Fate/defective パラノイド【第二話 二節】

第二話 二節 二〇二〇年 三月二十日 一時

 こちらを射貫くような何十もの目玉に、身が竦みそうになる。その視線の多くが自分ではなく、自分の後ろに逸れていることが唯一の救いだ。視線はつまらなさそうに、訝しげに冷めた温度で二人を貫いていた。
 それでも、早く不躾な視線が何処かへ消えてくれないかと、その矢面に立たされている青年は唇を柔く噛んだ。
 その様子に青年の後ろに控える華奢な少女は居心地が悪そうに身じろぐ。
 青年と少女の前には十数人の人が特別整列もせずに立っていた。気怠げに姿勢を崩す中年に、胡乱な目で腕を組んで立つ貴婦人。様々な人間が彼の前にいるが、そのほとんどがこちらを冷ややかに見つめていた。そしてその内、三分の一ほどは早く終わらないかと言った風に床を向いている。
 それに腹が立たなくはないが、今更咎める気も無かった。そも、この場この時間に来るようにと言い伝えた上で未だにこの部屋に来ない者もいるのだから、集まって来ただけで良かったと思うべきなのだろう。
「いやぁ、申し訳ない。遅れてしまったかな?」
 豪奢な広間の緊張した空気を呆気なく破壊する、軽い声が部屋の入り口の方から聞こえた。青年から一番遠いそこには今しがた入室したらしい男女が立っていた。
 男は銀髪金目の女性の肩を抱いてゆったりと、集まった人の中に溶け込んだ。
 青年は張り詰めた息を吐き出した。ようやっと招集をかけた全員が集まったのだ。
「……遅くなったが、始めよう」
 青年が、この家の当主が話を始めても、部屋の空気は大して変わることはなかった。しかし、彼はもうそれに慣れていた。
「此度、招集をかけたのは他でもありません。以前伝令した通り、千陵(せんりょう)家は再起を賭けて聖杯戦争に参加することを決定しました。そして先刻、サーヴァントの召喚に当主である私、千陵那次(なつぐ)が成功しました」
 那次が身を引いて、自分の後ろにいる少女を前に立たせる。
 少女はとても華奢に見えた。柔らかい金色の髪は毛先にかけて紅に染めた高級な糸のようで。肌は白く赤みのない陶磁器。衣服は深く上品な緑と金の縁取りを基調としている。それらは彼女を儚く艶やかに彩ることはあれども、決して戦を駆け抜けられるような、使い魔の印象には結びつかない。
 那次は誰かが鼻で笑う音に眉を歪めそうになるが、なんとかぴくりと動かしただけに留めた。
「彼女は機動力の優れた“騎兵(ライダー)”……聖杯戦争では堅実で迅速な立ち回りが可能でしょう。ですが……」
 話半分に聞いている一族の人間に気づかれないよう、そっと息を吸って先を話した。
「私はサーヴァントとマスターの力のみでは、此度の聖杯戦争で勝利を掴むことは困難だと確信しています。“貴方がた”の助力は必要不可欠であると」
 貴方がた、と強調すると彼らはやっとこちらに興味を向けた。ここで、最前にいる者たち数人が真剣に耳をかたむけている姿に気づいて、少しだけ肩の緊張がほぐれた。
「立ちはだかる魔術師も、我らと同じくこの聖杯戦争を好機とみて、慎重に慎重を重ねた策を練っていることは想像に難くない。そうなれば相手はマスターとサーヴァントばかりでは無くなるでしょう。多数の魔術師、兵器。その様々な策を私一人と一騎のサーヴァントが掻い潜り、生き残ることは至難なこと。ですから……」
「当主様が自ら、自分は未熟でさらにサーヴァント一騎には任せられないとおっしゃるのですか! それは傑作だ!」
 彼の声を遮って、部屋に嘲り笑う声がとてつもなく大きく響く。那次は先程からバクバクとうるさい心臓が一際大きく鳴ったのを感じた。
 嘲笑の発生源は、彼から最も離れた場所から聞こえた。先程、一番最後にこの部屋入ってきた男だ。
