四神の敵は四神

koyasumi

「おい、ドル!」
 大声がびりびりと屋敷の壁をふるわせた。
「は、はいっ……」
 廊下を歩いていたところを呼び止められた多爾袞(ドルゴン)はあわてて彼女――現生騎士団東アジア区館館長・孫大妃(スン・ターフェイ)のもとに駆け寄った。
「どうされたんですか、館長?」
「………………」
「……館長?」
「おい」
 ぐっ。
「ええっ!?」
 突然、胸ぐらをつかまれ、ドルゴンは激しくまばたきする。
「あの、僕っ、何か……」
「何もしてねえ」
「えええっ!?」
 理不尽な言葉にさらに驚かされるドルゴン。
 ターフェイは巨漢だ。巨〝漢〟というのは女性だから正確には違うのだが。
 とにかく、大きい。
 ドルゴンも成人男性として決して小柄ではないが、ターフェイの前では子ども同然だ。
 さらに、見た目そのままにターフェイは腕力もずば抜けている。
 胸元をつかまれたドルゴンは、いつもあっさり宙づりにされてしまう。
「館……長……」
「フン」
 不意にターフェイが手を放す。
「わぁっ!」
 情けない声と共に落下したドルゴンは、尻もちをついた痛みに顔をしかめた。
「うう……」
 ターフェイの理不尽はいまに始まったことではない。少年のころターフェイに出会い、それから彼女に引き取られ騎士としての道を歩んできたドルゴン。敬愛の念はずっと変わらないがふり回されることもまたまったく変わらないというのは――
(情けない……)
 悪い意味で変わらない自分にドルゴンは心の中で涙してしまう。
 と、ターフェイがぽつり、
「……悪ぃな」
「えっ」
 はっと顔をあげる。
 照れくさそうにそっぽを向いているターフェイが視界に入った。
(館長……)
 ターフェイは大人だ。年齢的には明らかにそうなのだが、一方で子どもっぽいところも多分にある。
 自分の非を素直に認められないのも彼女らしい一面で――
「大丈夫です」
 ドルゴンは静かながら確かな想いをこめて言った。
「館長は館長ですから」
「……フン」
 いっそう顔をそむけるターフェイ。
 と、不意に、
「わっ」
 大きな手がわしわしとドルゴンの髪をかきまぜた。
「か、館長……」
「うっせえ。文句あんのか」
「いえ……」
 頬を染めつつうつむくドルゴン。
 昔からだ。
 決して口上手とは言えないターフェイ。
 そんな彼女の親愛の気持ちは、いつもこうして態度にあらわれた。
 大ざっぱではあるものの、彼女にそうされるのがドルゴンはいやではなかった。
 いやどころか、むしろずっと――
(い……)
 ドルゴンははっとなり、
(いやいやっ、僕ももう大人なんだから!)
 うっとりしている自分に気づき、あわてて妄念をふり払う。
「か、館長っ!」
「ん?」
「その……」
 短気なターフェイに気をつかって言葉を選びつつ、
「何か……ありましたか?」
「んー」
 ターフェイは難しそうな顔で頭をかき、
「何かってわけじゃねーんだけどさ」
「はあ……」
「ヤな予感がするんだよ」
「……え?」
 一瞬、何を言われたかわからなくなるドルゴン。
「い……いやな予感?」
「おう」
「………………」
 そんなことのために、自分は――
「文句あんのか?」
「ななっ、ないです!」
 またも反射的に首を横にふってしまう。
「う……」
 そして、そんな情けない自分にあらためて落ちこむ。
「なに、おまえがンな顔してんだよ」
 ぽんぽん。
 なぐさめるように頭をたたかれ――
 やはりうれしいものの、そんな自分に気づき結局は落ちこんでしまう。
「すみません……」
「だから、なにあやまってんだって。変なやつだな」
「うう……」
「まー、気のせいってこともあるよな」
 そう言ってからっと笑うターフェイ。
 引きずらないのが間違いなく彼女の長所で、ドルゴンもようやく安堵の息をつく。
「悪かったな、ドル」
「あ、いえ……」
 ドルゴンはここぞとばかりに背筋を伸ばし、
「僕、街に行ってきます!」
「ん?」
「見回りです! もしも何かあったら大変ですから!」
 ドルゴンの表情が引き締まる。
「本日はレイナ・モス館長が来訪されます」
「あー、そうだったな」
 ターフェイがぽんと手を叩き、
「ひょっとして、悪い予感ってのはレイナのアネさんにかかわることで……」
「なんてことを言ってるんですか!」
 あわてて大声をあげるドル。
 ターフェイは屈託なく、
「冗談だって。けどオレと会って話がしたいなんて、なんなんだろうな、アネさん」
「とにかく、万が一の事態に備えるためにも、街を見回ったほうがいいと……」
「そうだな」
 ターフェイはあっさりうなずき、
「じゃあ、頼むぜ」
 にかっと笑顔を見せる。
 ドルゴンはかすかに頬を赤らめ、
「はい!」
 こちらも笑顔になって、その場から駆け出して行った。


 そんなドルゴンを見送り――
 ターフェイは、
「ったくなー」
 やれやれと言いたそうに頭をかいた。
 素直で真面目なのはいいことだ。それは間違いない。
 しかし、それだけでは、やはり騎士としては『情けない』と思ってしまう。
「それだけでもねーんだけどさ。にしても、もーちっとなー」
「きゅー?」
 いつもターフェイの首に巻きついているセンザンコウの小籠(シャオロン)が「どういうことです?」と言いたそうな声をもらした。
 ターフェイは苦笑し、
「ドルのやつはさ、いいやつだろ?」
「きゅっ」
 こくこくとうなずくシャオロン。
 そんなシャオロンの頭をなでながら、ターフェイはドルゴンと出会ったときのことを思い出す。
 武者修行の旅の途中だった自分。
 そんな自分の前に現れたのが、理不尽に立ち向かう強さを持った一人の少年だった。
「そーいえば、おまえも旅してたときに会ったんだっけな」
「きゅっ」
「おまえを見つけたのはムゥユンだったよな」
 ターフェイの愛馬――武雲(ムゥユン)。
 歴戦の騎士の馬であり、巨体のターフェイを乗せてもゆるがない巨馬である彼女は、その風貌から普通にしていても周りの馬たちを震え上がらせていた。そのことを知るムゥユンはあまり表に出ることがなく、そのため時々ターフェイは気晴らしに鍛錬も兼ねてあまり人のいない自然の中へ彼女を連れ出していた。
 そんな折だった。
 ムゥユンが弱ったセンザンコウの子どもを拾ってきたのは――


「ん?」
 人里離れた渓谷の中。
 大樹の根元で眠っていたターフェイは、重々しいヒヅメの音に目を開いた。
「どうした、ムゥユン」
 月明かりの下――闇がそのまま形を取ったような巨影。
 普通の者が夜道で会えば、まず怪物としか思えなかっただろう。一目見て馬だとわかる者は騎士であっても稀だ。
 黒い身体を走る無数の傷がさらにその怪物じみた威圧感を増している。
 しかし、ターフェイは知っている。
 恐ろしい風貌に反し、己の愛馬が誰よりも優しい心の持ち主であることを。
「ぷる」
 そんな彼女が大きな口でそっとくわえていたのは、
「? なんだ……」
 暗闇の中ではっきりしないその小さな影を受け取るターフェイ。
「こいつは」
 センザンコウ。おそらくまだ子どもだ。
「どうしたんだよ、ムゥユン」
「ぷる。ぷるぷる」
 夜気を震わせる重々しい鳴き声で彼女が説明する。
「……そうか」
 ターフェイの表情がかすかに沈む。
 眠りにつく主人の安全を確保するため、周辺を見回っていたムゥユン。そこで見つけたのが大人のセンザンコウの遺骸のそばで衰弱していたこの子どもなのだという。
「親だったのかもな」
 小さくつぶやき、ターフェイはいとおしむようにセンザンコウをなでる。
「うし。こいつ、オレんとこで面倒見んぞ」
「ぷる」
 主人がそう言うのはわかっていたというように、優しい目でうなずくムゥユン。
「となると、名前つけてやんねーとな。丸まってるとカゴみてーだし『小籠(シャオロン)』でいいか」
「ぷるぷる。ぷるっ」
「適当じゃねーよ。おまえの名前だってオレが――」


 親のセンザンコウを埋葬したあと、ターフェイたちはシャオロンをつれて現世騎士団東アジア区館の本拠地・鳳莱島に帰った。
 シャオロンは数日で回復し、
「きゅーーーっ!」
 元気に中庭を駆け回るようになった。
 そして、心配して様子を見に来たムゥユンに、
「きゅきゅきゅきゅきゅ~っ!」
「おっ」
 軽く目を見張り、次いでおかしそうに笑うターフェイ。
 シャオロンが、まるで山に登るかのようにムゥユンの身体を駆けのぼったのだ。
 驚いた様子を見せるムゥユンだったが、目で優しく微笑し、シャオロンの成すがままに任せた。
「こいつはおまえのこと怖がらねえみてえだぞ」
「ぷる」
「きっと、おまえが命の恩人……じゃなくて恩馬だってわかってんだな」
 そうつぶやき、ターフェイは目を細めた。


 と――
 昔のことを思い出していたターフェイは、またもおかしそうに笑みをこぼし、
「そーそー、ハナもおまえと同じだったな」
「きゅー?」
 ハナ。
 山岳民の一族の子であった彼女も、家族を突然の天災で失った。
 そんなハナをやはり旅の途中であったターフェイが引き取り、いまでは東アジア区館の騎士として立派に成長している。
「オレにわしわし登ってきてよー。オレの身体は山登りの山かっての」
「きゅきゅ~」
 ターフェイの言葉にシャオロンも楽しそうな鳴き声をもらす。そんな〝家族〟の頭を再びなでると、ターフェイはかすかに表情を引きしめ、
「ドルもハナもオレは『四神』にした。それだけの器量はあるやつらだからな」
「きゅっ」
 四神――
 それは東アジア区館で、特に優秀な若い騎士たちに与えられる称号だ。伝統的に受け継がれてきたその称号を、ターフェイは自分が面倒を見た若者たちに託した。
「つってもな……」
 ターフェイは思い出す。
 自分が騎士に成りたてのとき四神だった騎士たち――〝先代〟四神のことを。
「あのころのアニさんたちは無茶苦茶強かったからなー。ドルたちどころか、いまのオレより……」
 そこでターフェイははっとなると、顔をしかめ、
「まー、性格もとことん悪かったけどな。特にあのアネさんは……」
 それ以上は思い出すのもイヤだというように頭を振り、ターフェイはシャオロンと共に廊下を歩き出した。

「きゃーっ、ハナ先輩ーっ!」
「せんぱーいっ!」
 ハナはその日も後輩の女性騎士たちに囲まれていた。
「もー、また髪の毛ボサボサーっ」
「女の子なのにーっ」
「けど、そういうところもかわいーっ!」
 ハナは言葉を話さない。
 生来のものではなく、家族の死に直面して以来失われてしまったのだ。
 しかし、ハナを育ててくれたターフェイは、そのようなことをまったく気にせず普通に接してくれた。
 言いたいことも正しく察してくれた。
 そんなターフェイ、そして彼女が慈しむ〝騎士団〟をハナも愛した。
 十九歳でありながら童顔で小柄なため、子どものような扱いばかりされるハナ。それでも先輩として後輩騎士たちにターフェイのようにおおらかに接したいと――
「きゃーっ!」
 女性騎士の一人があらたな歓声をあげる。
「いま、ハナ先輩に『頭なでなで』ってされたーっ!」
「えー、先輩のほうがちっちゃいのにー!?」
「ちっちゃいから、背伸びしてーっ!」
「かわいーっ!」
 先輩として……おおらかに――
「あー、ちょっぴり『むすっ』てしたー!」
「かーわいーっ!」
「ほっぺ、ぷにぷにーっ!」
 どこまでおおらかでいられるか、正直なところハナに自信はなかった。
 と、そのとき、
「ホントにかわいいわねー!」
 はっとなる後輩騎士たち。
 ハナも目を見張る。
 突然後ろから抱きすくめられた。
 そして、後輩たち以上の遠慮のなさで頭をかきまぜられた。
「もー、なんてかわいいの、この子ー。ちっちゃくて髪とかもしゃもしゃしててー」
「あ、あの……」
 猫かわいがり……というよりペットの犬をなで回すような傍若無人さに、さすがの後輩たちも止めようとする。
 が、彼女はそれをまったく無視し、
「日焼けしてるとこもいいわー。んー、お日様のにおいー」
 さらに自由気ままにハナのことをなでまくる。
 すると、
「あら」
 かすかに驚きの声をあげる女性。
 すり抜けた。
 好き放題にいじってきた女性の手から、ハナの身体がするりと。
 そのまま宙返りをして、彼女から逃れようと――
「だーめ」
 息をのむハナ。
 つかまえられた。
 普通の者なら何が起こったのかもわからないはずだ。
 それが、あっさり空中でつかまれた。
 小柄ながらそれなりに体重のある、しかも宙返りしたことで勢いのついていたハナを――手だけであっさりと。
「うふっ。ヤンチャなところもかわいいわね」
 動揺するハナ。
 が、すぐに表情を引き締める。
 まがりなりにも中位の騎士――能騎士(パワー)であるハナだ。
 それをこのように扱う女性。
 素人ではない。
「あら、そんな顔もするのね」
 女性がいっそううれしそうに笑う。
 品よくまとめられた長い黒髪。衣服にも乱れたところがなく、それなりの年齢らしい落ち着きを漂わせている。
 だがその奥にある〝静かならざるもの〟をハナは感じ取っていた。
 ――!
 ためらいなく。
 つかまれた体勢のまま、ハナは蹴りを放った。
「きゃっ……!」
 見ていた後輩が驚きの声をあげるほどのするどい蹴り。
 しかし、かわされた。
 すずしい顔で。
 わずかに首をひねっただけで。
「ふふっ」
 女性が不敵に微笑む。
「先輩!」
 ハナの身体が跳ね上げられた。
 蹴りを放った勢いをそのまま利用されるようにして。
 驚愕するも、さらに蹴りを放つハナ。
 しかし、蹴りはすべて女性の手でいなされ、まるで遊ばれるようにハナの身体が空中をくるくると回る。
「うふふっ、すごいわ。これだけバランスを保てるなんて」
 あらためて戦慄するハナ。
 強い。
 まがりなりにも中位の騎士である自分がここまで翻弄されるとは。
 騎士で言えば、あきらかに上位騎士の力量。
 自分よりはるかに格上だ。
「ハナ先輩!」
 後輩の悲痛な声が聞こえた瞬間、ハナはまた女性の腕の中に抱きすくめられていた。
「んふふー、つーかまえた」
 とっさに逃れようとするハナ。
 しかし、どういうわけか、じたばたする手足の力をそらされるようにして、ハナは完全に自由を封じられた。
「あーん、もー、かわいいから持って帰っちゃおー」
 その言葉にハナの緊迫は頂点に達する。
「先輩がお持ち帰りされちゃうー!」
 後輩騎士の悲鳴が響く。
 ………………。
 ハナは思った。
 だめだ。
 自分は現世騎士団東アジア区館の騎士だ。
 ターフェイに救われ、そして多くの人たちの助けがあっていまの自分がある。
 それが……ここまで好きなようにされていいはずがない!
「あら」
 かすかに女性の表情が引き締まる。
「その目。いい目をしてるわ」
 ――!
 下ろされた。
 思わぬ展開に戸惑うも、すぐに身構えるハナ。
 女性は悠然とした態度のまま、
「いいわ」
 構えるような動きはとらないまま、しかし、はっきりと臨戦の気をにじませ、
「稽古をつけてあげる。来なさい」
 ハナは――
 ………………。
 その場から動けなかった。
「どうしたの?」
 女性が挑発するように腕を開く。
 それでも動けない。
 接したのはわずかな時間とはいえ、それで十分だった。とても簡単に向かっていける相手ではない。
「残念ね」
 瞠目するハナ。
 声は、後ろから聞こえた。
 わからなかった。
 どうやって後ろに回ったのか。そもそもいつ動いたのかも。
 速さではない。
 まったく動きの〝起点〟をつかませなかったのだ。
 達人の技だった。
「ふぅ」
 これ見よがしなため息が戦慄するハナの首すじに届く。
「残念ね。すこしは昔の騎士の気概も残ってると思ったのに」
 応えられない。それどころではない。
「やっぱり、あなた……」
 細い指がハナの首に触れる。
「わたしのお人形がお似合いよ」
 !
 だめだ。
 ハナが思わず目を閉じた――
 そのときだった。
「ふふっ」
 キュュュウィィィィン!
 女性のうれしそうな笑い声、その直後に聞こえた金属のうなる音にハナは目を見開く。
 ふり返る。
 そこに見たのは、風を切るようにして迫る刃の輪――チャクラムを、すずしい顔でかわす女性の姿だった。
「初対面でためらわず必殺の一撃。悪くないわね」
 平然としたまま女性が言う。
 そこに現れたのは、
「あーっ!」
「どこ行ってたのよーっ!」
「だって、ハナ先輩がピンチだったから……」
 後輩騎士たちが騒ぎ合う。ハナも気づかなかったがいつの間にか一人だけいなくなっていたようだ。
 そして、彼女がつれてきたのは、
「ふー、油断も隙もないわ」
 軽く息を切らせながらそう言ったのは、フランソワ・ミン――ハナと同じ中位騎士にして有力若手騎士『四神』の一人である女性だった。
 と、ミンがハナを見て、
「もうっ! いつも言ってるでしょ!」
 突然怒られ、目をパチパチさせるハナ。
「ハナはかわいいんだから! だから女の子らしい格好して髪もきちんとセットして……ってそしたらよけいにさらわれちゃうわね」
 ………………。
 結局、何を言われようとしていたのか。
「ちょっと、あなた」
 そこに割りこんでくる謎の女性。
 静かながらするどい威圧感のこもった目でミンを見据え、
「こっちに何か一言ないのかしら。目上の人間に手をあげておいて」
 さっきは不意打ちをほめるようなことを口にしていたのに。緊迫するハナだったが、ミンはひるまずその視線を受け止め、
「目上なら目上らしくふるまってほしいんですけど。うちの館長も含めて、ホントいいかげんな大人が多いっていうか」
 ぴくり。
『館長』という言葉に女性が反応したのにハナは気づいた。
 女性は悠然と、しかしそこに何か黒いものを秘めた笑みを見せ、
「来なさい」
 けげんそうに目を細めるミン。
 女性の力の一端を知るハナはあわてて止めようとしたが、
「あなたの言う『大人』の力、見せてあげる」
「……わたし、騎士なんですけど」
「騎士だったら」
 静かながら周囲を圧するように戦意が広がり、
「挑戦に対して背を向けるようなことができるのかしら」
「………………」
 ミンは、
「ちょっと預かってて」
 そばにいた後輩騎士に己の騎士槍――〝戦輪の槍〟を渡した。チャクラムが複数重ね合わせられているという他にない構造の騎士槍で、先ほど女性に向かって放たれたのもこの槍のチャクラムだった。
「あら」
 女性の目が細くなる。
「槍はいらないの? このわたしを相手するのに」
「あなたが『どのわたし』かは知りませんけど……」
 ミンは、きっと相手をにらみ、
「素手の相手に槍を向けられるわけないでしょ」
「甘いわねえ。昔だったら考えられない」
 女性の目が凄味を増す。
「いろいろな意味で甘すぎるわ」
 寒気。
 突然の氷風に当てられたような感覚を、そばにいたハナもはっきりと感じた。
「下がっていなさい、ハナ」
 ミンの声にもかすかなふるえを感じる。
 あらためて気づいたのだ。
 自分が目にしているのが女性の姿をした――猛獣にも等しい存在だということを。
「来なさい」
 再び。女性は言った。
 明らかな上位者としての余裕をにじませ。
「くっ……」
 その堂々たる姿にミンが飲まれそうになる。
 しかし、ここでひるんではその時点で勝負が決まるとハナにもわかった。
「はーーーーーっ!」
 ミンが駆けた。裂帛の気合と共に。

