氷河の土産

氷河の土産

茸SF小説です。縦書きでお読みください

 日本という国はなるほど面白い。大陸から切り離され、細長く、人の気質も大陸とはかなり違っている。自然に目をやれば、寒帯から亜熱帯にすむ多様な動物いて、植物があるし、世界の北限の猿がいるとおもえば、世界の南限の氷河がある。
 氷河は唯一ノルウェイの旅行中に見たことがある。ブリクスダール氷河である。テレビでもいろいろな国の氷河を見たが、どれも青緑に輝き、半透明の鉱物のように綺麗だ。
 今の時代、氷河が溶けはじめているといわれる。人が環境を乱した結果の温暖化のためといわれるが、氷河期後期、間氷期といわれる今の時代の自然のなりゆきなのか。氷河が溶けたら海面が60メートル上昇し、人のすんでいる陸地のかなりの部分が海水に覆われてしまうという。
 不遜だが、私などはその心配より、溶けた氷河から何がでてくるか楽しみである。
 氷河の中にはいろいろなものが閉じこめられている。
 氷河から行方不の登山者の遺体が色々なところで発見されている。75年前に不明になった登山家夫婦がアルプスのツァンフルロン氷河で見つかったのは有名である。氷河の中にはもっともっと昔の人間もはいっている。1991年にイタリアとオーストリアの境にあるアルプスの、エッツ渓谷にある氷河より発見された男は、紀元前3300年頃殺された者であることが判明し、アイスマンと呼ばれた。アイスマンは斧をもち、身につけていた袋の中に茸が入っていたという。
 もっと古くなると、これは氷河ではないが、ロシアシベリアの永久凍土から39000年前の十歳のマンモスがみつかった。それは遺伝子解析をされ、進化の科学的証明を可能にした。
 おそらく氷河が溶け出すと、あらゆる不思議が目の前に提示されることであろう。
 日本の氷河が見つかったのは比較的最近のことである。富山の立山(飛騨山脈)に厚さ30mほどの氷河が雪渓の下にあることがわかった。現在富山には3つ氷河があるという。
 もっと新しいことであるが、私の住んでいる信州にも氷河が発見された。私は諏訪に住んでいるのでちょっと離れているが、長野大町の北アルプス、鹿島槍ヶ岳のカクネ里雪渓に氷河が存在することが報告されたのである。標高が3000mに近い険しい山の奥である。
 私がすんでいる諏訪には観光地として有名な諏訪湖がある。自分の家はもっともっと山奥にある。もとは農家で祖父までは農業を営んでいたが、父は町役場につとめ、農業はやめていた。
 両親がなくなってから、私は実家にうつりすんだ。
 実家の周りの山々には天然の美味しい茸が生える。
 私は東京の農学系の大学で菌類について学んで、製薬会社に勤めていたが、そこをやめ、実家に戻って茸の大規模栽培をはじめたのである。茸栽培のはしりの頃で、それが大当たりをして、数年前、会社組織にし、茸の保存技術の開発部門と天然茸出荷部門を併設した。天然茸出荷部門にはこの地域の茸採のベテランに社員となってもらい、茸のよく採れる場所のマップをつくり、天然茸の採取をより科学的見地から効率的にすることで、日本ばかりか、世界に珍しい食べることのできる茸を送り出している。採取人たちには基本給にくわえ、採取した茸に対する歩合支給をおこなうことで、一年を通して安定な収入を保証した。それで農家の隠居したお年寄りたちがこぞって私の会社の専属になりたがり、多くの人が採取専門職員になっている。
 本当の天然舞茸や松茸が安定して採れ、その上、我社が開発した新鮮さを保つ特殊な保冷技術があることから、東京の高級料亭などの注文がひきもきらない。それだけではなく、茸研究者からの珍しい茸の採取依頼も多い。
 そのようなある日、ある登山家から電話があった。彼は高校時代の先輩で、登山部で活躍していた。今では有名な登山指導者の一人となっている。
 「急なことで申し訳ないが、相談にのってほしいことがあるので、今日そちらにいっていいいだろうか」
 彼の話しの様子では、かなり急いでいるようだ。そこで諏訪湖のほとりのホテルのロビーで待ち合わせた。その先輩は橋田という。
 橋田は午後のあずさでやってきた。
 「篠田さん、久しぶり、忙しいところ、急で申し訳ない」
