嬉々として鬼々(仮)

 暗い海の上をロケット花火がつうと尾を引いて奔っていった。私たちはそれを何も言わずに視線で追った。その光は私だった。それはおぎゃおぎゃあと生まれ、静かな鮮烈さを残し、そして、やがて音もなく消えていった。

 この物語において、イナセは一回だけ嘘をつく。

 ――目が覚めた。電車の中だった。自動扉に人々がぶつかるようになだれ込んでいるざわめきで、目が覚めたようだった。窓の外を見遣る。目的の駅の、ひとつ前の駅。どうやら良いタイミングで起きたらしい、私は目元を擦り、欠伸をひとつした。
 目的の駅では、先ほどとは打って変わって、私とあと数人しか降りる人がいなかった。トンネルと山をひとつ挟んだだけだが、その差は大きいらしい。簡素な無人駅で、人気のない待合広場が間抜け面で欠伸をしている。
 広場を抜け、少し歩いたところで、小さな商店を見つけ、遅めの昼食を調達しに入った。扉を開けると色気のない呼び出し音がなり、しばらくすると奥から小さな老婆が顔を出した。
「おや、旅行の人かい、いらっしゃい」
「こんにちは」
 私は菓子パンコーナーを物色する。こういう店は消費期限にルーズな部分があるので、そこもしっかり確認する。無難に蒸しパンとトマトサンドを選んで、ペットボトルのコーヒーと共にレジへと運んだ。
「どこへ行くんだい、この辺、観光して楽しいもんなんて、なあんにもないよ」と老婆は会計しながら言う。
「ちょっと鎹山へ用がありまして」
「ふうん。どうして、あんな山に?」
「いえ、私、大学の研究員なんですけど、少し、生態系の調査を、ね」
「はあ、ご苦労なことで」と老婆は言った。「若いのに研究員だなんて、偉いもんだねえ」
「いえいえ、私の周りは皆、若いですよ」と千円札を渡し、釣りを受け取る。
「けど、気をつけなさいね。一人で山登るのは、色々、危ないから」
「ありがとうございます」私は作り笑顔で対応し、店を出た。
 歩きながら、地図を取り出し、山の入り口を確認する。家並みをしばらく歩くと、鳥居を構えた、山の入り口が視界に入った。この長い階段が、山の中腹の神社まで続き、そこから獣道の形すら保っていない山中を歩いていくと、頂上に付くのだという。だが、私の目的は頂上ではなく、神社の反対側にある、向かいの山とのあいだにできた、山の裂け目だ。そこへ行くのにも当然、険しい山中を通って行かなくてはならない。
 階段をしなびたトマトサンドを齧りながら、登っていく。紅葉した木々が威嚇するみたいに唸る。昔、近所に住んでいたセントバーナードの唸り声にそっくりだった。結局、晩年は唸る元気もなくなって、すがるような目で通り過ぎる私をみつめていたあの犬だ。その時私はざまあみろと思ったのか、同情していたのか、どちらだっただろう。なにも感じなかったのかもしれない。よく覚えていないが、当時の私はそういう子だったことだけは確かだ。
 神社は廃れていて、もはや神様など住んでいそうにもなく、存在意義が塵となって消えていた。傷んだ境内に座り、ぱさぱさとした蒸しパンを珈琲で流し込む。
 その時、足元に、蛇がはい寄ってきた。神の遣いみたいに白い蛇だった。そろそろと体をくねらせながら私の足首を獲物に見立てて近づいてくる。私は蒸しパンを齧ると、ポケットからナイフを取り出し、蛇の頭部に狙いを定め、落とした。ざくっと良い音がして、びちびちと体を陸に揚げられた魚みたいに身体を痙攣させる。私はパンを嚥下する。やがて蛇は静かになった。
 白い蛇。そんなものはそう簡単に存在するものではない。ましてやあんなに分かりやすく人に近づいてくるほど好戦的でもない。
パンの包み紙を片付け、蛇の頭からナイフを抜き、腰を上げる。地図ではこの神社の真裏から進んでいけば山の裂け目に辿り着くとある。嫌な雰囲気の山だ、早く用事を済ませてしまおう。

