すくらんぶる交差点(3-7)

三の七 職 定年 の場合

「今日も、ここに来てしまった。いや、来たくて、来てしまったんだけどな」
 職 定年。六十歳。この春、三月に、目出度く、会社を定年退職。大学を卒業し、会社に入社し、転職することなく、同じ会社で全うできた。三年周期で、日本全国に転勤を繰り返すとともに、子会社への派遣もあった。それでも、何とかやりくりして、最後は、本社の部長。まあまあ、満足できる会社人生だった。たまたま、四十歳の時に、このT市の支店に転勤となった。いつかは、一国一城の主、つまり、家を建てたいと願っていた。
 会社人生も残り、二十年。このT市は、自分の出身でも、妻の出身でもないけれど、何かの縁だと思い、終の住処と決めた。預貯金をかき集め、銀行でローンを借り、一軒を構えた。家が建ち、すぐさま転勤。皮肉な物だが、紙一枚、上司の口頭の一言で、日本全国を東に西に、右往左往。費用は会社持ちの、ちょっと長い旅行だと納得すれば、それはそれで楽しいものだった。家は、不動産屋さんを通じ、赤の他人に貸し、家族で引っ越し。ただし、定年前の最後の三年間は、子どもは大学生となり、単身赴任。帰って来たのが、この三月だ。家は二十年建つが、周囲は知らない人ばかり。それでも、妻は三年前から住んでいるので、近所づきあいができるが、自分は誰も知らない。家でくすぶっていても仕方がないので、健康を兼ねて、ハローワークに通う毎日。だが、いかんせん、仕事はない。
 求人はあるものの、年齢が六十歳、前歴が管理職では、雇いづらいのか。毎日ハローワークに行くので、職員とも顔見知りとなるが、いくら知りあいになっても、「今日、いい仕事ありますよ。職さんのために、とっておきましたよ」という嬉しい声はかからない。反対に、済まなそうな顔で、あいさつしてくれるぐらいだ。こちらも、かえって恐縮する。ハローワークは朝の九時から開所だ。それより三十分前に行って並ばないと、かえって、二時間、三時間待ちとなり、精神的にも肉体的にも疲れきってしまう。そこで、朝、七時過ぎには家を出て、八時前から駅前の二階のスタバで時間待ちをしているのだ。最初は、本当に暇つぶしだったが、交差点を行き交うサラリーマンやOL,学生などを見ていると、つい、一か月前までは、自分も、全く同じだったんだとうなずき、感慨深い気持ちになる。
 みんな、朝早くから、ご苦労さまだと思う。行き交う人を見ては、あいつは銀行マンだな、あいつは公務員だな、高校生か、ちゃんと学校に行っているのか、など、勝手な妄想ができて、以外に楽しい。
五十を過ぎてから、老眼になった。いくら遠くが見える老眼でも、この店から交差点まで詳細に見渡すのは難しい。そこで、買ったのが、双眼鏡。スタバから双眼鏡越しに、スクランブル交差点を覗いている。時には、デジカメで写真を摂り、自分のブログに張り付け、更新もしている。題名は「スクランブル交差点からつぶやき」だ。
 そんな彼がいつものように、本日のお徳用コーヒーを注文し、二百八十円を支払い、カップを持ったまま階段を上がる。フロアは全面大きなガラス張り。窓側のカウンターのちょうどまん中が、一番よく見える場所だ。そこが彼の指定席だ。駅前から、ところてんが押し出されるかのように、アリの大群が放出された。みんな、自分の蜜や餌を求めて散らばって行く。その中でも、流れがあり、商店街に行く方、中央通りに行く方、海辺に行く方に分かれる。うまく流れに乗れなければ、自分が望む方向とは違う方向に流されてしまう。そんな人は、上から見れば、アップアップしているのでわかる。中には、人波の流れに逆らって、強引に、我が道を進もうとしている者もいる。背広の上からでも筋骨たくましい体をしていることがわかる。
 だが、多勢に無勢。俺は違う、こっちに行きたいんだ、やめてくれ、と、ここまでは聞こえないけれど、叫んでいるのだろうが、そのまま流されていく。所詮、人間一人の力なんてそんなものだ。賢い人間は、違った流れに乗ったとしても、無駄なあがきはやめ、とりあえずは流されて向こう岸に渡り、信号が変われば、自分の進みたい方向に向かっている。ジグザグ方式だ。こうしたことが、この窓ガラスの前に座っていると、毎日のように行われているがわかる。個人にとっては、初めての経験だが、集団にとっては、毎日、繰り返される行為。なんだか、不思議だ。つい、一か月前までは、自分も、あの、アリたちと同じように、流れに乗っていたが、流れからはずれた途端、流れが何だったのか、わかるような気がする。
 今日もまた、双眼鏡をのぞく。いつものように、アップアップしている奴がいる。両手を挙げて、大声を挙げている。無駄な行為だ。近くまで行って、肩をとんとんと叩き、あきらめなさいと声を掛けたくなる。そんな奴が、今日は、ひとり、ふたり、さんにん、いやに多いな、よにん、ごにん、おっ、最高記録か、ろくにん、ななにん、もいる。これまでの観察史上、もっとも多い。俺のギネス記録の更新だ。早速、メモしないといけない。
「あれ?。あいつら、本当に取り残されているぞ」
 いつもは頭の中での会話だが、あまりに馬鹿げていたので、つい、声に出してしまった。恥ずかしくて周囲を見る。だが、誰も自分のことを見ていないので安心する。ここから、再び、モノグローブ。
 交差点の真ん中で、人がいる。いち、にい、さん、しー、ごー、ろく、なな、と、思わず、シャッターを切る。間抜けな顔面だ。早速、パソコンに取り込んで、ブログを更新。題名は、「スクランブル交差点のホームレス」
 毎日、同じような人の流れだったのに、今日は違う。ありがたい話だ。たまには違う一日を送らないと何か死んだような気がする。いくら、定年退職の身分だから自由奔放といって、こうも毎日同じことの繰り返しじゃ、飽きてしまう。自分から変えようとしても限界がある。だから、こうして、積極的に社会と関わろうとして、人々の生活を観察しているのだ。ささやかの俺の生きがい。そうしたらようやく見つかった日々の暮らしとの相違点。よかった。あいつら、車にひかれないように注意しろよ。
 いや、待てよ。ひょっとしたら、決定的瞬間が撮れるかもしれない。不謹慎だけども、交差点に取り残された人々に、車が突っ込んで、死傷者がでるかも。その写真を俺が撮り、マスコミに渡すわけだ。高値で売れるぞ。そして、マスコミは、その写真をネタにこんな状況に追い込んだ道路を管轄する行政や警察の不手際を追求する。小さな煙を無理やりにでも煽いで炎にして、大火事にしてしまう。俺は思うのだが、行政なんて、なんの力もない。公権力だなんて、見かけ倒しだ。弱者こそ、弱者であることを持って、強者になることができるのだ。これは、彼が会社の苦情対策で実感した真実だ。もちろん、水や空気や安全がタダだと勘違いしている、安全牌の社会においてではあるが。

すくらんぶる交差点(3-7)

すくらんぶる交差点(3-7)

交差点に取り残された人々が、取り残されたことを逆手に取って、独立運動を行う物語。三の七 職 定年 の場合

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-10-04

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