月と地球の生活者

 たった今、黄金の地下空間に集団から離れた一人の人間が、肩から指先、足から膝小僧つま先まで適度に力をぬいて、体の重心だけはたしかに、やる気なさげに、さっきおわった洗濯済みのやわらかい実験着をみにまとい、端っこに棒立ちで立ち尽くし、眼はあちらこちらをさまよったまま、一時的に足に重心を集め左右に肩をゆらし、背中の後ろで手をくみ目立たぬように壁にもたれたりしていた。
 そばには施設職員が二人、職員は表情はあまり動かず、よく見れば冷めた瞳をしてその奥ををくもらせている。必要以上の機材や書類、冷房装置など以外には、何もなく冷たく丸みを帯びた壁が四方をかこうだけ、中心で群れをなす他の生徒たちのみ、彼らのいる場所、それは地下空間のひとつの階層だった。
 その階層、地下の建造物をすべて、それは俯瞰でみると円形をした建物の中だった。回りを見渡せば、おなじ実験着の改造人間、彼等はみな実験台、モルモット。その頭脳を、手術と科学の力によって調整され、学力、知性、理性、さらに特定分野の才能を無理やりに、急激に引き上げられたものたち。【星の能力者】たちばかり。しかし、その中の一人であって、そうした超能力要素がなく、特段才能もないような、無能な人間がいた、群れから離れて棒立ちする人間、その時のそれが私だった。

 円柱型のその施設は、その星のある文化の発達のために作られた。内部はエレベーターやエスカレータ—、ビルの様に縦に一定距離ごとに階層がつくられ、階層ごとに役割がわかれている。私たちを黄金の地下空間から逃さないための上へ続く階層ごとに作られた、フェンスやバリケード、それから階段をのぼりつめた場所にあるという、最上部、地上と同じ高さにある壁は、左右から開閉するあまりにも巨大な壁だという、それを開けるのは、星の特権階級。
 私たちは月という星で生きる。【星の能力者】たちはその最下層に閉じ込められていて、他の階層に入る事を許されない唯一の人種。そのせいで長らく、私たち星の能力者は、外世界がいかにひろく、そしてこの星が本にあるように本当に、黄金の色をしているかさえ知る事ができずにいた。それは神がつくった束縛ではなく、人間がつくった特定人種への知の呪縛。

 私たちは、月の国の繁栄を手助けするための人間改造計画の一端を担う存在だった。途中まで地球各国の統治下にあった月は、いざ開拓がなしとげられようとする瞬間に、臨時でつくられていた統治組織が軍事的な反乱をおこして、軍事政権が誕生することになった。それからは、そのトップである、ルナー首相のもとで、独裁国家のような体をなして、やりたい放題の研究と実験が繰り広げられていた。

 その時はちょうど、月歴135年、首相就任3年目から3カ月が経過した後だったが、それから数カ月後の事、私と同じように、【無能組】というくくりのあだ名をつけられた、親友にも才能の力がめざめた。
「ふーん思ったよりも、力をぬいて、いやいや仕事をやった方が効率があがるらしいね」
 彼女はいとも簡単に、他の場所にいる同胞へ、魂での会話をした、いわゆるテレパシーの才能である。
 【最終的に、同じB26区画にて、能力が目覚めなかったのは私だけ】
 科学者たちは、事あるごとに私をはげます、私もまだ実験の価値があるのだろうという、それもそのはず、そうでなければ私は、いつ処分されるか恐怖する事はないのだ、しかし、私は、私だけがおいていかれているきがしていた。

