狼男の伝説。

 ある村があった。人知れずただぽつんとあるのみ、地図上にも記載もなく、村の外の他の人々、行商人、その他、隣村や社会とのかかわりもほとんどない、そんな村。まだ知られず、そこに住む人々にしか認知されていない、そんな人々の住む秘境の村はもしかしたら、まだ世界のいたるところにあるのかもしれない。南アジアのあたり、日常の生活圏を少しこえた、大自然をわけいったさきに、そんな村のひとつがここにある、名前はおかしく、ソンナ村だった。現在は地図にも乗っているが、史実において中世まで存在していたとされるこの村は今も残骸を残す、生活のための農具、食器類、家具、家屋たち、だがそれらは、部族というのにもまだ遠いような、その年代にはあまりにも遅れたような外界から道路が寸断されたような、独自のどこか未開の部族的な生活様式と風習を隠しもっていた。
 
 昔々、そこで起きたあるおとぎ話のようなお話、ある日のこと、村が終わる数十年前。村はまだ活気だっていて、あと数十年後にその村から人がいなくなり、村として立ち行かなくなるような、陰惨な事件が起こるとも、誰も予想していなかった。

 女子供、老人たちは村の仕事にでていて、男たちは量に出る者や、木こりをするもの、農作業をするものもいた。その時、発端は猟師の猟銃だった。朝から、村で数少なく、銃を使う事を許された名人猟師が、一人狩猟にいそしんでいたが、いつもは獲物がたくさん確保できているだろうという昼ごろになっても、その日にかぎって一匹も仕留める事ができずにいた。焦る猟師は、物音や少しの動物の痕跡、足跡、フンなども見逃さず、その根源をたどって山をあるきまわっていた。しかしついに日が暮れ、山の天候があやしくなってきたところで、村の人間が立ち入る事を禁止されていて、足場も怪しい獣ばかりの谷があったのだが、彼は夕方そこにいた、中腹あたりにあるソンナ村に帰ろうという準備をはじめたのだった。そのときだ。
「がさごそっ」
 とても大きな音が後ろで聞こえた、今谷に背を向けたところで、逃がすのも惜しい、そのまま見つけ次第に引き金をひくか?しかし万が一にも人かもしれない。頭を迷いがかすめた、そうしながらも今日の飢えと仕事を終えられぬという焦燥から、背後をむき、すぐに拳銃の姿勢をととのえ、獲物の動きと容貌をみると彼は引き金をひき、拳銃をうった。しまった、とおもった。その大きさは、クマとも思えた。しかし毛むくじゃらで、皮膚が見えない、万が一にも人ではないだろうと思われた。拳銃の先から硝煙がもれる。男はあまりの感動に体を震わせていた。彼も、一匹も獲物を取れないという事が、とても怖くもあったのだ。
「あれは何だ、俺は何をうったのか?とりあえずあそこまでいってみてみるかあ」
 弾丸が敵を貫く間際。谷の向う側に得物はたしかに倒れているくのがみえた。

 しかし猟師の弾丸は獲物をしとめず、何事が起きたのか、男は一瞬幻かと思い、何度も目をこすり、頭をかいたりした。
「まさか、俺が見る事になるとは、あの話は本当だったんだなあ……」
 谷の向うの、苔の入った人のおおきさほどもある巨大な岩に、もたれかかって右腕を伸ばしてつめをひっかけてる獣の影、それはソンナ村の伝承に伝わる伝説の獣だった、それは伝承の通り、一匹の狼男だった、狼男がたった一匹が転がっていた。
「なんてことだ、どうする、殺すか」
「仲間を集められても厄介だしなあ」
 ガタイの良い30歳ほどの、ひげをはやした大男、それが猟師の姿だったが、猟師は転がる狼男を見下し、そんな呟きを二三度繰り返していた。谷底ではさわやかな音をたてる小川が夕焼けにてらされて静かに流れていた。
 
