求めていた俺 sequel
第五部 「東西学園闘争編」
三十二話 茶番終幕
ハイジャック犯の女は桐生のこめかみに水鉄砲の銃口を突きつけた。と言っても、ただの水鉄砲ではない。電気をよく通す水道水が入った容器にあらかじめ電流がたっぷり流し込こまれているため、女の機嫌を損ねて引き金を引かせてしまえば桐生は感電してしまう。下手すれば死を招く可能性すらあるだろう。
「さぁ、大人しく金を出すんだ。出来れば死人は出したくない」
どうやら女は『ガチ』のようだ。
知らない人間に理由もなく金を支払うのは不本意だが、もし要求を拒んだら女が逆上してここにいる乗客全員が危険に晒されるかもしれないと判断した桐生は、
「しょうがねぇなぁ・・ほら」
財布から五千円札を取り出して女に手渡す。
そして女が桐生の座席から離れ、その前の座席に向かおうとしたその隙を見つけて、
「(ポチッとな)」
桐生はシートの肘置きの側面に取り付けられている例の“赤いボタン”を押した。
すると・・・
「さぁ、金を渡しなさい・・・ん?」
引き続き次の客から金を巻き上げようとしていたハイジャック犯の女の耳には、『ガラガラガラガラガラガラ・・』という音が後方から聞こえて来た。
「なんの音かしら?」
救急車が通り過ぎる時のようにその音量は次第に増していく。
女は恐る恐る背後を振り返ってみることにした。そこには、
ガラガラガラガラガラガラガラガラ!!!!
「えっ」
女の視界に映ったのは『フライトアテンダントのお姉さんがミールカートを押す光景』ただそれのみであった。 ここは飛行機の中なのだから、取り立てておかしな光景ではない、
・・・はずなのに。
「どいてどいてどいてどいてどいて、あぶなーーーーーーーーーーーーい!!!!」
『このフライトアテンダントのお姉さんは何を焦っているのかしら 』
そんな事を口に出す時間はハイジャック犯の女には無かった。眼前に”ソレ“がすでに迫っているのだから。
「ぶつかるぅううううううーーーッッ!!」
ドンガラガッシャーーーーーーーーーーン!!!!!!!!!!!
「なんだなんだ!?」
「うっせえなオイ」
「びっくりしたナリ」
ザワザワと騒めきながら、乗客たちが音の鳴った方向に注目を浴びせる。
彼らの視線の先にあったのは、右肩を負傷して痛みに悶えているハイジャック犯と思われる女と、ミールカートの中から散らばった機内食をあたふたと片付けながらペコペコ謝っているフライトアテンダントのお姉さんの2人だった。
そう。猛スピードでミールカートを押して通路を疾走してきたフライトアテンダントのお姉さんが、たまたまその進行方向に立っていたハイジャック犯の女を文字通り轢き飛ばしたのだ!
幸い、被害者が一般乗客ではなくハイジャック犯で良かったのである。もし相手が一般乗客だったら大事故確定だ。
「うっ、ぐぐぐぅ・・・!」
ハイジャック犯の女が右肩を手で押さえながら悶絶する。どうやら肩甲骨を骨折したらしい。
「た、たいへん!大丈夫ですか!?」
フライトアテンダントのお姉さんは、たった今自分が豪快に突き飛ばした相手が件(くだん)のハイジャック犯だという事を未だに気付いていない。
お姉さんは散らばった機内食の片付けを一旦中断して、ミールカートの上から三段目の引き出しを開け、備え付けの救急箱を取り出した。
「とりあえず応急処置を・・・・え?」
ドサッ
思わず手から救急箱がスルリと抜け落ちる。
そしてハイジャック犯の女がフライトアテンダントのお姉さんの目をじっと見つめながら訊ねた。
「もしかしてあなた・・・桜子?」
対して、今度は桜子と言う名のフライトアテンダントのお姉さんがハイジャック犯の女に聞き返した。
「佐渡先輩・・・何故こんなところに・・」
この2人は知り合いなのであった。
ハイジャック犯の女の名前は佐渡。かつて彼女は、『スカイフェニックス810便』のフライトアテンダントとして働いていた。そして桜子の上司でもあった。 所田航空人事委員会の決断による例の客室乗務員一斉解雇の件で職を失って以来、貧しい生活を送っていたのだ。
「久しぶりね、桜子。まさかこんな形で再開するなんて思ってもみなかったわ。それに、こんなクソッタレた仕事をまだ続けていたなんて感心よ」
佐渡は肩の痛みに耐えながらも話を続ける。
「皮肉なものですね。今まで私がずっと慕って来た先輩がまさかハイジャックなどという卑怯な真似事をしているなんて」
かつて同じ職場で働いていた佐渡の声を聞いた桜子は、フライトアテンダントとしてのプライドを守るために反論した。
そして、佐渡は自らが解雇されてから今回ハイジャックを実行するまでに至るいきさつをかつての後輩・桜子に語った。
「今まではずっと国家公務員の夫と順調に共稼ぎ生活を続けて来たのに・・。クビにされたあの日から、私の人生は狂い始めた。収入源が減ったことで2人の子供を養えきれなくなり、挙げ句の果てにはあんなに優しかった夫にまで見捨てられたわ。だから私は決意したのよ。この『スカイフェニックス810便』で私自身がハイジャックを起こし、世間一般からあの忌々しい所田航空のイメージをダウンさせてやるってね!ついでに大勢の乗客から金を奪えば大儲かり。一石二鳥ってわけよ」
「・・・なるほど。そういうことだったんですね。正直先輩には絶句しましたよ」
しかし。桜子に呆れられてもなお、佐渡の信念は揺るがない。
「なんと言われようが構わないわ。私はね、私の人生を台無しにした所田航空を絶対に許さない。だから全部、全部全部ぜーーんぶ終わらせてやるの! そう、例えこの場にいる全ての乗客をまきこんだとし」
パァアアン!!