「そうではない。使える人脈は使うべきだと」
 那次は一歩前に出て、訂正を加えようとするとまた男は当主に口を挟んできた。
「そうでしょうとも! そうでしょうとも! 貴方は本家の人間ではない! 親戚と言えどもその血は一度千陵を離れた! その上、修行も足らない若い魔術師が聖杯戦争に勝てますかな?」
 そう笑い飛ばす声を聞いて、那次は体の中心から冷水を流し込まれたかのような感覚を覚えた。
 お前が、お前がそれを言うのか。養子風情が。
 男は名前を千陵地景と言い、那次より九つ年上の、先代当主の弟“ということになっている”。
 千陵の家は魔術の性質から、昔から子孫を増やすことが困難だった。だから家の掟で、最も若い男の子孫が当主を務めると決められていた。若い男が魔術刻印を継ぎ、修行を重ねてまた次の子孫に遺せるように。そして、血を濃くするためにと株を分け、近親婚を繰り返した結果。ついに先代で男性の跡継ぎが消えた。先代の女性当主は、魔術で延命し六十年以上千陵を治めたが、その代償に子を成せなくなった。その当主が跡継ぎとして連れてきた養子が、地景だった。那次が生まれる前の話だ。千陵家の親戚である天陵(てんりょう)家に那次が生まれ、彼は当主の跡継ぎではなくなった。
 彼が那次を非難したところで、何が変わるわけではないというのに、この男は何かに付けて那次を否定する。
 恐らく、男は先代に選ばれた人間であるという自負と、那次が生まれなければそのまま千陵家の当主になれたという僻みが、那次を攻撃する理由になっているのだろう。正式に当主の座を継ぐ前には、一度命を狙われたことだってある。
 この詰りには、一族の人間たちも男に呆れた目線を投げていた。この場にいる人間は皆、どちらの事情も知っている。
 一族の者が那次に向ける視線の大概は諦めだ。それは若輩者への侮りと、千陵が再起することはないという諦念。しかし、地景だけは那次個人を憎悪の目で貫く。
 氷を入れられたように、痛いほど頭が冷えたことだけに感謝しつつ、那次は嗤い続ける男に向かって強い口調で言い放った。
「若輩者であることは否定しませんが、貴方は少し自分の立場を理解したほうがいい。貴方は千陵の血を一滴たりとも受け継いでいない。余所者なのだから」
 その言葉に男と、その傍らにいた女性は顔を凍りつかせる。女性の方は薄い琥珀色の瞳を丸くして、那次の方へ向けていた。その目と視線が重なった途端、女性は俯いてしまった。彼女の顔は銀糸のような細い髪の毛によって見えない。
「そのような弱々しい女のサーヴァントしか召喚できない人間に当主なぞ務まるか!」
 女性に気を取られ、地景が目の前に来ていたことに気づかなかった。彼は那次の胸ぐらを掴むと鼓膜が破れんばかりに憎悪を叩きつける。
「そんなんで本当に魔術刻印を受け継いでいるんだろうな! 天陵那次!」
 魔術刻印、と聞いた那次は微かに体を揺らした。思い出したくもない屈辱の記憶が甦る。
 震える手を抑えて、コートを掴む男の手を引き剥がした。
「それは……確かに貴方がた全員の前で証明したはずです。この私が、先代の、千陵真砂(まさご)の魔術刻印を、この身に埋め込んだ所を……」
 先代の当主は死期を悟り、魔術刻印を先に摘出してレイピアのような細い刃をもつ短剣の形にした。
 当主の真砂はその後に起きた聖杯戦争に参加し、命を落とした。しかし短剣だけは那次の生まれた天陵家に預けられていた。那次はそれを十五歳になり、正式に千陵家の当主となったときに受け継いだのだ。
 とても誇らしい継承の儀となるはずだった。それを目の前にいる男が滅茶苦茶にしたのだ。

 ――本当にそれは千陵家の魔術刻印なのですかな?