 ロビーに入ってきた橋田は昔と変わらず、きびきびと精悍な足取りで私の前に座った。
 「橋田さん、こちらこそ久しぶりです、なんでしょう、珍しいですねずいぶん急いでいるようだ」
 彼は登山家らしく、どんなに緊急なことがあっても、あわてたことがない。
 「いや、慣れないことで、早く解決しないと思ってちょっとあせってね」
 彼の顔に笑顔が浮かんだ。
 彼の手は鞄から封筒を取り出した。中からでてきたのは写真である。
 「この写真は以前、コクネ里雪渓下の氷河調査に同行したときに撮ったものだけど、ほら、ここに何か写っているだろう」
 雪渓の割れ目から下に降り、氷河の部分と思われる氷壁の写真を撮ったものである。その氷の中に赤っぽい物がいくつか並んで入っている。
 「これがその部分だけの拡大だ、あまり鮮明じゃないが、どうも茸のような形をしている」
 ぼんやりとしているが、確かに茸のようである。
 「だけど、そんなところに茸が生えるわけはないですね」
 「うん、それはそうだが、氷河は積もった雪が圧縮されできるのだから、その大昔、誰か、いや動物かもしれないが、茸を雪の上に運んだということになるね、それが氷となって閉じこめられたわけだ、とすると、何万年も前の茸かもしれない」
 もしそうならとても面白い。大昔の茸を見ることができるわけである。
 「誰が運んだのだろう」
 「いや、その前にそれが茸かどうか調べなければならない、それで俺が篠田さんの茸の会社の話をしたら、調査隊の隊長から、氷河から茸の入った氷を切り出したあとに、どのように保存すればいいか聞くように行われたんだ、俺が先日スイスの山から帰ってきたら、急に一月後にその氷河の調査に行くと連絡が入ってね、まだ時間があるだろうと思ってほおっておいたら今になっちまって、あわてて電話したということなんだ、あと十日後に出発なんだ」
 「氷を溶けないようにもって帰ればいいので、市販の保冷用の袋でも大丈夫だと思いますけど、私どもの茸専用の袋なら、生のままでもかなり長く持ちますし、凍ったままいれたら、一月の間袋に日が当たったっても中の氷は溶けません。もう特許を申請してあって、色々なものに応用されようとしています、冷房車でなくても、生ものの宅配ができるというものです」
 「それはすごいね、世界の注目を浴びるのじゃないか」
 「ええ、すでにアメリカのNASAから問い合わせがきています」
 彼は驚くように私を見たが、すぐ俯いたまま言った。
 「それともう一つ、隊長からいわれたのだけど、厚かましいが、氷河調査の予算があまりなくてね、寄付を頼めと言われてしまった、いや、無理にではないのだけど」
 彼はこういうことが苦手であることはよく知っている。さぞ言いづらかっただろう。
 「ええ、もちろん、いいですよ、もしそれが茸であったりすれば、保存袋の宣伝にもなります、それに信州の茸の歴史の解明に会社が関わったとなれば、もっと宣伝になりますから、こちらからお手伝いをお願いしたいくらいです。五百万ほどでいいですか」
 彼はそれを聞いて驚いたように顔を上げた。
 「足りないですか」
 私が言うと、さらに驚いて、
 「とんでもない、十万くらいだしてもらえればと思っていたので、びっくりしたんだ、会社がうまくいっているんだね、今回の調査は大がかりで、氷河をかなり深く掘って調べるそうだ、それで、一月ほどかかるので、費用が大変なんだ、文科省からも特別予算をもらってはいるが、それだけでは十分ではなくてね」
 「気にしないでください、会社はいい調子です、その保存袋が知られれば、かなり大変なものになります。それより、その氷河の調査プロジェクトは面白そうです、一人うちの会社から人を出していいですか」
 「いや、それは願ったりかなったりのことだ、ありがとう」
 そういうことで、私の方から担当者をだして、途中まで調査隊に随行させることになった。同行させるのは飯沢といって、山登りの経験は豊富である。わが社に入る前は山岳救助隊をしていたこともあり、山には慣れている。今は険しい山から珍しい茸を採ってくる部門のまとめ役である。本人が採りにいきたがるが、危険にさらすわけには行かないので、あくまでも助手的に働くようにいってある。