 現世騎士団。
 世界に七つある各区館の拠点は、そのすべてが島である。
 九百年前〝騎士団〟が創設されたときも、城は大海に浮かぶ島の上にあったという。その伝統を受け継いだ面もあるが、実際、島には騎士にとっての利点が数多くあった。
 まず、敵に対して少数でも守りが取れること。
 国家に並ぶ主権団体として多くの国から承認を受けている〝騎士団〟だが、時にはその独立を守るべく戦わねばならないこともある。
 こちらから出向くときも、騎士にとって無二の相棒である馬たちを移動させるためには海運が優れていた。
 そして、平時には、港を通じて広い地域と交流ができる。
 近代国家が形を成す以前から騎士たちは周辺地域の住民たちと親しく接し、トラブルがあったときは心強い味方となった。
 その恩恵は現代も忘れられておらず、騎士の島にはさまざまな人や物が集まった。
 港に面したこの鳳莱島の市街も、古い石畳や石造りの建物が目立つ一方、昔からの活気もそのまま残している場所だった。
 漁師たちが朝獲ってきた新鮮な海産物。
 島特有の色鮮やかな果物や野菜。
 周囲の島々から持ち寄られる珍しい工芸品。
 それらもろもろの商品を扱う店が所狭しと並び、街は毎日市場のような活況を呈していた。
 そんな街並を眺めながら、ドルゴンはいつも思う。
 この平和を守りたい。
 街の人の笑顔をいつまでも。
 それは、ドルゴンが騎士であると共に、帰るべき生まれ故郷がもはやないということからも来る思いだった。
 この島こそいまのドルゴンの生きるべき場所なのだ。
 ――と、
「わっ!」
「っ……!」
 日陰で見通しの悪い角を曲がったとき、ドルゴンは向かいから来た相手と正面からぶつかってしまった。
 普段ならあり得ないことだ。
 まがりなりにも、ドルゴンは中位の騎士である。
 しかし、このときは慣れた街で油断していたのに加え、あることが彼の心をとらえていた。
 イヤな予感がする――ターフェイのあの言葉た。
 聞いたときはあぜんとなったドルゴンだったが、すぐに思い直した。
 ターフェイにはするどいところがある。
 ある意味、動物的と言ってもいいカンの良さが。
 無数の修羅場を経てきたことで身についたものなのだろうが、ゆえにドルゴンは彼女の言葉を軽く考えられなかった。
 そのことが、わずかにドルゴンの動きをにぶくしていたのだ。
「ご、ごめんなさい、その……」
 直後、
「申しわけありませんでした!」
 あやまろうとしたドルゴンをはるかに上回る勢いで相手が頭を下げた。
「え……」
 おもわず言葉を失うドルゴン。
 するとさらに、
「自分の不注意でした! 本当に申しわけありませんでした!」
「いや……あの……」
「つぐないはどのようにでもさせていただきます! どうぞおっしゃってください!」
「つぐないなんて、そんな……」
 すると相手は、
「許してもらえるんですか?」
「は、はあ……」
「ありがとうございます!」
 突然手をつかまれ、ドルゴンは驚いてしまう。
「いや、あ、あの……」
 戸惑いつつ、あらためてぶつかったその相手を見る。
 こちらをきらきらと光る目で見つめていたのは、ドルゴンより年下と思えるまだあどけなさが顔に残る少年だった。
 ドルゴンが弟のようにかわいがっている少年――花房葉太郎と同じくらいの歳に見えた。
「優しい方なのですね、あなたは!」
「いや、そんな……」
 ぶつかったくらいのことでそこまで言われてしまい、ドルゴンは照れる自分を隠せない。
 すると、少年はまたしても、
「謙虚なんですね!」
「い、いや……」
 このままではずっとペースを取り戻せないままだと思い、ドルゴンは少年に向かって、
「あの……怪我とかしてない?」
「してません!」
「そう……」
「心配してくれるなんて、やっぱり優しい人で……」
「いやいやいや……」
 また向こうのペースに戻ってしまいそうになる。
 悪い人間ではないと思うが、とにかく変わった少年とは言えた。
「急いでたみたいだけど、何かあったの?」
 瞬間、
「っ……」
 一気に少年の表情が暗くなる。それを見たドルゴンはあわてて、
「ど、どうしたの? 本当に何か大変なことが……」
「……消えたんです」
「えっ……!」
「師範が……」
 顔をあげた少年はかすかに目をうるませながら、
「僕の師範が消えてしまったんです!」
「………………」
 ドルゴンは、
「えーと……」
 つまり彼はその『師範』という人を探していて――
「ど、どういう人なのかな?」
「師範は……」
 少年は心持ち顔を赤らめ、
「誰よりも強くて……そして美しい方です」
「そうなんだ……」
「とても親身に手ほどきをしてくれて、ぼくにとっては親同然、いえそれ以上の……」
 少年の熱のこもった言葉を聞きながら、
(……同じだ)
 ドルゴンは思った。
(この子……僕と……)
 ドルゴンにとっても、師であるターフェイは親同然の存在だ。
 そして、それ以上の想いを持つ相手でもある。
「よかったら……」
 自然と言葉が口をついて出た。
「一緒に探そうか?」
「えっ」
 少年はあわてふためき、
「そ、そんな、会ったばかりの人に……」
「僕は騎士だ」
 ドルゴンはためらいなく言った。
「ここは騎士の島だ。キミも知っているね?」
「は、はい……」
「人のために尽くすのが騎士。ここで何もしなかったら僕に騎士を名乗る資格はない」
 少年は、
「人のために尽くすのが……騎士……」
 さらに感動したように目をうるませ、
「ありがとうございます!」
「そ、そんな大したことじゃ……僕もおおげさに言いすぎたけど」
「聞かせてください!」
「えっ?」
「名前です! 高名な騎士であるあなたの名前を!」
「ぜんぜん高名とかじゃないけど……」
 少年の言い方にまたも照れつつ、
「……ドルゴン」
「ドルゴンさんですか!」
「う、うん……」
 と、少年ははっとなり、
「すみません! 自分の名乗りもまだなのに名前を聞いたりして!」
「『名乗り』って……」
「遅ればせながら、ごあいさつさせていただきます!」
 妙に時代がかった前口上と共に姿勢を正し、
「自分、万里小路流合気道場門弟、紀野鳴(きの・めい)と申します!」
「マデノコウジ流……」
「はい!」
 その流派の名は知らなかったが『合気』と言うには日本伝来の体術だろうとドルゴンは察した。それならば目の前の少年――鳴の堅苦しいと思えるほどの礼儀正しさにも納得ができるような気がした。
 だが、なぜそのような流派の子が、この騎士の島にいるのだろうか。
 しかも『師範』と呼ばれるような人と共に。
「ドルゴン先ぱーいっ!」
 そのときだった。
「!」
 血相を変えて駆け寄ってきた女性の後輩騎士を見て、ドルゴンは表情を険しくした。
「どうしたの!?」
「ハナ先輩が……! ミン先輩も……」

「!」
 後輩騎士と共に駆けつけたドルゴンが見たのは、
「ミン!」
 力なくひざをついているミン。
 そのそばにハナもいたが、ドルゴンの目にはは衝撃的なミンの姿しか映らなかった。寒風に吹きさらされているようにがくがくと身体をふるわせている彼女の姿しか。
「ミン、どうしたんだ!? ミン!」
「………………」
「ミン!」
 日ごろ強気なミンが一言も声を発しない。
 そんな彼女に、ドルゴンはあらためて衝撃を受ける。
 誰が……ミンをここまで。
「あなた」
「!」
 顔を向ける。その視線の先にいたのは、
「決して弱くなかったわ。ただ……」
 その黒髪の女性は、冷徹な中にどこか慈悲を漂わせる顔で言った。
「わたしが強すぎただけ」
「……!」
 ドルゴンの中にたまらなく怒りがこみあげる。
 騎士として私怨で動くのは決して許されないことだ。
 だが、ミンは同じ騎士だ。
 同じ『四神』として共に苦難を経てきた友だ。
 その友人が一方的に打ちのめされたことに、ドルゴンはやはりどうしても――
「師範―――っ!」
「うわっ」
 感情が高ぶっていたところを不意に後ろからつきとばされ、ドルゴンはたまらず顔から地面にのめりこんだ。
「ぶはっ! め……鳴君!?」
 街角での遭遇のあと、そのままついてきてしまっていた少年は、
「どこにいらっしやっていたんですか、師範!」
「んーまー、テキトーにぶらぶらー?」
「適当にぶらぶらしないでください!」
「だって、久しぶりだったしー」
「久しぶりでもだめです! 何も言わずにいなくならないでください! 僕、心配で……」
 そのまま涙に声をつまらせる鳴。
 女性のほうは、やれやれと肩をすくめ、
「あなたのほうがずっと心配なんだけど」
「う……く……」
「まあ、一人にしたのは悪かったわ」
 なぐさめるように女性が鳴の肩に手を置く。そこには確かに弟子を慈しむ師を感じさせるものがあった。
 と、ドルゴンははっとなり、
「あなたがミンを……!」
 そこへ、
「ありがとうございます、ドルゴンさん!」
「う……」
 またも矛先をそらされる。
 鳴は欠片も悪気のない顔で、
「師範! この方はドルゴンさんと言って、とても親切にしてくださったんです!」
「あら、そうなの」
 女性がドルゴンに微笑みかける。
「ありがとう。うちの鳴がお世話になったみたいで」
「いえ、大したことは……」
 すると、
「あら」
 女性が何かに気づいたような声をあける。
「あらあらあら」
「っ……」
 不意に顔を近づけられ、ドルゴンは驚き息をのむ。
「な、何か……」
「いいわ」
「えっ」
「決めたわ!」
 そして女性は突然に、
「この子を万里小路流の門弟にします!」
「えええぇっ!」
 驚愕の声をあげるドルゴン。そして、
「やったーーーっ!」
「鳴君!?」
 あぜんとなるドルゴンの前で、鳴は目を輝かせ、
「よかったですね、ドルゴンさん!」
「い、いや……」
 この急な展開にまったくついていけないドルゴン。
「あなた、合格よ」
「っっっ……」
 あごを指でなぞられ、ドルゴンはぎょっと目を剥く。思わず逃げようとするもそれを許さないプレッシャーを感じつつ、
「いや、その、僕は何も……」
 女性の目がするどくなり、
「わたしの目を節穴だと思ってる?」
「そ、それは……」
 騎士だということを見抜かれたのだろうか。
 ドルゴンは初対面の人間に一目で『騎士』と言われたことは一度もなかった。逆に、頼りなさそうで情けなさそうと言われることがほとんどで――
「情けないわ」
「え?」
「この情けなさそうな感じ! なかなか見ない情けなさだわ!」
「いや……あの……」
「はい! 僕もそう思います!」
「って鳴君!?」
「あ……」
 さすがに鳴はあわてて、
「いえ、でも、ドルゴンさんは騎士なんです!」
「騎士ぃ?」
 女性が不機嫌そうな目になり、ドルゴンをねめつける。
「本当にぃ?」
「ほ、本当……です……」
「まあ、いいわ」
「えっ?」
「どうせ位階も低いんでしょ? 大丈夫よぉ、わたしのところに来たら芯から鍛えなおしてあげるからー」
「えっ、いや、あの、待って……」
「ちょっとオバさん!」
 憤怒の声が空気をふるわせた。
「っ……」
 ドルゴンが見た――そこには、
「ミ、ミン……」
 思わずドルゴンの声もふるえてしまう。
 立ち上がったミンが女性をにらみつけていた。怒り、そしてまだ残るダメージのせいか身体を小刻みにふるわせて。
 近くにいたハナがあわてて支えに入る。
 ミンは、そんな彼女のことも構わない勢いで、
「ちょっと! なに、ドルまで持っていこうとしてんのよ! 何様なのよ、アンタ!」
「何様?」
 女性が鼻を鳴らす。
 と、はっとしたように、
「そういえば、名前も何も言ってなかったわね。わたしは……」
「この方は万里小路流合気師範! 万里小路在香(ありか)様です!」
 女性に先んじて鳴がその名前を口にした。
「鳴ぃ~!」
 名乗りを邪魔された形の彼女――在香は鳴の頬をつまみ、
「もー、あなたって子はせっかちなんだから!」
「す、すみはへん、ひはん……」
「まあ、そういうのもかわいいところなんだけどー」
 言って、鳴を抱きしめる。
 鳴は赤くなりつつも背すじを伸ばし、
「じ、自分はかわいくはありません! 師範に学ぶ者として恥ずかしくない立派な……」
「だから、そーゆーところがかわいいの~っ!」
「師範~……」
「そういうのはぁ、わたしたちの見てないところでやってくれません~?」
 いっそうのイラつきをねじこませるようにしてミンが言う。
 在香はそれを悠然と受け止め、
「わたしのすることに指図をされる覚えはないわ」
「っ……」
「しかも、わたしより弱い人に」
「っっっ!」
「お、落ち着いて、ミン!」
 ハナに続いてドルゴンも彼女を支えに入る。というか『抑え』に。
 在香は、そんなミンを見て微笑し、
「心が折れてなかったことはほめてあげる」
「ほめられる必要ないんですけど! 当然なんですけど!」
「強気ね。だけどそういう子を見てると……」
 笑顔のまま、目に残虐さをにじませ、
「もっと徹底的に折り砕いてあげたくなるの」
「っ……」
 歯を食いしばったが、まともにその気を受けたミンが青ざめる。
「し、師範……」
 そばにいる鳴の声もふるえる。
 と、
「……!」
 ミンの表情にかすかに赤みが戻る。
 ドルゴンが――彼女をかばうように前に立った。
「あら」
 在香の目が不快げに細められる。
「ひょっとして、あなたたち、恋人同士?」
「違います」
「っっ……!」
 即座に否定され、ミンの顔がひくっとなる。
 それに気づかないまま、
「彼女は大事な仲間です。これ以上、何かするようでしたら……」
 ドルゴンの目も真剣になり、
「僕は彼女を守ります。騎士として」
「………………」
 在香が何か複雑な胸中を感じさせるように沈黙する。
 そこに、
「わたしも騎士なんだけど」
「ミン……!」
「ドル、あんたね! わたしにも騎士のプライドってものがあるんだから、リベンジはまずわたしが……」
 そのときだった。
「!」
 風のように――
 いや、空気のように、動いたという気配すら感じさせず在香が間合いをつめていた。
 そして、あわてて身構えるミンの手を取り、
「ミン!」
 投げた。
 いや、投げたとはっきり言えるような、そんな大きな動きはわずかも見せなかった。
 ただほんのすこし手をひねった瞬間、ミンの身体はあっけなく宙に舞っていた。
 騎士槍を唯一頼る武器として誇りにしている騎士たちではあったが、無手の修練も並の格闘家以上に積んでいる。レスリングは第二の武技と言っていい。
 ミンもそれは変わらない。
 なのに、こうもあっさりと――
「くっ!」
 石畳に落ちる寸前、ドルゴンはかろうじてミンの身体を受け止めた。
 そのまま、お姫様だっこの要領で抱き上げる。
「なっ……!」
 たちまちミンの顔が真っ赤になる。
「大丈夫?」
 こくこく。ただうなずくことしかできないミン。
「そう」
 ほっとして、ドルゴンはミンを下ろした。
「え……もう終わり?」
「?」
「あっ、な、なんでも……」
 あわてて顔をそらすミンだったが、ぽつりと、
「……ありがと」
 ドルゴンは笑顔でそれに応えた。
 と、それを見ていて、
「すごいです、ドルゴンさん!」
 鳴が喝采の声を上げる。
 在香も、
「よくも間に合ったものね。その反射神経……天性のものかしら」
 感心したようにつぶやく。
 その目に再び強い執着の色がにじみ、
「やっぱりほしいわ、あなた」
「……!」
 からみつくような目にひるむドルゴンだったが、
「ぼ、僕は東アジア区館の騎士です。館長以外の方に従うことはできません」
 在香から――笑顔が消える。
「………………」
「師範……?」
 沈黙を続ける在香。
 そして、
「来なさい」
 有無を言わせぬ。
 あらわすぎる傲岸さに、ドルゴンは目を剥く。
「来ないなら……」
「!」
 来る――
 動作のわずかな予兆も、悠然と立つその姿からは見いだせない。
 それでも感じた。
 来ると。
 本能をも超えた騎士の勘と言うべきか。
 しかし、
「っ……」
 まったく反応できなかった。
 ミンが投げられたときと同じ。
 ほんのわずかな意識の弛緩。呼吸の呼気と吸気のように絶対避けられないもの。
 その波をつかれたかのように、在香は眼前にいた。
 意識が反応し、手足が動き出すよりも早く彼女はドルゴンの身体を――
「在香!」
 止まった。
 瞬間、ドルゴンの全身から冷たい汗が噴出する。
「………………」
 声もない。
 真剣の命の取り合いであったなら、確実に自分は――
「……嘘」
 数瞬前までの剣呑さが一気に消え、
「やっだーー! レイナじゃなーーーい!」
 まるで少女のような嬌声をあげ、在香は近づいてきた人影に駆け寄った。
 現世騎士団オセアニア区館館長レイナ・モス。
 身体にぴったりとした動きやすい衣装をまとった彼女の姿に、純情なドルゴンは思わず目線を外す。
 駆けてきた在香を、レイナはやれやれという顔で受け止め、
「まったく。何してるのよ、あなたは」
「えー、何ってー」
「なんでドルゴン君をいじめてるのって聞いてるの」
 とたんに在香から笑顔が消え、子どものように目をそらし、
「別にー。いじめてなんてないしー」
「ふぅ。ほんと変わらないわね、そういうとこ」
「えー、変わらないー、わたしー?」
「よろこぶところじゃないから」
 あらためてため息をつき、
「昔もよくいじめてたわね。特に……」
「やめて」
 とたんに笑顔を消す在香。
 レイナは、すぐ「わかっている」というように肩をすくめ、
「ドルゴン君」
「あ……は、はいっ」
「ちょっと、この子、借りてくから」
「えっ」
「まあ『この子』って歳でもないんだけど」
「もー、やめてよー。レイナだって変わらないじゃない」
「それもそうよね。そんなつもりないんだけど」
「ホントよねー」
 仲良さそうに言葉を交わし合い、レイナと在香は去っていた。
 残されたドルゴンたちは、ただあぜんとその場に立ち尽くすしかなかった。