 ――本当は受け継ぐことができなかったのに、裏で隠れて証拠を隠滅されては困りますな?

 ――本当に君が千陵家の当主となれるのか。本当に天陵家を捨てて我らの一員となれるのか。証明してくださいよ次期当主? 我々全員の前で。

 本来なら、彼の母と千陵家に仕える治癒魔術師、そして那次の三人で行われるひっそりとしたものになるはずだったのだ。短剣の形をした魔術刻印を、那次の体に埋め込むだけの。
 しかし、地景はなんとか不出来を指摘して、那次を当主の座から引きずり降ろそうとした。当時はまだ最も力を持っていた地景に歯向かう人間はいなかった。そもそも興味が無かっただろう。誰が当主になろうとも、千陵家は変わらずかつての栄光を得られないと諦めていた。
 そんな中行われたのが、魔術刻印の公開継承だ。衣服はほとんど身につけさせてもらえず、治癒魔術師によって負担なく埋め込まれるはずの魔術刻印は那次自らの手で持たされた。身を守るものはなく、まるで自死をするような仕草で、魔術刻印を埋め込んだ。
 あの瞬間の恥辱と強い苦痛は、今でも彼を苦しめていた。反面、その強烈な儀式によって那次を当主と認め慕う者もいた。だが、今でも何かにつけて地景に当時のことを掘り返され、時には唯一安らぎをもたらす睡眠時にも夢として彼を蝕んだ。
 今も怖じ気づきそうになる自分を叱責して、目の前の男を睨みつけるのがやっとだ。
 それに気を良くしたらしい地景は、咳払いを一つしてそっと那次から離れた。
「それもそうですな……いやいや、これは失敬。話ももうお開きで良いでしょう。我々も有事には助力をする。要はそれだけでしょう?」
「……ええ、皆様。お見苦しい所を見せてしまいましたね。失礼」
「そうそう、貴方は一番若輩者。年上は敬うものですよ。ああ、それと……」
 地景はゆっくりと踵を返し、連れ立っていた女性の元へ向かう。女性を抱き寄せてこちらに見せつけるようにして嫌な笑みを浮かべた。
「今日連れてきた彼女は私の許嫁でね? 彼女は元を辿れば千陵の血筋だそうだ。だから、その夫になる私も昔はただの養子でも、今や正しく千陵の一族ということなのだよ。当主」
「……そうですか。それはそれは。末永くお幸せに」
 ああ、彼女も面倒な人間に目を付けられたな。
 心にもない言葉を吐きながら、那次はやっと離れた威圧にそっと息をついた。
「名をスネグラチカと言うんだ。ほら、挨拶なさい」
 スネグラチカと呼ばれた女性は、全員に向かって一礼した。
「お初にお目にかかります。わたくし、スネグラチカと申します。皆様の……当主様のお力になれますよう、最大限努力して参りますわ。以後、お見知りおきを」
 礼儀正しく従順な娘だ。と思える仕草だった。彼女が先程、魂の抜けた宝石のような瞳でこちらを見つめてこなければ。

