泥
よくある話
泥
最初は澄んでいたところに不純物が溶け込んでそうなったのか、
元々濁っていたのかはもうよく解らない。
こうなってしまってはその解明に意味もない気がする。
だけど意味なんて求めだしたらきっと何も出来なくなる。
生きてる事に意味なんて無いし、死ぬ事にも意味なんて無い。
万人の人生が無意味だとは言わない。
きっと意義ある人生を生きてる人っていうのも世の中には存在するんだろう。
だけど私にとっては意味がないし、私は意義ある人生なるものをこの目で見た事がない。
あらゆる物事への所見は人それぞれだ。
それでいいし、それ以上言及したところではやり意味は無い。
前置きが長くなり過ぎるのもよくないから、早々に切り上げる事にする。
重要なのは「体よく裁断して美味しく整えた総括」じゃない。
その道程のあらゆる全てだ。
そこに意味を見いだせる人間だけが読んでほしい。
あえて「意味」という単語をここで持ち出す。
私にとってそれは意味の有る事だからだ。
、
それが何歳の頃の事かは覚えていない。
ただその情景を鮮明に覚えてる。
厳密には「鮮明」なのではなく、欠落した部分、不都合な部分を随分と手前勝手に自動補正し、結果鮮明化されて見えるだけだろう。
人間の脳はそういう風に出来ているから。
何であれ私の脳がそれをそのように記憶している以上、私はそう書く以外に無い。
これから語る話は、私のバイアスによって大いに歪められた言葉の羅列である事を、どんな時も失念せずおいてほしい。
私が欲しているのは同情の類ではない。
他者に同情するのは心地いいだろうが、私はその手の同情を好まない人間だと覚えておいて欲しい。
「妖怪」
その言葉を聞いてあなたは何を連想するだろう。
私は己を連想する。
妖怪、それはつまり私の呼称だ。
ゾンビも然り、化物も然り、人間とは違う、人間よりもおぞましいとされる存在、それが私の呼称だった。
何歳頃からそうだったかは、上記の通り思い出せない。
ただ、最初にそう呼ばれ、最初にそれを記憶したのが、まだとても小さい頃だったのは確かだ。
私は、まだ正しい意味でニュータウンだった時代の多摩ニュータウンの集合団地に住んでいて、
子供を持つ親たちが大勢その団地に住んでいて、
だから子供を連れた母親達は毎日のように、誰かの家に集い何かを話したりしていた。
大人達が何を話していたかは無論覚えてないし、理解してもいなかった。
誰かの家に集まった親たちが一つの部屋に集まり何かを話してる間、
彼女らの子供達は別の部屋に集められ、そこで「なかよく」するようにと言われた。
一人の子供が私の肌を見て「妖怪みたい」と言った。
「ほんとだ」
「なんでそんな肌なの」
「気持ち悪い」
そこにいた子供たち皆は「なかよく」私に向かってそう言った。
先天性魚鱗癬という言葉を知ったのはその記憶より随分後の話になる。
つまり私はそれだった。
先天性の、遺伝子異常による疾患。
名前から、大凡の症状は想像できるだろう。
皮膚が鱗のようになる病気だ。
厳密には皮膚だけじゃなく、臓器や粘膜や角膜に至るまで「通常とは少し違う」場合も多く、
昨今ではその皮膚と粘膜の異常に起因する免疫不全のほうがより重大であるかもしれない、という論説もあるが、
やはり目に見える症状、つまり皮膚病としての認識が、私の知った当時の魚鱗癬だった。
恐竜のような鱗で手足が覆われた子供。
同じ団地の別の棟に住む、同い年の子たちは私の肌を見て、妖怪、ゾンビ、化物、恐竜、そう捲し立てた。
私は小さい頃から昆虫が苦手だった。
とりわけゴキブリや蜂など害虫とされる虫に対して強い嫌悪感と恐怖感を抱いていた。
同い年の子供達が私の肌を見て、各々の感想を述べる時、その子供らの瞳には、私が害虫を目撃した時のそれと同じ色味が滲んでいた。
