布教と小説

 天使の声が聞えた気がした。
 恋人の死からはや1年。とても悔しい日々が続いていた。悔しい、といえば違和感があるかもしれないが、私は悲壮感だとか、諦念とかそういう黒い気持ちよりも、強いひとつの感情を見つけた。彼女が信じていたあるものがあって。自分が信じていた別のあるものに対する悔しさ、それを同じようにただ漠然と信じて全うした、そう考えていた過去の自分に対する悔しさだけが残ったまま、つよい感情と思いが残った。彼女の死を経験し苦しみ、それでも一人生き残る事をえらび、選んだことによって、私の心に信じた何かの、穢れた残骸が残されている事実に気がついて、私自身の反省を踏まえた上で、それを悔しいと形容するその外に、まるで一人の人間のように感じていた彼女の死、それでも生きる私、その私が私を肯定する方法を探しきれなかった。そうだ、一人ただのうのう生き延びて、生き延びてしまったからこそだらだらと時間だけが過ぎて行ったのだ。だからこそ悔しいという概念は重く私の心にのしかかる。

 私は、天使を信じていた。天使とは、彼女が信じていたものだ、熱心なカトリック教徒だった彼女は、神の存在さえ、まるで西洋の人の抱く想像のように確かな存在として確信しているようだった。対して、私は神を信じなかった、かつて私の家は、ありとあらゆる不幸に見舞われた。母の脳の大病、父の大けが、妹の特殊な病気、借金、私自身の精神的な弱さ。だから私は世間や幸福な人々などをどこか穿った目で見ていたところは確かにあった。それも、彼女と出会うまでの事だが。

 私は、彼女の信じていた天使を信じていた。彼女は神を信じていたが、神の使いも信じていた。つまり、死の間際に見える何かについて、私はそんなものは信じなかった。だが彼女はいった、“信じなくてもいい、ただそこにあると想像してくれるだけでいいの”、根本から腑抜けで根暗な私にとって、そいった想像でさえ、これまで経験したこともなく、彼女の言葉の意味も、その重さも、あるいは私が熱心な“天使信者”となるその未来とその後の顛末についても想像する事などできなかった。

 私たちが初めて出会ったのはカフェだった、そのころ宗教系の本を読んでいた私は彼女にからまれて、これは厄介だ、すぐに引き返そう、と考えた、休日で、なじみの店に何の気なしに入ったのが運のツキだと思った。
 「運、わりいなあ」
 「あなた、今、ねえ、うんとおっしゃいませんでしたか」
 「……?返事ではないですが」
 「ええ、運の事ですよ」 
 知らない人から、街中、いや店中で突然話しかけられその瞬間、私としたことが、しまったと思った。何より私がこの世界で、私の過去と直面し直視するとき、彼女とそこでそうして出会うまでに私の中に淀んでいた不幸の記憶を、忌まわしき過去を大切に抱えて、運だとか幸福だという言葉だとか、宗教を毛嫌いしていたわけはそこにあった。こうした人種とかかわってはいけないと、ありとあらゆる不幸を抱えた人間だからこそ働くセンサーがあった。こういう人種は嘘つきだとおもっていた、世の中に運や不運などという概念がはびこり、人をへんに期待させ、人々の間で、言葉がいたずらに弄ばれる理由がそこにある、と考えていた。
 「じゃあ、帰ります、お会計もあるので」
 「ちょっとおまちを」
 手を引かれた、振りほどくのは簡単だった、しかし彼女が女性であること、その言葉がこれまでの口調と別の意味の雰囲気と響きを持っていた事にきがついた。
 「ちょっとお待ちを、お客様」
 そうなのだ、私はしたをみていて気がついていなかったが、カフェ、アンジェラの店員こそが彼女だった、そして彼女は、宗教勧誘ではなく、確かに宗教勧誘ではあったのだが、回りを見て少しさとった、手持ちぶさたの店員が、客に向けて何かしら話題をふっていただけだったのかもしれない、と思った。
 「私は、キリスト教の信者で」
 「ああ、そういうのいいからさ」
 「いえ、お客さん、いつも顔いろが悪い気がして、特に入信を進めるわけではありません、ご覧のとおりこういうカフェで人気もあまりありませんし、少しお話をしませんか?」
 辺りを見まわたすとほかに客はいない、そして彼女のほかには、いつものように年老いた店長と、年老いたキッチン係りがいるだけ、店内は木造で、アパート2室分ほどの広さしかなく、老いてある本や壁掛け時計もひどく古い。油の匂いさびれたお店、という匂いもする。私は、少し暇つぶしにこの奇妙なお話にのってみる事にした、むろんこんな手口の詐欺はあまたあるだろうが、私はその行為にのったことよりも、結果論的に生じた事実に後悔はみじんもなく、まさにことわざ通り、結果良ければすべてよし、としか、未だにその出来事を捕えていなくて。その自分自身の行動の“うかつ”さ、“不用心さ”などというものは、もっともそれからのその後の彼女によって、私に与えられた影響によって霧のようにかすんで見えるようになってしまっていくのだったが。

