『メメント・モリ』 ‐memeNto mori, carpe diem‐

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  『メメント・モリ』
 -memeNto mori, carpe diem-

 この物語を
 私の敬愛する恩師であり、盟友である
 ダルト・スリオルトに捧ぐ


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 この本の出版に至るまで、実に三十年という長い月日を過ごして来た。この日を迎えるための準備に、私は人生の半分近くを費やした事になる。
 物語を私に託し、我々の前から去って行ったあの人は、今何処に居るのだろうか。こうしてこの瞬間を迎えられた喜びを一番に彼に伝えたい。
 そして読者諸君がこの物語、かつての日々を心に刻み、未来へ向かって力強く歩んでくれる事に、前もって感謝の意を示す。

―― 先生の右腕 ヒューレッド・ミデルフォーネ

参考資料

「“メメント・モリ”に関する覚書」

俗称・表記・色彩・番号等に関する主な情報
以下、重要機密事項に付き、複製を禁ず

□ NaNa
 ナナ(七) 紺藍こんあい 0230

□ ITsuKa
 イツカ(何時か) 金茶きんちゃ 0302
□ URuU
 ウルウ(閏) 千歳緑ちとせみどり 0615
□ YoRu
 ヨル(夜) 古代紫こだいむらさき 1231
□ SaKu
 サク(朔) 黄支子色きくちなしいろ 0429
□ ORi
 オリ(折) 渋紙色しぶかみいろ 0808
□ KaGeN
 カゲン(下弦) 牡丹色ぼたんいろ 1111
□ ASu
 アス(明日) 白磁はくじ 0207

第0章

  Ⅰ NaNa 「僕」の話
  Ⅱ ITsuKa 「イツカ」の話
  Ⅲ URuU 「俺」の話
  Ⅳ YoRu 「自分」の話
  Ⅴ SaKu 「オレ」の話
  Ⅵ ORi 「ボク」の話
  Ⅶ KaGeN 「あたし」の話
  Ⅷ ASu 「私」の話

Ⅰ NaNa 「僕」の話

 僕は、ものすごく空虚な気分だった。
 その子どもたちもまた、僕とどこか似ていて、そしてどこか違っていた。

 物心付く頃には、僕達の国は戦争をしていた。
 開戦の理由が何だったのかも、何時から始まったのかも知らない。
 裕福だった僕の家ではとりあえず、食べ物に困ることも、身近な人が死ぬ事もなかった。軍人だった父も、軍学校に入校した歳の離れた兄も、いつも変わらず健康そうな笑顔を見せていた。だから、幼い僕にとって戦争はどこか遠くの、他人事だった。
 それでも街の雰囲気はだんだんと変わっていった。偵察用の飛行機のエンジン音が聞こえる度、畑に出ている大人たちは冷めた視線を空へ送った。食料品店の棚に品物の並ばない日が増えた。皆の顔つきは確実に暗くなっていった。

 あれは僕が学校へ上がって少し経った頃だったと思う。僕がこの目で最初に“戦争”を見たのは。
 兄が軍学校の寄宿舎から、家へ荷物を取りに戻っていた夜だった。
 僕はその時何をしていたのか忘れてしまったが、ランプを片手に真っ暗な庭へ出ていた。そこへ、頭上から兄の声が降ってきた。落ち着いてはいたが緊迫感のある声音で、僕の名を呼んでいた。
 僕は兄の声に導かれるように顔を上げて、急いで屋敷に戻り、階段を駆け上がった。
 屋敷は小高い丘の上に建っていた。その三階バルコニーからの景色を遮るものは何もなく、遠くまでがずっと見渡せた。僕は兄の隣に立って、バルコニーの手すりから身を乗り出すようにして、兄の人差し指が示す先を見つめた。
 遠い遠い彼方の空が真っ赤に染まっていた。あそこに何があるの? と僕は尋ねたのだと思う。兄は静かに、あそこには戦争があるんだよ、と言った。
 その時僕は、“戦争”とは存在するものなのだと、実態のあるものだと漠然と感じた。そして未だ苦しみを知らない幼い僕は、燃え上がる空を夜間に灯る祭り火のようだと、内心楽しみながら眺め続けた。

 その内、学校が無期限休校になった。
 僕は勉強が嫌いだった。何のために勉強するのか、学業で良い成績を収め優秀な人間となって、その先に何があるのか。そんなありきたりでつまらないことばかり考えていた。
 それなのにいざその学び場を失ってみると、無性に知識欲が湧いた。母は街は危ないからと僕の外出を禁じた。ぽっかりと空いた時間と心を埋めるように、僕は本を読み漁る様になった。幸い、代々父の家系は書籍の収集が趣味で、書斎には壁を埋め尽くすほどの本棚があり、地下の倉庫にもさらに書物が積み上げられた一画があった。
 来る日も来る日も本にかじりついた。冒険譚の主人公をまねて、こっそり庭の木に登ったり、木の枝を削って作った特製の剣で、静かに透明の敵をやっつけて回った。また時には地下室に内側から鍵を掛け、いかにして鍵を掛けた状態で外へ出るかを研究したりもした。
 独り遊びに没頭する僕は母にとって、手のかからない良い子だったのだろう。兄はもうその頃には屋敷を訪れる事も、手紙をよこす事さえなかった。お手伝いさんも次々と暇を願い出て故郷へと帰って行き、僕はほとんど誰とも会話することなく毎日を過ごした。それを良しとしたのか、慌ただしさでそれどころではなかったのか、時折廊下ですれ違う父も僕には何も言わなかった。

 僕の世界は、活字がもたらした知識ばかりになった。そしていつしか知識は、僕に容量を超えた想像力と途方も無い絶望感を与えた。
 そう、僕は気が付いてしまったのだ。この戦争で、僕が生き延びる可能性は無いに等しいということに。

Ⅱ ITsuKa 「イツカ」の話

 イツカも、食べ物を探していた。
 おまえは、何、探してた?

“テキ”という人を動かなくする。そうしたら、食べ物がもらえた。
 だから、イツカはいつも黒いかばんを持って行く。
 大きい時計が鳴る。ごーんごーん。ドンと大きな音がして、煙が出る。もくもくする。かばんはばらばらになる。だから、もうかばんは見つからない。“テキ”も壊れてばらばらになる。だから、もう“テキ”は見つからない。
 イツカはうれしくなる。心がどきどきする。
 かばんをくれた人の家に、もう一度行く。イツカは笑顔で手を出す。二つ手を出す。食べ物をいっぱい欲しいから。
“エライヒト”はいつもびっくりする。“エライヒト”は四角い箱と話す。目が大きくなる。それから、バサバサした大きなパンをくれる。白い水と黒い水もくれる。
 黒い水は飲むと喉が熱くなった。カーって。頭がぐわんぐわんした。イツカは黒い水が好きだった。父さんの匂いだった。
 
 寝て起きると朝が来る。また来る。
 朝は嫌いだ。食べ物が欲しくなる。お腹から、ぐーぐー音がする。また黒いかばんをくれる人の家に行く。イツカの真ん中あたりに穴が空いている気がする。ぐーぐー音がする。
 それがイツカの毎日だった。毎日おんなじだった。
 イツカは考えた、どうしておんなじなのか。でも、何でおんなじ次の日がやってくるのか分からなかった。いつまでおんなじなのかも考えた。でも、イツカには何にも分からなかった。

