だいっきらいなクリスマス
聖夜の来客
賑やかな街、ジングルベルが鳴り響く中をつまらなそうに歩く男の子が居ました。
名前はショーン。
背中を丸めて家路を辿っていました。
通りには笑顔ではしゃぐ子供達や幸せそうな恋人達。
それらを横目に憂鬱な帰り道…
やがて喧騒を離れて住宅街。
ショーンは自宅のドアの前に立つとポケットの鍵を探りました。
小さな鍵を差し込むと、無機質な音が鳴りました。
ドアを開けると真っ暗な部屋。
手探りで明かりを点けるとテーブルには1人分の食事とケーキがひとつ。
そして『行って来ます』と書き置きが1枚。
また独りぼっちのクリスマス。
ショーンは毎年クリスマスを独りぼっちで過ごしていました。
パパもママもイヴの夜は居ません。
12歳になった今年もやっぱり独りでした。
ショーンはチキンにもケーキにも手を着けずに自分の部屋へ。
ベッドに潜ると毛布にくるまりました。
明日になればまた普通の日。
眠れば朝には皆が揃う。
ショーンは目を閉じました。
閉じた瞳からは涙が零れて、やがてこらえきれない嗚咽が込み上げました。
ショーンは更に毛布を被りました。
誰も聞くことのない泣き声でしたが、何処にも漏らしたくはありませんでした。
「クリスマスなんて最低だ」
ショーンは何度も呟きました。
丸まり、膝を抱えながら。
いつの間にか眠っていました。
夜はその色を増して、蒼い闇を濃く拡げます。
静寂が支配する時間。
それは突然でした。
窓ガラスが割れたのです。
大きな音が部屋中に響き、ショーンは飛び上がりました。
部屋には細かい破片が散らばり、カーテンは風を孕んで旗の様にはためいていました。
挿し込む月の僅かな明かりに床に転がる何かが浮かび上がりました。
窓ガラスを割った原因の何かです
ショーンは部屋の明かりに手を伸ばしました。
スイッチに手が触れた時でした。
「やめろ!」
鋭く低い声が荒い息遣いと共に聞こえました。
ショーンの指が弾かれたようにスイッチを離れます。
同時に床に転がる何かが立ち上がりました。
月明りを背に立ち上がったシルエットは状況に不釣り合いな…
いや、或る意味ピッタリな姿でした。
白いボアの付いた赤い服。
同様の帽子。
赤いブーツ。
まるでサンタクロースでした。
サンタの姿をした男は立ち上がった直後に片膝をついて崩れました。
息は一層荒く、様子が明らかにおかしいのが見て取れました。
「大丈夫ですか!?」
ショーンは思わず駆け寄りました。
明らかに怪しいサンタでしたが、その様子は切迫していました。
身体を支えようと触れた手が滑りました。
ショーンはその掌を見ました。
赤黒いそれは、明らかにサンタ…らしき人の命の危機を告げていました。
「きゅっ、救急車!」
慌てて立ち上がるショーンの肩を誰かが掴みました。
振り向くと同じ格好をしたボア付き赤の二人組。
1人は赤のハイヒールにボア付きのミニスカート。
「大丈夫よ、ショーン」
そう告げた声はママでした。
ショーンは驚いた様子で声の主を見上げると、間違なくママでした。
そして隣りにはパパ。
ショーンは口をパクパクさせながら二人を交互に見ました。
「バパもママもなんて格好で何してるんだよ!?」
ショーンはようやく言葉を話す事が出来ました。
「見ての通りだが」
パパサンタは当然の様に言いました。
ママサンタも平然とした表情。
ショーンは呆気にとられてしまいました。
けれどもハタと気付くともうひとりのサンタを心配しました。
「そうだ、あの人は?早く病院に!!」
慌てるショーンにパパサンタは言います。
「大丈夫だ。サンタは死なないんだよ」
「子供達がサンタクロースを信じている限りね」
ママサンタはそう言って微笑みました。
「ったく、油断したぜ」