 村の近くでは、今に日が沈みそうになっていた。狼男は、先ほどの猟師の捕まっていた。人間の図体の限界、軽々と超えたような長身の、がたいのいい、妙な輪郭の筋肉と皮膚、するどくのびた爪は、どう考えても、人間の生活に似合わないその生物の奇妙な生態を感じさせた。もりもりと盛りあがる腹の筋肉は、その場に居合わせた誰もが、人間の力でかなう事がないだろうことを思わせる。
 しかし狼男、彼はすでにひん死の状態だ、彼は周囲を野次馬にかこまれており、猟師はそのすぐ傍で、髭の深い白髪の村長と、何事か話し込んでいた。当の狼男といえば、ござをひかれたところに横たわり、背後で手首をロープをがんじがらめにされていた。
 狼男は体が動かなかった、かろうじて動く顔で状況をみる、どうやらその場所が、村の近くである事がわかった。足は拳銃で撃たれ、弾丸が貫き足が怪我をしていたようだった、右を向き寝転んだ姿勢のまま、手足が少し動くだけ、おかげで小一時間、ノロノロとかわるがわる近くの村の村人が彼を見学にきて、人込みは途絶えることがなかった。かれの右足は、応急処置で布がまかれていたが、傷口はまだ乾ききらず、少し力をいれると血が流れだす感覚を覚えて、彼は安静にしているほかはなかったのだった。そして少し夢をみた。彼の瞳は人間のように、数回まばたきをすると、静かにとじられた。

 彼は猟師の言葉を思い出していた。
 「吠えたな、なるほど、お前は助けてやろう」
 そうだ、彼は封印されていたはずの遠吠えをしてみせた。だから猟師はすぐさま彼のくちもとにロープをぐるぐるとまきつけ縛りつけにして、うなり声しかだせないようにした。そんな様子をみて猟師はいった。その顔は、恐怖におののき、狂気を帯びていた。
 「仲間を呼ばれてはこまるんでな、まあいい、だが助けてやろう、お前は偉い地位のやつなんだろう」

 その後、村は日が沈んだ後で、誰もが食事や酒宴を終えたあとだった。今日は猟師は多いに祝われた。村の周囲には、高めの壁がもうけられていて、夜まで見張りがいる厳重さはあった、これはソンナ村では、村内でも厳重な警備が自慢といわれるほど有名な話で、丁度その夜になると奇妙な生物の狼男は、村の丁度中央あたりにある村長の家の離れの地下牢に入れられていた。あたりは洞穴の壁のようなもので、何の設備も道具もなかった。

 狼男はなぜ容易につかまったのか、そして猟師との間に何があったのか、狼男は衰弱してまだ寝転がり、牢屋の中、皿にのせられておかれたままの、ハエの高るヤギ肉を、人間たちの出したヤギ肉を、体力回復のためいやいやと口にほおばっていた。それがおわると、牢屋から空を見上げる想像をした。彼は月を見て考える、言葉はもっている、それは人間の言葉がなまったものだが、古い言い伝えに人間と会話をすると人間の姿になってしまい、とても醜い狼と人間の合わさったような中途半端な姿になってしまうという言い伝えがあったので、子どもの頃それを聞いた彼は恐れて、ここへくるまで村人と少しも話しをしなかったのだった。

 夜も更けると、上階の足音や、話し声、村の労働者の立てる音は徐々に静かになっていった。狼男は体力こそ回復しなかったが、ひん死の状態は脱したようで、意識だけは安定していた。くさらないように、ハエがたかる右足のあたりから目をそらさなかった。彼の内面は冷静だった。こんなことを想っていた。
(ついに最後の手立ての遠吠えを使ってしまった、本当にこれで助かるだろうか?、しかしやってしまったのだ、今に死ぬそうで、正常の感覚を失っている。焦る事はない、焦ってもいい事はない)
 地下牢で月をみあげる、余りの事に声もでない、ただ上からも時折もれる人々の話し声を聞いているだけだ。その声をきいて、おびえていた。ノミのような心臓だ、皮膚はといえば、全身の獣のような毛はさかだち、鳥肌がたち、全身の感覚を、おびえている。茶色じみた、百十の王のような、鬣(たてがみ)さえ、おびえるように震えている。そのうち耳はきれいな音を集め、正確にその発音を収集しはじめた。

 『保護したはいいが、これからどうするか』
 「そうじゃのお、まあ、村のしきたりじゃ、こういうときは売りにだすかどうかするしかないだろう、これまでの歴代の長老もそうしたのじゃ」

 (保護、間違いなくそういった、これでよかった、よかったのだ)