Ⅲ URuU 「俺」の話

 そいつは、大分やつれた様子だった。
 俺は、その傍らで静かに時を待った。

 隣国が開戦した日、父と兄は二人して机の上に広げた新聞記事をじっと眺めてから、仕事に戻った。俺は父から貰った懐中時計の歯車を両手に一枚ずつ持って、ドアの隙間から覗いていた。その二人の後ろ姿が何時もと違って見えて、嫌な予感がしたのを覚えている。
 俺の父は時計技師で、七つ年上の兄は父の右腕だった。
 作業場から細く聞こえてくる、金属を削る音が好きだった。俺も良く真似をして、要らなくなった工具の先を磨いたものだ。ぴかぴかになった工具を見せに行くと、兄はいつも大きな手で俺の肩を優しく叩いてくれ、奥で父が力強く頷いてくれた。
 二人の背中を見て育った。俺も兄と共に作業場を継いで、時計技師になるものと信じて疑わなかった。
 俺が十になる前に母は亡くなり、男所帯だった。だが、自身の組み上げる時計のようにきっちりした性格の父は、きっちりと母親の役割まで果たしてくれた。父の作る野菜スープは、母がかつて作ってくれたそれよりも、俺の好みの味だった。俺はそうして、不自由なく大きくなった。

 何とはなしに始めた格闘術は、母が亡くなった後も続けていた。周りの子供たちが厳しさに根を上げた時、忍耐強い俺を母は褒めてくれた。その喜ぶ顔がずっと脳裏から離れなかったからだ。
 母は何故、俺をあんな笑顔で褒めたのだろう。
 その格闘術は隣国が軍事訓練用に考案したものだと知ったのは、祖国が隣国の侵攻を受けた三日後のことだった。俺の師匠は隣国から送られたスパイとして当局に連行されて行った。そしてそのさらに三日後、買い出しを終えて家に帰ると、父と兄の姿が忽然と消えていた。
 そうして俺は、何時の間にか戦争の渦中にいたのだ。

Ⅳ YoRu 「自分」の話

 自分は、死んでもいいと思いながら生きてきた。
 あいつは、死ぬなと言いながら笑っていた。

 農家の収入は天候に左右されすぎる。
 だからいつまで経っても、自分はやせっぽっちだった。伸びない背も、あばら骨の突き出た胸も大嫌いだ。キャベツ畑なんてくそったれ、そう思っていた。
 一家の希望は、それはそれは優秀な兄だった。兄だけが学校へ行かせてもらっていて、勉強ができた。できた、のだと思う。学の無い母親がそう自慢していた。
 妹と自分は家を継げないから、ただの小さな耕作人兼小間使いだった。
 毎日、日が上る前に畑へ出た。泥だらけの手で干し芋の欠片とキャベツをかじって、日が傾くまで働いた。
 家に入るとたいてい、学校帰りの兄が母親に自慢話をしていた。自分は大きな音を立てながら桶の担ぎ棒を出してきて、井戸水を汲みに行った。道すがら、くそったれと悪態を吐くのが日常だった。妹がたまに付いてきて、汚い言葉はダメだよと言った。自分はそれに笑って、くそったれと返した。
 そんな兄は呆気なく死んだ。戦争なんて関係ない、ただの事故だった。
 自分は兄の代わりになった。
 昼間は学校へ行かされた。勉強なんてしたことがなかったから、何を聞いても分からなかった。
 死んだ兄と違って、自分は走って帰るとキャベツ畑に借り出された。褒められもしなかった。ちっぽけな妹はさらにぼろぼろになった。学校の奴らから憂さ晴らしついでにまき上げた金で、何度か妹にキャンディーを買った。

 その内戦争が起こって、父親、母親、妹の順で殺した。
 燃えるキャベツ畑に向かって、自分はくそったれと唾を吐いて笑った。笑いながら、泣いた。

Ⅴ SaKu 「オレ」の話

 オレは、本当のところ誰のことも信じていなかった。
 彼は、本当のところ皆に身を委ねている節がある。
 
 天涯孤独の一匹オオカミ、それがオレだ。
 ただ愛の女神に微笑まれてしまったから。その結果がこの類まれなる美貌だ。よって、夜な夜な女性陣からの熱い求愛が絶えず、男性陣からの醜い嫉妬が痛い。そう、自らを鼓舞して生きてきた。
 両親の顔は覚えていない。
 物心つく頃には、孤児院とは名ばかりの檻の中にいて、厳しい訓練を受けてきた。軍事訓練などではない、商品価値を高める訓練だ。
 富裕層の道楽で貸し出される夜に、教養のある話し方で客人をもてなすように。兵士の慰みものになる際に、簡単に一晩で壊れてしまわないように。
 スリリングな寸劇の舞台上、燃える短剣をすんでの所でかわした次の朝には、薄氷の張る湖に沈んだ貴族の指輪をふるえながら探し回り、煙突掃除で真っ黒にすすけた次の昼には、肌の透ける踊り子の衣装で絵画のモデルになった。
 
 戦争が突然起こったと街の連中は騒いでいたが、オレは以前からこうなることにうすうす気が付いていた。
 街は混乱し、暴徒が押し寄せて檻の扉はあっさりと壊れた。
 子どもたちは皆、外の世界へ一心不乱に飛び出した。オレは独り、檻の隅に何十人分の敷布を集めて、柔らかな寝床を味わった。
 次の日の朝、見知らぬ大人たちがやって来て、オレを連れ出すと言った。オレは抵抗する気などなかったし、行くあてもなかった。だからただ付いて行った。
 俺の行く先は地獄だろうとは思っていたが、それが天国の隣にあるとは露にも思っていなかった。

Ⅵ ORi 「ボク」の話

 ボクは、上手にできたでしょうか。
 キミは、やはり見抜いていましたか。

 二度目の世界大戦が起きたのは、必然でした。
 そのために、多くの大人たちが準備をしていました。そして多くの子どもたちが、本人たちの思いもよらぬうちに道具となりました。
 子どもは必ず大人になります。道具だった子どもたちもやがて準備を始めて、新しい道具を増やしていきます。
 境目は一体どこにありますか。ボクは今、大人ですか、まだ子どもですか。
 月日は平等に国々の上に降り注いで、歴史は確実に新たなページを刻んで行くのです。
 ボクは弱い人間でした。
 弱い人間に、世界は決して優しくない、ボクはその事実と嫌という程向き合って来ました。
 どこからどこまでが真実で、何から何までが虚構なのか、ボクは忘れてしまいました。でも、失くしてしまったのではないと、信じています。忘れただけ、だからきっといつか、思い出せる日が来るのだと。

Ⅶ KaGeN 「あたし」の話

 あたしは、あの日復讐を誓った。
 あのコは、きっと気付いてる。
 
 街の大人たちは、皆工場で働いていた。
 両親も工場労働者だった。お父さんは毎晩油まみれで、腕に引きつったような新しい火傷の跡を増やして、あたしたちが眠った後に帰って来ていた。お母さんはできそこないと偽ってこっそりくすねた食材の缶詰を、日々あたしたちのために何個か持ち帰った。
 お姉ちゃんはあたしに、うんと甘かった。
 お母さんが持ち帰った缶詰の中で、好きなものをいつも先に選ばせてくれた。
 わがままなあたしは、お姉ちゃんの好物だって知りながら、ビスケットの缶詰に手を伸ばす。
 だって、わざとコーンビーフの缶を取っても、お姉ちゃんにはどうせお見通しだから。「本当はこっちが欲しいんでしょ」って言って、お姉ちゃんはビスケットの缶をあたしに渡すんだ。
 かけっこで勝つのはいつもあたしだった。
 よーいどんで、お姉ちゃんは軽々と飛び出す。その後ろ姿を見て、あたしは半べそをかいて走るのを諦めようとする。勝てないと分かってもがんばり続ける力が、あたしには足りない。でも、お姉ちゃんはだんだんと失速する。あたしはぎゅっと目をつぶってもうちょっとだけ走る。何時の間にかゴールの線を過ぎている。駆け抜けながら、後ろからお姉ちゃんの声が、「すごいね、速いね」って褒めてくれるんだ。
 あたしたちは双子だから、好きなものもしたいことも一緒だ。だから分かる。でも分からない。一緒だけど違う。
 お姉ちゃんはあたしより、うんとうんとすごい人だった。
 