倒れていたサンタが脇腹をさすりながら言いました。
そこには怪我の跡どころか服すらも元に戻っていました。
「ヒューイ、息子にサンタが両親だって知られてしまったよ」
パパサンタは伏し目がちに首を振りました。
「こうやって大人になるのだけれど、少し寂しいわね」
ママサンタは悲し気です。
「済まない。予想以上に黒サンタ達の攻撃が激しかったんだ」
ヒューイと呼ばれたサンタは頭を掻きながら申し訳なさそうに言いました。
ショーンはサンタが両親だとは周りの友達から聞かされていましたが、本物のサンタが両親だと知って頭の中がゴチャゴチャになりました。
サンタクロース
「それにしても今年は手強い。ヒューイのCブロックが突破されるなんて…」
パパサンタはそんなショーンにお構いなしで話をします。
「Dブロックに各員を集結させたらどうかしら?」
「いや、反転して集結する途中での各個撃破を狙っているハズだ」
「間違いないな。黒サンタの連中、ソリには乗っていなかった。スノーモービルに乗って、まるで疾風だった」
ヒューイは苦々しい表情を浮かべました。
「反転の最中に追いつかれるな。Fブロックまで放棄してGブロックに防衛線を張る。後は…」
パパサンタは顎に手を当て難しい表情を見せるとママサンタに耳打ちをしました。
ママサンタは小さく頷くと割れた窓から飛び出しました。
ショーンは驚いて窓へ駆け寄りました。
下を見ると、飛び出した宙にトナカイが牽くソリが滑り出て、ママサンタを受け止めました。
ママサンタが手綱を一度叩きました。
トナカイのソリは星屑のようなキラキラした飛沫を上げて夜空高く走り去りました。
「はは…」
ショーンの乾いた笑い声。
理解の範疇を超えていました。
「さて、と…」
声に振り向くと、ヒューイは袋をあさっていました。
あの有名な、サンタの白い袋です。
ショーンはその様子をジッと見ていました。
ヒューイは袋の中から何かを取り出しました。
ショーンに向かって小さく笑うと、その握り締めた拳を差し出しました。
ショーンが拳を覗き込むと、ヒューイはゆっくりと手を開きました。
手のひらには無数の小さな光。
天空の星々を掴みとったみたいな光の煌めき。
あまりの美しさにショーンは言葉を飲みました。
そんなショーンの前でヒューイは拳を握り、再び開きました。
そこには既に光は無く、スリングがひとつ手のひらにありました。
それはまるで手品のようでした。
「それで、何をするの?」
ショーンはスリングを指差して尋ねました。
ヒューイはポケットからキャラメルをひとつ取り出しました。
「この二股のY字に結んであるゴムに弾を付けて引っ張って離すと…ホラ!」
ヒューイはそう言って摘んだ指を離しました。
弾に見立てたキャラメルは勢い良く壁に当たりました。
「それで、その黒サンタと戦うの?」
「そうだよ」
「鉄砲とか戦車とか、戦闘機とかをさっきの魔法で作ればいいじゃないか!」
ショーンはヒューイに呆れ気味に言いました。
(あんなオモチャで戦うなんて)
そんな不安でいっぱいでした。
ヒューイは首を振りました。
「それはダメだよ」
そう言ったヒューイの表情は悲しそうでした。
「ヒューイ、Dブロックが突破された。ヤツラ、予想以上に速いぞ」
パパサンタが破れた窓の向こうを睨みました。
西の空には星とは違う輝きが見えました。
「ショーンはどうする?」
ヒューイが尋ねました。
「子供を巻込む訳にはいかないだろう」
「きっと黒サンタにはバレてる筈だ。もう巻込んだ。済まない」
ヒューイは深く頭を下げました。
パパサンタとショーンに向けて。
「だが、サンタでもない者をソリに乗せる事は出来ない」
パパサンタは首を横に振りました。
「サンタなら…」
ヒューイはそう呟いてパパサンタを見ました。
