ARS's Performances in Wonderland ―不可思議の国でアリス―
Prologue
1 The Biginning -序の序-
2 A Letter -封筒が一通-
Additions; the characters -おまけに紹介-
1 The Biginning -序の序-
「ああ、もう! ツイてない! ツイてなさすぎっすよ!」
金髪頭を抱え瞳を潤ませながら、隆太はその場にへたり込んだ。
「だなー」
さして興味のなさそうな明音は、スマホの画面をじっと見つめたまま生返事をする。
「アネさん、オレに興味なさすぎ! ちょっとはこっち見てほしいっすよお!」
「ん。はい、見た」
「ええー、それチガウ。オレの求めてるものとチガウ」
「だなー」
いつもながらの二人の不毛なやり取りを聞きながら、俺、諏訪将人は考えていた。
一体、どうすべきか。
こんなところでこんな風に佇むしかない状況を、どうやって消化すればいい? 差し当たって必要なものは食糧だろうか。それとも今夜の寝床だろうか。
「スワさあん! ねー、聞いて下さいよ!」
飛びついて来る大型犬をなだめるように、俺は返事をする。
「何だ、隆太」
「アネさんがあ、さっきからひどいんすよお」
そしてさらに加算される明音の口癖。
「だなー」
ここで「おい、ちょっと、いい加減にしろよお前ら!」と怒鳴れるような人物だったなら、俺はもう少しましな人生を送れていたかもしれない。いや、そんなしょうもないことを考えても仕方がないか。俺は既に、こんな俺な訳で。威厳もカリスマ性も皆無、途方に暮れながらため息を吐くばかりの、枯れた一高校生男子でしかない。
「ああ、ほんとにどうすっかなぁ」
目の前に鬱蒼と茂る森、背後に延々と広がる草原。
連れ立っているのは金髪ピアス・自称イケメン担当隆太と、見た目座敷童・自称インテリ担当明音。そして村人B的存在感・他薦貧乏くじ担当の俺である。
2 A Letter -封筒が一通-
事のはじまりはあの日にさかのぼる。
一週間前、俺の家のポストに一通の封書が届いた。
「おお、来たかぁ」
「スワさん! それ、もしかして例のアレっすか!」
それは俺たちが一か月前からそわそわしながら待っていた代物だった。俺の住所に届く予定のその封筒の中身が気になりすぎて、隆太はこの一週間、俺と一緒に俺の家に帰宅するという迷惑極まりない習性を身に付けていた。
「やっと! やっと! スワさんちのうっすい座布団ともおさらばっすね」
「はいはい、薄くて悪かったな」
俺はのそのそと尻ポケットから取り出したスマホを操作し、耳に当てた。明音へ電話を掛けたのだ。
明音が応答する前にと、左肩と左耳でスマホを挟み、鞄からカギを取り出して玄関を開けた。と、隆太が俺より先にドアの隙間から中へ滑り込む。
「オレいっちばん乗りい! おっ邪魔しまあす」
「お、明音。悪い、もう家着いたか?」
「スワさあん! ポテチもうないんすか、ポテチ」
「そう、例の結果。今アパートの下んとこのポスト入ってんの見つけた」
「スワさあん! 炭酸もないっすよお」
「そっか、んじゃ待ってるわ」
「スワさあん!」
「ちょ、ごめん」
スマホを一旦口元から遠ざけ、玄関口から中へ小声で声をかける。
「隆太、このアパート、壁薄いから」
「はいっす!」
おい、隆太、その声もでかいんだよなぁ、という心の声はため息と一緒に仕舞っておく。
再びスマホを耳に当てると、電話口の向こうから抜群のタイミングで「りゅうた?」と問う明音の声が聞こえた。