 狼男はなぜ保護された。そもそも彼はなぜ遠吠えで助かる事がわかったのか?そもそも狼男というのは、人間とのかかわりを避けて生きるものだ。それはどこの国の伝承や昔話でもそうだ。だが彼は異質だった。
 彼は、小さなころから体が弱く、群れから仲間外れにされることも多く、だからこそ、彼は人間に興味を抱いていた、彼はかつて人間とかかわりがあったのだ、それもこの村に住んでいた人間で、村八分に合っていた人間だった、それは先ほど猟師の立ち寄った、獣のでる谷のあたりだ。そこに村八分の人間は、忘れ去られたように生活していた。数年前の事、群れから離れて放浪して獲物にこまっていた狼男はその谷の、小川のきしにある小さな家をたずねた。ノックをして、声をだすとすぐに返答があった。
 「すみません、お腹がすいて、お腹がすいて」
 「おや、これはこれは、珍しい人間じゃなあ、まあええじゃろう、あがりなさい、あがりなさい」 
 その人間は老人だった、彼はそこでともに狼男が暮す事をみとめ、老人が亡くなるときまで共に過ごした。人間に狩りを教わるのも変だが、実際おそわったし、食べられる野草の知識なども教わった、そのほかにも老人からいくつか重要な知恵を教わったが、その一つが遠吠えだった、
 (いいか、危なくなったら遠吠えをするのだ、この村の近くのソンナ村の人間は、狂暴だが約束事は守る、もしここで生活をしていて、お前が一人でいるとき、人間に出会い、危なくなったら、遠吠えをあげろ)
 老人の事は好きだった、しかしソンナ村には興味がなかった、老人もなぜ遠吠えなのかを話したがらなかったし、遠吠えがどんな意味をもつかしらない。ただ、村にいたころは、遠吠えはだれも立ててはいけないと偉くいわれたものだった、子どもの頃の彼にとって、それはひとつの迷信かと思われた。

 
 大人になった彼が、今、冷静に考える。普通、狼男は遠吠えをしない。なぜなら彼等の独特の鳴き声をすぐに人間はききつける、もし仲間がいたら、仲間のピンチをしってかけつけるだろう、そして、もしかしたら仲間も人間にみつかって殺されてしまう、仲間を巻き込んでしまうかもしれない、それは裏切りの行為だ。だからこそなのではないか、と。もしかしたら村との間に、そうした狼男は裏切りものとして、保護される、宗教じみた言い伝えがあるのかもしれない、そう思っていた。しかし、別の意味があった。それは老人もしってい。
 老人も狼男も、迷信は信じなかったが、この山で、唯一狼男と仲良くなった老人は、彼に同情し一つの迷信だけをおしえた。老人と出会う直前に、老人と同じく、牢屋の狼男、彼もまた、そのとき老人と同じような、人間社会でいう村八分の如き目に合っていた。だからこそ老人はその意味を鑑みて、その言葉を何度も教えたのかもしれない、数年共に過ごし、まるで、狼男はその老人を家族のように思っていた。

「危なくなったら、遠吠えをするのだ」

 いつのまにか、安心したように、若い狼男は、いまだ血がとまらぬ傷口を手でふさぎながら眠りに入っていた。するとどこからか、人の話声、昔話を話して聞かせるような声がひびいてきた。

 遠吠えは群れの規則で、リーダーだけが許されているもの、牢屋のお前、牢屋の狼は村に属さなかった、人の社会にも属さなかったため知らなかったが、狼男たちと、その地方の古き村々の中ではある約束があった。それは群れの長や、村では身分の高いものしかしらないお話だった。
 
 このあたりで起きた出来事だが、大昔の事だった。大昔のソンナ村は信仰と呪術を大事にしていた。それは神と人間が近かったころ、あまりに雨がふらず大干ばつで、あまりにも空腹をしった村人たちが、飢えに飢えて獲物をまち、獣という獣を狩りつくしたすえに、はじめて狼男に手を出した、狼男は、人間の手にかかりひん死となっていて、ただ願いがあるという、人間たちはかつて狼や狼男を信仰の対象としてみていた、だからこそ、その行いは正気をうしなっていたとあとで身をもって知らされるが。しかし現実に村人たちは、大罪をおかしたわけで、そのとき、おびえながらも狼に手かけ、狼と許しをこい、死を待つ狼男から教わったことであり、ソンナ村とかわした約束事のひとつだった。具体的なあらましを話す。