パパサンタは一瞬息を止めて何かを考えました。
そしてショーンに目をやると小さく頷きました。
「12歳でサンタになった奴が居ない訳じゃないな」
パパサンタはショーンの目の高さに背をかがめると、両肩に手を掛けてジッと目を見ました。
「パパは世界中の子供達を大切に思う。けれどもショーン、その中で何よりも誰よりも大切なのはキミだ。サンタとしては最低だな。それでもキミが大切なんだ」
パパサンタは静かに語りました。
ショーンはなんだか照れてしまいましたが、それでもパパの目をしっかりと見返しました。
「ボクはどうすればいいの?」
ショーンの問い掛けにパパサンタは答えました。
「戦うんだ、サンタの戦士として黒の軍団と!」
「サンタの戦士。」
ショーンはパパサンタの言葉をなぞりました。
「そうだ、サンタの戦士だ。カッコいいだろう」
パパサンタは誇らし気に胸を張りました。
「…るい」
「ん?」
小さな呟きはよく聞き取れません。
小首を傾げてショーンを見ました。
「カッコ悪いよ!サンタの格好でおもちゃを使って戦うなんて!ボクは何の為に戦うんだよ。パパは何の為にだよ!?」
そう言われたパパサンタはショーンの頭を優しく撫でながら言いました。
「キミが戦う理由はキミ自身が見つけなさい。パパが戦う理由は………いつか分かるさ」
「そうやって大人は逃げるんだね」
「ヒューイ、ショーンを頼む。俺は先に合流する」
パパサンタはショーンの責めに答えずに背を向けました。
そして去り際に指をパチンと鳴らしました。
「それが似合えば一人前だ」
振り返らずに言ったパパサンタの言葉。
ショーンはいつの間にか自分がサンタの服を着ている事に気付きました。
4頭のトナカイが牽くソリは冬の空を切り裂くような速度で駆け抜けました。
ショーンは目の眩むような高さにソリにしがみつきました。
「慣れておけよ」
ヒューイは優しく笑いました。
しばらく走ると確かに余裕が出てきました。
ショーンはずっと気になっていたサンタのアレを見てみたくなりました。
そう。
あの白い袋の中です。
口を縛る紐を解き覗き込むと、沢山の光の粒がありました。
それは袋の中を粉雪のように舞い、フワフワ、キラキラしていました。
ショーンはさっきのヒューイのようにキラキラを掴み取ると、ギュッと握ってパッと開きました。
その手のひらには光の粒がキラキラしているだけでした。
「心に念じるんだよ。その光は夢なんだ。子供達が願う、サンタへの夢の欠片なんだ」
「夢の欠片?」
ショーンはヒューイの言葉を繰り返しました。
「そうさ。魔法を使えるのは夢を忘れない子供達なんだ。サンタじゃないのさ」
ヒューイは話を続けます。
「サンタは夢のささやかなお手伝いをするだけ。この袋いっぱいの夢を運ぶんだ」
ヒューイはとても嬉しそうでした。
その刹那でした。
地鳴りの様な音と共にソリが激しく揺れました。
ショーンとヒューイは必死でソリや手綱に掴まりました。
それは黒サンタからの攻撃でした。
空を駆けるスノーモービルはトナカイのソリを圧倒しました。
その速さはとても逃げられるものではありません。
黒サンタ達は編隊を組み襲いかかります。
その手には銃やライフル、マシンガン迄もが握られていました。
ヒューイは戦う事を決意しました。
「舵は俺がとる。キミは奴等を撃落とせ!」
「どうやって!?」
「スリング!イメージするんだ!」
ヒューイは後ろにいるショーンに叫びました。
ショーンは握り締めた袋に手を入れました。
光は僅かに暖かく、この状況にあってなんだか落ち着きました。
ショーンは深呼吸をすると頭にスリングを浮かべました。
袋からゆっくりと手を引き抜きました。
光の粒子が零れました。
キラキラと輝きながら夜空を流れました。
(これが子供達の夢の欠片?)