機内に大きな音が響きわたった。それは桜子が佐渡の頬を思いっきり引っ叩いた音だった。
「桜子ッ・・!アンタ私が誰だか分かっているの!?」
佐渡はジンジンと痛む頰を片手でおさえながら桜子を睨みつけた。
「・・急に叩いたりしてごめんなさい。でもこれだけははっきりと言わせてください。確かに所田航空の強引なやり方は私も賛同しかねます。あなたが理不尽に苛まれ、女手一つでご子息を育てていかなくてはならない辛さにも同情します。でも、ここにいるお客様達を巻き込んでいい理由なんて何処にもないでしょう?」
桜子は、元上司である佐渡にありったけの思いを伝える。
「あ・・んッたねぇ・・!!」
佐渡はギリギリと歯軋りする。だが、桜子の正論に対しては何も言い返せない。
「さぁ、ちゃんと謝ってください。この場にいるお客様全員にです。“ご迷惑かけてすみませんでした” って」
「く・・・!」
この時にはもう、先輩と後輩の立場がまるで逆転していた。
「謝ってください!」
桜子はもう一度大きな声で叫ぶ。
「う、うぅ・・。ううぅ、う・・う・・うっうっうわぁああああああああああああ!!!」
ジャキッ
精神的に追い詰められ、やけくそになった佐渡が電撃水鉄砲の銃口を桜子に向けた。 しかし桜子は動じなかった。
「えぃやッ!」
ドッ
桜子は、もしもの時用に叩き込まれた対人格闘マニュアルに従って水鉄砲を上段突きで手首から弾き落とし、そのまま佐渡の腕を掴み取って背負い投げを決めた。
暴れる佐渡を馬乗りになって押さえつけ、素早く両手を縄で結びつける桜子。これで佐渡に抵抗する余地は無くなった。そして桜子は勝利宣言を告げる。
「観念してください。“佐渡さん”」
「佐渡・・“さん”・・ですって・・?」
桜子に全体重かけられ自由を失った佐渡の顔が屈辱に染まる。
最後に桜子はこう返した。
「罪も関係も無い一般客を容赦なく巻き込んでしまった時点であなたはフライトアテンダント失格です。 私の知っている”佐渡先輩“ はあなたに殺されたんです」
「・・・あんたにはお手上げよ。」
佐渡は何もかも諦めた様子で力なく答えた。
「そうですか。なら大人しく投降して頂けますね? “ハイジャック犯の佐渡さん” 」
「もう、好きにしなさい・・」
パチパチパチ・・
誰かが拍手をする音がした。
パチパチパチパチパチパチ
これを皮切りに、拍手の音は次第に伝播していき、
パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ!!!
気が付いたら機内が盛大な拍手喝采に包まれていた。中には座席から立ち上がっている者もいた。
「よっ!!姉ちゃんよくやった!!」
「かっこよかったゾ〜」
「なかなか感動的なドラマだったナリ!」
乗客達の称賛の声が四方八方から飛び交った。
「い、いやぁそんな・・大袈裟ですよ・・」
桜子は思わず照れてしまう。
「はぁ・・・」
一方、桜子のこれまでにないほど満足気な表情を見た佐渡は、これまで自分がやって来た事を振り返り、自らの器の小ささを改めて思い知り大きなため息をついた。
そうこうしているうちに、空の旅はいつのまにか終盤を迎えていた。
ポーン。
着陸を知らせる機内アナウンスが流れる。
『お客様にご案内いたします。まもなく当機は、目的地の ”間酉玉祭空港“ に到着いたします。着陸の際には大きな揺れが予想されますので、そのまま席をお立ちになさらずにシートベルトを着用して下さい。本日は、所田航空 ”スカイフェニックス810便“ をご利用頂きまして誠にありがとうございました』
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