 六月になり、氷河調査隊は槍ヶ岳にむかった。コクネ里雪渓に到達するのに二日ではたりない。鹿島槍ヶ岳の相当奥である。
 私は会社の用事で現地に見送りには行かなかったが、飯沢との連絡役に会社の若い者を一人配置した。飯沢と絶えず連絡をとり、状況を私に伝えることになっている。それに、採取した茸の入った氷はとりあえずわが社で保管することになった。下山口にわが社の冷凍車を待機させ、飯沢が会社まで持ってくる。
 氷河の調査は順調で、三日目に前調査したところが特定され、写真が撮られた割れ目に再度降りて改めて調べた。その結果、表面から5メートルほど下のところに写真のものを確認した。そんなに深くないということで、結局飯沢も降りてみたということだ。目で見た限りでは確かに赤い茸で、紅天狗茸の仲間のように見えると飯沢が報告してきた。
 茸の入っている氷河の上の雪渓を少しずつ削ってほり、氷河の表面を露出させた。さらに削っていき、いくつもの茸が埋まっているのが見えてきたという連絡が入ったのは掘削を始めて二日目であった。
 赤い茸が目で確認できるようになり、茸たちが埋まっているのは3メートル四方ほどであることが分かったということである。あまり広い範囲ではない。他のところもピンポイントでチェックしたが茸は見られないということだった。
 報告の中で興味を引くことがあった。茸の傘の大きさは様々で、みな赤色系統の茸ばかりであること、存在している深さがほぼ同じ程度ということであった。
 さらに驚くことには、茸が同心円状に綺麗に並んでいるということである。不思議なことである。同じ時期にそれらの茸が雪の上にあったということである。
 どうしてその場所に茸が集まったのか、しかも同心円状にである。誰かが置いたとしか考えられませんと、飯沢は報告してきた。それに赤い茸ばかりであるというのも腑に落ちない。赤いものが好きな鳥か獣が運んだにしても、なぜ同心円状に並んでいるのだ
 これから茸のはいった部分を一辺30cmの立方体に切り取って、保存袋に入れるということである。茸の種類はなにか、飯沢が茸を持ち帰るのが楽しみである。