 そのまま集会はお開きになり、皆速やかに大部屋から出て行った。
 そっと後ろを見遣ると、サーヴァントの少女が心配そうにこちらを見る視線とかち合った。それを認識して那次はやっとサーヴァントが後ろに控えていたことを思い出した。
 いけない。味方といえど、背後を取られ続けているのを忘れていたなんて。これでは当主として聖杯戦争を生き抜くことは難しい。彼は自分の未熟さを呪った。
 部屋を見渡すともうほとんど人は居らず、いるのは一人の貴婦人だけだった。彼女はこちらに厳しい眼差しを向けている。その赤みの強い瞳は、自分と同じ目の色のはずなのにとても冷えて見えた。
「先程の振る舞いは、当主としては妥協して、及第点といったところですね」
 その言葉に、那次は身を固くした。
「申し訳ございません。師よ。しかし、聖杯戦争では無慈悲に慎重に、確実に聖杯を獲ってみせます」
 彼は言葉にしながら、どんなに非道と言われようとも必ず聖杯を獲ることを改めて決意する。今の女性の前では、少しでも緊張を解くことは許されない。そう教育されていた。
「……っふふ」
 しかし、叱咤されると思った那次とは裏腹に、婦人は破顔して体を震わせた。小さな笑い声と共に揺れるのは、那次と同じ秋頃の葉のような緑みのアッシュの毛先だ。
「よく堪えましたね、那次。まだ少し緊張は抜けないけれど、動揺を隠すのはますます上手くなっているわ」
 流石、私譲りの演技力ね。と穏やかに笑う顔に今度こそ那次は肩の力を抜いた。
「母さん……お陰様で」
 そう、彼女は那次の母であり、魔術の師であった。
 母として育むときには、こうして柔らかく儚い笑みを浮かべ甘やかしてくれる。しかし、師として那次に教育するときには母と呼ぶことも許さず、まるで他人のように冷淡に接する。母の二重人格のように入れ替わる二つの側面は、しかし彼には必要だった。彼の生まれた天陵家は黒魔術を得意とする。ときに身内にも非情な態度をとれるようにならなければ、多くの犠牲を払う黒魔術を易々と使いこなすことはできない。母のその姿を見て、那次も同じように公私を切り替えられるように。何ごとにも動じないように鍛錬を積んでいた。
 母は那次を見て微笑んだ。しかし、その顔は少し不安も混じっている。
「立派な決意、母はしかと聴き届けました。でもね、那次……」
「……? ……なんでしょう」
 彼は母の揺れる瞳を見て、胸がざわついた。母は時折那次を見て憂いた顔をする。彼はそれが嫌いだった。だから母の憂いが晴れるよう、死に物狂いで努力して、侮辱にも耐えた。それが立派な当主として在るべき姿だと信じているから。
 母は憂いの瞳に、強い意思を宿して那次に言葉をかける。
「貴方は千陵家の最後の希望です。聖杯を獲ることを目標とするのは当然ですが、なによりも貴方は生き残ることを第一に考えなさい」
 そう言うと彼女の両の瞳からは憂いが消え、瞬く間に鋭い刃のような、苛烈さを含んだ熱が灯る。
「貴殿が死ねば、この家は本当に死ぬ。貴殿と共に。だから、必ず生きて戦争を終えなさい。これは母であり師であるわたくし、天陵礼俄(れいが)からの厳命であると心得よ」
「はっ、承知しました……!」
 ほぼ反射で敬礼して、命令を体に刻み込む。それと同時に那次の胸は高鳴った。師からは期待されている、母からは生きて欲しいと願われている。那次にとってはこの上なく嬉しいことだった。
 ずっと不安であったのだ。あの屈辱の継承の儀から。いつか、この身を捧げ、命を捧げなければならないのではないかと。
 今まで次期当主だと、何度も言われていたのに。生きて千陵家を興さなければならないのは当然のはずだったのに。
 聖杯戦争に参加することになり、那次の中では特攻隊として命を散らすイメージが出来上がっていた。
 聖杯戦争を生き抜けば、母の憂いは晴れるだろうか。聖杯を獲れば、母は曇りのない笑みを浮かべてくれるだろうか。

