お猫さま 第十話ー猫入屋
猫の人情小噺です。笑ってください。縦書きでお読みください。
その昔、口入屋というのがございました。奉公先や仕事を紹介するところでございます。今で言う、職安の私的なものと言ってもよいのかもしれません。武家からの依頼をうけるのが主なようで、かなり信用のあるものでした。一方で、手配師と呼ばれる、町の働き口を斡旋する者もいたようで、それはそれで、便利に利用されていたようでございます。ひどいのになりますと人買などもおりました。
熊八と八五郎が仕事からの帰り道のことです。
いつも通るお地蔵さんの脇でうずくまっている人影が見えます。
熊八が気付きました。
「おい、八、地蔵の脇で女の子が泣いてら、迷子かもしれんぞ、ちょっと見てこいよ」
「怖いよ」
「ばか、怖いわけがないだろう、小さな女の子だよ」
「じゃあ、熊、お前行きなよ」
「いや、怖い」
「なんだ、同じじゃねえか、情けねえ」
「あの子の目が真っ赤だ、きっと、雪女だ」
「泣いてたからだ、もし江戸の町に雪女がでたとなりゃ、とっつかまえて、見世物にしてやる」
てなことで、熊八がおそるおそるお地蔵さんのところにいきましてな、
「よう、お嬢ちゃん、どうしたい、お家がわからなくなったのかい」
と、優しくたずねます。その女の子は切れ長の目を熊八のほうに向けて、べー、と舌を伸ばして、ぱっと消えてしまいました。
「きゃああ」熊さんが金切り声をあげて戻ってくると、八五郎に抱きつきました。
「おい、苦しいよ馬鹿力め」
八五郎は熊八を押しのけ、
「どうしたんだい」
と、熊八を見て、またおったまげた。
熊八だと思っていたら、女の子でした。
「怖くはないよ、あいつは、優しいやつだから」
女の子の手を振りほどいて、熊八を見ると、熊八はお地蔵さんの脇で、ぼーっと突っ立っております。
「おい、熊、なにしている」
熊八がこっちを振り返ります。
「女の子がいなくなっちまった」
八五郎が自分の脇を見ると、やはり女の子は消えていました。
「なにかに化かされたかな、早く帰って、飯にしよう」
二人ともぞくっとして、家路を急ぎます。神社の前に来ますと、ちょっと入った草むらの中で、親猫が子猫たちと秋刀魚を食べております。
「景気がいいね、あの猫たち、立派な秋刀魚を食ってら」
「誰がやったのかね、俺たちも秋刀魚買って帰らないかい」
「そうだね、腹へったね」
二人はなじみの魚屋に寄りました。
「こんちわ、おやじ、秋刀魚五匹おくれ」
「へい、まいど」
「熊、なんで五匹なんだ、一人二匹なら四匹じゃないか」
「一匹は、あの野良猫にやるんだ」
熊八には仲のよい大きな雄の虎猫がいました。
「まったく、熊の猫好きには呆れるねえ」
魚屋のおやじが秋刀魚を器に入れて持ってきました。
「へい、まいど、四文で、一匹おまけ」
「ありがとよ、器はあとで、けえすからな」
「次のときでいいよ」
八さんが財布をだそうとしますと、財布がない。
「熊、財布どこいったんだろうな、おかしいな」
「おれが払っとくよ」と、熊さんが自分の財布を出そうとすると、やっぱり懐にあった財布がない。
「おかしいな、落としたかな」
袂(たもと)に入れっぱなしにしておいた小銭を取り出し、何とか払いをすませますと、魚屋のおやじがにこにこして言いました。
「さっき、小股の切れあがった、これまたすごい、別嬪が、秋刀魚を買いに来てな、しかも、十匹も買ってったぜ」
「そりゃあ豪勢だね、よかったな、会ってみたいね」
「でもな、秋刀魚が似あわねえ別嬪よ、鯛やヒラメならよく似合うね、切れ長の目で、ちらっとみられたことにゃ、たまんないよ」
「ふーん、そりゃ、乙姫さんだ」
ということで、長屋に帰りました。
「おい、熊、財布どうしたんだろう」
「二人ともいっしょに落すわけはないね」
そこで、熊八が思い出しました
「あの、女の子だ、すられちまったんだ」
「子供の巾着きりか、やられちまったね」
七輪に火をおこして秋刀魚を焼く支度をします。
さて、秋刀魚を焼いていますと、いつもながらの、野良猫の親分の虎が大きな体を揺らしてやってきます。
熊八がいつものように話しかけます。
「俺も八さんも財布盗られちまってな」
虎の髭がヒクヒクと動きます。
「ほら、最初に焼いた秋刀魚だ」
熊さんが、秋刀魚を虎猫に放り投げました。
虎猫はうまそうに、一匹の秋刀魚をあっという間に平らげてしまいます。
「熊は本当に猫に親切なこった」
「子どもの頃から猫がいたからね、親にゃあ遊んでもらった記憶がねえが、猫にゃあ毎日遊んでもらったんだ」
「猫は兄弟や友達みてえなもんなんだな」
「そうだよ」
秋刀魚を食べ終わった虎猫は顔を洗い終わると、どこぞへと消えていきました。