物心をつくより以前の話だ。
私は自身を「どうやら人間とは少し違う、人間より劣った、害虫に似た性質を持つ存在なのだ」と考えるようになった。
幼少の頃に芽生えたその認識は今も変わらず私の中にある。
だから私は子供を作らない。
ここは人間の世界だから、怪物が怪物の子供を作ったところで、その子供もまた不幸になるだけだからだ。
泥。
先天性の遺伝的疾患、その手の病気は多くの場合一生涯治らない。
つまるところ私は小学校に進学してからも妖怪、あるいはゾンビのままだった。
同級生たちが私の肌を見てゾンビという。
体育の授業などで誰かが偶然私の肌に触れて「えっ!?」と悲鳴をあげる。
「何その肌!?気持ち悪っ」
私を見て「ゾンビ」と声を上げる子供たちがどんどん増殖していく、その様は、私の目にまるでゾンビ映画のように映った。
彼ら、彼女らにとって私はゾンビだったし、
私の目に、彼らは、映画などでよく目にする、ゾンビウィルスが感染していくあの光景を連想させた。
この手の境遇が大概いじめに繋がっていく事は想像に難しくないだろう。
実際その通りになった。
子供達の自我やコミュニティの形成がある一定レベルに達した時、
「異物」を排除しようとする、集団的自浄作用は自ずとクラスを、学年を、学校を支配していった。
それは免疫に似ている。
体に異物が侵入したら、体がその異物を察知したら、それが有害か無害かは置いといてとりあえず排出しようとし、発熱や下痢をしたりする。
沢山の鳥の群れがほとんど均一な弧を描き連隊飛行するのを見て、まるであの一群全体で一つの生物みたいだ、と思った事がある。
新宿駅で大勢の人が同じ方向に移動していくのをエレベーターの上から見下ろした際にも同じ事を思った。
学校という巨大生命体に、私という異物が免疫作用を引き起こした。
つまり端的に言うなら、ただそれだけの話だ。
小学3年の頃、私は異様なほどに勉強が出来なくて、いつも居残りをさせられていた。
私の他に二人、同じように勉強の出来ない子がいて、担任の石原先生からはいつも三馬鹿ガラスと呼ばれて、一緒に居残りをさせられていた。
丁度そのくらいの時期に父親がどこかから犬を貰ってきた。
シェットランドの雑種なのだけど、どこからどうみてもシェットランドには見えない。
どちらかというと柴犬に近いシルエットと色だった。
父はその犬をジャッキーと名付けた。
両親は共働きだった為、ジャッキーの散歩当番、世話当番は当然のように私になった。
毎日夕方、私はジャッキーを散歩に連れて行った。
学校で、クラスの皆から「ゾンビ」として認識されている私にとって、ジャッキーは人間よりよほど付き合いやすい相棒だった。
毎日ジャッキーの散歩で走っていたからか、一時期異様に足が速くなり、
秋にあったクラス対抗駅伝のような大会で、それまで学年一足が速いとされていた高橋に校庭半周分ほど差が付けられていたところで私にバトンが渡り、自分でも驚くほど簡単に高橋に追いついて、一瞬だけ追い抜いて、その後また抜き返されたけれど、私はその日の英雄になった。
担任の石原先生が黒板に「今日のヒーロー」と書いて、そこに私の名前を描き加えた。
それまで「クラスの出来損ない」で、やんわりいじめの対象だった私が大きな成果を示した事に石原先生はえらく感激した様子だった。
その日から暫くの間、毎日「今日のヒーロー」が選ばれ黒板に記されるようになった。
「今日のヒーロー」になってはみたけれど、いじめは無くならなかった。
むしろ日増しに酷くなっていった。
「団地で犬を飼っている」というのが同級生や上級生達に知れ渡り、多分それがいじめに拍車をかけたのだと思う。