人は生や死といったものにやや悲観的になり過ぎる面があると思う。死も当然だし、生きることですら、悲観的な意見の方が声高に聞こえる世界だ。どうしてだろうか、と考えたら、やはり得体の知れないものへの恐怖が心を支配しているのだろう。底の見えない湖や暗闇が怖いのと同じだ。死ぬことも生きることも不明瞭で、つまり、その先を考えてしまうから怖いのだ。ほら、宗教にどっぷり浸かっている人は死とか生に悲観的になんてならない。それは神に心を委ね、依存し、思考を止めてしまうからだ。私は神も悪魔も信じていない。けれど死や生に悲観的でもない、と思う。別に生きることはつまらなくはないし、死というものは長年付き合った友人みたいに慣れ親しんだものだ、友人の胸に飛び込むだけだ、ほら、なにも怖くないじゃないか。
そんなことを、私は大量の蛇の死体を抱えながら想った。右手のゴミ袋は白い蛇でいっぱいになっている。道中、私に近づいてきた蛇をすべて殺し、ゴミ袋に詰めたのだ。まだ息のある蛇が数匹いるのか、時折、もぞもぞと水流みたいに蠢いている。往生際の悪い奴がいたものだ。
やがて、視界が開ける。向かいの山との間にぽっかりと口を開けた、山の裂け目。地獄の底まで通じているみたいな奈落が風を吸い込んでぐおうぐおうと鳴いている。夕焼けが不気味な陰影をつけ、名前も知らない怪鳥が不吉に飛び回る。きっと演出の巧い奴が頭を捻って組み上げたんだろう。そんな風な光景。
私はゴミ袋を地面に置き、口を開いて、そこへ持っていたライター用オイルをぶちまけた。なるべく全体に行き渡るように満遍なく振り掛ける。それから、マッチを一本擦って、そこへ放った。一気に火が回る。蛇の聴こえないはずの悲鳴が聴こえた気がした。やがてそれを掻き消す様に炎が唸りをあげて燃え盛る。私はそれを思い切り蹴り上げ、蛇共を奈落へ突き落した。空中でゴミ袋が溶け始め、蛇が宙へと投げ出される。ばらばらと火の粉と共に蛇があられのように谷底へと落ちて行く。墜落していく飛行機みたいにそれは地獄的な絵面だった。やがて、それも闇に吸い込まれて見えなくなった。
私は背負っていた細長い布包みを解き、その中身を取り出す。黒塗りの鞘に収まったそれは日本刀だ。鞘からそれをゆっくりと引き抜くと、殺人的な輝きを放った刀身が姿を現す。この世で数少ない、私の信頼を預かったものの一つ。
山の裂け目が悲鳴を上げて震え始めた。私は呼吸を止める。虫の大群の移動するみたいなざざざという音が、奈落の底から聴こえた。怪鳥が狂ったように鳴きだす。木々が恐れ慄く。その不気味な音は谷底を駆け上ってくる。同胞を殺した仇目掛けて、一心不乱に駆けている。つまり、それは私を引き千切り、殺す為に、断崖絶壁を這い上がってくるのだ。
――そして、それは轟音と共に姿を現した。
 大蛇。それは一瞬白波かと見紛うかのような巨大な白蛇だった。新幹線を何本も纏めて縛り上げたみたいな巨大な胴体をくねらせ、赤い舌をちろちろと私に見せつける。曰く、白蛇は再生の象徴であり、今日まで再生を繰り返し生き永らえてきたらしい。大蛇はしゅうしゅうと機関車みたいな声を出し、鱗を戦慄かせ、同胞殺しの私を威嚇する。私にとってそれは赤子が駄々をこねて泣き叫ぶみたいに聞こえた。
「――なあ、そう怒らないでくれよ。なんだか私が悪者みたいじゃないか」
 そう言って、私は刀を振り上げる。