 それから、先に話た話に戻る。天使について彼女は得にパンフレットや聖書本を必要とせず、自分の言葉で自分の知識を披露した、そこには強制といった所もなく、ときに彼女の推論や創作なども織り交ぜながら話した。私はそのユーモアにひかれ、作家でも目指せばいい、といった。
 「私は、この仕事の合間に作家もやっていますよ、もっとも無名の作家ですが」
 それだけで、私は彼女に興味がでた、というのも、私は本を読むことが好きだったからだ。あくる日はあけて、その後の週末ごろから事あるごとにそのカフェにたちよる事になった。もちろんこれまでも来ていたが、特別そこだけその店だけ、というこだわりがあるわけでもなくほかにも数件お気に入りの店はあった。しかし、私が、次の週末、例の宗教の件について話すと彼女はとても喜んでいた。私は、素直に話た。少し心が楽になったのだと正直に伝えた。コミュニケーションが得意ではない僕がその時の感動を伝えた。彼女が話した事、天使の存在、人生の最後は、どんな人間も天使に迎えられるのだ、と先週彼女はいった、私はその彼女のでたらめな言葉を信じた、事実その一週間は何度もその想像によって心が軽くなるのを感じた。彼女と話をして休日を楽しむのが毎度のようになったのは、それからだった。店員、店長もおかまいなしに、時に私たちに微笑みかける。たまに休みの日は、映画をみたり、小説の話をしたりした、彼女は自分の小説よりも、人の小説が好きで……彼女は亡くなるまで無名の作家だった、世間の目など気にしていなかった、評価も気にしていなかった、私は彼女のそういう所も好きだった、実直だと思った、彼女の文体には、だれにもないどこかしら、なにかしらの味が感じられた。いつか、自分のための小説を書いてほしいと伝えた事もあった。

 そして、そうだ、彼女は未発表の作品をひとつもっていた、彼女の死から一週間後の週末、彼女のつとめていたカフェにより、彼女の不幸を老いた店員トムと共に語り合った。そこで私は、重い腰をあげて、彼女の親族に頼まれていた彼女の部屋の掃除と遺品整理を業者とともに行う事にした、気が向かないまでも思い心、苦しい心で、親族の事を考え、親族のために、彼女の生きた残骸を整理して、段ボール箱にわけていく、業者は心情をおもってかまったく無表情だ。事実助けられ、てきぱきと働くその姿に、彼らこそが天使ではないかと思ったりしたものだった。そして、午前11時時から始まった片付けもいつのまにか、午後3時、あらかた片付けおわったその時の事だった、私は日記からそれを発見したとき、彼女の才能と気遣いに驚いた。それは、いつからそこにあったのか、誰がおいたのか、ダンボールのうえにぽつりと置いてあった、何か、と業者の一人に尋ねると、午前にだけ働いていた人間が確認のためにおいておいたものだという、つまりそれをどの段ボールにふりわけるのか、僕に指示を仰ごうとして、そのまま置き去りにされてあったものだった。それは彼女の日記だった、これまでも日記はあったが、少し趣が違った。なぜならその日記帳の表紙には、私との2ショット写真がはりつけられていたのだ。1ページ1ページ、大事に広げた、それは開けたひとつの世界の中にたった一人迷い込むような没入感だった。当たり前なのだ、その日記はほとんど私と彼女のために用意されていた言葉と、文章だったのだから。それは、3カ月、3カ月もかけて念入りに考えられた、私に話したあの時のあの話の日記だった、そのページだった。私は、その時にまだ私の中に宗教に対する疑いとあの時彼女の善意に対する疑いの芽があったのを初めて知った。すべては彼女の創作だった。そのとき、その全てがとけるようにきえてしまった。
 私は覚った、彼女は、作家だったのだ、純粋な話をするために僕を選んだ、宗教はつじつまでしかなかった。彼女の、宗教を強要しないという言葉は本当だったのだ、物理的にそれをしって、それを見て、その時私は初めて、私の疑いを確かだった事に気づき、私の中に溶けて消え去った疑いの心と入れ替えに、自分の半端な疑いの心情について後悔の想いの残骸が埃やゴミのようにぽつりと確かに存在し始めた事をさとった。

布教と小説

布教と小説

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-12-04

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