(星に変わってゆく…)
ショーンはそれを目で追いながらイメージを形に変えました。
そして開いた手のひらにはスリングがありました。
それは巨大なスリングでした。
ヒューイが見せてくれたスリングのオバケです。
大人の背丈はあるスリングでした。
武器を手に
そう。
手のひらの巨大スリング。
持てる訳がありません。
「うわわわ!」
ショーンは慌てました。
「大丈夫。袋の中から出したモノは片手で持てるよ」
ヒューイは肩を揺すりながら言いました。
ショーンの様子がおかしくて堪らないみたいです。
「ホントだ!」
ショーンはスリングをソリの床に立てると左手で支えました。
そして右手を袋へ入れるとボールをイメージしました。
ショーンはボールをスリングにセットすると、ゴムを引き絞りました。
勢い良く放たれたボールは黒サンタのひとりに直撃しました。
ボールは弾けて元のキラキラの粒子に戻りました。
周囲数人の黒サンタの上に降り注ぎます。
キラキラに包まれた黒サンタの動きが止まりました。
喪服のような黒い衣装がサンタカラーへと変わっていきます。
赤と白のサンタに戻った黒サンタ達は我に帰ると指笛を鳴らしました。
するとソリを曳いたトナカイがそれぞれの主の元へ駆けてきました。
トナカイ達はとても嬉しそうにいななきました。
そして誇らしげに見えました。
「ヒューイ、アレは?」
ショーンは何が起きているのか分からずに尋ねました。
「サンタの魂を取り戻したんだよ」
顔も知らない仲間達でしたがその仲間達の帰還にヒューイは笑顔でした。
「来るぞ!」
一転、ヒューイの表情が変わりました。
見回すと四方から黒サンタ達が迫っていました。
その数は…
数え切れないものでした。
ショーンは袋に手を入れました。
スリングなんかでは間に合わないと考えたのです。
新たな道具を思い浮かべました。
ショーンは握り締めた光を解放するように手を開き始めました。
右手に熱と悪寒が走りました。
焼け付く様な痛み。
泡立つ肌。
胸の中にはモヤのような物が湧き上がってきました。
その直後です。
気怠さが快感を連れてきました。
意思とは関係無く笑みがこぼれます。
口の端を歪めただけの笑みでした。
開かれた手のひらには鈍色の光を放つ機関銃がありました。
夜に溶け込むような黒がねの先を一団に向けます。
ためらいはありません。
ショーンは指先に僅かに力を込めました。
「さぁて、カモ撃ちの時間だ…」
そう低く呟いた刹那、渇いた破裂音が連続して響きました。
銃口を左右に大きく振りました。
掃射された黒サンタ達は、まるで崩れる波のように倒れていきました。
「ようこそ、穢れた夜の舞踏会へ!」
ショーンはそう言うと再び引き金を引き絞りました。
短い、連続した射出音のリズムに合わせるような踊り。
いくつもの銃弾を浴びた黒サンタ達は奇妙な動きをしながら崩れていきました。
ショーンはけたたましく笑いながら掃射を続けました。
ヒューイがショーンの異変に気付いた時には黒サンタは潰走を始めていました。
その背中に銃弾を浴びせ掛けるショーン。
ヒューイは後ろから駆け寄ると、ショーンの脇から機関銃を蹴り上げました。
ヒューイの手から離れた機関銃はその姿を光の粒子に変えながらキラキラと夜空に流れていきました。
途端にショーンの表情から険が消えてゆきました。
ショーンは数回瞬きを繰り返すとヒューイを見上げました。
「ダメだよ。僕らが作り出す玩具の源は子供達の夢なのだから」
ヒューイは優しく諭すように続けます。
「子供達の夢を人殺しの道具に変えてしまったサンタ達の成れの果てが黒サンタなんだ。彼等はその夢を銃弾や武器に変えてしまった。その理由は様々だろうけどね」
そう言うと悲しそうに頭を振りました。
「でも…」
ショーンは尋ねました。
「どうして僕は黒サンタにならなかったの?」
「それは、キミが一人前のサンタじゃないからさ」
ヒューイはそう言いました。
「サンタはね、トナカイと契約して初めて一人前のサンタになるんだ」
そう続けると自らのソリを牽くトナカイに目をやりました。
ショーンにはトナカイが優しく笑ったように見えました。
「だから僕は黒サンタにならなかったんだ…」
「ただし、見習いサンタの命には限りがあるんだ」
ホッとした表情のショーンにヒューイは告げました。
「一人前のサンタはサンタである限り死なない。それは言ったね?」
「うん」
