「この辺りは、海水の温度が周りよりも高いんだ。だから、ちょっと珍しいヤツも釣れたりする」
 そう、志乃君は説明してくれた。
 真夏の照りつける日差しに生暖かい南風。麦わら帽子の中に仕舞ったはずの前髪が、汗と一緒に滑り落ちて来る。
 それでも、私の心はどこかうきうきと弾んでいて、不快な気分など微塵も感じなかった。
「やってみる?」
 目の前に出されたであろう釣竿に、私は首を縦に大きく振る。
 きっと志乃君はにっこり笑ってくれたと思う。私の右手から白杖を取ると、さらに軽い釣竿を握らせてくれた。
「餌は付けてあるからね。右手側のハンドル、そう、ここね。持ってみて」
 志乃君の息遣いを頬で感じる。ちょっとだけ、くすぐったかった。
「そうそう。そして、ハンドルを回したり、少しだけ放したりしてごらん」
 私は言われた通り、ハンドルをくるくると回し、そしてぱっと手放した。指先を掠める微かな風と耳に残るジーという音に、志乃君の温もりが混じる。

 繰り返す内に、だんだん波に合わせたリズムが掴めて来た。釣糸から釣竿へ、そして掌へ、揺らめきが伝わって来る。
 海の感触だ。
 このまま吸い込まれるんじゃないかと思う程、海を近くに感じる。
「上手いな、センスあるよ」
 志乃君は人を褒めるセンスがあるよ、と心の中で言葉を返し、私はそっと頬を染めた。
 魚は捕まえられていないけれど、海と繋がる感覚が心地よい。
 幸せだなぁと思った。
「ふふ、それは良かった」
 隣から志乃君の笑い声が降って来る。驚いて顔がぽっと熱くなった私の鼻先を、潮風がしょっぱい香りを乗せて通り過ぎる。
「楽しいなぁって、今思ってくれてるような気がして。当たってたかな?」
 楽しいと幸せは、本当は少し違うのかもしれない。でも、今は一緒で良いと思った。
 私はまた首を、力強く何度も縦に振る。

 世界はこうして広がって行く。その中心にはいつも、志乃君がいるのだ。

志乃君から釣りを教わる「私」のお話。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-11-21

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