 調査隊の活動も予定の半分が過ぎた。他の場所に茸はないようだということで、調査は氷河形成の調査が中心になった。飯沢の仕事もおわり、先に麓に降りると連絡があった。茸の入った氷は数にして百ほどである。当然一人でもって帰れない。我社がヘリコプターをチャーターした。飯沢も一緒にヘリコプターで降りることになった。
 茸の入った氷は会社の冷凍庫にしばらく保管される予定である。会社の車を麓のヘリポートで待機させた。
 こうして、茸の入った氷河の氷は無事麓につき、飯沢とともに会社に帰ってきた。
 「ごくろうさん」声をかけると、飯沢は日焼けで黒くなった顔をほころばせて「面白かったです」と元気に持ってきた茸をマイナス20度の冷凍庫にしまった。
 次の日、休めというのに、張り切って出社し、冷凍庫の中で氷の茸の写真を撮り、さらに温度の低いマイナス80度の資料庫の中に茸の氷をしまった。
 そのあと、活動記録と氷の画像のはいったPCを持って社長室に入ってきた。
 「社長、実際に現場を見たら、茸は誰かが並べたのだと思いました、どれもが立った状態で並んでいるのと、赤い茸だけということからしても、自然現象では決してありません」
 「そうだね、空から降ってくるようなことはないだろうから」
 「ええ、竜巻で吸い上げられて落ちてくることも考えられますけど、赤い茸だけ巻き上げられることなどないし、すべて立ったまま落ちることはないでしょうから」
 「どんな茸だった」
 彼はPCを開いて画像を見せてくれた。
 「氷の中なので、確実なことは言えませんが、今でも見られる赤い色の茸たちです」
 彼は茸のリストを私の前に置いた。そこには、紅天狗茸、赤山茸、とがり紅山茸、緋色傘、紅山茸、赤沼紅茸、花落葉茸、血潮茸、卵茸、緋色紅襞茸、花イグチ、アカコウジ、血潮ハツ、チチタケ、杏茸、臼茸、不明数点と書かれていた。
 「茸の数は500以上です、これらの茸は、傘を上にして氷の中に入っていました。しかも、均等に存在しています」
 「うん、この茸が埋まっていた全体象を教えてほしい」
 「はい、これが上から見た図です。私がスケッチをしたものです」
 飯沢は一枚の紙を私の前に広げた。
 「茸の絵のわきに名前も書いておきました」
 紙には童心円状に茸の傘が描かれている。雪の上にこれだけの赤い茸がならべられると見事なものであったろう。
 真ん中にも一つ、茸が描かれているが、他の茸と違う。
 「この茸はどうしたの、これだけ横向きだね」
 「ええ、それだけそうなっていました」
 「ひっくり返ったのかな、これ見てみたいな」
 「はい、冷凍保存してあります、茸に番号が振ってあると思いますが、それは保存してある氷の番号です」
 彼は紙の上の茸の絵を示した。茸は一つの氷のブロックに五から十五個ほど入っているようだ。横向きの茸だけ一つの氷のブロックに入っている。
 「真ん中の茸だけ他と離れて氷にはいっているね」
 「理由はわかりませんが、他の茸は真ん中の茸から少し離れて並んでいます」
 それは8番の資料として保存されていた。何者かが真ん中の茸を中心に同心円状に赤い茸を並べたと考えるしかない。
 「見てみたいな」
 「今から行きますか」
 私はうなずいた。

 開発棟の冷凍室で、飯沢が8番の資料をマイナス80度の冷凍室から、マイナス20度の前室に移し、氷を袋から取り出した。氷はかなり純粋のようで、中が透き通り良く見える。確かに茸が横になっている。傘は赤い。しかし、詳しいところはわからない。おやっと思ったのは、柄の部分も赤く、傘を含め編み目状の模様が表面を覆っているようだ。こんな茸は見たことがない。太古の茸の可能性もある。
 すぐにマイナス80度の部屋にもどして、もう一つ隣の7番の資料をみることにした。紅天狗茸に似た茸が前に3つ、後ろに3つ並んで入っている。
 「面白いね、調査隊がもどったら、研究者と一緒に私も調べてみたいね」
 「はい、うちの研究室を使うのどうでしょうか」
 「そうだね、研究費をうちがだして、ここでやってもらうようにしよう、いい宣伝にもなる」
 「大学の研究室にあるような器具が必要になります」
 「そうだね、うちの研究室は応用のための研究だから、基礎研究に必要な器具も充実させよう、大した費用じゃないだろう」
 「結構になるかもしれませんが、我が社には利益になります」
 