「在香のアネさんだとぉ!?」
 ガッターーーン!
 屋敷の執務室。ターフェイは座っていた巨大な椅子ごと激しく後ろに倒れこんだ。
「館長!?」
 ドルゴンは驚き、
「だ、大丈夫ですか!」
「大丈夫じゃ……ねえ……」
「ええっ!?」
 打ちどころが悪かったのだろうか。頑健さでは人並をはるかに外れたターフェイが平気でないなんてことが――
「!」
 息をのむ。
 ふるえていた。
 ターフェイの大きな身体が、がくがくと。
 こんなターフェイを見るのは初めてだった。誰よりも勇敢……端的に言えば図太い神経の持ち主である彼女がこのようにおびえるようなところは。
「館長……」
 ドルゴンは思わず、
「っ」
 ターフェイのふるえが、はっと止まった。
 ドルゴンの手が肩に置かれているのを見ると、ばつが悪そうに目をそらし、
「みっともねえとこ見せたな」
「い、いえ……」
 そう答えながら、ドルゴンは自分の胸の高鳴りに戸惑っていた。
 ターフェイのこんな女性らしい弱々しい姿を目の当たりにしたのは、いまだかつてないことだった。
 加えて、そんな彼女を男らしくなぐさめている自分にも驚いていた。
(僕にも……こんな……)
 そのとき、
「ドル!」
 不意の呼びかけにはっと目を見開いたとき――
 ターフェイが、うるむ瞳でこちらを見つめていた。
「オレ……もうがまんできねえよ」
「はい?」
 そして、
「!」
 ターフェイの巨体がのしかかるようにしてドルゴンに迫った。
「か……かか、館長?」
「いいよな」
 答えようがない。
 何を『いいよな』と言っているのか――
「だめだ」
「っ」
「もう……オレ……」
「か――」
 ドルゴンは、
「館長ーーーーーーーーっ!!!」


「!」
 屋敷の中庭。ミンは険しい表情で顔を上げた。
「なに……このイヤな予感」
 そんな彼女の前では、
「えいやぁっ!」
 若々しい気合の声。
 宙に跳ね上げられるハナの身体――と思いきや、
「ええっ!?」
 驚きの声をあげる鳴。
 ハナが手足をふるった瞬間、その軌道は本来のものから外れ、
「ぐふっ!」
 投げた当人である鳴に向かって落下し、その身体を押しつぶした。
「あらあら」
 それを見たミンは苦笑し、
「空中戦じゃかなわないわよ、ハナには」
 ミンに向かって『ブイ!』というようにピースサインをしてみせるハナ。
 ――と、
「う……く……」
 ハナに押しつぶされていた鳴が、
「もう一本お願いします!」
 小柄なハナの身体を押しのけ、気合もあらわに言い放った。
 跳ねのけられるも、表情一つ変えず華麗に着地してみせるハナ。
 ミンは苦笑しながら二人の間に割って入り、
「これくらいでいいんじゃない? すこしゆっくりしたら」
「………………」
「鳴君……だったわよね。あなたが強いのは十分にわかったから」
 そのときだった。
「えっ」
 驚きの声をもらすミン。ハナも目を見張る。
 泣いていた。
 声を押し殺すようにして。
 鳴の頬を涙が筋となって伝っていた。
「……悔しいです」
 鳴は言った。
「そ、そんな……」
 ミンは戸惑い、
「ハナに負けたからってそんな泣くことないわよ。こう見えて、この子、十九歳なんだから。あなたよりお姉さんなんだから」
 こくこく。ハナもうなずく。
 しかし、鳴は、
「万里小路流のあるべき姿は絶対他力」
「えっ……」
「僕は未熟です。気づけば自分の小さな力だけで何とかしようとしている。こんな未熟な僕だから……だから……」
 あらたな涙がこみ上げ、
「師範にも置いていかれてしまうんです……」
 はかなげに泣き続ける少年を前に、ミンは言葉を失う。
 あのとき――
 レイナと共に去っていく在香に当然ついていこうとした鳴だったが、親しく話す二人の間に入りこめないものを感じたのか、戸惑うばかりで結局そのまま置いていかれてしまった。一人になった鳴を放っておくわけにもいかず、報告も兼ねて向かったターフェイの屋敷にこうしてつれてきていたのだ。
「鳴君」
 それでも年上の立場として声をかけないわけにはいかないと、
「言ったでしょ。あなた、十分強いって。同い年の騎士の子と比べても、ぜんぜん負けてないわよ」
 鳴と同い年の騎士――
 ミンが思い浮かべたのは、幼いころからよく知る少年騎士である葉太郎のことだ。
 事実、無手の技では、完全に鳴のほうが上だと感じた。
 しかし、鳴は弱々しく首をふり、
「僕は万里小路流の弟子です。騎士の人と比べても意味がないんです」
 確かにそうかもしれないが……。
 ひるみそうになるも、ミンはなんとか笑顔を作り、
「ほら『絶対他力』? 自分の力を使わないっていうけど、あのオバさんなんて思いっきり自分勝手っていうかわがままっていうか」
「そんなことはありません!」
 目に涙をためながら鳴は言った。
「師範はとても優しい方です。僕にはわかります」
「そ……そう?」
「みんな、それがわからなくて……だから……」
 そこまで言って唇をかみ、また声を押し殺して泣き始める。
「鳴君……」
 たとえどれほど横暴であろうと、彼にとって在香は絶対的な存在なのだろう。
 と、そのことに気づいたミンの胸にむっとした思いがこみあげてくる。
 いた。
 自分の身近にも、そういう横暴な人間を絶対視している人間が。
(まったく、男ってのは……)
 思わず頭をかきむしりそうになるミン。
 とにかく、いまは鳴をこのまま泣かせているわけにはいかないと――
「……!」
 そのときだ。
 鳴がはっと息をのんだ。
「ハナさん……」
 小さな手が鳴の頭をなでていた。
 ハナだ。
 無表情のまま。
 それでも確かな慈しみをこめて、ハナは鳴の頭をなでていた。
「………………」
 何も言えないまま、鳴の目にあらたな涙が盛り上がる。
 驚いていたミンだったが、やれやれというように息をもらし、
「よしよし」
「ミンさん!?」
頭なでなでにミンも加わってきて、鳴がさらなる驚きの声をあげる。
「あ、あの……」
 女性二人に頭をなでられ、あたふたとしていた鳴だったが、
「………………」
 やがて、
「……ありがとうございます」
 薄紅色に染まった顔に笑みが戻る。
「僕のために……こんな……」
「なーに言ってるの」
 ミンは心からの言葉で、
「年下なんだから。お姉さんに甘えていいのよ」
「は、はい……」
 ハナも同じ気持ちだというように、より熱心に鳴の頭をなでる。
 髪の毛をぐしゃぐしゃにされながら、それでもうれしそうに涙ぐむ鳴。
 ミンはまた苦笑し、
「だから、すぐ泣くんじゃないの。男の子でしょ」
「はい!」
 鳴は腕で顔をぬぐうと背を伸ばし、
「ありがとうございます!」
 ミンとハナに向かって深々と頭を下げた。
 そんな彼の律義さに、ミンはあらためて好感を持つ。
「僕、お二人に出会えてよかったです! もちろんドルゴンさんにも!」
 その言葉に、はっとなるミン。
 二人に鳴を預けてターフェイに報告に行ったドルゴンだが、すこし時間がかかりすぎている気がする。
 一体……何をして――


「このことは秘密にしろよ」
 かすかに頬を赤くしながら、ターフェイはドルゴンの耳元でささやいた。
「は……はい……」
 思ってもいなかった。
 汗に混じったかすかな香水のにおいにあらためて胸が早鐘をうつ。
(館長……)
 ターフェイのたくましい腕の中で――
 こんな――
 自分と彼女が二人で『秘密』を共有するような――
「マジ怖えんだよ」
 広すぎる部屋の中。
 二人の他にはシャオロンしかいなかったが、それでも誰かに聞かれたくないというようにターフェイはドルゴンをぴったりと引き寄せその耳元で『秘密』を語った。
「つか情けねーよな。名前聞いただけでこんなビクつくなんてよ」
「そ、そんな……」
 つまり――そういうことだった
 ターフェイはただ自分の『秘密』……館長という立場で日ごろ周りにも怖いものなしという顔でふるまっていながら、実は怖くて仕方ない相手がいるということを自分の胸の内だけにしまっておけなかったというだけだったのだ。
「でも……そんなになんですか?」
「おまえの想像してる以上だよ」
 顔を青ざめさせながら、ターフェイは言った。
「おまえも会ってんだろ? だったらちっとはわかるだろーが」
「はぁ……」
 確かに――
 万里小路在香という人が一癖も二癖もある女性だということはよくわかる。
 それでも想像ができない。
 誰よりもたくましく頼りがいのあるこのターフェイが……在香に――
 一方的にいじめられていたなんて。