ショーンは大きく頷きました。
「人として老いて寿命は全うするのだけれど、サンタとしては永遠なんだ。けれども見習いサンタは違う」
ヒューイはしゃがみ込んでショーンの両肩に手を掛けました。
そして、少し怖い顔をしました。
「ショーン、見習いサンタは命を身体以外の何処かに宿す。けれどもその場所が何処かはサンタに任命したサンタにしか分からないんだ」
真剣な忠告にショーンは唾を飲み込みました。
喉がひり付くように痛く渇いていました。
その時でした。
辺りが闇に包まれました。
そしてサイレンに似た轟音。
「伏せろ!」
ヒューイはそう叫ぶとソリを走らせました。
ショーンは慌ててソリに這いつくばりました。
「なんてこったい!」
ヒューイは全速力でソリを疾走させます。
「何が来てるの?」
ショーンは少しだけ顔を上げて空を見ました。
「ヘルベルト級空母だ。6発のプロペラが奏でるあのサイレンの様な音は間違ない」
ヒューイの説明の通り、ショーンの瞳には禍々しい迄の大きさの機体が月を背に飛んでいました。
「戦わないの?」
「無理だ、奴の搭載する戦闘艇の数は1200機。秒単位で蜂の巣だよ」
「戦闘艇って、あの空飛ぶスノーモービル?」
「そうだ。その戦闘力の高さから護衛も付けずに空母が飛べるのさ」
ヒューイは高度を下げて距離を取り始めました。
「逃げるが勝ちってね」
ヒューイは振り向いてショーンに片目をつむりました。
そんなヒューイにショーンは首を振りました。
「無理みたいだよ」
ヒューイはショーンが指さす先を見ました。
トナカイの鼻先に戦闘艇が居ました。
「あ…」
ふたりは固まったまま立ちすくんでいました。
戦闘艇の二門の銃身が鈍色の光を放っていました。
下卑た笑いを浮かべた黒サンタがトリガーを弄んでいました。
絶対的な優越。
指先に僅かな力を込めるだけで終わる作業。
「助かりてぇか?」
黒サンタはからかう様に尋ねるとポケットから取り出したウィスキーをあおりました。
口の端から零れた滴を手で拭うと喉の奥で笑いました。
ショーンは黒サンタの言葉にコクコクと何度も頷きました。
黒サンタはショーンの必死の姿を見て表情を変えました。
深く溜め息をついて頭の後ろを掻くと舌打ちをしました。
「子供じゃねぇか、仕方ねぇな」
黒サンタは精一杯優しく笑って見せました。
その笑顔にショーンが安堵の表情を浮かべた時でした。
「ひゃっひゃっひゃっひゃ!見逃すワケねぇだろ!!!」
黒サンタの表情が一転。
目を剥いて醜く歪めた顔で笑いました。
黒サンタの指先がトリガーに触れました。
身動きの出来ないショーンにヒューイが覆い被さりました。
この至近距離では肉体など弾丸の盾にはならない事を知りながら、それでも本能がそうさせました。
ショーンはソリの床に押し倒されながら轟音を聞いていました。
依り代
轟音に僅かに遅れて何かが当たる音が聞こえました。
それはヒューイの身体に降り注ぐ無数の音。
やがて音が止むと、ヒューイの陰から顔を出して黒サンタの方を見ました。
そこには黒サンタの姿は無く戦闘艇の残骸が転がっていました。
「待たせたな」
頭上の声に視線を向けるとそれはパパサンタでした。
ヒューイもショーンの上からおもむろに離れるとその場に座り込みました。
「助かったぁ」
ふたり同時に口をついた言葉でした。
「さて、感動の再会を喜びたいのだが急がなくてはならない」
パパサンタは極めて深刻な表情です。
「どういうこと?」
ショーンの問い掛けにパパサンタは一言答えました。
「逃げるぞ!」
パパサンタは身を翻すとソリに乗り込みました。
4頭だての立派なソリでした。
その言葉にヒューイもソリを出しました。
ショーンはヒューイの背中越しにパパサンタの背中を見つめていました。
「逃げるパパの背中はカッコ悪いかい?」
ヒューイは黙り込むショーンに意地悪な質問をしました。
ショーンは更に黙ると深く考え込んでしまいました。
黙り込むショーンの頬に何かが触れました。
それは小さな欠片でした。
ふと周りを見渡すと大小様々な物が浮遊していました。
そのひとつを手にして凝視すると鉄の破片でした。
「これは…」
「戦闘艇小隊の残骸だよ」
ヒューイが答えました。
「キミのパパが単身で殲滅したんだ。ショーン、キミを助ける為に」
ショーンは無言で破片を握り締めました。
前を駆けるパパサンタのソリはよく見るとボロボロでした。