 戦争は、お姉ちゃんとあたしを平等に扱ってはくれなかった。きっとまたお姉ちゃんが、最期の最期で、あたしに何か大切なものを譲ってくれたんだ。
 あたしの自慢のお姉ちゃんだけが、十四で歳を取らなくなった。

Ⅷ ASu 「私」の話

 彼は、一人。
 私は、独り。

 ずっと普通だった。
 朝、目を覚ますと、朝ごはんができてて、お母さんが召し上がれと言ってくれて。
 学校へ行く途中、犬がほえてて、友達がおはようって駆けてきて。
 授業中、ぼんやり、窓の外を見ていたら、先生が聞いていましたかって怒って。
 帰り道、子猫を見つけて、追いかけたら、見知らぬおじさんが元気だなって笑って。
 夕ごはん、嫌いな野菜をフォークでよけたら、お父さんが美味しそうだって食べてくれて。
 夜、明りを消すと、暗闇が怖くて、おばあちゃんがとっておきよっておとぎ話をしてくれて。
 私がまだ、普通の子だったころのお話。

第1章

  第一話

途中

「え? 今の良く聞こえなかった」
 喧騒の中をもがきながら進む。道の左右には小汚い露店が所狭しと出店している。あちらこちらで値切り交渉か、物騒なケンカか、怒声がひしめき合っていた。
「だから、あれだ! オレたちの英雄譚を書くのだよ」
 人込みをかき分けながら、僕の後ろを進むサクが大声でそう言った。彼のどことなく優雅で澄んだ声は、どうにも裏通りの闇市には似つかわしくなく思える。道行く大人たちの視線が刺すように注がれるが、それも直ぐに流れのように人並みに溶け込んで分からなくなった。
「誰が?」
 頭をほんの少しだけ傾け、僕は後ろへ怒鳴り返した。ここで完全に後ろを振り返ると、人混みに飲まれてそのまま首の骨を折られてしまいそうだった。
「そんなの決まっているさ。ナナ、お前がだ」
「え」
 呆れと混乱で続ける言葉を失った。
「皆で話し合ったのだ!」
「ちょ、ちょっと待って!」
 なおもそのまま話し続けようとするサクの言葉を遮る。僕が英雄譚を書く? 一体どこから出て来たんだ、その発想は。
 僕らは立ち並ぶ露店を通り過ぎ、人気のない薄暗い路地へ入った。停滞した空間に酷い臭いが立ち込めている。死臭だ。狭い路地のあちこちに、石壁を背に動けなくなっている人間がごろごろいる。恐らく既に死んでいるか、まだ息があったとして時間の問題だろう。
 ひょいひょいと障害物を飛び越え、裏通りに出る。空気の淀んだ石畳みの道に人の影は見当たらなかった。
「それでだな、一週間の内に」
「ちょっと、ちょっと、一旦待ってってば」
 もう再開してもいいだろうとばかりに始めたサクの話を再度遮り、僕は尋ねた。
「その英雄譚? ってのはそもそも何? 誰の発案?」
「うむ。俺達のこれから成し遂げる偉業を後世へ残すための物語をだな、順を追ってまとめるのだ。最初に言い出したのは……」
 額に手を当て少し考え込むような素振りをした後、サクは言う。
「イツカだな」
「イツカ?」
「ああ、カゲンが中世騎士もののお伽話を教えたらしくてな。それで物語の主人公になると言い出した、それがきっかけだ」
「えー、また余計な事を。というか、それで何で書くのが僕なの」
「ナナが一番学があると、皆からの推薦だ」
「皆って、僕の意見入ってないじゃん」
「ではナナ以外の皆からの推薦だ」
「……仲間外れとか」
「まあ、許せ。書いてくれるだろう? 作戦決行まであと1カ月だ。その間に皆で、ナナ、お前さんに出会うまでの物語を聞かせる事になった」
「え?」
「八人分だ。皆子どもだとは言え、それなりに修羅場を潜りぬけてきているだろう。効率良く聞いて行かないと全員分終わらんから覚悟しておきたまえよ」
「あー」
 全体像がつかめて来た。
「引き金を引いたのは僕か」

 つい今朝のことだ。
「今日の予定だけど、昨日完成したこれを持って、ノモモギの闇市に行こうと思う」
 崩れかけた馬小屋の干し草の上に足を投げ出し、思い思いの格好で聞いていた七人が、一斉にこちらに視線を向ける。僕は手にした例の皮袋を掲げて見せた。
「まあ、まだこれを無理に使う必要はないし、場所と相場、ルートの確認を優先で。あと、例の運び込みの方も。特に騒ぎを起こす必要はないから」
 誰もその提案に賛成も反対も唱えなず、じっと聞き耳を立てている。続く本題を待っているのかもしれない。僕は観念して早々に本題に入った。
「で、ここからが本題だけど。そんなに聞きたいの?」
 誰かの息を呑む音が聞こえた気がした。
「では、皆さん、一仕事の前に、僕から皆に言っておきたいことがあります。聞いてくれますか」
「聞く! 聞く! いっちばんすごく聞く!」
 ずっとうずうずしていたイツカは待ってましたとばかりに、はしゃいだ声を上げた。
「ありがと、イツカ」
 
「まあ、お前の話を聞かないようなヤツは、この場にはいないだろう。最も聞かないヤツが話し手だから尚更な」
 ウルウはじっとこちらを見つめたまま、にやりと笑った。僕はウルウに向かって肩をすくめて見せてから、顔を反らせて言った。
「さて、可笑しなヤツは放っておくとして」
「ほっとく! ほっとく!」
 再度イツカが大声を出して飛び上がる。イツカの服の裾を引きながら、隣のオリが人差し指を立て唇に当てた。
「ちょっと、イツカさん、静かに聞きましょう。しーっです」
 イツカはオリの制止を無視し、ゲラゲラと笑い声を上げながら、僕の背中に抱き付いた。

第2章

  第一話 NaNa
  第ニ話 NaNa
  第三話 NaNa
  第四話 NaNa
  第五話 ◆◆◆
  第六話 URuU

第一話 NaNa

「こっちだ、荷物はこっちに降ろせ!」
「ええ、それはそれは。ようこそいらっしゃいました。その件はもう――」
「――だ! 並ばせろ! 早く数えるんだ!」
「大変でしたねぇ、それで今回の――」
「怪我人は! 怪我人は居るか!」

 荒れ地に、満月が浮かんでいた。
 馬のいななきと人々の怒声に混じって、子どもたちのすすり泣きがまだ聞こえる。
 群衆の巻き上げる土埃が、青白い月明かりに浮かび上がり、煙のように視界を悪くしていた。勿論、頭上の月を眺める余裕のある大人は、ここにはいない。皆、早く仕事を切り上げようと必死なのだ。
 僕は夜空を見上げていた。
 ぼんやりと浮かぶ月は、下界のことなど知らぬ顔だ。それが僕を安心させた。
 そう、ここでは悲劇の身の上など、吐いて捨てるほどある。取り立てて注目することではない。道端の石ころに、心を動かす必要はないんだ。