「さて、おまんまだ」
熊さんと八さんは焼けた秋刀魚をもって、部屋の中に入り、夕ご飯を食べ始めました。
秋刀魚をつついていますと、戸がするすると開きました。
「なんでえ」
見ると、あの虎猫が前足で器用に戸を開けて、中に入って来るところです。
財布を二つくわえています。
「お、俺の財布だ、見つけてくれたのか、ありがとよ」
熊八が礼を言いますと、虎猫はちょっと照れくさそうにそそくさと帰っていきます。
八五郎が中身を改めますと、銭は残っておりましたが、秋刀魚十匹分のお足が減っております。
「俺のは全く減っていない」
熊八の財布から銭は減っていませんでした。
そんなことがあって、しばらくしてのことでございます。
地蔵の前を二人が通りかかりますと、粋な女が立っているではありませんか。熊八たちは、ちらちらと見ながら通り過ぎようとしますと、女が声をかけてきました。
「熊さん、八さん、先だっては悪うござんした」
切れ長の目をした女は丁寧に頭を下げました。
ああ、これが魚屋の言っていた女だと、二人ともにすぐ気が付きました。
二人にはあやまられる意味がわかりません。
「えー、お新造さん、いってえ、なんのことでしたでしょう」
「ほほ、すみません、懐のものをいただいちまいました」
「え、ありゃ、小さな女の子で」
熊八が言終わらないうちに、ぽっと女が消えて、目の前に小さな女の子が現れました。
「あ、あの女の子」
八五郎が驚いていると、女の子は、また、ぱっと消えて、真っ白な猫になりました。
白猫が口をききます。
「うちの亭主に、あんな猫好きから財布をすっちゃいけねえ、もっとしわい奴からとれ、ってしかられましてね」
「亭主ってだれだい」
「あら、熊八さんからいつも秋刀魚をもらっているじゃないですか」
「おー、あの虎か」熊八は納得しました。
白猫がまたもとの姉さんになりました。
「それでねえ、お詫びに、お遊びの席に案内しなと言われております」
熊八と八五郎はまた顔を見合わせました。
「遠くはありませんよ、楽しく、ちょっとお遊びなすって」
熊八と八五郎が喜んでついて行きますと、竜宮城のようなきれいな建物に案内されました。部屋の中には、それこそ、鯛や平目の刺身が並べられ、いい匂いの汁ものが用意されています。
「どうぞ、おすわりなすって」
そこに、若い女の子たちがぞろと入ってまいります。しなしなと熊八と八五郎におしゃくをはじめたのでございます。
「こりゃすごいね、熊」
「ああ、こんなごちそうたべたことがない、殿様気分だ」
熊八と八五郎は、酒を飲み、刺身をつつき、旨い汁を飲みました。やがて、二人とも眠くなり、寝てしまいました。
ふっと気がつきますと、二人の目の前には野原が広がっています。
「やや、熊さん、どうなっているんだ」
八五郎は懐に手をやると、また、財布がありません。今日の手間賃はかなりのものでしたが、それがなくなっているのです。
「俺の財布もない」
熊八が懐をさぐりました。
「また、やられた」
二人はすごすごと、長屋に帰りました。
「今日のおまんまはおかずなしだ」
家の前に虎猫が待っていました。
「おい、虎、おまえのかみさんにだまされて、また、財布がなくなった、秋刀魚はないよ」
熊八が虎に声をかけますと、虎は首を横に振って、そそくさとその場を立ち去りました。
熊八と八五郎が隣からもらった沢庵をぽりぽりかじり、ご飯をかき込んでおりますと、入り口がすーっと開きました。
虎が入ってまいりました。真っ黒な猫が後ろについてきます。
二匹の猫は秋刀魚をくわえています。
猫は近寄ってくると、秋刀魚を熊八と八五郎の前に置きました。
「これをくれるのかい」
虎猫は頷きます。
熊がさっそく、七輪に火を起し、秋刀魚を焼きました。焼きあがあると、一匹は八五郎と半分ずつ食べました。残りの一匹は二匹の猫にやりました。
「熊、虎のかみさんは白猫じゃあなさそうだ、この黒猫だろう」
八五郎がそう言うと、虎猫も黒猫も頷きました。
「あの巾着きりの女はどこの猫なんだろうね」
「熊、化ける猫なんてただもんじゃないぜ、この二匹は化けねえだろう」
「そうだな」と、熊さんが頷いたとたん、虎猫は太ったお兄さんに、黒猫は、小太りだが、なかなかの美人のご婦人に化けまして、
「熊八さん、八五郎さん、秋刀魚をいつもありがとうござんす、あの白猫の白ばあさんは、いい猫なんですが、年をとってからは楽をしようとして、みなさんを鴨にしたりして困ったものです。止めるように言ったのですが、またやっちまった、財布はあとで返しに来ると思います、あっしからもお詫びをいたすところです」
虎猫が化けたお兄さんが頭を下げました。
黒猫が化けたご婦人も、
「ほんに、白ばあさんが迷惑をおかけします、すみませんです」