無数の傷や銃創がまだ新しいソリは、戦闘の激しさを物語っていました。
「パパ」
ショーンは無意識に呟いていました。
次の瞬間―
ヒュンと短い風切りの音が熱を持って頬をかすめました。
ショーンは反射的に頬に手を当てると、指先にオイルのようなぬめる感触を覚えました。
手を見るとそれは血でした。
ショーンは慌ててヒューイに叫びました。
「敵襲だ!ヒューイ、後ろ!」
ヒューイはショーンの声に答える事なく手綱を握っています。
「ヒューイ?」
呼び掛けた刹那、ヒューイが崩れ落ちました。
「ヒューイ!」
ショーンが駆け寄ると手綱が手首に絡まった状態で宙吊りのヒューイが居ました。
赤いサンタの服の背中が黒く染まっていました。
ショーンはヒューイを引き揚げようと、何度も力を込めました。
が、ヒューイの身体は全く持ち上がりませんでした。
乾いた破裂音が幾つも聞こえました。
遠くで、近くで。
「ショーン、手綱を切れ」
ヒューイの喘ぐような声。
「ダメだよ」
「俺達は死なない…切れ」
「僕の部屋に飛び込んだヒューイは、死ぬんじゃないかと思うくらいに苦しそうだった」
「でも、治ったろ。死なないんだ」
「痛みの激しさは変わらないだろ!」
ショーンは絶望的な引き揚げに渾身の力を込めました。
「死なない事を理由にヒューイを見捨てたら、そんな僕はサンタじゃない!」
叫びました。
「ヒューイを待ってる子供達だって居るだろ!」
更なるショーンの叫びの刹那、ヒューイの体が軽くなりました。
ふと見ると、ヒューイの自由な片手がソリの縁を掴んでいました。
「諦めた大人じゃ夢を語れないものな」
そう言うとヒューイは笑ってみせました。
再びヒューイを引き揚げようとしたショーンの目の前に、真紅の巨大な艦が現れました。
不意でした。
これだけの大艦の接近に全く気付きませんでした。
巨大な砲門が旋回しました。
獣の咆哮のような音をたてて砲身が仰角を変えます。
やがて蒼白い光のような何かがその奥に見えました。
そう。
砲身はショーンの視線の延長線上にありました。
轟音が響きました。
夜空は瞬間碧く染まりました。
ショーンの鼓膜はあまりの音に悲鳴をあげています。
砲塔が放った閃光は頭上を超えてゆきました。
振り返った背後には黒煙をあげる巨大な漆黒の艦がありました。
左翼を失い、航行は不能に見えました。
両艦はショーンを挟み睨み合うように静止していました。
やがて真紅の戦艦から規則的な光の点滅が発せられました。
左翼を失くした艦はしばらくの沈黙の後、短い光の点滅を送りました。
そして、向けていた主砲を180°転回しました。
それを確認した真紅の戦艦から声が聞こえました。
『当該宙域での戦闘の終結を宣言する、全ての黒サンタは武装解除せよ!身柄の安全は北米艦隊司令サラ・キブソンの名において保証する!』
「ママ!」
ショーンは思わず叫びました。
「ヒューイ、知ってたの?」
「あぁ。一番怖いサンタだ」
ヒューイはおどけて笑いました。
「でも良かった。これで終わるんだね」
「あぁ、ショーン。ツイてたな」
ヒューイがそう言った直後でした。
「あぁ。本当にツイてる」
低い下卑た声と同時にショーンの喉元に冷たい感触がありました。
アーミーナイフ。
その磨きあげられた刃には薄笑いを浮かべた黒サンタが映っていました。
「形勢逆転だ、サラ司令官殿。御子息は見習いのようだが…」
黒サンタは喉の奥を鳴らすように笑うと一言続けました。
「どうする?」
選択肢を用意しない問い掛けでした。
夜空に静寂が流れます。
黒サンタは顔を正面に見据えながら、視線をショーンの身の回りに移しました。
そう。
ショーンの命の依り代を探しているのです。
傍に居るヒューイも、向けられた砲門も、手出しは出来ません。
誰も、依り代が何かを知らないのですから。
やがて母艦を失った黒サンタの戦闘艇が集まりました。
投降をしなかった十数機の生き残りです。
数十門の機銃がショーンとその周囲を射程におさめていました。
一斉に放てばどれかは依り代です。
やはり選択肢は残されてはいませんでした。
「どうするよ?司令官殿………いや、お母様?」
その言葉に一斉に下卑た笑いがおきました。
「ママ!今年のクリスマスが終わっちゃう。撃って!!」
ショーンは叫びました。
「クリスマスは楽しいって、子供達に教えてあげ」
最後まで言い終える前に左顎に鈍い痛みが走りました。