それまで話したこともない上級生が、登校中に「お前んち犬飼ってんだろ!いけないんだぞ!」みたいに言ってきたのを覚えてる。
「いじめをする集団」というのは「自分よりも権威をもつ援軍」を取り付けると、飛躍的に苛烈化する傾向がある。
この場合、権威を持つ援軍というのはつまり上級生たちだった。
上級生たちが私をいじめの対象に選定したことで、私の同級生たちは一気にヒートアップし、いじめは文字通りの意味で暴力的なものになっていった。
いきなり後ろから殴られたり蹴られたり階段から突き落とされたり抱え上げられてトイレに放り込まれたりゴミ箱を頭から被せられたり地面に押し倒されたりしたけれど、正直あまり「辛い」とか「痛い」とか「怖い」とか、そういう感覚はほとんど沸かなかった。
特に何も感じなかった。
いじめはただの日常だったし、それが多少過激化したところで大きな問題ではないように思えた。
そんな事よりも、うちが団地で犬を飼ってること、それが原因でイジメが苛烈化した事がPTAで問題になって、ジャッキーを手放さなければならなかったことの方がよほど私にとって切実な問題だった。
私の両親はわりと呆気なくジャッキーを手放す事を決定した。
彼らは「あなたの為だった」と言うが、私はそうは感じなかった。
どうしてイジメみたいなダサい事をする頭の鈍い連中の要求にしたがって、
私が相棒を、家族を失わなければならないのか私には理解できなかった。
親は事ある毎に「どんな事があっても我々はお前の味方だ」と私に言い聞かせてきたけれど、
なにか不都合があれば私もジャッキーのように捨てられるんだなとその時感じた。
私は両親を愛してるけれど、心の奥底に「いつ死んでくれても、あなた達を失う覚悟はもう出来てる」みたいな感覚がある。
ジャッキーの件だけじゃない。
人生の様々な場面で目にしてきた父や母の行動と言動が、「彼らの言葉はいつもドラマチックだけど、それはただ彼らが影響を受けたドラマや映画のかっこいいセリフ、美しい家族愛の模倣、つまりごっこ遊びをしてるだけで、それは真実ではない。彼ら自身、自らの振る舞いが虚構である事にひどく無自覚だ」という印象を私に与えた。
ジャッキーがいなくなって、散歩をしなくなって、またクラスで一二を争うほどののろまに逆戻りした。
「団地で飼ってはいけないはずの犬」を放り出したところでいじめはなくならなかった。
私は依然ゾンビのままだったし、「攻撃者」として無限増殖する彼らもまた、私にとってゾンビのままだった。
読者というのは存外に覚えの悪い生き物だからもう忘れているかもしれないが、私は魚鱗癬という先天性の疾患を持つ「ゾンビ」なのだ。
ゾンビ映画の主人公が、ずっと一緒に旅をしてきた相棒の犬をゾンビに食われ失った。
そんなドラマチックな話じゃない。
これはただの、泥についての話だ。
可哀想な誰かに同情をするのはさぞ気持ちいいだろうが、どうかその手の感情は今は捨て置いてほしい。
私はその手の感動エンターテイメントを死ぬほど嫌悪しているし「感動ポルノ」という言葉は実に正しくその性質を表してると思う。
人が苦しんだ事実を、安い場当たりの同情心で、自分が気持ちよくなるためのポルノに貶めないでほしい。
無論これは私の個人的な考えであり、感動ポルノこそが人生の生き甲斐だという人がいても当然いいし、
そういうものを作って小銭稼ぎをしたり、そういうもので涙を流してスッキリする、そういう人種がいても全然構わない。
ただ、頼むから私には近寄らないでくれ、私の紡ぐものをその手で汚さないでくれ、というだけの話だ。
ご理解頂ければと思う。
とにかくそんな感じで、何がどうなるという事もなく、ゾンビの小学生時代は過ぎていった。
泥
暇つぶし程度にでもなればこれ幸い。