と、頭を下げた。
「いやな、余裕があれば、秋刀魚でももっと買ってやれるが、日銭はそんなに多くはねえからなあ」
熊八が申し訳なさそうに言うと、虎猫のお兄さんは首を横に振った。
「とんでもねえことで、いつもごちそうになっております、ありがたいことです」
「それであの白猫は何で巾着きりなんかするんで」
「白ばあさんは、捨てられた子猫を集めて、育てておりやす、あっしらも育てられやした」
「そういやあ、親猫がたくさんの子猫に秋刀魚を食わせていたが、あれがそうか」
「ええ、その通り、はずれの神社にすんでおります」
「そりゃあ、えれえが、でもよ、人に化けられるなら、化けて働けばいいじゃねえか、口入屋にでもいきゃあ、いい働き口があらあ」
「へえ、そうですが、長い間化けていることはできません」
と言う間に、二匹は元の猫に戻っております。
そこへ白い猫がやってきました。
「ほら、ばあさんがきやした」
虎猫が言うと、白猫はぱっときれいな女に化けて、
「すみませんでした」と財布をさしだしました。
熊八が受け取って、白猫に言いました。
「虎から聞いたよ、捨てられた子猫を養っているって言うじゃねえか、大変なこった、どうだい、俺の家の掃除にきてくれねえかい、そうすりゃあ、手間賃をやらあ、それで、秋刀魚でも何でも買って子猫に食わしてやりゃあいいだろう」
「熊、いい考えだね、俺の家もやってくれねえか、子猫でもいいやね、ちょっと部屋を片付けてもらえりゃあ、手間賃だそうじゃないか」
「ありがたいことですが、私ら一つ時しか化けておれません、子猫たちはほんの少しの時しかもちません」
「そいじゃ、役割を決めればいいじゃねえか、何人かで交代でやりゃあ、一つの仕事が片付くってわけよ」
「そうですねえ、考えさせておくんなさい」
白猫はそう言うと帰って行きました。
虎と黒はまた人間に化けて、
「あっしらも、恩返しに、手伝いに参ります、ありがとうござんした」
そう言って戻っていったのです。
それから数日たちますと、粋なお姉さんが若い子を連れて熊八と八五郎の家にやってまいりました。
「今日からよろしくお願いいたします」
子猫が化けた若い子たちは、熊八と八五郎の家の掃除を始めました。
こうして、そのときから、二人の家には入れ替わり立ち替わり若い子がやってきて、家の掃除やら、夕飯の用意やらをしていきます。
それを見ていた、近所のおかみさん連中が熊八に尋ねます。
「熊さん、何だい、若い娘が入れ替わり立ち替わりきて、掃除をしているじゃないか」
「おおよ、雇っているのよ」
「お金もちだね」
「いやさ、一時でこれだけだ」と指を一本差し出しました。
「一文かい」
「ああ、みんなで一文だ」
「そんなことでやってくれるのかい」
「ああ、そういう口入屋があるんだ、だがなあ、一人一時でそれ以上はできねえ、だから、一時以上かかるときには、二人、三人と頼む分けよ」
「だから、入れ替わりに若い娘がきているのだね」
「そうよ」
「あたしはね、ちょっと出かけるのに、子どもを預けたいんだがね」
「子守かい、そいつあやってくれるかどうかわからねえ」
「聞いてておくれでないかい」
「いいよ、聞いてみらあ」
そういうことで、熊さんが虎猫にそのことを伝えますと、白猫がやってきて、「よござんす、やってみましょう」ということになり、子守もやるようになったわけでございます。
そのうち、熊八と八五郎の家では数匹の猫がたむろするようになりました。その猫たちは、熊八が仕事に出かけると、娘になって家をきれいにし、時間が来ると、猫にもどって、家の中で丸くなっています。
「熊、猫たちは、よく働くな」
「うん、最近は一緒におまんまを食べたりしている」
「おれもだ」
それから、熊八と八五郎の家に、白猫が新入りの野良猫を連れてくるようになりました。
「働き口を紹介してくださいな」
五匹の子どもを抱えた野良猫のお母さんにたのまれると、熊八と八五郎は大家さんに紹介しました。
ある日、子猫が化けた娘が、大家のおかみさんの前でいきなり猫に戻ってしまったのです。ところが、おかみさんが「あたしゃ、年取ったねえ、あんたが、猫に見えちまった」との一言、それで終わったということでした。
このようにして、猫入屋が誕生したのでございます。
猫も人間も新たな経済社会を形成したのでございます。現代の人間も学ばなければいけないのではないかと、経済学者が申しておるのでございます。これこそが、グローバルな社会と言ってよいのでございます。
猫小咄集「お猫さま」所収 2017年 55部限定 自費出版(一粒書房)
2017年度(第20回)日本自費出版文化賞、小説部門賞受賞
お猫さま 第十話ー猫入屋