 荷馬車から次々に降ろされる子どもたちは、大抵が泣き腫らして真っ赤な目をしていた。大人たちに促され、荒れ地の端に向かって皆、一様に歩いている。その先には、申し訳程度に建てられた小屋のようなものが幾つもあった。
 僕の乗った、正確に言えば乗せられた荷台が出発したのは、昨日の昼間だった。
 一日半の道のりを揺られ続けて来た。僕はずっと、荷台を覆う布の染みの形を眺めていた。心を身体の感覚と切り離していないと、耳をつんざく様な騒音に頭をやられてしまいそうだった。
 森の奥の荒れ地に降ろされるまで、そうしてわめき続けた子どもたちは、きっと声を枯らしてしまったのだろう。今は静かなものだった。おかげで、近くにいた御者の男たちの会話の内容が、喧騒の中でも少し、僕の耳に届いた。
「――の車の到着が遅れているから――」
「それは、十五歳辺りで区切って――」
「――な怪我人はここで捨ててからだな。日の出前に――」
 物騒な話だ。どうやらこの先に進める者と、進めない者がいるようだった。
 疲れ果てているとはいえ、僕のように耳を澄ませている者がいるかもしれないのに、と心の中でため息を吐いた。話を聞かれて、騒動を起こされたら厄介だろうに。
 しかしすぐに考え直した。ここがどこかも分からず、行くあても帰る場所もない子どもたちが、騒動を起こして一体何になるというんだろう。そう、ここまで運ばれてきたのは皆、戦争孤児なのだ。
 僕はそれ以上、大人たちの言葉から情報を拾う努力を辞めた。
「この戦争を、僕が生き抜く可能性は……無い」
 そっと両耳を手のひらで覆い、霞む満月を見ながら、僕は蟻の行列の中の一匹ように前進した。

「お前、随分死にそうな顔をしているが、大丈夫か」
 急に横からわき腹を小突かれて、僕は思わず耳をふさいでいた手を離した。
「え?」
 隣には、僕より幾分背が高く、肩幅のがっしりした感じの少年がいた。 
「お前、死にそうな顔をしている。何故だ?」
 首を傾げる少年の顔を斜めに見上げながら、僕も首を傾ける。
「え、どうして?」
 少年の質問の意図が分からず、僕はとりあえず口を突いて出たままの言葉で尋ね返した。
「質問に質問で返すのか? お前」
 低い声で少年はそう言った。声変わりしているんだな、と、僕はぼんやり思った。少年のまとう雰囲気は苛立っているようではないが、かなり威圧的に聞こえる声音だ。
「えっと、ちょっと話が見えないんだけど」
 対して僕の声はか細く、まるで覇気がない。もしかすると、この視界の悪さで、女の子と間違えられていても可笑しくない。
「だって、ここには死にそうな顔をしている子どもなんて何十人といる。その中で、どうして僕にそんなことを聞くの?」
 直ぐに、どすの利いた声で少年からの回答があった。
「他のやつらは、泣き疲れて死にそうな顔をしている。でもお前は、すまし顔のくせに死にそうな顔をしている。気に食わない」
「君、僕にけんかを売ってるの?」
 一体、こいつは何だというんだ。
「けんかを売っているつもりはない」
「ああ、そう」
 本当に何を考えているのか良く分からないヤツだと思った。まともに取り合うのが面倒になり、僕は気の無い返事をした。
「お前、名前は?」
 それでも彼は、一向にひるむ様子がない。
「さあ。名乗るほどのものじゃないよ」
「今度は謙遜か? まあいい、先に俺から名乗ろう、俺の」
「待って、名前は聞きたくない」
 我ながら随分と棘のある声が出た。
「何故だ」
「どうせ、ここにいる子どもはみんな死ぬ。死ぬ人間の名前を覚えたところで無意味でしょ」
「お前は俺たちが助からないと思っているんだな」
 いつの間にか僕たちは、敷地の端の小屋のすぐ近くに誘導されていた。連なった子どもたちの前方で、大人の太い声が聞こえる。
「まあいいだろう。お前がそう言うなら名乗らない。だが、それじゃあ、お前は俺を何と呼ぶつもりだ」
「え、呼ばないよ」
「話すとき何かと不便だろう」
「なら、もう話さなきゃいい」
「それは困る。俺はお前に興味がある」
「何だよ、それ。気に食わないんじゃなかったの?」
 彼は反論しなかった。黙って僕の反応をうかがっているようだった。
「じゃあ、仕方ない。君のことは少年Bと――」
 僕の宣言は、大人たちの手の動きにかき消された。
 背中を屈強な軍服の男二人に押される。僕はよろめきながら、数人の子どもが座り込んでいるグループに加えられた。どうやら一人ずつ何かを選定して、仕分けをしているらしい。
 これで奇妙な少年から解放されると内心喜んだのもつかの間、少年Bは僕の隣に再び立っていた。
「どうやら腐れ縁の様だな」
「腐るほど縁を結んだつもりはないけどね」
「それで、さっきの名前。構わないが、何故Bなんだ?」
「ああ、聞こえてたんだね」
 耳が良いんだなと、またどうでも良いはずの彼について分析してしまう。
「僕の物語の中で、最初に出てくる少年は僕だから。君は二番目」
 僕は適当な理由を口にした。どこにも納得する要素のない言葉に、少年Bは満足げに頷く。
「じゃあ、お前のことは少年Aでいいな?」
「好きにしてよ」
 呼ばれて返事をするかは別だけど、と続けようとして止めておいた。また、何故だと言われると面倒だ。
 こうして僕は、その不思議な人物少年Bのせいで、少年Aという珍妙な名を得た。

第二話 NaNa

 僕らのグループは合計十五人の小規模なものだった。どこもケガをしている様子はない、いたって普通の子どもたちの集まりだ。
 少年Bは他の者をぐるりと見まわしたが、話しかける訳でもなく静かにしていた。
 どうやら本当に、この中で唯一泣いていない僕にだけ、嫌味な言葉を浴びせる気らしい。少年Bもまた、よく見るとまぶたを腫らしていた。
「お前たちは一番東の棟だ! 建物の前に一列に並べ!」
 黒々とした軍服の男が叫ぶように言った。
 その声に反応するように、薄汚れた労働者風の男たちがどこからかやって来た。彼らは座りこんでいた数人の子どもたちの腕を引っ張り、無理に立ち上がらせた。膝を抱えていた両の腕が急に行き場を失い、不安感が増したのだろう。子どもたちは視線をさまよわせ、おろおろとした。
 追い立てられるように僕らは全員、小屋の扉の前で一列に並ばされた。何が始まるのかと思いきや、一人一人パンのかけらを渡される。細長く焼いたパンを乱雑にちぎったのか、大きさがまちまちだった。最後に、一番端に立っていた女の子が木製の桶を強引に押し付けられた。
「井戸は裏の林の入り口にある。水が飲みたいやつは汲みに行け」
 軍服の男は手元の紙に何か書き込みをしながら、僕たちを一通り眺めた。指示を出すのかと思ったが、彼はそのまま男たちを引き連れて荷馬車の方へ去って行った。何の説明もなしかと僕は心の中で舌を出した。