黒サンタの拳が下顎を突き上げました。
同時に喉元にも鋭い痛み。
殴られた衝撃でナイフに首が触れていました。
膝から下、脚がカタカタと震えました。
「怖いか?死ぬのはもっと怖ぇぞ。ほら、ママに頼みな『助けて下さい』って」
黒サンタが耳元で低く言いました。
『繰り返す―』
サラの声が再び流れました。
『全ての戦闘行為を停止せよ!この宙域での雌雄は決した。これ以上は無益である。』
「うるせぇ!」
黒サンタが声を荒げました。
「今、オマエは命令出来る立場じゃねえ!決定権は俺にある。ガキの命乞いをしやがれ!」
最後を言い終えると同時にショーンの足元、ソリに穴が空きました。
戦艦の機銃から一発。
正確に放たれたものでした。
『我々の優位は変わらない。私は停戦を命令している。主砲の斉射に蒸発すれば、サンタと言えど復活はないぞ』
怒気を孕んだサラの声でした。
そうです。
サンタはその躰すべてが依り代なのです。
躰が蒸発してしまってはすべてが消えてしまうのです。
『どうする?』
冷やかな声で放たれた問い掛けは選択肢、いや、慈悲すら残されていない一言でした。
「今更………今更生きて何になる」
黒サンタは口の中で呟くと苛立ちをあらわにショーンの袋を蹴りあげました。
次の瞬間、ショーンはその場にうずくまりました。
だいっきらいなクリスマス
その様子に黒サンタの口が歪みました。
「見つけたぞ、袋だ!ぶっ放せ!」
その声を合図に戦闘艇の砲門から閃光が放たれました。
黒サンタはロールエントリーの様に宙へダイブしました。
ショーンはうずくまったままです。
ヒューイも呆然と立ちすくんでいました。
戦闘艇の砲門といえど直撃を受ければ蒸発は必至でした。
蒼白い閃光が袋に迫る瞬間、影が横切りました。
その刹那です。
袋がヒューイの前に転がりました。
ショーンもヒューイも一斉にその影を見詰めました。
蒼白い閃光に飲み込まれる影は―
確かにパパでした。
閃光はほんの1秒の出来事でした。
そこには主を失くしたトナカイとソリだけが残っていました。
「うわぁぁ!」
ショーンは喉が張り裂けるほどに叫ぶとパパサンタのソリに飛び乗りました。
そしてそのまま戦闘艇の集団へ駆けました。
「下がれショーン!」
ヒューイが叫びます。
そうです。
袋はヒューイが持っていました。
ショーンは今、丸腰なのです。
怒りの感情に支配されたショーンの耳には何も届きません。
戦闘艇にソリを激突させて飛び移ると黒サンタのひとりを叩き落としました。
強奪した戦闘艇のトリガーを引き絞り、敵の中心で全弾を放ちました。
黒サンタ達は同士討ちを躊躇するあまりに一機、また一機と墜ちてゆきました。
すべてを撃ち尽くしたショーンの前に、アーミーナイフの黒サンタが居ました。
「残弾と敵の数は数えておくもんだ。素人が!」
黒サンタがトリガーに指を掛けた瞬間、ショーンは出力を全開に突進しました。
「これがラストシューティングだ!」
ショーンは自らの戦闘艇を弾丸に見立てて叫びました。
特攻です。
ですがショーンに黒サンタと心中するつもりはありません。
衝突の直前に脱出をしました。
一気に間合いを詰められた黒サンタは成す術も無く戦闘艇の直撃を受けました。
巨大な火球がふたつの戦闘艇を包みました。
その様子を見ながら落下をするショーンをパパサンタのトナカイが受け止めました。
爆煙を眺めながら長い夜の終わりを感じていました。
「やったな、ショーン」
ヒューイがソリを並走させて労いました。
ショーンは笑顔のヒューイに素直に応える事が出来ませんでした。
そうです。
パパが消えたのですから。
ショーンを守る為に消えたのですから…
「そのトナカイの名はラグナ。ショーン、今日からキミが主だ」
ヒューイはそう告げるとソリを走らせました。
「ショーン、プレゼントを配るまでは夜は終わらない。感傷に浸るのは朝日を浴びてからだ。キミも一人前のサンタになったのだから!」
ヒューイの姿が遠い空の彼方へ消えてゆきました。
やがて空の端が白く輝き始めました。
蒼から碧へと変わる時間。
ショーンはようやく最後の家に到着しました。
この家は小さな女の子。
寝室へ向かうと、フェルトの端を毛糸で縫った不格好な靴下が一足枕元にありました。
ショーンはそれにプレゼントを入れようと手に持つと、一枚のカードが落ちました。
拾いあげると、それはサンタへのメッセージでした。