 
 その商店街は随分前からゴーストタウンと化している。商会の抗争に巻き込まれたその商店街は生活感を残したまま人影だけが消失した。割れたガラスの破片が道路に散らばり、扉はひとつ残らず破壊されて非常に風通しの良い開け放しになっている。国からの保障が出て、違う町に居住区を与えられた住民は抗争が終わったあともこの商店街には戻らなかった。そうして、この町は亡霊の巣食うゴーストタウンになった。
それでもただ一人、ここに戻り、小さな喫茶店を続けている奴がいる。そいつの店は、私達みたいな商会連中の溜まり場になっている。
「いらっしゃいませ」と店主は電子音の合成音声で挨拶の文句を口ずさむ。
「カフェオレ、アイスで」と私はカウンターに腰かけ言った。
 店内には客がちらほらといて、頭が立派な角をした牡鹿だったり、髪が長すぎて店の床にまであふれていたり、色々な奴がいた。私みたいな普通の人間の形をした奴もいた。
「どうですか、最近は」と店主がアイスカフェオレをテーブルに置きながら言った。
「ん、最近は仕事が少なくて体調がすこぶる良い」
「それは良いことですね。最近は商会同士のいざこざも落ち着いてきてますし、そういう時期なのかもしれませんね」
「そうかもね」
「もうそろそろ、秋ですから」と顔がテレビの店主が言った。それがどう関係しているのかは私には分からなかった。
「今日は待ち合わせですか?」と店主はテレビに首を傾げた白い顔を映し出して尋ねる。
「そう、遂に私も弟子をとることになっちゃってね。その子と待ち合わせ」
「――そうですか」と店主は哀しげな顔を映す。
「あら、どうした」
「いえ、また一人、戦場に駆り出されるのかと思うと……」
「まったく、マスターはそんなんでよくここの店長やってられるねえ」と私は笑った。「なに、私たちの命が惜しい? 尊い? そんなこと思わなくていいんだよ。私たちはどうせ社会生活不適合者で、これくらいしか、この世界の為にすることなんてないんだから」
「そんなことなんてありませんよ」と店主は言う。「――そんなことは、ありません」
「――良い、マスター。これはビジネスだ。マスターが珈琲を淹れることで生計をたてるように、私たちはなにかを殺して生計をたててる。それに、このビジネスの最も素晴らしい点は、善良なものは殺されない点だ。高い依頼金が些細な恨みで誰かを殺すことなんてできないように、仕事を選別する。人を喰う魔物なら当然、人でも死ぬのなんて政治家か金持ちだ。政治家にも金持ちにも良い奴なんて一人もいない。ほら、つまり私たちが殺していけば殺していくほどこの世界は綺麗になっていく道理だ。私たちは誇りももってやってる。そんな同情なんて、的外れだぜ、マスター。それにほら、命なんて、誰だって日々知らないところで賭けてる」
「――みなさん、そう仰る。そうすると私はもう黙るしかないのです」と店主は哀しそうに言った。
「ま、意見の相違って奴だ」と私は珈琲牛乳を飲んだ。
 その時、からんからんと店の扉の開く音がした。
「いらっしゃい」と店主が声をかける。
「あの、待ち合わせで……キョーコさんって方、来てますか?」と、その少女は言った。
「キョーコさんですか……」と店主は横目を映して私を見る。私は肩を竦めた。
 少女はまだ成人すらしていないような風貌だった。華奢な身体、病的な白い肌。柳の下に佇む幽霊みたいだ。黒いパーカーのフードを鼠みたいに被って、虚ろな目で私を見遣る。
「――私が、キョーコだ。とりあえず、何か飲む?」と私は言った。

 サンドイッチは何も語らないし、珈琲はどんな言葉も零さない。少女もまたとても無口だった。

 トンネルを抜けたその町は過疎化が進み、建物も歳を取っていた。私は雨降りの景色を一瞥し、それから同行者へ視線を移した。
 鯔背、と彼女は名乗った。齢は十五。正直言って、若すぎる、と思った。まだ子供じゃないか、まだ早いのではないか……色々考えたが、そもそも私が口を出すことではないのである。会社が採用したのだし、彼女だって自分で選んだ道なのだろう。彼女は自分のことをあまり話そうとしなかったので、よくはわからないが。
 電車がプラットホームに滑り込んでゆっくりと速度を落としていく。
 隣でイナセはすうすうと寝息をたてている。作り物みたいな整った顔立ち。多分、本当に作り物なんじゃないか、とふと思った。
「おい、起きろ。着いたぞ」と私は言う。イナセは静かに目を開く。
「寝不足か?」
「いえ……」と彼女は瞼を擦る。
「なら、行くぞ」
 無人駅を抜けて、近くの駄菓子屋みたいな商店へ昼飯を調達しに入る。勝手に商品を物色していると、奥から婆さんが腰を叩きながら出てきた。
「ああ、いらっしゃい」と婆さんは言う。
 私はツナサンドとメロンパンを選び、イナセを促す様に見つめる。彼女は色々と物色して悩んでいたようだったが、結局、トマトサンドと蒸しパンに決めた。
「それだけでいいのか」と私が聞くと、彼女は黙って珈琲を二本差し出した。一本は私の分かな、とか考えながらそれを受け取り、レジへ持っていく。
「これで」と財布を取り出しながら私は言う。
「はいはい」と婆さんは金額を数えていたが、やがてそれを終え、顔を上げると、イナセの顔を見て口を開いた。
「あれ……あんた、前もここ来なかったっけ?」と婆さんは言った。
 私はイナセの方へ振り返る。彼女はぼうとした目つきで壁に貼り付けられた骨董品みたいなカレンダーを眺めていた。面倒なので、私は笑顔で婆さんに会釈して、商品を受け取って店を出た。
「イナセ、ここへ来たことがあるのか」と私は歩きながら言う。
「ああ……はい。昔、日本一周したんで、私」と彼女は言った。
「日本一周?」と私はきく。
「はい、中学生の頃だから、二年前ですね。学校、行く意味感じなかったので」
「ふうん」と私は言った。「楽しかったか、それ」
「もう飽きましたね、この国には」と彼女は言った。