「さっさと立ちなさい、山猿」
 ぐぐっ。
「くっ……」
 頭を踏みつけておきながら『立ちなさい』はないだろう!
 たまらず怒りがこみ上げるも、
「逆らうの?」
 その一言で、ターフェイの巨体は凍りついた。
「く……」
 孫大妃(スン・ターフェイ)は――騎士だ。
 それも〝権騎士(プリンシパリティ)〟という下位でも最も実力があるとされている立場である。
 だが――
 いま自分の頭を踏みつけている万里小路在香(までのこうじありか)は〝座騎士(ソロネ)〟。
〝権騎士〟からすれば、はるか高みの存在だ。
 騎士にとって位階の差は絶対である。上位の者に逆らうことは許されない。
 それにしても――
「……いいかげんにしてくれないっスかね」
「はぁ?」
「上の騎士なら上の騎士らしくしろってんだ、コンチクショウ……」
 ぐぐぐっ。
「うっ……!」
「空耳かしらねえ」
 頭を踏む足に力をこめつつ、在香はわざとらしく大きな声で、
「人間の言葉が聞こえたような気がしたんだけど、そんなわけないわよねえ。ここには山猿しかいないんだから」
「ぐぎぎぎぎぎ……」
 砕けそうなほどに歯を食いしばる。
 こうして陰湿なイジメを受けるのは今日が初めてではない。
 というか、騎士を志してこの鳳莱島に来てから、ほぼ毎日と言っていいほどターフェイは在香にいじめられ続けた。
 しかも、その理由というのが、
『なんか目障り? 無駄にデカいし、かわいくないし』
 というだけだった。
 理不尽としか言いようがなかった。
 そして、実際のところはそれに加えて――
「何をしておる、おまえたち」
「あ~ん、館長ぉ~❤」
 在香の態度が一変し、その場に来た小柄な影に向かって駆け寄っていく。しかし、離れ際、さりげなさを装ってターフェイの頭にひと蹴りくらわせてきたのは、さすがの性格の悪さとしか言いようがなかった。
 現世騎士団東アジア区館館長・譚道人(タン・タオレン)。
 ターフェイと在香の所属する区館のトップであり、ターフェイにとっては師匠、そして在香にとっては自分より上位であるという以上の想いを寄せる相手――
「もー、どこに行ってらしたんですか、館長ぉ~? アリカ、さびしかったですぅ~」
「ケッ、いい歳して自分のこと名前呼びしてんじゃ……」
 ギロリ!
 本気の殺意がこもったひとにらみで沈黙を余儀なくさせられるターフェイ。
 と、タオレンがやれやれというようにため息をつき、
「変わらんのう、おまえら」
「えー、何がです~?」
「『何がです』じゃねえよ……」
 ギロリ!
「っっ……!」
「よいか、在香」
 自分より上背のある在香をタオレンは静かに見上げ、
「おまえは若くして〝座騎士〟となった。それだけの力は十分に持っておるからな」
「そんな~。館長にほめられるなんて、アリカ、恥ずかしいです~❤」
「なに、本当のことじゃ。ゆえに『四神』の一人にも選んだ」
 四神――
 それは東アジア区館の有力な若手騎士四人に送られる伝統的な称号。〝騎士団〟の正式な役職等ではないが、館長が認めた実力者として騎士たちの敬意と信頼を集めている。
(実力はともかく性格はどうかってハナシだよな、アネさんの場合)
 ターフェイが心の中でそう思う一方、タオレンは言葉を続け、
「『四神』は若き騎士たちに範を示す立場。それはわかっておるな」
「もちろんです~」
 在香はしれっと、
「だから、いまこの子にも稽古をつけてあげてたんですよ~」
 何が稽古だ! 反射的に声をあげそうになるも、
(あ……!)
 不意のひらめき。
 ターフェイはにやりと笑い、
「そーっスよ」
「えっ?」
 在香がけげんそうにこちらを見る。
 ターフェイはその視線を正面から受け止め、
「アネさんのおっしゃる通りっス。稽古つけてもらってたんス」
 在香の瞳がかすかにゆれる。
 それを見たターフェイはこれまでの鬱憤が一気に晴れる思いがした。
 そうだ。これはチャンスだ。
 稽古ということなら上の位階であろうと――
「続き、やりましょうや」
 ボキボキと指を鳴らす。事実このときを待っていたと言っていい。
 堂々とリベンジできる……このときを!
「ふふーん」
 ターフェイの意図を察したのか在香が不敵に鼻を鳴らした。
 と、すぐしおらしい顔に戻り、
「館長ぉ、いいですかぁ? この子がどうしてもって言うんで~」
「ほどほどにの」
 タオレンは処置なしと言いたげに手で顔を覆いながらうなずいた。
「じゃあ、館長の許可もいただいたところでぇ~」
「……!」
 息をのむターフェイ。
 在香は――『騎士槍』を手に取った。
「あら、なに驚いてるの?」
 タオレンに見せていた柔和な表情は消え、さっきまでこちらをいじめていた以上の冷徹な視線がターフェイを射抜く。
「稽古をつけてほしいんでしょ? 騎士の稽古を……わたしに」
「………………」
 ターフェイは、
「……望むところっスよ」
 ここまで来て引くことなどできはしない。引いたらさらに過酷なイジメにあうことは目に見えている。
 まさに……運命がかかっている!
「うぉらぁっ!!!」
 裂帛の雄たけびをあげ、ターフェイは自らも槍を構えた。
〝六角の槍〟――
 一見すると槍とは思えないほど太く無骨なそれは、ターフェイの巨体が生み出す腕力を最大限に活かすための騎士槍であった。
 まさに鬼の金棒。
 その巨大な得物を見ただけで常人なら戦意を喪失するが、在香は逆に馬鹿にしたように、
「いつ見ても不格好な槍ねえ。扱う人間……いいえ山猿と同じで」
「おらぁぁぁぁぁっ!」
 問答無用。
 これまでの怒りのすべてをこめ、ターフェイは〝六角の槍〟を振り下ろした。
 ズゴォォォォォォォン!!!
「!?」
 槍が大地にめりこんだ。
 いや違う。もちろん地面を狙ったわけではない。
「……!」
 在香はそこにいた。
 その場を一歩も動いていなかった。
 軌道をそらされたのは、ターフェイの槍のほうだ。
 おそらく在香の手にしている――ターフェイのものと比べればまるでおもちゃのように弱々しげな槍によって。
 しかし、わからなかった。
 自分の槍がいつどのようにしていなされたのか。
 そのような手ごたえをターフェイはまったく感じなかった。
「う……」
 冷や汗がどっと噴き出す。
 あらためて思い知る。自分が本気を出せば一息で折れてしまいそうな目の前の女性の――その底知れない得体の知れなさを。
「馬鹿みたいな攻撃ねえ」
 薄く笑い、在香は言った。
「山猿らしいけど」
 直後だった。
「あ……」
 いた。
 在香が。
 一瞬、目の焦点が合わなくなるほどすぐそばに。
「!」
 さらに近づく。
 至近という言葉ですら足りない。
 薄皮一枚。
 間一髪。
 突きつけられていた。
 目の――眼球の前。
 槍の突先が。
「う……」
 声もない。
 出せるはずがない。
 在香がほんの一押しするだけで自分の目は――
「見えなくていいわよねえ」
「――!」
「どうせ、あなたの目はわたしをとらえられないんだから」
 直後、
「!?」
 突先が動いた。
 感じただけだ。当然目でとらえられてはいない。
 いや、感じたというのも嘘だ。
 気づいたとき、その突先はターフェイの左耳の鼓膜につきつけられていた。
 目の前には、悪魔のような微笑があった。
「聞こえなくていいわよねえ」
「っっ……!」
「どうせ、あなたに言葉の意味なんてわからないんだから」
 そして、
「!」
 口中に――
 その突先はつき入れられた。
「話せなくていいわよねえ」
「ぅ……ぅぁ……」
「どうせ、あなたに人並みのことなんかしゃべれないんだから」
 そして、
「っ……!」
 突先がじわりと舌に――
「……へて……」
 止まらない。さらに深く突先が――
「や……へて……。やへてくだ……はいっ……」
 涙がこぼれた。
 ぼろぼろと大粒の涙が。
 在香は微笑し、
「何をやめてほしいの?」
「や……やへっ……」
「何をやめてほしいのかって――」
 ――ずぶり。
「聞いてるんだけど」
「……!」
 と、
「そこまで」
 二人の間にタオレンが割って入った。
 とたんに在香は、
「すいません、館長ぉ~。大人げないところを見せちゃってぇ~❤」
「そうじゃのう」
 うなずきつつ、肩をすくめるタオレン。
 その目がうずくまっているターフェイに向けられる。
「く……うぅ……」
 ターフェイは、
「う……う……ううう……」
 ふるえていた。
 ふるえが止まらなかった。
 ふるえながら子どものように涙を流し続けていた。恐怖、安堵、屈辱――自分でもわけがわからないほどに感情がごちゃごちゃだった。
「弱いのう」
「……!」
 タオレンのつぶやきが胸に突き刺さる。
 事実だった。
 実力の差だけではない。
 リベンジできるなどとよろこんでいた時点で恥ずかしいほどに何もわかっていなかった。
「これからじゃな」
 その言葉が重くのしかかる。
〝権騎士〟となったことにうぬぼれがあった。それを師は正しく見抜いていたのだ。
「チクショウ……」
 涙が止まらなかった。
 渦巻く感情の中で、しかし、ただ一つの想いだけははっきりしていた。
 このままでは……終われないと。


「はぁー。いまでも勝てる気しねえな、あのときのアネさんには」
「か、館長……」
「マジでおっかなかったんだよ。思い出すだけでもさ、こうしてふるえが……」
「かかっ、館長!」
「ん?」
 ドルゴンの懸命な声にターフェイが顔を上げる。
「あ……」
 声をひそめるようにドルゴンの耳元で語っていたターフェイ。話に夢中になるにつれて当時の恐怖を思い出したのか、彼の身体を太い腕でぎゅーっと抱きしめていた。
「館……長……」
「悪ぃ悪ぃ、苦しかったか?」
 答えられない。
 心臓が跳ね、これ以上ないと思えるほど顔が熱い。
「………………」
 苦しい――別の意味で。
 ぬいぐるみのようにターフェイの腕の中で抱きしめられていたドルゴン。当然のようにと言うべきか、背中越しに彼女の量感あふれる胸も遠慮なく――
「おい!」
 バシンッ!
「っっ!」
「なんか言えよ!」
 バシバシバシバシッ!
「ちょっ……」
 何度も背中を叩かれさすがにそちらの痛みのほうに耐えられなくなり、
「だ、大丈夫です、館長! 僕は大丈夫ですから!」
 本当はちっとも大丈夫ではないのに……。
「そっか、そっか! やー、おまえには情けねえトコばっか見せてんなー」
「いえ……」
 うつむきながら、ドルゴンは複雑だった。
 照れくさそうに笑っているターフェイ。しかし、それはあくまで弱い自分を見せたことの恥ずかしさによるもので、それ以外の気持ちは欠片もない。
 こちらのことも……異性としてはまったく――
「おい、ドル」
「!」
「なに、しょぼくれた顔してんだよ」
「いえ……そんな……」
「まー、わかるぜー」
 腕を組んだターフェイはうんうんとうなずき、
「おまえもアネさんに会ったんだもんな。命があっただけラッキーだったぜ」
「はあ……」
「にしてもよー」
 ターフェイは難しい顔になり、
「アネさんは何しにここに来たんだろうな」
「……!」
 はっとなるドルゴン。
「あ、あの……」
「ん?」
「万里小路在香さんは館長の先輩で……しかも『四神』だった方なんですよね」
「おう」
「レイナ館長とも同期で……親友で……」
「そうなんだよなー。あの性格悪いアネさんが、レイナのアネさんとだけは気が合ったんだよなー」
「それがどうして……」
 ドルゴンは言った。在香の話を聞いてからずっと疑問に思っていたことを。
「どうして、騎士を辞められてしまったんですか」


 バシャーーーーーン!
「きゅいーっ!」
 盛大な波飛沫をあげ、イルカが宙に舞った。
 そして、イルカの鼻先に乗っていたレイナも共に飛び上がる。
「きゃーっ!」
 歓声をあげる在香。イルカと共にあざやかな宙返りを決めたレイナは、そのまま海へと見事なダイブを決めた。
「レイナ、すごーい!」
 海沿いの岩場の上に立ち、在香は惜しみない拍手を送る。
 その隣では、
「ぴぴーっ」
 レイナが連れてきたイワトビペンギンのルルもぺちぺちと器用に拍手していた。
「もー、やめてよ」
 照れくさそうな顔で岸に泳いでくるレイナ。
 そこへ、レイナと共に飛んだイルカや他のイルカたちが寄ってくる。
「きゅいっ」
「きゅいきゅい」
 甘えるようにレイナに鼻をすり寄せるイルカたち。
 そんな光景を、在香は微笑ましげに見つめる。
『ママー』
『レイナママー』
 そんなイルカたちの声が聞こえてきそうだった。
「あなた、ホント、昔からイルカに好かれてるわよね」
 かすかな嫉妬を感じつつそう言う在香。
「ふふっ、わたしもみんなが大好きだもの」
「ぴぴっ。ぴっ」
「もちろんあなたもね、ルル」
 そう言いながら、レイナが海から上がる。
「わーお」
 在香は感嘆の声をあげた。
 レイナが所属するオセアニア区館は、海中戦闘を得意とするという〝騎士団〟でも異色の集団だ。彼女もそれは例外でなく、常に水中で動けるよう身体にぴったりと張りついた特殊な戦闘服を着用していた。
「いいわねー」
「な、何がよ……」
 在香の視線に気づき、思わずレイナは身体を隠す。
「いまだにそんな服着られるなんてねー。うらやましいわー」
「や、やめてよ。ちょっとは気にしてるんだから」
「えー、何がー? ぜんぜんラインも崩れてないじゃなーい」
「そんなことないわよ」
「あるってー。とても子ども産んでるとは思えなーい」
「もう……」
 困ったように言いつつ、レイナは満更でもないという顔を見せる。
「大きくなってるわよねー、モアナちゃん」
「ええ。いつの間にかもう〝権騎士(プリンシパリティ)〟よ」
「そっか……」
 再び在香の目にさびしさがにじむ。
 レイナはそんな在香を見て、
「……本当なの?」
「えっ」
 在香がレイナを見る。
 レイナはその目を静かに見つめ返す。
 思わぬ再会から、こうして人気のない海岸に来ていた二人。久しぶりに会ったことを懐かしみつつ、在香のリクエストでイルカとの共演も見せたレイナだったが――
 いよいよ〝本題〟に入るという意志を彼女は見せていた。
「ある噂を聞いたの。あなたのことで」
「………………」
「それって本当なの? ねぇ、在香」
 沈黙する在香。
 間があって、
「たぶん、本当よ」
「在香……!」
「そっか。それでレイナはこの島に来たってわけか」
 納得したというように頭の後ろに手を組んで歩き出す。
「ちょっと、在香!」
 あわてて追おうとした瞬間、在香はするどい目でふり返った。
「資格なんてないって言いたい?」
「っ……」
 在香は微笑み、
「知ってるわよね? わたしが強いって」
「………………」
 笑顔の奥の強い意志を感じ取るも、レイナはあらためて、
「無茶ってわかってるでしょ」
「レイナ、知ってるじゃなーい。わたしがそういうの気にしないタイプだって」
「気にするしないの問題じゃなくて……」
 レイナの言葉が止まる。
 いた。
 息が届くほどの至近距離から在香は、
「味方になってくれるわよね、レイナ」
「………………」
 レイナは、
「いいえ」
 はっきりと首を横にふった。
 在香は、
「そう」
 それだけ言って再び背を向けた。
「在香……!」
「レイナ」
 静かな声に確かな拒絶を感じ、レイナの足が止まる。
「わたしねー、友だちいないのよ」
「………………」
 知っている。
 連日のようにいじめていたターフェイはもちろん、当時の東アジア区館の騎士のほぼすべてに在香は嫌われていた。
 例外はいた。
 一人は、当時の館長だった譚道人(タン・タオレン)。
 在香が熱烈な思慕の情を向ける一方で、タオレンはその懐の大きさによって彼女を娘のように包みこんでいた。
 もう一人が、同じ『四神』のリーダーであった李秀宗(イ・スジョン)。
 在香は彼のことを「インケンで気に入らない」と嫌っていたが、一方のスジョンは彼女のことをほぼまったく相手にしていなかった。
 実力的には伯仲していたと言っていい。しかし、性格的な落ち着きもあり、スジョンのほうが一歩抜きんでているというのが周囲の評価だった。そのため、彼がタオレンの片腕と見なされていたのも在香の気に入らないところではあったのだが。
 そして、レイナも在香のことを嫌いではなかった。
 区館は違っていても、その強烈なキャラクターで在香は広く名を馳せていた。
 初めて会ったとき、レイナは在香が評判ほど「イヤな人間ではない」と思った。
 素直なのだ。正直なのだ。
 もちろん〝素直さ〟にはそれぞれの形がある。
 在香の場合、それは『つくろいのなさ』として現れていた。
 周りと合わない自分を知っている。対立してしまう自分を知っている。
 それでいながら、変わろうとしない。
 合わせようとしない。
 レイナの目に、それは一人の人間の強さとして映った。
 騎士らしいまっすぐさだと思えた。
 そんなレイナの気持ちが通じたのか、二人はすぐに区館の垣根を超えて親しく付き合うようになった。
 それから、長い月日が経った。
 レイナは区館のトップである館長となり、そして在香は――
「何がわたしを動かしてるのかしらねえ」
 その言葉を残し、
「……!」
 気づいたとき、在香はレイナの視界から消え失せていた。
「………………」
 感じた。
 騎士を辞めたいまも変わらない彼女の実力を。
 そして、思った。
 自分の意志――たとえどんなにゆがんだものであっても、在香は人に何か言われたくらいでそれを曲げるような人間ではないと。
 それが在香の『まっすぐさ』なのだから。
「きゅい?」
「きゅい、きゅい」
 岸近くに寄ってきたイルカたちが心配そうな鳴き声をあげる。
 レイナは笑みを見せながらしゃがみこみ、
「ありがとう。心配してくれて」
「きゅい~」
 レイナになでられたイルカがうれしそうに目を細める。
「きゅいっ」
「きゅいきゅいっ」
 自分も自分もと集まってくるイルカたちに、レイナはまさに子どもを相手する母親の想いで笑顔を向ける。
(あの子も……)
 レイナは思う。
(こういう気持ちをわかってくれれば……)
 彼女が求めるものは、求めて手に入るものではない。
 求められて初めて得られるものだ。
 偶然耳にした『噂』――
 そのことについて何か起きていないか聞くため単独この鳳莱島に来たレイナだったが、
「どうするべきなのかしらね」
 自分に問いかけるように彼女はつぶやいていた。