「何の説明もないのだな、無神経な大人だ」
 男たちの後ろ姿が荷馬車の周りの集団に消えてから、少年Bがそう言った。同じことを考えていたらしいが、彼は僕より口が悪い。桶を持った女の子が列から頭を出し、おどおどと少年Bを見上げた。
「おい、何か言え、少年A」
「え、今の、僕に話してたの?」
「この状況で、まともに口が聞けるのはお前くらいのものだろう」
「ああそう。褒め言葉として受け取っておくよ」
 確かに少年Bの言うとおりだった。右も左も分からずおびえた様子の十数人の子どもたちは、のんきにおしゃべりをしそうには見えない。
「さて、どうしたもんかな」
「とりあえず、少年B、水を汲んで来てくれ」
 僕はぶっきらぼうに隣に声を掛けた。
「何故だ」
 案の定、彼の口から疑問符が飛び出す。どうやら「何故だ」は彼の口癖のようだ。
「この中でまともに動けそうなのは、君と僕とそっちの二人だけ。その中で、一番体格が良くて力がありそうなのは君だ」
 単に仕事を押し付けてやろうという意地悪だった。嫌だと言われるのが落ちだが、それを上手く言いくるめてやりたい。そんな考えを巡らせている内に、先に少年Bが動いた。
「それを俺に貸してくれ」
 女の子から汲み桶を受け取り、少年Bはさっさと歩き出す。どうやら目の前の小屋と隣の小屋の間の、細い隙間を抜けて行くつもりらしい。
「え、どこに行くの?」
「何だ、井戸はこの裏なんだろう? 回って行くより、この間を通った方が早い」
「そうだけど、何で?」
「ん? 水を汲みに行くんだが」
「え?」
「さっきからお前の反応は何なんだ。少年A、お前が言ったんだろう、俺が水汲み係に適任だと」
「いや、まあ、そうだけど」
 余りにあっさりと少年Bが要求を飲んだために、僕は拍子抜けしてしまった。思えば彼の愛敬のない話し方も、飾らない素直さと言い換えてしまえば納得がいく。彼はある意味、真っ直ぐな性格なのだろう。
「そんなにすんなりと僕の意見を聞き入れるとは思わなかったから、ちょっと驚いた」
「お前の意見は正しいし、俺もそれが最善だと判断した。それだけだ」
 少年Bは何でもないことのようにそう言った。
「君って、案外良いヤツなのかも」
「案外とは心外だ。俺はいたって良いヤツだ」
「ああ、前言撤回。僕の勘違いだったみたい。本当に良いヤツは、自分のことを良いヤツとは言わないからね」
 一瞬お互いの瞳をじっと覗き込んだ後、僕たちはどちらからともなく笑い出した。少し、この少年Bに興味が湧いてきてしまった自分に気付き、笑いながら複雑な気分になる。
「おい、少年A。そろそろ俺に名前を教える気になったか?」
 目じりに浮かぶ涙を指先で器用にすくいながら、少年Bがそう言った。
「うーん、そうだな。もう少し様子を見させてもらうよ」
 お腹を抱えながら苦しげに返す僕の顔をまじまじと見つめ、彼はどことなく柔らかな表情になった。
「さっきより随分良い目になったな、少年A」
 ああ、予定がくるってしまう。どうせ終わる人生の最終部分に、思わぬ曲者が現れるとは。
 僕はとりあえず後数日は生き残れるよう、せいぜい頭を働かせてみることにした。

第三話 NaNa

 小屋の隙間は本来通り抜けるための場所ではないようだった。僕は一分と経たないうちに行き詰った。
「無理だな」
 進行方向から低いうなり声が聞こえる。
「塞がってるの? 前」
「ああ。身体で押してもびくともしない。何だ、見えないのか、少年A」
「君がウドの大木だからね」
 僕の嫌味を一向に気にする様子はなく、少年Bは上を見上げる素振りを見せた。
「この高さじゃ、登るのは苦しいな」
 どうやら荷物か何かが積んであり、通れなくなっているらしい。
 入り込んだ隙間自体、子どもが横向きに進めば、通れなくはないくらいの幅しかなかった。そこへ少年Bの後から、彼の背ならぬ彼の左腕を見ながら進む僕には、前方の様子はさっぱりだった。
「何があるんだ?」
「これは、袋、だな」
「袋?」
「ああ、大きな麻袋に何かを詰めてある。それがうず高く積まれていて通れない」
「麻袋……中身は分かる?」
「さあな、しっかり詰まっているとしか分からん」
「使えないな」
「これを何かに使う気だったのか?」
「違うよ、君が使えないヤツだって意味」
 少年Bから反論は無かった。
「引き返すか?」
「ここまで進んだ労力を、ただ無駄にするのは癪だ。ちょっと屈んで」
「何だ?」
「いいから屈んで」
 小屋の壁と少年Bのジャケットがこすれて、ざりざりと音を立てた。おかげで目線の高さの空間が開けたが、月明かりが全く差し込んで来ない暗がりは、思った以上に見通しが悪い。
「やっぱ見えないか、残念」
「何だ、俺が屈んだ意味はあるのか? 結構辛いぞ、この体勢は」
「じゃあ、君の頑張りを無駄にしないためにも、さらにちょっと頑張ってもらうしかないな」
 僕は体を斜めに傾け、右手で右足の靴のかかとを引っ張り靴を脱いだ。片足立ちをすれば普段ならよろめいてしまうところだが、今は壁に挟まれているおかげでその心配はない。そのまま少年Bの頭を越えて、僕は自分の右足を彼の右肩に掛けた。
「今度は俺を踏み台にするつもりか」
 彼は平坦な声音でそう言った。
「そう」
 僕は肯定する。
「とりあえず、麻袋の表面に手が届けばいいから」
 精いっぱい腕を伸ばし、麻袋だと彼が言う物体を撫でた。指先で表面に触れた感じは、確かにごわごわとして硬い麻布のようだ。
 もう少し何か手掛かりをと右足に体重を掛け、今度は手のひら全体で荷物の表面をぱんぱんと叩いてみる。ものすごく嫌な予感がした。
「どうだ? 何か分かったか?」
 下から声が聞こえて、僕は我に帰る。
「がらくた」
「ガラクタ?」
「中身が麦とか豆とかだったら拝借しようかと思ったけど、そんなものじゃないらしいね」
「外から触って分かるものなのか?」
「んー、同じ粒子のものが詰まってるって感じじゃないから。大きな何かを入れてたら、重みか衝撃かで中身が粉々に崩れたって触り心地」
 凸凹した部分に加え、袋を突き破って出て来そうにとがっている部分もある。
「おい、そろそろこの体勢、きついぞ」
 きついと口では言う割に、体格の良い少年Bは微動だにせず僕に踏まれている。
「僕も結構きつい、右手がつりそう」
「何だ、そう言う事は早く言え」
「え?」
 急に彼は僕の右太ももを下からすくい上げると、肩に担ぐようにして立ちあがった。
「ちょ、ちょっと、急に何?!」
「最初からこうすれば良かったんだ。この方が持ちやすいし、お互い楽だ」
 いつの間にやら僕は少年Bに不格好な肩車をされていた。
「靴、左、脱いでないんだけど」
 担ぎあげられた勢いに押され、彼の左肩にすってしまった左足には、まだ履いたままの泥だらけの靴が残っている。
「何だ、靴が邪魔なのか?」
 とんちんかんな少年Bの問いかけに、呆れて嫌味を返す。
「違うよ、さすがにこのぼろ靴を肩に乗せるのは、いくら相手が君だとはいえ気が引けるってこと」
「どうせ俺の上着もぼろきれだ、汚れたって構わない。それより、少年A、膝は大丈夫か?」
「え、膝?」
「いや、今、板壁にぶつけたような気がしてな」
「ううん、平気、ありがと」
 唐突な少年Bの気遣いに、思わず素直に応じてしまった。刹那、言いようのない恥ずかしさが込み上げて来て、僕は彼の頭をあやすように叩いて誤魔化す。
「何だよ、意外に優しいじゃん、少年B」
「ああ当然だ、俺は良いヤツだからな」
 暗がりで見えないのが残念だが、彼はきっと得意げな顔をしているに違いない。
「まだ言うか、それ」
 僕はまた声を上げて笑うはめになった。