 大昔のある晴れた日のこと、昔から信仰のあった狼男に、初めて人間が手を出した。そのころこのあたりでは、狼ですら神聖なものとしてあつかわれていた。しかし、近しいが、別種である狼人間に手を出した、その初めての狼人間が、男だった。男というが、狼女もいるにはいるのだ、ただ、数が少ないのだ。その日も偶然、男だった。
 その村の猟師が拳銃をてにして、狼男をてにかけた。村の丁度入口あたりでバアンという音がすると、わらわらと人がよってきた。はらをすかせ、肋骨がむきだし、骨と皮だけの手をぶらさげた、栄養のたりない農夫たちが、なんだなんだとよってきた。なかには虫にまとわりつかれて、死を待つ者もいた。彼等の頭の中は、空腹という概念のほか何もなかった。彼等は口々に空腹を満たす方法について語り合った。
「なんだ、なんだ、ついに」
「ついにやったか」
「なんでもいい、たべよう!!」
 のろのろと、一番遅れて授受しが顔をだした。呪術師は、やせ細りながらも、村で唯一、回りのものよりもましな体形をしていた。まだ、やせているものの栄養はとれている、それもそのはず、信仰深いソンナ村の因習によって、呪術師が何よりも信仰される、雨ごいの儀式が何の役にもたたなくとも、彼や彼等はそれをかかすことを恐れ、けっして呪術師を敵にはまわさなかった。そんな中、知ってか知らずか、狼は呪術師によびかけた。
「お前たちは、俺たちを神の使いのようにまつっていたのに」
 呪術師もひるまなかった。呪術師は、呪術師で、空腹をもっていた。
「そうだ、手を出すまではそうだった、だがいまさら、何のいいわけができようか、ならばこの事態はなかったことにする、呪術に委ねるのならばそれだけが答えだ」
 呪術師も頭を病んでいた、占いもせず、狼にそう叫んだ。狼は狼、狼男も、信仰の対象だった。いままさに猟師の猟銃に手を掛けられ、ひん死となったけものが、口の端をぜえぜえと息を殺し、吐きながら、ときに内蔵わきあがる、食道を通る血を口からはきだし、身もだえしながら、のたうちまわり。地面にころがりっているものが、まさか信仰の対象とはいえまい。
 狼はぜえぜえといいながら、ときたま恨めしそうに人々をにらみ、充血する目をみせた。しかし次第に自分の息が細くなっていくのを感じると、まずこういった。
 『俺はほこりが高い、逃げられるだけ逃げるだろう、這ってでもにげる』
 実際、彼ははいずった、しかし、それはほんの少しの距離でしかなかった、徒歩ならばほとんど時間を必要としない距離だった。
 『俺はもうだめだ、どうしても俺をくうなら、俺を神のように、神の化身のようにあがめるのならば、ひとつ頼みがある、聞いてくれ、それによってお前たちとお前たちの信仰を許そう』
 そして続けて、狼男のまわりをかこう村人たちにいった。それはちょうど、呪術師の住む家屋、神仏の礼拝所の石段のそばのことだった。村人たちは、恐れと空腹で涙を流しながら、狼男をかこって、じっとにらめつけていた。あるものはたちつくし、あるものはすわり、あるものはその身をひきずっていた。

「いいかよくきけ、いいか、俺たちも時に人を襲って喰うときがある、お前たちにも、飢饉はある、だから、今回の事は仕方がなかったかもしれぬ
、だから今の様に、もしものとき、今回のようなものは仕方がない、狼男を生け捕りにしてもいいだろう、だがここからが頼みなのだ。狼にはいくつか群れがある、その群れすべてとは言わぬ、だが狼の頂点に立つ長とその夫婦だけは生かしておかなくてはいけない、そうでなければ、狼男はいなくなってしまうのだ」

 狼男が目を覚ますと、洞窟のような地下牢の中に自分が寝そべっていた。檻のすぐ目の前で、地べたに腰をかけた、神父風の男がすわっていた、彼は十字架をむねにさげ、その十字架をいじくりまわして、何事か呪文のようなものをつぶやいていた、右手には四角の鞄をもっていて、それもまた大事そうに、縦にたてていた。そのすぐ隣に二人の男、守衛と思われる鎧をかけた人間がたちつくしていた、手前のものは槍をもっている。狼男は一瞬驚いて言葉をうしなった。
 「……お前はだれだ、お前がいま、話しをしていたのか?お前の目的は何だ?」
 「お前をここから逃がすことさ、そうだ、もう一度、いや、あと二度なら話してやろう、のみこめたなら、“私とここをでよう”いいかい?」
 その話をすると、異国からきたという、奇妙な服装の男は、村人に大量の金の延べ棒をだしだした、それは鞄のようなものにはいっていた、みたこともない真四角の鞄だった。
 「そういうわけで、この秘密がばれるとあぶない、君たち村人は、規則をやぶったことになり狼男、狼人間に殺される危険がある、君、君は、狼男に殺されるかもしれない、だから、取引をしようじゃないか」

 こうして狼男は、もう一人、その神父風の男がほかの国で捕まえたという、生残りの対の狼女とともに、どこか別の国へとたびだっていったという。この話、この昔話、これが狼男の伝説が世の中に広まるきっかけとなった話だ。

狼男の伝説。

狼男の伝説。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-11-17

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted