた雨は上がり、雲の切れ間から、太陽の光が差し込んでいた。中庭には雨粒のついた植物の葉っぱが太陽の光を受け、キラキラと輝いていた。窓際の席で座っている僕はその景色に少し心惹かれ、開けた窓から入ってくる雨の匂いを感じながら、お弁当箱を広げた。「武(たけし)くーん。一緒にお弁当食べよ♪」と沙織(さおり)は僕と向かい合わせに座り、いつもの満面の笑顔を僕に向けてくる。
「沙織さんは最近よく僕と一緒にお昼を食べてくれるけど、他の子達と一緒に食べなくていいの?」と僕は沙織さんに尋ねた。「うん、武くんと一緒のほうが楽しいもん♪」と卵焼きを口に運びながら沙織さんは答えた。沙織さんと僕は付き合っているわけではない。こうして一緒にお昼を食べるようになったのも1週間前くらいからだ。きっかけが何なのかは僕も分かってはいない。
 下校の時間になって、家に帰るために僕は下駄箱で靴に履き替えようとしていた。ふと、人の気配がしたので廊下に目をやると、前田さんが重そうな紙袋を両手に持って運んでいた。僕は靴を下駄箱に戻し、「前田さん!」と声をかけた。「近藤君?」と僕の名字を呟きながら前田さんは振り返った。「重そうだね。1個持つよ」と僕は前田さんの右手から紙袋を一つ受け取った。「何処まで持っていくの?」と僕が尋ねると「ゴミ捨て場まで」と前田さんは小さく答えた。ゴミ捨て場まで行く途中、「和田さんと近藤君って付き合ってるの?」と前田さんが尋ねてきた。「いや、付き合ってないよ」と答えると「そ、そうなんだ」といつもより高いトーンで前田さんは呟いた。
 ゴミ捨て場に着き、紙袋を運び終わると「今日はありがとう」と満面の笑顔で前田さんは僕にお礼を言った。前田さんの笑顔ってこんなに可愛いんだと僕は思った。
 それから僕は、前田さんのことが気になるようになり、頻繁に声をかけたり、一緒にお昼を食べたりするようになった。4限目の終わりのチャイムが鳴り、「前田さん、お昼一緒に食べよう!」と僕が声をかけると横から「私も一緒に食べていい?」とお弁当箱を両手で持って、首を傾げながら沙織さんが入ってきた。「ええ、一緒に食べましょう」と前田さんはいつもより少し曇った笑顔で、お弁当箱を机の上に置いて答えた。
 昨日見たTVの話、女の子同士のファッションの話、そして話は恋愛の話に入った頃、「前田さんは好きな人は居るの?」と沙織が尋ねた。前田さんは「別に・・・」と俯きながら答えた。「私はね~。武くんが好き~」と満面の笑顔で、僕の右腕を掴みながら、沙織は言った。
「武くんは私のことをどう思ってるの~?」と上目遣いで僕に聞いてきた。「恋愛の感情は僕にはまだわからないよ。沙織さんのことは友達とは思っているけど・・・」と少し困った表情で僕は答えた。「いいも~ん。好きになってくれるまであきらめないもん♪」と頬を膨らませながら沙織さんは言った。「私、ちょっとトイレに行ってくるね!」と前田さんは俯きながらそう言うと席を立ち、小走りに教室を出た。
 その日の夜、僕は自分の部屋で、ベッドに仰向けの状態で恋愛のことについて考えていた。沙織さんのことは僕も勿論(もちろん)、可愛いとは思っている。だけど、それが恋愛感情なのかと考えると違う気がする。僕に優しく、親切にしてくれるけど、何か違う気がする。もし、恋愛感情というものがその子のことを考えると胸が締め付けるような感覚であるのなら、その感情を感じた女の子は僕にとっては前田さんだった。前田さんによく声をかけるようになったのも、お昼を一緒に食べるのも、もっと前田さんのことを知りたいと思ったからだった。「明日、僕の気持ち前田さんに伝えてみよう」と僕は立ち上がり、自分の部屋の窓を開けて、夜の星空を眺めながら、ボソッと呟いた。
 翌日、僕は学校に登校すると、前田さんは珍しくお休みだった。「今日はお休みなのか・・・」と窓際の一番前の前田さんの席を眺めながら僕は思った。
 お昼休みになり、「武くーん。一緒に食べよう♪」といつものように沙織さんが僕に声をかけてきた。「うん、沙織さん今日は中庭で食べようか?」と僕は沙織さんに言った。沙織さんは少し、不思議そうに「うん、いいよー。」と答えた。
 日差しの強い太陽の光を避けるため、木の葉で日陰になっているベンチに僕と沙織さんは腰かけた。「今日はどうしたの?いつもは教室で一緒に食べるのに?」とお弁当箱を開けながら、沙織さんが僕に尋ねる。「うん、昨日の話の続きがしたくてさ・・・」と僕は沙織さんに言った。「昨日の話?」と沙織さんは首を傾げながら言った。「沙織さんは僕のことが好きなの?」と僕は尋ねる。「うん、大好きだよ!」と笑顔で沙織は答える。「理由は?」と僕が続けて聞くと、沙織さんは僕の真剣な目に答えてくれたのか、好きになった理由を俯きながら恥ずかしそうに、話し出しました。
 僕と前田さんが学校の廊下で楽しそうに話しているのをたまたま見かけたらしく、そのときの僕の笑った表情がすごく素敵に見え、それで好きになったとのことでした。
 「ありがとう。話してくれて」と僕は沙織さんの方を見ながら言った。「でも、昨日考えたんだけど、僕はどうやら前田さんが好きみたいだ」と沙織さんに言うと「うん、知ってた」と沙織さんは寂しそうに答えた。僕が驚いた表情をすると「だって、あのとき見た笑顔、前田さんと一緒に居るときしか、武くんしないんだもん」と沙織さんは目を少し潤ませながら言った。「今日、風邪で学校休んでるんでしょ。お見舞い行ってあげなよ」と沙織さんはいつもの明るい笑顔で答えた。「ただ、今日だけは一緒にお昼食べよう・・・。」と寂しそうに沙織さんはお箸を取り出しながら僕に言った。「うん、食べよう」と僕は笑顔で答えた。そのとき、僕は心に侘(わび)しさを確かに感じていた。今日の空の青さ、蝉の声、眩しい夏の日差しを僕は一生忘れることはないだろうなと思った。
 放課後になり、僕は先生から前田さんの住所を聞いて、今日のプリントとお見舞いのスポーツドリンク、バナナを持って、家を訪ねた。前田さんの住んでるアパートに着くと、僕は少し緊張しながら、インターホンを押した。ガチャっと扉が開くと毛布にくるまっている前田さんが顔を出した。「風邪大丈夫?」と声をかけると「え!、あぁ、あぁ、近藤君!」と前田さんは慌てた様子で、一度扉を閉めて、少し髪を整えてからまた、扉を開けた。「どうしたの?」と小さな声で前田さんは聞いてきた。「あ、今日のプリントとお見舞い持ってきたよ」と袋を持ち上げながら僕が言うと「あ、ありがとう」と恥ずかしそうに前田さんはそう言いながら受け取った。「明日学校で待ってるよ」と僕は満面の笑顔で答えた。「うん、行く、必ず行く」と俯いた様子で恥ずかしそうだけど、嬉しそうに前田さんは答えてくれた。

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