第四話 NaNa

 少年Bの肩の上から、一通り積み上げてある麻袋を確認し、僕は一つの仮説を立てた。
「とりあえず、一旦戻った方がいいな」
 僕の腕の動きが止まったのを知って、少年Bが提案する。僕は同意した。
「だね、これ以上はどうしようもないし。あんまり長居してると、残してきた子どもたちの絶望顔がさらに酷くなる」
「……お前にはそう見えるんだな」
「何が?」
「いや」
 彼はそのまま来た道を引き返し、先ほどとは逆向きにゆっくり横歩きを始める。
「ねぇ、担いだままじゃなくてさ、降ろしてよ」
 彼の上から不満たっぷりに頼んだのだが、少年Bは僕の願いを聞き入れず、返事すらしなかった。
 仕方なく肩車をされたまま、僕は上空にいくらか見える星へ向かって腕を伸ばした。少年が二人で力を合わせたところで、その途方もなく先にある輝きに手が届くはずもないのに。

「外に出るとやっぱり明るいな」
 何か深刻に考え込んでいたのかと思ったが、杞憂だったようだ。小屋の隙間を出ると直ぐ、少年Bは僕を肩に乗せたまま、伸びをしながら呑気に言った。
 辺りに立ち込めていたはずの土埃は何時の間にか見当たらず、視界が開けている。大勢の子どもたちを運び込むのに使われた荷馬車は、一台も見当たらず、人の姿も見当たらない。
「妙だな」
 大人たちが大方退却することは予想していたが、それにしても見張りの者さえいないとは可笑しい。
「何が妙なんだ? 良い月じゃないか」
 素なのか、わざとなのか分からないが、少年Bは不思議なくらい落ち着いてぼけている。
「それ、本気で言ってるの? 月じゃないよ。というか、まず降ろしてくれ」
「ああ、そうだったな」
 彼が屈んだタイミングで、僕は左足一本で地面にぽんと着地した。
「で、僕の靴は?」
「ん? ああ、脱いだほうの靴か、俺は知らんぞ」
「えー、そこは気を利かせて持ってきてよ」
「お前を担いだ状態で、足元の靴を取れる訳がないだろう」
「だから降ろしてって言ったのに。使えないヤツ」
 本気でそんなことを思っていた訳ではないが、そう吐き捨てるように言ってやった。案の定、少年Bが僕の嫌味な台詞を気にする素振りは全くない。
「しょーがない、とりあえず僕は靴取って来る」
「片足で平気か? 何なら俺が取って来てやってもいいぞ。お前が本名を教えると言うならな」
「何それ。何でそんなに知りたがるかな。僕の名前なんて、どうでもいいでしょ」
「どうでもいいなら、教えても良いだろう」
「やだ」
 僕は舌を出して彼をあしらった。
 最初に出会った時名乗らなかったのは気まぐれで、何か特別な信念があった訳ではなかった。ただ何となく、どうせ死ぬのに慣れ合う必要はないと感じただけだ。今となっては名前を隠しておく理由はないのだけれど、そこまで知りたがられると、無性に秘密にしておきたくなる。
「あーあ、もうどうせ何もかも汚れてるんだもんね。今更気にするのは止めにして、普通に歩いて取って来る」
 僕は話を逸らして、浮かせていた靴下のままの右足を地面に付けた。
 鼻は大分馬鹿になっているが、服も靴も何もかもが臭うのはここにいる子どもたち全員に言えることだった。この状態で靴下の裏の土汚れを気にするなんて、思えば馬鹿馬鹿しい。
「それがいい」
 彼は無表情で肩をすくめて見せた。
「ねぇ、そう言えば君さ」
「何だ? 少年A」
「体格いいけど、鍛えてたの?」
「突然何だ、少年A」
「突然って、君にだけは言われたくないけど。いいから答えて」
「まあ、格闘術を習っていたからな。それなり身体は鍛えていたぞ、少年A」
 だんだんと僕は、真顔で冗談を言うのがこの少年Bの普通なのだと分かって来た。
「当てつけに屈する少年Aではないかな。で、足は速い? 少年B」
 僕も負けじと言い返す。彼はようやく観念したようで、ほんの少し口の端を持ち上げて微笑んだ。
「今度は足か? まあ仲間内では早い方だったが」
「ふーん。じゃあ、そうだな」
 僕は少し思案してから少年Bに告げる。
「君は小屋の東側を回って井戸に水を汲みに行ってよ」
「それしか方法は無いようだしな」
「まあ、僕も気が向いたら後から手伝いに行くから」
「ああ。それなら、さっきの動けそうな二人も連れてきたらどうだ? 人数が多い方が何かと便利だろう」
 その点については、全く考えなかった訳ではなかった。
「桶は一つしかないのに、何人も行ってどうするんだよ」
「側に適当な入れ物があるかもしれないだろう。あの人数分水を汲むなら、この桶以外にも何か探さないと厳しいぞ」
「いいよ、とりあえず。まだ信用した訳じゃないから」
「何だ、お前」
 ことさらに驚いたという声を出して、少年Bは目を瞬かせた。
「謀反でも企てるつもりか? それでも構わないが、それにしたって気弱そうなあいつらが告げ口しに行くとは思えないが」
「へー、構わないんだ」
 僕はにやりと意地の悪い笑いを浮かべる。
「どっちにしたって、俺はお前を付け回すだけだからな」
 随分と厄介な人物に好かれたものだ。
「そうか。でも違うよ、僕が言ってるのはそっちじゃない」
「そっちとはどっちだ」
「僕が気になってるのはあの子たちの方じゃなく、井戸の方ってこと」
 少年Bは意味が分からないようで首を傾げて唸っている。
「いいからほら、ウドの大木は考えるより動く」
 彼の背中をばしんと一発叩き、僕は命令する。そしてこう、彼の耳元でそっと囁くように付け足した。
「とにかくどんなことがあっても、自分の命を守ることだけ考えろ」

