東京手帖

寫眞

「偶にはレンズなしで」
 そう言って、彼女は僕の覗いていた一眼レフを下ろさせた。
 東京は冬だった。昼だというのに太陽は低く、日光の身体に対して垂直に入射してくるのが無駄に熱い。夏の頭上から降り注ぐ生き生きとした日差しの方がまだマシだ。乾いた空気が喉を刺し、粘膜と繊毛が損傷し、免疫力が低下するのを感じる。気がつけばどこかしらが痒く、汗の所為だと上着を脱ぎたくても寒さで脱げない。このジレンマ、いかがせむ。
「冬は嫌いだ」
「そんなこと言っても無駄」
 暖房と加湿器の効いた部屋でぬくぬく極楽を味わっていた僕を、彼女は無理遣り引っ張り出してきた。いつもそうだ。僕がどんなに抵抗したって無駄なのだ。
「冬だって楽しいぞ!」
 そう言うと彼女は手を大きく広げて、大通りの枯れた銀杏並木の先へ走り抜け、不意に立ち止まって振り向くと、「ほら、走って!」と叫んだ。
 僕はすかさずカメラを構えた。
 カシャッ
「あ、また!」
 彼女は駆け戻ってきて、一眼レフの液晶を覗いた。彼女の肩と僕の腕とがぶつかる。
「はやく、さっきの見せて」
 急かす様に、コートの袖に突っ込んだ手をぐるぐるとやった。ふと見上げると、彼女の髪の中を冬の傾いた日差しが通り抜けて、毛を明るくしていた。乾いた風はそれをさらさらと流し、彼女の吐く息を白く色づけた。
「これ」
「いい写真だなあ」
「自分で言うなよ」
「冬の私だよ。冬だから撮れる、冬の私」
 彼女は得意げにそう言う。
「そうだけど、でも冬は嫌いだ」
「知ってる。私が好きなんでしょ」
 思わず苦笑した。彼女は平気でそういうことを言う。
「じゃあ、競争!」
 彼女は再び冷たい風を切って走り出した。僕はそれを追いかける。
 街が背に抜けていった。奇妙な書体の看板文字、何処からか漏れ出るヒット曲、忙しなく点滅する歩行者用信号、店頭にずらりと並ぶギター、空き缶の溢れ出るゴミ箱、路上に山積する古本、広告募集の広告板。狭い空。排気ガス。無言の雑踏。
 この街の冬はなぜこうも虚しいのだろう。
 僕は俄かに立ち止まって、先を走る彼女にfocusし、再びシャッターを押した。
 カシャッ
「てか、速っ!」
 それからしばらくの間、僕は彼女を追いかけた。重いカメラを提げながら。

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更新日
登録日
2018-12-05

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