 それから二週間後、氷河調査隊は山から下りてきた。
 橋田先輩から隊長の増井教授と一緒に会社に来ると電話があったのはそれからさらに一週間後であった。増井教授は世界的な氷河の研究者であるという。
 会ってみると、なかなかさばけた人で、私の会社の寄与に礼を言い、報告書の謝辞にも必ず会社の名前を入れると、私たちの協力を喜んでくれた。
 そこで、私の方から、氷河の中の茸の研究を我社の研究室で、大学の茸の専門家も交えて行いたいことと、その費用はすべて持つことを伝えたら、ますます喜んでくれた。
 橋田先輩が言うには、茸の入っていたあたりの氷の年代を調べたところ、まだ結論には至っていないが、他の部分の氷より古いということだ。ということは古い氷の周りに新しく氷が造成された可能性がある。
 「だいたい、いつ頃のものでしょうか」
 「いや、まだはっきりしないのですが、茸が埋もれていた辺りは、十万年ほど昔かもしれません、他のところはもっと新しいもののようなのです」
 増井教授は不思議な現象だと言った。
 「あの氷河にそんなに古い氷が残っているとは思いませんでした。南限の山岳氷河で、あまり大きなものじゃありませんからね」
 「なぜ茸のあった部分だけ古いのでしょう」
 「他のところはいったん溶けて、また凍り付いたということかもしれませんね」
 増井教授の話では、今後は文科省と相談して、研究を一緒に行う研究室を選んだり、組織作りをしていくという話であった。そこで茸に関しては私の卒業した大学の菌学の研究室と科学博物館と一緒に行ないたいことを伝えると、必ずそうするので、研究を進めてくださいという話になった。
 それからまもなく、氷河に埋もれていた茸の解析の依頼が、文科省からとどき、研究がはじまった。私自身も卒業研究で茸の成長を調べた経験からメンバーにいれてもらった。会社のマネージばかりしていたので、研究活動は三十年ぶりである、なぜか新鮮な気持ちである。一月後には中間報告をすることになっている。
 はじめは我社の研究者が基礎研究専門家の指導を受け、どの茸を最初に取り出すか決めた。最終的にすべての茸の解析をする必要があるが、五百近くあるので、すべての種類から一つづつ選んで行うことにした。氷からだして、形態的な解析はもちろん、遺伝子解析、組織解析などをおこない種の同定をおこなっていくのである。
 解析はいくつかの研究施設で行われ、同じ茸を二ヶ所で調査した。ダブルチェックでより精度をあげようということである。一月後には結果がでて、結果の照らし合わせが行われた。その結果、氷の中の茸は外形的には今の茸と同じだが、遺伝子組成の一部にちょっとした違いが見られることがわかった。
 いくつかの茸の解析結果は、中間報告として、調査隊長の名前で文科省に報告され、メディアにも紹介された。その報道は菌類研究者の間でも話題になったが、それよりも人類学者、考古学者、さらに宗教学者も興味をもった。
 赤い茸はその当時、山の裾野で採れと考えて良いだろう。それにしても、赤い茸だけいったい誰が、あんなに高い山の上にまでもっていったのか。
 時代としては旧石器時代。山の裾野では、人々が狩りや実の採取で生活を展開していたのだろう。長野の野尻湖の遺跡では4万年前の地層からナウマン象の加工された骨が見つかっている。新聞上の話題にもなった。ある人類学者は当時の人間がナウマン象を飼い慣らし、山々に上っていたのではないかと想像をめぐらした。
 でもなぜ同心円上に並べらたのか。赤という色は当時の人間にどのような意味があったのか。宗教学者は、旧石器時代に赤い色をあがめる宗教的な、またはまじないのようなものが生まれたのではないかと推測をした。
 そのような具合に、氷河茸の解析の領域は広がっていった。
 私は一番真中の茸が気になっていた。ぜひ私の手で調べてみたい。そんなことを委員長にもらしたら、どうぞ進めてくださいということになった。
 氷河の氷は貴重である。会社の茸の研究員とともに冷凍室にはいった。
 鋼を氷にあて、ハンマーで打った。すると、ぱっかりと半分に氷が割れ、茸の片面がきれいに露わになった。なかなかいい状態である。もう半分をきれいに出すために、もう一度氷の上を打った。すると、凍ったまま、茸がころりと転がりだした。しかし、傘の部分と柄の下の方が少しかけて、氷の固まりの方に残ってしまった。
