√Sora × √Umi

冬至を巡る

 一 柚子
 二 小豆
 三 蒟蒻
 四 南瓜①
 五 南瓜②
 六 南瓜③
 七 南瓜④

  一 柚子

2016/12/17  by 浅井(Asai) 空斗(Kuto)

「ねぇ、決まった?」
 ベッドに腰掛けて雑誌に目を落としているユズに声を掛ける。
「何が?」
 彼女は跳ねるように顔を上げた。
「プレゼント、誕生日の」
 僕の一言に、ユズは眉を寄せる。
「だからぁ、別に要らないのにー」
「僕があげたいんだよ」
「だって、25日にはクリスマスもあるんだよ? まとめてでいいもん」
「クリスマスプレゼントは貰う事前提なんだ?」
「――ソラのイジワル」
 ユズはあからさまに不機嫌な顔をして、再度視線を落とした。先程まで頁を繰っていた右手の人差し指が、頻りに雑誌の角を弄っている。彼女の反応が面白くて、ついついからかってしまう。
「まあ、クリスマスも勿論あげるつもりだけど、それはそれ、これはこれ。ユズだって、僕達に誕生日もクリスマスもプレゼント、用意してくれるでしょ、いつも」
「それは、あたしがあげたいだけだもん」
 俯いたまま、ユズは脚をバタバタさせる。裸足の細い脚が、僕の真横で空気を掻き回した。
「なら、僕もユズと一緒」
「だって、ソラとウミの誕生日、八月だもん」
 彼女にはきっと、真夏と真冬に離れた二つのイベントは別物に思えるんだろう。そして、十二月にある、たった数日違いの二つの記念日は、一つにまとめてしまっても同じように感じるのかもしれない。でも僕にとって、その二つは太陽と月ほどの差がある。
「関係無いよ、一回は一回」
「えー」
 ユズはごろんと後ろに上半身を転がした。ベッドの側面に背中を預けていた僕は、首を後ろに反らせて振り返る。青いセーターの裾が捲れて下着が微かに見えた。
「だらしないよ」
 手に持つ文庫本をローテーブルに置き、膝を着いて向きを変える。シーツに広がる彼女の髪は、まだ微かに赤み掛かっていた。セーターの裾を直そうと伸ばした手を、ユズに捕まえられる。
「出費だって、ユズの方は二人分出してるんだし」
 僕は双子で、ということは生まれた日が同じ人間が二人いて、ユズは毎年僕らの誕生日にそれぞれ別のプレゼントを用意してくれる。僕らはと言えばお互いに何かを贈ったりはしないから、単純に考えてもユズの負担は僕らの倍だ。
「このタイミングで、おカネの話するの?」
 ユズは拗ねたように唇を尖らせる。
「いつも『貢いでくれる彼氏が欲しい』って言ってるじゃん」
「そういうとこ、ほんとソラはイジワルだなぁ」
 僕は苦笑いするしかなかった。

 僕達双子は性格がまるで違う。数時間差で兄の海斗は、ユズが「プレゼントはいらない」と言ったら、そのままあっさりと引き下がる。一方で弟の僕は、既に八月に貰っている自分の分のお返しも兼ねて、どうしても何かを贈りたい。
 貸し借りをゼロにしないと気が済まない、という性格は建て前だと自覚している。でも結局のところの原因は彼女にだってある。「いらない」なんて言っておいて、何も用意しないと拗ねてしまうからだ。でも、そう、プレゼントを貰った時のユズの笑顔はあまりにも眩しくて、どうしてもその顔を見ずにはいられない。
 そんな貴重な表情をここ数年、僕一人の力で引き出しているのだが、海斗は努力もせず横から全てをタダ見している。それが最近少し、ほんの少し気に食わない。

 ユズの誕生日は十二月二十一日。今年は丁度冬至に当たる。十六年前の、彼女の生まれたその日も冬至だったらしい。暦に因んで子どもに“柚”の字を付けるなんて安直な名付け方だ、なんて人様の名前に文句を付けた時期もあるけれど、「橘柚香」、なかなか良い響きになったものだ。
 橘家について勝手に思い巡らせていた僕はと言うと、思い付くことはもっと単純だった。名前に“柚”の字を持つ彼女へのプレゼントは、いつも柚子のモチーフがあしらわれたものと決めていた。
 今ローテーブルの上には、僕の持ち込んだ文庫本の他に、真白なマグカップが乗っている。あのカップの内側には柚子のイラストが付いている。僕が一昨年の十二月二十一日にユズにあげたものだ。
 そして、僕の独断に満ちた道標は、あっさりと塗り替えられる。
 そもそも柚子は、一般的に主流な果物ではない。十代の女の子が使えそうなグッズに、そんなモチーフが溢れているはずもない。案の定、途中からネタに困った。そして、黄色味の強い蜜柑なら、ぎりぎり柚子に見えなくもないと、去年は刺繍で蜜柑の絵が入っている布製のトートバッグを渡した。その後洗濯を繰り返され、一年経った今では、すっかり黄色いフルーツに落ち着いている。あれは彼女の体操着入れになっているはずだ。