「おっつー」
「アネさあん、やっと来たあ。オレ死にそう、待つの疲れて死にそう」
「随分早かったな、明音」
アパートの玄関口で、明音からコンビニの袋を受け取った。
「ありがとな、買い物まで頼んじまって」
「いいってことよー」
「あ、ポテチじゃないっすか!」
おやつを見つけたゴールデンレトリバー並みに、隆太の動きが俊敏になる。
「しかも期間限定『秋のホットスイートポテト味』! オレこれ食べてみたかったんすよお。アネさん、分かってるう」
ジャガイモ菓子なのにサツマイモ味なんだろうか、と一瞬考えかけてやめた。考えたところで無駄なことは放っておくに限る。どうせ……俺の分は残らないだろう。
「もう開けた?」
明音が俺に問いかける。
「あ、開けちゃいましたあ! マズかったっすか?!」
菓子の袋を強引に引き開けた隆太が、座布団の上であぐらをかきながら明音を振り仰いだ。ああ、隆太、その位置は……
「そっちじゃなーいよー」
全く丁度良い高さに太鼓があると言わんばかりの力強さで、明音の右手がさく裂する。身長140センチ強の女子高生から繰り出されたとは思えない見事なスナップで、隆太の金髪はパーティー開けされたポテトチップの袋へダイブした。
「りゅうた、だいじょーぶ?」
明音、自分でやっておいてその台詞はないだろ、と心の中で呟きながら、俺は苦笑するしかない。
「はへはん! ひてうばはひっふ!」
恐らく「アネさん、見て下さいっす」と言ったのだろう。勢いよく顔を上げた隆太は嬉しそうに、器用に唇に挟んだ三枚のポテトチップを、手を使わずにぱくりを口に入れた。
「うまいっすね! これ」
まぁ、いたっていつものやり取りである。
「さてと」
俺は机の上の封筒を手に取った。神奈川県横浜市――と、俺のアパートの住所がでかでかと書かれている、飾りっ気のない茶封筒だ。
「それ? 例のやつ」
「そ。まだ開けてない。やっぱ、三人揃ってからがいいと思ってな」
「ははくはへはほふ」
めいいっぱい頬張った状態でしゃべる隆太の口元から、ぽろぽろと食べかすがこぼれる。恐らくは「早く開けましょう」だ。
金に染め上げた髪に左右に数個ずつ着けられたピアス、黙っていれば肉食系女子が寄って来そうな顔立ちなのに……現実はこうである。
「隆太、いったん食べんのやめときな」
残念な隆太の頭を、これ以上残念なことにするわけにはいかない。曲がりなりにもお前は我らがイケメン担当なのだ。
「ほんなほほひっはへ、ほへふはひっふほん!」
これもたぶん、「そんなこと言ったって、これ美味いんっすもん」かな。
「りゅうたー?」
明音が満面の笑みで両手首のストレッチを始める。
「はんふは、はへはん!」
ああ「なんすか、アネさん」だろうな、と思った時にはすでに遅し。明音のしなるように繰り出された右手が、隆太の左頬に真っ赤なもみじを作った。なるほど、二発目は頭じゃなくほっぺただったか。
そんなこんなで時間を取られたが、俺たちは封筒を開けた。そもそもこの封筒の中身こそが本題である。
部屋の中央の丸テーブルを囲むように座り、はさみで上部を丁寧に切り取り、三つ折りになった白いコピー用紙を取り出す。
俺たちは待っていた、この時を。このコピー用紙に記された、ある重大な結果を。
早まる鼓動を静めつつ、そっと顔を上げる。
死んだ魚みたいな眼でスマホを見つめる明音、物欲しそうに空のポテトチップの袋を眺める隆太。そう、俺の視線は……誰とも交わらなかった。
「いや、さすがに興味あるよな?! な?!」