 茸の一部が残った氷は再び容器にいれマイナス80度の部屋に戻した。
 ころっとでてきた茸の全体の写真をとり、はこれから自然解凍して、生化学、遺伝子、細胞学の研究用の組織として一部を切り取る。
 研究室に放置すること一時間、溶けた茸はトレイの真ん中で横たわっている。凍った茸を解答しても形はくずれないが、この茸はだらっとしている。
 柄まで真っ赤で、赤黒い編み目の筋が全体を覆っている。図鑑でもみたことがない。傘の下に襞がなくつるんとしている。胞子はどこでつくるだろう。
 傘の一部をピンセットで摘んでみると、普通の茸と感触が違う。ゴムのような弾力のある組織で茸らしくない。
 茸全体をつまみ上げると、ぐにゃっと曲がった。縦にスライスしたゆでたエレンギーを持ち上げたときのようだ。
 メスで縦に半分に切った。
 断面があらわれると、みんながあっと声をあげた。私も目を疑った。
 これは茸ではない。
 大学時代に行った鼠の解剖そっくりだ。
 誰でも知っているが茸を包丁で縦に切ると、筋状の断面が出てくる。それは菌糸の束である。ところが、この茸の傘の中には、白っぽい丸い構造があった。鼠の頭蓋骨を開いて取り出した脳がこのような感じである。
 切断した幹を見ると、菌糸の集まりではなく、臼茶色の臓器のようなものが現れた。
 ピンセットで臓器のようなものをちょっとつまみ上げた。それに連なって他の部分も持ち上がってきた。解剖した鼠の胃を持ち上げたときに腸も連なって持ち上がってくる。まさにそのような感じだ。
 他にもいくつか、臓器のようなものがあった。腹腔の中のように見える。茸の表面の赤い編み目模様は血管のようにも見える。
 これは動物だ。私はそのまま、切断した物を再び凍らせるように言った。すぐ冷蔵室にすべてをしまい。この結果をどうしようか考えた。進化の過程の何かを示す動物に違いがない。まず橋田先輩に連絡すべきだろう。電話をした。
 驚いた橋田さんはすぐ会社にやってきた。私はその動物を見せた。彼も茸の形をしている生き物など知らないと言う。当たり前のことである。
 「まず、隊長の増井さんには知らせるべきだろうな、彼は氷河の専門だが、文科省とつながっている人だから、こういった場合の対処は心得ている」
 この生き物の写真をもって、増井教授の研究室に行って相談することにした。
 資料を持って増井教授の大学に行った。
 彼はは写真を見るとうなった。
 「私は動物のことはわからないが、まず、ふつうの生き物ではないことはわかります、それで、そういったことが起きたときの窓口の人間は知っていますので、相談してみましょう。篠沢さんにはいろいろお世話になりますが、場合によっては、その動物のプロジェクトができるかもしれません。そのときはメンバーになっていただけますか」
 私はうなずいた。
 「可能性はいくつもあります、進化途上の生き物か、外来生物か、何かの動物がたまたま変形してしまったのか、それにしても、とりあえず極秘にお願いします、おそらく茸に囲まれていたということが、大きな手がかりになると思います」
 増井教授の話では日本でもアメリカのテレビドラマのXファイルのようななその事柄を扱う部署があって、すべての省庁からそういったことが発生したときはそこに情報が行くという。生物系で怖いのは感染などのことが起こる可能性だという。しかし、氷河の氷やすでに調べた茸には危ないウイルスや細菌は検出されていない。
 そのような話をして、一週間も経たないうちに、文科省の予防医学の担当者が、橋田さんとともに専門家を引き連れて会社にきた。
 担当者は鈴木という生物学の学位を持っている男だった。彼はその茸を見ると、すぐに、「これは、未知の生き物でもあるようですし、外来生物の可能性もあります、この手の物を扱う研究所で調べさせていただきますので、そちらにいただいていきます、篠田さんも菌類の専門だときいていますので、プロジェクトにお入りいただきたいのですが」
 丁寧に私に聞いてきた。もちろんうなずいた。
 「他の方にはいわないでいただきたい、いずれ、有害無害にかかわらず、必要なら公式に発表します」