 この村の山には蛇神が住んでいる。
「お前はまだそういう存在を見たことがないかな」
「そうですね、話には聞いてますが」
「うん、まあよくある話さ。山の主って奴だ。この辺の生態系のバランスを取ってる、管理者だ」私は言った。「人の前には姿を見せない。一応、彼らは神様だからな」
「神様だと、人の前に姿を見せないんですか」
「神様は人の前に姿を見せないから、神様なんだよ」私は言った。
「でも私たちはその神様に会いに行くわけですよね」
「うん」
「姿を現してくれるんですか」
「馬鹿、お前、まだ自分のことを人間だと思ってたのか」私は言った。「人間は、人を殺すことを仕事になんてしないんだよ。いつだって、不要な人間を殺すのは死神の仕事と相場が決まってる」
「私たちは死神ですか」
「そうだ。そう考えておけ、直に耐えられなくなるから」と私は言った。
 そんな会話をしているうち、やがて景色が開け、山の裂け目――蛇神の住処が姿を現した。
  私は膝をついて裂け目の深淵を覗き込む。引きずり込まれないように用心深くしながら、声を張り上げる。
「蛇神、出てこい」
「――なんだ」と裂け目の底から声がする。
「近頃起きてる神殺しには気付いてるだろう。その件についてだ」と私は言った。
 闇の底が、ざわりと蠢いた。それから蛇が顔を闇から引きずり出すのには、五秒とかからなかった。
「来るのが遅かったな、死神風情が」と彼女は赤い舌をちろちろと出しながら言った。
「私の所為じゃあない。上の対応が遅れたんだよ」私は肩を竦めた。「ま、そういう訳だからさ、すぐに本題に入ろうか。――全国に百いる神と呼ばれるものが、十三、既に殺されたよ」
「ふん、どうせ、お前らの同種がやったんだろう」と蛇は息巻く。
「馬鹿か、私たちの仕事にそれは含まれてない。むしろ、お前らの世話を焼くのが、私たちの仕事だ。依頼主が国だからね、良い報酬が出てるんだ、そんなへまはしないさ。そんな牽制みたいな冗談はいいんだ」私は言った。「わかるか? このままじゃ、日本が崩壊する。東京湾の海神が殺された。今はまだ他の神がバランスを保っているが、いつ、彼らも殺されるか分かったものじゃあない。そういうのは、お前らだって本意じゃないだろう。――協力しろ、蛇の神よ」
 こんなものは便宜上の体裁を保つためのやり取りに過ぎない。神といえど、彼らはもう私たちに守られる側の存在なのだ。近代兵器の技術が上がった今となっては、彼らは身を隠さねばその生を全うすることすらままならない。ましてやその存在がこの世界の秩序を保っているのだから、絶滅危惧種的に大切に保護されている。つまり、私たちの関係は結構微妙なものなのだ。両者とも守り守られているのだ。故に、どちらとも相手にそこまで大きな顔はできないのだ。協力を拒むなんてことはできるはずもないのである。
「――何をしろと?」と蛇はあくまで不遜な態度で言う。
「情報収集。まったく、情報がないんだ。殺された神々は皆、刀で斬られたような傷を残してる。だが、それだけだ。犯人なんて特定のしようもない。だから、お前の力を借りたい。全国の蛇の長たるお前なら、日本中の蛇の目を使い、情報も集まるだろう」
「分かった」と蛇は短く言った。
「助かるよ」と私は言った。
「ふん、あまりそうは思っていないようだがな」と蛇は言う。「別に、日本が崩壊したところでお前らには関係のない話だろう。お前らとこの国の繋がりなんて金しかないじゃないじゃないか。ましてや恨みも多いだろう――人として扱われなかった恨みが」
「金は大切だぜ」と私は言った。「恨みなんて、当に忘れたさ。そういうのはもう整理がついてるんだ。だって私たちは死神みたいなもんで、それが板に付いちまってんだからな」
「そうか」と蛇は目を閉じた。この爬虫類は中々に人を思いやる心を持っているのだ。「ところで、お前の隣にいるそいつはなんだ」
「ああ、こいつか」と私は隣で頭をフードですっぽりと覆い隠したイナセを見遣る。

嬉々として鬼々(仮)

嬉々として鬼々(仮)

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-10-03

Copyrighted
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