普段あまりこぼさない本音がつい口をついた。
この二人と一緒にいると不安になってくる。一般的な当たり前の基準が、これでもかというほどこの二人には通じない。
「だなー」
「だあってスワさん! お菓子がないと打ち上がれないじゃないすかあ」
「打ち上がるって、隆太。落ちてたらどうすんだよ」
「んーと……あ! 落ちてたらあ、オツカレサマ会にすればいいじゃないすか!」
その「オレあったま良い!」みたいな顔をやめてくれ、隆太。
「で、落ちたの?」
容赦のない明音の直球に、心臓がばくんと跳ねる。
「ええっと」
想像していた結果発表の瞬間とはまるで違う展開になったが、確認しないわけにはいかない。俺はそっと封筒から取り出したそれに、恐る恐る目を落とした。
そう、ここには、俺たちの行く末をかけた、とある合否判定が書かれているのだ。
「……う、受かってる」
「おおー」
「わお」
明音の「おおー」は通常運転の塩反応として、お前のリアクションはそうじゃないだろと隆太へ内心ツッコミを入れる。何のためのお騒がせ要員だ、隆太。
「まぁ、とりあえず読むぞ」
俺は我らの合格通知を声に出して読み始めた。
この度は、ラビットハッチ☆ミュージックフェスタ【高校生部門】へのご応募、誠にありがとうございます。
厳正なるテープ審査の結果、ARS様は一次審査通過となりましたので、ご報告いたします。二次審査のご案内を送付させていただきましたので、ご確認の上、ご参加の可否を同封のはがきでご郵送ください。
「はがき……は、これか」
二次審査の候補日と参加の可否に丸をつけるようになっていた。
「あ、切手はこっちで貼るのか」
面倒だな、と思った瞬間、隆太が急に拳を握りしめ勢い良く立ち上がった。
「スワさあん! オレ! オレが貼るっすよ、切手! ぜえったいオレ!」
「お、おお。じゃあ隆太、頼む」
「よおっしゃー! やる気出てきたあ!!」
隆太の豹変に言葉を失う。そのリアクション、合格発表の直後になぜ発揮しなかった、隆太。
切手と隆太に何の因縁があるのかは不明である。
明音はというと相も変わらずじっとスマホの画面を見つめていた。だが左手は辛うじて……ガッツポーズをしているように……見えなくもない。
「うおおおお! やるっすよ! やったるっすよお!!」
「おい、隆太、ちょっと、壁薄いからさ」
「了解っす!!」
ああ、明日の朝、隣のおばさんから説教を食らうのは、バンドARSリーダー兼貧乏くじ担当の、俺である。
Additions; the characters -おまけに紹介-
☆現在の愉快な仲間たち☆
諏訪将人【すわまさと】
・高校生バンドARSのリーダー
・容姿、頭脳共に村人B・貧乏くじ担当(メンバー談)
・基本温厚な性格、ツッコミは心の中で
・アパートに一人暮らしだが最近隆太が入りびたる
・二人のことは「明音」「隆太」と呼ぶ
明音【あかね】
・ARSの紅一点だが見た目は座敷童(童顔&低身長)
・バンドのブレイン、必須アイテム:スマホ
・物静かで普段はおっとりタイプ
・訳あってビンタ力強
・二人のことは「りゅうた」「まさと」と呼ぶ
隆太【りゅうた】
・ARSのイケメン担当(自称)
・見た目が相当チャラくて一見モテそう(金髪&ピアス)
・口を開くとだいぶ残念(空気の読めない食いしん坊)
・声もリアクションもでかい
・二人のことは「スワさん」「アネさん」と呼ぶ
ARS【アリス】
・高校生スリーピースバンド
・音楽フェスの出場高校生バンド募集企画に応募
→無事一次選考通過(今ここ)
Chapter 1
1 In The Open Air -屋根なし床なし-
Additions; the instrument -つまり荷物が多い-
2
3
4
1 In The Open Air -屋根なし床なし-
「ああ、ほんとにどうすっかなぁ」
生い茂る森を目の前に、俺は首をひねった。
俺たち高校生スリーピースバンドARSの面々は、音楽フェスの出場権をかけた二次選考の会場へ向かった……はずだった。
選考委員から指定されたわびしげな駅で降り、これまた指定の寂れたバスに乗ってきた。うつらうつらと居眠りをしたところまでは、何となく覚えている。しかし、そのあとの記憶がすっぽりと抜け落ちている。気が付くとここにいた。
「時間は……?」
腕時計に目を落とす。時刻は昼の十二時を回った辺り。二次選考は午後三時からのはずだ。
この近くに会場があるのか? または場所を間違えているのなら、早めに移動した方がいいだろう。
「荷物はここにおいて、三人で手分けして……」
「まさとー」
明音が気怠そうな声で俺の名を呼んだ。
「どうした? 明音」
「とりあえず座りたい」
「ん? ああ、立ちっぱなしじゃあれだもんな。とりあえず、どっか座れそうなとこ探すか」
「いや、楽器出す」
「え、ここでか?」
「うん、ここで」
明音は俺たちの後ろに積まれた大荷物の中から、自分のメイン楽器のケースをいそいそと取り出した。
「え! アネさん、楽器出すんすか! ならオレ! オレも出す!」
「いや、隆太。明音は座りたいだけで……」
「あ、じゃあ合わせればいいじゃないすか! レッツ予行練習っすよ!」
「いや、だからその」
「りょー。りゅうた、たまにはいい事ゆーな」
ちなみに明音の「りょー」は「了解」の意味である。するのか演奏、この森と草原の狭間で。
明音は一度決めたらテコでも動かないたちだし、明音が止めないなら隆太を止める術は名ばかりリーダーにはない。
俺は天を数秒仰いだ後、仕方なくギターケースに手を伸ばした。
――俺たちの他には誰もいない、だだっ広い草原。時折爽やかな風が正面から三人の間を吹き抜け、背後の森の木の葉をざわざわと揺らす。
そうここは、大自然に囲まれたステージ。観客の有無なんて関係ない。俺たちは今、このステージで、風になる――
「なあんて設定……」
独りタイタニックポーズで目を閉じていた隆太は、俺と明音の方へ振り向き目をぱちぱちとさせた。
「どうすか?! どうすか?! イケてないっすか?! イケてるっすよね!」
「りゅうたー、楽器」
大興奮の隆太の無視したまま、早く楽器を構えろと明音が催促している。
俺はアコースティックギターのチューニングを合わせながら苦笑した。
「まぁ、隆太、そろそろ」
「マジ、関係ないんすよ。目の前にお客さんがいてもいなくても、オレたちはサイッコウの演奏をするだけなんすよお」
「りゅうたー」
明音が右手のスナップを効かせ、楽器の中央を叩く。明音の座る担当楽器、カホンがドンと低音を響かせた。
「お! アネさん、今日もイイ低音っすね! 低音ならオレも負けないっすよお!」
隆太は嬉しそうに自分の楽器の元へ駆け寄った。明音のいらだちには、もちろん全く気付いていない。
何はともあれ、一安心だ。明音の堪忍袋の緒が切れる前に、隆太は背筋を伸ばして楽器を構えた。
全長180センチ強のウッドベースがまっすぐにそびえ立つ。隆太はやはりかっこいい、黙っていれば。
「チューニング、大丈夫か? 隆太」
「瞬殺っす!」
……殺?