 その年の暮れ、そのプロジェクトの集まりが文科省の一室で行われた。茸を持ち去られて半月近く経つ。
 メンバーは医師、解剖学者、進化の専門家、特殊菌類を研究している者、氷河専門の増井教授、私と橋田先輩、それに宇宙生命研究者、宇宙航空工学者、宗教学者がいた。防衛省の役人が一人加わっている。
 この面々を見て疑問が頭に浮かんだ。
 地球外生命を考えているのか。
 文科省の担当者である鈴木が皆を紹介し、これからの計画と役割を言った。
 増井教授と橋田先輩は調査隊をひきいてもう一度氷河の調査を行うことになった。氷河の中に異質な鉱物が含まれていないか綿密な調査をするという。
 文科省の鈴木が締めくくるように言った。
 「今日は顔合わせですが、解剖学の木下先生に、すでに行われたこの生物の解析の結果をかいつまんで話していただきます」
 木下というある医大の教授はスライドを示しながら、はっきりと言った。
 「これは、地球外の生命体です、しかも、胎児か生まれてすぐの個体です」
 意図も簡単に宇宙人だと言った。このようなケースが他にもあって慣れている感じがする。
 「目鼻口はありませんが、脳に相当する器官があり、皮膚の感覚は触覚、視覚、嗅覚、聴覚すべてを感じることのできる装置のようです。現在その感覚器を解析中です。やはり酸素は必要のようで、皮膚は空気の中から酸素と水分を吸収し、血管で体中に行き渡らせているようです。心臓に相当する器官もあります。栄養の一部は柄の底の皮膚から摂取するようです。形としては肺だとか胃だとか我々と似たような臓器が見られますが、皮膚から取り込んだ物をただ蓄えるだけの働きのようです。皮膚で吸収されたとき養分はその場でこの生物の細胞が利用できる状態に分解されるようです。大変効率のよいからだです。神経は相当発達していて、からだ全体すべてを制御しているようです、ホルモンのようなものはおそらくあると思われますが、まだ確認されていません」
 「生殖系はどうなっていましたか」
 医師が質問した。
 「はっきりとはわかりませんが、遺伝子の解析では二重螺旋ですので、雄と雌があって、性交渉で雌の体の中で育つのではないでしょうか」
 「哺乳類と同じようにですか」
 「はい、精巣らしきものと、卵巣らしきものを両方持っています。二つの性を持つ生きもので、カタツムリと同じように、体内で受精させ個体を生むか、発芽させるのかもしれません」
 「もし、宇宙人だとしたら、かなり知能の高いものでしょうな」
 防衛省の役人が聞いた。
 「そう思います。神経系と思われる仕組みは、解析途上ですが、おそらく、我々の脳の何十倍もの能力をもっているのではないでしょうか」
 「武器とかそういうものは見つかっていないのですかね」
 「今のところそういうものは一切ありません、この生き物は手足がなさそうです、ただこの個体は生まれたてか、胎児だと思います、大人になって、触手のようなものが生えてくる可能性はあります、それにしても、力のあるものではなく、武器があるとしたら、軽くて影響力の強いものだと思われます、最も怖いのは、体から何らかの物質を放射し、それが武器になるかもしれません」
 「それで、なぜこの子供だけ氷河の中にとじこめられたのですかね」
 「もし、胎児か子供だとしたら、死んだのだろう」
 医師が言うと、宗教学者が「それでは、死んだ子供を雪の上に安置して、周りに採ってきた茸を並べたことになる」
 文科省の担当者が、
 「はい、その可能性があります、茸がこの生物に似ていたので、寂しくないように、赤い茸だけ選んで、死んだ子供の周りに並べたという可能性があります、これは、宗教学者の緒方先生のご推察です」
 と言った。
 「もしかすると、茸の数だけ、宇宙人がそこにいた可能性もありますな」
 宗教学の教授が追加発言した。
 私は質問をして議論を科学の方に引き戻した。
 「細胞は人間と同じでしょうか、それとも、植物や茸に近いのでしょうか」
 「血管は菌糸の細胞と似ています、内蔵の細胞は動物の細胞とはほど遠く、核とか細胞内小器官はまったくありません、遺伝子が染色体を形成せず、糸状に絡み合って細胞の中に存在しています」
 「細胞が動物でも植物でもないので、地球外生物と言わざるを得ません」
 係官がきっぱりと言った。
 人類学者が「ストーンサークルと関係ありませんかね、諏訪郡原村の阿久遺跡のストーンサークルは古いもので、縄文時代のものでしょう、茸の並べ方から思いついたのだが、マシュルームサークルですな」と言った。
 「しかし、この氷河の茸の年代は旧石器時代に相当しますから、時代は違いますね」
 「確かに時代が違うかもしれませんが、何度もその宇宙人は地球に訪れているかもしれませんね、旧石器時代にマッツシュルームサークルを作った宇宙人は、縄文時代にも作った、しかし、葬儀を山の中や野原で行ったため、茸の輪は残らなかったが、それを見ていた縄文人がストーンサークルを作るようになった」
 私にはSF小説の筋書きが展開されているように聞こえる。面白いが、科学の視点から明らかにしてもらいたいものである。
 医師が「篠田さん、この茸を最初に見いだしたそうですが、茸は、いや、この茸生物はすべて溶かしたのですか、氷にはいったままの部分はないわけですね」と、私の方を向いた。
 「あ、そうだ、今思い出しました、傘の部分と柄の部分がほんの少しですが、氷にはいったまま保存されています」
 「細胞を培養してみたいのですが」
 医師のことばに、文科省の係官は「篠田さん、それをすぐとりにいかせてください」と私に言った。
 「ええどうぞ、すみません、いつでもお持ちください」
 「今日はここまでです、ここでの話は極秘のものですので、改めて口外しないようお願いします。このプロジェクトは茸形地球外生物プロジェクト、MELプロジェクトと名づけられています、今後ともよろしくお願いします」
 