「アネさん!」
 在香は足を止めなかった。
「待てっつってんだろ!」
 感情の高ぶるまま後ろから肩をつかむ。
「っ……」
 はっとなるターフェイ。
 投げられる――無駄と知りつつとっさに身構えるが、
「………………」
 在香は、
「離してよ」
 ぽつりと力なくそう言っただけだった。
「アネさん……」
 あぜんとなる。
 そして、あらためて思い知る。
 今回のことがどれだけの衝撃を在香にもたらしたか。
 いや、在香だけではない。自分も含め〝騎士団〟で親しい者を失わなかった者など一人もいはしない。
(どうすりゃいいんだよ……おやっさん)
 ターフェイにとって師であり父とも慕うタオレンもまたすでにこの世になかった。
〝大戦〟――
 数百年来の宿敵である来世騎士団との全面戦争で〝騎士団〟はかろうじて勝利を収めたものの、払った犠牲はあまりにも大きかった。
 だからこそ、生き残った在香にはこの東アジア区館を支えてほしかった。
 なのに、
『わたし辞めるわ、騎士』
 あまりにも簡単すぎる言葉だった。
 自分が〝座騎士〟や『四神』であることなど欠片も気にかけていない言い方だった。
 ターフェイはそれが我慢できなかった。
 だからこそ、鳳莱島を去ろうとする在香をこうして追いかけてきたわけなのだが、
「……アネさん」
 ターフェイには彼女を止めるどんな言葉も思いつけなかった。
 ガバッ!
 できたのは大きな身体を大地に伏して土下座することだけだった。
「やめなさい」
 在香は静かに言った。
「また踏まれたいの?」
「踏んでくれていいっス」
 ターフェイは顔をあげ、
「アネさんが残ってくれるなら、どんなイジメにでも耐えてみせるっス」
「………………」
 在香は、
「何度も言ったでしょう」
 子どもに教え諭すように、
「館長のいない〝騎士団〟なんて、わたしにとって何の価値もないのよ」
「っ……」
 聞いたことがある。
 そもそも、在香は騎士を目指していなかった。
 本来は万里小路流という長く続く古武術の流派の後継者だったのだという。
 それがタオレンと出会い、騎士になったのだ。
「け、けど……」
 ターフェイはここで引いてはならないと、
「東アジア区館はおやっさんが想いを注いだ区館じゃないっスか! その想いを守るためにも……」
 ぐうっ!
「!」
 顔面をつかまれた。
 そのまま高々と吊り上げられた。
 体格ではるかに劣る在香が、巨体のターフェイをだ。
「く……」
 技だけの人だと思っていた。
 ターフェイはあらためて在香の底知れなさを思い知らされていた。
「アネっ……さん……」
「簡単に言ってんじゃないわよ」
 簡単になんて思ってない……とターフェイが言う間もなく、
「ぐはっ!」
 乱暴に投げ出されるターフェイ。
 そこに、
「館長は帰ってこないの! 想いとかそんなのどうでもいい! あの人は帰ってこない! それが現実なの!」
 ぼろぼろと。
 言葉と同時に彼女の目から涙がこぼれ落ちた。
「……!」
 息をのむ。
 すくなくともターフェイにとっては初めてだった。
 在香が泣くところを見るのは。
 彼女は、そのこらえていた想いを一気に吐き出すように、
「館長はね! 館長はね! わたしにとって他にあんな男の人はいなかった! わたしより強くて、わたしよりあんな大きな人は! 館長がいたからわたしは自由になれた! わたしはわたしでいられた! 武術だけのわたしをあの人は解放してくれたのよ!」
 涙ながらの告白にターフェイは声もない。
「アネさん……」
 人目もはばからず号泣する在香に、
「オレだって……泣きたいっス」
 つられて涙をこぼしそうになるも、ターフェイはそれをこらえ、
「アネさんがいなくなったら、この区館はどうやって支えていけばいいんスか!? スジョンのアニさんだっていないってのに」
「……!」
 タオレンの傍らで〝大戦〟を戦った『四神』イ・スジョンは、戦いの後、理由を告げないまま騎士を辞めて島を去っていた。
「スジョン……」
 つぶやく在香の声に深く重い憎しみがにじむ。
「何が片腕よ……館長をみすみす死なせて……」
「それは……」
 きっとスジョンだって激しく後悔したはずだ。しかし、言うまでもなく、そのことは在香もわかっているだろう。
「わたしが館長のそばにいたら……」
 在香はきつく唇を噛み、
「館長が死ぬくらいなら……よろこんでわたしが……」
「アネさん!」
 それだけはだめだ。
 大嫌いな相手ではあったが、それでもその先を言わせるわけにはいかなかった。
 在香はうつろな目で、
「行きたいわ……館長のそばに」
「アネさん……」
 ふらふらと歩き出した在香に向かって、
「そんなこと、おやっさんは望まなかったと思いますよ」
「あの人を語るな! 山猿が!」
 怒気を爆発させるも、すぐにその目から生気は失せ、
「殺しなさいよ」
「……!」
「わたしを止めたかったら殺しなさい」
 そう言い残し――
 在香が去っていく間、ついにターフェイは動くことができなかった。
「………………」
 ターフェイは思い出していた。ここへ追いかけてくる前、在香が『騎士を辞める』と言った直後に付け加えた言葉を。
『わたしがいなくなったって、誰も惜しんだりしないでしょ』
『わたしは嫌われ者なんだから』
『あとはあんたが好きにすればいいじゃない』
 ターフェイは、
「……じゃあ、好きにさせてもらうっスよ」
 拳を強く握りながらつぶやいた。
「ここはおやっさんの家だ! 家が傾いたままにはしておけねえだろうが!」
 勢いよく背を向け、ターフェイは歩き出した。
 ターフェイと在香――
 二人の道が分かれた瞬間だった。


「………………」
 話を聞き終えたドルゴンは、
「……大変だったんですね」
 当時を知らない人間としてそれだけを言うのが精いっぱいだった。
 ターフェイは、
「ふうー」
 これまでの労苦がどっと押し寄せてきたというように、執務机の椅子に座り直した。
「とにかくまあ、それ以来、アネさんとは会ってねえってわけだ」
「それが……」
 ドルゴンはあらためてその疑問を口にする。
「どうして戻ってこられたんでしょう」
「だから、オレもそれを知りてえんだっつーの」
 と、ターフェイははっとなり、
「ひょっとして、レイナのアネさんは何か知ってんのか?」
「あ……」
 ドルゴンもはっとなる。
「そうかもしれません。聞けばお二人は仲がよかったそうですし」
「よし! ここにいても仕方ねえ!」
 勢いよく立ち上がった拍子に、再び椅子が大きな音を立てて倒れる。
「どっちのアネさんでもいいから、さっそく話を聞きに……」
「行く必要はないわ」
 共に凍りつくドルゴンとターフェイ。
「なっ……」
 まったく気がつかなかった。
「アネさん……」
 ターフェイの声がふるえる。
 広い館長執務室の片隅。しかし、いくら広いと言っても、侵入者に気がつかないことなど普通はあり得ない。しかも、ドルゴンもターフェイも騎士なのだ。
「マジで……アネさんかよ」
「ハン」
 在香は馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「山猿は山猿のままね。人並の記憶力もないのかしら」
 すると、
「館長……!?」
 ターフェイが動いた。暴言に怒ってつかみかかるのかと思いきや、
「ごぶさたしています」
 膝をついたターフェイが、その場で深々と頭を下げた。
 いつにない礼儀正しい姿にドルゴンが驚く一方、在香は当然という顔で、
「まあ、山猿は山猿なりに、礼儀くらいはわきまえるようになったみたいね」
「そ、そんな言い方……」
 在香の暴言は続き、ターフェイがいつ爆発するかとドルゴンは気が気でない。
 と、在香の目がドルゴンに向けられ、
「あ、キミもいたのね。ちょうどいいわ」
「えっ」
 ちょうどいい……とは?
 困惑するドルゴン前を横切り、在香は大きな執務机の上に腰を下ろした。
 そして、優雅に長い脚を組んでみせる。
 人の部屋であまりに不遜な態度だが、その不遜さこそ彼女だと言える空気を在香は濃密にまとっていた。
「聞きなさい」
 その不遜さ傲岸さのまま、在香は口を開いた。
「今日からここはわたしの部屋になります」
 ドルゴンは、
「……え?」
 何を言われたのかまるでわからなかった。
「あ、あの……」
 あたふたとしつつドルゴンは
「その……ここは館長の執務室で……」
「知ってるわ」
 在香は言った。
「わたしが館長になるの」
「は?」
 その瞬間、
「――!」
 反論は許さない。その確かな意志がこもった視線にドルゴンは凍りつく。
「あ……な……」
 な、何を言っているのか?
 在香が……館長!?
 そんな無茶苦茶なことが――
「よかったわー」
「っ……!」
「これであなたは自動的にわたしの門下ってことになるわね」
「何を……そんな……」
 ダン!
「!」
 足を踏み鳴らしながら机の上に立った在香に、ドルゴンは言葉を飲みこまされる。
 そして、彼女は高らかに言い放った。
「今日から東アジア区館の館長はこのわたし……万里小路在香よ!」

 とんでもないことが起ころうとしていた。
 思考が停止しそうになりながらも、
「館……長……」
 ドルゴンはまだ膝をついているターフェイを見た。
 ターフェイは沈黙を続けていた。
 その表情からは、どんな考えも読み取ることができなかった。
「どうして……」
 なぜ何も言おうとしないのか。
 在香の言っていることはあきらかに無茶苦茶だ。
 現世騎士団の七区館(セブン・プライオリー)それぞれを治める館長は、一騎当千の騎士たちを束ねる責任ある立場だ。簡単に替われるようなものではない。
 そもそも、在香は騎士を辞めているはずだ。
 それがどうしてこんないきなり――
「聞いたわよ」
 机から下りた在香は、ターフェイに顔を近づけて言った。
「あなた、負けたんですってね」
「!」
 それを聞いていたドルゴンのほうが青ざめる。
「ま……」
 まさか――
 そのことを聞いて在香はここへ来たというのか!?
 確かに、ターフェイは先日敗北を喫した。本人もそのことを受け入れていて、館長の座を譲ってもいいというようなことも口にした。
「で、ですが……!」
 ドルゴンは思わず身を乗り出し、
「それとあなたが館長になることとは関係が……」
「もちろんあるわ」
 傲然と言い放つ在香。
「この東アジア区館はわたしと館長の思い出が残る大切な場所。無様な敗北は区館の名を貶めたも同然……」
 さげすみの目がターフェイに注がれ、
「山猿には責任を取ってもらうわ。そしてわたしが名誉を取り戻すのよ」
「そんな……!」
 無茶苦茶だ! 無茶苦茶すぎる!
 しかし、なおここに至っても、ターフェイは一言も発しようとはしなかった。
(館長……)
 このまま在香に館長の座を譲ってしまうのか?
 そんなこと許されるはずがない!
 すくなくとも……自分は決して許しはしない。
「あら」
 在香が不敵に微笑む。
「そういう目もできるのね、キミは」
「………………」
「ますます仕込みがいがありそう。うふふっ」
 戯言は聞きたくない。ドルゴンは在香に向かってゆっくりと――
「……!?」
 止められた。
 ターフェイだった。
「か、館長……」
 どうして? と言いかけるも、はっと我に返る。
「すみま……せん……」
 完全に我を失いかけていた。それをターフェイは止めてくれたのだ。
 ――と、
「おまえじゃねえ」
「えっ?」
 ターフェイの言葉に息をのむドルゴン。
 すると、そこへ、
「師範!」
 勢いよく扉を開けて入ってきたのは、
「鳴君!」
 その後ろには、ミンとハナの姿もあった。
「この子が姿を見かけたって言うんで、まさかとは思ったんだけど……」
 その言葉にドルゴンはあらためて思い知る。ミンやハナでも気づけないほど在香の隠形は完璧だったのだと。
「師範……やっぱり……」
「ふふっ」
 ほっとした笑顔の鳴に在香も笑みを返し、
「さすがね。わたしが来たことがわかったなんて」
「はい! 師範の弟子ですから!」
 鳴が誇らしげに胸を張る。
「でも……」
 その顔が不安に沈み、
「何をしてらっしゃるんですか、師範」
 年若く多分に無邪気なところのある彼でも、この室内の空気に何か察するところはあったのだろう。
「ドルゴンさん……」
 ゆれる瞳がこちらに向けられる。
「一体、何が……」
 どうやら鳴は今回のことを何も聞かされていなかったらしい。
 と、在香が場にそぐわない明るい声で、
「よろこびなさい、鳴。今日からあなたとドルゴン君は同門よ」
「えっ」
 鳴の瞳がさらにゆれ、
「でも、ドルゴンさんは騎士で……」
「だから、わたしがここの館長になるのよ」
「!」
「あー、でも、こういう場合どうなるのかしらね。弟子としてはあなたのほうが長いから、あなたが先輩ってことになるのかしら」
「………………」
 何も言えないまま、子犬のように視線をさ迷わせるばかりの鳴。
 在香はそんな反応が気にくわないというように、
「なによ、うれしくないの?」
「えっ……」
「あなた、ドルゴン君と一緒にいたいんでしょ? 望みがかなったじゃない」
「………………」
 鳴はゆれる瞳を伏せ、
「……わかりません」
 在香の目を気にしつつ、おずおずと、
「でも……みなさんがその……望まないようなことでしたら……」
「………………」
 無言のまま、在香がつかつかと鳴の前に歩み寄った。
 びくっとなる鳴だったが、
「そ、その、みなさん、とてもいい方で、ドルゴンさんだけでなくて、ハナさんやミンさんも……」
「破門よ」
「!」
 鳴の目が大きく見開かれた。
「……え?」
 信じられない。そう言いたそうな鳴を在香は冷たく見据え、
「あなたは破門よ。当然でしょう」
「あ……な……」
 鳴の細い肩ががくがくとふるえ始める。
「そ、そんな……」
「………………」
「僕が……僕までいなくなったら万里小路流は……」
 ぱぁんっ!
「!」
 息を飲むドルゴン。
 あまりにも突然の平手打ちだった。
「っ……っっ……」
 叩かれた頬を抑え、みるみる目をうるませ始める鳴。
 ドルゴンはたまらず――
「なんてことしてんのよ!!!」
 先に声を張り上げたのはミンだった。
「こんな子どもに暴力ふるうなんて最低! あなた、いい歳した大人でしょう!」
 在香は静かな眼差しで、
「今度こそ本当に折られたい?」
「っ……!」
 ひるみかけるも、ぐっと踏みとどまり、
「やってみなさいよ」
 在香が笑った。
 そして――
「よし、決まった!」
「!?」
 ドルゴンやミンたちだけでなく、在香も驚きの表情を見せる。
 突然の大声をあげたターフェイは、
「ミン!」
「え……あ、はい」
「おまえに決まりな」
「は?」
「だからさー」
 ターフェイはにやりと笑い、
「用意してやるよ。リベンジの舞台」
 ぎょっと目を剥くミン。
 ドルゴンもあぜんと息を飲む。
(館長……)
 あらためて思った。
 これから――大変なことが起ころうとしていると。

 大講堂。
 騎士の叙任式などが行われる荘厳な建物のその裏手に――〝闘場〟はあった。
 普段は騎士たちが技を見せ合う場として用いられるその舞台を、ドルゴンは感慨深い想いで見つめていた。
 ターフェイの従騎士になったばかりのころ、ここに立ったことがあった。
 相手は当時同じ従騎士で、いまも同じ『四神』の仲間である李吉夏(イ・キルハ)だ。
 騎士として何も知らないうちに戦うことになってしまった心細さを思い出し、ドルゴンの表情が沈む。
 だが、いまミンが感じている不安はあのときの自分以上のはずだ。
 過去のこととは言え、相手は自分より上位の騎士だった人。ターフェイに「いまでも勝てる気がしない」と言わせるほどの実力者であり、ドルゴンもミンもすでにその力の片鱗を思い知らされている。
 そんな不利な状況であることに加え、なんと勝負には東アジア区館の未来までがかかっていた。
 ターフェイは言った。
 在香が勝てば館長の座を譲る。本部や他の区館にも掛け合って認めさせると。
 ドルゴンはがく然となった。
 普通なら絶対受け入れられないはずのことに、現館長という立場でお墨付を与えた形になってしまったのだ。
 在香は当然のようにその話に乗った。
 引くわけにいかなくなったミンも提案を飲まざるを得なかった。
(何を考えてるんですか、館長……)
 問いかけが心の中でくり返される。
 ドルゴンにとってターフェイの言葉は絶対だ。
 それでも、今回のことは納得できなかった。
 どうしてミンなのか?
 できることなら自分が代わりたかった。仲間が苦しむくらいなら、そちらのほうがずっとよかった。
 勝てるという自信などまったくありはしなかったが。
(ミン……)
 思い出す。
 かつてこの闘場で戦ったとき、彼女が声援を送ってくれたことを。
『やめなさいよ!』
『なにやってんの、キルハ! 抵抗できない相手に!』
(う……)
 声援――とはちょっと違ったかもしれない。
 それでも彼女の憤りは、一方的にキルハにやられていた自分の心を確かに動かした。
 そして、
『ドルゴンさんを……いじめるな』
 幼い葉太郎。
 兄とも慕ってくれている彼の純粋な想いは、何よりも自分を力づけてくれた。
「……!」
 そうだ、いまの自分にもできることがある。
 ドルゴンはその場から歩き出した。


「はー、サイアク」
 臨時の控え室の扉を開けたドルゴンが聞いたのは、芯から参っているということを感じさせるミンのぼやきだった。
「ドル」
 ミンがこちらを見た。
「その……」
 かけるべき言葉を探すも、
「が、がんばって!」
「………………」
 ミンは、
「まー、結局そんなもんよね」
「え……?」
 ため息交じりに言われたドルゴンはあたふたと、
「ご、ごめん、何かその……」
「何が?」
「えっ」
「何を『ごめん』って言ってるの?」
「それは……」
 ドルゴンはいっぱいいっぱいになりながら、
「その……ミンをはげますようなことを言えなかったことを……」
 視線を外したミンはあらためて、
「サイアク」
「え? え、え?」
 何がよくなかったのか……戸惑うことしかできないドルゴン。
 と、
「痛っ!」
 不意に腿をつねられ、たまらず悲鳴をあげる。
 ふり向くと、むっとした顔でこちらを見上げているハナの姿があった。ミンのそばに付いて一緒に控え室にいたのだろう。
「ハナ……」
 何が悪かったのか思わず聞きたくなる。
 しかし、それより先に、
「いいわよ、ハナ。こういうドルだって知ってるでしょ」
 不満そうな表情ながらも、こくっとうなずいてみせるハナ。
 ドルゴンはますますいたたまれない気持ちで、
「ご、ごめん……」
「何が?」
「それは……うぅ……」
「ああ、もうっ!」
 身だしなみに気をつかう彼女にしては珍しく乱暴に頭をかき、
「何しに来たのよ! こっちはあんたのことでまでイラついてる余裕ないんだけど!」
「そんな……」
「あーもー、ムカつくムカつく! 情けないあんたも、こんなこと押しつけた館長も、もちろんあの迷惑オバさんも!」
「ミ、ミン……」
 鬱憤を爆発させる彼女を前にドルゴン、そしてハナもうろたえることしかできない。
「だから、騎士なんてイヤなのよ! 一方的に命令して、しかも上には絶対って! 形ばっかり気にして、カッコばかりつけたがって、それで弱い人間は放っておけないなんて言って、そのことで損ばっかりして……」
 ドルゴンははっとなる。
 弱い人間を放っておけず、そのことで損をしている。
 それは、まさにいまの――
「騎士なんて……騎士なんて……」
「僕は好きだよ」
「!」
 ミンの言葉が止まる。
 が、すぐに険しい表情で、
「そりゃ、あんたは好きでしょうよ。根っからの騎士バカだもん」
 それは言いすぎ……。
 と、ハナがあわてるも、ドルゴンは笑顔のまま、
「僕は騎士のミンが好きだ」
「っ!」
 火がついたようにミンの頬が赤くなる。
「な……」
 ミンはあたふたと、
「バ、バ……バカじゃないの!?」
「うん」
「好きって……い、いきなり……」
 と間もなく冷静さを取り戻したのか、自分の狼狽ぶりを恥じるように目を伏せ、
「……『騎士の』がよけいね」
「えっ」
「なんでもないわよ」
 ぎこちなくミンは顔をそむけた。
「ほら、ミン、鳴君のことで本気で怒ってたじゃないか」
「あれは……普通にムカついたから」
「僕のことだって」
「えっ」
 ドルゴンは遠い目をして、
「覚えてるよ。僕があの闘場で初めて戦ったとき……ミンが怒ってくれたこと」
「あれも、その……ドルが情けなさすぎたから」
「変わらない」
「変わらないわよ、あんたの情けなさは……」
「そうじゃなくて」
 ドルゴンは苦笑し、
「僕はね。ずっと変わらずに強くて優しいミンが……」
 まっすぐに彼女目を見つめ、
「大好きなんだ」
「……!」
 ミンの頬がこれ以上ないほど真っ赤に染まる。ドルゴンの視界の端では、なぜか「よし!」と言いたそうにハナがぐっと拳をにぎっていた。
「あ……な……」
 何度か口を開け閉めしたあと、ミンはしぼり出すように、
「バカ……言ってんじゃないわよ……」
「ミン」
 ドルゴンは包みこむように彼女の手を握った。
「!」
 ますますうろたえるミンの目を見つめ、
「ミン……」
 ドルゴンは言った。
「がんばって」
「っ……」
 そして、
「……え?」
 しばらくして、ミンが間の抜けた声をもらす。
「そ……それだけ?」
「?」
「いや『?』じゃないでしょ」
「あ、あの、僕にもっとできることがあれば」
「もっとできることって……」
 とたんにミンの顔がまた赤くなり、
「い、いいわよ、もう!」
「でも……」
「いいって言ってるの!」
 あたふたと顔をそらすミン。そばでは「やれやれ」と言いたそうにハナが首をふっていた。


 そして――
「ふぅ」
 肩を軽く回しながら闘場へ続く通路を行くミン。
 ドルゴンは、ハナと一緒にその後ろに付き添っていた。
「まー、やるしかないわよね」
「がんばって、ミン」
「………………」
 うんざりといった沈黙のあと、ミンがあきれ顔でふり向く。
「ホント、それしかないのね」
「う……。だ、だから、他に僕にできることならなんでも……」
「いいわよ。どうせドルにできることなんて……」
 そこでミンの言葉が止まる。
「………………」
「ミン?」
 かすかに息を整え、ミンは、
「わたしが勝ったら」
「えっ」
「わたしが勝ったら……やってほしいこと、聞いてくれる?」
 ドルゴンは、
「う、うん。でも、何かやってほしいならいま……」
「それじゃ意味ないの! いいから約束して!」
「うん……わかった」
「ふー」
 ほっとしたように息をつくミン。
 その顔に、頼もしさを感じさせる笑みが浮かび、
「これですこしはやる気が出るかな」
「ミン……」
 どういうことかよくわからないが、そのつぶやきにドルゴンも笑みこぼす。隣でハナも「よかった」という目を見せた。
 と、そこに、
「みなさん」
「……!」
 通路の陰に隠れるようにしてそこにいたのは、
「鳴君……」
 胸をつかれるドルゴン。すまなそうにうつむくその姿に、初めて会ったときの快活さはまったくなかった。
「すみま……せん……」
 消え入りそうな声でそう口にする。
 それだけで彼がどれほどつらい気持ちを抱えているのか痛いほどに伝わった。
「鳴君」
 ドルゴンは彼に近づき、華奢なその身体をそっと抱きしめた。
「ミンは、強いから」
「………………」
「館長がミンなら大丈夫ってお考えになったことなんだ。だから、きっと……」
 そこまで言って、ドルゴンは言葉に詰まる。
「ご、ごめん。キミは万里小路さんに勝ってもらいたいと……」
 鳴はふるふると首を横にふった。
「でも、キミは……」
「僕は破門になりました」
「っ……」
 ドルゴンはあわてて、
「いや、でも、きっと本気じゃ……」
「師範は自分の言葉を曲げるような方ではありません」
 そこは――やはり元騎士と言うべきか。
 鳴は目に涙をため、
「本当にすみません。師範がみなさんに大変なご迷惑を……」
「まー、上にふり回されてるのはわたしたちも同じだから」
 ミンが前に出る。
「というか破門されたんでしょ? キミがあやまることないじゃない」
「………………」
「それとも」
 ミンは言った。
「やっぱり、あの人の弟子でいたいの?」
「………………」
 鳴は、
「……はい」
 か細い声ながらも、はっきりとうなずいた。
 あらたな涙が澄んだ瞳に盛り上がり、
「師範は……こんな僕を一人前にしてくれたんです」
「一人前ねえ」
「ミ、ミンっ!」
「いえ、ミンさんの言う通りです。僕は半人前、いえ何十分の一人前です。けど、そんな僕を師範は……ずっと……」
 ドルゴン、そしてミンも言葉を失う。
「それに僕がいなくったら……」
 鳴は言った。
「師範が……一人になってしまいます」
「えっ」
 驚きの声をあげるドルゴン。
 鳴は言葉を続け、
「いま万里小路流の道場にいる弟子は……僕だけなんです」
 ドルゴンはあぜんとなる。
 弟子が鳴だけ? 万里小路流は歴史のある道場だと――
「まあ、わかるけどね」
「えっ……!?」
「あの、わがまま勝手なオバさんだもん。普通だったらついていけないわよ」
「ミ、ミン!」
「その通りです」
 ミンの言葉に鳴はうなずいた。
「僕が入門したときにはほとんど他の方はいなくて……だから……」
「代わりにうちの区館を道場にしようって言うの? まったく迷惑な話よね」
「ミン!」
 そのときだった。
「キミはどうしたいの?」
 ミンが鳴を見つめて言った。
 いまはそこまで聞けるような状態じゃ……と言いかけた寸前、
「……です」
「えっ?」
 ミンより先に問いかけの声をもらしてしまうドルゴン。
 鳴は、
「いたい……です……」
「それって……」
「師範の……もとで……」
 大粒の涙がこぼれ、
「師範の弟子で……いたいです」
「………………」
「よーし」
 ミンがドルゴンに代わって鳴を抱きしめた。
「もう泣かなくていいわよー」
「ミンさん……」
 何かから解き放たれたように嗚咽するミン。
「う……ううっ……」
「泣かないの、男の子なんだから。情けないのはドルだけで十分」
「う……」
 そう言われては立場がない。
「よーしよし」
 一方、ミンはふるえる鳴の背をなでて、
「ありがとう。もっとやる気出た」
「ミンさん……」
「あーもー」
 あきれたように苦笑しながら顔をあげ、
「やっぱり、わたしも騎士なのねー」
 そして、ハナを見て、
「あなたも。あのオバさんにいいようにされたくないもんね」
 こくこくっ。うなずくハナ。
「ミン……」
 ドルゴンは、
「そうだよ、ミン。だからきっと……」
「はい、そこまで」
 ミンはドルゴンを軽くにらんで、
「気持ちと現実は別だから」
「っ……」
 こんなときにも冷静さを失わないミンに驚かされるドルゴン。
 一方で、そこに確かな頼もしさを感じ、
「ミン」
 言葉はいらない。そう思いながらも、
「がんばって」
 ミンは――
 軽く笑って背を向け、光あふれる通路の外へと向かっていった。

「逃げなかったことはほめてあげるわ」
「逃げるわけないでしょ、騎士なんだし」
 傲岸な在香の視線を正面から受け止めるミン。
 そして、負けじと不遜に、
「騎士〝だった〟そっちと違って」
 かすかに口もとをひくつかせる在香。ミンをにらむ目に炎がゆらめく。
 闘場の上で、二人は早くも激しい火花を散らしていた。
(ミン……)
 そんな様子を、はらはらと見つめるドルゴン。
 隣には、同じく不安そうな顔の鳴がいた。
 細い指が祈るように組み合わされている。間違っても悲惨な結果にならないように……きっとそのことを祈っているのだろう。
 それは、ドルゴンも第一に願っていることだ。
 と、そのとき、
「ちょーっと待った!!!」
「!?」
 闘場に響き渡る大声と共にぬうっと巨体を立ち上がらせたのは、
「館長!?」
 ターフェイは身体そのままの大きな声で、
「おまえら素手でやる気かよ!」
 はっと身体をこわばらせるミンと在香。
 ターフェイは不敵に笑い、
「ここは騎士の島だぜ。だったら得物は決まってんだろ」
「か、館長!」
 ドルゴンは驚いて駆け寄った。
「何を言っているんですか! 槍で戦ったら万が一のことが……」
 ぎろり。
「っ……!」
「万が一が怖ぇから槍は使うなってか」
「そ、それは……」
「騎士がよぉ、そんな腑抜けた理由で手ぇ抜くって言うのか! 真剣勝負の場でよぉ!」
「う……」
 何も言い返せなかった。
 正論だ。
 正論だが――
(ミンに何かあってもいいと……)
 胸の内のターフェイへの信頼がゆらぐのを感じる。それでも一言も言えない自分の情けなさが歯がゆくて仕方なかった。
「どうだ、ミン!」
 闘場に向かって声を張るターフェイ。
 ミンは平然と、
「わたしは構いませんけどー」
 皮肉げに在香のほうへ視線を向け、
「そっちの騎士をやめた方は槍なんて持って――」
 軽く目が見開かれる。
 いつの間に……。
 在香の手には――槍があった。
「……!」
 ドルゴンも目を見張る。
 槍、のはずだ。
 それは、いまだかつてドルゴンが見たこともないような槍だった。
 騎士にとって頼るべきたった一つの武器――騎士槍。各々の個性に合わせて無数とも言えるほどの形状や機能を持ち、自身が扱う槍も含めて様々に特異な槍をドルゴンはこれまで目にしてきた。
 そんな彼であっても、在香の手にした槍は驚嘆すべきものであった。
 短い。
 それだけでも騎士槍として、あり得ない。
 騎士槍の最大の武器はその長大さだ。長さがそのまま突きの威力へと転ずる。その文字通りの〝長所〟というべきものを、在香の槍は完全に放棄していた。
 そして、細い。
 例えるなら手元の覆いのないフェンシングの突剣。
 遠目には、オーケストラの指揮者がふるうタクトにさえ見える。
 それが――在香の騎士槍だった。
「何よ、それ……」
 ミンの声にかすかなふるえが混じる。強気さを保とうとしつつ、彼女は目の前の槍の柔弱さに逆に警戒心を抱いたようだった。
 そんな気持ちを察したように在香は薄く笑い、
「恨まないでね」
「えっ」
「すごく久しぶりだから手加減できないかもしれない……」
 ビッ! 謎の槍の先端がミンに向けられる。
「何があっても恨まないでね」
「っっ……!」
 ミンの顔が引きつるのがわかった。
 すると、
「やっぱ持ってるよなー」
「館長!?」
 隣から聞こえたのんきな声にドルゴンはあぜんとなる。
「だってそうだろ? 館長になろうって人が槍も持たないでここに来るわけねーじゃん」
「そ、それは……」
 その通りかもしれない。
 しかし、そういうことではない!
 わかっていながら、そんなあえてミンを危険に追いこむようなことを――
「言ったよな」
 ターフェイは真剣な目で、
「騎士としての勝負ならよ、槍で決着つけるしかねえんだ」
「っ……」
 ドルゴンは――
 あらためてミンの無事を祈ることしかできなかった。


 ミンは――
 自分がこうして舞台に上がるとは思っていなかった。
 こういうのはドルゴン、あるいはいま島にはいない葉太郎の役割だったはずだ。
 主役を張るタイプではない。自分でよくわかっていた。
 一方、
「あー、それそれ」
 在香の声が弾む。久々に騎士である興奮を思い出したというように。
「それよねー、わたしに何か飛ばしてきたの。初対面の一般人に対していい度胸よねー」
「……〝戦輪の槍〟」
 在香のペースに乗らず、油断なく槍を構えながらミンは言った。
「そっちほど非常識じゃないけど……これがわたしの槍よ」
 在香は不敵に笑い、
「〝天刺(てんし)の槍〟」
「……!」
「天をも刺し貫く。それがわたしの槍よ」
 そして――
 二人は静かに対峙した。
 瞬間、どちらからともなく疾った。
「せんぱーい!」
「がんばって、ミンせんぱーーい!」
 闘場の周りを埋め尽くす観衆たち。久々の大きな〝イベント〟に島に住む多くの者たちが集まっていた。この勝敗には島の未来もかかっている。その中から上がる一際大きな声援は、普段からミンが面倒を見ている女性の後輩騎士たちのものだった。
「せんぱーーい!」
「ミンせんぱーーーい!」
 その声援を受けミンは、
「はぁぁっ!」
 かわされた。
 当然というように。あまりにも無駄のない動きで。
「くっ」
 すぐさま次の突きに入る。
 しかし、かわされる。
 続けざまの連続の突きをすずしい顔でかわし続ける在香。
 そして、
「荒い」
 キィィィーーーーーーン!!!
「!?」
 突き止めた。
 在香の細い槍が、通常の騎士槍の長さを持つミンの〝戦輪の槍〟を。
「それで、よく『四神』なんて言えたものね」
「く……」
「本当の『四神』はね」
 キィィン!
「!」
 突き上げられた。
 力ではない。
 呼吸。
 力のリズムの、その間隙をつかれたというように。
「くうっ!」
 すかさずまた突きかかる。
 キン! キン! キィィィン!
 すべて止められた。
 完璧に。
「っ……!」
 気づく。
 あの槍は――槍そのもの力で戦う槍ではない。
 主体は、使い手。
 使い手である在香の動きを最大限損なわないため。
 そのための槍。
 この上なく、彼女の手足の延長としての槍。
 そして、在香は体術の〝超〟達人だった。
「はっ!」
「!」
 飛ばされた。
 体格ではそれほど変わらない。事実、力ずくという感じはまったくない。
 それでも突き合わされた瞬間、ミンの身体は大きく後ろに飛ばされた。足が地面から離れるほどの勢いで。
「くぅぅっ!」
 ミンにハナのような空中感覚はない。
 手にした槍でバランスを取り、ミンはかろうじて着地した。
「ハァ……ハァ……」
 全身が総毛立つ。
 あらためて感じていた。
 化物だ。
 素手のときでもまったく勝てる気はしなかった。
 得物を手に取られたいま、さらに勝てる気がしない。
(なんで……)
 どうしようもなく憤懣がこみ上げてくる。
 もともと激しやすい性格だと自分でもわかっている。この性格のためターフェイ相手にも平気でケンカを売ってしまう。情けないドルゴンにも腹を立てる。
(なんでわたしがこんなことしてるのよ! なんでよ!)
 さすがに声にこそ出さなかったが、乱れる気持ちが集中力をそいでいく。
 真剣勝負の場において、それは致命的とも言えるものだった。
「ふぅ」
 在香が槍をおろした。
「っ……」
 何か仕かける気か!? 身構えるミンだったが、
「あなた、本当に〝力騎士(ヴァーチャー)〟なの?」
「えっ」
「すくなくとも、わたしがいたころは、戦いの途中でよけいなことに気を取られる〝力騎士〟なんて一人もいなかった」
「――!?」
「残念よ」
 皮肉でもなんでもなく、心からそう思っているというようにつぶやく在香。
 それがミンの自尊心を切り裂いた。
「やあああああああっ!」
 無謀とわかっていた。
 それでも自分を止められなかった。
「ふぅ」
 これ見よがしなため息。それがさらにミンの頭を灼熱させる。
「ふんっ! はぁっ! はぁぁぁっ!」
 槍さえ用いなかった。
 在香は、槍を下げたままミンの突きをことごとくかわした。
 かわしたという感じすらさせない。
 優雅な、柳のような身のこなしだった。
「質が落ちたのね〝騎士団〟も」
 つぶやきに悲哀がにじむ。
「あの〝大戦〟で、本当の騎士はいなくなってしまったのかしら」
「うるさい!」
 怒ってはだめだとわかっている。
 それでも、自分の気持ちを抑えられない。
 荒ぶる想いを乗せたまま、ミンは渾身の一突きを――
「!」
 止められた。
 しかも、
「な……」
 槍ではなかった。
 なんと、二本の指ではさみ止められたのだ。
「………………」
 自分の見ているものが信じられない思いのミン。こんな超人的なことをする人間を彼女はこれまで一人も知らなかった。
 腕力……いや身体能力で可能なことではない。
 技術。あるいは才能、センス。
 力の均衡を完全に見切った――
 その呼吸。
 まさに気を合わせたとしか言いようのない神技だった。
「ふんっ!」
「!?」
 押し返された。
 もちろん腕力によってではない。
 気で打たれたのだ。
 瞬間、腰からくずれるようにミンはその場にへたりこんだ。
「あ……」
 醜態に青ざめるも、身体に力が入らない。
「くっ……」
 闘場を囲む者たちは静まり返っていた。
 その沈黙、そして刺さるような無数の視線を感じ、ミンはうつむいたまま顔を上げられなくる。
 なんて……なんて情けない姿だ。
 仮にも『四神』と呼ばれる騎士がこんな無様な姿をさらしている。
 やはり無理だったのだ。
 力の差はすでにわかっていたはずだ。
 なのに、どうして勝負することにうなずいてしまったのか。
 うかつだ! うかつすぎる!
 騎士は上の者には逆らえないとは言え、これまで平然とターフェイに反抗してきた自分にとってそれは言いわけで――
「あなたは騎士じゃない」
「!」
 突き刺さった。
 在香は誇らしげに己に手を当てていった。
「これが騎士よ」
「っ」
「ここにいるわたしこそが。あなたのように腑抜けてしまった子どもたちにわたしが館長として本当の……」
「ミンは騎士だ!」
 叫んだ――それは、
「ドル……」
 確かめるまでもなかった。
 真っすぐな視線がこちらに向けられていた。
「………………」
 一片の疑いもない澄んだ瞳。
 そのまぶしさに、ミンは思わず見とれる。
「……あんたこそ騎士よ。わたしより……ずっと」
 ふつふつと。
 わき上がってくるのは自分の強さではない。
 ドルゴンの強さだ。
 その強さが、自分の中の『騎士』を呼び起こしている。
「はぁー」
 またも露骨なため息。
 しかし、いまのミンの心はゆらがなかった。
「いつから騎士が『助けられる』ほうになったのかしら」
「……いいじゃない」
 在香が軽く息を飲むのがわかった。
 ミンはやっとやり返してやれた気分になりながら、
「わたしがあいつを助けて、あいつもわたしを助ける。そういう騎士がいたっていいって言ってるの」
「そんな甘い……」
「傲慢って言うのよ! 一方的に相手を助けた気になって偉ぶってるのはね!」
 在香の顔がはっきりと引きつった。
 そこへすかさず、
「行って!」
 膝に力をこめて立ち上がると同時に、ミンは手にした槍を大きくふるった。
「っ……」
〝戦輪の槍〟――
 その名の通り、槍に組みこまれた必殺の戦輪が空を裂いて在香を襲う。
「フッ」
 在香の表情が余裕を取り戻す。
 完璧に軌道を見切り、最小限の動きで戦輪の攻撃をかわす。
 しかし、それは予想済みだった。
(……来て!)
 かわされた戦輪が大きく弧を描き、再び在香を襲う。
「ふぅん」
 在香の目が再び興味深そうな――戦闘者の目になる。
「やるじゃない。かわす限り追い続けるってわけ?」
 そう言いながら余裕の色は消えない。
「また指で止めるのも面白くないからー」
 キゥィィィイン!!!
「――!」
 観衆がどよめきにゆれる。
 止められた。
 いや、正確には、戦輪はいまも回り続けている。
 輪の中――
 そこに輪投げのようにして在香の槍が突き入れられたのだ。
「あらあら、活きがいいわねえ」
 回り続ける戦輪を貫いて余裕を見せる在香。
 だがミンはひるまない。
「次!」
 全身の力を注ぎこむようにして槍を横なぎにふるう。
 シュバッ!
 さらに勢いを増した戦輪が牙をむく。
「ふぅ」
 在香はあきれたような息をもらし――
 シュルルルルッ!
 またも戦輪を己の槍に貫き止める。
「さー、何枚いくのかしら」
 ミンはひるまなかった。
「えぃやぁっ!」
 三度、渾身の射出。
「ふふっ」
 捕らえられる。
「やあっ!」
 その次も。
「はっ! てやあっ!」
 次も。その次も。
「ふー」
 再び吐息がこぼれる。
「無駄だってわからないの? それとも……」
 在香の目に剣呑な光が宿る。
「がんばりだけでもアピールしたいなんて、無様なことを考えているのかしら」
 ミンは答えなかった。
 そして、
「はあぁーーーっ!」
 最後の戦輪を放つと同時に――突きかかった!
「……!?」
 在香の反応が遅れる。
 しかし、すぐさまその身体は動き、まずは先に来た戦輪を槍で捕らえた。
 そこへすかさず突きを放つミンだったが、
「甘い!」
 キィィィィィィィィィィィィィィン!!!
 突撃(ランスチャージ)――
 互いに突き出した槍の突先が、真正面からぶつかり合う。
「く……」
 ミンが押される。
 槍の長いほうが突き合いで負けるなど本来はあり得ない。加えてミンには先に突きかかった分、加速の勢いもあったというのに。
 在香は当然という顔で、
「わたしは〝座騎士(ソロネ)〟だったのよ。〝力騎士(ヴァーチャー)〟に突きで負けるわけ……」
 そのときだった。
「……!」
 フォォン、フォォン、フォォン――
 その音、そして手に伝わる震動に在香は息を飲んだ。
「これは……」
 回っていた。
 輪投げの輪のように捕らえた戦輪たちが。
 きっかけは、突きの直前に放たれた戦輪だ。その回転の力が伝わったかのように、他の戦輪も勢いを取り戻していた。
 在香は気づかされる。
 これまで受けた戦輪はすべて、弱まっていたとは言え回転を止めていなかった。
 回転を維持するため――
 そしてそれに気づかせないための連投だったというのか!?
「く……」
 震動によるゆらぎを懸命に抑えこもうとする在香。
 槍の先端と先端。
 騎士の至芸とも言うべきこの突き合いにおいて、わずかなずれも致命的だ。
 しかし、ぶれを抑えこもうと意識した時点ですでに突きへの集中力が大きく減じてしまっていた。
 ミンはそれを見逃さなかった。
「はぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 キィィィン!
「!」
 跳ね上げた。
 今度こそリーチが物を言った。
 絶妙なバランス感覚でミンの槍と突き合わせていた在香だったが、それが崩れた瞬間、物理的な不利にあらがうことができなかった。
「ちぃぃっ!」
 驚愕に目をむくも、すぐさま鬼の形相で再び突き合せようとする在香。こういうときは槍の小振りさが有利に働く。
 しかし、槍は彼女が思っていた以上に大きく跳ね上げられていた。
 回転する戦輪の遠心力が加わっていたためだ。
 そして、
「!」
 突きつけられた。
 在香の喉元に――ミンの槍の突先が。
 一瞬遅れて、回転を止めた戦輪が槍を持つ在香の手元に落ちた。
「ぐ……ぐぅぅぅぅぅぅっ!」
 血を吐くばかりのうめき声が食いしばった歯の間から漏れた。
 敗北――
 あり得るはずがない。決して認められるはずのない現実を在香は突きつけられていた。
「冗談じゃないわよ……」
 冷静な目で槍を突きつけているミン。その目が「こうなることはわかっていた」と言っているようでさらに在香を激昂させる。
「冗談じゃ……ないって……」
 我を忘れて再び襲いかかろうとした――
「在香!」
 そのときだった。
「レイナ……」
 在香の鬼気が霧散する。
 無二と言える友人に無様な姿を見せた。その動揺で動けなくなっているところへ、レイナはつかつかと歩み寄ってきた。
「在香」
「っ……」
「あなた、槍を手にしたのは何年ぶり?」
「!」
 在香は、
「……は……」
 たまらず目をそらし、
「初めてよ……騎士を辞めて以来」
 レイナは静かな表情のまま、
「わかってるでしょ」
 在香は――
 何も答えられなかった。
 と、レイナの目が険しくなり、
「騎士、なめんじゃないわよ」
「!」
 在香の身体がふるえる。
 そして、
「う……うう……」
 いい歳をして――
 そんな羞恥の想いを見せつつ、それでもこらえきれないというように、
「うぁ……あああああああああああ……」
 レイナの胸に顔を押しつけ、在香は子どものように泣き声を張り上げた。
「ほんと変わらない」
 優しい手が背中をさする。
「いつも周りとうまくいかなくて、それを無理やりなんとかしようとしてどんどんうまくいかなくなって」
「うる……さい……」
「ほんとはさびしがり屋なのに、すぐに一人になって」
「うるさいって……言って……」
 悔しそうながらそれでいて救われたという気持ちを声ににじませる在香。それはレイナがいなかったら彼女が『折れて』いたと感じさせるものだった。
「……う……」
「ん?」
「ありがとう……レイナ……」
 レイナは何も言わなかった。
 何も言わないまま、抱きしめるその腕に力をこめた。


 ドルゴンは――
 レイナの腕の中で泣きじゃくる在香をあぜんと見つめていた。
「おい」
 ぐきっ!
「いいぃっ!?」
 いきなり頭を真横にひねられ、ドルゴンは悲鳴を上げた。
「か、館長……」
「見るんじゃねえよ」
「!」
 あわてて自分から目をそらすドルゴン。
 そうだ。涙する女性に遠慮ない視線を向けるなど騎士のすることではない。
(それにしても……)
 勝負を決めることになったミンの突撃(ランスチャージ)を思い起こす。
 渾身の気合がこめられた一突きだった。
 やはり、ミンは騎士だ。
 誰に対しても胸を張ってそう言えるとあらためて――
「よくやったな、ミン」
「えっ!」
 ターフェイの声を聞き、あわててドルゴンは視線を正面に戻した。
「ミン……」
 そこには、かすかに息を切らせながら立つミンの姿があった。いまも調わない呼吸が戦いの熾烈さを物語っていた。
「ミン、僕……僕……」
「館長」
 感動で胸をいっぱいにするドルゴンの言葉をさえぎり、
「これでお望み通りってことですか?」
 ターフェイは、
「言うまでもねえだろ」
 にかっと子どものような笑みを見せ、
「期待してた以上だぜ。やるじゃねえか、ミン」
「っ……」
 その屈託のない笑顔に照れたのか、ミンはそっぽを向き、
「まったく調子いいんだから」
「で、でも、ほんとにすごかったよ、ミン」
 ドルゴンはフォローするように、
「僕、ミンのことが誇らしいよ! 友人として!」
 ひくっ、となるミン。
 が、無理やりそれを抑えこむようにして、
「……覚えてるんでしょうね」
「え?」
「約束のことよ!」
 目をつりあげるミンに思わず後ずさってしまうドルゴン。だが、そんなこちらを逃すまいとするように彼女は近づいてきて、
「戦いの前に言ったわよね!? わたしが勝ったら……その……」
「も、もちろん覚えてるよ」
 ドルゴンはあせあせと、
「あのことだよね!」
「そ、そのことよ……」
 再び目をそらしつつミンが言う。
「ひょっとして忘れたかもって……」
「そんなことないよ! 僕は騎士だよ? ミンだって騎士じゃないか!」
「う、うん……」
「騎士同士の約束を破るなんてことないよ! 僕もミンも騎士だ! だから騎士として、そんな、約束を果たさないなんてこと……」
「って、『騎士』『騎士』うるさいのよーーーーっ!」
 絶叫の直後、
「いいいっ!?」
 頬を左右に思いきり引っ張られ、目を見開くドルゴン。
「なにが『キシキシ』よ! 生のほうれん草食べたあとの歯じゃないのよ!」
「ふぇ? へも、ほふは……」
「うるさい!」
 ぎゅぅぅぅぅぅぅぅ!
「いいいいっ!?」
「そういうことじゃないのよ、わたしが求めてるのは!」
「ほ、ほういうことを……?」
「言わせるんじゃなーーーーーい!」
 ぎゅうううううううっ!!!
「ふぃいいいいいっ!?」
 そこへ、
「ドルゴンさん、にぶすぎですよ!」
 駆け寄ってきた鳴が、
「今日みなさんと知り合ったばかりの僕にでもわかります! ミンさんはドルゴンさんのことを……」
 どかっ!
「ぶっ!」
 後頭部に飛び蹴りを受けた鳴は、そのままハナに踏み倒された。ハナは「にぶいのはそっちも同じ」という顔で、ふんと鼻を鳴らした。
 さらにそこに、
「せんぱーーい!」
「ミンせんぱーーーい!」
 後輩の女性騎士たちも駆け寄ってくる。
「素敵でした、ミン先輩!」
「カッコよかったです、ミン先輩!」
 心からの賛辞。
 と、彼女たちの目がドルゴンに向けられ、
「それに比べてなんなんですか、ドルゴン先輩!」
「ミン先輩がこんなにがんばったのに!」
「なんで応えてあげないんですか!」
「情けなさすぎです、ドルゴン先輩!」
 ドルゴンは、
「え? え……え?」
 相変わらず何もわからないまま、
「えーと……」
 それでもミンに、
「カ、カッコよかったよ、ミン!」
「って、だからそういうことじゃないのよ、騎士バカーーーーーっ!」
「いいいーーーーっ!?」
 怒りの絶叫と共に、情けない悲鳴が空高くこだましていくのだった。


「ふー」
 ミンにやられ放題のドルゴンを見て、ターフェイはやれやれと頭をかいた。
 そんな二人を囲む若者たち。
 彼女たちの明るい声を聞いてターフェイの顔もなごんでいく。
 そして、ぽつりつぶやく。
「もうオレたちの時代じゃないんスよ、アネさん」
 最初から決めていた。
 在香の突然の申し出に、しかし、自分が立ち向かってはならないと。
 この区館……いや〝騎士団〟そのものの未来を決めるのは、次の時代を支えてくれる若い騎士たちだ。
 その中でもミンを選んだのは、
「なんやかんやで情けねーからな、ドルのやつ」
 その『情けない』には、いろいろな意味が含まれている。
 まず、かつての先輩というだけで、性格的に遠慮をしてしまうということはわかり切っていた。相手が女性であるということも『レディ』への献身を宗とする騎士にとって本気を出せない要因になってしまう。
 そこで、ミンだ。
 ミンには上に対する余計な遠慮がない。もちろん騎士として上位の者に敬意は払うが、おかしいことはおかしいとはっきり意見する。館長であるターフェイに対しても恐れ入るところがない。その豪胆さに加え、同じ女性ということもある。
 やはり他に勝負を託せる者はいなかった。
(やっぱ、次の館長はミンだよなー)
 さすがにそれは口には出さず、心の中でとどめるターフェイ。
 しかし、あくまで現時点での話だ。
「もうちっと頼れるようになってくれよなー、おまえも」
 苦笑するターフェイ。
 その視線の先には、まだミンに頬を引っ張られて情けない顔を見せているドルゴンの姿があった。

 時は経ち――
 ドルゴンと東アジア区館の騎士たちは、未曽有の激戦の中にあった。
「はぁぁっ!」
 気合と共に突き出されたドルゴンの〝蒼穹の槍〟が敵を吹き飛ばした。
「くっ……」
 さらに押し寄せる敵たち。
 と、ドルゴンの槍が彼の手の内で変化を見せた。槍身が分かれ、広がり、弦を張った長大な弓のような形に変わる。
「はぁっ!」
 撃ち放つ。
 槍身を矢とした一撃が群がる敵たちを衝撃によって打ち払う。
「はぁっ……はぁっ……」
 乱れた息を整えつつ、油断なく辺りを見渡す。
 海上に浮かぶ巨大船の甲板には、ドルゴンと同じように疲労困憊している仲間の騎士たちの姿があった。
「……ふぅ」
 ひとまず襲撃者の姿がないことを確かめ、息をつく。
 戦況は圧倒的に不利だった。
 来世騎士団(ナイツ・オブ・ヘヴン)――
〝騎士団〟の宿敵とも言うべき組織が、次代の騎士たちを育成する〝騎士の学園〟サン・ジェラールを包囲しているとの一報が入ってからどれほどの時間が経っただろう。
 本部はただちに〝騎士団〟の総力を結集して救出に向かうことを決定。
 ドルゴンたち東アジア区館も、こうして洋上、学園のあるサン・ジェラール島を目指していた。
 そこに立ちはだかったのが〝ヘヴン〟の軍団だった。
 人造騎士と呼ばれる異形の騎士たちで構成された彼らは、謎の巨大生物・海馬(シーホース)を母船としてドルゴンたちに襲いかかってきた。
 最初の襲撃は、レイナ率いるオセアニア区館の助けで退けることができた。
 しかし、敵の攻撃は続いた。
 戦力を小出しにしてくるその戦術は明らかに足止めを目的としたもので、ドルゴンたちは完全に敵の目論見にはまりこんでいた。
 一方で気づかされた。
 自分たちは――もてあそばれている。
 もっとも簡単な足止めの方法は、対象を殲滅してしまうことだ。そして、絶え間ない攻撃はそれを可能とする戦力があることを十分にうかがわせた。
 なのに、敵はいまだに小規模の攻撃を続けている。
 かろうじて食い止めているとは言え、慣れない船上での戦いに騎士もその相棒である馬たちも疲労は隠せなかった。
 ――と、
「あっ」
 感じた〝気配〟に、ドルゴンはふり向いた。
 物音一つ立てることなく。
 その灰色の毛並の馬はじっとこちらを見つめていた。
「どうしたんだい、トルカ」
 たてがみをなでながら親しくその名を呼ぶドルゴン。
 トルカはハナの愛馬で主人同様に寡黙な馬だった。一方で主人と同じくその澄んだ瞳は言いたいことを雄弁に伝えてくれた。
「っ……」
 ドルゴンは軽く息を飲む。
「何かあったの?」
 こくり。トルカがうなずく。
 疲労をふり払い、彼女にうながされるままドルゴンは広い甲板の上を走った。


「すみません! すみません、ハナさん!」
 ドルゴンが見たのは、
「あ……」
 明らかに怒っている態度のハナ。
 そして、そんな彼女の前で懸命に土下座している鳴の姿だった。
「ちょっ……鳴君!?」
 驚きの声をあげるドルゴン。どうしてここに彼が――
「あっ、ドルゴンさん……」
 あわてて顔をあげる鳴。と、かすかに険しい表情で、
「僕に『君』はいりません!」
「あ……そうだったね」
「そうです! 僕はもう従騎士なんですから!」
 あの騒ぎがあった後――
 在香は鳴の『破門』を取り消さなかった。
 ショックを受ける鳴。そして怒りを爆発させたミン。
 しかし、在香は無表情に、
『こんなわたしの下にいたら……その子が不幸になるわ』
 そして、言った。
『結局、わたしがその子に甘えていたのよ』
 以来――
 天涯孤独の鳴は東アジア区館で預かることになった。
 そして、未熟ながらも身につけた万里小路流の体術に負けない天性の身体操法の持ち主ということでハナが師となったのだ。
 ハナにとっては、初めての従騎士であった。
 しかし、今回の遠征に従騎士の同伴は許されていない。向かう戦場があまりに危険かつ未知であることが予測されたからだ。
 なのに、従騎士である鳴がいるということは――
「す、すみませんっ!」
 今度はドルゴンに向かって頭を下げる鳴。
「僕、どうしてもハナさんのことが心配で……」
 ぷっ! ふくらんでいたハナの頬がさらに大きくなる。
「あの……」
 鳴の気持ちをおもんばかりつつ、それでも上の騎士として言うべきことは言わなければと、
「ハナは一人前の騎士だ。それを従騎士のキミが心配するのは……」
「それでもハナさんはハナさんです!」
 顔を上げた鳴は迷いのない目で、
「ハナさんはレディです!」
 ――!
 ふくらんでいたハナの頬が赤く染まる。
「僕、ハナさんが危険な戦いに臨むと思ったら居ても立ってもいられなくて……それで船に忍びこんで」
 すまなそうに目を伏せる鳴だったが、再び顔を上げると、
「僕、ハナさんを守りたいんです! たとえ僕の命を投げ出してでも――」
 そのときだった。
 ハナが鳴のそばに近づき、
「!」
 ぱぁん!
 するどい平手打ちの音が広い甲板に響き渡った。
「な……」
 鳴の目にたちまち涙が盛り上がる。
「ハナさん……どうして……」
「鳴」
 ドルゴンは鳴の肩に手を置き、
「ハナはね、怒ってるんだよ」
「それは……従騎士の僕が逆らったから……」
「そういうことじゃない」
 首を横に振ってドルゴンは言った。
「ハナはキミに命を投げ出して守ってほしいなんて思ってない」
「僕が未熟だから……」
「違う」
 ドルゴンは鳴の目を見つめ、
「ハナはね、小さいころに家族を失った」
「……!」
「キミまでそんなふうになってもらいたくないんだ。間違っても命を投げ出すなんて言ってほしくないんだ」
「でも……僕は……」
「家族だ」
「!」
「キミはハナの弟で、僕の弟で……〝騎士団〟の家族だ」
 ドルゴンは周りを見渡して言った。
「ここにいる全員が家族だ! 誰一人欠けることは許されない! 本当の家族だ!」
 そして高ぶる想いのまま、
「サン・ジェラールにも僕らの弟や妹たちがいる! 家族の危機には絶対駆けつける! ここを突破して必ず! 必ずだ!」
 ドルゴンの言葉が波のように周りの者たちをふるわせていく。
 鳴もあらたな涙を浮かべ、
「ドルゴンさん……僕、本当に……みなさんと知り合えて……」
 小さな手が鳴の肩にそっと置かれる。
「ハナさん」
 姉として――そんな優しい目でハナは鳴を見つめていた。
 と、そこに、
「かわいがられてるみたいね、鳴」
「!」
 驚きに息をのむ鳴、ハナ、そしてドルゴン。
「あなたは……」
「師範!」
 あわてて彼女――在香に駆け寄る鳴。
 が、はっとなると、つらそうに目を伏せ、
「すみません……破門された身で『師範』なんて」
 在香は、
「わたしがあなたに技を伝えたことは事実よ」
「っ……」
「その教えはあなたの中に残っている……」
 鳴の目を見て在香は言った。
「絶対他力」
「!」
「忘れたらだめよ」
 ふわりと。以前の彼女からは想像できないほど優しい笑みが浮かんだ。
「はい……師範……」
 涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら鳴はうなずいた。
「あの……」
 師弟の再会に水をさすようですまないと思いつつドルゴンは、
「どうして、万里小路さんが……」
「あら、いたら悪い?」
「いえ……」
 良い悪いの問題ではないのだが……。
「わたしがいたら邪魔?」
「いえ、そんな……」
「こんなわたしでもね」
 在香は遠くを見つめる目で、
「昔、同じように戦ったのよ。〝騎士団〟を守るために」
「っ……」
 そうだ……在香はかつて〝ヘヴン〟との〝大戦〟を戦い抜いた猛者なのだ。
「じゃあ、僕たちを助けるために……」
「〝騎士団〟よ」
 在香は語気を強めて言う。
「わたしは館長とみんなの愛した〝騎士団〟を……東アジア区館を守りたいだけ」
「万里小路さん……」
「在香よ」
「っ」
「在香と呼びなさい」
「は、はい、在香さん……」
「ふー」
 在香の肩から力が抜ける。
「ホントはこっちの船に来るつもりなかったんだけどね。だってカッコ悪いじゃない」
「こっちの船……」
 直後、ドルゴンははっとなる。
「ひょっとして、レイナ館長のところに」
 きっとそうだ。
 在香はこの非常事態のことを、友人であるレイナから聞いたのだろう。
 そして、オセアニア区館の船に同乗してきたのだ。
 学園の若き騎士たちを救うため――共に戦ってくれるために。
「在香さん……」
 ドルゴンはあらためて姿勢を正し、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
「あーら」
 在香はまんざらでもないというように微笑し、
「感謝してる?」
「はい」
「わたしが来てくれてうれしい?」
「はい」
「じゃあ、やっぱりわたしが館長に……」
「それは無理です」
「……う……」
「僕たちの館長は館長だけですから」
 在香はかすかに顔を引きつらせ、
「い、言うわね、かわいい顔してキミも。まー、本気にしないで、冗談よ」
 そう言いつつも、顔をそらしてぶつぶつと、
「まったくあの山猿のどこがいいのかしら。ホント趣味悪いわよねー」
「し、師範……」
 隠しているようで思い切り暴言の聞こえてしまっている在香を、さすがに鳴がたしなめようとする。
 ――と、
「はい、これ」
「えっ?」
 思いがけず渡されたものを反射的に受け取ってしまう鳴。それが何であるかを確認した彼は目を見開いた。
「これって……」
 ドルゴンたちも息を飲む。
「どういうことですか、在香さん」
「大丈夫よ。ちゃんと使えるよう調整は済んでるから」
「いえ、そういうことでは……」
 あらためて鳴が手にしているものを見る。
 それは――
 在香の愛槍〝天刺の槍〟だった。
「………………」
 事態を飲みこみ切れず、沈黙するドルゴンたち。
 と、在香は不機嫌そうに、
「何よ? そもそもわたしはずっと前に騎士じゃなくなってるんだから、誰に渡そうと文句ないでしょう」
 すると、
「ハナ……!」
 文句ある。そう言いたそうにハナが首をふり、在香をにらんだ。
 鳴もあわてて、
「そ、そうです、僕はまだ従騎士です。槍を持つのはまだ許されて……」
「なら、騎士になればいい」
 そこに現れたのは、
「館長!」
 ターフェイはにかっと笑い、
「いまここからおまえは〝騎士(ナイト)〟だ。まー、叙任式はちょっとばかり待ってもらうけどな」
「そ、そんな簡単に……」
 あわてるドルゴン。ハナも大きく瞳をゆらす。
 一方、在香はご機嫌顔で、
「話せるじゃない、山猿のくせに」
「へへっ」
 子どものように鼻の下をこすったあと、ターフェイはぐっと頭を下げ、
「アネさん、お勤めご苦労さまです」
「あんた、それ、レイナにも言ったでしょ。あきれてたわよ、あの子」
 肩をすくめてみせる在香。
 ドルゴンたちは、まだあぜんとしたままだ。
 と、そこに、
「心残りに思ったんでしょ」
「っ」
 いつの間にかドルゴンのそばにミンが立っていた。
「心残りって……」
「はー」
 やれやれというため息をつき、
「わかるでしょ」
「え……」
「鳴クンのことよ」
「!」
 ミンの視線が宙に向けられ、
「一人になっても残ってくれた弟子なのよ。かわいくないわけないじゃない」
「………………」
「そして、あのオバさんは仲間や大切な人たちがいなくなるのをたくさん見てきた……」
 ミンの目が再びこちらを見て、
「自分もって思って……当然じゃない」
 言葉をなくすドルゴン。
 今回の戦いの厳しさはドルゴンも痛感している。
 それ以上に厳しかったであろう戦いを在香はくぐりぬけてきた。自分が思っている以上のことを彼女も感じてきたはずなのだ。
「ありがとう、ミン」
 ドルゴンの口から素直にお礼の言葉が出た。
「僕、何もわからなくて……」
「わからなすぎよ。いつもいつも」
「ごめん……」
「………………」
 ミンは、
「わからないついでに教えてあげる」
「えっ」
「わたしにだって……心残りがあるんだから」
「ミン……!」
 ドルゴンは驚き、そしてあわてて、
「な、何!? 僕にできることだったら何でも……」
「また、それ?」
 苦笑しつつもミンは、
「呼んで」
「え?」
「わたしの名前」
「名前って……」
 当然、彼女の名前は知っている。
 しかし、ミンは普段なぜか名前のほうを呼ばれるのを好まない。それでドルゴンも含めて周りの者はみな『ミン』と呼んでいるのだ。
 それがどうして――
「なによ」
 すねるように唇をとがらせ、
「あのオバさんの名前は呼べて、わたしのは呼べないってわけ?」
「そんなこと……」
 思わぬ怒りを買いそうな気配に、ドルゴンはあわてて彼女の名前を――
「待って!」
「!?」
「そっちじゃないから」
「え……?」
「………………」
 わずかな沈黙の後、
「フランソワーズ」
「……!」
「呼んでほしいのは……そっち」
「………………」
 どういうことなのかわからないドルゴン。
 すると、ミンは、
「男の子がほしかったのよ、うちの親父」
「えっ」
「ホント勝手よねー。そのせいで、わたし、いまでも上から無理やり何か押しつけられるのは嫌いっていうか」
「あ……」
 確かに、上の立場の人間の横暴をミンは何より嫌う。
 在香のときもそうだった。
「だから……」
 ミンは彼女らしくなくもじもじと、
「一度だけ……呼んでもらいたいの。女の子っぽく」
「ミン……」
「で、でも、誰にでもってわけじゃなくて、その……」
 いっそうもじもじとしながら、ぽつりと、
「……ドルだから」
「………………」
 ドルゴンは、
「いいよ」
「……!」
 そして、
「フ――」
「待って!」
 言おうとした瞬間に口をふさがれ、ドルゴンは息を詰まらせる。
「あんたら……」
 怒りのこもったうめき声と共にミンがにらみつけた先には、
「あ……」
 見ていた。
 周りにいる者たちが全員こちらを。
 と、はっとなったハナが、あわてて身ぶり手ぶりで違うほうを向かせようとするが、誰一人それに従おうとしない。
 ドルゴンは心の底から不思議そうに、
「どうしたんですか? 何か気になることでも……」
「気になることってなー」
「そうよねー」
 ターフェイと在香が意味ありげな笑みを交わし合う。
 ドルゴンは首をひねるも、
「あ、ごめん、ミン。まだキミの名前を……」
「い、いい! いまは言わなくて!」
「えっ?」
 ドルゴンは不思議そうな顔で、
「どうして? だって言ってほしいんじゃ……」
「それはそうだけど……空気読んでよ!」
「空気?」
「はー、あんたにわかるはずないわね」
「心残りだって言ったじゃないか。なら遠慮しないで……」
「遠慮してるんじゃないの!」
「フ――」
「って、さらりと言おうとしないでよ!」
「じゃあ、重々しく」
「重々しくてもだめなの! この騎士バカーーーーーーっ!」
 甲板にミンの絶叫がこだまし、共に笑い声も響く。
 戦いの中のこの束の間の時間。それがいまは見えない自分たちの〝未来〟を照らし出す光になってくれる――
 ドルゴンは、思った。

四神の敵は四神

四神の敵は四神

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