「何か考え事?」
 ベッドに仰向けになったまま、お気に入りの雑誌に目を通し終えたユズが、寝返りを打つように僕の顔を覗き込む。
「――プレゼント」
 ユズの隣にうつ伏せになっていた僕は、彼女に焦点を合わせずに答える。
「えー、まだ考えてたの?」
「そ、まだ考えてるの」
 ふと本棚の三段目、数学の参考書と英和辞典の間に、小瓶が置いてあるのが目に留まった。柚子の香りのルームフレグランス、その空き瓶だ。
「海斗のあげたやつ、まだ――」
 この部屋にはあの香りは既に残っていないはずなのに、微かに胸の奥で、精油のふくよかな香りがする。
「もうソラのあげたいものでいいよ。あたし、何でも貰ってあげる」
 ユズは僕の目の前で、悪戯っぽく笑っている。
「もう柚子っぽいもの、思い付かないんだもん」
「そういうとこ、ソラは変わらないなぁ」
 拘らないと、理由を付けないと、渡せないんだよ、と心の中で呟いて、また苦笑する。
 そんな僕を見て、ユズはわざとらしい溜息を吐いた。

  二 小豆

2016/12/19  by (Tachibana) 柚香(Yuzuka)

「あー、やだ!」
 もやもやした感情が石ころのようになって、溜まっている気がする。胸よりもう少し上の方、鎖骨の辺りだ。
 あたしはドンドンと力任せにドアを叩く。掛けてある“ウミのへや”のドアプレートが、ガタガタと揺れた。遠い遠い昔、あたしがウミくんにあげたものだ。
「どしたー?」
 直ぐに中から声がした。ヘッドホンを首元にずらしたウミくんが出て来る。耳あての目を引く赤色に、一瞬意識が逸れる。
「ん?」
 ウミくんは優しい眼差しで、先を促してくれた。
「ねぇ、聞いてよー」
「空斗か?」
 間髪入れずに、ウミくんの口から正解が飛び出す。あたしの来訪の意図は、何時もあっさりと暴かれる。
「そー、ひどいんだよ!」
 ウミくんはフッと吹きだすように笑う。
「あいつは?」
「出かけてるんだって。電話しても出てくんないし」
「そうか」
「デートだよ、きっと、デート! 浮気だよ!」
「浮気ってなぁ。まあ、んなとこで大声出してんなよ」
 優しい声音のウミくんは、頭をぽんぽんとしてくれる。何時もの大きな手が心地良い。
 でも、今日のもやもやの石ころは何時にも増して頑丈だった。消えたと思ったのに、またふつふつごろろと湧き上がる。どうしようにも抑えが効かない。
「入れば?」
 少し躊躇ったのは、嫌な予感がしたからだ。このままこの部屋に入ったら、あたしはウミくんに何かしら酷い事をしてしまう気がする。
「だめ。とりあえず甘いもの食べたい」
 あたしはくるっと向きを変える。
「へいへい」
 ウミくんもドアを閉めて付いて来てくれる。二人連れ立って階段を下りる。
 あたしはこの家の、浅井家の、冷蔵庫の中身から戸棚の菓子箱の配置まで全部知っている。それでも、勝手に漁ったりはしない。あたしはそんな子じゃない、たぶん。

「あ、新しいクッキーの缶、増えてる――」
 貰い物のお菓子を仕舞って置く食器棚下の引き戸を開けたところに、それはあった。白地に蒼い模様の入った可愛い丸缶だ。でも、そう、あたしは勝手に開けたりしない。
「いいぜ、それ、持ってっても」
「え、いいの!?」
「それ、親父が出張で買って来たヤツ。他にも食いモンばっかやたらあるし」
「へぇー」
 良く見ると、お洒落な陶器をイメージした缶のようだ。
「ダ、エ、ル――読めない」
 あたしにはさっぱりの外国語が並んでいる。蓋を留めるテープに、中身のお菓子の写真が小さく印刷されている。クッキーというよりワッフルのようだ。
「オランダ? とかどっかのだって。キャラメル、挟んであるらしーぞ」
 頭の中がキャラメルの甘さでいっぱいになる。つい気が緩んだ。
「ねーソラ、これ一緒に食べよ」
「んー?」
 片眉を持ち上げた、おどけた様な顔で、ウミくんはこちらを振り返る。一瞬、ほんの一瞬だけれど、瞳が寂しげに揺れた気がした。
「あ、ごめん、ウミくん――」
「気にすんな。紅茶でいいよな?」
 ウミくんは軽やかに笑ってキッチンへ入っていく。だめだ。またやってしまった。

 浅井海斗と浅井空斗、二人は双子だ。あたしは兄をウミ、弟をソラと呼んでいる。二卵性らしくて、似てはいるものの、見た目は双子と言うよりも兄弟のようだ。ただ、声だけはあまりにそっくりだった。幼稚園に通う前からの幼馴染でも、時々間違えてしまうくらい。
 あたしは二人に心の底から感謝している。こんなあたしを受け入れてくれていること、この髪について、一年間何も言わずにいてくれたこと。

 去年の冬至は、十二月二十二日だった。忘れもしないあの晩、あたしは生まれて初めて髪を染めた。
 分かりやすくグレたかったのだと思う。目を覆いたくなる日々の積み重ねに、心が堪え切れなかった。
 ちょうど高校受験の一発目が、二週間後に控えていた。そんなこと、あたしにとってはさほど重大事件にはならなかった。けれど、周りの皆が人生のターニングポイントにするくらい大事にしていたから、色んな思いを爆発させるタイミングとして適当だった。
 アニメキャラクターみたい真っ赤にしたかった。反抗的で、それでいて元気いっぱいな色。顔見知りが高確率で出現する美容室に行く勇気は流石に無くて、自宅の部屋に籠って一人で染めた。
 結果は勿論、大失敗だった。元々髪の色薄いし大丈夫、と高を括って、染料をそのまま髪に塗り付けた。上から重ねた赤と、髪の栗茶色が混ざって、小豆色になった。しかもしっかり色が付いたのは、髪の先と内側だけ。やっぱりプロには敵わないなぁと、ファッション雑誌を捲りながら、壁の姿見を睨みつけた。
 
 二人はあたしの髪について、一切話題にしなかった。「似合ってる」とか「何かあったの?」なんて、気のきいた事も言わなかった。
 それで少し目が覚めた。あたしが悩んで、グレようとして、空回りしても、結局それは一人相撲なんだと。そんなことをしていても、世界はあたしを中心にして回ってはくれない。それなら折角オンナノコなのに、相撲なんて可愛くないことはしたくない。
 その三日後、二人は有名ブランドのマフラーをプレゼントしてくれた。赤と緑のタータンチェック。あたしは受験の日、マフラーをぐるぐる顎まで巻き付けて試験を受けた。

「紅茶、出来たぜ。上、行くか?」
 声が聞こえて我に帰る。あたしたちのお兄ちゃん、ウミくんの声だ。
 返事をしないあたしに、ウミくんは親指で上を指して首を傾げた。何時だって、道を示してくれるその大きな手を、思わずじっと見つめてしまう。
「開けようぜ、そのクッキー」
「きっとワッフルだよ、キャラメルの」
 ウミくんはニカッと爽やかに笑う。
「美味そうだ」

  三 蒟蒻

2016/12/20  by 浅井(Asai) 海斗(Kaito)

 校舎の屋上には、意外に人が多い。
「ねぇ」
「何だよ」
「今年もあげないの?」
「んー?」
「ユズの、誕生日プレゼント」
「ああ、要らないっつってたからな」
「そうだけどさぁ」
「お前は? あげるんだろ」
「うん、それはもちろん」
「決まったのか? 何にしたんだ?」
「――海斗、明日の授業って、何か休むとヤバいのある?」
「んー? 何だよ」
「いいから」
「特にねぇかな。まぁ、二十三日から冬休みだし、休み前の宿題とかは言われるかもしんねぇけど。あ、古典の小テスト返って来るか」
「海斗、古典得意だったもんね?」
「んー? まあ赤点ではねぇわな」
「それくらいなら、明後日確認すれば大丈夫だよね?」
「何だ、何かすんのか? 明日」
「旅行。ユズと二人で行って来てよ」
「は?」
「あ、日帰りだよ? お金は出すし、おススメスポット、みたいなのはもう調べてあるからさ」
「え、いや、何でだよ。お前が行けよ」
「それじゃダメじゃん。ユズの誕生日なんだよ? ユズを喜ばせないとさぁ」
 喉まで出かかった「尚更お前が行けよ」の一言だけは口に出さず、卵焼きと一緒に飲み込んだ。
 昼休み、隣のクラスの弟に呼び出されてみれば、話はやっぱりこれだ。
「で、何処まで行く気?」
「軽井沢。星野ってとこ」
「いや、遠いだろ」
「そんな遠くないよ。新幹線使えば一時間かかんないし」
「えー」
「目当てはさ、『トンボの湯』って温泉なんだけど、他にも回れるとこ、色々あるし」
「あー」
 双子の考えることは、やはり何処か似ている。
 その温泉は、以前に俺も調べた事があった。冬至の時期になると、内湯にゆずを浮かべるイベントを行っている。何となく検索はしたが、まさか実際に行くことなど考えもしなかった。
 似通った俺たちの感覚は、そうやってまた隔たって行く。
「行動派だな、お前」
「え?」
 さっきから箸が進まない。弁当箱の隅にへばり付いてしまった蒟蒻が、思うように掴めなかった。
「いや。俺、明日は休めねぇから、お前らで行って来いよ」
「海斗、さっき大丈夫って言ったじゃん」
 漸く持ち上げた蒟蒻はつるりと箸の隙間を抜けて、再び弁当箱に逆戻りする。
「俺は言ってねぇからな」
 チャイムの鳴る気配を感じて、俺は箸を右手に持ったまま、一つ大きな伸びをした。

  四 南瓜①

2016/12/21  by 浅井(Asai) 海斗(Kaito)