 それからしばらくしてMELの事務主任となった鈴木さんが会社に来た。
 「人類学者、宗教学者の先生方は先日の全体ミーティング後に何回か話し合っていただいています。あの場での議論のとおり、あの茸のサークルは、茸形宇宙人が赤子が寂しくないように、地球上の似た生物である赤い茸を集めてサークルを作ったと結論されました」
 鈴木さんは茸サークルの目的をそのように説明し、さらに続けた。
 「MELの今段階の結論では、宇宙人は十数万年前に地球にやってきて、長く地球で生活をしたのちに自分の星に戻ったのですが、地球から離れる直前に亡くなった赤子のため山の雪の上に茸サークルを作った、何千年も経ちそこに雪が積もり氷河が形成され下に流れてきて、もっと新しく形成された氷河とぶつかりあったと考えます。
 いずれ、茸形地球外生命の発見は発表されることになりますが、宇宙人であることは伏せられます。したがって、茸のサークルについてもまだ発表はしません。
 茸異星人の細胞の培養を医師の中山先生が中心におこなっています。これは、中山先生と研究スタッフ、私と篠田さんしか知らないことです。もちろん、文科省のトップも知りません。政府の中のある方からの指示がでています」
 第一回総会後すぐに、茸形地球外生物の欠片が入った氷はわたしてある。
 「中山先生のグループでは遺伝子形式の解析が終わり、細胞を培養もうまく行きつつあるので、茸形地球外生物の組織や臓器の再生もそんなに時間がかからずに出来ると思います、さらに、うまくいけば、茸星人そのものを生み出すことができるかもしれないません。
 篠田さんには茸サークルに入っていた茸の研究チームで地球上の茸の進化の解明を進めていただきたいと思います、茸形地球外生命がもしかすると、地球の茸を、利用のため改良していたかもしれません、何かがわかるかもしれない」
 鈴木さんの言ったことは考えてもいなかったことだった。さすがに我々とは異なった見方をする。それはとても興味のあることである。
それから一年、MELプロジェクトはそれぞれのグループが研究を進め、何回か総会を開いた。
 その結果、社会に向けて長野の氷河の調査結果が発表された。新しい茸型の生物を氷河調査隊により発見されたことが、新聞の一面に記載された。
 「氷河の中にあった生物は、進化の過程で茸の中に寄生し、そのまま茸の形に進化した生物で、茸の形をした動物である、しかしそれ以上の進化が起こらず、絶えてしまったものと推察されている。世界を驚かせたすばらしい大発見である。今後の研究が待たれるところである」
 どの新聞にもそのように書かれていた。

 今、私の目の前の培養装置の中で茸形地球外生命が育っている。液の中に浮かびながら八つの茸がからだをくねらせている。まだ胎児であるが、脳波がとらえられている。しかも、直接受信機が受信している。とても強いものである。きっと、それが彼らの言葉なのだろう。胎児同士交信しているような節もある。人とは違う周波数をもっていようだ。神経生理学者と言語学者が脳波を解析している。それが判明すれば、いずれ我々と会話ができるようになるはずである。

氷河の土産

氷河の土産

氷河の中に、赤い茸が輪になって入っていた。それは何を意味しているのだろうか。

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-11-16

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著作権法内での利用のみを許可します。

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