「明音も、いいな?」
「りょー」
やっぱりやるんだよな、演奏。今更だけど。
「んじゃ、いくか。『青い鳥、僕らはきっと』」
軽快なカホンの三拍のリズムをしっかり聞いた後、俺は右手に持ったピックを力強く振り下ろした。
一曲目の余韻が草原に消えるのを確認してから、俺は額の汗をぬぐった。
明音の激しく刻むビート、隆太の馬鹿力で響く低音。設備のない野外でそれらに負けない歌声とアコギのストローク……ともなると、一曲終えるごとに汗びっしょりになるのは必須だ。
「まさとー、次」
「ちょっと、待ってくれ、明音……三分、休憩」
よくそのちっこさでそれだけの動きができるもんだ。
明音はまたがるカホンの他に、左足にはフットタンバリン、右足にはカホンキッカー、左手側にカスタネット、右横にはスプラッシュシンバルも装備している。文字通り四肢をフル活用しての演奏だ。
「スワさん、日ごろの鍛錬が足りないっすよお」
「すまん」
それは素直に認めよう。
「……そういや、水持ってくんの、忘れたな」
しまったと呟く。明音も隆太も「あ」と小さく声を漏らした。
音楽フェス出場をかけた二次選考会場へ向かう道中。草原に取り残されることになるとは露も思わず、いつもの練習時には用意してある水を持っていなかった。こんな辺ぴな場所に自動販売機があるはずもないことは、考えずともわかる。
「まー、川なら、探せばあるかもねー」
「川! イイっすね! オレ、魚捕りたい! モリでずばって刺すやつ!」
モリ?
「んー、とりあえず二次選考の会場探すってのも含めて、飲み水の確保といくか」
「うえーいっす!!」
ついでにこの野外ライブ練習を切り上げられるとあれば一石二鳥だ。
「りょー」
明音は意味深に微笑みながら、左右の足のオプション楽器を外し始める。
「まー、ばればれだけどねー。まさと」
「……すまん」
「なんすか! え? なんすか?」
どうやら水の話題は練習を切り上げる口実だと、明音は気付いているようだ。
明音の察しがいいのか、俺が顔に出やすいのかは微妙なところだ。
だが、一つだけ訂正させてほしい。
俺は決して練習が嫌いな訳じゃない。ただこの二人のペースでは身体が付いていかないだけだ。誰だって河川敷でオールナイト練習した次の昼、草原で声を張り上げ続けるなんて無理な話だ……常人なら。
薄暗い森に入るのはためらわれたため、最初に草原を探索することにした。
集合時間を決め、三人で荷物を起点に三方向へと散る。明音はのそのそと、俺はそれなりにさかさかと、隆太は……もう見えない。
そして十五分後。
「やっぱり何もないか」
俺の見た限り、歩きまわった収穫はゼロ。
「そもそも俺たち、どうやってここまで来たんだろ」
バスで居眠りしている間に、荷物ごと放り出されたはずだ。でも、それにしては――
「轍、ないもんねー」
方々へ散っていたはずの明音と隆太が、何故か同じ方角から戻って来る。
「え、ワラビモチっすか?! オレ食べたいっす! 何でないんすかあ?」
わらび餅?
「わらびもちじゃなくてー、轍。車輪の通った跡のこと」
明音は覇気のない声で解説しながら、隆太の腰の辺りを小突いた。
「ああ、なんだ! あれのことっすか!」
笑顔満点の隆太の反応に、思わず期待してしまう。
「え、隆太の方、バスの通った跡あったのか?」
「聞いて驚かないで下さいねえ? 昔、すっごいワダチ見たんすよ。じいちゃんちの裏の道なんすけどお」
容赦なく明音が隆太の尻をすぱんと引っぱたいた。
「うわあ、スワさあん! アネさんにセクハラされたっす!」
「だなー。もう一発いくかー」
二人は俺の周りでぐるぐる追いかけっこを始めた。
おい、お前ら、今の状況分かってんのか、と言いたい気持ちをぐっと抑えつつ、俺はため息を吐く。隆太はいつものこととして、明音まで……
正直なところ、ミュージックフェスタの二次選考どころではない。このままじゃ命の危険さえ感じる。渋っている時間がもったいない。