『ありがとう、サンタさん。外は寒いからこの靴下をプレゼント!』
ショーンは靴下を抱き締めると最後の家をあとにしました。
家路を急ぐソリの上。
フェルトを貼り合わせただけの隙間だらけの靴下を履きました。
暖かい筈が無いその靴下。
なのに胸の奥が熱くて熱くて仕方ありませんでした。
拭っても拭っても涙で見えない景色。
「ちっくしょう。クリスマスなんて、だいっきらいだ」
ショーンはそう呟きました。
目が醒めればベッドの上。
一瞬、長い夢を見ていたような気がしましたが、椅子の上にはフェルトの靴下がありました。
下の階からはトーストの焼ける匂いがします。
ショーンは階段を降りながらママと何を話せばいいか考えていました。
パパの居ないこれからの事を。
「おはよう、ママ」
ショーンはこの言葉以外を見つけられませんでした。
「おはよう、ショーン。ハムエッグ、焼けたわよ。コーヒー、用意して」
いつもと変わらないママでした。
ショーンはコーヒーを注いだカップをふたつテーブルへ並べました。
するとママは小さな声で「みっつ並べて」と言いました。
背中を向けたままの肩は小さく震えていました。
「いつまでも三人だから」
ママの声は消え入りそうでした。
ショーンはパパのカップにコーヒーを注ぐと、いつもの席に並べました。
「パパ、いつまでも家族だよね」
ショーンはそう呟くと朝陽の差し込むパパの席を見詰めました。
また、涙がひとつ零れました。
ショーンはそれを拭わずにその場に佇んでいました。
「ママぁ、トイレの紙が買い置き無くなったよ」
背中から間の抜けた言葉が聞こえました。
振り向けばパパでした。
ショーンはひたすら瞬きを繰り返すだけでした。
「パ・・・パ?」
ようやく出た言葉がそれでした。
ママはおかしくてたまらない様子。
肩が震えていたのは笑いをこらえていたのだとショーンは悟りました。
「でも蒸発したよね?」
ショーンは事実確認するように尋ねました。
「したよ。一瞬だったな」
パパはあっさり答えました。
「…どうして?」
「トナカイは主をふたり持たないんだ」
パパは悪戯っぽく笑いました。
「でも、ラグナの主にボクはなったよ」
「そう。袋を守りに飛び込んだ時にパパがラグナを放棄したんだ」
パパは相変わらず笑っていました。
「意味が分からない」
首をかしげるショーンにママが言いました。
「パパはね、ああして笑っているけれどギリギリの賭けだったのよ」
ママはさっきとは違い、真剣に話し始めました。
「パパはラグナとの関係を解除して見習いサンタに自ら降格したの。そして、ショーンをラグナの新たな主にしてサンタにしたのよ。そして、ショーンの命の依り代に新たに自らの命を宿してヒューイに預けたの。だからショーンがラグナを操れたのよ。トナカイは主以外の命令は聞かないのだから」
「そんなの…そんなの一瞬でも遅れたら自分が死んじゃうじゃないか!」
ショーンは驚くあまりに声をはりあげました。
「家族を守るのがパパの役目だ。ショーン、まして我が子の命を守る為に惜しいものはこの世には無い」
パパは優しい顔でショーンの頭をクシャクシャっと撫でました。
ショーンはパパを見上げましたがあふれる涙にその姿を見上げる事が出来ませんでした。
「パパ、ママごめんなさい。ずっとずっと、クリスマスが嫌いだった。いつもひとりで過ごすクリスマスが、クリスマスに居ないパパとママが嫌いだった」
ショーンは嗚咽まじりに話しました。
「いいんだ、ショーン。話す事が出来なかったのだから、ショーンがそう思うのも仕方がないのだよ」
「だから、どんなプレゼントを貰っても嬉しくなんてなかったんだ。ボクはひとりぼっちだと思っていたから」
頭を撫でるパパの手が一瞬止まりました。
泣きじゃくるショーンの頭越し、パパとママは視線を交わしました。
ママも一瞬目を丸くして、スグに首を振りました。
「あのなショーン。こんな時になんだが、パパとママな………その………」
歯切れの悪い話し方でした。
「スマン、今年のショーンへのプレゼントを忘れていた」
パパは意を決するとそう一気に話しました。
次の瞬間、ショーンの嗚咽が止まりました。
そしてパパとママのふたりを交互に見直すと深くため息。
再び大きく息を吸い込むと叫びました。
「クリスマスなんて、だいっきらいだぁ!」
そう叫んだショーンの顔はとても楽しそうでした。
だいっきらいなクリスマス