「ねぇ、ウミくん」
「え、あ」
「ウミくん、聞いてるー?」
「あぁ、悪い。ちょっとぼーっとしてた」
「もー! ウミくんはちっともデートってものが分かってないんだから」
 柚香はうきうきと楽しそうに、臙脂色のスカートの裾を翻して一回転した。
「んー?」
「オンナノコアピール」
 腰を曲げ、上目遣いで顔を見つめられ、思わず視線を外す。
「どう? 惚れちゃった?」
 唇に人差し指を当て、ピースサインを繰り出す柚香に、俺は肩を竦めて見せた。日差しを受けたウッドデッキを、柚香の笑い声が駆けて行く。
「で? 決まったのか?」
「もー! 決めらんないから、相談しようと思ったの」
「あんまりもーもー言ってると牛みたいだよ」と、空斗なら言うだろうなと思ったが、それは口に出さないでおいた。
 季節外れに暖かい日だ。冬場は人が少ないと聞いていた、ここ、軽井沢星野のジェラート専門店も、店内の椅子はほぼ埋まっている。
「ちなみに、迷ってるの、どれ? どの味?」
「うーんとね、気になってるのが六種類あって――」
「あー」
 店の外に置かれたメニューボードには、八種類のフレーバーの書かれたカードが下がっている。
「んじゃー、惜しくも落選したのは?」
「『煮花豆』と、『南瓜』味」
「柚香、豆も南瓜も好きだろ」
「だって、ジェラート屋さんだよ? なんかごはんみたいなんだもん」
「ごはんって言うなら、コシヒカリ味ってのは良いのか?」
「それは、いーの。白いから」
「何だよ、その理屈」
 思わず噴き出してしまった。柚香も釣られて笑っている。
「なら、僕は『花煮豆』と『南瓜』にしようかな」
 後ろから声がして振り向くと、空斗が悪戯っぽい笑顔で立っていた。
「ソラ!」
 柚香の纏う雰囲気が、一瞬でオレンジ色から桃色に変わる。こんなに分かりやすかったかと、今更ながら驚いたが、やはり口にはしなかった。
「今着いたのー?」
「うん」
「上手く抜け出せたみたいだな」
「ほんともう、大変だったんだから!」
 一人柚香だけが首を傾げる。
「大変?」
「早退するの。ユズと海斗は揃って休みだし。その上僕まで『早退します』なんて言ったら、そりゃ怪しまれるって」

 今朝、新幹線に乗り込む前に、俺は空斗に電話をした。スリーコールで繋がった。
「今どの辺? もう学校着いたか?」
「そうか」
「いや、こっちは今乗り換え駅だけど。柚香にはさ、お前が遅れて来るって言ってあるから」
「後宜しくな。じゃ」
 一方的に電話を切り、自動販売機の前でホットココアの缶を二つ抱えた柚香の元へ戻った。
 そのまま帰ることも考えた。でも、折角の誕生日に柚香を独り、この駅に置き去りにするのも、新幹線に乗せて遠くへやるのも気が引ける。
 結局、空斗が追って来るまでの繋ぎくらいはしても良いかと、弟から渡された一万円札を胸ポケットへ仕舞い、自分のICカードで切符を購入した。

  五 南瓜②

2016/12/21  by 浅井(Asai) 空斗(Kuto)

 昇降口で上履きに履き換えたタイミングだった。お尻のポケットでスマホが振動した。見ると、着信は今朝早くに送り出した海斗だ。
「あれ、もしもし、海斗?」
「うん、今さっき着いて、昇降口入ったとこ」
「どうしたの? 何かトラブル? そっちは今どの辺?」
「え、は?」
「じゃ、って、ちょっとま――」
 反論も質問もする暇もなく、電話は一方的に切られてしまった。慌てて掛け直しても、一向に出る気配がない。「後はよろしく」などと言っていた気がする。
「マジか」
 思わずぽかんと口が開いた。
 頭の中で選択肢が幾つも浮かぶ。海斗のことだ、ユズを放って帰るはずはないし、ただの兄からの悪戯と信じて、何事もなかったように教室へ向かうか。それとも、このまま黙って家に引き返し、着替えて駅へ向かおうか。
 後者を選ぶなら善は急げか、と閃いた時には既に遅く、古典担当の岩波先生に声を掛けられた。
「浅井、おはよう」
「あ、おはようございます」
 露骨にヤバいという顔をしてしまう。
「今日は浅井は、あー、兄の方は一緒じゃないのか?」
「はい」
「もう教室に行ったか?」
「いえ。あの、何か兄にご用でしたか?」
「古典の小テスト、朝のホームルームの内に返してしまおうと思ってな」
 岩波先生は隣のクラス、海斗の担任だ。
「今日の日直だったろう、浅井海斗は」
 マジか、そんなことこれっぽっちも聞いていない、と心の中で目を剥く。
「あ、あの兄は今日休みで」
「何、風邪か?」
「そうですね、たぶん。えっと」
「なら、すまないが、ちょっと頼まれてくれ。B組委員長の成瀬に届けてくれるだけでいいんだ」
「は、はい」
 今職員室へ入ってしまえば、否が応にも僕のクラス担任と顔を合わせることになる。もし本気でユズと海斗を追うつもりなら、それはまずい。
「あの、先生――」

  六 南瓜③

2016/12/21  by (Tachibana) 柚香(Yuzuka)

「それじゃあ、明日、きっと二人とも大目玉だね」
 あたしは二人の間に陣取って、二人の姿を見比べる。深緑色の椅子がギシっと音を立てた。
「いや、ユズもでしょ」
 右からトゲを含んだ一言が飛んで来る。濃紺のダッフルコートに青いマフラーが良く似合っている。
「あたしは関係ないふりするもん」
 左からカラッとした笑い声が広がる。キャメルのピーコートから白いハイネックのセーターが覗いている。
「ま、ばれた原因は俺と空斗だしな。後で上手い良い訳考えねぇと」
「え、まだバレてないよ」
「いや、それでばれてねぇとか、無いだろ」
「そうかなぁ。上手いこと誤魔化せたと思うんだけどなぁ」
 あたしを挟んでソラとウミくんがテンポよく話している。
 久しぶりだ。こうして三人が並ぶのは、何だか久しぶり。そう去年のあたしの誕生日以来だ。思わず表情筋が緩む。
「どーした?」
「早く食べちゃわないと、溶けるよ?」
 海と空の狭間、水平線よりももっと曖昧な空間を、何と呼ぶのだろう。あたしは一体、何になるだろう。
「ウミくんのアイス、ほんとにごはんみたい」
 左側の白いカップをちらと盗み見る。
「ジェラートね」
 ソラが横槍を入れる。
「柚香が選んだんだろ」
 ウミくんは苦笑いした。「コシヒカリ」「煮花豆」「南瓜」のトリプルフレーバー。冗談のつもりで口にしたら、ソラが「僕が奢るから」と言って、それに決まってしまった。
「何ともな組み合わせだよね」
 ソラは必死に口元を押さえて、笑いを堪えている。
「それに比べて――」
 右側の白いカップを覗きこむ。
「んー、ソラのは、フツーって感じ」
「そうかな? ちゃんと南瓜取り入れたよ?」
「ひねりが無いもん」
「ジェラートにひねりを求められてもね」
 思えば、カップに山のように盛られていた「ビターチョコレート」「抹茶」「南瓜」の三種が、底の方に僅かに残るばかりになっている。
「あ、一口ずつちょーだいって言ったのに!」
「ユズが遅いから」
「ソラが食べんの早いんだよ!」
「こら、お前ら、あんま騒ぐな」
 並びの椅子にはお年寄りのご夫婦も座っている。目が合ったらにっこりしてくれるかな、と身を乗り出したけれど、お二人は黙々と黄緑色のジェラートを食べている。言葉を交わさずとも隣に居られるその関係は、何だかとても不思議で高尚なものに思えた。
「いいもん。ウミくんの、一口ずつちょーだい!」
「今度は俺のか。さっきは『ごはんみたいでいらない』って言ってたろ」
「いらないとは言ってないもん」
 横からスプーンでウミくんの黄緑ジェラートを掬い取る。まだ半分くらい残っているジェラートの左端に、大きな穴が開く。
「え、おいしー! これ南瓜だよね?」
「そー」
 田舎っぽいザラザラした食感を想像していたら、意外にクリーミーで驚く。
「オレンジ色じゃないんだね」
「皮ごと使ってるから黄緑色なんだって」
「へぇー。すっごい、何か、心がほっこりする味」
「気に入ったなら、好きなだけいいぞ」
「いいの!?」
「まあ、元々空斗の奢りのだしな」
「わーい、ありがとー。じゃあ、あたしのちょっと消費しといて」
 ウミくんにお礼を言って、カップを交換する。あたしの選んだのは「ホワイトモカ」「ミルクティー」「ピュアミルク」のトリプルだ。
「そのお礼、本来僕にじゃない?」
 ソラが拗ねたように口を尖らせる。
「ソラはイジワルするから、しーらない」
 そっぽを向いて、今度はコシヒカリ味にスプーンを突き立てる。ウミくんが一人、肩を震わせて笑っているのが分かる。
「ま、今日の主役は柚香だしな」
「どーして?」
「誕生日」
「え?」
 あたしはきょとんとして顔を上げた。一瞬ウミくんの言っているのが、何のことかわからなかった。そうか、そういうことなのか。
「え?」
 ウミくんも、釣られたようにきょとんとする。あたしが誕生日プレゼントに気付いていなかったことに、気付いていなかったらしい。
「残念、そういうこと」
 ソラが一人で笑っている。
「何で、いらないって言ったのに」
 唇はジェラートでキンキンに冷えているのに、胸の辺りが無性に熱くなった。

  七 南瓜④

2016/12/21  by 浅井(Asai) 空斗(Kuto)

 ユズの笑顔はやっぱり眩しかった、なんて本人には口が裂けても言えない。
 今年も海斗にお裾分けしてしまったけれど、今回の海斗の活躍にはこれくらいのお駄賃はあげても良いかもしれない。
「さぁ、食べ終わったら次行くよ」
 僕が立ち上がると、ユズが案の定文句を言う。
「早いってば! まだ食べ終わってないもん」
「次は何処に行く予定ですか、コーディネーターさん」
 海斗がユズのジェラートカップを僕に手渡しながら立ち上がる。
「温泉。こっちが本命なんだよ?」
「え、温泉?!」
「そ。冷えた後でゆっくりお湯につかるの、気持ち良いよ、きっと」
「それいい! 早く行こ!」
 残った海斗のジェラートカップを僕に押し付け、ユズはウッドデッキを駆け出す。
「両手にアイス、嬉しくないな」
「ジェラート、だろ?」
 兄は何やらニヤニヤ笑っている。
「何だよ、海斗まで」
「はーやーくー」
 もう随分先に居るユズが、大きく手を振っている。僕らは二人で笑いながら、歩いて後を追う。
「そういえば、後を僕に任せて帰るんじゃなかったの」
「だったな。でも、気が変わった」
「ざーんねん」
「久しぶりに背中、流してやるよ」
「えー、いいよ、そういうの」
 僕らの頭上には飛行機雲が漂っていた。明日は雨になるらしいが、今はまだ空は快晴だ。

二月の最終日

 一 catsup
 二 dandelion
 三 unsociable

  一 catsup

2017/02/28  by 浅井(Asai) 空斗(Kuto)

「ねぇ、まだ着かないの?」
「もうちょっと」
「もうちょっとって、さっきも言った」
「じゃあ、まだまだ」
「えー、まだまだじゃ、もうあたし帰る」
 電車に揺られながら、幼なじみのユズが文句を付ける。車内はかなり空いていて、彼女の甲高い声が、走行音と混じりながら辺りに響いた。
「騒がないでよ、恥ずかしいから」
「恥ずかしいって、ヒドイ」
 ユズがべーっと舌を出す。
「はいはい」
「ソラはさぁ、優しさが足りないよなぁ、圧倒的に」
 ぷいとそっぽを向いた彼女は、窓の外の取り留めもない景色を眺め始めた。
 ほんの一摘みの皮肉を紛れ込ませて、僕は彼女のケチャップ色の毛先に告げる。
「優しさが欲しいなら、海斗に言ってよ。僕は専門外だから」
 ユズは答えなかった。

 去年の今頃、高校受験の少し前まで、僕らは一緒に過ごす時間が多かった。遊びに行くのも、受験勉強をするのも、他のどんな事をするにしても、ユズが真ん中で、彼女の右手側が僕で、左手側が海斗で。いつもその並びだった。ついこの間、彼女の誕生日だってそうだ。
 それが、今年のバレンタイン後くらいから、ユズが海斗をあからさまに避けるようになった。二人の間に何かあったのだろうと、僕にはそれしか分からない。
「ね」
「何?」
 ちょっと不機嫌な声が僕の左側からする。
「ほんとに良かったの? 海斗、連れて来なくて」
「その話は済んだじゃん」
「あんなに実の兄のように慕ってたのは、どこの誰だったっけなー」
「――止めてよ」
「もういっそ、ユズに譲ろうと思ってたのに、うちの兄」
「止めてったら!」
 叫ぶように言い放たれた言葉が、彼女の両の拳と一緒に僕の胸へ、ドンという鈍い音と共に注がれる。
 同じ車両に数人いたはずの乗客は、先程の駅で降りたのか、僕らの口げんかに嫌気がさして別の車両へ移ったのか、見当たらなかった。
「それで後悔、しないの?」
 ユズは僕の肩に顔を埋めて、押し黙った。
 電車が駅のホームへ滑り込む。
「鼻水、付けないでよ?」
 ブレーキの反動で少し揺れてから、ゆったりと電車は停まった。
「このコート、まだしばらく使うし」
 ドアが開く。
「鼻水つけて、きらきら光らせたまま、外うろうろするとかさ。カッコ悪すぎだし」
 誰も乗っては来なかった。
 外はずいぶんいい天気で、ドアから流れ込む風が少し暖かい。
「もう明日から三月か――」
「ばか」
「え?」
 ドアが閉まり、ゆっくりと電車は動き出す。
「ソラのばか」
「泣いてる?」
「泣いてない」
 彼女は少し鼻をすすった。
「ばか」
「まあ僕が馬鹿なのは認めるけど、ユズには負けるかな」
「ソラのイジワル」
 窓の外の景色は、また何処までも同じような家々だ。この単調さが心地よい。

「ねー、どこまで行くんだっけ」
 いつの間にか、ユズも振り返って窓の外を見ていた。
「あれ? さっきまでの威勢は? もう終わったの?」
 彼女は脚をバタバタさせて鼻で笑う。
「あたしは今、一人旅の途中だから、これは独り言なの」
「そっか、独り言かー」
 僕は尻ポケットからスマホを引っ張り出し、黙って画面に目を落とす。
「あー、あたしはどこまで行くんだったかなー」
 必死に笑いを堪える。
 海斗がここにいたら、ユズの頭をぽんぽんと撫でて慰めるんだろう。しかし皮肉にも、今日のけんかのネタはその海斗だ。
「――栃木県の小山」
「え、栃木県? 栃木ってどこにあるんだっけ」
 いつもの調子で声を上げる彼女に、一人旅の設定はどうしたのか尋ねようと思ったが、長くなると面倒だと止めておいた。
「どこって、同じ関東でしょ」
「そうだったかなぁ」
「ほら、もう次の駅、降りるよ」
「え、もう栃木県?」
「ちょっと前から、栃木県だよ」
「そっか。意外と近いね」 
 トートバッグを肩に掛け直しながら、ユズは悪戯っぽく笑う。その笑顔は天然なのか計算なのか、僕は苦笑いをした。

  二 dandelion

2017/02/28  by (Tachibana) 柚香(Yuzuka)

 駅の改札を出ると、田舎にしてはお洒落な駅ビルのエントランスが見える。
「で? 小山に来てどうするの?」
「映画、見ようと思って」
「映画? それならうちの近くにも映画館あるじゃん」
「んー、まあそうなんだけど」
 ソラは少しきょろきょろしながら、駅ビルへ続く石の階段を登り始める。あたしはその後を追う。
 中はスタイリッシュなスタバに、可愛い雑貨ショップにと、けっこう賑わっている。同い年くらいの制服の子たちも目に付く。
「今日、平日なのに、みんな学校ないのかなぁ」
「僕らみたいにサボりなんじゃない?」
 あたしはソラの脇腹に肘打ちをお見舞いする。
「で? 映画館は?」
「うーんと、こっち」
 下調べはできているみたいで、ソラはお店の途切れた辺りを指差した。
 女性用の下着専門店の先に、右へ曲る通路が見える。そこから隣のビルへ移ることができるようだった。
「隣のビルの最上階だって、映画館」
 ソラは脇目も振らず、ずんずん進んで行く。余裕の無いその動きに、閃いた。
「あれあれー」
 あたしは急いでソラの隣へ並ぶ。
「えー、もしかして、このお店が気になるのかな、ソラくん」
 にやにやしながら、スレンダーなマネキンにちらっと視線を送る。彼女の身に纏う真っ赤なブラジャーは、かなり挑発的なデザインだ。
「ちょっと、そういうのはさー」
 ソラの頬が途端に赤くなる。意地悪なくせに、こういう所だけウブなのだ。

 通路の先、隣のビルだというそこは、開けた場所になっていた。
「え、何ここ」
「あー」
 一面の白いフロアの中央で、エスカレーターだけがごうんごうんと動いている。
「なんでお店とか何にも無いの?」
「何か、ちょっと前に潰れたっぽくて」
「え、ダメじゃん」
 言われてみると、棚があったような跡が、色んな所に付いていた。あたしの知らない昔が、ここにはあったらしい。
「いや、エスカレーター動いてるし。最上階の映画館は、まだやってるみたいだから」
「みたいって、これじゃあ映画も真っ白かもよ」
「それは流石にないでしょ」
 ソラは笑っていた。あたしはほんの少し、ほんの少しだけ心の奥がざわっとした。

 あたしたちの心配は杞憂に終わった。駅の隣のビルの7Fには、確かに映画館があって、ちゃんと電気が付いていた。
「な、なんか、ボロい!」
「声大きいよ」
 ソラに肘でちょんと突かれる。
 入口を潜ると、そこは高校の昇降口よりも狭い石造りのロビーだった。中央にまるで宝くじ売り場の窓口の様なブースがある。
 ソラはさっさと従業員のお姉さんの前へ進み出ると、映画の名前を呟き、お財布からカードとお札を出した。
「ほら、ユズもぼーっとしてないで、学生証」
「あ、うん」
 みかん型のICカード入れの中の、学生証をソラへ手渡す。
 不思議な場所だった。傍らには、魚の泳いでいない大きな水槽があった。映画館特有の、あの甘いポップコーンの香りもしない。そもそも売り場が見当たらない。
「ほら、行くよ」
 ソラに声を掛けられて振り返る直前に、入口の上の壁が目に入った。芸能人のサイン色紙が、かなり沢山飾られている。
「ここ、けっこう歴史あるとこらしくて」
「へー」
 ソラがウンチクを披露する。
「工事日程が遅れなければ、日本で一番古いシネコンだったんだって」
「ふーん」
 どうしてわざわざ、ここの映画館に来たんだろう。さっきソラから返って来なかった答えを、きょろきょろと探す。
「で、何見るの?」
「これ」
 目線の先には、映画のポスターが貼られた小さなボードが立っている。
「あ」
 直ぐに、何の映画だか分かった。出演している人の名前も空で言える。
「見たいって、前に言ってたでしょ? もううちの近くじゃやってなくて。それと――」
 ソラに手を引かれるように、劇場の古い扉を通り抜ける。
「あ、中もボロい!」
「こら、聞こえちゃうって」
 しーっと人指し指を唇へ当てて、ソラが慌てる。
 ロビーの狭さに比べれば幾分ましな劇場の中に、お客さんは見当たらなかった。
「もしかして貸し切り?」
「そ」
 ソラは声を抑えて笑っている。
「ここ、けっこうな割合で独り占めできるらしくて」
「あー」
 そうだ。前に言った事があるのを思い出す。好きな映画を、映画館で独り占めしてみたいって。
「でも二人占めか」
「今日は一人旅、なんでしょ?」
 ソラの横腹に、今度は片手パンチを入れる。
「半券は? 席」
「ん? ああ、ここ自由席なんだって。券もなし」
「え」
 どうやらチケットも用意しないくらい、アレな映画館らしい。形のあるものは何も残らないんだと思ったら、急に寂しくなった。
「席、どうする?」
「どこでもいいよ、ユズの好きなとこで」
「じゃあ、真ん中」
「言うと思った」
 劇場の中央の列の、そのまた中央の席に着く。座ったのとほぼ同時に、場内が暗くなり始めた。
「ぴったりだったね」
 あたしの右に座る彼に話し掛ける。
 ふと、視線を感じて左を向いたけれど、そこには誰にも座られないシートが並んでいるだけだった。左側が何となく、寒い。