「しょうがない、森の方入ってみるか」
「えー」
「えええええ」
まぁ、その反応だろうな。
見るからに人が足を踏み入れてはいないような茂みに、積極的に乗り込んでいく感じのメンバーは、残念ながらうちにはいなかった。
「とりあえず俺が行ってくる。二人はここで荷物見ててくれ」
「スワさあん! 行っちゃうんすか、行っちゃうんすね! オレらを置いてくんすねえ!!」
いたいけな子犬のものまねだろうか。隆太は目を潤ませながら膝をつき、俺の腰の辺りにまとわりついて来る。
正直、反応に困った。
「なら一緒に来るか?」
「えええええ。ええっとっすねえ」
明らかな動揺を見せて、隆太がうなる。
「オレ、顔とか虫に刺されたら困るんすよお。やっぱバンドのイケメン担当だしい? 大事なオーディション前に顔、傷つけるワケにはいかないっていうかあ」
まぁこのままじゃ、二次選考のオーディションには間に合わないだろうがな。
ここがどこだかわからないが、実際この森の中に会場があるとは思えないし、この場所へ通ずる道すら辺りにはなかった。指定の時間まであと二時間、もう諦めるしかないだろうな。
「ほいほい。んじゃ、しっかり明音のボディーガードしてろよ、イケメン担当」
俺は百面相している隆太の頭をぽんと叩いた。
隆太は俺を見つめたまま一瞬動きを止めた……ように見えたが、すぐへらへらといつもの調子で手を挙げた。
「らじゃあっす!」
「明音、森の中も電波届くと思うけど、スマホ通じなかったら大きな音出せよ。すぐ戻ってくるから」
こんな場所で通信できるのか? と一瞬思ったが、たぶん大丈夫だろう。明音、ちょくちょく画面見てたし、使えてるんだよな?
「りょー。気を付けろー、まさと」
「あぁ、あんま深いとこまでいかないから。収穫なかったらすまん」
「水とー、何か食べるもんもー」
そういえばまだ昼飯は食べていなかった。食べられるものなんて、こんなところにあるのか?
「ぜ、善処します」
「いってらっさいっす!」
手を振る二人に背を向ける。俺は木の枝にかかる蔦を、萎びたラーメン屋ののれんの要領でかき分けた。
Additions; the instrument -つまり荷物が多い-
☆現在の愉快な仲間たち☆
諏訪将人
・担当:ボーカル、ギター
・【楽器1】アコースティックギター
・通称アコギ
・木でできた柔らかい生音を奏でるやつ
・ロック調の時はナイロン製のピック弾き、バラード調の時は指弾き(どっちにしても大人しい音)
・MORRISのSシリーズでカッタウェイ付き(別にいらない情報)
明音
・担当:パーカッション、機嫌がいいとハモリ
・【楽器1】カホン
・小学校の図工室のイスみたいな打楽器
・叩く場所で音が違うから、まるでドラムみたいな感じに使えるやつ
・低音をどんどん鳴らすの好き(ちょっとうるさい)
・beatingでワイヤー緩めが好き(別にいらない情報)
・【楽器2】フットタンバリン
・足に着ける小さいタンバリン
・リズムとりながらしゃんしゃん鳴らせる
・【楽器3】カホンキッカー
・足に着ける小さいバチ(手作り)
・リズムとりながらカホンの下の方をどんどん叩ける
・【楽器4】カスタネット
・カホンの本体横にくっつけて使うタイプ
・リズムとりながらたんたん鳴らせる
・【楽器5】スプラッシュシンバル
・斜め前にスタンドで立ってる
・アクセントにしゃーんって鳴らす
隆太
・担当:ベース
・【楽器1】ウッドベース
・いわゆるコントラバス
・バイオリンを人の背丈くらいでっかくしたやつ
・力いっぱい指弾き、弓は持ってない(ちょっとうるさい)
・じいちゃんのお下がりだからどこのブランドか知らない(別にいらない情報)
2
「で、何の用?」
少し前から、その視線には気が付いていた。
「困るんだよねー」