第五話 ◆◆◆

「って感じの出会い。僕とウルウは」
 ナナはそう言って前方に足を投げ出した。焚火に照らされて、靴の影が大きく躍る。
「へー」
 耳を傾ける数人の影から声が上がった。
 火を囲むように用意した木箱やら大きめの石やらには今、ナナを含め五人が腰かけていた。その後ろの濃い暗闇の中で、ぼろきれに丸まる様にして二人が寝入っている。そして一人は今、寒空の下、小屋の上に取り付けた物見台で見張り当番を務めていた。
「そんなだったか?」
 ナナの隣に座るウルウはあごの下に拳を当て、わざとらしく首を傾げた。ナナはにやりと笑いながら、ウルウのわき腹を小突く。
「そんなだった。ほんと感じ悪いヤツだったもん、君」
「それはこっちの台詞だな」
 ウルウも同じようにナナを小突き返す。体格と力の差でよろめいたナナは、木箱から落ちそうなところを上手くバランスを取って耐えた。
「少し訂正。“だった”じゃなくて、今でも変わらない感じの悪さだね、ウルウ」
「それもこっちの台詞だ、少年A」
「あ、なんか君から呼ばれると、懐かしさが増すね。もういっそのことそっちの名前に戻そうかな」
「えぇー」
 二人のやり取りを黙って聞いていた向かいのカゲンから、不満げな声が漏れる。
「困るぅ。あたしにとっては出会った最初っから、ナナちゃんはナナちゃんだったもん。今更改名とか言われてもムリ。少年Aとか、可愛くないしぃ」
「ですね。ボクらにとってナナさんは、もう“ザ・ナナさん”ってイメージで固まっちゃってますから」
 賛同するようにオリも大きく何度も頷いた。
「何だよ、“ザ・ナナさん”って」
 当のナナ本人からの半笑いの問いかけに、オリは答えを見つけられずたじろぐ。助けを求めるようにカゲンの袖を軽く引きながら、オリは眼鏡をくいと指で押し上げた。
「ううんと……それは、ほら、そのまんまですよ。ねぇ? カゲンさん」
「あたし知らなぁーい」
 そっぽを向いたカゲンは、自身のゆるくまとめた髪をくるくるといじりながら知らん顔をする。
「そんなあー」
 周囲からどっと笑いが起こった。言葉を発しはしなかったが、アスも口元を優しげにくつろげている。
 楽しげな声に合わせるようにぱちぱちと音を立てて小枝が弾け、炎がゆらゆらと揺れた。
「それで? 結局その後はどーしたのだ、ナナ」
 唐突に頭の上から声が降って来て、五人は一斉に空を見上げた。
「あ、サク。え、さっきの話、聞こえてたの?」
 梯子をさっさと下って来たサクは、一階建ての小屋の屋根に降り立ち、そこから一気に地面へ飛び降りた。
「あ、危ないですよ、サクさん」
 おろおろするオリを横目にサクは肩をすくめて見せ、何でもない事のように焚火の輪に加わって腰を下ろした。
「オレは耳がイイからな。こんな空気が澄んだ夜は特に、大事なことを聞き逃さないようにスバラシク出来ている」
 サクは意味深にウインクをすると、カゲンの背中をばしんと強く叩いた。
「さてさて、交代の時間だぞ? カゲン。話の続きはオレがこの耳で聞いておいてやろう」
「ちょっとぉ、まだ早いでしょー。サクちゃん、聞こえてるなら上でいーじゃん! あたし、上じゃ何にも聞こえないもーん」
 物見台での見張りは一時間ごとの交代の決まりだが、時計を持っていない状況下で、星の位置と各々の時間感覚だけが交代の合図だった。
「安心しろ、カゲン。お前の悪口を、お前のいない間に言ったりはしない」
 ウルウがとぼけたフォローを入れる。
「ちょっとウルウちゃん! それぇ、あたしがいる時に悪口言うみたいじゃない!」
「あの、ちょっと皆さん、お静かに。イツカさんとヨルさんが起きちゃいますから」
「うっせーな。もう起きてるっつーの」
 闇の中から不機嫌そうな声と共に、黒い影がのそりと姿を現した。影はそのまま明るい場所へ顔をぐいと突き出し、あからさまに嫌悪感を露わにして目を細めた。
「てめーら、いい加減にしろよ」
「ヨ、ヨルさん……すみません」
 真隣からヨルにすごまれ、オリは肩をこわばらせながら俯いた。
「こちとら見張り終えて疲れてんだっつーの。ぎゃーぎゃー騒ぐな、バカ共が」
「バカって何よぉ、ヨルちゃん相変わらずカンジわっるー」
 息をふき出すように笑いながら、カゲンがヨルにけしかける。ヨルはさらに目元を引きつらせた。
「あ? もう一遍言ってみろや」
「ちょっと、お二人とも落ち着いて下さい」
「お、ヨルとカゲンはまたケンカか? 良いぞ良いぞ、実に面白い」
「ちょっとサクさん、煽らないで下さい!」
「だからうっせーんだよ、てめーら!」
 ぱんっ。
 冷えた夜の空気を切り裂くように、ひときわ大きな破裂音が響いた。
 思わず息をのみ静かになった少年少女たちは、音の発せられた方角へ顔を向ける。どうやら破裂音の正体は手のひらを上手く打ち合わせた音だったようだ。皆の視線を一身に浴びたナナは、気だるそうな声でため息交じりに言った。
「さて、その話はおしまいね」
 ヨルもカゲンも、毒を抜かれたように澄まし顔になり頷く。ナナは二人の顔を見比べてから静かな声で言った。
「カゲン、君は見張りの順番でしょ? 一時間はちゃんと経ってるみたいだし、物見台に、ね?」
「はぁーい」
 右手を高々と挙げて返事をしてから、カゲンは立ちあがった。
「ヨル、起こして悪かったね」
「いや」
 声を低めたヨルは腕組みをし、炎の中心部へ視線を落とした。ナナは隣に声を掛ける。
「ウルウ」
「何だ?」
「僕はもう休むから、火の始末とか後よろしく。イツカは一旦起こして小屋に連れて行っとく。中の方が少しはあったかいだろうし」
「そういうことなら承知した、少年A」
「まだ言うか、少年B。んじゃ、皆、おやすみ」
 ナナはゆっくり立ち上がって伸びをすると、イツカの寝ている闇の方へ歩いて行った。それを横目で見ていたアスもまた、ナナを追いかけるようにそっと立ち上がり、炎を囲む輪から消えた。
「うむ、ナナの眠りを削ぐ訳にはいかんからな、オレたちも静かに解散と行こうか」
 サクの提案を聞いてか、もともとそのつもりだったのか、ヨル、オリの二人は、それぞれ足元に転がっているぼろきれを手に、小屋の中へ入って行った。
「寝ないのかい? ウルウ」
「お前もだろう、サク」
「オレはさっきまで見張りで神経を尖らせていたからな。直ぐには高ぶった感覚が寝かせてくれんのさ」
 はははと小声でサクは笑い声を上げた。
「そうか。俺もだ。ナナの話で昔を思い出してな。目がさえてしまって眠れそうにない」
「そんなに刺激的な思い出だったのかい?」
「まあな」
 ウルウはあの夜の右手の感触を思い出すように、広げた自身の手のひらを炎にかざした。

第六話 URuU

 どういうつもりなのか分からない。が、少年Aは、井戸に水を汲みに行くだけの俺に、真顔で“命”なんて大仰な言葉を囁いた。

 木造の平屋が立ち並ぶこの場所は、一体何のためのものなのか、俺には全く見当もつかない。建物は東西に長く、牛や馬など大型の家畜小屋のような大きさだった。倉庫のようにも思えるが、それにしては正面の出入り口がごく普通のドア一つで、物資の出し入れをするには適さない。
 兵士と思われる男に俺が割り当てられた建物は、一番東の一棟だった。裏手に井戸があると言われたが、横に長い建物を回って裏手に行くのは効率的とは思えない。ちょうど目と鼻の先にある、二つの建物の間を通り向けて行く方が断然近道に見えた。
 そうして先程味わったのが、あの無駄骨だ。
 少年Aは、建物と建物の間に詰まっていた麻袋を調べていたが、俺にとってそれはどうでも良い事だった。何しろ俺はのどが渇いている。早く水が飲みたかった。