◇◇◇

 広間から自室まで、警戒を怠らずに戻った。
 そして、自室の重い扉を後ろ手に閉めて物理的にも魔術的にも施錠すると、那次はやっと本当の意味で肩の力を抜いた。いつもならそのまま扉に背をつけてずるりと崩れてしまうところを、なんとか足を踏ん張ることで耐えた。
 いつもと違ってここには那次以外の者がいるのだ。完全に力を抜くことはできなかった。
 那次は顔を上げて、目前で所在なさげに立っている少女と目を合わせる。
 部屋まで護衛の如く、自分の横で実体を現していたサーヴァントとは、召喚したときから今の今までまともに言葉を交わしていなかった。触媒からサーヴァントを召喚し、自己紹介をしてすぐに千陵の一族を集めたのだから当然だ。
「醜いものを見せましたね。居心地が悪かったでしょう。不快に思ったのなら申し訳ない。気分が悪いようなら、霊体となりこの場を去ってくれても構いません」
 那次は照明を点けながら、あくまでも客人を相手にするように振る舞う。その様子に少女は困ったように笑って首を振る。
「いいえ。不快だなんてそんなことは……貴方は立派に使命を全うしています。短い間ながら、私はマスターに敬意を表したいとも思いました」
「どれもこれも、台本の台詞を読んでいるようなものだ。それに、ライダーのことを貶していたあの男についても。貴女は怒る権利があるはずだが」
 世辞か本心かわからない言葉を受け取って、那次は先程の事を思い出しながら彼女に問うた。
 ライダーは小首を傾げた。ソファの近くで背筋を伸ばし直立していると、彼女は手を優しくソファへ差し出して那次に座るように促す。これではどちらが客人かわからない。
「貴方の運命を背負うサーヴァントとしては、不安を煽る言葉は慎むべきですが……正直に言います。彼の言う印象は正しいです。……私は弱い。それは、貴方もすでにご存知ではありませんか?」
 そう言って、ライダーは那次の羽織っている、黒革のコートを渡すようにと手を差し出した。それに素直に従い、上着を脱いで黒いタートルネック一枚になるとコートを彼女の手に渡す。
 ライダーは近くにあったハンガーラックに、ごく自然にコートを掛ける。そして、徐にポケットに手を入れた。ポケットから出てきたのは、彼女を召喚する際に使用した古いぼけた手帳だった。手帳は所々読めなくなっているが、那次は外国語で書かれた全頁をすでに読んでいた。
 ライダーはぱらぱらと何枚か捲っては、最初の数行を読んでいく。時折見せる微笑みは、懐かしそうだった。
「幼い頃に家庭教師をして頂いたアスカム氏の手記ですね……この時代になっても残っているなんて」
 ぱたりと手記を閉じたライダーに向かって、那次は声をかける。
「確かにライダーはそもそも“騎兵”といえる逸話がない。誰かを救ったわけでも、誰かを殺したわけでも……だから、貴方がサーヴァントとして召喚される理由もわからないし、どのような戦闘ができるのかもわからない」
「ええ。私は利用されたに過ぎませんから……でも、戦う武器は一応持たされていますので。ただ……召喚された理由は……」
 言葉を濁して彼女は手に持つ手記を見つめる。握り締めただけで砕けて散ってしまいそうな紙片の束を、ライダーはそっと胸に抱いた。少しだけ困ったように見える表情に、那次は自分の母親を連想させた。
 沈黙を柔らかく解いたのはライダーの方だった。
「召喚したいという強い執念……でしょうか」
「……執念?」
 那次は想定外の言葉に眉をしかめた。
「そうです。貴方が私を是非召喚したいと思ってくださったから……」
「それなら、私じゃない……その手帳を寄越した奴だ」
 彼は慌てて否定して、顎でライダーの手に持つ手帳を示した。
 彼女が自分に好意的に接しているように見えた理由に合点がいった。自分が聖杯戦争で、特に彼女を限定して召喚したいと思われていたとしたら、それはとんだ勘違いだ。那次は聖杯戦争で聖杯を手に入れられれば、サーヴァントはどんな者でも構わないと考えていたし。送られてきた触媒を大人しく使ったのも、頑強なサーヴァントを喚べるような聖遺物が千陵家に無かったのが理由だ。
 代わりに触媒の手帳は読み下して、一体誰が召喚される可能性があるのか。マスターに従順か、そうでないかを推し量った。結果判明したのは、性格は悪くないが全く戦力には期待できないサーヴァントである、という残念なもので。それでも召喚したのは、敵になるマスターを自らが殺害すればいいと考えたからだ。一番困難だが、一番確実な道。
 あくまでサーヴァントは手段だったから。だから那次は、それがどんなに怪しい物でも利用した。
「それは招待状と共に送られてきた触媒だ……ライダーの召喚を望んだのは、僕じゃない」
 望んだのはきっと送り主だ。恐らく、招待状を送りつけた人物の仲間。その人物は、ドイツ語で“貴方にぴったりの触媒をどうぞ”と、手帳に添え書きを挟んでいた。
 相手の思う壺なのではないか、という不安を押し殺して、部屋を彷徨っていた視線をライダーに戻すとにこにこと今まで見た中で一番明るい笑顔でこちらを見ていた。