草原探索から戻ってきて、最初に感じた違和感。それは置いていた楽器ケースのファスナーが、ほんの少し空いていたこと。屋外でそんなことをして知らない間に虫やらなんやらが入ってしまったら厄介だし、持ち上げた際に楽器が飛び出る可能性だってある。
ここにいる三人は、それなりに本気で音楽と向かい合っている。楽器ケースをきちんと閉めないなんてヘマは、りゅうただってしない。
「そんな物騒なもの」
そう、それはつまり――
「振り回されるのはさー」
太陽の光を反射して、きらりと光る刃。
短刀を構えた人影が一つ。楽器の向こう側、背の高い茂みからゆっくり姿を現した。
「アンタっすか? さっきスワさん狙ってたの」
りゅうたの声が尖っていた。目が笑っていない。ここまで冷酷な顔のりゅうたを見るのは久しぶりだ。
「アネさん、下がっててくださいね。オレ、今はスワさんからボディーガード任命されてるんで」
りゅうたがすっと前に出てくれる。ちびの自分からすれば、随分大きな背中。そうしてるとかっこいいんだよなー、りゅうたは。
「ん、ありがとー」
でも、ここでりゅうたを行かせることはできない。死傷者を出すわけにはいかないのだ。死は絶対条件だけど、ちょっとした傷だって今は困る。
「でもねー、ここはちょっと、譲ってもらおうかなー」
本来“無事”という言葉は、取り立てて言うほどの何かが起きないことを指す。何事もないこと。
自分とりゅうたが怪我をしないことももちろん無事にあたるけれど、それだけじゃ十分じゃない。自分とりゅうたの心が無事、つまり手を汚さないこと。それもまた外せないポイントだ。まさとを守るとはそういうことだ。
訳あって自分とりゅうたは、うちのバンドリーダーであるまさとのカギを握っている。おんぼろアパートのカギなんかじゃない、命のカギ。
そしてその事実を本人、諏訪将人は知らない。知らなくていい。知る必要なんか、これっぽっちもない。
これからきっとまた不思議なことがたくさん起こる。不安になったり疲れたり、マイナスの感情を抱くことは多いだろう。それでもこの途方もない絶望だけは、まさとに悟らせたくなかった。いつか知らざるを得ない時が来るとしても、それはまだずっと先でいい。
ああ、どうしてあの時、あんなことを言ったんだろう。真壁明音を、そう、自分自身を心底恨んでいる。
挙句の果てに、りゅうたまで巻き込んだんだ。この勝負、絶対に勝たなくちゃいけない。
「アネさんっ!」
りゅうたがぐっと腕を引いてくる。本気でこの後輩に抑え込まれたら、もちろん自分は動けない。でも――
「だいじょーぶ、ちょっと話すだけー」
自分が引かないのを知っているから、りゅうたは無理に行く手を阻もうとはしない。
人影に向かってゆっくり歩みを進める。
「今日はいい天気だねー」
相手は動かなかった。
爽やかな風を受けて、足元の草だけがさらさらと音を立てている。
「こんな日はー、外で演奏するに限るよー」
そして相手との距離、一メートル。下から覗き込むようにその顔を見上げ、精いっぱいの作り笑顔で問いかける。
「で、なかったでしょー? お探しのものは」
3
そいつの顔の部分にはウサギの面があった。
ふさふさとした毛並みの。剥製を思わせる程の不気味さで。
ぴんと伸びた耳の外縁はほんのり桃色で、それ以外は雪のように白い。
まあ、まだ暑い日差しの中、雪を連想するなんてナンセンスかもしれないっすけど。
「えぇ、なかったですわね?」
ウサギ面は初めて声を発した。女の声だった。アネさんの投げた「探し物がなかったか」という問いかけに答えたんだろう。
オレはじっとウサギ面を睨みつけた。
顔の中央はリアルなウサギ、面からはみ出した輪郭は人間。上半身はチョッキ一枚、ボタン三個でつなぎ留められた胸元が、ああ、はち切れそうっすね。オレはアネさんの慎ましやかな――あああ、をほんの少し思い浮かべて、咳ばらいをした。