 予告編の上映が終わり、一旦画面が真っ暗になる。
「今度は、三人で、来たいな」
 叶うなら、そうしたい。あたしの小さな呟きを拾って、闇の中、ソラが頷いたのが分かった。

 爽やかな音楽が流れる。
 ファーストカットは、黄色が目を引く、揺れるたんぽぽだった。
 春は、もう、すぐそこだ。

  三 unsociable

2017/02/28  by 浅井(Asai) 海斗(Kaito)

「んで?」
 三時限目終わりのチャイムと同時に、前の席のクラスメイトが、俺の机に身を乗り出す。
「双子で二股デートの次は、バレンタインに近親相姦かよ。ネタ尽きねーな海斗」
 溜め息すら出なかった。こいつにあの話を打ち明けるなんて、一時間半前の俺はどうかしていたのだろう。
 蓮理の腕に潰されたペンケースを強引に引っ張ると、消しゴムがぽんと飛び出した。
「いや、柚香は血、繋がってねぇし。てかそんなことしてねぇよ」
 ケタケタと笑いながら、蓮理はグレープジュースのパックに、ストローを差した。
「オレがさー、前のお前らのズル休み、二股っつったら、あれは家族旅行だっつってたじゃん」
「それはそうだけど」

 二か月程前、幼なじみの誕生日を祝うため、弟の空斗と当の主役である柚香と、三人で学校を休んだことがある。その後、事情を話した時から、この札付きの友人は何とも言えない表現で騒ぎ立て続けている。それに拍車をかけたのは、紛れもない体育の時間の俺だ。
「海斗、いい奴なのになー? オレが女だったらほっとかねーなー」
「そうかよ」
 次の英語の授業は教室の移動こそ無いが、授業前に小テストがある。俺としては単語帳を開きたい。
「海斗マジ、損な役回りってカンジよなー」
 蓮理はじゅじゅじゅと音を立ててジュースを飲む。
「別に損じゃねぇだろ」
「いやいや、損だろ。そんだけで退散とかさ、ありえねー。オレならその辺で既に三回」
「は? 三回って何だよ」
 ぎゃははと下品な笑い方をして、蓮理はウインクした。
「あー――」
「あ、分かった? やっと分かった? 童貞君」
「俺、お前のそういう所、すげー嫌い」
 蓮理は再びぎゃははと笑いながら、大袈裟に手を叩く。
「海斗が朴念仁過ぎんのよ、この場合」
「朴念仁って何だよ。お前が軽過ぎんだよ」
 まだ何か言おうとする、俺とは間逆のタイプの友人に、たまにはお灸を据えてやることにする。
「蓮理、お前好きな奴できたんだってな」
「えあ」
 俺は机の横にぶら下がるリュックから英語の単語帳を取り出し、その中程を開く。
「あいつ結構お堅いから、そのノリじゃ振り向いてもらえねぇだろうな」
「だー」
 口を大きく開けてふざけた顔をしながらも、蓮理の目は泳いでいた。
「ナシ。やっぱ今までのナシ」
「だろ?」
「はい、すんませんでした海斗様」
 意外にあっさりと引き下がった様子から察するに、蓮理の今回の恋は本物のようだった。まあ恋などというものに、本物や偽物があるならばの話だ。ずっと苦しそうに遊び歩いていた奴にも、ようやくその時がやって来たかと思うと、複雑なものがある。

 ガララッ。
「おい、席着けー。授業前に小テストやんぞー」
 英語教師の馬建の声がする。俺は単語帳を閉じた。
 机の端には、紫色のジュースパックがぽつんと置かれている。
 そそくさと前を向く蓮理の金髪を見ながら、今度はすんなりと出た溜め息を、長く長く吐く。
 今日のテスト範囲を懸命に思い出そうとするが、浮かんだ単語は唯一つだった。
「unsociable」
 俺は唇をすっと撫でて、あの日の感触を蘇らせた。

√Sora × √Umi

√Sora × √Umi

双子の浅井海斗、浅井空斗、そして幼馴染の橘柚香、少しずつ穏やかな日々は過ぎて行く。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-11-18

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Copyrighted
  1. 冬至を巡る
  2.   一 柚子
  3.   二 小豆
  4.   三 蒟蒻
  5.   四 南瓜①
  6.   五 南瓜②
  7.   六 南瓜③
  8.   七 南瓜④
  9. 二月の最終日
  10.   一 catsup
  11.   二 dandelion
  12.   三 unsociable