 何だ、と考えて先程の自分の発言を思い出す。自分の記憶が正しければ、確かに那次は自らを“僕”と呼んでいた。表情を強張らせて、彼は暖かい視線から逃れるように目を逸らす。集会を開いたときとは違った雰囲気の視線が痛い。
「……失礼」
「ふふふっ……そのままで構いませんよ。使い魔を敬う魔術師なんて珍しいですから」
 意図も容易く肯定する彼女の言葉に、苦い顔をした。
「そうではなくて。当主としての振る舞いの問題だから」
 言葉一つでも当主は気をつけなければならない。那次の発する全てが、千陵家に影響を与える。そう教えたのは師である礼俄だった。もしも彼女前でこのような失態を晒せば、“師と話す貴方は当主だと心得なさい”と叱られていただろう。
 タートルネックの、胸と腹の間辺りを右手で弱く掴む。そこには魔術刻印を埋め込んだときの古傷がある。心霊医術などの、魔術的医療の技術がない那次には、正常に体に埋め込む以上のことはできなかった。あれから四年以上経過しているが、今でも時折引き攣るような痛みが走ることがある。それが精神的なものなのかどうかを確かめる術は、彼に無かった。
 痛みが引いたあとに吐いた息は、安堵のためだったのか、緊張を逃がすためだったのか。
 その様子を見ていたライダーは、体を少し傾けて先程と同じように愛おしそうな顔で那次に問いかけた。
「マスターはおいくつですか?」
「は……? 今年で十九になるが」
 意図の読めない質問に、那次は答えながら首を傾げる。彼女は今度は少女らしい飾らない笑顔で、また言葉を重ねた。
「私よりも年上ですから、気を遣わないでください」
「だから、気を遣う遣わないではなく」
 そこまで言って、那次はライダーの笑みが少しずつ固くなっていくのを見てしまった。ざわり、と胸がざわつく。トーンの落ちた彼女の声が、部屋に響く。
「私を見ているようだから、ではいけませんか」
 最初は大人びた女性だと思った。今の今までは年相応の少女のようだった。だが那次の目の前にいるのは、どう見えたとしてもサーヴァントだと気づかされる。その真剣な眼差しが、彼の見えないところを貫いた。
「貴方がこの家を治めることを、どのように感じているのかは存じ上げません。ですが常に完璧な振る舞いを求められ、地位を与えられ、息もつけない日々の辛苦は、理解しているつもりです」
 彼女は目を瞑って、胸に手を当てる。その仕草に那次は既視感を覚えた。不安が膨らんで、けれども外に出すことをしない。できない。許されていない。那次はまた服の同じ箇所を掴んだ。
「むしろ、私がサーヴァントとなれた所以は、二週間にも満たない重圧の時間と最期の姿だけです。それだけは、私は理解していなくてはならない」
 それはまるで、全てを背負ったことのある人間の顔だった。
 違う。那次は自分の思ったことを否定する。“まるで”ではない。彼女は一度、国を背負った。歴史の中のほんの一瞬の時間だけであっても。そして、彼にはわかっていた。彼女が、自分が、抱え続けている重荷は同じだったのだと。
 ライダーは少しかがんで、那次と目線を合わせた。顔は少し自嘲が孕んでいるが、濃褐色の瞳だけは真っ直ぐだ。
「気の置けない友人、といえる方が那次にはいらっしゃいますか? ……私にはいませんでした。もし、そんな存在がいたら。貴方を通して私を見てしまうから、だから言うんです」
 花のような微笑みとは、こういう顔を言うんだろう。人を表現する言葉に乏しい那次は、ライダーを見て単純にそう思った。彼女のいた場所のような華美な笑みでなく。彼女の故郷の、野原に咲くような。
 ちりり、と那次の胸を灼く眩しい輝きをそれは持っていた。
「私の前では気を張らないでくださいな」
 彼女も彼も、弱音を吐くことは許されない者たちだ。時には周りが、時には自分が、感情を縛り付ける。
 糸が解けたような心地になって、那次は握り締めていた服を離した。柔らかい生地のタートルネックは力が強かったのか、皺になってた。
「……よく喋るなぁ」
「そうですね。少し話しすぎました。生前でもこんなにお話したことがあったかしら」
 冗談めかして言う彼女を見て、那次は顔をほころばせる。少しだけ体が軽くなったような気がした。
「了解、ライダー。君の前で強がるのはできるだけやめる。私室でもあんな堅苦しい言葉遣い、本当はまっぴらだったんだ」
「ふふふ……それなら良かった」
 立ち上がったライダーは晴れやかな気分を隠そうともしなかった。那次が彼女の歴史を調べたときに抱いた印象はもっと臆病で、悲壮な顔をした幸の薄い女性だった。もしかしたら、こちらが彼女の素なのだろうか。史実や文献というフィルターを取り払った彼女は、こんなにも明るい。
「明日以降はどうなさいますか?」
「そうだな……」
 静かに現実に戻された那次は、目の前のローテーブルの上に置かれた紙を見遣る。紙はただのメッセージカードだったが、中身は魔術で隠蔽されたものだった。
「とりあえず、招待状を送りつけた奴の誘いに乗ろうか」
 その横に置いてある招待状と、ライダーによって置かれた手帳とを見ながらカードの内容を読み直した。
「あんな招待状と触媒を送りつけて。今度は一体何をしようって言うんだ」
 うんざりした様子で首を傾げる那次を見て、ライダーはソファの後ろに回ってその内容を確認した。