「でもね? あたくし知っていましてよ。あたくしの本当の探し物の在処が何処か」
気取った話し方が鼻につく。
余裕たっぷりな口振りに反して、構えたナイフの刃は油断なくアネさんに向けられていた。
「へー、そりゃーすごい。センサーでもついてるの?」
「あなた方は、あたくしが何を探しているのかご存知のようですけれど」
「だなー」
ああ、今すぐアネさんのもとへ駆けて行きたい。
「素直に差し出して下さらないかしら。あなたにはもう関係のないことでしょう?」
「それが関係あるんだなー」
アネさんの腕を引いて、オレの背に隠して、そしてあのウサギ女を――
「それは同情かしら? それとも罪悪感かしら?」
うふふとウサギ面が妖艶に笑う。動かないはずの面の口角が少しだけ持ち上がったように見えた。
4
困った。本当に困った。
「どうしたもんかなぁ」
明音にはそんなに奥までは行かないようなことを言っておいて、こんなところまで来てしまった。
そう、俺は様子見で入り込んだ森の中で、すっかり迷子になってしまったのだ。
森に足を踏み入れてすぐ、俺は木の幹に印を付けながら進むことを考え付いた。
「迷ったらシャレにならんからなぁ」
幸い上着のポケットに|音叉を入れていた。もともとは楽器のチューニングに使う道具だが、普段はもっと便利な電子チューナーを使っている。ポケットに入れていた理由は……いまいち思い出せなかった。
「音叉がこんなことに役立つとは」
まぁ、こんなことに使ったって知られたら……俺の命はないかもしれない。明音の怒り狂った笑みを思い浮かべて、背筋が寒くなった。
明音は小さい頃から音楽をやっていたらしい。きっと英才教育を受けていたんだろう。楽器の演奏はもちろん、歌も、作曲も、明音にはレベルの差を思い知らされるばかりだ。音楽に向き合う真剣さが、俺や隆太とは一線を画すのにも頷ける。
だから音叉をこんなことに使ったと、明音にだけはバレるわけにいかない。
がりがりと音を立てて木の皮が剥がれ落ちる。薄暗い森の中でも、なんとか見分けはつきそうだった。
そのまま一定間隔でしるしを刻みながら、おおよそまっすぐ進んだ。大きな倒木を回りこんだり、生い茂る棘のある植物を回避したりもしながら。
そうこうしているうちに……!!
「これ、水の音!」
さらさらと水の流れる音が聞こえた。俺ははやる気持ちを抑えつつ、音のする方へ足を進めた。
「ここから……か?」
水の音を聞きつけて小走りすること数分。
すぐ近くに感じた音の源は意外に遠く、俺は息を切らしながらそれを見つけた。
「穴……?」
人一人がかがみこんでぎりぎり通れそうな穴だった。太い木の根元がうろになっていて、そこからさらに地中に向かって暗闇が伸びていた。
どう考えても一人で入るのは危ないよな。
「いったん戻って二人を呼んで……あれ?」
そういえば、水音に気付いてからここへ至るまでの道のり、道しるべにしていた音叉の傷を付けてこなかった。
「ま、迷った……か」
周囲を見回すも、辺りは木、木、木。全てが同じような景色で、自分がどの方角から来たのか見当もつかない。あぁ、やってしまった……
今持っているもので使えそうなものはないか確認する。ないことは分かっていても、とりあえず。
上着のポケットに音叉とギターのピックが数枚。腰に下げたウエストポーチには財布とスマホ、それから隆太に渡された、もったいぶらないと開けてはいけないという巾着袋が入っていた。
「いや、もったいぶるって、どの程度だよ」
スマホで明音に連絡を取ったとして、ここがどこだか伝えるにはあまりに場所を特定する決め手に欠ける。
それに次にいつ充電できるかわからない状態で、むやみに電池を消費することは避けたい。
「どうしたもんかなぁ」
とにかく、できるだけ期待せず、俺は隆太に託された禁断の品を紐解いた。
ARS's Performances in Wonderland ―不可思議の国でアリス―