「信用、か」
 井戸の何が信用ならないのか数分前は良く分からなかったが、その答えに俺はぶち当たることになった。
「どういう事だ、これは」
 建物の裏手にはうっそうとした森があり、森と建物の間に幾らか開けた場所があった。
 そこへ見た所、先程の軍服の男二人の他に、荷降ろしをしていた薄汚れた奴らが五、六、七人。内一人は松明を掲げており、その尻の下に、井戸と思われる石造りの囲いが見えた。随分と訛りの強い話し声が飛び交う。
「男かよ」
「あれー? てっきりさっきの女の子が来ると思ったんだがなー」
「まあ、これはこれで良いんじゃないか?」
「直ぐにくたばらなさそうだしな」
「えー、ミッヒさーん! ちゃんと指定の子に、お前が水汲み係だって伝えといて下さいよ。折角狙って準備してたのにー」
「いや、ジェーグ、趣向変えりゃ、女なんかより面白いじゃねぇか」
 話しているのは皆薄汚れた男たちで、軍服の二人はじっと黙って腕組みをしている。俺は一歩引いき、拳に力を込めて身構えた。
「ミッヒさん、良いんですよね?」
 ニタニタと薄気味の悪い笑い顔の男が、軍服の一人に尋ねた。
「仕方がない。男は貴重だが、ここへ来てしまった以上、どうしようもないからな」
 しばらく考え込むように下を向いていたミッヒと呼ばれた軍人は、感情のまるで無いような声で言った。
「一体だけだぞ」
 俺は恐らく試されているんだろう。人殺しになるかここで死ぬかの二択を迫られている。俺が積み上げ、ついには家族を殺した格闘術の訓練は、もしかしたらこの時のための備えだったのかもしれない。もしそうなら、俺は家族の命と引き換えに生き延びる術を習得したことになる。
 俺は息を整え、腰を低く身構えた。
 男たちは嘲笑うような様子で少しずつこちらへ集まって来る。冷静に考えて、俺が素手で二人殺す間に、俺は鈍器や飛び道具で三回殺されるだろう。ああ、馬鹿げている。
 額から汗が一滴滴り落ちた。俺は怖いのか、死ぬことが。
 その時、俺の背後から甲高い高音が響いた。それが悲鳴だと気付くのに数秒かかった。それも一人や二人では無い。十人近くの子どもの悲鳴が折り重なるように近付いて来る。
 俺が振り返ろうとしたその瞬間、耳の直ぐ近くで叫ぶような声がした。
「走れっ、少年B!」
 体が勝手に動いた。聞き覚えのある響き、少年Aの声だ。やつは俺の横を全速力で駆け抜けて行った。訳も分からぬまま、その後を無我夢中で追う。
 突然の事に呆気にとられた男たちは動けずにその場に立ち尽くしていた。そいつらの間を縫うように走り抜けて行く。
「おい、掴まえろっ!」
 怒声は子どもたちの泣き叫ぶ悲鳴にかき消された。後ろから他の子どもたちも、同じように駆けてくるようだ。小屋で何かあって、裏手へ逃げ込んできたのかもしれない。
 俺は少年Aに追い付き、そして追い越した。
「どこまでっ、行けばいいっ?」
 怒鳴る様に後ろの少年Aに問いかける。
「ど、どこまででも、いい! 振り、切れ!」
 鬱蒼とした森の中をがさがさと掻き分けるように走る。時折突き出た枝や背の高い草に、頬を切られた。

 どのくらい走ったか分からない。気が付くと、俺は大木へ寄り掛かる様に倒れ込んでいた。
「どこだ、ここは……」

第3章

  第一話

第一話 NaNa

「君、タバコ吸うんだ?」
「ああ、悪いかよ?」
 文句は言わせないという鋭い目つきで睨まれる。その目をじっと見返してから、僕はきっぱりと言った。
「うん、悪い」
「は?」
 さらに目を細めた相手は、噛みつくような声を出した。威嚇しながらなおも煙をふかしている。
「辞めてよ、タバコ」
「けっ、ガキが吸うもんじゃねぇとか説教垂れるつもりか? どこぞの坊っちゃん気取りかよ、くそったれ」
 随分汚い言葉を吐くやつがいたものだ。全身煤けた様子のその子どもは貧乏揺すりをしながら、唾をぺっとこちらへ飛ばしてきた。
「君がその習慣でどうなろうと興味はない。僕は単にその臭いが嫌いなんだ」
「そんなん、知ったことかよ」
「君が知らないと言っても、僕には大問題だ」
「あ? だったらどっか行けよ、くそったれ」
 口元を歪めて顔全体で怒りを表現してから、やはりタバコを口にくわえた。
「君は威嚇することしか脳がないみたいだね。君が身体を悪くして死のうが知ったことじゃない。けど、僕はその臭いがどうしても嫌だ。それにここから移動するつもりもない。君がタバコを吸い続けるつもりなら、こっちにも考えがある」
「はっ、こっちがヒョロいからって舐めてんだろ? てめえみたいな坊ちゃんに負けるほど落ちてねえよ。来るなら来いよ、ばかが」
 左手の中指を上に向け、人を小ばかにするように笑いながら、その子どもは言った。
「これだから、話の通じない人間は。馬鹿は君の方でしょ」
 僕はポケットから例のものをさっと取り出して、人差し指と中指の間に挟んでから相手の方へ狙いを定めて投げた。
 銀色のきらめきが一直線に伸びる。細みのナイフはしゅんと空を切り、とすっと相手の首のすぐ横の壁に刺さった。
「え」
 無意識にナイフは避けたようだが、呆気に取られて茫然としている。開いた口からタバコがぽろりと落ち、へなへなと座り込んだ子どもの足の間に落ちた。
「お、お前……」
「言ったでしょ? 考えがあるって」
「何で……」
「死ねばもうタバコは吸えないでしょ。文句も言えないしね」
 相手は微かにふるえていた。まさかこれくらいで同じ年ごろの子どもに殺されるとは考えなかったらしい。
「そういう時代だよ、今は」
 僕は何でもない事のように相手に告げる。

『メメント・モリ』 ‐memeNto mori, carpe diem‐

『メメント・モリ』 ‐memeNto mori, carpe diem‐

「――僕らは絶対に生き残れない、この戦いを乗り越えては」 世界を巻き込む大戦が、子どもたちの人生を変えてしまった。 戦後“メメント・モリ”と呼ばれ、噂された彼らの、少年時代の物語。 あの頃、僕らを取り巻く世界はこうやって回っていた。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-11-17

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. † † † † † † †
  2. 参考資料
  3. 第0章
  4. Ⅰ NaNa 「僕」の話
  5. Ⅱ ITsuKa 「イツカ」の話
  6. Ⅲ URuU 「俺」の話
  7. Ⅳ YoRu 「自分」の話
  8. Ⅴ SaKu 「オレ」の話
  9. Ⅵ ORi 「ボク」の話
  10. Ⅶ KaGeN 「あたし」の話
  11. Ⅷ ASu 「私」の話
  12. 第1章
  13. 途中
  14. 第2章
  15. 第一話 NaNa
  16. 第二話 NaNa
  17. 第三話 NaNa
  18. 第四話 NaNa
  19. 第五話 ◆◆◆
  20. 第六話 URuU
  21. 第3章
  22. 第一話 NaNa