◇◇◇

 招待状を受け取った全ての皆様に

 招待状を受け取り、聖杯戦争に参加されました皆様へ。この度は参加頂き誠にありがとうございます。
 此度の聖杯戦争について、重大な問題が発生しております。つきましては現在の状況についての説明をさせていただきたく存じます。
 三月二十一日の日の出の時刻に新宿御苑地下の大聖堂にてお待ちしております。

 本来であれば、監督役として招集命令をかけるべきでありますが、自体の悪化を招くと判断しこのような形にさせて頂きました。
 聖堂内での戦闘行為は一切禁止とさせて頂きますので、ご安心を。

 聖堂教会 聖杯戦争監督役 言峰四温

◇◇◇

 手書きのそれはコピーされたものらしく、インクの臭いはなく乾いていた。
 罠としか考えられない。那次は確信していた。しかし、闇雲に他のマスターを討てるほどの戦闘力は彼にもサーヴァントもない。逃走することはできるかもしれないが。ある程度、情報収集のために危険を冒すことは必須だった。
 これが罠であっても、他のマスターも監督を敵視して自分にのみ害があることはない。
 そして、那次一人が呼び出されていた場合についても。監督と一対一でなら、抜け出すことくらいは可能だろう。
 サーヴァントを引き会わせるつもりは無かった。自分と同じく、サーヴァントを操ることもできる令呪をもつもった監督役相手に、サーヴァントを差し向けるのは分が悪すぎる。
 那次は自分の左手の甲に浮かんだ、血の色をした令呪に触れながら、一つ溜息をつく。酷く重い瞼を、本能に逆らわずに閉じて、ソファに寄り掛かった体を耐えきれずに横たえた。
「仮眠、でしょうかマスター……おやすみなさい」
「……おや、すみ」
 聞こえたライダーの穏やかな挨拶に応える。応えてから、誰かと就寝の挨拶を交わしたのはいつ振りだろうかと、眠りに就こうとする意識の片隅で考えた。

Fate/defective パラノイド【第二話 二節】

Fate/defective パラノイド【第二話 二節】

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2018-12-02

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work