 無能な才能を持つという事はどういう事だろう、私は地下施設では古株で研究者に求められる、必要とされる才能以外のものは発達していた。私はそのころ番号でよばれていて、確かD36だったか何か。私たちは、星の能力者は、ある一つの目的のために作られた。星の能力者の才能、才能とはいっても、超能力のようなものといってもいい、例えば私にはアイデアとユーモアの才能がある、しかしそれは、脳をいじくれば、簡単に手に入るもので、誰にでもある、ましてや同年代の人間は、敢えてユーモアや、アイデアなど、生産的なもの、あるいは地球や月表層部では、それは素晴らしく価値のあるものかもしれないが、ルナー首相の考えは、その先にあった、それだけでは、これからの時代に価値のある人間となる事ができない、価値のある人間を生み出し、価値のある人間を管理し、独占する、それが首相の考えだ。
 だから我々は、固定観念を捨て、日常的に価値があるもの、それを我々も研究者も下等なものと見下し、日々競いあう同胞との甘い接触をさけ、その才能を封じてまで超能力の才能を鍛え、日々使っていたのだ、超能力だけが我々の価値だった。成績が悪ければ、必要ないとされて、処分される、競争こそがすべて。それは最下層の独自の価値観。私もそれに虫歯れつつあった、科学と、閉鎖空間によって生まれた未知のプログラムだ。

 私は私の中から完全に私の感覚がなくなりそうになったころ、大親友にだけ相談をして、脱走計画を少し暴露した。きっと彼女は、自分の秘密を決してほかの人に話さない、そう信じていた。
 「そういうの、嫌いなんだ」
 「あなたさ“能力”が目覚めてからじゃないと、そういう事いう『権利』ないよ、ただのひがみよそれ」
 衝撃的だった、私の大親友は、いつも私の言葉をうんうんと聞いて、物音にも、施設の職員のちょっとしたしぐさにもおびえ、私の影に隠れていたのに、自分には才能が目覚めないと、いつもいっていたのに。
 私には、才能が目覚めない、あるいはそれが私本来の望みなのではないか?それに、用済みになれば、いつ処分されるともしれない。私がその悩みを深めるときには、すでに何度も暦の上での季節がかわり、親友とはすでに価値観が違っていた。私は親友を皆と同じようにC43とよんでいたが、顔の感じから、キツネっぽくて。フォックスってあだ名をつけていたのだけど、まさかそんな、ただ自分が出来ないだけの事で、たった一つの心の支えである親友に、権利だのなんだのと、そんな風に責められるいわれがあるなんて思ってもいなかった。

 私は2年間かけ、脱走の準備をした。それは地球のある小国へ、月の情報を引き換えに亡命をする準備をしたのだ。なるだけ貴重な情報を盗み、なるべく、目立たないようにその時をまった。幸い私は顔が広く、そんな裏情報や、裏で暗躍する地球スパイとも見知った中になれていたのだ。逃げだそうと思えば、いつでも逃げ出せた、ただ、少し勇気がたりなかった、だからつまらない円柱の黄金の箱の中で、静かにしていた、回りの人間と同じように。

 あれこれあって、命の危機は何度かあったが、決意は固く、生きた心地のない決断をくりかえし、結果的に亡命は成功した。

 私は今、地球上の某小国の中でかくまわれながら生きている。悠々自適な生活、地球に来て分かった事だが、月の戦力は存外小さい。私は、これまでと変わり映えが内容な、それで毎日の生活の中で、たった一度の最高の瞬間が訪れるのを待って、毎日その瞬間だけを期待して生活を続けている。
 たった一度の最高の瞬間とは、才能が実感できたときではなく、解放されたとき。育てられた地下施設の記憶を忘れ、新しい自分にであえるとき。具体的には、やはりかつて得意だったユーモアやアイデアを新しい土地で使い、新しい評価を受ける事だ。そこで新しい、画家や小説家などといった地位を手に入れたのだ。

 それはかつて無理やりに、ない才能について延々と考えさせられたときや、無から有を望まれたときとは違っていて、はるかに自由で孤独だった。孤独であるという面で、同じような達成感を持つものだったが、しかし、それとはまるで違う。やはり私には、超能力などというものは手に余る代物だったようだ。そしてみなさまご存じだろうが、つい最近、月の独裁国家は制圧されたのだ。そしてその時私は気がついた。私はひとつの集団の中で、一つの結果を目指すために、誰かを蹴落とす事になれていないのだと。だから私の周りは私をほめそやす事はあっても、私には、今の生活はとても簡単で単純で甘いものに感じるのだ。

月と地球の生活者

月と地球の生活者

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-11-15

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